「なるほどね。」
直に触れてみて分かった。あのイカれた雷野郎は完全な素人だ。ある程度は本能的に危険を察知して身を守るようだが、組み手はされるがままだった。力はあっても使いどころを理解していない。
焼かれた右腕の具合を確めながら物陰から相手の出方を伺った。雷には捕まってしまったが、どうにか軽い火傷ですんだ。犯人はまだ動揺している。問題ない。
「出てこい!」
男の叫び声は猿のように喧しかった。だが、それこそ素人にありがちな無駄な虚勢だ。いちいち構っていられない。
俺は、黒焦げになった槍の代わりになるような物はないかと周囲を見回した。すると、同じく隠れていた警官が震える手で拳銃を差し出してきた。青ざめた顔で顔が引き攣っている。拳銃がなかったら自分は丸腰になるだろうに。顔立ちは、俺と同じくらいの年齢のように見える。コイツも新人か。
「俺は先週、子どもが産まれたばかりなんだ。」
そんなこと言ったって、警備お前の仕事だろう。そう思いながらも、口には出さない。
「悪いけど、俺、拳銃は得意じゃないんだよね。」
恩人らに、使い方は教わったが、どうもこの手の武器とは相性が合わなかった。使うと、能力がヘソを曲げて加減ができなくなってしまうのだ。
やんわりと断りながら、近くに転がっていた座席のパイプを適当な長さにへし折った。もちろん、直径5、6cmの鉄パイプを普通の人間が素手で折るなんてことは簡単じゃない。パイプが傷んでいた訳でもない。
何のことはない。俺も普通の人間じゃないからだ。
隣から小さな悲鳴が聞こえてくるが、気にしない。誰しも、どんな状況にあったって、一番身近な脅威に怯えてしまうのは普通のことだ。むしろ、賞金稼ぎってのは、そう思われる人種じゃないとやっていけない。
身の丈に整えた鉄パイプを軽く振り回し、改めて相手の様子を確認する。すると、いつの間にか状況は一変していた。
「待てっ!」
「おい、逃げるぞ!」
「何をしているんだ。奴は5番搭乗口に逃げ込んだぞ。追え!」
やけに大人しいと思ったら、いつの間に。それになぜわざわざ逃げ場のない飛行船へ?まさか着岸してる飛行船で逃げるつもりなのか?
もしそうなのだとしたら完全に俺のことをナメてるのか、バカなのかのどっちか。俺がそんな時間を与える訳がない。いや、それとも逃げ切るだけの切り札を隠してるのかもしれない。……5番か。どうやら、話は繋がりそうだな。
俺は仕事に戻る前に、いまだに震えている新人に向かって一言だけ残した。
「赤ちゃん、元気に育つといいな。頑張れよ。」
子どもは嫌いじゃなかったからだ。
いざ動き出してみると、倒れていたはずの警官たちが搭乗口を固め始めていた。相手が相手なだけに遅れをとってはいたが、さすがに国に雇われた人間だけあって可能なことに関しては実に洗練された動きをみせる。
「早くしろ。この高給取りめ!」
「分かってるよ。」
どうやら中に攻め込むまではしないようだ。俺もそれが賢明だとは思ったが、やはりどこか釈然としない思いもあった。
飛行船の運行を任されているらしいオペレーターに中の状況を聞いたが、やはり空港の人間も黒づくめたちのことを把握していないようだった。
準備もそこそこに飛行船へと乗り込む。大丈夫だ。用心すれば問題ない相手だった。面倒さえ起きなきゃな。
ただ、楽観視する俺をバカにするように、焼かれた右腕がピリピリと痺れた。
客室区画の捜索は後回しにして、まずは甲板に向かうことにした。
可能性の高いところを優先的に攻めなきゃ、無駄に奴へ時間を与えてしまう。結果、馬鹿を見るのは分かりきっている。
レベリオンの構造はここへ来る途中、ビビガから「念のために」と覚えさせられている。
まったく、その勘の良さを馬券に費やして欲しいもんだ。
「賭け事ってのは当てりゃあイイってもんじゃねえんだよ」なんて一見、意味深な言葉にも聞こえるが、俺はただの負け惜しみだと思っている。
この船の客室に取り付けられている窓は直径30㎝程度の円形をしていて、曲芸師並みに関節を外すか、爆破でもしない限り抜け出ることはできそうにない。そして、俺がこの船に乗ってから爆破音は一度も耳にしていない。
あのチンピラが消音の魔法を知っていたとしたら話は変わってくるが、あの性格で、そんな繊細で高度な魔法を使えるとは思えない。
そういう意味で客室は隠れる場所としては適していても、戦闘や逃走には向いていない。
下手に隠れてやり過ごしたところで、結局は警官隊と俺との挟み撃ちに遭うだけなのだ。それなら一度、甲板に出た方が奴にとって臨機応変に対策を練りやすいはずなのだ。
当たり前だが、船内は違和感を覚えるくらいに人気がない。通り過ぎる客室区画に取り付けられた照明のフィラメントが燃える音もやけに大きく聞こえるほどに。
船に入ってから5分。駆け足で見回ったが、犯人の気配らしき気配も感じられない。それもまた不自然に感じられた。
あれだけ場慣れしていない人間なら、もっと辺りを引っ掻き回しながら何か下手な対策を講じようとするものだから、すぐに追い付いてもおかしくないのに。
船に入るのにそんなに時間差はなかった。だとしたら、目的があって真っ直ぐそこへ急行したということか。ますます犯人と黒づくめの関係が色濃く見えてくる。
機関部へ上がると、照明の代わりに機体の駆動音が瀑布のように辺りの空気を揺さぶるものだから、索敵の範囲がグッと狭まる。
というよりも、少し耳が痛い。
「さすがに、700人も乗せる船となると、お姫様だっこみたいに手軽な馬力とははないか。」
オペレーターの話では、ハイジャックの犯行時に警報を鳴らしていたので、逃げ遅れた一人の作業員以外は中に誰も残っていないそうだ。
だが、俺が自分の目でこの船を見た時には確かに、飛行船の甲板や外装を右往左往している幾つかの人影があった。
犯人が逃げ込むまでは裏取引の現場か、別件のハイジャックの下準備なのかと思ったが、こうなってくるとこの船にも軍事国家の石油臭い戦争ってやつが見えてくる。
そもそも、ここの市長も昔はロマリアの将軍の一人だって話だ。
本格的にこの国を植民地化しようと腰を上げたロマリア側と、アルディアでのし上がろうとする現市長の必死の抵抗ってのが今回の事件の引き金ってところかな。
かなり駆け足で進んでいるのに、奴の気配どころか、痕跡すら掴めない。そうなると、若干の焦りが出る。
着岸はしているが、上空のセントディアナ号と入れ替わりで離陸するため、船底は固定されていない。もしもこの船から脱出するのなら、地上50mの高さという問題さえ解決すれば簡単に逃げられる。ただし、エンジンは動いているので場所を選ばなきゃならないが、それもそう難しいことじゃない。
そして俺だって、そのポイントを見落とすようなヘマはしていない。
もしかすると、この船を爆破して滑走路を使えなくするつもりなのかもしれないと、エンジンルームは特に目を光らせたが、それも取り越し苦労だった。
だとすると、残すところは最上部と甲板しかない。もうここまでくると脱出よりも罠の可能性が高いな。黒づくめたちにも遭遇していないことを考えると、ある程度の覚悟をしておかなきゃならない。
そうして最上部に上がり、ようやく一人目の人影を確認する。
「おい、大丈夫か?」
そいつは通路に俯せに倒れていた。充分でない照明の下、近づけば男は整備員らしい格好をしていた。さらに近づくと、どうやら負傷しているらしいことが分かった。
体付きは雷野郎と違ってガッチリとしている。
用心のため、ここに来る途中で配電盤から拝借してきた銅線を濡らし、男に向かって放ってみる。……何が起きるでもなく銅線は男の背中に落ちた。これ以上の確認はキリがない。
駆け寄り、傷の具合をみる。致命傷ではないが、出血が酷い。意識があるのかどうかを確かめてみると、よほど根性のあるやつらしい。自分の身の安全よりも犯人の情報を口にした。
「奴は、この先の……階段から……甲板へ……」
変装じゃない。嘘も言っていない。簡単な止血をし、オペレーターから借りた無線機で救護を要請した。
「分かった。すぐに助けが来るから、少しだけ耐えてくれよ。」
応援が来るまでもつかどうか怪しいが、悪いが先に行かせてもらうしかない。報酬が入ったら見舞いに行くから許せよな。
「大丈夫だから。怖がらないで。」
暗闇の中、狼と少女は『二人目』の気配に過敏になっていました。『それが』、彼女たちには太刀打ちできない暗い殺意を奥底に抱えていたために。
少女は殺気立つ狼を宥め、台風が過ぎ去るのを心から願う。
警戒しながらも、言われるままに他の部屋を無視して甲板へでる階段を探した。
だが、そこに至る前に俺は『何か』に捕まった。目的の階段まであと少しというところで突然、右腕がまたピリピリと疼いたのだ。
そこは第4エンジンルーム。強ばった空気が過ぎ去ろうとする俺の足を掴んだ。間違いない。『何か』もしくは『誰か』がこの中にいる。
ピタリと立ち止まり、臨戦態勢に入る。手にした鉄パイプを握り直し、その間合いを確認した。
その時俺は、久しく感じていなかった喉の渇きを覚えた。この中はヤバイ。
僅かに脂汗をかきながら、最悪の場合、あらゆる場合を想定して、俺は中へと踏み込む決意を固めた。