――――パレンシアタワー地下、脱出路前
…どうやらこの俺の知らねえ『炎』は指輪が引き金になっているらしい。
確かな根拠はない。指輪の文字がこの『炎』に反応するように強く光るからってだけの話なんだけど。
それだけだとしても、俺にはどうしても無関係には思えなかった。
何かが繋がっている気がした。
俺にとって大事な、何かが。
そんな悩ましい考察を余所に、白装束の忍び一人と炎を纏った尾長の怪鳥二羽は15歳の巨人にいいようにあしらわれていた。
白装束は持ち前の素早さで巨人を翻弄していたにも拘わらず、繰り出す刃は一太刀たりとも巨人を傷つけることができないでいた。
怪鳥は巨人の腕が忍びを捕えないように『炎』で撹乱するも、まさか『炎』を操ることにおいて巨人に勝る訳もなく、皮肉にも「火の鳥」は『巨人の腕』に捕まれ『炎』に巻かれて燃え尽きてしまう。
そして素早い動きに慣れ始めた巨人の一撃が遂には忍びまでも捉えてしまう。
「焼き払え!」
『巨人の一言』が、重い一撃で怯んだ忍びに容赦なく振り下ろされた。
ズドンッ!
瞬間的に加熱された一帯の空気が忍びもろとも破裂し、爆風を撒き散らす。そうして爆音の残響が収まる頃、忍びは床に積もる塵となっていた。
「……」
纏っていた『炎』を解き、もとの少年の姿に戻ったエルクは自身がもたらした光景にしばし呆然としていた。
「エルクはアークを殺しちゃうかもしれない…」
ポコの言うように、かなり凶悪な『力』に思えた。
なにせ、『巨人の炎』を纏っている間はどんな攻撃も受け付けなかったんだ。刃物も、魔法も、体当たりの類の物理的衝撃すら風船に触れるぐらいの感覚しかなかった。
それでも『巨人の憑依』によってもっていかれる体力、精神力はそれなりに大きい。
アンデルの『黒い息』にも耐えられていたことを考えると、奴が現れた時から無意識に使っていたんだと思う。するとその間、おおよそ4、5分くらいのことのはずだ。
そんな短時間のことだったのに、『巨人』を解いた瞬間に襲う疲労感は3日間寝ずに動いていた時に匹敵する。
けれど不思議と「動けなくなる」ってことはならなかった。
味わったことのない感覚だからか。その重々しい疲労はどこか「命を削ってるんじゃないか」とさえ思わせた。
そんなデカい代償の『力』をもってしても、アンデルには手も足も出なかった。『力』を掻き消された瞬間さえあった。
『黒い息』は防げたけれど、攻撃に関しては何一つダメージを与えることができなかった。
「無敵」にも「最強」にも程遠い。
…そういや……、
改めて左手の指輪を観察してみるけれど、これといって細工が施されているようには見えなかった。
ただ、俺が『巨人』を思い浮かべると僅かながら指輪が『騒つく』ように感じられた。
それと同時に薄っすらと俺の意識に『誰か』が侵入してくるような違和感もある。
…そうなんだ。この『炎』を纏っていると自分が自分じゃないみたいだった。
まるで二人羽織で操られているみたいで、全身の筋肉という筋肉を使っていないような身軽さなんだ。
それでいてその力は普段の何倍もの威力がある。
普段でさえ『炎の力』で常人の何倍も力があるってのに……。
この感覚に慣れてしまった瞬間が、「エルク」がこの世から消える瞬間なんじゃないかと俺には思えた。
「その『炎』を慣らすにはちょうど良い相手だろう?」
もしかするとアンデルはそれも見越して、こんな余興染みた戦いをさせたのかもしれない。
なるべくこの『巨人の炎』は使わない。意識すればできるはずだ。もしくは指輪を外していればいい。
…だったら指輪を捨てればいいだけの話なのに、それだけは俺にはできないように思えた。
それは「指輪に操られてる」とかじゃなくて、この指輪が俺にとって本当に「大切なもの」なんだと思うから……。
運命は15歳の少年に次々と引き返すことのできない選択を迫る。
それは必ずしも「非情」とは言えない。むしろ15歳の少年が無意識にそれを求めていた。
この世界で「大人になる」と口にしたその時から。
そしてそれは一つとして彼を裏切らない。彼が少年でなくなった時、それらは全て少年の力になる。
左手の指輪は、その誓いの証でもあった。
そのことも、今の少年には知る由もない。
――――パレンシアタワー地下からパレンシア城へと続く地下通路
「僕が注意を引きつけるから皆はその隙に出口へ!」
156㎝という小柄な楽士は、自分の3倍近くある怪物を相手に必死に戦っていた。
一度でも捕まってしまったなら軽く捻り潰されてしまうような前足が、彼の目の前に何度も振り下ろされる。
得意の『ラッパ』で獅子の足や腹を打ってダメージを与えてはいるものの、使い魔が同じく『超音波』で『ラッパの弾』の威力を削いでしまうために必殺の一撃には及ばない。
さらには獅子もまた麻痺性のある息を吐くために――ポコは自身の『力』で抗ってはいるものの――、少しずつポコの動きも鈍り始めていた。
そのさらに後方では、その倍の数の怪物に辛くも勝利したはずの家庭用ボイラーが悲鳴を上げていた。
「どうなっとるんだ?!」
銃弾で心臓を貫いたはずの怪物たちは一度は地に伏して息を引き取ったにも拘わらず、ゾンビーのごとくノソリノソリと立ち上がると、ソレらは生前と遜色のない力で再び目の前の獲物たちに襲い掛かった。
もはや死体であるためか。銃弾も魔法も効きが悪く、防御を忘れてしまった怪物たちは攻め続ける。
そこに救いがあったとすれば、機械であるがゆえに獅子やコウモリの『吐息』の効果が現れなかったこと。その効果が現れるよりも早く、村人たちが怪物の縄張りを抜け出していたことくらいだろう。
しかし、それも決定的な解決の糸口にはならない。
「ジリ貧じゃ~!」
ボイラーの『力』は多彩を極めていたが、どれも怪物の活動を停止させるまでには至らない。
怪物たちをほんの少し足止めする程度。
さらに、機械であるがゆえに連続的に稼働できるエネルギー量は限られていた。
今まさに、その限界量を迎えようとしていた。
「悪夢ジゃ~!」
一匹の獅子がその大木のような拳を小さな、小さなブリキの人形に振り下ろそうとした、まさにその時だった。
ゴスッ!
「…どうだよ。テメエの分相応ってのが少しは分かったかよ?」
あろうことか、ブリキの人形とそう変わらない小さな拳が獅子の巨躯を殴り飛ばしてしまっていた。
「えルク~~ッ!!」
「エルク?!」
残された二人は涙目になりながら、ようやく現れた戦友の名前を声を嗄らして叫んだ。
その間にもヒーローは二匹の怪物を消し炭に変えてしまった。
「だいたいよ、村の連中は逃がしたんだろ?なんで律儀に戦ってんだ?戦うのは俺の仕事で、お前らは連中の面倒をみるって役割分担じゃなかったのかよ。」
坑道の先に、こちらを窺う村人たちの姿があった。どうやら、その先に敵はいないらしい。
当然、エルクはそれを確認しているからこそ、こんなにも悠長に説教と掃除をする気になっていた。
「…それは、エルクみたく追手がかからないように、ここで倒した方が良いのかなって思って……、」
言い終わる間にさらに二匹が呆気なく燃えた。
「すぐに気付けよ。相性が悪いんだよ。お前らとは。それに、アイツらの行った先に別の化け物がいたらどうするんだよ。」
「それは……、」
そうして残りの二匹も断末魔とともに消えていった。
「お前に勇気があるのは分かったよ。でも、その勇気で周りが見えなくなっちまったら、ただのマヌケなんだぜ?」
「…うん。」
「お前もお前だよ。何が”最強”だ。ロボットのくせに、なに焦ってんだよ。」
「は?何ノこトだ?ワシが”最強”デ何がオカシい。ムしろ、ワシは遅刻しタオ前ヲ尋問しタい気持ちでいッパいだゾ?」
「…ハア、そりゃあ悪かったな。」
どうやったらコイツを上手く使えるんだろうか。少年は、思い通りにいかない管理職のように頭を抱えた。
「ご、ごめん、エルク。じ、実は、さっきの戦闘でリーフの珠が壊れちゃったんだ。…僕、やっぱり一人じゃ何にもできないのかも…。」
エルクはポカリとポコの頭を小突いた。
「なに勝手にイジケてんだよ。」
「え、だって……、」
「過程はどうあれ、ここまで村の連中を無事に生かしたのはお前だろ?それだけでも胸を張れよ。」
「ワシもおルダロガ!」という雑音を無視し、エルクは年上の戦友に親身なアドバイスを続けた。
「一人で作戦に就いたのも初めてなんだろ?失敗して当たり前だろうが。だったらクヨクヨするより反省しろよな。そうじゃなきゃ、それこそこの先お前は少しも変わらないぜ?」
もちろん、アークの傍にいた時も仲間たちは戦士として未熟な彼を何度も支えてきた。足りないものを補い合える完璧な信頼関係があった。
けれども「完璧」であるがゆえに、自分の成長する必要性を見出せないでいた。
成長の方向性が分からないでいた。
彼らと共にいる自分には確立した役割があり、彼はそれを完璧に全うしてしまっていたから。
だからこそ、独り立ちを促してくれるエルクに、彼らとは違う頼もしさを覚えていた。
どこか自分と同じ、戦場にはそぐわない「幼さ」を残しているように思え、「戦友」というよりも「兄弟」のように感じられた。
だからという訳ではないのかもしれないけれど、そんなエルクからの言葉だからこそ、並んで歩く「兄弟」のように、より近しい信頼の形として受け入れることができた。
「…ありがとね、エルク。」
「はぁ?」
言われて初めてエルクは自分が「親切な先輩」を演じていることに気付いた。
そもそも教えたり、励ましたりは彼の性分じゃない。しかも、男相手に。
ほんの少し前まで、彼の周りには血気盛んな男しかいなかった。だから、こんなにも弱気になる人間はいなかったし、強くなるかどうかはソイツらがいかに強い奴らから盗めるかにかかっていた。
「やっぱりエルクは頼りになるね!」
だからこそ、男からこんなにも真っ直ぐに頼られることに、エルクは自分のしていることへの寒気とそんな自分が認められている気恥ずかしさを感じてしまっていた。
「う、うるせえな!次は助けねえからな!」
突然ポコが俺のリズムを狂わせるようなことを言うから……。
「失礼だが……、」と先で待機していた長老が催促してくるまで作戦のことなんかスッカリ頭から抜けちまってた。
「マッタく、コのクソ忙しイ時に何ヲ戯レ合とルンダ。…あイタ!?」
テメエもテメエでそのツッコミをなんでもっと早く入れねえんだよ。本当に使えねえな!
その後は戦闘もなく、呆気なく城の跡地まで辿りつくことができた。
「やった、やったぞ!出られたんだ、あの恐ろしい場所から逃げ出せたんだ!」
俺とポコが地下通路の出入り口を塞いでいる背後で、村人たちは思い思いに喜び、叫んでいた。
「まだ村に帰り着いてねえってのに呑気な連中だな。家に帰るまでが脱獄ですって学校の先公に教わらなかったのかよ。まったく…。」
牢屋にぶち込まれてた連中の気持ちはよく分かる。それでも、傍らで作業してる俺としては文句の一つも言いたい気持ちだった。
それに正直、ここでも待ち伏せされてると俺は予想してた。それなのに、こんなにアッサリ手放されちまうとさらに調子が狂っちまう。
「エルク…、」
なんか、坑道での一件があってからポコの声色が微妙に変わっちまって、聞いてるこっちはなんだか背中がムズ痒くなっちまう。
「本当に、ありがとね。僕一人だったら皆を助けられなかったよ。」
「ああ、わかったから。もうイイって、そういうのはよ。」
嫌とかではないけど、なんかやりにくい。
「それによ、まだ終わってねえって言ってんだろ?この浮かれポンチどもを村に届けるまでが俺らの遠足だろ?」
「うん、そうだね!」
なにがそんなに嬉しいのか。ムダに元気な返事をしやがる。
俺はといえば、そんなに乗り気にはなれなかった。
リーフの珠がない今、村人らを公共交通機関を使わずにトウヴィル村まで護衛しなきゃならない。
内容自体はこれまでのことに比べればそう難しいことじゃない。難しくはないんだけど、そうなると少なくとも2、3日かかる見積もりだ。
護衛のどうのこうのというより、費やす日数が俺には惜しかった。
「…ポコは仲間が今どうなってんのか知ってたりすんのか?」
食料を調達しにいくための変装しながら、俺はポコにそれとなく尋ねてみた。
「キサマの仲間たちは今、ガルアーノの研究所を潰そうとしているらしいが…、」アンデルはそう言ったんだ。
十中八九、その中にはリーザもいるはずだ。
「僕は直接連絡できないけど、何人かはククルと連絡を取り合ってるよ。まあ、それも逐一ってわけにはいかないけれどね。」
そのククルが俺に何も言ってこなかったってことは、今のところ誰かが殺られてるってこともなさそう、なんだが…。
俺たちが真面目な遣り取りをしていると、リシェーナがおずおずと近付いてきた。
「…ポコ、少し、お話できない?」
「え?…えーっと、」
ポコがバツの悪そうな表情をしながら横目で俺をチラリと見遣った。
「気にすんな。俺も少し準備することがあるし、しばらくはここを動かねえよ。」
「ご、ゴメンね!」
…本当はこれといって準備することなんかねえんだけど。
「……」
そそくさと輪から離れ、物陰へと消えていく二人。俺はそんなポコの背中を見送っていた。
…アイツ、どこまで知ってるんだろうな。
俺だって全部を知ってる訳じゃないし、それが正しいのかも分からない。だけど、この複雑な気持ちはどうにも見て見ぬフリができない。
もちろん「お幸せに」という素直な気持ちはある。だけどその傍ら、万が一にもこれが「悲劇」になってしまったら、アイツは……、
それは、アイツらが解決することなんだと思う。だって、アイツらの人生なんだから。
…それでも、もしも俺が何か手助けできることがあるなら…、もしもアイツらがハッピーエンドで終われるなら……、
「……」
知らず識らず、俺は泣いているらしかった。
「エルクさん、ここまでありがとうございました。」
「あ?」
目を擦る俺の前に、あのジイさんがやって来た。
「不躾ですが話は聞かせてもらいました。あとは我々だけでなんとかしようと思います。貴方がたはアークの下へ向かってください。」
ジイさんは落ち着き払っていた。まるで、もう安全だと言わんばかりに。
「お前ら連中をナメてんのか?アイツらがその気になればお前ら素人なんかアッという間に牢屋に逆戻りだぜ?」
国家規模の人員と情報網。素人だけで何をどうすれば切り抜けられるって状況じゃあない。
「それでも奴らにはもう、その気などない。…違いますか?」
「……」
このジイさんはやっぱり「一般人」とは少し違ったものの見方をしていやがった。
「もしも奴らがその気であるのなら、ここでも待ち伏せをされていてもおかしくなかった。」
「…ジイさん、元軍人か?」
「恥ずかしながら。」
確かにジイさんは頭が切れる。俺もジイさんと同意見だった。
それでも俺にはそれに賛同できない「不安」があったんだ。
「一つ、聞いておきたいんだけど、」
俺はジイさんの目を凝視しながら聞いた。どんな小さな反応も見逃さないように。
「アンタらは、大丈夫なんだな?」
「…大丈夫ともうしますと?」
ジイさんの返答は実に慎重だった。迂闊な言葉で誤解を招かないようにと気を配っていた。
だからこそ、俺はその「慎重さ」の内側を見るために、なんだったら打ち返せないくらいに重い球を投げ返した。
「俺は親友を殺した。そうするしかなかったんだ。」
「……」
「アンタなら俺の言ってる意味、分かるだろ?」
ジイさんは分かりやすいくらいに険しい表情で俺を見た。もうひと押しすれば、ここで問題が解決してしまうんじゃないかと思えるくらいに。
「…アナタの仰りたいことは理解できました。ですがどうか我々を信用してください。我々は誓って貴方がたに害を成すようなものではありません。」
二人の間に危険な沈黙が流れた。そして――――、
「…分かった、ジイさんを信用するよ。」
俺はとんでもないアマちゃんなんじゃないかと自分を疑った。アイツらの腕なら、人間の記憶なんざどうとでもなる。感情や行動だって。ミリルがそうだったじゃねえか。
それでも……、
本当は、俺が今回のアレコレをククルに伝えるまではコイツらの傍を離れるつもりはなかったんだ。
それでも俺は、天秤に掛けちまった。
一刻でも早くリーザに会いたくて…。
「…本当に、ありがとう。」
深々と頭を下げるジイさんの姿を見ちまったら、もう「やっぱり…」なんて言えねえ。
「ジイさん、名前は?」
「カーグです。」
「じゃあ、カーグのジイさん、皆を頼んだぜ。」
交わした握手にはまだ人の温もりがあった。
もう何が「人間」である証明なのか俺には分からねえ。それでも俺は、このジイさんの温もりを信じることにした。
そう言い聞かせるしかなかった。
――――エルクと長老が方針を固めている頃、ポコとリシェーナは、
途中、リシェーナは城の瓦礫で躓いた。
僕が間一髪で彼女を抱き留めると、彼女は僕の腕の中でうな垂れたまま顔を上げない。
「リシェーナ、どうしたの?牢屋を出る時から様子が変だったけど。」
様子がオカシイことには気付いてはいたけれど、皆のいる前ではなかなか聞きにくかった。どこか、聞いちゃいけないような雰囲気もあったから。
すると、彼女は俯いたまま蚊の鳴くような声で謝り始めた。
「…本当に、ごめんなさい。」
「な、なんでリシェーナが謝るの?」
「皆、必死だったのに、私、あんなところで転んで、私のせいで皆を危険な目に遭わせちゃった…。私なんて…。」
「リシェーナ……、」
昔は僕も皆の足を引っ張ってた。僕が弱虫だから、部隊が全滅するのを物陰からただ震えて見てた時もあった。
僕は間接的に皆の「死」を呼び込んでたんだ。今は護られてるからそれが目立たないだけで…。
だからリシェーナ…、
「一緒に生きようよ。」
「え?」
「上手く言えないけど、弱くても良いんだよ。ううん、強くなる努力は必要かもしれないけれど。…それでも、僕たちだって生きてるんだ。」
もたれかかるリシェーナを起こし、彼女の肩に手を置いてポコは力強く語りかけた。
「考えてもみてよ。もしも僕たちがこの世界に本当に必要ないのなら、そもそも生まれてきてないはずでしょ?」
それは、剣をくれた彼から学んだこと。
敵を殺し、生き延びて学んだこと。
「僕だって皆の足を引っ張るよ?命に係わるミスをしたことだってあるさ。」
彼女が自分のせいだと謝っていた戦闘も、自分たちがもっと気を配っていれば起きなかった。
あまつさえ、戦闘さえもエルクに頼り、自分たちは彼がやって来るまでの時間稼ぎをしたに過ぎなかった。
もしもエルクが来なかったら、怪物たちは村人を追って彼らを皆殺しにしただろう。
そう思うと、寒気が全身を駆け抜ける。
「それでもね、」
他人が死んでいくのを横目に、他人の血を被りながら剣を振るう罪人を見詰め、それでも彼の心にあるたった一つの想いが彼を突き動かし続けていた。
「僕は生きたいんだよ。皆と一緒に。」
そう告白する彼の瞳は、友軍を勝利へと誘う金管のように光に満ちていた。
アーク一味がトウヴィル村を拠点にし始めた頃、遠征で負傷したポコたちが村に戻ると、リシェーナは率先して彼の手当てをした。
初めはただの偶然だった。
けれども手当てをすると彼は決まって彼女に「ありがとう」と微笑みかけた。どこか女性らしささえ感じるとても柔らかな笑顔。
そんな笑顔を持つ彼に魅了されるのにそう時間は掛からなかった。
会話も増え、自分たちが似たような性格だと知ると、彼女はますます彼のことを想うようになった。
体が弱く、ドジで間の抜けていた自分でも、彼の前にいる時だけは真面な人間でいられる気がした。
それが彼女にとって、この上なく幸せな時間だった。
けれども、彼女はそれが一方通行な想いだということに気付いていた。
彼に、その気はない。彼は、ただ、皆に優しいだけ。
…それがとても悲しかった。
「…ポコは、強いね。」
「…?それはリシェーナもでしょ?」
「……え?」
「僕にはわかるよ。だって、リシェーナにも護りたい人がいるでしょ?」
「え?」
彼に他意はなく、純粋に村の絆を語りたかっただけなのだけれど。彼の口からポロリと零れ出た言葉は、彼女の乙女心に小さな火を灯した。
さらに追い打ちをかけるように、彼は自責と恋慕の間で揺れ動く彼女の心を強く掻き乱していく。
「僕はリシェーナを護りたいよ。」
「え?」
「だって、僕もリシェーナが好きだもん。」
「ええっ!?」
一気に視界がぼやけ、頭が茹でダコのようにグニャグニャになっていくような感じがした。
なんだか世界が別の意味で崩壊していくような感じさえした。
「…?…あっ!!」
彼女の様子から無知の罪を自覚した彼もまた、瞬く間に彼女と同じような赤面になり、慌てふためいた。
「こ、これは、違うんだよっ!そ、その…!違わないけど……!」
初心な彼に取り繕うことなんかできるはずもなく、彼もまた、無自覚に彼女を想っていたことに気付き始めていた。
「ポ、ポコ……、」
彼女は自分の想いを生涯、殺し続けるつもりでいた。
彼は「兵士」。それも世界を救うかもしれない「尊い人」。それが自分のような平民風情が彼の心を惑わすようなことをしてはいけないのだと。
けれども今、彼女は自分の目がどうしようもなく熱を持っていて、どうしようもなく潤んでいるのが手に取るように分かった。
私は、彼が好きなんだ。
もはや、それを彼女には止めることができなかった。
「ポコ……、」
名前を呼ぶだけで崩壊したはずの世界が楽園に染まっていく。ハッキリと感じて取れた。
これが、”幸せ”なんだと。
「ハワワワワ…、」
ポコは取り乱したまま立ち直れず、どう収拾をつけようかと錯乱した頭で考えていた。
けれども――――、
「だらしない兵隊だな……」
「やればできるじゃないか!」
「……」
今の彼はいつだって親友の言葉に支えられていた。弱虫だと蔑まれていた自分に自信をくれた。
「ここだけの話ね、僕、何度も逃げようと思ったんだ。僕がアークたちの傍にいたら、僕のせいで皆が死んじゃうかもしれないって思えて。」
「……」
「でもね、アークはそんな僕を捕まえてこう言ったんだ。」
「……」
「『だったらお前が大切にしている人をどうやって護るつもりなんだ。』って。『お前の護りたいものはお前にしか護れない。戦えないことを恥じる必要はない。だけど、闘わないことはお前の人生で一番の恥だよ。』…って……。」
「……」
「だからリシェーナ、僕と一緒に生きていようよ。これからも、ずっと……。」
「…うん。」
ポコは見詰める彼女に微笑み、リシェーナは止めどなく流れる涙に手を添えながら温かな彼の手を握りしめ、微笑み返した。