聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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金髪の少女 その一

ユックリと回るファンを見詰(みつ)めながら、夢から覚めたばかりの俺の「視界(しかい)」と「思考(しこう)」のズレを少しずつ(なお)していく。

 

(さび)れたアパートの一室(いっしつ)粗末(そまつ)な家具がチラホラと置いてある。通信(つうしん)傍受(ぼうじゅ)機器(きき)重火器(じゅうかき)無造作(むぞうさ)に置いてある(あた)りが、無理に一般人を(よそお)うとしない彼らしい部屋だと思えた。

「エルク……さん。」

顔を倒せばそこには、重たい表情で俺の顔を(のぞ)()む女の子の姿があった。

「すまねえな。いつものことなんだ。気にしないでくれよ。」

病人の「大丈夫」ほどあてにならないものはない。運の悪いことに、この子もそれを知っているらしかった。

俺を見る女の子の表情は一向(いっこう)に晴れる気配(けはい)がない。

それは、この町の空の下ではどこか不自然な表情に見えた。

 

ここ、インディゴスは大国アルディアで二番目に大きな都市。国の玄関口で(はな)やかなプロディアスの影でできた、どこかイジケた空気の(ただよ)う町。

そんな町に先進国特有の゛我れ関せず゛の性格はとてもよく似合(にあ)っていたし、だから反対に、この子の表情が滑稽(こっけい)にも見えてしまう。

でも俺はこの町の余所々々(よそよそ)しい空気も、(たの)んでもないのに心配するお節介(せっかい)な顔も嫌いじゃない。

「大丈夫だから。だって――、」

ユックリと体を起こしながら笑顔をつくってみせる。

「――、こんな仕事をしてりゃ悪夢の一つや二つ見るのが当たり前なんだよ。」

でも、「人を気遣(きづか)う」なんて器用(きよう)真似(まね)は、根っからガサツな俺にはそもそも向いていなかったらしい。

…あの夢の後では特に。

「そう。」

(うなず)きながら、女の子の顔はやっぱり少しも晴れない。

なんだったら、俺よりも苦しそうな顔をしているんじゃないか?

 

…チクショウ。

 

 

「シュウは?」

俺は、昨晩(さくばん)まで今後の打ち合わせをしていた家主(やぬし)の名前を出してみる。

「出ていったわ。仕事だって言って。」

ふと重く感じる頭に()れてみると、愛用のバンダナが(しぼ)ってない雑巾(ぞうきん)のようにグッショリと汗で()れていた。

胸に手を当ててみて初めて心臓がバクバクと(はげ)しく脈打(みゃくう)っていることに気付いた。

思っていた以上に()い『悪夢』を見ていたらしい。

意識(いしき)すると、フラッシュバックみたく脳裏(のうり)にあの情景(じょうけい)(よみがえ)った。

情景がまた、汗と動悸(どうき)をインスタント感覚で(さそ)いやがる。

この子の表情が晴れねえはずだ。

 

表では平気な(つら)をしていたって、頭の中ではあのクソガキがずっと悲鳴(ひめい)を上げ続けてやがるんだ。

あのガキはそれを目の前の女の子のせいにしてやがるに(ちげ)えねえ。

悪夢(ゆめ)』の中のあの子とこの子を勝手に(かさ)ねてやがるんだ。

勝手に助けた俺を(なじ)ってやがるんだ。

 

多分、『悪夢(やつら)』が本気を出せば、俺の見てる「現実」なんて一瞬(いっしゅん)()(つぶ)されちまう。

俺に抵抗(ていこう)させる(ひま)なんか(あた)えず。

そういう一切合切(いっさいがっさい)過ち(ミス)(ののし)るために、アイツは俺のコンディションを(くる)わせ、この子を不安にさせてるんだ。

 

…クソッたれ

 

 

「あの…、」

女の子はまだ俺を見ていた。

 

(あらた)めて見ると――初めて会った時にも思ったが――、どことなく野鹿(のじか)彷彿(ほうふつ)とさせる子だった。

手足には山を()(まわ)った自然な筋肉がついていて、遠くの木の実を探す高い鼻と大きな(ひとみ)

そして、(もう)(わけ)程度(ていど)のそばかすが(あい)らしい。そう思えた。

「悪かったな。飯にしよう。」

「…はい。」

何か言いたげな様子だったが、俺は()えてそれを無視(むし)した。

……言い方が悪いな。

俺は無駄(むだ)に心配させまいと()()()()()()()()()()()

 

それはそれとして、彼女の声は不思議と(しず)んでいる俺の気分を明るくさせた。

今でこそ、その声色は沈んでいるけれど、それでも、山間(やまあい)で羊たちを追い回してきたとわかるよく通る、()んだ声はこんな時でも俺を魅了(みりょう)させた。

そんな野鹿の髪は、収穫(しゅうかく)()げる稲穂(いなほ)のように(ほが)らかな黄金色(こがねいろ)(かがや)いている。

 

ふと、彼女が危険とは無関係の、ただの「田舎(いなか)娘」であれば良かったのにという(みょう)願望(がんぼう)(よぎ)った。

だけど実際(じっさい)の彼女は、ご丁寧(ていねい)に「非常に危険(ハイリスク)」って名前の包装紙(ほうそうし)(つつ)まれて俺の前に(あらわ)れたんだ。

 

 

野鹿の名前はリーザ。

(くわ)しい素性(すじょう)経緯(けいい)はまだ聞き出せていないが、2日前に彼女を(かくま)ったことで俺は少し厄介(やっかい)な事件に首を()()んじまったらしい。

一流(いちりゅう)傭兵(ようへい)賞金(しょうきん)(かせ)ぎもできることなら目を()らす。それだけでかいヤマだと、シュウは言いきったし、俺もなんとなくそんな気はしていた。

それでも俺は彼女を(ほう)っておくことが()()()()()()

正義感なんて(うす)っぺらいもんじゃない。

()もりに積もった『悪夢(やつら)』を(だま)らせるため、俺の強さを見せつけるためにやったんだ。

 

あの時、あの飛行船の甲板(かんぱん)で、奴らは俺に(なさ)けをかけようとしやがった。

あろうことか、俺は『悪夢(ゆめ)』の中のガキみたく黒服たちに(つぶ)されそうなリーザを見捨(みす)てようとしてやがったんだ。

それに気付いた時、俺の手の中で聞き覚えのあるオルゴールが鳴り始めてた。

そして、その音色(ねいろ)に乗ってやってきた『悪夢』はこう言いやがった。

「アナタだけでも、逃げて……」

…フザケんなっ!!

俺をバカにするのもいい加減(かげん)にしろよ!?

そう思った時にはもう、俺の手は彼女の手を引いてた。

 

彼女を連れてシュウのアパートに逃げ込んだ時、シュウはそんな考えなしの行動を(しか)った。

…けれど、その行動自体を否定(ひてい)はしなかった。

理由はわからない。

わからないけれど、少なくとも彼はこの子の未来を一緒(いっしょ)(かた)ってくれたし、その間は俺の手足になってくれると約束してくれた。

 

…もしもあの時、逆にこの子を見捨てていたらシュウは俺を否定してくれただろうか。

 

 

 

「ちょっと待ってろよ。すぐ用意すっから。」

人のために飯を作るのは(ひさ)しぶりだった。

「うん。あ、はい。」

彼はほとんど家には戻ってこないから、ここにある食材といえば保存食ばかりだったけれど、冷蔵庫を開けると(かろ)うじて2人分の卵とベーコンが入っていた。

「そう(かしこ)まるなよ。これから少しの間、一緒に行動するんだ。今からそんなんだとすぐに息が詰まっちまうぜ?…って、なんか食べられないものってあるか?」

「……ううん、ないわ。」

視線が合うとリーザはすかさず泳がせ、何かしら言いたそうに口籠(くちご)もった。

「どうしたんだ?」

迂闊(うかつ)にも、俺はそう口走っちまった。

彼女の瞳は俺の言葉に(したが)うように()(なお)る。そして、言った。

「エルクの見た夢、それってエルクの過去のことなの?」

また、冷や水をぶっかけられたかのような、胸を()(やぶ)らんばかりの動悸が俺に眩暈(めまい)を覚えさせた。

 

どうして知ってるんだ?

誰が(しゃべ)った?

シュウしかいない。

けど、どうしてそんな軽率(けいそつ)なことを?もしくはこの女自身が――――。

疑問(ぎもん)が疑問で答え、『悪夢』の(うす)ら笑いが俺の脳裏(のうり)()()くす。

「シュウから聞いたわ。昔の記憶(きおく)()くしてしまったんだって。」

 

俺は手にしたフライパンを力のままに床に叩きつけた。

番犬が女の(そば)に駆け寄り、毛という毛を逆立(さかだ)てる。

言葉が出ない。息が()まる。

デリケートなんてもんじゃない。

それは俺の逆鱗(げきりん)であって弱点なんだ。

俺自身何も分かっていないのに、ろくに整理(せいり)もついていないのに、昨日今日会ったばかりの他人に突然(さわ)られてジッとしていられるはずがないだろ!?

だいたい、この女はどうして俺の『悪夢(ゆめ)』に執拗(しつこ)(から)んでくるんだ!

 

思いつく限りの罵声(ばせい)()びせようかと思った。何なら立て掛けてある(やり)滅多(めった)()しにしてしまおうかとも思った。

でも、どうやらそれは(たん)なる強がりで、実際(じっさい)の俺はその正反対の行動を取っていた。

フライパンを叩きつけたままの姿勢(しせい)で全身が強張(こわば)り、(ふる)えていた。

(こわ)れた時計のように奥歯をガチガチと鳴らしていた。

恐かったんだ。自分でこの状況(じょうきょう)(まね)いたってのに、リーザが「金髪の女の子」というだけで、今さら俺はガキのように(おび)えてるんだ。

 

数秒後、あの魅力的(みりょくてき)な声が意味深(いみしん)な言葉を()きやがった。

施設(しせつ)には、そんな子が沢山(たくさん)いたわ。」

「……なんだって?」

少し上ずった気がする。

そんな俺を見て、彼女は殺気(さっき)立った野性動物でも相手にするかのように声色(おだ)やかに話し始めた。


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