――――翌日、グレイシーヌ国の沿岸上空
「マたワシは留守番カ?」
家庭用ボイラーが俺を見詰め、仔犬のように鳴いた。だけど俺もだんだんとコイツの扱いに慣れてきた。
「仕方ねえじゃねえか。適材適所ってやつだろ?」
主におだてる方面でもう二、三往復のラリーをすれば大人しくなる。そう思って次のおべっかを考えていると、唐突にシルバーノアの完璧な航行を支える中年二人がコートに入ってきた。
「安心せい。ワシがシルバーノアの整備士としてビシバシこき使ったるわい。」
「頼りにしていますよ、ヂークベックさん。」
チョンガラの、いかにも強欲な汚ねえ笑いとチョピンの母ちゃんみたいな包容力のある微笑み。
声色も言っている内容もまさにアメとムチ。ある意味、兄弟なんじゃねえかって思えるような連携プレイだった。体型も似てるし。
「……マぁ、居心地ハ悪クナサそウだな。」
それに、コイツのチョロさ加減といったら。あの時の、遺跡に埋まってたコイツの勇ましさを思い返すと涙が出てくるぜ。
ほどなくして、シルバーノアは当たり前のようにグレイシーヌ国の監視の目を潜り抜けて領内の一角に着陸してみせた。
そして下船して間もなくシュウは俺たちとは別方向へと歩き始めた。
「じゃあ、また後でな。」
「…ああ。」
本人の強い希望とリーザの『力』を使った看病が、俺とアークから早過ぎる戦線復帰の了承を勝ち取った。
昨日、彼の部屋を出た後「私がなんとかするわ」とリーザが言って
なんとなく、二人は嫌煙し合っている空気を感じていたからだ。
「言ったでしょ。私は絶対にアナタを裏切らないって。」
言葉の意味はよくわからなかったけど、真剣なのは理解できたし、彼女には俺には聞こえない彼の『声』を聴いたのかもしれないと思ったから反対もしなかった。
けれどまさか丸一日、付きっきりで看病するとは思わなかった。
それは果たして俺のためなのか、彼のためなのか。それとも、自分のためなのか。
着陸するまでの間、俺は複雑な気持ちで船窓の外に広がる青い空と海を眺めていた。
「え、一緒に行くんじゃないの?」
ポコが気付いて疑問を口にした時にはもう彼の姿はそこにない。走っていったってわけでもないってのに。
いまだに彼がどうやって
そういう意味でも「集団行動」ってやつは徹底して彼に向いていないんだ。
「ああ、言ってなかったな。シュウは基本的に誰かと一緒に行動したりしねえんだよ。」
おおよそ半日、遅くても翌日、指定の
それを頼りに合流、もしくは作戦を実行するという段取りが俺たちの間での暗黙のルールになっていた。
「その間にどっちかがピンチになってたらどうするの?」
「まあ、だいたいは自分でなんとかするんだけどよ。それができなきゃ一人前って言えねぇからな。だけど、シュウは別行動をしてても必ずどこかで俺たちを見てる。アイツのサポートはちょっと普通じゃねえんだよ。」
ガルアーノの屋敷の時みたいに……。
そう。だからたとえ俺たちがギルドで確認を取らなかったとしても彼は絶妙に俺たちに合わせてくれる。
伝言はあくまで連携を取るって意味で用意された保険みたいなものなんだ。
「へぇ、なんだかすごい世界だね。」
ポコは素で感心してるらしかったけど、でもそれ…、
「お前らがそれを言うのかよ。」
一年間、アークの傍にいてすっかり頭がイカれちまったんじゃねえか?
どうやら「世界」を敵に回してる時点でテメエらがどんなにランクの高い賞金稼ぎよりもヤバいことしてるって自覚がねえらしい
それを証明するようにポコはちょっとズレた答えを返してきた。
「そうだね、パレンシアタワーでアンデルに出くわした時は危なかったもんねぇ。」
……確かに、あれはヤバかった。だけど、言葉にした内容とポコの表情が一致するようには見えない。
要するに、自覚なんてないんだろうな。
コイツは、ここ一番って時以外ではいつだってネジが一本緩んでる。
…でも、それがコイツの良いところなのかもしれないって思い始めてる俺がいる。
良くも悪くも「アーク一味」に馴染み始めてるってことだ。
「ここがグレイシーヌ…、なんだか変な感じがするところね。」
首都ペイサス近辺の村に足を踏み入れるなり、リーザは眉間にシワを寄せながら言った。
「服装が?それとも髪型のことか?」
シンプルなデザインの上に緻密な刺繡を施した
それらは間違いなくグレイシーヌ国特有の文化で、俺が知る限りでは最も「異国」を感じさせる奇異な姿だった。
彼女も俺と同じものを感じ取ったのだとばかり思っていた。
「それもそうだけど…、」
だけど、彼女の『感覚』を俺と同列に考えるのがそもそもの間違いだった。
「皆、なんか変な空気に包まれてる。」
彼女はいつだって人間の目には映らないものを『見ているんだ』。
「それはおそらく『
ヘモジーの『
「ラマダ?」
「宗教さ。大気中には通常の生活では得られないエネルギーが満ちていて、信仰心でそれらを感じ取ることができ、さらに自らを完全に律することができればそれを操ることができると信じているらしい。」
「へぇ、」
リーザはアークの言葉と村人たちの『言葉』を照らし合わせ、納得していた。
「……」
リーザは初めて知った人種に――それこそ自分を抑えながら――興味津々の視線を送っている。
俺はグレイシーヌ国の「人間兵器」に良い印象はない。それがどんな過程を経て手にした力であってもそれが活きる場面なんてのは決まり切ってる。
それを「修行」なんて言葉でごまかすような奴を俺は「自分を制御できてる」なんて思えないからだ。それと同じ血を引く
…彼女は、コイツらのことをいったいどう思っているんだろうか。
地元の人間を下手に刺激しないようにシルバーノアで適当な服に着替えてきたし、俺は万が一ギルドで遣り取りをすることを考慮して止めておいたが、彼女はヘモジーの『
よほどのことがない限り敵が彼女を「リーザ」と特定することもないだろう。
けれど連れている大型犬だけはどうしても周囲の目を惹いてしまう。「今は猫の手も借りたい時だ」そう言ってアークはパンディットの同行を許した。
俺も、パンディットがいれば彼女の身の安全はまず保証されるだろうと思っていた。
だけどそれが彼女にとって逆効果になることもあるんだと俺はこの時初めて知った。
「……
「おい、大丈夫かよ?」
首都ペイサスの隣町を目の前にして唐突に、彼女は耳を押さえてフラついた。
「どうした。」
アークはリーザのことを特別気にかけていた。「か弱い女」としてではなく「特殊な人種」として。
そこに悪意はない。リーダーとして、彼女のことをよく理解できていないことを良しとしていないってだけだ。
だけど彼女はそんなアークの気遣いを拒んだ。
「…大丈夫です。ただの人酔いだから。」
「ウソだ。」
俺はそれを素早く訂正した。何より、彼女のために。
「多分、この密度の『声』に耐えられないんだ。」
グレイシーヌ国は世界一の人口を誇り、首都ペイサスとその周辺の町の密度に至っては大都市プロディアスでさえ
彼女の場合、単純にその倍の黙ることを知らない口がそこいらを闊歩しているんだ。それは耳をつんざく轟音で満たされた雷雲の中を歩くようなものだ。
場合によってはその「雷」を彼女は『飲み込んでしまう』かもしれない。
未知の仲間を前にアークは正面から向き合い、真剣に問いただした。
「リーザ、俺たちは仲間だ。そして俺たちは今、危険な闘いに身を投じている。もちろん君の意思を尊重しない訳にはいかないが、こんな状況下で皆が皆のことを理解していないことがどれだけのリスクを負うことになるかもできれば考えてみてほしい。」
「……ごめんなさい。」
彼女はアークの
「どうする、船に戻るか?」
「どうやって?船はすでに沿岸を目指している。引き返すほどの余裕はない。」
アークはどんな状況に置かれても理性を欠くことはなかった。まるで百戦錬磨を約束する参謀みたいな落ち着き様だ。
「だったら俺たちと行こう。寺の方面ならまだ人は少ない。」
「……」
俺は目配せをする彼女に笑顔で頷いた。
「もちろん、最終的な判断は君に任せるが。」
「…いいえ、足手まといにはなりたくないから。私もお寺に行きます。」
そうして、予定よりも早いが俺たちはそれぞれの役目を果たすために別れることになった。
――――首都ペイサス入口
「……」
「どうしたの、大丈夫?」
俺の顔が機嫌の良くない
「…いや、なんかアンタらのことがよく分かんなくなってきただけだ。」
本来、犯罪者にとって検問所は難所の一つだ。それなのに、事前にアークから渡されていた首飾りを見せると検問所の奴らは
アークいわく、アークに手を貸している――ここの国の奴はそう思っている――イーガはグレイシーヌ国の体裁を守る為に表向きは追放されているが、関係者の多くが真実を知っていて、彼らは今でもイーガを支持しているらしい。
そして、この首飾りは一種の合言葉なんだとか。
「僕は早くこの誤解が解ければなって思うんだ。」
ポコは憂鬱そうに言った。
市内に入るとさすがの俺でも虫みたくひしめき合う顔の数に酔いそうになった。
「うっひゃあ、相変わらず賑わってるねえ!」
「町には来たことあんのか?」
「うん、ほんの寄り道程度だけどね。」
「気を付けろよ。人混みに紛れてスリにやられるかもだからな。」
「え、そうなの?」
人口密度はそのまま犯罪率に比例する。どっかの偉い奴が本を出してたし、俺の経験でも間違いないと思う。
すると、観光気分で声を上げたポコの顔が瞬く間に青ざめた。
「ザッと見渡しただけでも7、8人はいるんじゃねえか?それにスリっつっても盗むだけがアイツらの仕事じゃねえからな。」
街中で気配を消せる奴らは何かと組織に重宝される。相手の警戒網を潜り抜けられれば後は煮るなり焼くなり思いのままだからだ。
尾行だったり、暗殺だったり、自分たちで処理できなくなった罪を擦り付けたり。
「エ、エルク、脅かさないでよ。」
「バカ、脅しじゃねえよ。特にお前みたいなトロそうな奴は連中にとっていいカモだからな。まぁとにかく、地元じゃなさそうな奴にはあんまり近付くな。目も合わせるんじゃねえぞ。」
「う、うん……、」
ベテランの賞金稼ぎは、見渡した際、視線の合った数人の中にあまり
「…俺の手を放すなよ。」
「え、え?」
けれども、尾行を巻くことも散々教え込まれた少年は人混みと入り組んだ街を利用して上手くそれらを回避してみせた。
――――賞金稼ぎ組合ペイサス支部
「おや、誰かと思えば。アルディコから遠路遥々何の用だ、“炎の少年”。」
受付けに立つなり組合の男は目の前の人物の素性をズバリ言い当てた。
「…いったいテメエらの情報網はどうなってんだ?毎晩、枕下に賞金稼ぎの顔写真でも置いてんのかよ。」
「そんな気味の悪い奴がいたら俺がお前たちに代わって豚箱にぶち込んでやるよ。」
男は機嫌良さげに笑った。
「それでも俺たちの情報は逐一筒抜けなんだろ?」
エルクはカマをかけた。
もしもこれが事実なら彼は今、名実ともにロマリア国に宣戦布告したアーク一味の仲間入りを果たしていることになるからだ。
だが幸運にもその宛は外れた。そして、それを見抜かれることもなかった。
受付けの男はペン先で変装したポコを指しながら依然として笑っていた。
「そう思うか?だったらそこのガキが俺たちの関係者じゃないことを祈るばかりだな。」
「あぁ、こいつは…、見習いみたいなもんだとでも思ってくれていいよ。ギルドには登録しちゃいないさ。」
エルクは男の笑顔を刺激しないよう平常心を保ちながら答えた。
「…そうか。それで、用向きは?」
一瞬、男はエルクの顔を凝視すると手元の用紙に何やら書き込み始めた。
「チェス盤の価格が知りたいんだ。」
「コイツに聞け。」
間髪入れず、用件を聞くか聞かないかの内に、男は書き込んでいた紙を窓口から滑らせて寄越した。
そして、それ以上彼らに用事がないことを知っているかのように別の書類仕事を始めていた。
「…サンキュー。」
明らかに今まで接してきた組合員の中で頭一つ抜けた対応力だった。
それだけにギルドを後にしたエルクの疑念は想定の倍以上に膨れ上がっていた。
「…大丈夫?」
ポコは相変わらず俺の顔色を
だけど今回ばかりは…、
「…どうだろうな。」
窓口から紙を差し出されただけだってのに寒気を覚えた。
ギルドが、ガルアーノの創った組織だってのを俺は改めて思い知らされた。
渡されたものは住所の走り書きだった。
「それが情報屋さんの場所なの?」
「だろうな。」
俺はポコの問いかけにあまり考えずに答えた。
「なんで直接聞けないの?」
「……」
「ねぇ、エルク、本当に大丈夫なの?」
「ちょっと黙ってろ。」
「う、うん……、」
黙り込むポコを無視して、考えうる可能性を最大限に展開させた。
通報されてるか?いや。だったら今頃、監視の一つは付いてるはずだ。
さっき、まさに俺の対応がしくじって調査され始めたかもしれねえ。
…待て。そもそも俺のことを知ってたことは見逃していいことか?もう既に、罠に掛かってんじゃねえのか?
だったらどう来る?この住所で待ち伏せされてるとか?
あのスリ共は俺に寄り道をさせない伏線だったのか?
…クソッ、人混みのせいで視界が悪いし身動きも取りづらい。一般人を巻き込むことも承知の上かもしれねえ。
それでも俺はなぜか素直に渡された紙に従っていた。
「…ここ、なの?」
そこは繁華街の一角。店と路地の隙間を埋めるためだけに設けられたオマケのような小屋だった。
「…なんか、これこそ見るからに怪しくない?」
小さい割に
まるで、その中で起きたことは決して漏れないかのような堅い闇が、俺たちの前に立ちはだかっていた。
「え、ちょ、ちょっと、エルク!本当に行くの!?」
「……」
まったく、操られている気分だった。
俺だって踵を返してシュウに相談するべきだってことくらいわかってる。…いいや、こうなったらシュウも敵を警戒して会ってくれねえかもしれない。
だけど、そんな色んなことを考えるだけ無駄なような「引力みたいなもの」がその闇にはあった。
「……」
たった十数歩、中に入ると、その奥まった場所に一人の占い師がいた。
簡素な机にいかにもな水晶を置いて、自分はさらに黒いヴェールを被って素顔を完全に隠している。
それで俺たちのことが見えてるのか?
…それに、どうやらこの女はグレイシーヌ国の人間じゃねえらしい。
漂うお香の臭い、張り詰めた空気には覚えがある。バルバラード国辺りの、中近東で会った呪術師に似てるんだ。
「ねぇ、あれ、誰だろ……、」
知るかよ、そんなこと。
ポコはもはや世間知らずな都会の女みたいに怯え切っていた。
「ご用は?」
出方を伺っていると占い師は陰鬱な声で、苛立たしげに尋ねてきた。
「…アンタは、チェスできんのか?」
情報屋と俺たち賞金稼ぎとの間にお決まりの文句はない。それとなく臭わせれば相手が同じように臭わせてくる。
そうして徐々に本題に入るのが基本的な手順ってやつだ。
だってのに、この女はその何もかもをスッ飛ばしやがった。
「ミルマーナ軍は3日後、南方より、ここペイサスに攻め込むわ。」
――――!?
女はご自慢の水晶に触れることもなく俺たちの目的とその答えを言い当てやがった。
「…それも占いか?」
ギルドから連絡が入った可能性もある。もしくは……、
「今はこれ以上のことは言えない。いずれまた、話す時がくるわ。」
「……」
…どうやらコイツも只者じゃねえらしい。
なぜならその占い――もしくは洞察力――もさることながら、俺の警戒心にキチンと応えやがったからだ。
最後の一手こそ踏み留まってやがるが、俺がこれ以上妙な動きを見せれば女は必ず隠した得物で応えてくる。
だけど女の方から仕掛けて来ないところを見るに、取り敢えずギルドに仕込まれた刺客じゃないと思ってもいいのかもしれない。
まぁ、少なくとも無関係の人間じゃねえな。
明らかに俺たちのことを知っている点は見逃せねえし、何か企んでるのかもしれねえが。一応、協力的な姿勢を見せている今は女の言葉に従った方が良い。
コイツの身辺を洗ってやりたい気持ちもあるけど、あんまり複雑な行動を取っちまったらアークたちとの連携が崩れちまうかもしれねえ。
シュウが間を取り持ってくれるかもしれねえけど、今はまだその時じゃない。
「ねぇねぇ、どういうこと?」
占い師に、ヒソヒソと耳打ちするポコを気にする様子はない。
俺たちが何を話をしてどんな結論に至ろうが、なんの
「…万事上手くいくってことさ。」
もしもコイツが敵だってんなら情報そのものがデタラメだってこともある。場合によっては一網打尽にされかねない。かといって、ここまで周到な奴を相手にするならそれなりの労力が必要になるし、今の俺たちに満足いくまで動き回る時間はない。
逆に本物の「情報屋」だってんなら、ギルドが賞金稼ぎに誠実なように、アイツらは信用できる人間しか紹介しねえ。そんで、アイツらの人を見る目はさっき俺が体感した通りだ。
つまり、
「…じゃあ、また後でな。」
俺たちは後者であることに賭けるしかねえんだ。
――――そう遠くない未来、世界から穢れた闇を払拭するであろう人々は去っていった。
彼らは庇のつくる闇を潜り、陽の光の中に溶けて消えた。占い師にはまるでそういう神の遣いであるかのように見えた。
「……」
二人を見送り残された占い師は
「…本当に、永かった。」
何者も覗くことの叶わない黒いヴェールの内で、大きく唇を
※チョンガラとチョピン
なんか、書いててマリオとルイージみたいに思えてきました(笑)
※旗袍(チーパオ)
主に中国人女性の服装(チャイナドレスみたいな)を指しますが、男性の服を指すこともあるそうで。
男性の方の適切な言葉が見つからなかったのでこちらを使いました。
※弁髪(べんぱつ)
いわゆるラーメンマンですね。原作のラマダ僧兵を観察してみると若干違うようですが、そこは見なかったことにしてください(笑)
※ヘモジーの『
原作の特殊能力「ヘモジー化」の応用だと思ってください。
※チェス盤
賞金稼ぎたちの間で使われる「戦局」「戦況」の隠語だと思ってください。