「起きて、ヂーク。起きて、エルクだよ。助けに来てくれたんだよ。」
必死に揺するポコに対し、「もう食べられん」なんてお決まりのボケをする粗大ゴミ。
「…ンがっ?!……オォ、エルクか。意外ト早かッタナ。サあ、イッちょ村人でモ助ケニ行くか?」
この野郎…。そのお粗末な顔面ぶち抜いて鳥の巣箱にでもしてやるか?
「ヂーク、こういう時はありがとうって言うんだよ。」
「あア、そウいや忘レトッた。ソんナコトヨりエルク、そコの箱開けてミ。」
ポコの言葉をバッサリ斬り捨て、ポンコツは独房の中に不自然に設置された備品箱を指して言った。
「……」
いちいち突っかかるのも面倒で、取り敢えず言われるままに開けてみる。中身は…、綺麗サッパリ、何も入ってなかった。
「ヤーい、ヤーい、引ッ掛かりオッた!」
「……」
「は、初め、鍵が掛かってたんだよ。それでヂークが、”絶対に良いものが入ってる”って意気込んで開けたんだ。だけど…、」
「スカじゃ!コノ気持チ、今のお前ナら分かッテクレルじゃロ?!」
俺はプロだ。どんな状況でも仕事に支障をきたすような真似はしない。
だけど商売の神様、一生に一回くらい目をつぶってくれてもいいだろ?
「ア痛っ!!」
外装が凹むのも構わず、音が響くのも構わず俺はポンコツを思い切り殴りつけた。
「ナンじゃナンじゃ、人ノ頭をポカポカ叩キおって!動物愛護団体に言いツケるぞ!」
「勝手にしろよ。だけどその前にせめて全身に生肉巻きつけとけよ。じゃねえとテメエみたいな鉄クズなんか門前で袋叩きだぜ?」
まあ、潜入してから4、50分くらい経ってる。音信不通の門衛が襲撃を受けたことも発覚してたっておかしくない。
だから、例えこの音で敵が俺たちの居場所を察知したとしても、100%この拳が悪いってことはないだろ?
「エ、エルク、落ち着いてよ。」
「ん?ああ。別に怒っちゃいねえよ。」
怒る怒らないというか。コイツの言うことに対して、深く考えるのを止めた。ただそれだけだ。
殴りたい時に殴るし、無視したい時に無視する。それくらいが丁度良いんだとようやく気が付けただけ。
むしろ気付くのが遅れて、今までの気疲れを思うと空しさが押し寄せてくる。
「おい、キサマら、そこで何をしている!」
そして、一連のシナリオのように、恰幅のいい将校がゾロゾロと部下を引き連れて俺たちの前に現れた。
「キサマ、我が軍の兵じゃないな?!」
「ホれ、見ツかっタジャなイか。」
「…その凹み、風穴に変えてやろうか?」
「だからエルク、そんなこと言ってる場合じゃないよ!早く逃げよう!」
ポコは俺の袖を引っ張り、将校たちの現れた方向とは逆を指した。
「逃がすものか!」
将校の号令に合わせ、おおよそ10本のライフル銃が一斉に火を吹いた。
「…なぜだ、なぜ当たらん!?クソッ!」
「バーカ、バーカ。」
けれども逃げ去る俺たちの背後で、ヂークが発生させた磁場の壁的なものが飛んできた鉛玉を減速させ、俺たちにまで届くことなく落ちていく。
「クソ、逃がすな!射殺して構わん、タワーの外に出すな!」
そうして背後を牽制しつつ走り続けること数分、俺たちはあっさりと追っ手を振り切った。
…いいや、これは振り切ったんじゃない。見逃されたんだ。
監視カメラで追えば、先回りして俺たちを待ち伏せすることだってできた。なのに後方の追手以外、俺たちを狙う敵は現れない。
まるで俺たちの「逃げ場」を律儀に用意してくれてるみたいじゃねえか。
…間違いない。これは仕組まれた脱出劇だ。
「エルク、早く皆を助けないと!」
それだ。
俺たちのここでの目的は一つしかない。敵はそれを知ってる。
その舞台設定を、敵は利用してる。俺たちを使って「元」を断とうとしてやがるんだ。まるで毒と知らずに腹を満たして巣に持ち帰るゴキブリみたいに。
「エルク、早く行かないと!」
「……」
「ど、どうしたの?そんな恐い顔しないでよ。」
俺はポコの慌てぶりに違和感を覚えた。余裕がないのはいつものことだけど、明らかに何かに怯えてる。俺がいなくなった後に起きたこと、もしくは知ったことに対して。
「ポコ、何か俺に隠してることがあるんじゃねえか?」
「え…?」
すると、ポコは車に轢かれそうな猫みたく、全身を強ばらせた。
「俺はこの先に罠があると思ってる。アイツらが無抵抗に人質を手放したりするもんか。お前はそのことで何か知ってんじゃねえのか?」
視線を逸らし、唇と、合せた両手が震えてる。
「別にお前を疑っちゃいねえよ。だけどお前ら、牢屋にぶち込まれたってのに丸腰にされてねえのはさすがにオカシイだろ。」
その言い方はもう、助けにきた俺を「襲ってください」って言ってるようなもんだけど、ポコに限ってさすがにそれはない。
…もしもそれが真実だったとしたら、明らかにタイミングを逃してる。
「言えねえのか?」
さっきまで癇に障るくらいに五月蝿かったポンコツも意味深に沈黙をきめてやがる。
「エルク、実はね…、」
ようやく、重たい口を開き、独房でアンデルに唆された「裏切り」のことを俺に打ち明けた。
それはそれで驚いたけど、俺はなんだか肩スカしを喰らった気分になった。
まあ、丸腰じゃない理由はわかったけれど…。
あの陰湿な嫌がらせが趣味のようなツラをしてるやつが、そんな囚われのお姫様にするママゴト程度の悪戯しかしていないなんて…。何考えてんだ?
「それだけか?」
「うん、ホントだよ。何も隠してないよ!僕、皆を裏切ったりしないからっ!」
「わかった、わかった。分かったから、そんなに興奮すんなよ。疑っちゃいねえって言ってんだろ?」
「…うん。」
付き合って二日と経ってないけど、コイツに誰かを騙すなんて殊勝な真似ができるはずもねえ。「アーク」を裏切るだなんてもっての外、疑うだけ時間の無駄だ。
アンデルだってそれくらい分かってる。
だからもしも、それが「ママゴト」じゃねえってんなら、その「脅迫」には別の狙いがあるはずだ。
武器を持たせておけばそれだけ人質の救出率は高まる。
そう、「人質の救出」自体が罠なんじゃねえかと俺は睨んでる。いいや、もっと言えば「人質」が罠なんじゃねえかと思ってる。
アイツらはそれができる奴らなんだ。
「それで?人質とアーク、お前の中で答えはを出たのかよ。」
そこに行き着いた俺は、これまでウンザリするほど経験してきた「悪夢」がまた、性懲りもなく俺たちを笑いに来ているように思えて胸がムカついてきていた。
「…僕には選べないよ。だって、僕のせいで誰かが死んじゃうなんて。考えるだけで頭が痛くなるんだもん。」
「だろうな。」
「え?」
アイツらはそれをゲーム感覚でやってやがる。だから増々ムカつくんだ。
「アンデルは、どうしてわざわざお前を誘ったんだと思う?」
「え?」
ポコは狐につままれたような顔で、萎んだ風船みたいな間の抜けた返事を繰り返した。
「コイツを使えば説得なんてまどろっこしいことしないで自然にスパイを仕込めたのによ。」
俺は、俺の「手形」の付いたポンコツの頭をコンコンと叩きながら言った。
「ばカもん!ワシは最強ダぞ?」
「こういうヤツだろ?データを書き換えることくらい簡単にできそうじゃねえか。」
「…じゃあ、なんで?」
「揶揄われたんだよ、アンデルにな。もともとお前がメインターゲットじゃなかったのさ。多分、アークを釣るための餌ぐらいにしか思ってなかったんじゃねえの?」
「そんな…。」
当たりをつけた「罠」のことは言わなかった。
本当なら俺がポコを問い詰めたように、すぐにでも可能性を共有しておいた方が良いんだろうけど、少なくとも今、コイツをこれ以上不安にさせるのは良くないような気がしたんだ。
「良かったじゃねえか。結果的にアークの手を焼かせなかったんだからよ。これで人質も助けられれれば、あのクソ大臣にも一泡吹かせてやれるんだぜ?」
「できるのかな。もう、皆やられてたりしないかな…。」
昔、俺がビビガにそうされたように、ポコの背中を犬をあやすように優しく叩いた。
「心配すんな。あのクソ大臣のことだ。無駄に人質を殺したりはしねえよ。俺たちの前に晒して俺たちを捕まえる道具にするに決まってる。」
「…確かに、そうかも。なんだか、エルクの方がアイツのことをよく知ってるみたいだね。」
「ハハッ、ああいう腐った連中はみんな行き着くところが似てくるんだよ。どいつもこいつも獲物をどうやって狂わせて遊ぼうかってことしか頭にねえんだ。」
俺はフォローしたつもりだった。ただ、人質は大丈夫だって気休めを言ってやりたかっただけだったんだ。
けれど、当たり前だけど、俺とポコは日頃から考えてることが違う。
俺の何気なく選んだ言葉は違う視点からポコを追い詰めてしまっていた。
「…僕も薄々思ってたんだ。この世界にはアンデルみたいな人が沢山いるってことでしょ?人間も悪魔も変わらないって。それってすごく悲しいよね。」
「……」
「何がいけないんだろうね…。」
…俺は、その目に覚えがあった。
これもまた随分昔のことだ。仕事で潜った下水道で拾った仔犬がこんな顔をしてた。
信じてた人が傍にいなくて、流れに身を任せることしかできない不安な世界。自分では何も変えられない世界。
俺だって、できるだけ優しく接するように頑張ったけれど、アイツは俺がいつ、あの下水道の化け物と同じように自分を攻撃してくるか分からない。
アイツの目はいつも濡れてた。
あの時の俺はまだまだ賞金稼ぎとして未熟で、成り行きで引き取ることになったアイツのことを「面倒だ」とか思うばかりでアイツのことを考えてやれる余裕がなかった。
だけどミーナがくれたアドバイスのおかげで、俺はアイツの傍にいたいと思えるようになった。
俺はまだ自分の『悪夢』にすら打ち勝ってない。だから大したことは言えない。
だけど…、
「アークは?」
違うんだ。
「…え?」
「アークも、今のお前みたいに”人間なんて助ける価値がないかもしれない”なんて考えてるのかよ。」
答えが分からないからって途方に暮れちまってたらあの時の俺と何も変わらねえ。
…俺はもう、ガキのままじゃいられないんだ。…護る人ができたんだ。
お前だってそうだろ?大切な人にそう教えてもらったんじゃねえのかよ?
「アークは絶対にそんなこと言わない。」
弱い自分を支える「答え」は大事だ。だけど、俺たちには「答え」よりも大切な人がいる。
今、ポコの目に宿ってる光が物語ってる。
「どんな時だって、少しも疑わないよ。皆を助けることだけを考えてる。」
俺たちはもう、大切な人の泣く姿なんて見たくない。
俺は、彼女を愛してる。
「ねえ、エルク。その服、脱がないの?」
さっきの遣り取りで柄にもなく熱くなってしまったからか。頭の中の地図が少し曖昧になってしまっていた。
さらには前方の変化にばかり注意を払っていたから、ポコが頭のオカシクなことを言い始めたのかと思った。
「…ああ、俺もこんなダセェ服は早く脱ぎたいけどよ。一応、この先、何が起こるか分からねえしな。」
作戦に集中しすぎて自分がまだ「兵隊ごっこ」をしてるってすっかり忘れちまってた。
実際、いつもの服と比べるとどうしても動きにくさが目立って邪魔に感じることはあるし、すでに俺の正体なんかバレてるんだろうけど。それでも、いざって時に「スメリア兵」であるかないかは生きるか死ぬかの重要な分かれ道になる。
だから、もう少しだけこのままでいるに越したことはない。
「もシも捨てルナらワシにくれ。」
「はあ?」
今度こそ、間違いなく、このポンコツが言ってることは「オカシなこと」だと断言できた。
「テメエ、そりゃあテメエと俺の体格が同じだって言いてえのかよ。」
「ばカタレ、ワシの方がヨッぽどスリムボディじゃ。ソのワシが着ルなラソのイカした服もサラニ映エるっちュウモんだロ。」
考えたら負け。考えたら負け。考えたら負け……、
「戻ったらイの一番にテメエのその開いてるかどうかも分からねえ目ん玉を縫い付けてやる。」
「アホか!イケメンは”歯ガ命”ナンだゾ!?」
「…なら別に構わねえじゃねえかよ。ついでに言っておいてやるけど、テメエに”歯”なんか一本も生えちゃいねえぜ?」
「……アレ?」
隣でポコがクスクスと笑ってやがる。…まあ、さっきみたいに落ち込んでる顔よりよっぽどマシだけどな。
途中、通路の素材に擬態した化け物に襲われることはあったけど、大したレベルじゃなかった。
捕える様子もなく、殺す気概も感じられない。中途半端な攻撃は俺の考える「罠」の可能性を増々強くしていった。
ガコンッ
「!?」
不意に、床が沈むような感覚に襲われ咄嗟に飛び退いた。足元を見ると、さっきまで確かにあった通路の一部が跡形もなく消えていた。
「ポコ?!」
―――こんなブービートラップにポコが対応できるはずがない!
振り返って手を伸ばすけれど、すでにそこにポコの姿はなく、俺の視線よりも遥か下にまで落ちていた。
「エ、エルク……」
まるで走馬灯を見ているかのように悲愴に染まった仲間の顔がユックリと遠ざかっていく。
落とし穴の底が見えない。頭から落ちたら確実に即死だ。もしもポコが正気なら『力』を使って一命を取り留めるかもしれない。
だけど、あの顔が理性を残してるとはとても思えない。
「クソッ!」
床を蹴り、勢いをつけて落下するポコに追い付く。
「エルク、なんで?!」
「テメエが世話の焼ける仲間だからだよ!」
強ばる仔豚を抱き寄せ、俺は暗い暗い穴の底を睨みつけた。
「…イタタタ……、」
「平気か?」
…どうにか二人とも生き伸びてるらしい。
俺の『炎』で着地の衝撃を和らげたけれど、ポコの体重が思ったよりも重く、完全にノーダメージとまではいかなかった。
もしも落ちた先に針が敷き詰められてたら俺はまだしも、ポコはアウトだったと思う。
俺が安否を尋ねると、ポコは力なく頷いた。
「…ねえ、エルク。」
落ちた先はおそらく「ゴミ捨て場」、もしくは逃げ出した囚人を一時的に収容しておく場所のようだった。
腐臭こそあまりしないものの、そこには何十人、何百人もの「死」が見え隠れする遺物が散乱していた。
現状把握もそこそこに、ポコは穴に落ちた時と同じテンションで聞いてきた。
「僕を助けてくれた時、エルク、なんて言ったの?」
「は?」
「い、いや、なんかよく聞き取れなかったから…。ちょっと気になっただけなんだよ。」
俺は、ポコに言われて初めて自分の言ったことを思い返し、意識した。
「…憶えてねえよ。」
「そ、そう。そうだよね。」
別に、今言う必要なんかない。そんなの、これから嫌ってくらい耳にするんだ。
そう思えば、これくらいの意地の悪さは目を瞑れる範疇だと自分に言い聞かせた。
門衛の詰所に、こんな地下監獄の情報はなかった。
「これ、出口ってまさかあの穴だけってことないよね?」
「それはそれでオモシロそうだけどな。まあ、その可能性は低いだろうよ。」
侵入者対策のためか。それとも身内も知らされてないことなのか。何にしても、この場所の機密性のレベルによってここから脱出する難易度が決まる。
「なんで?」
「もしもここが外から出入りできないような密閉された場所だとしたら、連中の活動区画ともっと離しておかなきゃならねえからだよ。」
死体は腐るし、腐った肉は疫病の母体になりやすい。
基本的に病原菌は風に乗ったり、生きた動物を媒体にして広まる。そういう意味では十分な深さの穴だとは思う。…ってのは素人の落とし穴だ。
虫ってのはどこにでも湧く。アイツらは小さいし、羽や鉤のついた足でどこでも簡単に行き来する。
そこら辺の対処を考えるより、そもそも病巣にしないことの方が何倍も楽なんだ。
現に、ここには沢山の囚人が落とされたはずだろうに、それに見合った惨たらしい描写がほとんどない。
「だから定期的に清掃できるよう”従業員専用”の出入り口がどこかにあるはずなんだよ。」
だけど、こんだけ大掛かりな檻なんだ。例え出口が見つけられたとしても、俺の『炎』でどうこうできるかは五分五分ってところだな。囚人側から操作できるとも思えねえし…。
そういう意味で唯一の救いと言えば、ウチの粗大ゴミが一緒に落ちてこなかったことだな。
…まあ、アイツが俺たちを助けられるような上等な働きをみせられるかってツッコまれると、泣いて謝るしかねえけどな。
どうにか開けられる扉を開けながら周囲を探索していると気付かなくてもいいことに気付いてしまった。
「なんだかここ、変な造りだね。」
そう、この地下監獄は牢屋と牢屋が碁盤の目状に繋ぎ合わせてあった。
まるで何かの実験…いいや、十中八九、造ったキメラの性能を試す目的でお互いを戦わせるため、もしくは一杯になった監獄の「整理」をする目的で共食いをさせるために囚人同士を向かい合わせてあるんだ。
「どこまでもサイコな連中だぜ…。」
連中の「仕事」を頭に浮かべるだけで胸糞悪さが止まらねえ。
そういう目的のためか。一見、この「ゴミ捨て場」は完全に密封されているように見えた。
だけど、牢屋の一つを隈なく見ていると壁の接地面に、不自然に削れた跡を見つけることができた。
「…これ、動くな。」
「え?どうやって?」
辺りを探ってみるけれど当然、それらしい操作盤は見つからない。
「ちょっと退がってな。」
壁を溶かそうと、ありったけの『炎』をぶつけてみた。
だけど、さすがに『炎』はダイナマイトの代わりにはならない。そもそも、相手が鉄ってのが相性が悪い。
ポコのラッパも試させたけど、大きく凹むだけで穴は開けられない。
耳を当てて向こう側の気配を探ってみるけれど、全く分からねえ。たぶんこの壁、想像以上に分厚いな。
「認めたくはねえけど、こっち側からはどうにもできねえよ。」
そもそも、この壁が動くからといって、これが「出口」だとは限らねえ。
ただ、不幸中の幸いというか。この仕掛けがどうやら「精密機械」じゃねえってところが救いだった。
俺たちが勝手にバカスカ殴って壊れちまってたら目も当てられねえ。
「どうするの?」
「…あの穴、登れんのかよ。」
「ううん。」
「…じゃあ、待つしかねえんじゃねえの?」
「何を?」
「…言いたくないね。」
不思議と焦りはなかった。こんなにも時間が限られてるってのに。潜入した時はあんなに不安を感じてたのに。今は何だか、なんとかなる気がしていた。
だから今はその期待が裏切られないことを目一杯祈って、俺の出番がくるまで体力を温存しておけばいい。そう、思うことができた。
そしてソイツは、俺の期待を遥かに上回る働きをしてみせた。
「まっタク、ワシを独リボっちにシよって。」
「…やるじゃねえか、このクソポンコツ。」
壁にもたれて休息を取り始めることおおよそ10分、対面の壁が騒音と共に動き出した。
「ヂークっ!」
「オウ?」
「こんなに早く助けてくれるなんて!スゴイやありがとう!」
「イチイち騒ガしい奴ダナ。当然じャロ。ワシは最強だぞ?」
確かに、敵の陣地で身を隠しながら俺たちの位置を把握するだけでもかなりの手間なのに。これだけ素早く的確にロックされた扉を開けるとなると、その手のプロにだってかなり荷の重い作業になるはずなのに…。
少なくとも俺には真似できそうにない。それだけのことを、このポンコツはあっさりとやってのけた。
ヤゴス島の遺跡で掘り起こした時のコイツの前身はただの戦闘兵器にしか見えなかったのに。
今はただの不燃ゴミにしか見えないのに。
本当に、コイツの能力は未知数だと実感させられた瞬間だった。
「こレは?」
ヂークは監獄内で息絶え、白骨化した囚人の傍にある手帳を拾い上げた。
「やめとけ。ただの日記だよ。」
「ホウ、日記カ!」
「他人の日記を勝手に読むもんじゃねえよ。しかも死んだ奴のなら尚更だろ。罰が当たるぜ?」
「お前ハ見タンダろ?」
「…何か情報がないかと思ってな。」
「じャア、ワシも見ル。」
「…勝手にしろ。」
そこにはトム・ウェイソンという名の被害者の悲痛と後悔が書かれていた。
事細かに、生々しく……。
「だから言っただろうがよ。」
数ページ読んだヂークの手が動かなくなっていた。
「別に同情はシトらん。コイツは悪人だカらな。」
「お前はコイツの何を知ってんだよ。」
「……」
他にも、壁や衣類にメッセージを残している囚人たちもいた。けれど、どれもこれも内容は変わらない。
自分たちの「不運」、そして連中への「憎しみ」がそこに染み込んでいる。
報われることのない囚人たちの心に触れ、ポンコツは一言だけポツリとこぼした。
「愚カダ。」
「…そうかもな。」
半分は確かにコイツらの自業自得だ。だけど、もう半分は間違いなく「被害者」だった。
本当に、ヂークの言う通りだった。捕まる人間も、捕まえる人間も……。
「先を急ごうよ。こんな人たちを増やさないためにもさ。」
「…ほら、行くぞ。」
俺は動かなくなった最強のボイラーの煙突部分を掴み、引き摺った。
しばらくして「自分デ歩けル」と言うまで。