ガルアーノは、残りの性能を制限する代わりに一部の能力を極端に高めることを可能にする「機械モンスター」という新たな生命の開発に成功した。
複数の遺伝情報を合成するキメラの生成も驚異的な技術と言えるが、生体の機能のバランスを調整し、「生体」でありながら「道具」として特定の分野に特化した個体を作り出すその所業はもはや神すら成し得ない領域と言えた。
その効果は、ミルマーナ国に伝わる凶悪な”
もしもこの技術が確立すれば、その時点でロマリア国は戦場のみならず、あらゆる環境における支配権を掌握した言っても過言ではない。
…それも、コントロールルームに設置された無防備な
その望ましくない一例が、とある一室で実演された。
――――キメラ研究所、中枢コントロールルーム
「……プハッ!…クソがっ、しょうもねえ真似しやがって!」
世界の軍事力も怪物も翻弄してきた凶悪なテロリストたちが揃って一体の
偶然居合わせた賞金稼ぎが制御盤を破壊しなければ、命尽きるその時まで「待て」を守る忠犬として棒立ちを強いられていたことだろう。
「あれ、ポクたちって何してたんだっけ?」
「…テメエはどこまでボケてんだよ。」
そもそも固められていた時間はそう長くなかったみたいだ。
俺もポコも無傷な上にそれを仕掛けようって様子もまだない。
……クソが、舐めた真似やがって。
「やってくれるじゃねえか、ガルアーノ。…テメエはそうやってコソコソ隠れてなきゃ何もできねえのかよ、ああ?!」
猿は部屋に無害なカメラを見つけると、不得意な分野で攻められることへの不満をぶつけた。
間合いに踏み込めばそれが何者であろうと両断する自信のある彼にとって、これ以上に屈辱なことはない。
だが、仲間から「罠」の忠告を無視した彼にも落ち度がある。
彼は自覚していた。
自分はどこまでいっても「鉄砲玉」なのだと。
人の上に立つ素質はなく、首輪をかけてくれる誰かがいないとこうやって実力を発揮することもなく敵の手にかかってしまう。
それなのに彼のリーダーは彼に一つの群れを任せた。
それが、今の彼の重荷になっていた。
自分の不手際で死なせてしまった「彼らの言葉」が、彼の耳を塞ぎ、足を突き動かすのだ。
「おい、ポコ、大丈夫か!?」
「エルク、来てくれたんだね!」
負け猿の遠吠えを聞いたエルクたちが罠の解除された部屋になだれ込んできた。
「
「んだと?誰もテメエの心配なんかしてねえんだよ!第一、勝手に罠に突っ込んで行ったのはテメエだろうがよ。ポコを巻き込みやがって。そんなに死に急ぎたきゃ一人で行っちまえよな!」
「んだとクソガキ、もう一遍言ってみろ!」
「や、止めてよ、二人とも!」
「ワシ、結局、何モしテナい……。」
「大丈夫?ちょこが良い子良い子してあげようか?」
もはや二人の間でお決まりになりつつある遣り取りを
すると、いがみ合いに夢中になるだろうと思われた赤毛猿がいち早く状況の変化を察知し、ケンカ相手をほっぽり出して扉の向こう側へと飛び込んでいった。
「…おいおい、アイツ、まじで学習能力ってもんがねえのかよ。」
「そんな風に言わないであげてよ。トッシュは多分、責任を感じてるんだよ。」
「は?何の責任だよ?いや、それが何だって、あんなこと繰り返してどう責任を取るってんだよ。後先考えずに突っ込んで結局、新しい”責任”を増やすだけだって分かってねえんだ。バカだろ。」
少年はかつて恩人に言われた「生き残ることの基本」も守れない幼い自分を見ているようで苛立っていた。
「テメエもテメエだ。仲間想いもいい加減にしねえと、テメエもその”責任”ってやつに悩まされることになるんだぜ?」
猿と同じタイプの人間だと思っていた少年の口から意外な言葉が出たことに驚くとともに、それが的を射た言葉だけに、ポコは友人を庇う言葉も思い浮かばなかった。
「…ご高説痛み入るけどねエルク、そんなことを言ってる場合でもないみたいだよ。」
「あ?」
猿の後に続いて隠し扉の向こうの様子を伺ったシャンテがエルクの怒りに水を差した。
「…なんだありゃあ……、」
そして少年は、言葉を失った。
――――異形、醜悪、畏怖、
それを感じさせる怪物がそこにいた。
「……」
それ自体は今までに遭った化け物にも感じたことがある。だけどコイツのは…、比じゃねえ。
まだ得物の間合いの遥か向こうにいるってのに見上げなきゃその全容が視界に収まらねえ。
それはまるで、あの日、首を落とした石の女神が俺たちに復讐するために地獄の底から這い上がってきたみてえじゃねえか……。
少年は、自分が恐怖に震えていることに気付いた。
「…ガルアーノ……、」
自分の口が無意識に出したその名を耳にするだけで心が
恩人に連れられて初めて化け物を目にした時。窮地に追い込まれ、死の瀬戸際に立たされた瞬間。
容赦なく心臓を締め付ける純粋な恐怖が少年に、ありもしない空想を
「―――!?オェッ、」
「リ、リーザ!?」
目よりも発達した『耳』を持つ魔女は、「ガルアーノ」の皮の内に押し込められていた無数の『
リーザやエルクに限らず、その姿を見た彼らは残らず同じような感情に
「…どうやらあの野郎も、今度ばっかりは本気みたいだね。」
想像したことがない訳じゃない。
アイツ自身がとんでもない化け物だって。
だけど、アイツの悪趣味ばかりが悪目立ちして想像しきれてなかったんだ。こんなにも、悪趣味がそのまま形になったような奴だったなんて…。
これはもう、人間の敵う相手じゃないだろ。
そんな恐怖の象徴にさえ果敢に立ち向かう姿があった。
「トッシュ、無闇に突っ込むな!奴は体から高温のガスを吹き出すんだ!」
彼は刀一本でソレに斬りかかった。
怪物にこそ劣るものの、彼もまた数多くの命を断ってきた。そんな彼の刀に確かな手応えを与えながら、怪物は微塵も苦痛の表情を浮かべはしなかった。
そして彼らのリーダーの言うように突如、体表からトカゲの顔が現れたかと思えば灼熱の吐息を吹きかけた。
「だったら何だってんだ!そんなもんがモーリスやフレッドを死なせた俺を止める言い訳になるのかよ!?」
灼熱の吐息は猿の肌を舐めた。
しかし、猿もまた顔色を変えることはなかった。それどころか、振り上げた拳で「トカゲの顔」を力の限りにかち割ってしまった。
そして、耐えられず拳が割れても、ダラリと垂れる「トカゲの頭」を見て猿は牙を剥いて笑ってみせるのだった。
「
猿は乱舞した。
刀を一振りすれば怪物の
万年樹の幹に刀を絡め取られれば、拳が幹を粉々に砕いた。
紅蓮の髪をなびかせ、築いた肉塊の上に立つその姿は、さながら煉獄の中で暴れ回る伝説の
猿は、その薄っぺらな皮の内側に幾人もの「怨霊」を飼っていた。
あらゆる痛みを忘れさせ、四肢を狂わせる憎しみの塊。
希望を教えてやれなかった、かけがえのない戦友たち。
しかし、「ガルアーノ」という怪物の皮袋の中にも星の数に等しい数の命が這い回っている。
ソレらが思い思いの部位から顔を覗かせては呪文を唱えて猿の自由を奪い、思い思いの部位から手足を生やし、その怪力で殴る蹴るなどして狂った猿の命を徐々に、しかし確実に削っていった。
「このままじゃ……、」
「ガルアーノ」の手数の多さに対応できず負傷したアークは壁際で
「アーク、大丈夫なの?」
そこへ、親しげに声をかける赤毛の幼女が駆け寄ってきた。
「ちょこ?!どうしてここに!」
青年はその小さな怪物のことをよく知っていた。
しかし、そんなはずはないのだ。確かにその幼女は、かの老魔導師の力で自由を得た。だかそれは一つの制約を課した下での話だったはず。
さらに、彼らがスメリア王暗殺の罪を負わされた後、戦争の陰惨さを指摘したゴーゲンが彼女を
それなのに…、なぜ?
「ちょこね、お姉さんと一緒にアイスの食べ歩き大会してるの!」
「……ハハッ、お前は相変わらずだな。」
「そうなの、ちょこはいっつもちょこなの!」
何を言っているのかまったく理解できない。だけど、そんなところが「ちょこ」らしい。
小さな怪物の笑顔はこんな状況でも不思議とアークに元気を与えた。
アークは剣を支えに立ち上がると痺れる両足で踏ん張り、力の入らない両手で剣を構えた。
「アーク、戦ってるの?大丈夫?」
「あぁ、問題ない。」
青年は、覗き込む幼女の顔が彼に何か期待していることに気付いた。
「…ちょこも手伝ってくれるか?」
彼の言葉は見事、幼女のハートを射抜いた。
心配げだった幼女の顔はまた、あの力強い笑顔になり、場の空気を一変させる天真爛漫な声で応えた。
「わかったの!ちょこ、アークと一緒に戦うの!」
そう言うと、ちょこは大きな怪物へと一直線に突進していった。
やはりちょこの力は凄まじい。
立ち回りこそトッシュに
…だけど、
ちょこに続いてポコ、グルガ、ヂークベックが加勢に入っても、それでもアレの体力を削っている気配は感じられない。
アレを形作る「肉」は確実に削ぎ落としているはずなのに、まるでそういう粘土細工を相手にしているようにしか思えない。
何か仕掛けが?それとも本当に俺たちの攻撃が届いてないだけなのか?
…ゴーゲンなら何か探る手立てがあったのかもしれないが……、
いや、もしかすると……、
「リーザ!」
部屋の入口で蹲る彼女の下へと駆け寄った。
何か不穏な気配を察したのか。エルクが立ちはだかったが、どうにか彼を
「君の力でアレの、ガルアーノの弱点を探ることはできないか?」
『精霊の加護』すらものともせずに俺を支配してみせたその『力』なら…。
「何言ってやがる!この状況を見ろよ、ここにいるだけでこんなになってんだぜ!?そんなことしてリーザがタダですむと思ってんのかよ!?それともテメエは―――、」
思わず怒鳴り散らすしたエルクはそこで口を
「そんなことを言っている場合ではない」と。
仲間たちが血を吐く姿を目に映せば、
「……」
リーザは口元に手を添えたまま、固まっている。
あの悪魔の全てを目の当たりにした『
「…アレを生かしたままにすれば、必ずまた
それしか、今の彼にできることはなかった。
するとそこへ、彼の趣向に好感を抱いた悪魔が
「エルク、リーザ、その目によく焼き付けろ。これが“世界”だ。」
悪魔は、青年の他力本願な言葉に追い風を送るように、自らを指して嘲笑った。
「化け物も、精霊も、男も女も子どもも老人も、アルディコ人もアララトス人も。果ては畜生や虫けらまでも。ワシはこの世の全てを手に入れた!」
よくよく目を凝らせば、悪魔の語るソレら全てが体表で蠢いている。
「だが、どうだ!ワシは美しいか?キサマらが命を張って護っているものの姿がこの“ワシ”だ。どうだ、それでもキサマはまだこれらを護るか?」
悪魔は笑い声で部屋を揺らし、子どもをあやすようにトッシュたちの相手をし続けた。
「テメエが“世界”だって?食べ合わせが悪くて脳みそまで腐っちまったんじゃねえのかこの生ゴミイカれ野郎が!」
もはや何度、悪魔の攻撃を受けたかも分からない狒々が、降り注ぐガルアーノの一部を斬り払いながらここまでで溜まった
吐きかけられる言葉に合わせて、悪魔は新たな分身を産み落とした。そしてまた、笑った。
「“ゴミ”か。よく分かっているじゃないか。今、キサマらが斬り刻んでいるソレらは、スメリア兵、ミルマーナ兵、ロマリア兵と呼ばれていた者の成れの果てよ。」
「だったら何だってんだ。今さらそんなんで俺たちが
言いながら、狒々の刀は明らかに鈍った。分身を仕留め損ない、反撃を許した。
「…チィッ!」
見下し、悪魔は思い出語りを続けた。
「奴らは仲間を数人喰われた程度で悲鳴を上げ、戦場を逃げ回っていたな。メスを入れれば家族の名前を並べ、彼らの幸せを神に願ってベッドの上で暴れ、泣き喚いていたよ。…立ち向かう姿勢を忘れた獣。キサマはそれを”ゴミ”と呼んだのだろう?心から共感できるよ。」
「―――!?よくもっ!」
悪魔のスパイスに青年は
足並みを合わせ、狒々も
「…クソがっ!」
「繰り返そうか、
ポコが彼らの補佐をし、結果、「勇者」三人分の『力』を乗せてさえソレに有効打を与えることはできなかった。
それを見て――――、
「エルク、アンタ、そのまま突っ立ってるつもりかい?」
「……」
炎の少年は
※狒々(ひひ)
長い年月を経て猿が妖怪に变化したものを言うそうです。一般的に気性が荒く、妖力に加え、とてつもない怪力を持つ大猿だそうです。
”狒々”の名前を借りていますが、ヒンドゥー教のハヌマーンを意識しています。あと、伏線ってほどでもないですが、今後登場するあるキャラクターを何気なく紹介しているつもりです。
※狛犬(ガーゴイル)
一方、ガーゴイルは怪物の形をした
ファンタジーで「ガーゴイル」はよく、羽の生えた悪魔で描かれますが、現実世界での「ガーゴイル(雨樋)」は獅子やシーサーペントなどの様々な形をしたものがあります。
なので今回も狛犬のルビを「ガーゴイル」と振らせていただきました。
原作のこのシーンでも「機械モンスター」は獅子の形をしています。