「…これはいったいどういうことですか?私は、殺すようにお願いしたはずですが。」
許可なしに造った裏口から宿屋の一室に入ると、あのハゲ頭は俺たちの姿を見るなりなんの悪びれもなく言いやがった。
「……この野郎…、」
ここに来るまでに事情を聞いてなかったらさすがの俺でも今の瞬間に、その澄ましたハゲ面をぐちゃぐちゃに潰れたトマトに変えていたと思う。
だけどコイツはバカじゃない。敵わねえと分かっててケンカなんか吹っかけねえ。だからここで俺が手を出せばそれこそこのハゲの思う壺ってことだ。
俺が乗せられちゃあ意味がねえ。俺たちがコイツらを騙さなきゃいけねえんだ。
「…なんだよ。」
シュウは横目で俺に鋭い視線をくれやがる。
「なんでもない。」
でも、その目がなけりゃあ一発くらいは
トッシュが最低限の条件をクリアしたと判断したシュウは早速、獲物を促すトラップを仕掛け始めた。
「現場の判断というヤツだ。だがこれ以上の茶番は必要ない。キサマの望みは叶えてやる。」
「…と言いますと?」
「明日、俺とトッシュでロマリア市内への道を開く。今の内に仲間に召集をかけておけ。」
これまで抱えてきた
「…明日とはまた随分と急な話ですね。作戦は決まっているのですか?」
「ああ。そのために、お前たちと情報共有をしたい。それが済み次第、俺たちは準備に取り掛かる。」
「なるほど、分かりました。では場所を変えましょう。私は先に行って仲間に状況を説明しておきますので。アナタ方は少し間を置いてから来てください。」
モーリスは顔をしかめたまま、しかし、確実に高揚した様子でいそいそとアジトへ向かう支度を整え始めた。
その誤魔化しきれていない落ち着きのなさから、悲願への興奮とは別に「何か」を避けている様子も窺い知れた。
昔の俺ならそれを無視していた。他人事に首を突っ込むほどお人好しではなかったからだ。だが今は、「目に映る人間」と自ら関わりを持とうとする「奇妙な自分」がいる。
自分の中に、「自分」だけでは解決できない問題が生まれ始めたからなのかもしれない。
「他人との協力」が必要だという事実を受け入れ始めている。ミーナやビビガのように「人間」への理解を深め合うような……。
――――そうやって死なずにすむ連中を巻き込むのが最近のキサマの殺り方か?
「…待て、」
「まだ何か?」
こんな機密性のない
俺はそれに構わず…、いいや。だからこそ俺は、直接作戦に関係のない「面倒事」に手をかけた。
「このまま作戦を実行に移して、上手く連携を取る自信がキサマにはあるのか?」
『……』
今度こそ、二人はそれに相応しい目付きで睨み合った。
「時間はまだある。少なくとも指揮を
俺はトッシュに前を譲り、二人の空気を妨げないよう部屋の隅で僅かばかりの休息を取る。
「モーリス。テメエ、このまま何の落とし前も付けずに先に進めると思ってたのかよ?」
「だとしたらどうだと言うのですか?私は常々思っていました。あなた方は一人ひとりが軍隊であるかのような強者だ。今までに何度もその”鬱憤”を強敵にぶつけ、”勝利”に置き換えてきたのでしょう?」
「……」
「ですが、私たちは弱い。中には
「…だから俺はテメエらを犬死にさせねえために機を
モーリスは
「…何も分かっていない。」
「何?」
「アナタはいつから私たちがこの活動に身を置いているか知っているはずです。」
「……」
モーリスは辺りに散らばった無数の紙切れを集めながら答えた。
「5年です。5年前、知り過ぎた私は軍に
眉間に皺を寄せ、一枚一枚丁寧に拾いながら語るモーリスの姿にはどこか信仰めいた空気を感じさせた。
「私たちは堪えた。いつ終わるともしれない試練を。そして昨年のニュースを耳にして歓喜しました。彼らこそ、あの方の言っていた”光”なのだと確信したからです。そうして、かの老魔導師が接触してきた時は興奮で数日震えが止まりませんでした。」
二人は五年前のモーリスがどんな志を持っていたのか知らない。
しかし、「モーリス」という男の人間性は確実に「その時」に形成されたのだ。
謎の男に救われる直前、彼は今よりも遥かに救いようのない絶望の淵に立たされていた。
ロマリア軍に在籍していた彼は、作戦のための情報収集を行っている折に軍内部に『化け物』が混じっているという実態を知ってしまう。
あまつさえ自分たちはその『化け物たち』の理想のために戦っていると知った時、彼は自らに抱えきれない「罪」があると感じ、自らもまた、自覚がないだけの『化け物』の一匹なのではないかという錯覚に陥ってしまっていた。
だからこそ、彼の
その男の語る未来だけが、『罪』に押し潰されるしかない彼を、国を護ったから。
「救い」が、彼の
「ところが、ゴーゲン氏の仲介でやって来た男と数日を共にして、私はまたしても絶望を味わうことになりました。」
モーリスは「罪」に立ち向かう代償として感情を顔に出すことを忘れてしまったのかもしれない。
「アナタは私たちに戦うことを求めなかった。それどころか、まるで護るべき女子供のような扱いをした。」
眉間の皺はまるで直接彫り込まれたかのように変わらずそこにあり続ける。それは『罪』に屈しない「決意」の表れである一方で、言葉に魅せられた「
「この屈辱がアナタに分かりますか?それとも、アナタには私たちの5年間など残飯を漁るホームレスのような無価値な物にでも映っているのでしょうか?」
モーリスは淡々としていた。眉間の皺だけが、トッシュが彼を知る唯一の手掛かりに思えた。
しかし、彼の本性はそんな小さな場所に収まるほど矮小ではなかった。
「私にも殺させろっ!!今すぐにだっ!!」
怒号が、木製の机を
目玉が押し出されるほどに瞼は開かれ、剥き出しになったそれは熟れたトマトのように血走っていく。
戦場の兵士が弾のなくなった銃を捨てて敵を殴り殺す時、こんな目をする。
彼は今まさに、戦場で生を見出す『化け物』になろうとしていた。
その深い、深い眉間に抑えつけてきた彼の『本性』が今、咆哮を撒き散らしていた。
散乱する彼の五年間の足跡が、「モーリス」という人間を呪い殺そうとしていた。
「……」
赤毛の侍は、彼の豹変する姿から目を逸らさなかった。
「アナタは腹が立てば敵を殺せばいい。だからこうはならないのかもしれない。だが、」
彼はそれが自分の「弱さ」だと認めていた。
「私は
「罪」を背負う前に「罪」の形を知る者は少ない。
だからこそ、「罪」を
……生まれて初めてかもしれない。
俺は今、仲間や兄弟たちでもない連中を理解するために耳を傾けてる。
……いいや、そうじゃない。
俺は今、親父の背中を見てるんだ。あの人ならどうやって皆を、
そんな思い上がった、独りよがりな気持ちがまた、俺を無性に苛立たせる。
「言いたいことはそれだけか?」
モーリスは俺を憎んでる。コイツの目は戦場で胸焼けがするほど見てきた。
「ええ、ですが私はもうアナタには何も求めない。なぜならアナタは本物の腰抜けだからだ。」
俺に、コイツらに振り上げる拳なんか持っちゃいない。
「ただ、護りたいだけ」なんて甘っちょろい考えを手放すことができない俺が悪いんだ。
そうだろ?違うのかよ?……おら、なんとか言ってみろよ。
「こんな飲んだくれじゃあ不服か?」
「…まだ、話を続けるつもりですか?とてもじゃありませんが、建設的とは思えませんね。」
五年もの間、心を殺し、この町に潜伏していた彼は人間よりも『悪魔』をより意識して瞳に映し続けてきた。
そうしている内に、彼の
彼はそれに気付いていない。「悪魔を憎んでいる自分は正常だ」と信じている。
「全ての悪を殺すこと」だけがこの世を、自分を解放する唯一の方法だと信じて止まない。
「俺を殺した後、どうするつもりだったんだ?シュウを頭に
「すると私たちが意味もない死を遂げると?そう思っているのでしたら、アナタはいよいよ私たちを”兵士”として見ていない。”兵士”が向かう先は常に”
狂っていた。彼の中の「道理」が、鼻が曲がるほどの
「知ったことかよ。俺たちはテメエらの自己満足のために戦ってるんじゃねえぞ。」
「…その言葉がそのまま私たちの意見だとなぜ分からないんですか?」
理解の相違。
化け物と暮らしてきた人間と、化け物を殺してきた人間では見てきたものが違う。経験してきたものが違う。
すると、目的の中に見るものも違ってくる。
目的が大きければ大きいほどにその差異は大きくなり、両者は常に別の話をしているかのように噛み合わなくなる。そこでまた争いが生まれる。幾度も見てきた光景だ。
「犬死にが本望なら俺が酒で潰れてる間にいくらでもやればよかっただろうが。なんでこんな回りくどいやり方をしやがる。」
それでもトッシュは理解しようと努めた。たとえそれが真に彼らを
投げ出したい気持ちを抑え、向かない配役に不満も覚えつつ、彼が愛した背中を必死に追いかけた。
「少なからず、”アーク一味”を信奉する輩がいるからですよ。アナタが敵に討たれたとなれば、彼らの士気は
時間を浪費し、仲間を失い過ぎたからなのかもしれない。
もしくは「光」を見詰めることに疲れたからなのかもしれない。
もはや彼の瞳に「勝利」など映っていない。一つでも多くの「死」を見届けることにしか関心がなかった。
それだけが、彼の人生を満たすものになってしまっていた。
それだけが、彼の『苦しみ』を癒すものになってしまっていた。
「そうやって、ウチの大将も操るつもりだったのか?」
「多少、語弊はありますが。おおむねその通りです。」
モーリスの返答が、トッシュの「
「テメエにあのジジイを出し抜くだけの猿知恵が働くのかよ?俺たちのしてるこの闘いの意味がどんなものか。ちゃんと分かって言ってんのかよ?!」
「…一度でも、あなた方は私たちにそれを打ち明けてくれましたか?」
「……」
そう、それが彼らの大きな問題の一つだった。
アークは、この闘いを「人類の闘い」だと言った。だからこそ、レジスタンスを味方に引き入れた。
しかし、蓋を開けてみれば”アーク一味”は都合の良いように「味方」を名乗っておきながら、肝心なことは何一つ打ち明けなかった。
彼らとの間に埋められない『実力』があるために、無意識の内に「闘う舞台」を分けていた。
彼らの間に、人生も運命も、力も敵も平等なものは何もない。
もしも
勇者が彼らを「仲間」として見ることは難しかった。
「なるほど、アナタの仲間は世界の
その「情報収集」のためにトッシュが敵の目を引き付けていることはモーリスも知っている。
だが果たして、それが”アーク一味”のすべきことなのか?
町には現ロマリア政権を憎む
私たちの”光”は、その程度なのか?
懺悔に残りの命を費やすと決めたモーリスにとって、トッシュの「慎重さ」はただただ「臆病」なだけの愚者にしか映らなかった。
「…アイツらは俺たちの不安や恐怖を喰う。”
「不安を?」
おそらくトッシュにも、もう彼の怒りを鎮める方法が分からないのだろう。あまりにも
「ああ。あれが連中の手にある限り、戦争で奴らを皆殺しになんてできねえ。」
「だから無駄な戦いはできないと?敵を、化け物を育ててしまうから?」
「…ああ。」
理解できない『化け物』が、有無を言わさず彼らの目に焼き付いているからか。モーリスは”聖櫃”というふざけた道具の存在をすんなりと受け入れた。
「だとすれば、そんな恐ろしい兵器が敵の手にあるというのにアナタ方は勝てる気でいるのですか?」
「…勝つしかねえだろ。」
初めて、トッシュは言葉を濁した。それが、モーリスの信用を完全に奪い去った。
今まで散っていった仲間を助けてこなかった彼を、「詐欺師」と名付けた。
「時間切れだ。」
場を見守っていた黒装束が二人の間に割って入った。
「さっきの怒鳴り声で女主人が通報した。場所を変えるぞ。」
するとモーリスはトッシュの肩を持つ俺も同罪だと睨み付けた。
「…ひとまず
裏口から宿屋を抜け出すと、モーリスはすぐに俺たちとは別行動を取った。
その背中を、トッシュはやりきれない想いで見送った。
思っていた以上に事情は
もう少し、彼らは打ち解けあえると思っていただけに、自分の行動に後悔が残った。
良くも悪くも、戦場に立てばお互いのことを知る。それが思いがけない奇跡を呼び寄せることもある。
だが、この二人のために「奇跡」は味方しないだろう。
そんな要らぬ確信が、俺たちの
「俺たちは何と闘ってるんだろうな。」
ポツリと零したトッシュの本音が、俺たちの未来を暗示しているようにも思えた。
――――安心しろ、キサマが死ぬことはない。絶対にな
トッシュは打ちのめされていた。
同じ人間であるにも拘わらず、同じ敵を持っているにも拘わらず、何一つ噛み合わない。
ただ、彼らを護りたいだけなのに。
だが俺にはこの問題が必ずしも”
レジスタンスに必要以上の「
その「男」にも何か事情があったのだろう。
だが結局、「男」は”
それはまるで、初めから”
「ああ、そういやソイツのこと、聞きそびれちまったな……。」
「…すまない。余計な気を回してしまった。」
「湿気たツラすんなよ。アンタのお陰でアイツの本心が聞けたんだ。それに、まだ挽回できねえって決まった訳でもねえだろ?」
勝ち気に笑ってみせるが、心なしか彼の切れ長の目に哀愁が漂ってみえた。
「アジトでは二人で説得しよう」そういう約束を交わし、俺たちはようやくアジトへと向かい始めた。
「……」
するとそこに、思いも寄らぬものが現れた。
「どうしたよ。」
答えるよりも早く、俺の視線を追った彼は答えを見つけた。
「マジか?もう立ち直ったのかよ。」
そこに、俺が足を撃ち抜いたあの赤髪の少年がいた。
正直、驚かされた。まさかこんなにも早く再起するとは思っていなかった。
足を引き摺り、顔をしかめながらも、その目は俺たちを見失うまいと追い回している。
それはもう「若さ」などという可愛げのある言葉では片付けられない。…俺はあの瞳をよく知っている。
そう、あれは『執念』だ。
あの子にこびりついて離れない『悪夢』の、変幻自在な姿の一つだ。
「…こうやって死にたがりってのは群がってくるもんなんだな。」
それはモーリスや少年に言っているのか?それとも彼らを周到に惑わせる『悪魔』に向けて言っているのか?
…それとも、不甲斐ない「
トッシュは行き場のない「怒り」に弄ばれているようだった。遂には無知な少年に対してまで不穏な笑みを浮かべ始めた。
「それで、どうするつもりだ?」
「…いいじゃねえか。そんなに地獄に興味があるってんなら入れてやるよ。最後まで付いてこれたらの話だけどな。」
剥き出しにした犬歯は、少年の喉元を噛み切るのではないかと思う程に濡れていた。
笑いながら、彼は苛立っていた。
傍若無人な人々に。彼らを導けない未熟な自分に。
そうして彼はあからさまに裏路地や人混みを利用し、少年を撒きにかかった。
――――酒場”栄光の杯”
「ほお、凄いじゃないか。まさかこの人に睨まれて、また顔を拝めるとは思ってなかったよ。」
俺にモーリスの情報を提供した酒場の店主がトッシュと連れ立っている俺を見て驚いていた。
「いやあ、
”アーク一味”に興味を持つ人間はおおよそ「賞金稼ぎ」か「
…もしかすると、自分に付きまとう人間を町から追い出そうとするのも、「犠牲者」を増やさない彼なりの優しさだったのかもしれない。
「無駄話はいいんだよ。倉庫、借りるぜ。」
「…ああ、できるだけ静かに頼むよ。」
察した店主は少し緊張した面持ちで鍵を投げて寄越した。
「…なあ、フレッド、」
トッシュは、立派な
「お前は、ずっと戦いたかったのか?」
尋ねると、店主の顔は一変して熊のように重苦しく、険しくなった。
「…トッシュ、俺は、戦いたくなんかない。俺じゃあ、あの化け物たちには敵わないからな。命を無駄に捨てるだけだ。だけどな…、」
フレッドは奥歯を鳴らしながら、恨めしそうにトッシュを見遣った。
「殺したいよ…。この手でそれが叶うなら、どれだけ気持ちが晴れるか毎晩夢に見る。父さんや母さんが俺を焚きつけるんだ。だけど、できない…。恐いんだ…。だからこんなにもやりきれないんだ。」
彼にとって、触れたくない「自分の姿」がそこにあった。
もしも「戦争」という名の『悪夢』に
フレッドは、その両方だった。
かつてモーリスの指示に従い、行動部隊に配属されていた時、フレッドは何人かのロマリア兵を葬った。その時、自分に可能性を感じた。自分が、ロマリア国を左右する選ばれた人間だという愉悦感を覚えた。
一方で、目に見えない「何者か」に心を壊されていく恐怖を覚えていた。
そして、「後者のフレッド」が具現化したかのような本物の『化け物』と遭遇する。そうしてフレッドは二度と銃を持てなくなってしまった。
だから、
あれほどまでに
「恐怖」と一緒に大事にしていたものまで忘れてしまう時もある。けれど、一度「
「…悪かったな。ダメなリーダーでよ。」
トッシュはそこに、姿の違う「自分」が立っているように感じた。
あの日、親兄弟を護れなかった「自分」。情けなさを酒で誤魔化そうとしている「自分」が…。
「トッシュっ!」
他の客に
「…俺たちの方こそ、すまない。キミの力になれなくて……、」
うな垂れるフレッドは片手にある酒瓶の首を絞め殺すように握りしめた。
「…見せてやるよ。戦争のない世界をな。」
「…ッ!?……トッシュ、その時は、俺も一緒だよな?」
眼鏡の奥に怯えたままの輝きがあった。酒瓶から手が離れることはない。それでもどうにか、もう一度だけ銃を手にできるかもしれないという小さな、小さな輝きが。
「…付いてきな。テメエが、俺を信じられるならな。」
本心だった。
けれども俺は、フレッドの目を見ることができなかった。
※フレッド
酒場の店主。名前は創作です。フレデリックの愛称。