明朝、俺たちは敵の本陣に攻め入る。
モーリスたちにはそれぞれに必要な準備、休息を取らせ、俺たちはアジトを後にした。
「あの少年、置いていくんだね?」
店じまいをするフレッドが、声を掛けずに出ていこうとするトッシュの背中に聞いた。
「バカだが俺に盾突くようなタマなんだ。今、ここで死なせるのは勿体ねえだろ?」
「…そうだね。あの情熱は他のことに使った方がいい。もっと、この国を良い国にするために……。」
「…良い国か。そのためにゃ俺たちがこの国をギタギタに壊して
俺にはトッシュの言葉に現実味を感じることができなかった。
いかに「アーク一味」という最強の賞金首の名をもってしても、最強の国を世界に証明し続けている「ロマリア」を前にすればそれは、大海の直中でサメの大群に挑むたかだか十匹足らずの獅子の群れのように思えた。
それ程に、「ロマリア」は人間に取って代わる怪物を日々産み落とし、世界に放流している。
そう、「ロマリア」は国境という線引きの一切を許さない、大陸を呑み込む大海そのものなのだ。
「外は暗い、気を付けるんだよ。」
「…ああ。」
そんな連中相手に、
大海の
俺には海底に構える主がどんな姿をしているのかさえ想像がつかない。
「後悔してんのか?」
「…いいや。ただ、この戦争の向こうに自分の立っている姿が思い描けないだけだ。」
フレッドの言うように、今夜は雲が厚く、月も星々も完全に塗り潰していた。
この時間に営業している娯楽施設は一件もない。製鉄や武器を製造する工場がいくつか稼働しているくらいだ。
軍事国家ロマリアは先進国に数えられるが、ここ「クズ鉄の町」は今、
「…トッシュ、どうした。」
俺の憂鬱を気に掛けていたはずのトッシュの様子がおかしかった。
「……」
町を覆う
そんなドブネズミたちを睨み、トッシュは何かを思っていた。
「…シュウ、今から俺たちだけでやるぞ。」
「……」
俺と一緒にアジトを離れた時点で予想はできていた。
ダニーという「命知らず」を前にして焦りを覚えたのかもしれない。
もしくは…、俺と同じようにあのアジトで俺たちの作戦を笑いながら見下している「敵」の存在を
「笑うなよ。……くだらねえ予感だ。」
「…良い予感ではなさそうだな。」
「…わからねえ。」
先入観は与えなかった。俺たちが抱えるそれぞれの憶測で内部崩壊を狙っていないとも限らないからだ。
…それに、トッシュの「予感」はどうやら俺の「疑念」とは全くの別物だったらしい。
「だけど、この感じは忘れられねえ。あの時と同じだ。」
トッシュは闇夜の中に「
俺はその過去を知らない。
だが、それはもはやこの舞台の上ではお馴染みの物語だ。聞く必要もない。聞きたくもない。
――――気取るな。キサマはまだ『悪夢』の何たるかを理解しちゃいない
「わかった、やろう。」
これが最善だとは思わない。だが、彼がこれ以上我慢するようにも思えない。
彼の無謀を受け入れるか。彼の予感を無視し、彼らを危険に晒すか。…選択肢など初めからないのだ。
「…恩に着るぜ。」
怒れる肩がようやく落ち着きを見せると、あまり意味のない一言を添えた。
「やれると思うか?」
彼は自分が戦うことに対しての不安は全くない。そして俺を信用してくれている。だからこれは俺たちの息を合わせるためのただの「コミュニケーション」だった。
「問題ない。ロマリア軍にいた頃、俺は一人で多くの組織を潰してきた。今は二人、お釣りがくる。単純な計算だ。」
「ハッ。本当に、アンタが来てくれて助かったぜ。」
「お互いにな。」
――――見せてやるよ。キサマの思い描く地獄ってのがどれだけ甘っちょろいか、教えてやるよ
行動するのが二人だけならなにも大掛かりなことをする必要もない。俺たちのやり易いように侵入すればいいだけの話だ。
ただし、「
だが、「狼煙」が上がればレジスタンスたちは俺たちが裏切ったことに気付くだろう。
それでも彼らは、俺たち抜きで「ロマリア」に挑むだろうか。
…それは、「モーリス」が何者かに掛かっている。
…そうだ。奴が何者かだけでもハッキリさせておく必要があるように思えた。だが、トッシュは奴を疑っていない。
付き合いは俺よりも長く、トッシュの鼻が鈍いとも思えない。
ならば、彼が俺を信用しているように、俺も彼を信用するべきだろう。
そう思うことで俺は、彼らが暴挙に出るかもしれないという心配事を忘れることにした。
であれば「飛行船の破壊」も視野に入れるべきかもしれない。
そもそも、「列車の破壊」は敵の目を引き付けるためのものではない。「狼煙」とは別に理由がある。
“白い家”でみすみすガルアーノを逃してしまったように、今回も列車を利用して倒すべき敵を取り逃がしてしまうかもしれないという
さらには、これらの交通機関はロマリア軍、いいや、ロマリア政府の生命線だ。であれば、復旧は最優先事項になり、逃亡する俺たちへ必要以上の追手を放つこともなくなる。
しかし、破壊して利点を得られるのは「俺たち」であって、ロマリア国、特に製造関係の工員たちには大きな負担を与えてしまう。場合によっては関係のない市民にも強制労働が課せられるかもしれない。
彼らの生活は過酷を極めるだろう。だが一方で、労働力として利用するなら連中が「尋問」と称して積極的に国民を処分することもなくなるだろう。
そして、この作戦が成功しようと失敗しようと、俺たちの襲撃によって「レジスタンス」への圧力は増々大きくなる。
俺たちが脱出の手引きをしても、彼らが裏切り者の手を借りることはないだろう。
だがもしも、モーリスが本当にトッシュの信頼に足る人間なら、交通機関の混乱に乗じて独力で脱出することもできるだろう。
そういう意味でも「破壊」の規模は大きいに越したことはない。
選ばなければならない。「作戦とレジスタンス」か「ロマリア国民の生活」か。
「…放っておいても、俺たちが本腰を入れるまでに奴らはロマリアを喰い尽くすんだ。やるしかねえだろ。」
もちろん本意ではないだろう。だが、トッシュは「他人」を切り捨てた。
――――ロマリア空港、線路付近の森
ここに至るまで、警備の数は相応で「敵の動き」を感じるようなものはなかった。敵に見つかるヘマもしていない。
トッシュの「予感」に確証を得られるものはない。そのお陰で作戦は万事順調に進んだ。
…だのに、トッシュの臆病風がうつったのか。逆にそれが、俺にも陰湿な不安を臭わせた。
そしてそれが奴らの得意技であると主張するように、空港を目の前にして
「…おい、こりゃあ、どっちだと思うよ?」
「……ここは俺が引き受けよう。アンタは引き返せ。」
言い終わるや、鞭打たれた馬のようにトッシュは
「止ま―――っ!?」
駆ける先に、地面からヘドロ状の何かが突出したかと思いきや、鞘から走った一閃がヘドロを両断した。
それだけではない。無数の「黒い塊」が、中空を染める漆黒の巣から蜂のように飛び出しては赤毛の侍を襲ったが、一度鞘から解き放たれた妖刀は光を呑む闇よりも速くこれらの体節をことごとく斬り落とした。
ソレらに「痛み」など備わっていないのかもしれない。だが、手足を斬り落とされては獲物を追うことも叶わず、地べたで藻掻くことしかできない。
ドンッ!
黒装束の投げた
「……」
その線引きされた戦場の内側で、彼らの同類が森を築くようにユラリと居並んだ。
「
コレらは「死者」ではない。それだけで、『影』がこの半端者たちを恐れる理由は何一つない。
どうせキサマらは何も吐かないだろう。だから俺が何か言う必要もない。
「だが、全ては手遅れだ。」
……容赦する必要も…、
一方は微細な細氷が集合した魔人、一方は闇夜の泉に二粒の蒼い
銃や拳で、もちろん刀でさえ彼らの息の根を止めることなどできるずもない。
ましてや月明かりのない夜。相手の姿はおろか、足元を確認することすら困難なはず。
しかし、『影』が古巣の歩き方を誤ることはなかった。
滑らかに、群がる人影の牙を
鋼鉄の硬度をもつ細氷の体に弾かれたソレとの間に火花が散って初めて闇夜に「ナイフ」が浮かび上がる。
「理解できたか?キサマら人間が戦場に立つ時代は終わった。」
砲弾のように重厚な拳が迫り、回避を余儀なくされる直前、『影』は魔人の体を撫でまわした。
「…バカな。触れればキサマが凍るだけだと――――!?」
闇夜という怪物が、轟く
一帯は木々が生い茂っている。たちまち火の勢いは強くなり、騒ぎに気付いた彼らの上辺だけの仲間が銃を携えて駆けつけてくるだろう。
しかし、ここにはもう、「闇」はない。霜を癒す「冷気」は友を差し置いて遥か彼方へと逃げ去った。
魔人の肺には今、彼を殺す熱い熱い血の色をしたものが流れ込んでいく。
「マヌケめ…、貴重な爆薬なのだろう?」
燃え広がる海の中、炎に溶けない『影』が細氷の魔人を殺人鬼のような目で見下ろしていた。
「あとどれだけ、同じ手が使えるかな。」
瞬く間に『凍結』させる術を持っているはずの魔人が、口を開く度に「熱気」が内に潜り、彼を世界から排除していく。
「残された爆薬が…、キサマらの、死へのカウントダウン…、ということだ。」
ドンッ
『影』は試してみたが、瀕死の状態でさえ銃弾が魔人の頭を貫くことはなかった。
「ククク、そうだな…。ロマリアの中にはまだ、ソレの通用する者も…、いるだろう。」
それは助言ではない。
「だが…、何も変わらん。」
末期の目が、恨めしそうに『影』を睨み付けた。
「我々は無限に、産まれる…。この世界に人間が産まれ続ける限り…、永遠に……、」
末期の唇が、口惜しく呪詛を吐いた。
人間への、世界への憎しみを。
すると、彼らの代弁をするように、『
――――逃げたければ逃げればいい。俺の忠告も聞かず、キサマは選択を誤った。だが、戦場は出入り自由だ。…『悪夢』は
「黙れ。」
シュウは「作戦」を捨て、赤毛の侍を追うように踵を返した。
自分たちは
――――クズ鉄の街、酒場「栄光の杯」、地下
「……」
モーリスは見抜いていた。彼らが自分たちを置き去りにして全てを解決させようとしていることを。
それで彼らは自分たちを救ったと勘違いすることを。
だからこそ、あらゆる事態に備えていた。
「……」
抜かりはなかった。その日までは、
―――私が皆のロマリアを取り返してみせるっ!
今日、この日、かつて誰かが何かに誓いを立てた愚かな
かつて誰かが誰かに向かって吐いた臭いセリフが、彼の鼓膜を揺らすまでは。
それだけが、彼の、唯一の誤算だった。
「…こんな、はずじゃ…、なかった、んだ……、」
見下ろす赤毛の男に、彼は歯ぎしりし、涙が床を打った。
「…こんな、はずじゃ………、」
彼の耳は削げ落ち、口の中は咀嚼したかのような肉が一杯に詰まってる。憎らしい男を睨み付けていた鋭い目も潰れていた。
それでも彼は今、誰に抱かれているか理解していた。
「…ダ……、」
泣きつく相手を間違えていることくらい、わかっていた。
それでも、伝えない訳にはいかなかった。自分が命を捧げた「理由」を、護る努力を放棄することができなかった。
「…たす…け…て……や……、」
それが、彼の最後の願いだった。
※微細な細氷が集合した魔人→原作の「氷の魔人」のことです。
※闇夜の泉に二粒の蒼い宝石を落とした人影→原作の「ダークストーカー」のことです。