聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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拳に刻まれた歴史 その三

――――ラマダ経典が盗まれる少し前

 

「……」

銀髪の狼はエルクたちよりも先にペイサス市に潜入することに成功していた。

狼は素浪人を装うように穴の開いた笠とマントで顔を隠し、人混みを利用して仲間の障害となり得る化け物の臭いを探った。

「……」

間もなく、狼は一人の男に焦点を絞った。

身のこなし、視野の広さ、標準的な装備から男はかなり熟達した腕を持つ盗賊集団の一人だとわかった。

しかし、どれだけ監視の範囲を広げてみても男の仲間らしき人物は見つからなかった。今の男は単独行動をしている。

それは、男が今まさに街中の化け物の視線を釘付けにするほどの事を起こそうとしている根拠の一つになるのだろう。

化け物たちは完全に油断していた。仇敵であるラマダ僧兵以外の人間を(あなど)り、鼻を研ぎ澄ませ森の中を嗅ぎまわる狼の存在を見落としていた。

彼らの関心は今、男の行動にだけ向いていた。

「……」

狼の予測した事件は見事と言わざるを得ない手腕でもって遂行された。

限りなく無臭に近い催眠効果のある芳香を()き、何食わぬ顔でターゲットに近づくと瞬く間に僧兵を昏倒させた。さらにはグレイシーヌ国特有のカラクリを用いた金庫までも淀みなく開錠し、たった一本の巻物を持って平然と逃走してみせた。

「……」

狼は先回りし人混みを利用して盗んだものを(かす)め取ろうとしたが男の警戒は想像以上に厳しく、化け物たちの視線も一層熱くなっていた。それらは怪しい者の接近を一切許さない。

だが、狼の目的はあくまでミルマーナ軍(ヤグン)に繋がる情報であり、グレイシーヌ国の機密の奪還ではない。

狼は気取られないように尾行し、男の目的と化け物たちの視線の理由を突き止めるためことに専念した。

 

ところが、運命の天秤は思わぬ形で狼に(かしず)いた。

「――――!?」

男の仲間らしき人物が突如姿を現し、男の行く先を阻んだ。

「イネス、こんなところで何をしてい…、バカが。」

この後の展開を予測した男は全速力でその場から()()()()()()()()()。人混みを掻き分け、周囲の注目を集めながらも裏路地に()()()()()()()()()

その先に罠があるかもしれないと予測していながら……。

「――――!?」

「行け。後始末は我々がする。」

裏路地で男を待ち構えていたものは男を監視していた化け物たちと、彼の仲間だった者たちの屍だった。

「……」

行動を読まれていた男は仲間たちに待ち伏せされていたのだ。だが、男を逃がすために化け物たちがそれらを(ほふ)った。ここで二つの関係性が結びついた。

「何をしている、早く行け。ここでキサマ諸共始末してもいいんだぞ。」

「……」

この瞬間、男は自身を取り巻く「違和感」を見逃さなかった。

こんなはずではなかった。仲間を前に逃げ出すつもりなどなかったし、裏路地に飛び込むなんて素人染みた選択をするつもりもなかった。

そもそも、今回の件は仲間に(さと)られないよう十分すぎるほどに慎重を期したはずだった。

だというのに、何もかもが男の想定を狂わせている。

「……」

ならばそれは、この状況をもたらした、男の予測し得ない第三者が噛んでいることを物語っているということ。

「…お前たちの中に内通者がいる。」

「何?」

「もしくは、俺たちの行動を制限している何者かが何処かからか監視している。」

初めの一言は虚言だった。本能で牙を振り回す獣たちに敵意がないことを示しつつ関心を惹くための。さらには、この茶番を仕組んだ第三者が心までもを支配するものかどうかを確認するための。

「適当なことを言って我らを混乱させる気か?」

「逃げるつもりかもしれん。」

「やはりここで始末すべきだ。経典さえ手に入れば問題ないだろう。」

「バカを言え。ここで奴らを呼び寄せるような真似をして万が一にでも経典を奪還されでもすれば我らの失態があの方の野望を挫くことになるんだぞ。」

「……チッ、」

「……」

結果、ソイツの『力』は全能でないことが推察できた。

 

ソレは完全に保たれた「自我」には干渉できない。つまり行動の全てを制限されるものではない。だが、ふとした瞬間、反射的行動や「自我」を希薄にした途端に主導権を奪われる。

そして、一度に制限できる行動には限りがある。もしくはクールタイムのようなものがあるのかもしれない。俺に勘付かせるほどに無茶な展開をさせておきながら、まごつく化け物たちの言動からそう予測できた。

俺の知る限りそんな真似ができるのはバルバラード国の呪術師くらいだ。それも国に10人といないほどに強力な。

であれば、仲間が俺を待ち伏せていたのも、その『力』で警戒心の薄い化け物どもから今回の計画を盗み聞きいて密告したからだと納得できる。

あの素浪人を装っていた男がそれか?…いいや、確かに奴は只者ではなかったが、どちらかと言えば俺たちの側に近い人間の臭いがした。それに、術者がわざわざ姿を晒す利点なんかない。

「……!?」

男は気付いた。取り返しのつかないミスをしてしまったことに。

目の前の化け物たちに覚られないよう奥歯を噛んだ。

 

やられた!あの一瞬の寸劇の隙を突かれてしまったんだっ!

 

男の懐から盗品が消えていた。仲間に注意が向いているあの一瞬で、あの素浪人は男に接近し本領を発揮したのだ。

…どうする。このままでは確実にコイツらに殺される。当然、あの素浪人の気配はどこにもない。取り返すことはできないだろう。

逃げ切れるか?無理だ。頭は悪くとも、その能力は間違いなく人間を狩るために与えられた化け物のそれだ。

せめて何か交渉できる材料はないか?

呪術師の存在は?ダメだ。奴の立ち位置がハッキリしない内に忠告したところで妄言にしか聞こえない。

隙を突いて僧兵たちの駐屯地に逃げ込むか?兵器とはいえ僧兵も人間、化け物を退治しさえすれば生き残る道はあるはずだ。

 

確かな実力を持つ盗賊は自分の命を左右しようとしている化け物を目の前にしながら大局を見極め、確実に生き残る道を模索した。しかしそのどれにも「第三者」が阻んでいるように思えた。

まるで男こそが真の標的であるかのように。

「…取り引きは予定通りの場所で行う。ここで俺を殺すつもりなら刺し違えてでもこの盗品は処分する。それでも良ければ殺るがいいさ。」

「…人間ごときが調子に乗るなよ。」

化け物はその体躯に見合わない大剣を(おもむ)ろに振りかざした。

「やめろ、乗せられるな。まずは経典だ。その後はお前の好きにすればいい。」

この間、彼らの遣り取りから化け物が男に味方していることに気付いた残りの盗賊仲間は撤収していた。男は取り敢えずの窮地を乗り越えたのだった。

 

しかしそれは男の実力が成した結果であって、運命は一度たりとも男に微笑むことはなかった。

 

 

――――ペイサス市郊外、ノヤム原野

 

「てっきり僧兵に泣きつくと思っていたがな。」

村々から離れ、人気のない荒れ地にのこのこやって来た男の背後から、鎧をまとわない全身黒塗りの悪魔が現れた。

「……」

たった一本の長剣だけを得物にした、裸同然の奴隷剣闘士のような無防備な出で立ちにも拘わらず、その異様な覇気はいくつもの死線を乗り越えてきた男の戦意でさえも出会い頭に委縮させてしまった。

「笑えん冗談だな。お前たちの入念な露払いに俺が気付かないとでも?」

男が把握していた駐屯地はすべて、突如出現したという野生の怪物の討伐のために出払っていた。

「クックック、その答えは誤りだな。キサマはただ約束を果たしに来ただけ。他意などない。そうだろう?」

「……」

男を(あざけ)る運命が、目の前に立っていた。

相手はまだ男が経典を持っていないことに気付いていない。ここまで来たからには逃げる選択肢はない。殺るなら取り引きをするその隙を突くしかない。

「……」

…やはり、無理だ。俺が取り引きに応じるフリをして得物を取り出した瞬間、その大剣が俺の首を飛ばしているイメージが容易にできてしまう。煙幕や暗器などの小細工も通用しないだろう。

肉食の息を吐くかのように磨き上げられた筋肉が憎たらしいまでにこの化け物の常勝を約束している。

 

お喋りに飽き始めた無敗の剣闘士は、卑しい盗賊が卑しい息遣いで機会を窺っていることに気付いた。

「…変な気は起こすなよ。懐のものさえ渡しさえすればキサマは晴れて自由の身だ。」

剣闘士は一歩踏み出し、まるで盗賊の企みを誘うかのように無防備に手を差し出した。しかし、盗賊はそれに応じない。ただただ不敵に笑い、一歩後ずさった。

「自由?それは”生という監獄から解き放つ”という意味でか?…まったく、キサマらの会話にはまるで独創性が感じられないな。聞いていて胸糞悪くな――――、」

「少々口が達者なことがそんなに自慢か、人間よ。」

 

ドチャリ

 

構えもなしに横なぎにされた長剣が男の上半身を宙に飛ばし、卑しい人間にお似合いの荒れ地に転がした。

置き去りにされた下半身はしばらく岩のように硬直した後、失った上半身の後を追うように血を撒き散らしながら崩れ落ちた。

すると、剣闘士と瓜二つの化け物が次々と姿を現し、斬り伏せた剣闘士を非難した。

「なぜ先に経典を回収しない!血でダメになったらどうする!あの方を失望させる気か!?」

新たに現れた剣闘士たちは慌てて男の身ぐるみを剥ぎ、目的の物を探した。ところが、

「ない、ないぞ!?」

「どうだ、満足したか?」

「…ザレフ、キサマ、何を知っている。」

「バカが。俺を疑ってどうする。俺はただ、この男が失敗したことに気付いただけだ。」

「気付いただけだと!?それで済まされる話か!?この失態をどう将軍に伝えるつもり――ウッ、」

盗賊の上半身を飛ばした剣闘士の姿が揺らめいたかと思うと、罵倒する剣闘士の頭を鷲掴み、喉元に長剣を添えていた。

「うっかりあの方の名を口にしてみろ。キサマもこの荒れ地の肥やしにしてやる。」

「…な、ならばどうするつもりだ。経典を持ち帰らねば俺たちは一人残らず肥やしなんだぞ?」

「……」

その人間の言う通りだった。どうやら俺たちは戦闘力に特化しすぎるがゆえに知性を欠いてしまっているようだ。

将軍閣下がわざわざ人間を使って経典を奪取するよう命じられた理由が理解できた気がする。

「聞いているのか!?こうしている間にも作戦は進行している。まさかキサマまであの方を裏切るつもりじゃないだろうな?!」

(わめ)き、責任逃れを決める仲間を(ふところ)に抱えたまま考え事をしていると、ソレはふらりと彼らの前に現れた。

「…フッ、喜べ兄弟。どうやら俺たちの首は皮一枚繋がったようだぞ。」

ソレは化け物たちにも劣らぬ狩人然とした佇まいで彼らを見据(みす)えていた。

「いや、今まさに死を宣告されているのかもしれないがな。」

 

笠とマントの間から覗く、淡い青の瞳が、彼らの未来(くび)に突き立てられていた。

 

…待て、その殺気(いろ)に覚えがあるぞ。

「……キサマ、まさか少佐の影か?」

ザレフと呼ばれた剣闘士は思わぬ再会に心を奪われた。

「……」

狼は答えない。その化け物に染み付いたあの男の臭いを嫌悪するように鋭い視線を向け続けた。

「ハハハッ、そうだ、間違いない!ミルマーナの作戦以来だな。元気そうで何よりだ。」

「……」

狼はかつての戦友に挨拶を返すように、沈黙を守り続けた。

「クックックッ。ああ、お前を見ていると昔を思い出すよ。…だが噂は聞いているぞ。随分と派手に暴れているそうじゃないか。お前らしくもない。」

化け物たちは二人の会話に水を差さなかった。むしろ、本能が彼らに「最期」の警告していた。

逃げなければならない!だが、あの狼の鼻はどこまでも悪臭を嗅ぎ分けるだろう!

危機迫る状況はザレフにしても変わらない。それでも彼は久しく感じていなかった昂揚感に身を任せずにはいられなくなっていた。

「安心しろ。今さらキサマを引き抜くようなバカな真似はせんさ。ただキサマがこの戦争に参加していると聞いた時から一言、キサマに挨拶をしなければと思っていたんだ。」

生き延びるチャンスを逃した背後の化け物たちも、もはや一か八かの殺気で全身を膨らませること以外に運命に抗う(すべ)など残されていなかった。

「あの時、キサマが逃がした王女は俺が責任をもって殺したよ。」

そうして戦友の遺言を聞き届けた狼は静かに一歩を踏み出した。

 

 

 

――――ミルマーナ軍本部、将軍の私室

 

「……ふざけるなっ!!」

皮張りの椅子に腰かけた豚が、100㎏はあろうかという長机を蹴り飛ばした。

「なぜだ、なぜキサマらは満足に命令に従うこともできんのだ!」

力任せに放った杖が窓ガラスを打ち破り、愛猿のヒステリックな叫びが森に響き、そこに潜む「おぞましい緑」を(うごめ)かせた。

そして部下の失態の理由を聞くや否や、怒り狂った豚は伝令兵に襲い掛かり、勢いのままに殴り殺してしまった。

「…チュカチュエロォッ!キサマはいつまで私に盾突く気つもりだっ!!」

肩で息をしながら、思い通りにならない現状の鬱憤(うっぷん)が晴れるまで、またがった死体を殴り続けた。

鉄槌よりも重い拳が肉を潰し、内臓を部屋に飛散させた。骨の砕ける音で部屋を震わせた。

 

今や、ロマリア軍に次ぐ力を持つミルマーナ国の軍事力。

その全てを掌握する一匹の豚の怒れる悲鳴が、むせ返るような緑に囲まれた施設(おり)の獣たちを恐怖で震え上がらせた。


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