聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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媒介動物(ネズミ) その三

―――ロマリア市上空

 

「ち、ちょっとエルク、これ大丈夫なの!?」

「さぁな!」

「さあなって!?」

ヂークが対空砲に対処できるというから賭けてみたが…。

まぁ、戦闘機ほどの速度も出ない一般の飛行船でロマリア国の国境を無許可で侵入できたなら上出来な方か。

「万全ノ状態ナらこンナモン、屁でモなイんじャぞ!?」

「言ってる場合か!テメエの仕事に集中してろ!」

「エルク、下から何か来てるよ!」

チッ、戦闘機か?まぁいい、ここまで来ればあとは何とでもなるだろ。

 

前進を諦め、少しでも『力』を使っての着地の成功率を上げるために高度を下げていると俺にもソレが目に入った。

「なんだありゃあ!虫か!?」

羽を広げ、金属よりも滑らかな光沢を放ちながらこっちに向かってくるのは、クソデカいカブトムシの群れだった。

「エルク、あれ、雷の魔法使ってくるやつだよ!」

雷か。だったら船を囮にすればなんとかなるだろ。

 

考えている間にも、一発、一発と砲弾が船を噛み砕いていく。

「脱出するぞ!ポコ、俺に捕まってろ!」

「ワ、わシモ!」

「お前は自前のジェットがあるだろうがよ!」

「一人にスルな!」

「いいか、ポコ!舌噛むから口開けるんじゃねえぞ!」

ポンコツの泣き言を無視し、船の窓から飛び出して『炎』で虫たちの方へ船を弾き飛ばした。

 

反動で俺たちは船と反対方向へと吹き飛ぶ。

上手いこと船が陰になってくれたおかげで虫どもに狙われずに離脱することができた。

「エ、エルク~!」

「喋んなっつってんだろ!?口閉じてろ!」

地面までだいたい4、500mってところか。二人で着地ってのはあんまりやったことねぇけど…、なんとかするしかねぇよな!

 

余計な加速がつかないよう、ヂークを無理矢理引き剥がして『炎』を使うタイミングに集中した。

 

ドンッ!

 

「うわっ!」

ポコの面積が大きいからか。『炎』で発生させた上昇気流の衝撃がいつもよりデカかったけど、その後は調節してなんとか無傷で着地することに成功した。

空を見上げると虫たちは群り、船はボロボロに(むさぼ)られていた。

 

「え、エルク…、ここは、()()()()、まだ生きてるの?」

「おいおい、これくらいでボケてる場合かよ!敵陣の真っただ中だぜ?!」

「ワシは神ダ~~!!」

冷却装置(えんとつ)から大量の煙を吐きながらポンコツが腕をグルグルと回し始めた。

「お前までやってんじゃねえよ!」

「アイたッ!」

なんて漫才やってる場合でもねえ。

派手に着地したからすぐにでも連中がやって来る。少し遠回りして見つからないように研究所を目指さなきゃな。

 

「…おい、大丈夫か?」

着地の衝撃というよりも、あの高さから飛び降りたことに胆を潰しちまったのか。ポコの視点が未だに定まっていなかった。

「…僕、重かった?」

「は?…まぁ、重いっていうよりはデカいかな。」

「…ダイエットしよ……。」

「……」

痩せたらどうにかなるって話じゃあないけど、取り敢えずソッとしておくことにした。

 

運悪く近くを巡回していた憲兵を絞め上げ、研究所の位置を特定した後は何かに襲われるでもなくすんなりと侵入することができた。

要所々々の扉をポンコツが解錠し、得意満面だったこと以外は俺の拳が振り上げられることもなかった。

 

―――キメラ研究所、北エリア

 

露骨に俺たちを追い回す監視カメラが目に付いた。だけど手を付けないことにした。そうして相手の出方を見た方が、何も分からない現状を把握できると思ったからだ。

…すると、その効果はすぐに現れた。

 

「アーク!?」

そこに、手配書よりも若干老けた顔の男がいた。

「アンタには聞きたいことがあるんだ!」

「アーク?誰じゃそレ?」

他の賞金首にはない「威厳」のある佇まい。意志の強い、ククルと同じ眼差しが本人であることを十二分に物語っていた。

…だけど、それ以上に今の奴の表情にはとてつもない既視感があった。

「…違う……、」

ポツリと何かを呟いたポコを見て気付いた。

そうだ、ついさっきコイツのところの音楽家がしてた顔と同じなんだ。

この場で誰よりも率先して俺たちを先導しなきゃならない奴が、何かに困惑しているらしかった。

 

「……」

俺の名を呼ぶ少年がいる。…俺は()()()()()()()()()

俺は「白い家」を襲撃していたんじゃないのか?

追い詰めたはずのアンデルから返り討ちにされ、生存者の救出に専念しようとしていたんじゃなかったのか?

なのに、どうしてここにポコがいる?

どうしてそんな目で俺を見るんだ?

「アーク、騙されてはダメよ。」

「ククル、なんでここに!?」

振り返ると、いるはずのない彼女がそこにいた。

オカシイ、どういうことだ?!こんな所に彼女がいるはずがない!どうしてだ、ククル!どうしてその戦闘服(ふく)を着てるんだ!?

…いいや、まさか状況が急変したのか?奴らが、トウヴィル村を襲ったのか?!

「ククル…、村人は!?結界はどうなった!?」

 

アークがククルの肩を力任せに掴んで問いただしてやがる……、

「なんだ、何がどうなってんだ?なんでククルが…、」

場は混沌としていた。

この戦争の主役と、彼らに対し共感と猜疑心を持つ少年が現状を把握しきれず、常に研ぎ澄ましておくべき矛先がどんどんと鈍っていく。

「騙されるってどういうことだ?今、どうなってる。…イーガは?彼と落ち合う手筈だったんだ!なのになんでここにポコがいるんだ?!」

不測の事態が、彼の脳裏に最悪の運命(シチュエーション)を描かせる。

「落ち着いて、アーク。敵は私たちの偽物をけしかけて混乱させているの。」

「俺たちが偽物?何言ってんだ、ククル!」

思わず声を荒げたが、今の一言で少年は勘付いた。これが連中のお得意の作戦だということをスッカリ失念していた自分をなじった。

「おイ、ポコ。アれは、オ前の知り合イカ?」

そして、さっきまで情けなく放心していたポコの一言が場の流れを決定付けた。

 

「あれが?とんでもない!あんなもの、僕の大事な仲間とは似ても似つかないよ!」

「…ポコ……?」

「アーク、惑わされてはダメよ!アタシたちの『繋がり』を忘れたの?アナタはアレに少しでも“ポコ”を『感じるの』?!」

…確かに、「聖櫃の試練」を乗り越えた俺たちは、言葉にはしがたい、お互いの何かを『感じ取れる』ようになった。

だが、あの「ポコの姿をした何か」からは…、何も感じない!

正気を取り戻した青年が、確たる意思をもって聖なる剣を抜いた。

 

「まさか、エルクもアレがアークだって本気で思ってるのかい?」

似合わない高圧的な口調で問い詰めるポコの表情はどこか、偽情報(ウソ)を嗅ぎ分けるギルドの連中を相手にしているようにも感じられた。

「…悪かったよ、危うく俺も騙されるところだったぜ。」

そうだ、そうなんだよ。アイツらは『悪夢(ウソ)』で俺たちを掻き乱して、グチャグチャにして、大口開けて笑いやがるんだ。

「結局、敵ナノか?味方なノカ?どッちなんジャ?」

「黙って見てな。今、教えてやるよ。」

何も知らないヂークベックを残す四人は完全に臨戦態勢に入った。自分たちこそが「真実」なのだと信じて。

 

いくら「偽物」とはいえ、アレは「アーク」だ。手を抜けば次の瞬間に首が飛んでるのは俺たちの方かもしれねえ。

…一気に殺るしかねえ。

「炎よ――――、」

少年は『精霊』に呼び掛けた。

指輪が仄かな光を帯びると、全身に巡る血が導火線となって彼の体を内側から燃やしていく。

誰にも、その『炎』に触れることは叶わない。誰にも、その『炎』を消すことはできない。

(ただ)れた(まぶた)に収まる瞳に、奪われたものの全てが宿っていく。

「復讐」と「約束」、記憶には残らなくとも指輪に残った最愛の人の言葉が、彼を燃やす。

彼は、『炎』になる。

 

「ポコ、ヂーク、お前らはククルを!アークは俺が殺る!」

「…わかったよ。」

ポコは剣の柄を静かに握りしめた。その幼い顔付きとは裏腹に、鬼さえも噛み潰すような歯軋りを立てた。

彼が、この時ほど自分が戦士でなかったことを悔やんだことはない。

…アレを、討ち取る役目は自分でありたかった。

楽士、ポコ・ア・メルヴィルにとって「アーク・エダ・リコルヌ」を侮辱されること以上に堪えられないことはなかった。

アレが仲間の名前で呼ばれる度に、彼の血は黒く、濁っていく。激流のごとく、心臓(むね)を殴る。

 

だけど、ボクじゃその化け物は倒せない。ボクの剣が、一度だって君に届いたことがないから。……ボクが、いつまでも君に頼り過ぎてるから!

「あら、アタシになら勝てるとでも思ってるの?」

「ヤメロッ!これ以上、ボクの仲間を(よご)すなっ!」

小太りの楽士は専用のホルダーからソプラノサックスを取り出して素早く咥えた。

「それをさせると思うの―――っ!?」

一発のエネルギー弾が紫髪(しはつ)の少女の足元を穿った。

「ワシの子分ニ手を出すナラ敵ッチゅうことだロ?」

少女は()()退()()()。選択を誤った。もはや、着地も叶わない。

 

ピィィィィッ!!

 

響き渡る『高音』が研ぎ澄まされた鞭となって少女の右肩から左(わき)までを深く斬り裂いた。

ソレは飛び退った勢いのまま床に内臓を撒き散らし、()()()()()()()はあっけなく絶命してしまった。

「ククルッ?!よくも―――っ!?」

そして…、最愛の人だったものを目にし、激昂した青年が剣に『(かれら)』を召喚した時、彼は気付くべきではない()()()に気付いてしまった。

「…そんな…、まさか……、」

「よそ見してんじゃねえ!」

()()()()()()()()()』が襲いくる。それを肌で感じ取った青年は赤毛の侍との特訓で身に付けた体捌きで躱し、反撃に転じるも、突き出した剣は『炎の肌』を貫けずに()()()()()()

「グッ!」

『炎の少年』は体を捻り、槍の柄で青年の顔を横殴りにした。

そのまま怯んだ青年を仕留める……、つもりだった。

 

バキンッ!!

 

突如、冷気が空気を割った。巨大な氷柱が二人の間に割って入り、『炎の少年』の切っ先を弾いた。

「ッ!?……テメエらは…、どこまで俺をバカにすれば気が済むんだよ!」

少年の『(きおく)』が、その色に(ひる)んだ。声を荒げ、(おび)えた。

「…エルク、諦めて。」

その髪、瞳、声。

それらの幽玄と薄幸の象徴に触れたなら『(しょうねん)』の手足にはたちまち霜が走り、マグマのように煌々と流れる血もまた、決して溶けることのない氷雪に熱を吸われ、凍りつく。

 

「あの人には誰も敵わない。」

あの頃、高価な寝床よりも温かい夢を彼に与えていた声が、利子を取り立てるように彼を責める。

「アナタが負けを認めない限り、私はいつまでも闘わなきゃならない。私にはそれを拒むことができない。」

狭い施設では叶わない未来に想い馳せ、胸を熱くさせた澄んだ瞳が、レアステーキを切り分けるように彼の体を優しく撫でつける。

「……ううっ、」

立ち(すく)む少年に、昨日今日知り合っただけの幼い戦友が少年を想い、叫んだ。

「エルク、目を覚まして!」

少年も今や、彼を疑うことはない。

「わかってる!…わかってるけど……、」

 

これだけは…、どうにもならないんだよ!!

 

(かぶり)を振って指輪に心を寄せようとするも、その朝陽よりも肌理(きめ)細やかで神秘的な、

()()()()()()()()()()()()()を目に映したなら、たちまち少年の『悪夢』が優しく愛撫する。少年の耳元で、()()()()を囁きかける。

 

目が、離せないんだ!

 

……愛していた。…そう、身寄りも里も失くした彼は彼女に行き場のない感情の全てを捧げる覚悟を決めていた。

彼女は、残された唯一の人だった。神でもない。親友でもない。世界の何者でもない……。

あの金髪の女性(ひと)は俺の、全てだったんだ。

 

「ミリルは……、」

そうだ、彼女は「自由」になりたがってた。

 

俺も、彼女を救いたかったんだ。でも……、

「そうよ、エルク。目を覚まして。あの家にいた頃を、よく思い出して…。私たちは誰もあの白衣の大人(ひと)たちに逆らえなかった。」

「ミリル……、」

ポコはなおも友人の名を叫び『斬撃(サックス)』を繰り出すも、彼女がその紺碧の瞳で景色を撫でれば空気は凍て付き、『音』は落ちていく。

 

「私はもうイヤなの。闘いたくない。だから…、ねえ、お願い。もう許して…エルク。」

「俺は……、」

彼女が俺に許しを求めてる。それに応えれば俺も、許されるのか?……いいや、違う…、そうじゃねえだろ…っ!

「…テメエは、ミリルじゃねえ……。」

拳が、上がらなかった。その言葉を絞り出すので精一杯だった。

「エルク、その目でよく見て。私の何が”ミリル”と違うの?本当に短い間だったけど、あの”家”で二人で支え合った記憶だってあるわ。アナタの悲しい思い出も、好きなことも憶えてる。エルクが私に教えてくれたのよ?一生懸命、話してくれた。私、そんなアナタの姿を見ているだけで幸せだった。私を真剣に見てくれる人がそこにいるんだって思うだけで……、」

 

……ミリル、俺は憶えてねえんだよ。まだ、忘れたままなんだ。君を大切に想ってた気持ち以外の全部が朧げなんだ…。

だから、こんなクソみてえな俺に、そんな目を向けないでくれよ……。

 

「だから私、アナタを逃がして良かったって想うのと同時に、周りに残された全てが嫌になったの。毎日胸が締め付けられる思いしかしなかった。何もかもが腹立たしかった。そして、大好きだったジーンを傷つけても何も思わなくなった時、私、思ったの。もしもこの『力』がもっと強くなってあの人が私を認めてくれれば、もう一度、アナタに会えるかもしれないって。」

 

ヤメロよ……。今さら…、そんな『悪夢(はなし)』しないでくれよっ!

 

「そしたら…、本当にアナタに会えた。それも、()()()……。信じて、エルク。私は、私よ。ただ、()()()()()()。」

 

…卑怯だ。君がそれを認めてしまったら、俺は君を否定するものがなくなっちまうじゃねえか。

 

「エルク、お願いだよ、正気に戻って!どんなに似ていたって、アレはミリルさんじゃないんだから!」

…だったら、何が「彼女」なんだよ。

彼女の「心」がそこにあって、そこに彼女と同じ「体」があるならソレは「ミリル」以外の何だって言うんだよっ!!

「……」

「……」

俺とミリルの瞳に、俺とミリルが映ってる。俺もミリルも『悪夢』を映し合ってる。

偽物とか、ウソとか関係ねえ。……これは『悪夢(ゆめ)』じゃねえんだ。

夢じゃ、ねえんだよ……。

 

「エルク!」

「…分かってる。」

それでも俺はゆっくりと獲物を構えた。

切っ先を、()に向けた。

「どうして?認めてくれたんでしょ?私が”ミリル”だって。」

「……」

「この体は、()()()()()()()()()()()()?…どうしてなの?これ以上、()()()にアナタを傷つけさせないでよ!」

「…ミリル、()()()。」

俺自身、そんなつもりで言ったんじゃない。だけど、察した彼女の言葉で俺は「彼女」のことを想う自分に気付いた。

 

「…やっぱり、あの時の匂い、あの人が私からエルクを奪ったのよね?」

「……」

違うんだ、違うんだミリル。彼女は……、

「エルク、アナタはまた私をこんな気持ちにさせるのね。何度も。何度でも。」

彼女のオーシャンブルーの瞳の奥底から、白熱灯の人工的な光を押し返す輝きが溢れ出す。彼女の瞳が輝きで満たされるほどに空気が冷えて体が震え始める。

「私が殺戮しか能のない化け物だから?それとも、あの人の手で造られた偽物だからいけないの?……そんなにその子が良いの?」

違う、ミリルはそんなこと言わねえ……。

 

……なんでだよ。なんでそんなことが言い切れるんだよ?

 

俺は、それだけのことをしてるじゃねえか…。

「エルクだって、あの女が自分の身を護るためにエルクを操ってるって気付いてるんでしょ?」

止めろよ…。リーザだって、苦しんでるんだ。誰かが必要なんだよ。

「これ以上あの女と一緒にいたら取り返しがつかなくなるって、どうして分からないの?…私だって、こんなにアナタのことを想ってるのに……、」

止めろよ……、

 

「……」

彼女は何も言わず、どこからともなく一つの麻袋を俺に見せつけた。

「わかってた。エルクは選べない人なんだって。()()()()()()()()()()()()。」

丸く膨らんだ麻袋の底が、赤く濡れていた。

「……ヤメロ…、ミリル、それだけは……、」

俺はお願いしたんだ。それなのに、言うことを聞いてくれない君が悪いんだ。

「見て、同じ金髪でも、この女はこんなにも(いや)らしい色をしているわ――――っ!?」

その瞬間、俺は何も考えられなかった。ただ、それを見たくない一心で彼女を、袋ごと焼いた。

そのお陰で、袋の中身は俺の目に映るよりも早く炭化して砕けた。けれども彼女は焼け残り、呆然と俺を見遣っている。

…そしてその顔に、初めて表情らしいものが浮かび上がる。

「……フフフ、アハハハッ…。エルク、なんだか私、オカシイわ。是が非でもアナタを連れてあの人の所へ帰るつもりだったのに。今は凄くアナタを壊したくて仕方がないの!」

「…ミリル…、俺もだよ……、」

それでいい。それでいいんだよ。

俺たちには(はな)からそれしか運命(みち)はなかったんだよ。

 

俺は、構えた。構えることで彼女が俺を憎んでくれるならそれが一番、居心地が良かった。

「ダメだよ、エルク!」

勇者に選ばれた者も、兵器の頂点として造られた者も『氷の壁』に阻まれ、手も足も出ない。それだけ、彼女は強くなっていた。

手術を重ね、苦痛の中をただひたすら生き抜いた。全ては、彼のために。

 

……もう、わからねえよ、なにも……、

 

少年は整理のつかないまま、渾身の『力』で彼女を迎え撃つ。

わからないのなら、終わらせてしまえばいい。そう思った――――、

 

 

 

「諦めるなっ!!」

 

 

 

――――不意に、ハンドベルよりも凛とした叫びが部屋を満たした。

 

 

「……」

もう、何を見ても理解できない。

ポコがどうして顔を青くしているのかも。ヂークが何を真剣に見詰めているのかも。

彼女の胸から何が生えているのかも……。

 

「…どうして、アナタが……?」

血糊さえ寄せ付けない曇りなき(つるぎ)が、触れ合えばウィンドウチャイムの音が聞こえてくるような繊細な光を放つプラチナブロンドの髪を掻き分け、少女の小さな胸を貫いていた。

「…闘うんだ。」

たった一つの恋を護るために誰よりも「強さ」を求め、見事勝ち取ったはずの少女の背後に、剣の輝きを宿した瞳の青年が立っていた。

そして、剣を伝い、青年の手を少女の赤い涙が濡らした。

「俺たちは、闘い続けるべきなんだ。」

 

青年は知っていた。

 

かつて目の前で、数百の命が手を差し伸べる間もなく爆撃され、焼き払われた。

無慈悲と無残、それが爆撃の産み出す光と音の形だった。

高台で立ち(すく)み、その光景を見下ろすことしかできなかった彼は無力で、無価値だった。

爆撃を見届けた後には何も残ってはいなかった。

 

…何も……、

 

それでも「戦争」は彼を闘わせた。片時も彼を休ませはしなかった。

心は燃え盛る光景に囚われ、ひとりでに大きくなっていく『力』はあの部族を焼き払った炎よりも大きく、強くなっていく。

どんなに輝かしい勝利を手にしても、後ろ暗い気持ちが彼の胸に巣食った。

それでも敵の血をまとう剣を握りしめ、振るい続けたある時、ふと隣を見遣り、彼は思った。

 

――――彼女はどうして俺の傍から離れないんだ?

 

彼女は俺の隣で拳を振り上げ続ける。どんなに恐ろしい戦場に立っても、逃げ出さない。……あの爆撃を目にして、どうしてそんな強い顔をしていられるんだ?

たとえこの戦争で勝利してもあの人たちの命は還ってこない。あの顔も、悲鳴も、俺たちの記憶からは消えない。今の俺たちは誰のために、何のために闘っているって言うんだ?

理解できなくて、意味が見出せなくて、俺は彼女に打ち明けた。すると彼女は俺の頬を叩き、声を震わせて「闘え」と命令した。

遂には、いつだって勝ち気で誰に対してもふんぞり返っている彼女が、俺の胸に顔を埋め、泣き出した。

その瞬間、俺は…、人間は、なんて愚かなんだと思い知らされた。

 

――――誰のため?何のため?そんなもの、決まりきってるじゃないか……、

 

始まりは「崇高な志」が俺の剣と鎧なんだと、彼らと俺の意志は一つなんだと天狗になっていた。

…けれど、彼女の涙が俺に気付かせてくれた。

俺の剣が折れないのも、俺の鎧が砕けないのも「俺」のためなんかじゃないんだと。ましてやサリュ族のためであるはずもなかったんだ。

そう、全ては「崇高な志」自身のためだったんだ。

俺たちは共通の敵を相手に闘ってる。……だからって、騙されちゃいけなかったんだ。

あの包み込むような声も、真理に満ちた目も、俺が闘ってる相手と何も変わらなかった。

初めから、「()()()()()()()()」は俺にしか護れなかったんだ。

サリュ族たちは還ってこない。

けれどももしここで俺が諦めてしまったら、この熱い気持ちをあの勝ち気な瞳に向かって叫ぶこともできなくなってしまう。

そんなこと、許せるはずがない。

 

俺は今も「崇高な志」と共に剣を掲げる。だけど、俺の戦場には俺しかいない。

俺の『力』なんてたかが知れてる。第二、第三の「サリュ族」も目にするだろう。

それでも闘い続けるしかないんだ。全ては()()()()()……。

 

 

君も彼女と同じはずだ。だから、どんな痛みにも耐えてこられたんだろ?だから、泣いているんだろ?

だから、()()()()()()()()()

 

青年は手に絡み付く少女の気持ちを想った。言動(ウソ)の裏で足掻き続ける少年への気持ちを。

「ムダよ、あの人が、許さないわ……、繰り返す、だけ……、」

途端に、少女の体が熱を帯び始めた。かつて、胸打つ恋人たちを殺し損ねた『悪夢(ひげき)』が、今度こそはと小さな心臓を砲撃のように激しく打ち始める。

「…安心しろ、次はないさ。()()()がなんとかしてみせる。」

「……!?」

闘い続ける青年の『気持ち』がそれを許さなかった。貫いた剣を通して少女の心臓を一思いに壊した。

「…あぁ……、」

少女は逆流する血とともに、「あの人」の糸が切れるのを感じ取った。

彼女は「糸」が切れると同時に動かなくなった唇の代わりに目を細め、薄っすらと笑ってみせた。

 

自分の正体を受け入れた青年は、笑顔のまま凍りついた少女を寝かせると、呆然自失の楽士へと振り返る。

その表情に余裕はなく、額には大粒の脂汗がいくつも浮かんでいた。

「ポコ、ごめん。こんな俺だったとしても、お前を疑うなんて、ヒドいよな。」

「…ア、アーク……、」

躊躇(ためら)った。けれども、その声色は間違いなく彼の憧れる人のものだった。「諦めるな」、「闘え」と彼女に伝えた言葉は彼の腰に吊るした信頼の証そのものだった。

「もしまた別の俺がお前の前に現れても、お前の手は絶対に汚させない。約束するよ。」

 

青年の耳にだけ聞こえる嘲笑の入り混じった「天啓」が、偽物(かれ)の手足に執拗に「糸」を張り巡らせる。

けれども、人形(かれ)は抗った。かつて、悪魔が最も愛した少女のように。

自分の喉元に剣を押し当て、

「アークっ!!」

……命を断った。

 

 

 

茶番だ。

 

何もかも。

彼はポコの想い人本人ではないし、彼の言葉が本心なのかどうかも誰にも分かりはしない。

それでも、大切な人の顔や声に迫られて冷静さを保ってはいられなかった。

しかしそれは、彼が未熟な「子ども」なのだからではない。二人が培ってきた短くも濃厚な時間が、肉体(からだ)や魂という個人の領域を超えて繋がっていたからだ。

彼が「アーク」であろうとなかろうと関係ない。

彼が「()()()()()()()()()()()が、彼の大事な親友のソレと繋がった結果だった。

モニターの向こう側で悪魔はきっと、かつてと同じ言葉で叫び、身悶えしていることだろう。

 

――――ああ、これぞ”人生”よ!




※クソデカいカブトムシ→原作のラ・アピス(赤くて小さい方のアピスです。)
この「ラ・アピス」、同じグラフィックで「コ・アピス」という名前が付いている気がします。
どっちかが青くて小さいやつなのかもしれませんが、ちょっとその辺の区別がつきませんでしたm(__)m
ちなみに赤くて大きいカブトムシが「グラ・アピス」。青くて大きいのが「ムル・アピス」……だった気がします。

※クローンたちの記憶と言動
彼らの記憶は採取したDNAの時期に左右されていますが、人為的に操作することもできます。
さらに、今回のククルのように、完全に操ることもできます(そうじゃないと生物兵器として意味ないしね)。
ガルアーノは舞台上の混乱を楽しむためにわざと記憶や意識をそのままにしたり、一部を操ったりしています。

※幽玄(ゆうげん)
理解の及ばない奥深さを持っているさま。世俗にはない神秘的なさま。語らない美しさを含むさま。

※「…やっぱり、あの時の匂い、あの人がエルクを私から奪ったのよね?」
”悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その十八”で、エルクがミリルを負ぶって「白い家」から脱出している時、ミリルはエルクからリーザの存在を感じ取るシーンがあったのです。

※「ああ、これぞ人生よ!」
”悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その十九”で、モニター越しにエルクとミリルの苦悩を見ていたガルアーノが興奮気味にアンデルに語った言葉です。

※ミリル再登場?
私の完全なる勘違いでした。
なぜかミリルと戦うシーンがキメラ研究所でもあると思い込んでいました。
ですが、気付いた時にはすでに”共謀者 その三”で取り消せないミリルの伏線を張ってしまったので、やむを得ず起用しました。

実際には(原作では)、エルクとポコはアークとククルのクローンとしか戦いません。

しかも、リーザの生首使うとか……。”炎の剣”でも使ってたよね?あんまり同じネタをコスるのは感心しないぞ☆彡(……ホンマ、すんませんm(__)m)

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