聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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媒介動物(ネズミ) その九

悪魔はいつでも彼らを見ている。だからこそ悪魔は、必要な時に声をかける。

必要なことをする。

悪魔はいつでも最高の味付けを知っている。なぜなら、そのために数え切れない命を費やしてきたからだ。

 

『そろそろ結論は出たかね?』

突如としてスピーカーから響き渡る研究所(やかた)の主の声は、いやに陽気だった。まるで飼い犬と(たわむ)れることを心待ちにしていた飼い主のように。

「わざわざそんなもんで話し掛けなくても今から嫌ってほど顔を合わせるんだ。大人しく待ってろよ。それとも何か?命乞いでも始めるつもりかよ。」

愛犬が尻尾を振る様子に悪魔はケラケラと声を立てて笑い、シワを寄せる鼻先を愛おしそうに撫でた。

『お前がそんなものに応じんことくらい心得ているよ。それとも、心を入れ替えてくれたか?…そうだな、今なら一人と言わずミリル10体をお前にプレゼントしよう。どうだ、お買い得だろう?』

言葉の意味に関わらず、悪魔が口にする禁句(キーワード)が彼の血潮にマグマを流し込む。

「…テ、メエ……ッ!」

瞬間的に蒸発する潮が管を押し広げ、理性を圧し潰す。

「エルク、ダメっ!」

リーザが彼を『抑えなかった』なら、彼は『爆発』していた。今のたった一言で。

 

――――ミリルは彼の中で生きている。

 

悪魔は大いに悦んだ。笑い声(ソレ)が、彼らの吸う空気を大きく震わせた。

 

 

 

奴の遊びには飽き飽きするほどに付き合ってきた。だから今さら不快に思うことはない。

それでも、ソレが鼓膜を震わせるたびに彼女が思い出すものは「硫酸の浴槽」や「脱穀機」、「鉄の処女」、「電気椅子」、「濃硫酸と注射器」……。彼女が生涯で最も大きな声で()()()瞬間。

どんなに凶悪な器具も、彼女を殺すどころかカスリ傷一つ残すことも叶わなかった。

しかし器具は会場を美声で満たし、聴衆の欲望に十分過ぎるほどに応えてみせた。

 

――――そして、それらは見事「拷問」の役目を果たした。

 

たった一度、彼女はとある男の名前を口にしてしまった。

幾度、死に目に曝されても耐え抜いた唯一の弱点を、晒してはならない相手に差し出してしまった。

瞬間、歪んでいく奴の顔を、彼女は忘れない。

彼女よりもよほど感情のこもったあの笑みを。

 

「……?」

不意に、誰かが彼女の裾を引っ張った。

「……」

小さな怪物がいた。

「お姉さん?」

純朴な目で見上げるソレはアタシの顔がオカシイことに気付いたのかもしれない。「思い出」に噛みつかれて歪む(アタシ)を心配したのかもしれない。

 

だけどアタシは……、

「楽しいのかい?そうだろうね。アンタといえばソレぐらいしか楽しみの知らない退屈な奴だったものね。」

悪魔からたくさんの歌を学んだ歌姫が、彼の注意を引こうと小さく(さえず)った。

『どうした、今さら私に媚びたところでキサマにくれてやるものは何もないぞ?』

「結構さ。アンタからはもう十分もらっちまったからね。だから今度はアタシがアンタに返す番だって言ってんのさ、クソ野郎。」

『…ハッハッハ、キサマごときに何が返せる?淹れ終えたコーヒーカスのようなキサマに何ができる?』

……そうさ。アタシは何もできない。バカな弟一人躾けることもできない女にできることなんて何もない。精々、クズどもを笑わせるために囀っていることくらいしか。

ベッドの上で、あの浴槽の中で。喘ぎと悲鳴で自分の首を絞めて、アイツらを喜ばせて生き延びてきた。

……どんなに頑張っても、生き延びることしか、できなかった。

 

アタシにはできない。だからこそ……、

 

「そうやって笑っているがいいさ。アンタから()()()()()()でとびきりの恐怖ってやつを教えてやる。その時はアンタもイイ声で歌ってくれよ?」

「……?」

意図せず小さな手を握る手に力が入った。

想像した。悪魔が歌う瞬間を。

それは報復から来る喜びではない。刺激される「記憶(きょうふ)」が、彼女に後悔と克己心をせめぎ合わせた。

 

……本当にできるの?あの悪魔に苦痛を与えることなんて……。でも、ここまで来た。色んな人に迷惑をかけて。

闘う「武器」を手に入れた。

……そう、闘わなきゃ!闘わなきゃ、意味がないっ!……た、闘わなきゃ……、

…………アル…、アタシ、恐いよ……、

 

 

「……」

(はた)から見ていた赤毛の男には同族の(ののし)り合いにしか見えなかった。…いいや、気に留めたくもなかった。

そうやって自分の足元に転がる石ころをいちいち気にして歩くなんて、バカのすることなんだと。

トッシュは二人の遣り取りを無視し、中央の扉を目指して進み出した。

『おっと、勝手な真似は止めてもらおうか。』

「……」

ガルアーノの言葉を無視した。「悪魔の言葉(おどし)」に耳を貸してはならないことを、身を持って知っているから。

『それ以上前に進めば両端の扉を開放するぞ?』

「……」

…耳を貸してはならない。……!

敢行する侍の前に、数少ない気心許す友人が立ちはだかった。

「なんの真似だぁ、ポコ。」

「だ、ダメだよ。僕たち、皆で闘おうってさっき決めたばかりでしょ?!それに、そんなに沢山のトッシュやエルクが出てきちゃったらトッシュだって勝てるかどうかわからないじゃないか!」

「……」

振り返ると、金髪の少女が彼を睨んでいた。

「…だったら何だ?結局、両端から潰しゃあいいって話なんだろ?こちとらもう、まどろっこしい話はゴメンなんだよっ!」

腹が立って堪らなかった。目的はたった一つなのに――少し無理をすれば進めなくもない道を――、こんなにも多くの「石ころ」を避けて進まねばならないことが。

 

『……』

表面的には誰も彼もが装っているが、実際、「力」に対し心から服従する人間は少ない。

そうして耐え忍ぶ不和、軋轢(あつれき)は抑えつけるほどに膨れ上がる。

なぜか?

それは「力」に人生の答えを見出す者など数えるほどにしかいないからだ。

弱肉強食しか世界を知らん畜生こそ「力」に従順な生き物だが、人間は違う。

奴らは天と地を知り、過去と未来を知り、己と他人を知っている。

知り過ぎたのだ。

たかだか一個の命が無数に交錯する世界を完全に理解することなどできるはずもなく、自らの心がそれらによって狂わぬよう奴らは「生きる意味」にこそ執着する。

不幸にも人間は、それを阻害する「力」に無頓着でいられるようにはできてないのだ。

自分の世界を狂わせる「(モノ)」、それが不和や軋轢に代表される「負の感情」の根源だ。

それと知らずに奴らは自分たちの「生きる意味」を主張するために自分もまた「力」で誇示しようとする。…そうして自滅していく。

 

その様子が、堪らなくオカシイ!

 

 

 

彼らは、悪魔と取り引きをした。取り引きせざるを得なかった。

 

『好きな方を選べ。』

ここで両端の部屋を開放しない。その代わり、彼らはその一つずつで戦闘する。その戦闘データは悪魔の研究の肥やしとなる。

より忠実な「彼ら」を造り出すための。

「なんも変わりゃしねえ。みんなブッ潰すんだ。あんな胸糞悪い人形も二度と造れねえくらい徹底的にな!」

赤毛の遠吠えは悪魔の耳には届かず、そこに潜む怪物たちの覚醒する合図となった。

 

 

 

――――キメラ研究所本部、中枢、右の部屋

 

 

「グルガさん、危ない!」

リーザの警告と「敵」の攻撃はほぼ同時だった。

「エルクが一杯じゃー!!」

「わぁ、同じ顔が一杯なの〜。子沢山なの〜。」

入った途端、急襲を仕掛けてきたのは10人のエルク。

その光景は本人ならずとも、彼と関わりを持つ者にとって異様な感覚に襲われた。

「…エルクがこんなにいたらお母さんも大変そうだね。」

「なんだって!?」

「な、なんでもないよ!」

ソレらの『炎』は不完全で、実力はオリジナルの足元にも及ばない。

それでも、その界隈(かいわい)で異名を持つ少年のコピーは各々が素早く自分の役割を見極め、完成された連携を見せつけ、彼らを十分に苦しめた。

 

少年は後方に下がって援護に徹する作戦だったが、コピーはそれすらもたやすく看破した。

前衛を飛び越えて少年の懐まで潜り込み、乱戦にもつれこむことで自分たちの実力のなさをカバーしてみせた。

コピーたちの作戦は見事に的中した。ポコは逃げ惑い、シャンテもまた動きについていけずに翻弄(ほんろう)されている。

並の相手ならこれで決着はついたかもしれない。

だが、彼らは「人類」と呼んでいいのかも怪しい異能者たち。

 

「ハッ、10人いてこの程度かよ!テメエの実力も大したことねえな、ガキ!」

ようやく溜まった鬱憤を晴らせる場所を見つけた赤毛の猿はここぞとばかりにコピーを次々と斬り伏せていく。

「クソジジイが調子に乗りやがって…、」

だけど改めて、アレがただの猿じゃねえってのはよく分かった。

剣の熟練度もそうだけど、アイツの動体視力、瞬発力はシュウに並ぶものがある。

 

あの「ブラキアの英雄」って奴も尋常じゃねえ戦い方をしやがる。

圧倒的な「攻撃」の連続。そもそも「回避」ってものにあまり頓着してない。

『炎』も槍も、アイツの膝を折る決定打にならず――もしくはその拳で粉砕されて――逆にクローンたちの攻撃してできた隙を突いてやがる。

当たり前のように「肉を切らせて骨を断つ」を繰り返す。それが戦争でアイツが()()()()()()()()()()()()()()()だったのかもしれない。

そしてそれは、アイツの全身から立ち昇る異常な「熱気のようなもの」がそれを可能にしているんだと思う。

アイツ自身の強度だけだったら3人目の槍で心臓を貫いて終わりだった。

…もしかするとアイツも何かの『精霊』を体に宿しているのかもしれない。

 

そして、ちょこ。

シャンテが連れてきた頭の緩いガキ。

だけどこのガキ、自分の目を信じるのなら、まず間違いなく俺たちの中で最強だ。…いや、()()()()()

猿やグルガみたく、何らかの「戦法」ってやつがある訳でもねえ。

ただ、子どものケンカみたく適当に殴って、適当に躱してるだけだ。

だけど、その一撃が大砲よりも重くて、その瞬発力はシュウを凌ぐかもしれねえ。

魔法だって、あの女神像の首を落とした『雷』に勝るとも劣らねえ。使い所も悪くない。

それもこれも多分、直感でやってやがるんだ。

まさにこれから羽化する怪物を目の当たりにしてるような感覚になる。

 

コイツら、『精霊』を宿らせてない状態だったら確実に俺より強い。

「…マジでキレてる連中ばっかじゃねえかよ。」

俺は連中の狂った強さに嫉妬した。

 

ものの数分だ。出会い頭の奇襲こそ上手く働いたけど、その気になった三人を相手にクローンたちは――囮だったり人質だったり奮闘していたが――全く歯が立たなかった。

とはいえ、これまでの戦いの中で一番の痛手を負ったのは間違いない。

そしてこれまでと同様、俺たちが受けた傷は体に負ったものだけじゃない。

 

「さすがに、まったく自分と同じ顔がこんなにいると頭がバグっちまうな。」

各々が次の戦闘のために傷の手当てをしている最中、彼女は立ち尽くし、見下ろしていた。

「……」

「大丈夫かよ、リーザ?」

「……」

彼女の足下には、見るも無惨な10人の俺が転がってる。だけど、それだけだ。

ソイツらは俺じゃねえし、俺は今、ちゃんとリーザの隣に立って話し掛けてる。

それなのに、彼女は俺を見ないで俯いていた。

「…なぁ、リー―――!?」

少年の言葉を遮るように、少女は彼の胸に顔を埋めた。

「…大丈夫だって、俺はここにいるから……、」

「……うん、」

少女は胸の中で彼の臭いを嗅いだ。心臓の音、抱きしめる腕の強さ、声色…、

どれも足元で眠るソレらと同じだと少女は思った。

 

だけど…、

顔の火傷だって、耳の傷だってこの子たちにはない。この人が、この人だけが私の好きな「エルク」。

だけど…、

この子たちは私を攻撃してこなかった。

それも「エルク」の真似なのかもしれない。もしくはガルアーノの「悪戯」なのかもしれない。

あまり真剣に捉えちゃいけない。わかってる。…でも……、

 

慰め合う二人を見て赤毛の猿はせせら笑った。

「ハッ、そんなんで本当に最後まで役に立つのかよ?」

「トッシュ、そんなこと言わないでよ。これがアークやククルだったらトッシュも嫌でしょ?」

「あ?俺がコイツらに一度でも躊躇(ちゅうちょ)したかよ?」

「それは…、そうだけど……。」

ポコにはそれも彼の虚勢だと分かっていた。内心では誰よりもソレらに胸糞悪さを感じていることを。

だからこそ彼は少女に伝えたかったのだ。早く慣れるべきだと。誰かが俯く姿は彼を同じ気持ちにさせるから。

 

逆に、他人の不幸を願ってすらいた女が何を思ったか。説教をするでもなく、あざ笑うでもなく穏やかな表情で少女に声をかけた。

「ほら、リズ、こっち向きな。」

肌荒れのひどいリーザの額にソッと手を置いた。

…強がってるけど、本当は吐きそうなんだろ?何かに噛みつきたい気持ちで一杯なんだろ?

少なくとも、アタシはそうだった。

あの子が死んだと知ってから、ずっと。

だからアンタらをあんなにも憎んでいたのかもしれない。あの瞬間、アンタらがアタシの手の届く距離にいたから。

でも、アンタは強いヤツだ。

そんなに大きな「憎しみ」を抱えてるってのに誰も傷つけない。アタシらが殺し合おうとするとそれを止めた。

「ありがとうございます、シャンテさん。」

「……」

本当に、アンタとはもっと早く知り合っていたらどんなに良かったかと心底思うよ。

 

何かを償うかのようにシャンテはだんまりを決めたまま、戦闘に支障のある者を『癒やして』回った。

すると、自分に特別な感情を抱いていると知っている黒装束が伏し目がちに言った。

「…あの時は、すまなかった。」

シャンテは男の陰鬱な表情を一瞥(いちべつ)し、鼻で笑った。

「アンタにはアタシが根に持ってるように見えるのかい?」

あの少女に比べ、男たちはどうしようもなく弱く見えた。頭が悪く、他人を気遣えない。だから()()()()()()()()

幼いアタシたちを捨てた、ろくでもないあの人たちのように。

「アタシとアンタは別に命を懸けてまで護り合う仲じゃない。利用し合うだけの関係だったはずだろ?だったら自分の身は自分で護るのが筋ってもんじゃないのかい?」

「…俺は……、」

シャンテは返事を聞かなかった。男の表情を見れば続く言葉が目に見えていたから。

 

けれど、突き放すのは彼女なりの気遣いだった。心を(ないがし)ろにして育ってきた暗殺者にはもっと一人で考える時間が必要だからと。

それに気付くか気付かないかは彼次第だが。

 

そして、彼女は彼女でごまかしきれない所在無さを抱いていた。

こと戦闘において、彼女は彼らの中で大きな「ハンデ」になっていた。

『治癒』という面では役目があるかもしれない。しかし、同じく無意識に流れ出る『抑制』の力が、彼らにブレーキをかけていた。

もちろん、敵にもその効果は現れる。

意識すれば多少は弱めることもできる。

それでも『抑制(それ)』は黒装束の五感を鈍らせ、侍の一歩を遅らせる。楽士の息遣いを増やし、大男の拳から光を奪った。

 

だがたった今証明されたように、彼らは雑兵ではない。

彼女の『枷』があったところで大概の化け物に遅れを取るようなことはない。

それでももし、自分のせいで誰かが命を落としたなら…。

そういう懸念が彼女に付き纏っていた。

それでも彼女は彼らから離れず、彼らも彼女を追い払おうとはしなかった。

たとえそこに、この「闘い」から得ようとする「未来」に違いがあったとしても。

 

「未来」のため。

 

彼らは非情な運命も、勝ち目のない戦いも全て受け入れいて闘わなければならなかった。

 

 

――――左の部屋

 

「う、うひゃあ、トッシュがこんなに…、か、勝てるかなぁ……、」

10人の赤毛の侍。彼らは10人のエルクとは違い、出会い頭に襲ってくるようなことはなかった。

必殺の意気を表す狂暴な笑みを浮かべ、彼らを静かに歓迎した。

「ビビってんじゃねえよ、ポコ!コイツらもさっきみたく見かけ倒しに決まってんだろ!」

「そ、そんなこと言ったって……、」

数え切れない猛者がその笑みを(あなど)って倒れていったことを知っているポコはソレに(なら)う自分の未来が見えるようで身を強張(こわば)らせずにはいられなかった。

「ったく、だったらテメエは下がってろ。俺があの出来損ないどもをブチのめしてきてやる。……?」

意気揚々と愛刀を抜き、無造作にソレらの間合いに踏み込もうとするトッシュの肩を、かつての相棒が掴んだ。

 

「…なんだよ。」

「…俺に、やらせてくれ。」

彼の表情が、今までと違って見えた。戦闘には直向(ひたむ)きだった彼の目に拭い切れない「迷い」が浮かんでいた。

今のコイツになら負ける気がしねえ。トッシュはそう感じた。

それでも彼は元相棒に道を譲った。

「待て、なぜこれだけの人数がいるのに一人で戦う必要がある。」

今度は浅黒い大男が無謀なシュウを止めた。

 

「これまでの戦闘でアンタも分かったと思うが、トッシュの一撃は必殺だ。それに、決戦は目前。手負いは少ないに越したことはないだろう。」

「……」

それは方便だ。

シュウもまた、誰かに当たり散らしたい気持ちで煮えていた。それと同時に、試したい気持ちが抑えられなかった。

はたして「今の自分」はどこまで通用するのだろうかと。

大男は彼の理屈を訝しみ、改めて彼の決意と体力をその目で計った。

「グルガ、アンタは今の俺の体力では勝てないと思っているんだろう?なるほど確かにそうかもしれない。だが、戦いが始まればエルクの時と同じように乱戦になるだろう。そんな中、アンタはリーザやポコを護りながらアレを倒せるとでも?」

大男は攻撃力にこそ突出していたが、黒装束と並ぶ俊足の猿を追い回すほど素早くはなかった。

それが可能なのはこの場に一人しかいなかった。

「アレは、俺にしか倒せない。」

その男以外に、トッシュは一対一で負けたことがない。

 

だが、グルガの異議もまた正しい。今の俺にトッシュのクローン10人を相手にするスタミナはない。だからエルクに援護を頼んだ。

するとあの子は「当然だろ、任せろよ!」と驚くほど溌溂(はつらつ)とした顔で了解してくれた。

「……」

ミーナ、いつになったら俺はこの子を完全に理解できるようになるんだろうな。

 

この子は、俺がこの子をあの砂漠から救い出したと思っている。

この子からしてみれば、そうなのかもしれない。それでも構わない。

俺は……、

 

 

部屋はどこもかしこも殺陣(さつじん)の空気で満ちていた。

一度踏み込めば、足を止めることはできない。入り乱れ、援護もままならないだろう。

あの子のことは信用しているが、数を減らしたところで驚異的な足捌きをみせるコイツらを狙い打てる保証はない。

 

――――お前にそれが必要か?あんな刃物を振り回すだけが能のチンピラ相手に?

 

「…黙れ。」

間合いに入ると、10人のヤマアラシが一様に歯を剥き出して笑った。

キサマとは違う。自分に自信のない、強く見せるための笑みだ。

そして俺は、どちらかと言えばこっちの方が好感が持てる。

生きることに正直で、向上心のある笑みだ。

 

――――なるほど、俺が拾う前のキサマに似ているな。だとすればキサマはまたトドメを躊躇するんじゃないのか?

あんな力任せの小僧よりも頼りになる人間が傍にいることを忘れてやしないか?……なあ。

 

「…正しいのは俺か、キサマか。ハッキリさせてやる。今、ここでな。」

俺はその一歩を踏み出した。

刹那、流星のように煌めく光の筋が眼前に迫る。

俺は体を反らし、鼻先を(かす)める流星には目もくれずまた一歩進む。

残りの9つの流星が勝手気ままに、縦横無尽に俺の急所へと降り注ぐ。

文字通り、流星は光のごとき速度で襲いくる。…だが、俺はそれを目で追えるし、俺の手足ならそれを追い越せる。

 

俺は刀を横から叩いて折った。

折れた刃先を躱した猿を追い、脳天にナイフを突き立てた。

即死した猿を盾に、折れた刃先を拾ってはそれを投げて別の一匹の体幹を崩す。

背後に回り込んだ一匹を置き去りにし、正面から突進する一匹を突き飛ばして体幹を崩した奴もろとも床に転がした。

追ってきた猿の一線を躱しつつ勢いを利用して投げ飛ばし、転がっている二匹にさらに重ねる。

投げの姿勢で固まった俺の隙を突いて三匹が両脇から突進してくる。

同時に『炎』が両脇で爆ぜた。

爆炎に紛れて一匹から得物を奪い取り、首を切り落とす。

「!?」

空気が体に張り付く感覚に気付き、「飛ぶ斬撃」の接近に気付く。

飛ばした奴の位置を確認するや()()()()()()()()()()()()()()()

飛ばした後に大きな隙ができることも一度見て知っていた。

「飛ぶ斬撃」の筋を見誤ってふくらはぎを斬られたが、飛ばした一匹は仕留めた。

「!?」

奴らは次から次へと通常では体感できない環境へと俺を引きずり込む。

だがそれは一方で、次に襲ってくる技が何なのかを明確に教えてくれた。

……次の技が一つの正念場だと。

二匹が放つそれは合計で6つの斬撃を、流星を超える速度で放ってくる。予備のナイフはない。

この手足だけであの稲妻を捌き切らなかれば、俺は確実に、死ぬ。

 

……そこから俺の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

――――大丈夫か、シュウ!?

 

 

気が付けば戦闘は終わっていた。

俺はあの子の腕の中で目覚めた。そして、周りには間違いなく十匹の猿の首が転がっていた。

全身が完全に麻痺し、全てがクリアになるまで少し時間が掛かった。

体にはいくつかの裂傷があったが、致命傷ではない。

……結局はトッシュの手も借りたのをかすかに憶えている。

だが、10人を沈めるまで俺は倒れなかった。死ぬ気で駆け回り、戦い続けた。

 

 

 

――――それで、満足か?

 

ああ、

 

――――それで弱点を克服したつもりか?

 

…そうだな、まだ十分じゃない。だが、お前も見届けたはずだ。少なくとも俺は、チュカチュエロの『影』でなくとも生きていられる。

今はそれで十分だ。

 

――――……早く俺を殺しに来い。それができない内は何を言ったところでそれはキサマの得意な「ウソ」でしかない

 

……

 

 

「……行け、エルク。」

俺は、やるべきことをやった。

「…後で迎えに来るからな。」

あの子は努力した俺を見て笑った。

 

…今はそれで、十分だ。




※リズ
「リーザ」の愛称。シャンテしか使ってませんが。

※エドガールド・アリ・ワナ・チュカチュエロ
両親を亡くし、チンピラと化していたシュウを拾って暗殺者として育てたロマリア軍の少佐。
私が勝手につけた名前なので忘れてしまった方も多いかと(笑)

※後書きというかなんというか
今月のお仕事が多忙なため、まだ確定ではありませんが、
次回、お休みするかもしれませんm(_ _)m

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