<キメラ研究所第三支部”魔女狩り”からの経過報告>
以前にも報告を上げた、我々が一から造り上げたモノよりも異能の力を持った人間を使って生み出したモノの方が精霊との親和性が高いことへの確証が得られた。
前回からの経過観察により、それが複雑な「人間社会」で得た感情が起因していると判明。
(詳細は別紙、統計データを参照)
さらに、人間の感情の形成は思春期がピークであり、訓練による能力向上を求めるのであれば、これよりも幼い個体が最適だという結果に至る。
ついては今後、我々の活動の能率を上げるものとして――――、
以前、ガルアーノの報告書の中にそんな文句が書かれていたのを思い出した。
当時の私は、それは単なる奴の野心的な自己アピールの一つだとしか捉えていなかった。
だが、どうやらそれは間違いだったらしい。
それは奴の生い立ちのせいもあるだろう。奴は我々の中でも特に「人間の生態」に固執していた。それが計画の邪魔になることも多々あったが、「王の復活は揺るがない」。
その前提があるばかりに、我々は奴の度の過ぎた遊びを見逃してしまっていた。
そして遂に、私までもが奴の言う「快楽」とやらの味を覚えてしまった。
だが、だからこそ、今の私にはわかる。
想像もしない変化を遂げるドブネズミどもの姿に異様な昂揚感を覚えずにはいられない奴の性分を。
目の前にいる一匹もまた、そんな希少価値の高い「オモチャ」の一つだった。
「殺してやる!」
「……」
見る者が見ればこのドブネズミの姿が光を放つ3mの「巨人」に映るだろう。
しかし、怒りに狂ったドブネズミはそんな自分の変化を十分に理解していないようだ。ただただ、今までよりも「強くなった」という自負だけで私に挑みかかろうとしている。
ここでこの畜生の首を絞めるのはさほど難しいことではない。
だが、これは私のオモチャではない。
アンデルは襲いくる少年の『炎』を素手で払った。瞬間、少年の『炎』が揺らぎ、無防備になった少年の首を鷲掴んだ。
「ガハッ!」
お世辞にも太いとは言えない中年の腕が少年を軽々と吊し上げる。
「…クソがッ!」
消された『炎』を呼び戻し、でたらめに焼こうとするが、アンデルが躊ぐ様子は微塵もない。
炎は確かに敵を包んでいるにも拘わらず、悪魔は表情一つ変えず冷淡に、少年を睨み続けた。
確か…、ピュルカと言ったか。
アルド大陸に分布していた少数民族。実在する『火の精霊』を差し置き、『炎の精霊』なる未知の精霊を偶像崇拝し、高まる「信仰心」により遂にはそれを具現化してしまった部族。
そのためか。生まれる子どもの多くが『炎の精霊』を宿していたらしい。
そして、我々がアレらを絶滅へと追いやった。
その反動が、この小僧に注がれている。この異常な変化はそれが引き金になっているのだろう。
邪魔なものを消すよう指示を出したのは私だが――そこに奴の意図があったのかは定かではないが――、少なくとも私は意図せず奴の遊びに加担させられていたわけだ。
本当に、油断のならない奴なのだ。
…それにしても、と思う。
自分たちの生み出した『精霊』であるとはいえ、「勇者」として『精霊』どもに見初められたアークよりも早く、我々にすら成しえない『精霊』との同化をこうも見事に成し遂げてしまうとは。
いったいこの小僧のどこにそれだけの器があるというのだ。
私の目にはやはり、下水道を駆け回る卑しい獣の一匹にしか見えん。
しかし現に、人間ごときの身で私の『死』に耐えている。『聖母の加護』も『聖櫃の庇護』もなく、己の『力』だけで。
奴の趣向に合わせてこれを言葉にするのなら、これは「芸術」と呼ぶべきなのかもしれないな。
「とはいえ、そこに理性が伴わなければそれはやはりただの畜生よ。」
私が愛でる理由にはならない。
少年はとめどなく溢れる『炎』で悪魔を焼き続けた。
高価な装束も、肉も、骨も。それらが焦げている様子すら窺えた。
「どうなってやがるっ!」
それでも、燃えた先からたちどころに再生していく様子も、目を逸らすことのできない真実だった。
骨も、肉も、装束さえも。
「巨人」の剛力で暴れても中年の腕はビクともしない。「巨人」が、遥かに矮小な中年の手で人形のように粗雑に扱われていた。
「どうだ、私は殺せそうか?」
「…ナメやがって!」
宙ぶらりんの憎々しい人形を眺めながら悪魔は親しげな口調で尋ね、少年は中年の腕の中で踊らされていた。
「やはりキサマらはどう足掻こうと滅びる運命なのよ。あの小娘のようにな。」
「…クソがッ!!」
エルクはありったけの『炎』を中年の顔に叩きつけた。
「…それでキサマは満足か?私はキサマの陳腐な悲劇に飽いた。心配するな、後はコイツらに相手をしてもらうといい。」
アンデルは正気に戻りつつある少年を確認すると壁に叩きつけ、残された3人の兵士に指示を出した。
兵士らは出し惜しみをすることなく自らの化けの皮を剥ぎ始めていた。
「まあ、私の代わりとしては物足りんかもしれんが。その『炎』を慣らすには丁度良い手合いだろう?」
「……」
エルク自身、新しい『力』に慣れていない自覚はあった。けれども、どう向き合うべきなのかサッパリわからないでいた。
「ああ、そうだ。一つ、キサマの耳に入れておきたいことがあったんだった。」
去り際、アンデルはちょっとした悪戯を思いついた。それが腹立たしい同僚の手助けになることも、今度はキチンと理解した上で。
「キサマの仲間たちは今、ガルアーノの研究所を潰そうとしているらしいが…、」
いかにも挑発的な間を置き、
「無事だといいな。」
「な…っ、待て!それはどういう意味だ!?」
”白い家”の『悪夢』を連想させるような汚らしい笑みを浮かべ、死に神は去っていった。
――――同刻、パレンシア城へと続く地下通路の道中
「…まいったなぁ。」
地下通路はアンデルの部下によって大がかりな細工がされていた。行きに使った道が爆薬か何かで落盤し、完全に封鎖されていた。
「コッちの道ハ使えルゾ。」
代わりにヂークが偵察済みの分かれ道を使うことになり、ポコは未知の道にいくらかの不安を覚えていた。
「本当に大丈夫なの?」
「信用しロ、馬鹿者。」
いつの間にか舗装された地面は途切れ、一行は放棄された採掘場と思われる坑道を歩いていた。
最近まで利用されていたためか。設置されている照明は通電しており、先を見通すことができるのは彼らにとって何よりありがたいことだった。
「の、喉乾いた。」
十分な準備もない、見込みもない脱出劇に一人の少年が思わず根を上げた。
「バカ。今、そんなこと言ってる場合かよ!」
「ご、ごめん……。」
「…ごめんね、トト。せめてこの洞窟を抜けられたら飲み物を探してくるから。もう少しだけ頑張ってくれる?」
気を遣うのは楽士の性分で、そもそも彼に裏の顔はない。
それを立証するかのような透き通った中音域の声が、少年に楽士の気持ちを十二分に伝えていた。
「…ごめんなさい。」
「謝ることなんてないよ。あんな所に閉じ込められてたんだもん。誰だって疲れちゃうよ。」
「…うん。」
どうしてだか、楽士の声色は無条件に少年、トトの心を温めた。
トトは先を行くポコの、なけなしの勇気を貼り付けた顔を見上げ、自分よりも幼く見える手に無性に惹かれた。
「…え?」
急に何かが触れる感覚に促されて振り返るとそこには、歯を食いしばり、自分の手を握りしめながら一所懸命に前を見詰めるトトの顔があった。
「……」
「……」
トトもポコも言葉は交わさなかった。それでも、「一緒に足りないものを育てよう」という瞳の輝きを、ポコはしっかりと見届けた。
「頑張ろうね。」
「…うん。」
トトの決意を見たポコの顔に、「勇気」とは別の輝きが宿っていた。
「出口、モうスグだぞ?」
「ホ、ホント!?」
唐突なボイラーのアナウンスに、気を張るポコは思わず――声を抑えながらも――誰よりも先に歓喜の声を上げずにはいられなかった。
ピエロのような笑顔で村人たちを見回した。
「もうスぐなンダガ…、」
その後に続く、自称”世界最強”のお茶目なジョークが飛び出すまでは。
「ちョットした猛獣ショーが始マりそウだぞ?」
「…え?」
不穏な言葉に促され、ポコは物陰から恐る恐る行く先を覗くとそこには…、
「…え、ちょ、ちょっとストップ!」
ジリジリとフィラメントの焦げる音が響く中、そこにいるはずもない数匹の奇怪な怪物たちが、まるで財宝を護る番人のように眠りに就いていた。
「どうされた。」
その異常な様子からボイラーのジョークが真実であると察知した長老もまた、ポコと同じものを目にし、吐いた息を飲み込んでしまっていた。
「これは……、」
金色に輝く毛並みに、冠を頂くかのように雄々しい鬣。そして、その巨体を覆い隠してしまうほどの竜翼を携えた獅子。
これの使い魔であるかのように寄り添うコウモリもまた、竜と呼んで差し支えない体躯をしていた。
こられが3組、無慈悲にも彼らの進まなければならない道の上に等間隔に縄張りを敷いていた。
「奴らはこんなものまで造ってしまうのか…。」
これらの怪物はスメリア国の伝承にすらない、どちらかと言えば中東の砂漠地帯で聞く伝説の生き物だった。
「ど、どうしよう……。」
「どうッて、行クシカナいジゃろ。」
最強のボイラーはまるで他人事のように答えた。
「え、あの中を?!」
「道は他ニナいんダゾ?そレとも、アレがワシらに気付かズニドっかニ行くのヲ待つノか?アり得ンアリ得ん。」
「…そうですね。追手を押さえてくれているエルク君のことも思えば、今ここで立ち止まっている訳にもいきません。」
ポコは驚いた。長老の胆の据わり方が異常に思えた。
あの怪物1組でも命を懸けて挑むような相手なのに、さらにそれらが2組増えた状況でどうしてそんなことが言えるのか。彼の正気を疑う他、自分の理性を保てないような気がした。
そうして次の一言がでないポコの袖を、誰かが引っ張った気がした。
「トト……、」
その顔には見たことのない化け物の姿への恐怖がありありと浮かんでいた。
「…ねえ、ヂーク。出口まであとどれくらいあるの?」
「距離か?ざット200mだな。」
「200mか…。」
独り語ちながら、弱虫は武者震いを味方につけ、一大決心をしようとしていた。
振り返り、かつての情景を頭に浮かべながら、その決意を伝えるべき人に向かって口にした。
「トト、僕が先に行ってみるよ。」
「え、ポコ、大丈夫なの?」
「わからない。でも、だからこそ僕が先に行くんだ。これは僕たちの戦いなんだからね。」
震える頬で無理に笑顔をつくり、ポコは自分とトトに言い聞かせた。
「トトは長老さんと一緒に来るんだ。長老はもうお歳だからトトがしっかり支えてあげなきゃいけないよ。…いいね?」
「…うん。」
かつて、荒野でゾンビーに襲われ、死ぬしかないと震えて縮こまっているポコを彼が叱咤した。
「戦うしかないだろ?!」
そう言って渡された剣を、ポコは今でも肌身離さず腰に下げている。
彼に出会わなかったら僕はあそこから生きて帰れなかった。あそこで彼に叱られなかったら、僕はきっと今も誰の目にもつかない場所で独り震えているんだ。
だからトト、前を見て進むんだ!
未だに震えの止まらない足を叩き、剣の柄を握りしめ、ポコは村の皆に振り返った。
「…長老も、皆も、それでいいよね?」
「…わかった。ポコ、頼んだぞ。」
「大丈夫、へっちゃらだよ。」
そう言って笑う彼の奥歯が微かに鳴っていた。
「オイ、」
見かねたボイラーがしようがないと上から口調でポコを宥めた。
「コれデモ食って少シ落ち着け。」
「えっと、これ、ガム?」
最強のお手々が器用に指先に挟んでいるのは、なにと一緒に保管されていたかも分からないペラペラの加工食品だった。
「ワシの大事な精神安定剤ダ。感謝しろ。…あア、でも音ハ立てルナヨ。」
「ありがとう。…それでね、ヂークには申し訳ないんだけど…、」
足音に難のあるヂークベックにはどうしてもこの気配を殺して進むという慎重さを求められる作戦が向いていないように思えた。
だから皆が無事に怪物たちの縄張りから出た後に脱出して欲しい。無慈悲にもポコはそう伝えた。
「フン、まあ殿はワシにシか務マランダロうかラな。仕方がなイ。引き受けテやろう。」
「ハハ、頼もしいや。」
実際、彼の根拠のない強気な発言は、「根拠」に怯える村人たちの恐怖を幾分か和らげてくれた。
「それじゃあ、行ってくるね。」
「おう、行っテコい。」
”最強”に見送られ、幾分か軽くなった足でポコたちは怪物たちから絶妙に離れた岩陰へと移動することに難なく成功する。
「よく頑張ったね、トト…。」
少しずつ、少しずつ。次の物陰へ、次の物陰へ。彼らは着実に出口に近付いていた。
それはとても喜ばしいことのはずなのに、ポコはなんだかそこに拭えない違和感があるように思えてしかたがなかった。
番人たちが僕らに気付かないのは、運が僕たちに味方しているからだ。そう思うより外になかった。それなのに――――、
そして、その幸運も束の間、
「あ…、」
「あっ!!」
事が起きて初めて、その場の全員が彼女を気に掛けてやれなかったことを悔いた。自分たちの命が助かるかどうかの瀬戸際で、あと一歩の慎重さに欠けていた。
彼女に関しては、獣たちの縄張りを抜ける緊張と、愛する人に想いを告げなければという緊張がそれを後押ししてしまっていた。
ガラガラガラッ!
全員が見守る中、リシェーナはとうとう貧血を起こし、支えるものもなく転倒し辺りの岩で派手に音を立ててしまった。
『ゴォォウッ!』
番人たちの、吸血鬼の唇のように真っ赤な双眸が開き、彼らの逆鱗に触れた者たちに向けた咆哮が坑道内を隅々まで満たした。
「リシェーナッ、早くこっちに!」
番人の咆哮に地盤が僅かに軋む中、ポコはリシェーナの手を引き、彼女を物陰へと隠した。
「いいかい?ここでジッとしてるんだよ!」
一行は三つに分断された。
先頭をいくポコとリシェーナたちを含む7人。中間地点に置き去りにされた村人5人。そして、最後尾のヂークベック。
「バカっ!」「ドジっ!」「マヌケっ!」「アンポンタンっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと、今はそんなこと言ってる場合じゃないよ!」
姦し娘たちがここ一番で転んだリシェーナを責め、ポコがその無益な争いを諌めた。
『……』
そんなことは分かっていた。むしろ、たった今、口にした罵倒は全部、自分たちに向けられたものだった。
村の中で一番親しい友達だと思っていただけに、彼女たちの後悔は大きかった。
「後ロは任せロ!」
ヂークベックは得意の機関銃で後方の4匹の注意を引きつけた。
「お、俺だって…、」
「止めなさい!」
中間地点の物陰に隠れた村人の一人が傷んで折れた坑木を手に取り、ヂークと交戦する獅子の背後から殴りかかろうとするところを長老たちが取り押さえた。
「離せよ、俺たちだって、アークに護られてばかりはいられないだろ!?」
「状況を考えるんだ!私たちが手を出して、却って彼らの邪魔になってしまったらどうする!」
「やってみなきゃ分からないだろ?!」
「いイや、ソコのジイさんの言う通リダぞ。」
「!?」
化け物たちの注意を引きつけつつ、長老たちと合流したヂークは慣れない戦場へ果敢に挑もうとする若者を突き放した。
「キサマ、アレと一対一デ戦エルカ?でキないナらワシにハタだの捨テ駒にしカ見えんぞ。」
乱暴な言い方ではあるが、間違ったことは言ってない。それでも、彼は自分が何かの役に立つことを証明したかった。小さなトトでさえアレらに立ち向かう「勇気」を得たように。
「クソッ、俺だって武器さえ持ってりゃ!」
「アレク、落ち着くんだ。何も戦場だけが戦争の全てじゃあない。儂らには儂らにしかできん闘い方があるじゃないか。」
「さスガはジジイ、良イコト言う。…いいヤ、実はワシもそレが言いたかッタんだけどな。」
「……」
納得がいかなくとも、羽交い絞めにされている彼は戦況を見守ることしかできない。
けれども直ぐに、自分がいかに無謀なことを口走っていたのか。彼は嫌でも認めざる負えなくなってしまう。
一見、ただただ銃を乱射しているだけに見える奇天烈な形のロボットは、魔法のような『力』で散らばる小石や岩を意図的に操って化け物の急所を狙ったり、つむじ風を巻き起こしてコウモリの動きを撹乱していた。
ただの弱虫だと思っていたポコも、自分の弱さに抗うような顔つきで、ラッパや警笛を使って摩訶不思議な戦闘を繰り広げている。
…俺には、天地がひっくり返ったって、そんなことできやしない。
ついさっき、眠る怪物たちから漂う「確実な死」に覚えた絶望を拭ったかと思いきや、今度は「戦場」という人間の専売特許のような世界においてさえ自分は何の価値もないのだと絶望していた。
腕の中で気を落とす若者に、かつて同じ悩みで苦しんでいた長老は大切な同胞にヒントを与えた。
「若いお前はまだ自覚していないのかもしれんが、儂らは十分に彼らと一緒に闘っているんだぞ?あの小さな村で、彼らの命を支えているのは他ならぬ儂らなんだ。」
誰しもが彼らのような「特別」ではいられない。
「特別」であることで与えられる悲劇も彼は見守ってきた。「特別」でないことに感謝した日もあった。
しかし、それらの情に欠いた想いを抱くこともまた、彼を悩ませる種になった。
けれども、
「それが儂らにできる唯一の闘い方で、今の儂らにしかできない闘い方だ。」
「特別」な彼らと接している内に私は気付いたのだ。
私もまた、彼らのような「特別」になりたいのだと。そして、彼らは私に言ってくれた。「共に闘おう」と。
…そうだ、そうなのだ。苦難を前に立ち上がるものは皆、「特別」なのだ。
彼らがそれに気付かせてくれた。だから私はこの「特別」を手放さない。大切な仲間と共に最後まで生き続けるのだ。
……あの村で。