聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

209 / 235
変わらない産声 その三

「エルク、アンタ、そのまま突っ立ってるつもりかい?」

「……」

炎の少年は(すく)んでいた。

 

アレは不遇の中で支え合った大切な人たちを(もてあそ)んだ。怒りのままに、苦しめて殺さなければならない(かたき)だ。

ほんの少し前までは……、

 

運命が、彼の執念に味方したか。そのための『炎の精霊(ちから)』も手に入れた。

そう、思っていた……、

 

狒々(ひひ)に代わってデタラメに暴れていたとしてもおかしくないというのに。

……でも俺には、できない。

目の前に立ちはだかる本物の”世界”の強大さに心が押し潰されて…、縮み上がっちまったんだ。

 

俺は、どうしようもないガキだ。

彼女を(かば)うのは口先ばかりで俺も心の中ではアークと同じようにリーザを頼りたいんだ。

 

アレを目に映したまま立ち尽くしていると耳に馴染んだ声が聞こえてくる。

 

 

俺が灰にした親友(せかい)は言った。

「逃げ回るしか能がねえのか?」

俺を産んだ部族(ピュルカ)の血を繋ぐために撃たれた同胞(せかい)が言った。

「一族の恥さらしめ」

そして、初めて恋した(せかい)が言った。

「アナタはあの頃と何も変わらない、肝心な所で何もしない、弱い人……、」

 

 

それはまるで夜毎(よごと)、夢の中で彼を追い回してきた『(ばけもの)たち』が『現実(せかい)』となって発症したかのようだった。

…そう、これが俺の生きてきた『世界』の本当の姿。

俺はその一部でしかない。……敵うわけがないんだ。

 

 

――――それで、いいのか?

 

 

「……」

”世界”が、俺を見て笑っていた。

「今のキサマに必要なものはなんだ?改造する度に壊れていく親友か?自由に焦がれながら破裂する恋人の絶叫か?」

まるでレコーダーが鼓膜に植え付けられていたかのように、あの瞬間が脳みそに反響する。

 

『ゲハハハッ!これだ、これを待ってたんだよ。こうなる瞬間をな!夢にまで!』

『………イヤだ…、イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだっ!!!』

 

落ち(くぼ)んだ眼窩(がんか)が、(しも)の張り付いた真っ青な唇が俺の名前を(さげす)む。

「望め!キサマの望むものは全て用意してやる!何度でも、何度でもな!」

俺は思ったんだ。コイツを殺さなきゃ、俺はこの先ずっと同じような人たちを殺し続けるって。

「誰かを助けるため?世界平和?そんなもの、キサマにとっては方便でしかない。違うか?」

…そしてまた、夜が、眠るのが怖くなるんだって。

それが嫌なら、今度こそ、好きな人を護りたいなら、()るしかないんだ。それなのに……、

「だがそれも恥ずべきことでない。そもそも()()()()は本気で戦争を終わらせようなどと思っていないのだからな。そうだろう、アーク?」

……え?

「黙れっ!」

 

精霊に見初(みそ)められた青年は”世界”の顔を焼き、口を巨大な氷柱で貫いた。

しかしそれらも”世界”の全身に(よど)む『悪夢』の前では所詮(しょせん)、刹那的な痛み、癒える傷でしかない。

死が彼を呼ぶその時まで約束された痛み、化膿していく傷に比べれば体に負う傷害などに蚊に刺される程度のことでしかない。

”世界”はまさに、それら決して癒えることのない心の傷でできていた。

それらに無知な人間が「戦争」を始め、「戦争」が彼を産み落としたのだ。

 

 

食糧不足、資源不足、軋轢(あつれき)、労働力、愛……、

人間は、「戦争」がそれら全てを解決することを知り、それら全てを悪化させることを知らずにいた。

 

その日、「戦争」を(たた)えるフォークが一人の少女の母を刺した。「戦争」を讃える法が彼女の死に賛歌を添えた。

そうして”その子”は少女の母の腹を裂き、産まれ(いで)たのだ。

求められるまま”その子”は「戦争」に勝利してみせた。フォークを持つ悪魔(もの)を踏み潰し、少女(はは)(けが)す血も肉も丸呑みにし、少女(ははおや)に「平和」を贈るために戦った。

確かに、”その子”が少女に捧げた勝利は(つか)()の静寂と安寧をもたらした。しかしその中に、愛や幸せは欠片もありはしなかった。

その後、少女(はは)に捨てられ、光の届かない深い深い穴の底で”その子”は思ったのだ。

自分は本当に彼女に「必要」とされて産まれたのだろうかと。

 

「戦争」は人間社会の求める万能薬だ。そして「戦争」は最強の矛を求めている。だから私は産まれた。

しかし、少女(はは)は私を捨てた。

――――なぜだ?

長い時を経て、私を見つけた「王」が私に教えたのだ。

世界が私を指して『化け物(あくむ)』と呼んでいたことを。

――――そういうことだったのだか

『悪夢』は気付いた。

――――私は、

自分の姿形、

――――私は『悪夢』にならなければならなかったのだ

醜い、醜い自分の本性を。

――――少女(はは)が世界を私の名で満たすような『悪夢』に……、

 

 

 

「エルクよ、他人のために闘ってきた健気な勇者の憐れな末路を教えてやろう。」

「やめろ!」

”世界”は『悪夢』に染める。少年の初心(うぶ)な恋心も、勇者の苦渋に満ちた栄光も。

青年がどれだけ足掻こうと、”世界”の微笑みは揺るがない。

大事に大事に育ててきた子どもに”世界(じぶん)”を知ってもらうために。”世界”は愛で満ちていると知ってもらうために。

「この男はもはや、人間ではないのさ。」

「!?」

「今のコイツは半分精霊に喰われておる。“世界を護るため”などという体のいい奴らの“私利私欲”に唆されてな。」

 

…精霊に、喰われる?

…その感覚、もしかしたら知ってるかもしれない。もしかすると俺も、喰われ始めてるのかもしれない。

”世界”が無垢な少年に真実を突きつけ、下卑た笑みを浮かべる。

その笑みを目にした勇者の怒りは理性を

の表情は一段と険しくなった。

「どうした、何をそんなに怒っているのだ?キサマは騙されたんだろう?たとえ今はそれが()()()()()()()()()()()()()、始まりは違ったはずだ。キサマが家を飛び出したのはただ、父親のいない寂しさを埋めたかっただけ。母親の不憫さを口実にしてな。その父親もまた、騙されているとも知らずに。」

 

…アーク……、

 

「いやはや、精霊の国の民(スメリア人)はとかく憐れな人種よな。」

「黙れっ!!」

アークの表情が崩れた。堰き止めていた壁を打ち壊され、怒りとは裏腹なものが目尻から零れ落ちた。

 

「エルク、世界を歩き、貧富の差を見てきたお前なら分かるだろう。“愛”も“希望”も所詮は“金”と同じく有限だ。ならば奪うことも立派な手段の一つ。するとそこに戦争が生まれる。」

知ってるよ。強い奴が弱ぇ奴から何もかも奪っていく。だから俺はテメエみたいな奴をブッ潰せる賞金稼ぎが天職だと思ってたんだ。

だけど――――、

「精霊もその例に漏れなかった。それだけの話さ。」

別に俺は”精霊”を信奉するような人間じゃない。それでも、俺だってアイツらは世界の均衡のために存在してるもんだと思ってた。この『炎』だってそうだ。

それなのに――――、

「エルク、コイツの言うことに耳を貸すな!」

裏切られたと感じながらも、それでも希望は残っていると信じる勇者は、小さな希望が絶望に喰われることを怖れて声を張り上げ、デタラメに剣を振り回した。

「ハハハッ、奴らが博愛主義者だとでも思ったか?バカな。奴らは()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()、玉座でふんぞり返る傲慢な人間と同類よ。」

…本当かよ……、

「それに気付いた勇者は今、奴らに呑まれまいと必死に藻掻(もが)いている。獰猛な魔物の眠る穴蔵に、愛する女を閉じ込めてまでな。どうだ、なんとも憐れな話だと思わないか?」

「……やめろ……、」

本当なのかよ、アーク……、

「そうでもせんとワシらを倒せんのだろう?使()()()()()()()()()()?」

「……黙れ……、」

…お前も、大切な人の人生を、メチャクチャにしてんのかよ……、

「憐れだよ、キサマも神殿の姫君もな。」

「……ガ…ル、アァァノォォッ!」

 

少年は絵本の中の勇者を信じていた。

(くじ)けず立ち向かい続ければ、捕らわれの姫を救い出し世界に平和をもたらす希望の象徴に自分もなれるのだと、信じていた。

そんな勇者(かれ)が、涙を流して、声を()らせて、不様に闘っている。

所詮(しょせん)、希望は”世界”に咀嚼(そしゃく)されるものだと見せつけられていた。

 

世界(あくむ)”は勇者をあしらい、少年を見詰め、ほくそ笑む。

「…さぁ、エルク。キサマはどうする。」

”世界”が、終焉を招く――――

 

 

 

……全てを、飲み込め………、

 

 

 

薬指が熱を帯び、頬の火傷がチリチリと(うず)く。

紅蓮が逆巻き、世界を染める。

「エルク!?―――グッ!」

「アーク、余所見してんじゃね――――ガハッ!」

少年の変貌(ほのお)』に気を取られた勇者、諸々の前座は退場を命じられた。

そして、”世界(あくむ)”は最高の舞台を前に、醜い大口を開て高らかに笑う!

「さあ、フィナーレだ!憐れな息子よ、俺を満足させてみろ!!」

 

 

――――それは、三千年という時を生きた”世界”にとってあまりにも刹那的な、しかし唯一「生」を実感させる瞬間だった

 

 

「グッ……、……フ…、フハハハッ!そうだ、エルク!燃やせ、燃やせ!!焼き尽くせっ!!」

精霊(ゆうしゃ)』でさえ焼き尽くせなかった”世界”の、幾万幾億の命が一斉に燃え上がった。

()()()()の“愛”はあの人の醜悪な怨嗟(えんさ)さえも燃やすのだと教えてくれっ!」

視線の先に立つ炎に焦がれた魔女が、少年と同じものを見ていた。

あの人ではない女が、”世界(あくま)”を形造る無数の命に杭を打ち込んだ。

炎は杭に燃え移り、荒れ狂い、広がっていく。

”世界”は炎の嵐に呑まれていく。

「それを、俺が育てたっ!これほどまでに痛快なことが他にあるか!?」

笑う、笑う。

(えぐ)り取った心臓が手の平で跳ねるように。痙攣(ひきつけ)のようにビクリ、ビクリと体を()()らせながら……、

あの日、あの人に愛されて産声を上げた、あの瞬間のように……、

「フハハハハハハッ!!」

 

燃える……、

 

あの人を知るために創った子宮(しせつ)とともに……、




※夢の中で彼を追い回してきた『(ばけもの)
エルクの悪夢を書いた1話と12話のタイトルで『金の膿』、『赤い膿』というものがあったのでそれと掛けてみました。

※薬指が熱を帯び、頬の火傷がチリチリと疼く
「薬指」は木製の指輪ことマジックキャンセラー(エルク専用の装備品)、「頬の火傷」はミリルがエルクに付けた自分のいた証。
どちらも166話の「炎の剣」で得たものです。

※全てを、飲み込め……
原作でエルクが初期から覚えている魔法、「ファイヤーストーム」を使う時に口にするセリフ「炎の嵐よ、全てを飲み込め!」からの引用です。

※ホンマの後書き
書いていて気付いたことですが、
ガルアーノにとって「世界が愛で満たされている」状態は、「世界が悪夢で満たされている」状態という思考になってる…みたいです(笑)
いわゆる、「歪んだ愛」ってやつかと。
母(マザークレア)に愛されなかった、捨てられたのは、自分(力)を必要とする『悪夢』が不十分だったからだと考えている……みたいです(笑)
そんで、母に愛されなかった分、エルクやリーザに『悪夢』を与えることでその時に満たされなかった(もの)を満たそうとしているのかもしれません。

それにしても、今回もまた強引なまとめ方をしてしまいましたね(;´∀`)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。