――――エルクがペイサス市に入り、イーガと接触する一方、
アークらはグレイシーヌ国王との交渉をスムーズにするため、雲を頂く山の頂付近にある寺を目指し、山肌に這わせるように設けられた長い長い階段を登っていた。
「大丈夫か?」
先頭をいく青年は休憩を挟むかどうかの目安として最後尾の少女の調子を窺った。これまでの様子から大体の予想はついていたが、少女は青年の気遣いに対してにこやかな笑顔で返してきた。
「ええ、こう見えて山育ちなので体力には自信があるんです」
「へえ、なかなか根性があるじゃねえか。悪かねえ」
一年前、彼らは同じ道を通ってきた。その時に連れ立っていた同じ年頃の少女は苛立たし気に悪態を吐きながら登っていた。そして、その悪態に対し赤毛の男が茶々を入れ、二人は終始不毛な言い合いをしていた。
青年はその光景をふと思い出し、笑った。
「なに笑ってやがる。気味
「はは、もしも俺がこれくらいで弱音を上げるような奴だったら、それはお前の教育が悪いせいだな」
「ぬかしやがる。そういうデカい口は一度でも俺らに勝ってから言えよな」
青年は精霊たちの特別な加護により、常人では到底なしえない天災にすら近い現象を引き起こすことができる。それらを応用すれば多少の肉体強化もできた。
しかし、それは化け物と渡り合うにはあまりにも心許ない。
その弱点を補うため、彼は肉弾戦に特化したトッシュやイーガから日々厳しいトレーニングを課されていたのだった。
「そうだな。次の試合の後、泣きじゃくるお前へのトドメとして取っておくことにするよ」
「おもしれえ。その言葉、忘れんなよ」
「ああ、誓うさ」
アークによる精霊の癒しもあり、三人は休憩を挟むことなく歴代の登山者の記録にすら並ぶ速さで目的地に到着した。
そうして彼らを出迎えた門は、ここまでの苦行を乗り越えてきた修験者を
「これはアーク殿、ご無沙汰しております!」
その両脇に構える猿の面を被った大男たちは、アークらの姿を見つけるなり
「師範代より伺っております。リュウゲン国王との交渉をお考えとのことで」
「さすがイーガだな。話が早い」
「師範代は今、この戦争の糸口を見出すため、ペイサスの大図書館に向かわれております。ですが、もう間もなく戻られるのではないかと思いますので、どうかそれまで中でお待ちください。…ですがその前に一つ、伺いたいことが」
門衛はあくまで敵意を見せないように気を配りながら青年に尋ねた。
「失礼ですが、そちらの女性は?」
『
「…知っているかどうかわからないが、彼女はフォーレスの呪術師のようなものだ。その力があまりに強く制御しきれていないが、決してアナタたちに危害を加えることはない。信じてほしい」
一年前、門衛の二人は同じように助力を求める青年の目を見ていた。その時の二人は、人の皮を被った悪魔に良いように使われているとも知らずに、青年を追い払おうとした。
しかし、青年はそんな二人の過ちをものともせず、さらには彼らの兄弟子すらも退け、寺に取り憑く悪魔を払ってみせた。
いわば青年はこの寺の、グレイシーヌ国の恩人とも言える。そんな人間の真摯な言葉を二度と聞き違えない。それが亡き恩師へ捧ぐ、彼らの誓いの形だった。
「アーク殿、安心してくだされ。我らが貴方の曇りなき
そう言うと二人は門の両側に付き、身の丈の五倍はあろうかという扉を腕力だけで押し開けた。
「ありがとう」
「いいえ、我ら必ずや貴方がたの恩に
その声は自信に満ち溢れていた。
かつての愚かな自分を打ち伏せるには、より大きな、より確かな気概でもって悪を見破らなければならない。
あの戦いの後に残った僧兵たちはアークという青年のもたらした新たな試練に心から感謝していた。
客間に通されたアークたちは、イーガが戻るまで束の間の休息を取っていた。
「アークさん、さっきはありがとうございました」
先程の遣り取りの中で少女の耳はそもそも僧兵たちに揉め事を起こす気がないことを見抜いていた。それでも青年の言葉次第では彼女の心に新たな傷をつけていたかもしれない。
青年はその、少女の癖ともいえる憐れな期待を裏切った。
「リーザ、俺たちは仲間だ。君に信じてもらうにはまだ早いかもしれないが、俺たちは絶対に君を一人にはしない」
リーザは、青年を信用し切れていなかった自分を少し恥じた。
その言葉には炎の少年と同じ力強さがあり、心地好さがあった。
「アークよぉ。そんなことばっか言ってっと、いつか痛い目見るぜ?」
無自覚な青年の言葉選びを、赤髪は意味深な溜め息を吐きながら忠告した。
「…本心だ。他意はない」
「だから余計に
「…わかった。これからは気を付けるさ」
あまり納得はできなかったが、それも仲間の皆を導くためと青年は受け入れるしかなかった。
赤髪の言わんとしていることに気付いた少女は、気まずさから話題を変えようと、思ったばかりの感想を口にしてみた。
「それよりも凄いですね。ここの人たちは皆、あんな風に力持ちなんですか?」
ラマダ僧兵は『氣』でもって己の筋力以上の力を発揮することができる。そういう意味では、門衛を任されることは僧兵たちの間では一つのステータスとも言えた。
「そうだな、あの腕力にはいつもながらに感心させられるよ。彼らならミルマーナの化け物にも決して遅れはとらないだろうな」
「ハッ、腕っぷしだけでどうにかなるような相手なら王様だってわざわざあの豚野郎のところに使者を送ったりしねえだろうよ」
「確かにそうだな。奴らはあらゆる手で俺たちを翻弄してくる。キメラ化計画
しかし、彼らがその一大計画の一端を担う強敵を討ったことも、紛れもない事実だ。
「だったら王様になんて説得するのかも、もう決めてあるんだろうな?」
ただ僧兵とともにミルマーナ軍に立ち向かう決意を持たせるたけでは足りない。
何かしら、敵を
この一年間、日々、
「当たり前だ」
仲間たちの支えがあるからこそ、赤髪の威圧的な問いにも絶望的な戦況にも毅然として返せた。
ミルマーナ軍はその軍事方針から、豊富な種類の火器を備えている。小銃から爆撃機に至るまで。その多様性はもはやロマリア軍すらも超えるとも言われている。
そして、彼らがこの戦争において新たに開発したものが、列車砲と呼ばれる移動式砲台「グラウノルン」だった。
機動力にこそ爆撃機に劣るものの、一撃の破壊力と次弾装填速度、そして機体自身の防御力は爆撃機を大きく上回っていた。
「奴らは間違いなく列車砲を持ち出す」
兵舎としても運用できるそれは、地続きの戦場であるなら他の追随を許さない利便性が見込める。その検証の機会を戦闘狂で知られるあの将軍が利用しないわけがなかった。
「そんで?」
「俺たちが列車砲を叩き、僧兵たちは白兵戦で攻め落とす」
「…攻め落とすって、まさか作戦はそれだけかよ?」
「そうだな。端的に言えばそれだけだ。お前の脳みそを破壊してもいいなら、もっと詳しく説明してやってもいいが?」
「ハッ、そりゃあ遠慮しておくぜ。だがよ、それにしたってその案はいまいち魅力に欠けるんじゃねえか?王様を動かすんだぜ?ウソでもよ、もっと確実で派手な話しにでっち上げた方がいいんじゃねえか?」
「…お前、自分で言ってる意味がわかってるか?確実で派手な作戦なんて、格上の兵力がないとあり得ないぞ?」
「だからそこを上手くでっち上げるんだろうがよ」
その「セリフ」を吐くトッシュの様子はあからさまに浮ついていた。
「……」
途中まで本気で話していた自分がバカだった。トッシュにとってこの対話は、
「ようやく気付いたかよ。寺の奴らに信用されてるからって気が抜けてんじゃねえか?」
それは間違いなかった。青年はグレイシーヌ国の王を「彼らの長」という
「相手は王様なんだぜ?そもそも俺たちとは見てるもんが違うんだ。適当こいてると本番でも手玉に取られちまうかもしれねえぜ?」
たとえそこに悪意がなかったとしても「最小限の
「…そうだな、俺が間違っていたよ」
「しっかりしてくれよ、リーダーさんよ」
本当に、良い仲間なんだ。傍から見ていたリーザはそう思った。まるで、エルクとシュウのようだと。
その後は適当に言葉を交わしながら、ガルアーノ戦で治りきっていない傷を癒すことに時間を費やしていた。
だが唐突に、待ち人を出迎える声でない声が辺りに響き渡り、たちまち彼らの目付きを鋭くさせた。
「…道場の方だな。行くのか?」
「当然だろ」
「俺たちの庭じゃねえんだし、あんまり出しゃばるもんじゃねえと思う……けどな」
言い終わるよりも早く、青年は自分の剣を取って悲鳴の聞こえた方へと駆け出した。
「ったく、どこまでもお節介な野郎だぜ」
そう言いながらやる気のない面持ちで腰を上げるトッシュを見て、ついさっきまでの二人の様子を見たリーザは思わず彼の『声』を代弁していた。
「でも、そのお陰でトッシュさんたちを支えてくれる人たちが助かるならいいじゃないですか」
「…そうだな。そのためにアイツは闘ってるんだよ。だけどな、長く付き合ってると、そんなアイツが時々心配になる時もあるんだよ。…でもまあ取り敢えずはありがとうよ、嬢ちゃん」
「良ければ、リーザって呼んでください」
「じゃあ、俺のこともトッシュって呼んでくれよ。”さん”付けはなんかむず痒くてよ」
「はい、トッシュ。じゃあ、私たちも急ぎましょう」
「そうだな」
彼は沢山の仲間が死んでいく様を知っている。自分の力が及ばなかったばかりに。多くの、より信頼のおける仲間を欲張ったばかりに。だから余計に青年の将来を案じてしまうのだった。
しかし、トッシュとリーザが道場にたどり着く頃にはもう、騒動は収束する様子を見せていた。
「アナタが噂の悪党なのね、アーク・エダ・リコルヌ」
褐色の肌の女が青年を名指ししていた。
数十人の僧兵たちが囲んでいるにも拘わらず、その女に怖気づく様子は微塵もなく、逆に女が一歩踏み出せば僧兵たちが一歩下がってしまうような威圧感がその女にはあった。
事実、彼女の周囲にはなんらかの手段でもって気絶させられた僧兵が5、6人転がっている。
「だとしたらなんだ」
青年は万全の態勢でもって女を睨みつけた。
だがその女の瞳は、
「私は占い師よ、アナタたちと取り引きがしたいの」
「取り引きと言う割には随分と穏やかじゃない真似をしてくれるじゃないか」
「…国際指名手配犯といってもこの程度なの?皮肉ね」
「!?」
おもむろに、全身を覆うローブから小さな手鏡を取り出すと女はその中に青年を映し込んだ。
赤髪の警告が聞こえたような気がした。だがそれはもう手遅れだった。
女が小瓶の中の血糊を指先に付け、映り込む青年の体にそれを塗るとたちまち青年の体に異変が起こった。……いいや、起こるはずだった。
「…なんですって?!」
女の術が完成していれば血糊を塗った箇所の血が逆流し、青年は激痛に耐えられず彼女の足下で悶えるはずだった。
「それはバルバラードの呪術かなにかか?悪いが俺には通用しない」
こと魔法などの異能の力において青年に打ち勝てる「人間」は存在しないと言ってもいい。彼が得た精霊の加護はそれほどに強力なものだった。
「どこの誰だか知らないが、それがお前の切り札だというならもう勝ち目はないと言っておいてやる。そして、もしもこの状況が理解できたのなら彼らを解放し、事情を説明しろ。もしくは、ここでその
青年の挑発に女は殺人鬼のような形相で睨み返した。眉間に深く刻まれたシワ、彫りの深い目に落ちる黒い影は呪術師を名乗るに相応しいおどろおどろしさを語っていた。
しかし、周囲を見渡した呪術師はどうにかこうにか自分の中の悪鬼を鎮めざるを得ないことを認め、懐から取り出した
「なぜこんな真似をした」
その様子から、女が初めから危害を加える目的で青年を探していた訳ではないことが窺えた。けれども、一歩間違えれば惨状は
「アタシは無駄が嫌いなの。話しても理解できないなら体で分からせる
その声が淀むことはなかった。そしてその一言一言からは、呪術師特有の毒々しい紫色の
「アタシはシャーヒダ。ミルマーナに復讐を誓う者よ」
「うっ…」
シャーヒダと名乗る女が「ミルマーナ」と唱えた瞬間、彼女を囲んでいた僧兵たちは思わず一歩、
彼らの目にはハッキリとそれが映っていたからだ。
恨めしそうな目で女を見詰める『氣』が女の背後に軍を成す光景が。
その、おぞましい数の『怨念』が。
※門衛を任されることは僧兵たちの間では一つのステータスとも言えた
某殺人鬼一家の「試しの門」みたいなものですね。
※シャーヒダはアラビア語で「秘密」の意味です。
※恨めしそうな目で女を見詰める『氣』が女の背後に軍を成す光景が
「軍」と「群」を掛けています。…一応。