『さすがと言うべきか?大した手並みだよ。』
指定された両端の部屋をクリアし、消耗したシュウの手当てをすませると、彼らの緩慢な足取りを煽るかのように悪魔の血生臭い息が頭上から降り注いだ。
すると、叩けば鳴る呼び鈴のように、赤毛の猿が「扉を開けろ」と悪魔の
『そう急かさずとも約束は守る。そうさ、守らない約束ほど笑えんジョークはない。』
「テメエの
『もっとも、”興”そのものをキサマらが理解していればの話だがな。』
悪魔が言葉を重ねる度に猿は吠えた。身内ですらそのやかましさに頭痛を覚え始めるほどに。それを眺めて楽しむ悪魔は焦らすことを止めない。
彼らの弱点を手の平の上で転がし、思う存分”興”を満喫していた。
ズンッ!
『!?』
悪魔が愉快に猿回しをしている最中、彼らを無視し、卑しい肌を晒す大男が鋼鉄の扉を素手でこじ開けた。
そうしてユックリとカメラに振り返った彼の目は、彼の祖国の荒野を差す陽の光のように光っていた。
全身を覆う浅黒い肌の中から、肉食の獣のように、ギラギラと。
「ロマリアの悪魔よ、覚えておくといい。約束とは
「カカッ、いいじゃねえか!どうだ、鼻っ柱をへし折られた気分はよ?!」
さも大男に指示を出したのは自分であるかのように、猿は我が物顔で彼の脇を横切って行った。
「ま、待ってよ、トッシュ!慎重に行かないと危ないよ!」
気の向くままに行く猿を追うのはやはり、この場で唯一の彼の友人となってしまった小太りの楽士だった。
『…フンッ、不用意にワシの懐に飛び込んでくるとは。どこまで間抜けなんだ。』
趣味に気を取られ、懐に攻め込まれる。
一見、「悪魔の油断」を突いた自然な流れに見えた。
「だけど、それもこれも全部アンタの台本通りなんだろ?」
しかし、彼の
『そう思うのなら一刻も早く奴らの後を追うんだな。でなければ、先程の戦闘で体験したことが現実になるかもしれんぞ?』
「ハッ、だったらアンタもその目で見たろ?あのニワトリがそう簡単に首を絞められるもんか。」
エルクたちは彼女がガルアーノと知恵比べをしていることを察し、先行した二人を止めもせずに状況を見守った。
そして彼女はその期待を裏切ることなく、すぐに一つの事実を見抜いた。
「だけど、今もそうやって余裕たっぷりに話してるってことは、その部屋にアンタはいない。そうなんだろ?」
『…ハハハッ。そうかもしれんんし、そうでないかもしれん。しかしリーザ、お前にはわかっているはずだ。
振り返ると、名指しされた魔女は確かに頷いた。
『ならばキサマらのすることは変わらん。早くその扉を潜ってこい。ワシは退屈で叶わんのだ。』
しかし、彼らの見詰める先は沈黙で満たされていた。トッシュたちの気配はおろか、物音一つしない。
シュウが倒れた今、安全に他の道を探している余裕もない。全員がそうするしかないと決意を固め始めたその時、
――――誘いに乗ってはダメだ!
「!?」
忠実に悪魔のお告げを届けてきた館内のスピーカーから唐突に、凛と鋭い青年の声が鳴り響いた。
『その部屋には視線で人体を麻痺させるロボットが待ち構えている。トッシュとポコもそれに拘束されてしまった。だから迂闊に飛び込むな!』
その声は、悪魔に侵された機器さえも粛清せんばかりの力強い正義の意志で満ちていた。
そうして正された機器から続く悪魔の声は絶句していた。
『…なんということだ。そこまでコイツらを信用して大丈夫なのか?』
『……』
エルクたちの見えない場所で、因縁の敵が睨み合っていた。
『だが残念。一度ネタを明かしてしまったなら、さすがのワシでもやり直しなどとは口が裂けても言えんよ。』
『……』
不穏な空気がスピーカー越しに彼らを包む。
『終幕だ、アーク・エダ・リコルヌ。自分の選択を反省して死ね。』
全員がその青年の名を予測していた。そしてたった今、彼は自らを犠牲にして自分たちが
液状の何かが沸騰する音と同時に青年の掛け声に合わせて機械の破壊される音がスピーカーから鳴り響いたかと思えば、青年の悲鳴とともにブツリと音声は途切れた。
「…おい、これもアイツの演技なのかよ?!」
聞こえた音の全てが真実なら、一刻の
「お姉さんに乱暴しないで!」
「うわっ!」
彼女によく懐いた小さな怪物が取り乱したエルクに殴りかかり、エルクはそれを紙一重で躱した。
「わ、悪かったよ…。だけど、何にしても俺は先に進むぜ。」
何をそんなに急いているのか。それすらも無意識だった。
「待て。何か策はあるんだろうな?」
「…俺の『
エルクは指輪を嵌めた左手を握りしめ、自分の声に呼応する『精霊』にはまだ可能性があると確信していた。
しかし、エルク、リーザ、シャンテ、グルガ、ちょこ、そしてヂークベック。数十分前までは軍隊も圧倒すると思われた戦力も今や半分にまで減っている。
「そんな
さらに、欠けた戦力のほとんどが「アーク一味」。一年足らずで国際指名手配される本物の実力者たちがこぞってリタイヤしている現状、グルガの主張する「慎重さ」はまさに勝敗を左右していると言っても過言ではない。
「じゃあ、どうすんだよ?この壁は相当硬いし分厚いぜ?裏をかくのにどんだけ時間が掛かると思ってんだよ。中の状況もわかんねえ。肝心の
すっかり敵のペースに乗せられ、そこに「ヒント」があることも見落としていた自分に不甲斐なさを覚えるよりも早く、エルクはソレに掴みかかった。
「ナ、なンジゃ!?やル気かコの野郎!?」
エルクの細い腕からは想像もできない怪力がソレの目を回し、ソレは訳も分からずただただ「危険」から逃れるために腕を振り回した。
「バカ、なんで気付かねえんだよ!」
「は?」
「今こそテメエの出番だろうがよ!」
けれどもソレは気付かされるのだ。今まで散々、自分を
「…ハ?」
……しかし、ソレは完全に「家庭用ボイラー」であることに馴染み、自分が何者かを見失っているのだった。
―――キメラ研究所の中枢「コントロールルーム」に隣接した大部屋
研究所の人間は全員退避していた。この戦争の仕掛人と言える二人を残して。
「個人的にはもう少し楽しみたいと思っていたんだぞ?それをこんな形で台無しにしてくれるとは…。残念だよ。」
一方は「ロマリア将軍」という世界最高の軍事力の頂点に座する老熟の悪魔。
対峙するは「勇者」という曖昧な剣を「精霊」という曖昧な存在から託された幼い人間。
二人の間には明らかな実力差がある。
策のない勇者に勝ち目など万に一つもありはしない。
「だが、誇るといい。こんなにも刺激的な一日は久しくなかったぞ?」
3000年の
いつしか、他人の命に興味を失くした悪魔の目に「相手」は映らなくなっていた。
死を前にして喜怒哀楽を選択する「相手」に自分の姿を投影し、そうあったかもしれない自分を妄想するようになっていた。
悪魔が「相手」を笑う時、そこに愚鈍な自分を見る。
悪魔が「相手」を
悪魔が「相手」を愛する時、そこに『あの日』の醜い自分を見る。
「何か、言い残すことはないか?」
いつしか、悪魔は自分の行為の全ては『あの日』の自分に帰結すると感じるようになっていた。
産まれ落ちたその瞬間、炎と血潮が彼の目を潰し、阿鼻叫喚が彼の耳をつんざいた。そんな凶悪な世界を闊歩したあの日に……、
そして今、彼は数千年ぶりにその醜い姿へと還ろうとしていた。
覚悟を決める時なのだと、彼の人生を
「ガルアーノ、お前は何をそんなに焦っている。」
「……なに?」
あの日のあの世界において、私は間違いなく”神のしもべ”だった。
彼女の『言葉』に抗える者は一人としておらず、耳を傾けた者は全て私の一部になった。
あの時の感覚が「私」という存在を形作ったがために、自我に目覚めた時には「世界は私のものでなければならない」という強迫観念が私の行動の根幹になった。
「王」に拾われ、新たな世界を知った。自分の形を変えられるかもしれないその時、「王」は私に地位を与えのだ。
新世界における「将軍」という絶対的力の象徴を。
その時、私は改めて思い知らされたのだ。「世界はやはり我々が運用することを望んでいるのだ」と。
…そんな「私」が……、
「…ワシが、焦っているだと?」
「ああ。もしもお前が冷静だったならあのロボットを使って俺たち全員を一網打尽にしていたはずだ。」
「……」
言われてみれば、その通りだ。
ワシがあの部屋で連中を引き付け、一時的にでも「
……なぜ、そうしなかった?
「“ホルンの魔女”…、」
「!?」
「やはりそうか。」
…コイツ、とこでそれを?あの
いや、彼女に捨てられて以来、ワシは彼女と接触していない。知る機会はなかったはずだ。
なら、どこで……、
「自分が、彼女のモニターを何度も確認していたことに気付かなかったか?」
「……」
…引っ掛からなかった。
青年は悪魔の唇が思い通りに動かないことに歯痒さを覚えた。
悪魔は「魔女」を気に留めている。
それは分かったが、理由が分からない。
奴らの目的に繋がるのか。この男の弱点になるのか分からない。だが、知るべきなのだということだけは確信していた。
コイツが自覚していないなら、こちらから積極的に
青年は、知略戦において自分はまだまだ未熟なのだと思い知らされた。
それでも一か八か。青年は思い付く中で最悪の
「お前たちは、彼女を使って世界中の人間を操るつもりか?」
不可能ではない。彼女の『力』と、この悪魔の『技術』があれば。
すると悪魔は薄笑いを浮かべ、青年を惑わせるような意味深な言葉で返した。
「おしいな。悪い発想ではない。だが、それは
「…どういう意味だ。」
答えを丸投げしてしまったなら「知略戦」は破綻する。
知っていながら、青年はそれ以外の言葉を捻り出すことのできなかった自分を罵ることしかできなかった。
そんな青年の姿を見て、悪魔の唇はさらに吊り上がる。
未熟さを自覚していると知っていながら、その熟れ切っていない
「さあな。だが一つアドバイスしてやろう。敵に手の内を聞くものじゃあない。もしもバカ正直に返す奴がいたなら、そもそもソイツにそれを成し遂げる能力はない。そうは思わないか?」
「…だが、お前のように
「ッ!?ブァッハッハッ!」
これだから人間との会話は面白い!大したことのない一言で期待すらしていなかったことに気付かせてくれる。
…そうだ、ワシはキサマらに期待している。
「なるほど、キサマの言う通りかもしれん。」
そうだ、キサマらは証明しなければならない。
「本当にこれがヒントだ、と…思うの、ナラな!」
「……」
数千年続けてきたワシの妄想が、世界の全てではないと。
でなければ、キサマらの未来もまた「あの日」へと続くだけよ。
そうして響き渡る悪魔特有の異質な、下品な高笑いが、悪魔の抑えつけていた全てを解き放った。
体の内側から無数の気泡が肉を押しのけて膨れ上がり、割れた後から新たな気泡が止めどなく湧き上がってくる。
その繰り返しが瞬く間に、悪魔の体積を数十倍に膨れ上がらせた。
「サァ、時間稼ギニハ協力シテヤッタゾ。ドウスル、コノママ殺リ合ウカ?ソレトモ
人間であった声帯は気泡に押しつぶされ、超重低音で発するカラスのような声が青年の内蔵にズシンと響き、施設すらも震わせた。
「マァ、ワシガソレニ付キ合ウカドウカハ、キサマノ話術ニヨルガナ。」
気泡が割れる度に肉の色は変色していき、やがて灰色へと落ち着いていく。
人間の皮の中に押し込められていた悪魔の膨大な量の肉もまた、一定の形へと落ち着いていく。
――――異形、
それは、生き物としてあらゆる機能性を無視した形をしていた。
足を失くし、地に根を張る枯れた万年樹。
幹は露出した臓器のように脈打ち、枝は天を仰がず地底の闇を養分とするかのように地面を目指して伸びている。
10mある天井さえ窮屈な鳥籠と言わんばかりの
もたげた
しかしその目には網膜もなければ水晶体もない。マンホール大の
三日月状に裂けた口には牙も舌もない。裂け目を閉じようと
これらの「器官」とも呼べない「ナニカ」、さらには悪魔がこれまでに『喰ってきた』であろう人や化け物の局部が枯木の全身に、デタラメに芽吹いていた。
「…うっ……、」
青年は
「ハハハッ、ドウシタ。サシモノ勇者様デモ恐怖ヲ感ジタカ?!」
堪えられなかった。
ここまで
視覚が、聴覚が心臓を引き裂くような、味わったことのない感覚が青年の芯を
「…舐めるなよ!」
青年は認めたくない恐怖を無我夢中で振り払い、それを剣に乗せた。
「フン。アークヨ、ソレガコノ極限デ見出シタキサマノ選択カ?」
勇者の振り下ろした切っ先は異形の悪魔とはまったく別のものを捉えていた。
「……そうだ。」
勇者が斬ったものは施設の機器だった。
破壊した直後、モニターに映っていた彼の戦友たちが息を吹き返し、カメラに向かって何事かを叫んでいた。
「ソノ瞬間、キサマハワシニ敗北ヲ宣言シテイルト気付イテイルカ?」
異変に気付いたエルクたちも二人と合流した。彼らがこの部屋にやって来るのも時間の問題だろう。
いよいよ悪魔は追い詰められようとしていた。
「…俺一人でお前たちを倒せるなら初めからそうしているさ。」
「クククッ、ソノ通リダトモ。ドレダケ、キサマラガ精霊カラ力ヲ借リヨウト、ドンナ異能ノ武具ヲ手二入レヨウト人間ゴトキニワシラハ殺セン。」
しかし、悪魔は終始落ち着いていた。
まるで死期を悟った獣が自分の行くべき場所、すべきことを淡々と済ませているかのように。
「ナゼナラ、ワシラハ、キサマラガソレヲ身ニ付ケル何百倍モノ時ヲカケテ、サラニ多クノ力ヲ得タノダカラナ――――!?」
突如、閃光が二人の間で弾けた。
”光の精霊”で時の流れを緩め、”地の精霊”で鉄の足場から無数の棘を生み出して悪魔を四方から急襲した。
精霊は『言葉』を介してその『影響力』を世界に顕現させる。ゆえに、一人が一度に『言葉』を交わせる精霊は一体に限られる。
現時点で最も優れていると言われる大魔導師ですら、この原則は歪められない。
だと言うのにこの瞬間、アークは『言葉』を必要としなかった。それどころか、同時に複数体の精霊を
これが、島国スメリアに生まれた青年「アーク」が「
世界の終末に降り立った「救世主」の姿だった。
ところが、
「グッ!」
悪魔の知覚はアークの『力』の影響を受けなかった。
悪魔はそれを可能にする『力』を喰っていた。
「ソレガ
迫りくる鉄の棘を素手で受け止めてへし折ると、2体の分身を産み出し、アークを吹き飛ばして壁に叩きつけた。
「ドウシタ、ソンナ調子デ仲間ガ来ルマデ持ツノカ?」
分身の右腕がまるで、インディゴスを騒がせた「辻斬り」の凶器を彷彿とさせるような巨大な刃物へと変形すると、体表から吹き出すガスを纏いながら再度襲い掛かってきた。
――――俺は、負けられない!
それは、つい先程、分身の怪力で鉄壁に体を打ちつけたとは思えない俊足だった。
さながら
ガスはアークに纏わりついたが、彼の放つ光が瞬時にそれを浄化した。
「次っ!」
無尽蔵に
『力』を覚醒させたアークは瞬く間に2体目の分身も斬り伏せた。
その様子を悪魔は複雑な心境で眺めていた。
「……」
それは
キサマはどこかで自分が侵されていることに気付いているらしいが、「その瞬間」はどうあってもキサマには抗えない。
そうやってキサマはあの無慈悲な『
少しずつ、お前はワシの人形よりも「人間」として劣っていく…。確実に。
親近感を覚える姿を前に悪魔は、
「キサマハナゼ戦ウ?」
思わず間抜けなことを尋ねてしまっていた。
「お前らしくもない、今さらバカなことを言うな。俺たちは永遠に理解し合うことができないからだ。俺とお前の姿がまるで違っているようにな!」
……それはキサマの本心か?
もちろん違う。
違うからこそ彼は
戦場でしか悪魔たちの顔を見たことのない彼は、成長するにつれ、年上の仲間に揉まれている内に「もしかしたら
もちろん敵の手の内を知るためでもある。
だが、できることなら……、
「そうだ、俺たちはお前たちを倒す!これ以上、お前たちに罪のない人々を苦しめさせないためにっ!」
青年は纏っていた「ノーア」の衣装を脱ぎ捨て、彼らと殺し合うことを定められた「アーク」として叫んだ。
……哀れな。
悪魔は
※万年樹
「縄文杉」のような数千年を生きた木のように、「数万年を生きた木」という意味でこんな言葉があったような気がしましたが、どうやらそんな言葉はないみたいです。
※分身
ガルアーノ戦でガルアーノの両脇に湧いてくるデスメイジのことです。
右手の「刃物」はデスメイジの「鎌」。「ガス」は「ポイズンウィンドウ」のことです。
※鋳造(ちゅうぞう)
溶かした金属を
※樹冠(じゅかん)
樹木の最上部の枝棚全体をさします。
※生物には一つの心臓?
実はこの世には心臓を複数持つ生き物もいます。
ただ、ここで述べた「心臓」は「心」のような意味合いで使っています。
※ホンマの後書き
今回、ガルアーノの変身後のセリフに「異質さ」を表現するためにカタカナで表記しましたが、
「……読みにくいじゃねえか」(なんとなく)
「……書き直すのが面倒くさいじゃねえか」(これマジで)
と感じたので、次回からはこの縛りを失くしたいと思います。今回はもう書き直す力も残っていないのでそのまま投稿させてくださいm(_ _)m