これから、世界の「悪」をほしいままにする将軍の一人を討ち取ろうと意気を高めていた一行の背中を、想定外の「敵」が銃を突き付け、彼らの勇敢さに陰を差した。
「…シュウ、それが何を意味しているのかわかっているのか?」
現代の戦場を剣と拳で血に染めてきた大男が黒装束の制止も聞かずに、ゆっくりと振り返った。
「わかっている。むしろ、わかっていないのはお前たちの方だ。あの男相手に力だけで対抗して本気で勝てると思っているのか?」
「なら一つ聞こう。ここで撤退したとして、アンタはブラキアの安全を保証できるのか?」
「…策ならある。」
「……あまり私を見くびらない方がいい。」
ブラキアの英雄の刃こぼれの目立つハルバードは、鷹がネズミを狩るように黒装束の喉元に狙いを定めた。
元ロマリア軍所属の銃口は、戦車の装甲のごとき頑強さを見せつけるその
戦場の残酷さを知っている二人は、これ以上の余計なコミュニケーションを拒絶し「それが何を意味するのか」を実現させようとしていた。
冗談やハッタリじゃない。察したエルクは殺意の間に割り込んだ。
「ちょ、ちょっと待てよ。いくらなんでもそれはやり過ぎだろ!」
それだけは避けなきゃならない。シュウを「育ての親」と慕う少年は最悪の展開を避けようと、必死に取り付く島を探した。
「エルクの言う通りさ。それこそあのクソ野郎の常套手段じゃないか。いいように操られてんじゃないよ。」
「なに?ケンカなの?ちょこが”良い子良い子”してあげようか?」
「ちょ、ちょこ、今は少し黙ってて。」
「え、なんで、ポコポコ?お父様が言ってたのよ?”ケンカ”は自分が”良い子”だって友だちにも知って欲しいからしちゃうんだって。だからちょこが”良い子良い子”してあげれば真っ黒クロ助さんもグルガおじさんも”そうだよね”って仲直りするでしょ?」
「え、え…っと……、」
「シュウ、グルガ、とにかく殺し合いはナシだ。言いたいことはわかるけど、それだけはやっちゃダメだ。」
シャンテたちの助け舟が二人を納得させたとは言えない。それに、シュウに言い負かされたばかりで大人しくしているが、グルガと同じ心境の男がもう一人いることも忘れてはならない。
「
「おい、オッサン!適当なこと言って混ぜっ返すんじゃねえよ!」
「じゃあ聞くがよ、テメエはシュウが今、何を考えてるのか全部わかってんのか?」
「……っ、」
「あの引き金がテメエのガキ臭え言葉で納得するほど軽いもんだと思ってんのかよ?」
…言い返せねえ。
そうだ。言われてみれば、シュウが作戦の最中に誰かと言い争ったところなんて見たことがない。
どんなに不利な状況に追い込まれたって、ハメられたって、シュウは全部なんとかしてきた。そんなシュウが、シュウ自身がこんな最悪の状況を生むなんて…。
…いったいどうしたってんだ?
「じゃあ何かい?シュウ、アンタはガルアーノを始末しようとするアタシら全員を殺すつもりなのかい?それって何の意味があるっていうんだい?」
英雄の逞しい背中に心奪われ、「悪」との渡り合い方を忘れたであろう彼女がまだ自分の名前を憶えていた。そんなことに喜んでいる自分に、
「確かにアンタをリーダーにしたのはアタシたちだ。でも、そこのトサカ頭が言ってるようにアタシたちは”仲間”じゃない。意見が合わなきゃ見捨てればいいだろ。エルクが大事ならエルクだけ連れてどこへなりと行けばいいだろ?そうしないのは何でなんだい?」
……あの光景が脳裏に浮かぶ。
何も知らずに帰った家の中は物がひどく散乱していた。白百合の絵が額から落ちてズタズタになっていて、純白の絨毯がブサイクなまだら模様に塗りたくられていた。
「アタシらに両親を見てるのかい?」
「……」
彼女に話したのは間違いだったかもしれない。
引き金に乗せた人差し指が無意識に震えていた。
「アンタはもう帰りな。向いてないんだよ。」
…向いていない?
数え切れない戦場を渡り歩いてきた俺が?お前たちの何倍も人を殺してきた俺が?
馬鹿げてる。
邪魔な俺を追い払うために無理やりでっち上げた文言にしか聞こえない。
「…それで?確かに俺に具体的な意見ができていないのは認めよう。だが、お前たちも具体的な勝算がないのは同じだろう。俺が向いていないというのなら、お前たちはそれ以前の問題だ。圧倒的な力不足とも言える。」
震えは止まった。
これ以上長引けば状況はますます悪化する。
……決めるなら今しかない。
「土壇場で判断を誤るな。戦場での経験は明らかに俺の方がある。最後に笑いたいなら俺に従え。」
「ほらな、平行線だろ?だったら線を一本消すしかねえだろ。…そう、たった一本、消すだけでいいんだよ。」
そう言うと、遂にはグルガの隣にトッシュが並び、ヌラリと抜いた妖刀の
「だ、ダメだよ、トッシュ!」
さらには…、
「一本?頭湧いてんのか、オッサン?」
何かを諦めた少年が育ての親の隣に立った。
「シュウ、手を出すなよ。俺が全部片付ける。」
「…彼らはまだ実力の全てを見せてはいない。お前にできるのか?」
「ハハッ、何年アンタと一緒に賞金稼ぎやってきたと思ってんだよ。んなこと俺にだって分かるさ。まぁ、心配すんなよ。アンタの知らないところで俺、結構強くなったんだぜ?…アンタに手出しはさせねえさ。」
少年が拳に力を込めると指輪に刻まれた文字が光を放ち始めた。
その輝きは淡い。
しかしそれはまるで、山間を押しのけて世界を照らす
「エルクまで!?お願い、やめてよ!」
「オいおイ、お前ラ本気か?わ、ワシはどッチノ味方ヲすれバイいんジゃ!?」
「大丈夫だよ、ポコポコ、ヂーク。ちょこがみんなを”メッ”ってしてくるの!」
彼らの、とりわけ『炎』と『幼女』の力はもはや、天災の域に達する。
彼らはまだ自覚していない。
底の知れない胃袋を満たすまで。
怪物は未来を想わない。
彼らはソレと長い時間をともに過ごしながら、未だ自分の『力』に無知な「子ども」だった。
『黙って!!』
怪物に悩まされてきた、無知だったもう一人の子どもが、堪えられずに『叫んだ』。
「!?」
その『声』は鼓膜を揺らさなかった。
「虫の知らせ」「第六感が働いた瞬間」というような、言いようのない「お告げ」が彼らの言動の全てを束縛した。
一同が振り返るとそこには『金髪の独裁者』が立っていた。『お告げ』が彼らの視線を釘付けにした。
わなわなと肩を震わせ、「少女」に似つかわしくない形相で彼らを睨みつけていた。
「どうして殺し合うの?それがアナタたちの本性なの?」
「…リ、リーザ……、」
それは、アルディアの邸宅で見た顔だった。
遥か格上の化け物たちの心を握り潰し、殺し合いをさせた顔。
彼女が嫌っていた、彼女のもう一つの顔。
……お前たちが私たちを怖がらせるから。『彼女』がお前たちの相手をしにやって来るのよ。
全部、
…そう、頭の悪い俺たちの姿が、『
「戦争を終らせるために闘ってるんじゃないの?倒れる人に手を差し伸べるために闘ってるんじゃないの?!」
「裏切られた」とでも批難するように、深く深く彫られた目尻に涙が
「……それとも、」
そうして…、
「初めから、私たちをバカにしてたの?」
支えられなくなった大粒はハラリと落ちた。
取り繕うような慰めは無粋だ。自分たちが言い訳なんてできないほどに愚かだと分かっている。
それでも赤毛の侍は自分が「悪魔」と同じだと言われてそれを認めるわけにはいかなかった。
「お嬢ちゃんよぉ…、」
「この戦争がどんだけ続いてるか知ってるか?どれだけの人間が死んだか知ってるか?誰に殺されたか知ってるか――――!?」
数十の化け物たちを気迫だけで圧倒する男が、少女のひと睨みで『口を縫われた』。
「…アナタは、アナタを育てたその人も同じことをすると思ってるの?」
「!?」
それが
「ここでシュウとエルクを殺してガルアーノも殺せばアークやククルが喜ぶと思ってるの?…本当は何も考えてないんでしょ?何もわからないから、答えが見つけられないから、葛藤に堪えられなくて手っ取り早く暴力で解決したいだけなんでしょ?」
恐ろしかった。
初対面の小娘が自分の弱点を知っていることが。その瞳に腑抜けた自分が映っていることが。
少女の瞳には侍の「恐怖」が、クレアを『伝説』に祀り上げた人々の心に『見えた』。
僅かな後悔が彼女の中に生まれた。
私は、彼女と何も変わらない。私はまた『伝説』を産み落とそうとしている。
……でも、
「私は、それが…、許せないの。」
戦争をする人が、許せない。
おじいちゃんを村に閉じ込めた戦争が、許せない。
彼を巻き込んだ戦争が、大嫌い!!
お前の気持ちはよくわかる。こんな世界、いっそ壊してしまいたい。この人たちを全員
……でも…、ダメなの。
こんな世界だけど、わからず屋ばっかりだけど。私は、彼が生きているこの世界を護るって決めたの。
アナタが、おばあさんが生きてるって知って感じた希望と同じ。
世界が『伝説』を振りかざして私を苦しめても、彼が私を抱きしめてくれるから。私の中の『
だから私は『怪物』に負けたりなんかしない。
「ごめんな、リーザ。お前を護るって言ったのに、いつもいつも怖い思いさせちまって。悪かったよ。」
……だから安心なさい。おばあさんに言われたからじゃない。
私のため。そして、彼の世界を護るため。
もう少しだけ待っていなさい。
私は皆を連れて、お前を殺しに行くわ。もう誰も、殺させない。
「シュウもいい?」
「…ああ。」
シュウは、彼女の『力』の前に手も足も出なかった。たとえそれが叶ったところで、トッシュの二の舞いになることは目に見えていた。
そして、それもまた彼女の『力』の効果なのか。混濁していた俺の視界の中のアイツがいつの間にか消え失せていた。
それでも残された葉巻の煙が俺の視界を曇らせ、臭いが理性を鈍らせる。
彼女の『首輪』がなければ、気の緩んだ彼らを一網打尽にしているかもしれない。
「もう、薬は使わないで。」
「!?」
残り香に抗う俺に、リーザが唐突に警告した。
「これ以上使ったら、取り返しがつかなくなるわ。」
もしかすると、彼女には見えていたのかも知れない。俺の、「本体」を。だが…、
「そんなに簡単に止められるのなら、とっくに止めているさ。」
薬があるからこそ、俺は今も生きていられる。
トッシュのような強敵を相手にする時のためのドーピングや鎮痛効果を言っている訳ではない。どちらかと言えば、それはついでのようなものだ。
俺にとっての「薬」は、俺の中にある唯一の「恐怖」を忘れさせるためにある。
『
……俺は、怖いんだ。
父と母の表情にダブって見える、『
――――あの目に見詰められると俺は意識の一部を削り取られてしまう。
気が付けば俺はあの場所に立っている。そこに強盗はいない。ナイフを持った
俺は、あの目を刺すような無駄に白い絨毯が嫌いだった。俺を見下すような白百合の絵が、大嫌いだったんだ!
……違う、俺は二人のことが好きだ。本当に、好きだったんだ!
……わからない。わからない。わからなくなるんだ!!
近寄るなっ!俺に、触るなっ!
そうして意識が戻る頃にはいつも、俺の周りには真っ赤な血溜まりができている――――
薬はそんな俺の「恐怖」を遠ざけてくれる。アレがなければ俺は、「生きている実感」に飲まれて狂ってしまう。
エルクに出会い、いわゆる「誓い」を立ててからは多少、症状が緩和した。
だが、それでも完全じゃない。俺と「
「…そういうことだ。」
「……」
俺は魔女に俺の弱みを『見せた』。これが伝わるのはもう、彼女しかいない。
「…私に手を上げさせないで。」
「……フッ、さすがにお見通しか。」
今ならハッキリとわかる。あの時、俺がこの女のクローンに求めたものが。あの男が俺に言った言葉の意味が。
魔女は俺の傍を離れた。
あの子の下へ、駆けていった。
あの子は不安げに俺を見詰めていた。
……いや、俺はその顔を見たことがある。
渇き、荒れ果てた砂漠の只中で、俺が突き付けるナイフを押しのけもせず、あの子は俺を見詰めていた……、
「ダズ……ゲテ…アゲテ……」
……お前はまだ、俺を見捨てないでいてくれるのか?
※シュウの家の絵と絨毯
125話『浮彫りの影 その五』でシュウがシャンテに語った彼の悪夢を示唆する光景の一つです。
真っ白な絨毯は母親が、白百合の絵画は父親が好きだったもので、どちらも強盗の手で(両親の血で)真っ赤に染められています。
その時、シュウは衝動的に強盗の背中を何度も刺して殺しています。
※鋒(きっさき)
一般的には「切っ先」と表記します。
ただ、刀の
※朝陽(あさひ)
本来は「朝日」と書きます。「朝陽」は「ちょうよう」と読みます。意味は同じですが。
※……お前たちが私たちを怖がらせるから。『彼女』がお前たちの相手をしにやって来るのよ。
92話『魔女の祭壇』でのリーザのセリフです。
※「ダズ……ゲテ…アゲテ……」
95話『悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その九』でエルクが白い家から逃げ出し、砂漠でシュウに出会い、置き去りにしたミリルへの救助を乞い願った時のセリフです。
※ホンマのあとがき
最近の投稿にしては短いですが、切りがいいのでここで区切っておこうと思います。