時代を席巻する強国ロマリアとアルディコ連邦に挟まれた大陸、ハルシオン。その南東に位置する国、ミルマーナ。
そこには前述二か国と渡り合うと言うにはあまりにも途上国の体を逃れられない、野生の臭いでむせ返る別世界が広がっていた。
「緑」と名のある色見本の全てを備え、かつ原色のような力強い発色のそれはそれ自体が一匹の獣であるかのような錯覚を与える。
今でこそ外敵を拒絶するような殺気放つ木々と獣で溢れているが、かつてそこは「命の宝庫」または「緑の宝石」という名で世界から
十数年前、突如として増殖した怪物たちによってミルマ王朝が滅ぼされるその時まで。
そうして国家的危機に陥ったミルマーナ国は一人の男の手によって救済される。
彼の当時の役職はヤグン・デル・カ・トル軍事顧問。
増加する怪物問題に対処するため、ミルマ王朝はロマリア国に救援を要請した。これに応じてロマリア国からやって来た男の、見事な手腕により怪物たちの脅威は
その油断が、彼らの愛する国の源を奪い取ってしまった。
その日、誰にも予想しえなかった怪物たちの統制のとれた急襲がミルマーナ軍の防衛を突破し、明確な意志をもって王族の血を根絶やしにした。
早急に対応したヤグンの指揮によって再び怪物たちを森へと追い返したものの、ミルマーナは失ってはならないものを失った。
「ミルマ王はこの国にとってかけがえのない存在だった。だが、忘れてはならない。彼らの誇りはこの土地に宿っていることを!私がそれを守り抜いてみせよう!たとえミルマーナの
信頼していた指導者を失った彼らの耳に一介の軍事顧問の熱弁が心地好く響き、彼らは選択を誤ってしまうのだった。
愛すべき国を、愛しているはずのない他国の人間に譲り渡すべきではないということを。失念していた。
そのことに気付いた時にはもう遅く、「ミルマーナ」という美しい国は彼らのよく知る軍事国家へと変貌していた。
ヤグンは元帥として君臨すると手始めに国家の構造改革を行いミルマーナ国の中枢をロマリア人で固めた。
そうして自由な手足を手に入れると「国の発展」と称し、ミルマーナ国の象徴である森を切り拓き、禍々しいまでに大規模な軍事施設、採掘場を設けたのだ。
すると居場所を追いやられた「緑」たちは飽和し、さらなる凶暴性を見せ始めた。
密林は殺気立つ彼らの熱気で充満し、深刻な食料不足が彼らに見境のない喰らい合いと、より強者であるための異常な進化を脅迫し、「緑」は新たな聖域として
かつて国に恵みをもたらしていた豊穣の森は、「飢えたもの」たちのための陰惨な食卓へと変貌していた。
まるで、彼らに喰い殺された王朝の呪いとでも言うように。
――――ミルマーナ軍本部
そこは「緑の呪い」から逃れるように、離島の湾岸に設けられていた。
大陸とは鉄道で繋がれ、第二の首都と呼べるほどのビル群をなしている。
飛行場こそないが、間違いなくそこは国の火薬庫と呼べる軍事力が集約されていた。
漂う空気には常に訓練と処刑による硝煙の臭いが混じり、定時には殺伐とした軍歌がビル群に隙間なく響き渡る。
その光景を目にしたものは誰もが思うだろう。かつて森を守り森に守られていた王宮ではなく、この基地を統括する人間こそこの国の本物の王であると。
そんな「ミルマーナ国王」の私室に、招かれざる賓客が畏れ多くも王と対等に言葉を交わしていた。
「ここはいつ来ても不快な場所だな。」
熱帯の土地にそぐわない東方の、厚手の生地を重ねた装束に身を包む島国の大臣が神経質な眉を吊り上げて言った。
申し訳程度に回っているシーリングファンが空気を循環させてはいるものの、外は連日の雨で腐った落ち葉がミミズたちの好む臭いを放ち、赤道の陽射しが湿気を頬張り室内を蒸し風呂状態にしていた。
だというのに、大臣は汗一つかいていない。
つまり彼が不快に感じているものは気怠さを覚させる熱帯の気候ではなかった。
それは今もなお彼らに抵抗しようとする、かつてこの地から世界の豊穣を願い続けた「緑」の存在そのものだった。
「環境に不満を述べるのは自分の限界を周囲に主張するサインだと言うぞ、アンデル大臣。」
ミルマーナ国軍元帥ヤグン・デル・カ・トルがその賓客を
放し飼いにされた彼の愛猿も心なしかほくそ笑んでいるようでもある。
「人間から得た知識を振りかざして賢人気取りか?随分と様になってきたじゃないか。」
しかし、そんな彼の面長な禿げ頭からは汗がポツリポツリと現れては流れ、現れては流れを繰り返し、その全てはニシキヘビを巻いたかのように突き出た腹に滴っていた。
「ふん、何を言い出すかと思えば。人間は
そして、彼もまたそれを不快に思う素振りは見られない。むしろ、汗を流すほどに彼の生気は王としての風格を
「なるほど、確かにその通りだ。失言を詫びてやろう。」
すると大臣は人間の土地に適合した彼の様子を見ては
「……」
ヤグンは常よりその扇子の臭いが気に喰わなかった。
杖を持つ手が
彼らは同じ「王」に仕える将軍。
であるにも関わらず、彼らは殺し合うことを禁じられていない。むしろ「王」はそんな彼らの醜態を楽しんでいる節さえ見受けられる。
だがそれは「王」の命に結果を残した上で許された
そして、ヤグンがアンデルの進めている計画を肩代わりするには、彼の能力はあまりにも不適格と言わざるを得ない。
反対に、自分の代わりはいくらでもいる。
その屈辱的な自覚が、彼の唯一のブレーキになっていた。
「どうした。ワシにまだ至らない点でもあったか?」
口を閉ざし自分を睨むブサイクな肉の塊を、アンデルはわざと
「…ガルアーノが殺られたらしいな。」
…ほう、戦うことしか能のない男だと思っていたが、どうやら自分の組織を持つことで少しは立ち回る術を身につけたらしい。
もしくは本当に人間に毒され始めたか。…そうなれば「王」の復活に支障をきたす日が来ないとも限らん。その前に始末しておかねばならんな。
そう、彼らは殺し合うことすらも命令の範疇なのだと理解していた。
だが今はまだその時ではない。大臣もまたそれを腹の中に隠し、ミルマーナ元帥の思惑を探ることにだけ時間を費やすことにしていた。
「ああ、それも奴の道楽の内かもしれんがな。」
「何をくだらんことを。結局、奴は“王”の部下として不適切だったというだけだ。レジスタンスが我々を脅かす?本部はいとも容易く壊滅させたではないか!」
先日の円卓で、ガルアーノは彼らに注意喚起した。
組織化した人間たちが、自分たちを脅かす存在になろうとしていると。
「この分ではアミーグの方も何を企んでいるかわかったものではないな。」
彼は同僚たちの目を
なぜなら彼は金の代わりに他人の苦悩を生産する生粋の悪人だからだ。
しかし、それすらも彼の仕掛けた
「何を白々しい。キサマも同じ穴のムジナだということを忘れるなよ、アンデル。」
「なんのことだ。」
奴は周到だった。そして見境がなかった。
ガルアーノという男は、ゲームを盛り上げるためなら自分が餌になることも躊躇わないような変人なのだ。
アンデルはまた匂い立つ扇子で口許を隠し、私の言う意図を推し量ろうとしていた。
もしその態度に
もしくは奴がもたらす結果を先読みし、何か約束を交わすでもなくアンデル自身が積極的に協力している可能性だってある。
「私が気付いてないとでも思ったか?“殉教者計画”という名目で我々の間を行き来しながら、キサマはガルアーノと何か企んでいる。違うか?」
「企む?ハッハッハッ、少し頭が回るようになったからといって図に乗るなよ。それは深読みのしすぎだ。」
ヤグンの杖を持つ手がまた僅かに膨らむ。
「それで?そう言うキサマの方はどうなっている。レジスタンスの残党は?魔女は火炙りにできたのか?」
それに合わせ、部屋に漂う扇子の香りもまた僅かに強まる。
「…モグラどもはじきにあぶり出してくれるわ。だが、魔女の方は難航している。奴は影をチラつかせて自分の尻尾を隠すことに長けているらしい。」
部下を使い、
現状、彼の部下の手に負える相手ではなかった。
「手助けが必要か?」
アンデルは敢えて不要な問いを投げた。それが彼のプライドをひどく傷つける効果的な手段だと知っているからだ。
ドンッ!
するとミルマーナ元帥は見事にその挑発に応じ、杖を床に突き立てては声を荒らげてみせた。
「ナメるなっ!グレイシーヌの件が片付き次第、私自ら手を下せば足腰の立たぬババア一匹、悲鳴すら吐かせる前にくびり殺してやるわ!」
叩いた衝撃で木製の床が軋み部屋に木霊しているのかと思いきや、彼の愛猿が泡を吹き奇声を上げながら踊り狂っていた。
「なるほど、ザルバドにはそう報告しておこう。」
「…キサマもガルアーノも、いちいち
「……」
「―――グッ!?」
死神は扇子を口許から外し、吸った空気をソッと『嚙み締めた』。
「それはキサマがあの頃から何一つも変わっていないという証拠よ。」
万が一、人間の欲深さに感化され「王」の寝所を犯すようなことがあればどうなるか。
そのための警告。
「人間ごときの戦場で我が物顔で屍の山を築き、雄叫びを上げていたあの頃とな。」
ヤグンは杖で支えられなくなった肉塊を尊大な机に預け、噴き出る脂汗にずぶ濡れになりながら、ぜいぜいと全身で息をしている。
「…ハァ、ハァ……、黙れ。…私は、変わった。平凡な軍人だったヤグン・デル・カ・トルは、今やミルマーナの元帥だ。」
その行為には意味がないと知りつつ、胸元を強く押さえ懸命に息を整える。
「人間の定めた階級でいい気になっているのか?」
「権力はそのまま人間を操る首輪になる。キサマのちんけな計画に頼らずともな!」
「ふん、ならば仮にキサマが世界を操るほどの権力を手にしたとして、キサマはその力でどうやって眠っておられる”王”に貢献するつもりだ?権力が聖櫃の力を上回るとでも?」
「…くそっ!」
ヤグンはデスクを殴りつけ、変えることのできない敗北を受け入れた。
彼の力が「王」の望む世界を創ることはない。「王」の目を覚ます呼び水にはならない。決して。
それが、彼と死神との間に横たわる圧倒的な存在意義の差なのだ。
彼にはそれが何よりも憎らしく思えた。
2人の将軍が睨み合う最中、部屋にノックの音が響いた。
ヤグンは将軍という立場上の威厳を保つような真似はせず、机に手を掛け、肩で息をしながら部下の入室を促した。
「グレイシーヌからの使者が到着しました。」
「……使者だと?ふん、どうせ和平交渉の擦り合わせといったところだろう。」
「ハッ、使者によるグレイシーヌ王の声明は、我が国はこれ以上の戦闘は望まない。貴国の従属国という形での解決を願うとのことであります。」
「…まったく、自分たちがどういう立場に立たされているのか見えていないようだな。」
笑えた。言い方を変えれば自分たちは傷付けられないとでも?頭を垂れていれば我々の機嫌が取れると?
どうやらまだまだ調教が必要なようだな。
「殺せ。」
「は?」
「使者を殺し、間抜けなグレイシーヌの王とやらの前に放り捨ててこい!自分たちの選択がいかに愚かしいか見せしめろ!」
「は、ハッ!」
彼の振り撒く怒りは肉食の咆哮に等しく、彼以下の人間はその度に
部下との遣り取りを眺め、アンデルは嘆息した。
「それでも虚勢を武器にし続けるキサマの浅はかさよ。よくもそれで一国の元帥が務まるものだ。」
「逆よ、アンデル。ここまで上り詰めたからこそ、力が全てを解決する。私の勝利を揺るぎないものにするのさ。」
絶対の力関係を見せつけられながら、それでも密林の王は死神を睨め付ける。最後には自分が勝利することをまるで疑わない眼差しで。
それを受けて死神は白檀の陰で静かに、笑う。
そうしてスメリア国の大臣はミルマーナ国の元帥を見下すと、
「もしも叶うのなら、かの勇者どもと相打ち程度の働きをしてくれることを望むばかりだ。」
そう言い残し彼の前から去っていった。
「…よくも……、」
彼の声色は静かだった。しかしその目の色を見たならミルマーナ国民は誰一人疑わないだろう。
今の彼は目に付いた100人を処刑台に張り付け、丹念に
殺される側も、彼を満足させるように演じなければならない。
でなければさらに100人が犠牲になる。
それが、ヤグンという男が世界に植え付けてきた「支配」の形だった。
「見ていろ。私が、この世界の支配者になる瞬間を。その時にはキサマを……、」
一人、沸々と言葉を吐く彼の傍らで、愛猿が一回り、大きくなっていた。
※白檀の扇子
「白檀」は仏具や香料にもなる木材の一種。
私のイメージですが「おばあちゃんの匂い」って感じです。
※巨体
ヤグンのプロフィールを見ました。……166㎝?ち、小さい……。
対してアンデルは173㎝。ガルアーノ、178㎝。ザルバド、170㎝。思ったよりもみんな小さかった(笑)
勝手なイメージですが、アンデルだけが東南アジアっぽい身長で、残りが175㎝以上の高身長かと思ってました。
ヤグンよ、デカいのは腹だけか。(体重は四将軍内トップの90㎏でした)