――――パレンシアタワー、AM1時
タワーへ向かう途中、2、3艘の軍船とすれ違ったけれど、管制塔の時と同じくペールマンから指示された識別信号のお陰で何事もなくやり過ごせた。
驚いたことに、埠頭には照明がいくつか立てられているだけで、そこを管理する人間は一人もいなかった。
時間帯のせいか?それとも人手が足りてないのか?
…いやいや、アホか。ついさっき俺とポコが侵入しようとしたばかりだぞ?あの大臣に限ってそんなことはある訳ねえだろ。
それを言うならペールマンのメモだけでここまで来れたことも十分に異常だ。
だけど…、
今は陽が沈んでいて、見通しが悪い。罠を仕掛ける側にはもちろん、侵入者の側にだって都合の良い環境には違いない。
そして、おおよそ2、3時間後にはもう陽が昇り始める。
…それが、俺の答えだった。
「敵はそんなに強かったのか?」
とはいえ、ある程度は管制塔に報告した「補給兵」を演じてないと、すぐに怪しまれてしまう。ポコと人質が囚われている間はなるべく警戒態勢を取られるわけにはいかない。
帰りの船だって調達しにくくなる。
俺は門衛室で待機してる男に簡単な報告をした。
「ああ、こっちの攻撃がまるで通じないんだ。あのまま戦ってたら全滅してた。」
「…お前はなぜ無傷なんだ?」
「分からない。意図は分からないが、手加減をされたのは間違いない。ただ…、」
スメリア軍の階級は理解してる。徽章を見る限り俺はコイツと同じ階級だ。
だからなんとなく、雰囲気でタメ口を利いてるけど、「軍隊」って敷地内でこんなくだけた話し方をしていいんだったっけ?
俺はどちらかと言えば「奇襲」とか「突撃」が専門で、「変装」とか「隠密」になると変な汗が出てしかたねえ。
「ただ、奴は私兵と別行動を取っているようだった。」
これはペールマンが俺に渡したメモにある設定だった。
理由までは書いてないけど、おそらくはスメリア軍のペールマン個人への警戒心を少しでも緩めておきたいんだと思う。その方が罠も掛けやすいから。
「町にいた時はただのアル中かと思っていたが。…不気味な奴だ。」
「ムカつく奴だったよ。ヒトを苛つかせることに人生をかけてるようだった。」
「アイツは博奕も好きだったからな―――っ!?」
会話に違和感がなかったから危うく見逃すところだった。
そもそも変装に自信はなかったけど、俺はどこかでミスをしたんだ。
それで俺が「偽物」だと気付いた門衛は、机の下にあるボタンに手を伸ばしていてやがった。咄嗟に気絶させてどうにかピンチは回避できたけれど。
記憶に残るかもしれないけど不審な動きはできないからと視線を外しすぎないでいて良かった。
「だけど……、」
ここ、入り口なんだよな。
外部から襲われやすい場所なだけに定期連絡が義務付けられてるかもしれないし、何より…目につく。
一応、拘束して部屋の奥に突っ込んでおいたけど、見つかるのはもう時間の問題だ。
それに、こんな短時間で見破られてしまうんだ。中に入ったら今以上に気を付けないと、ますます自分の首を絞めちまう。
シュウの教育がなかったらこの時点でパニックになってるだろうな。
自分でタイムリミットをつくっちまったのは痛いけど、ミスなく動けばまだなんとかなるレベルだと思う。
…そう、焦らなきゃいいんだ。
表面上はそう装いつつも、胸の内では騒つきが抑えられなかった。
もしかしたら間に合わないかもしれない。
また、俺のせいで助けられる人を見殺しにしてしまうかもしれない。
「……いいや、ダメだ。」
もう、ダメなんだ。これ以上、俺のせいで誰かが死ぬなら、俺は…。
「落ち着け…。」
今さら何をそんなに焦ってやがるんだ!
「誰かを助けられる人間になる」そのために俺は今も、生かされてるんだろ?
敵の陣地でも肺に入る空気の味はあまり変わらない。肺の隅々にまで行き渡らせた夜の空気は程よく冷たく青臭さと潮の香りがいい気付け薬になった。
「…よし。」
手始めに門衛室に設置されたモニターからタワー周辺の監視カメラの位置を確認した。
「…これ、夜は意味ねえじゃねえか。」
「暗視」の技術はあるものの、カメラそのものの解像度が低く、よほど派手な服装でないと人間と獣の区別もつかない。ともすれば人影そのものを見逃すかもしれない。
これなら安全な船さえ用意できれば最悪、正面玄関から脱出できるかもしれない。
「……!?」
他にタワー内部の情報がないか探っていると、タワー側から武装した人間の気配が近付いてきた。
「おい、ハロード、交代の…!?」
顔見知りの同僚とは俺も運がねえ。
粗方、門衛室での情報収集を終えると、俺は不運な交代野郎を「ハロード」と同じ場所に捻じ込んで堂々と正面玄関から乗り込んだ。
運が良いか悪いか微妙なとこだが、「今」交代が来たってことは少なくとも「次」が来るのはだいぶ後になるはずだ。
それに、門衛室でタワー内の構造はだいたい記憶した。
今のところ障害になりそうなのは、タワー内の要所々々の扉を開けるカードキーがないことくらいだ。
タワー内でも貸し借りできる場所はなく、「交代野郎」もそれを持ってなかった。その代わりに二人分のID番号は手に入れた。
少し右往左往することにはなるけれど、IDだけでも通れる通路があり、問題なく目的地には辿りつけるはずだ。
あとは…、この変装がいつまでもつかだな。
目指す場所は二か所ある。
独房と雑居房だ。十中八九、村の連中は雑居房にいる。そして、もしもポコがまだ生かされてるなら独房に入れられてるはずだ。
タワーの構造は侵入者の方向感覚を奪うように入り組んでいて、通過するためだけにID番号を要求する場所が至るところにある。扉もかなり分厚く、大砲でもなけりゃこじ開けられないような造りになっている。
行政機関というよりも陰気な軍事機関というような物々しさがあった。
…要は、”白い家”に似てるんだ。
門衛でのことがあっただけになるべく気を配って進んでいたってのに、中の連中は不自然なほどに警戒心が薄かった。
今が深夜帯とはいえ、配置されてる人間も少な過ぎる。罠にハメてやろうって臭いがプンプンとする。
「あんなのが全世界に指名手配されるほどの犯罪者とはな。顔を見た時は思わず女かと思ったぜ。」
連中の世間話が手軽に聞けてしうほどに。
「滅多なことは言わない方がいい。うっかり口を滑らせたなら味方がお前の首を刎ねに来るぞ。」
「ハハッ、万が一にもそんなことにゃあならねえよ。なんせ、口を滑らせるような秘密なんざ一つも持っちゃいねえんだからよ。」
おそらく「アーク一味」の話だ。だとすれば「女」と間違われた世界的犯罪者は「ポコ」のことで間違いない。
さすがにここで「無事かどうか」なんて尋ねる訳にもいかない。
「とにかく、その首を繋いでいたければこの話題は止めておけ。」
「へいへい。案外お堅いんだな。」
だけどもし、すでに殺されてるってんなら話の切り口にはもっと嫌な言葉が並んでたはずだ。
大丈夫、まだ間に合う。
顔の筋肉が強ばるのを必死に堪え、早足になるのも抑え、俺は頭に叩き込んだ地図の上を淡々と進んだ。
――――パレンシアタワー、上層
大臣のために設えられた質素な執務室。そのさらに奥、そこに人には耐え難い過酷な部屋があった。
照明であるべき青い炎が闇を湛え、闇で満たされた部屋には深海を思わせる重く冷え切った空気が侵入者の体を弄るように泳ぎ回っている。
目を潰し、肺を潰してなお世界を見る目を持ち、肺を潤せるものだけがそこに立つことができた。
正しくは、その鏡の前に……。
「勇者ポコを捕えました。」
限られたものへの「青い炎」で満たされる中、萌葱色の装束に身を包んだ男は、神殿式の柱と艶やかに波打つカーテン、二体の石像で祀り上げられた一枚の鏡に向かい、言葉を投げかけていた。
「依然、”審判の日”は滞りなく進んでおります。次の春を待つことなく世界は貴方を歓迎することでしょう。」
それは紛れもなく「鏡」だった。
だのに、そこに向かい合う男の姿は映っていない。代わりに、彼が見下す人間から奪ったスメリア国の赤い国章が薄っすらと浮かび上がっていた。
萌葱色の男が独り語ちる中、何人にも冒しがたい暗闇に一羽の兵士が現れ、囁いた。
「エルクの侵入を確認しました。」
「…一人か?」
「はい。」
…面白くない。この「役目」はぜひともアークにやって欲しかったのだがな。
「…はい。以前、ガルアーノの研究所を破壊した賊の一人です。」
萌葱色の男は鏡に振り返り、答えた。
「問題ございません。アレもまた精霊の遣わした使者のようですが、アークに比ぶればまだほんの子ども。”白い家”の破壊はガルアーノの戯れでもあります。未だ彼らの中に、一人としてかつての”勇者”に及ぶ者はおりません。」
僅かに、鏡に映ったスメリア国の象徴が揺らいだ。
「左様です。かの大魔術師もまた、中身を入れ替えた、ただの人間でありますれば。」
冷え切った無音漂う中、男は「相槌」をする。
「お任せください。必ずやご満足いただける玉座を用意いたします。」
男が深々と頭を垂れると赤いスメリア国章が鏡の奥底へと沈んでゆき、闇の世界の水圧が心ばかりか和らいだ。
兵士に向き直った男の顔は―――抑圧から解放されたにも拘わらず―――血の気がなく、まるで皮の下に潜むもう一つの素顔を曝け出しているように見えた。
それこそが彼の本性だとでも言うように。
「一人も殺すな。伝えた通りに誘導しろ。仕上げは私がする。」
男は兵士を飛ばし、男は露わになった自分の顔を香る扇子で覆い隠した。
――――パレンシアタワー、下層
バレたい訳じゃない。
だけど、こうも自由に構内を歩き回れている状態が逆に俺を追い込んでいるように思えた。
他の兵とすれ違っても定型の挨拶さえしていれば目を着けられることはない。
…実はもう全ては終わっていて、何も知らない俺は今、ただただ絶望を求めて彷徨っているだけなのかもしれない。
それでも、一歩進むごとにカンカンと甲高い声で鳴り響く階段を上り下りし、無感動にニセのIDを受け入れる扉を潜り、どうにか格子戸の並ぶ部屋ににまで辿りついた。
そこに、俺を嘲笑うような気配はない。…なんだよ、ただの取り越し苦労じゃねえか。そう思った矢先―――、
「誰だ、キサマ。何の用だ。」
牢屋の前室で事務仕事をしていた若い看守が俺を睨み付けた。俺よりも階級が高いせいか。言動も物腰も高圧的だ。
「はい。今日付けで配属されたスルト二等兵です。」
「新人か。どうりで見たことのない面だ。それで、指導員はどうした。まさかキサマ一人じゃあるまいな。」
「すぐに来るとのことで、私だけ先に来ました。」
「……っ!?」
俺を泳がせる芝居はここまでなのかもしれない。門衛の時と同じく数秒で見抜かれてしまった。
壁に設置された警報器に伸ばす左手を『炎』で弾くと、看守は見事な身のこなしで銃を抜いたが、俺は抜いた右手も『炎』で焼いた。
驚いたことに、焼けた瞬間こそ苦痛に顔を歪めたが、それ以降は眉間に皺を寄せるばかりで特に焼けた両手を庇うような素振りは見せなかった。
かなり忍耐強い奴なのか。それとも単に「化け物」だからなのか。
「”アーク一味”か?」
「さあな。」
「グァッ!?」
何か次の行動を起こされるよりも先に俺は看守の懐に入り、気絶させた。この時見せた咄嗟の反応も、コイツがかなりの熟練者だってことを物語っていた。
単純に格闘だけで勝負していたら眠らされたのは俺の方だったかもしれない。
それでも看守はすぐに大人しくなり、それ以上何か仕掛けてくる様子もない。どうやら普通の人間だったらしい。
縛り上げ、一番奥の牢屋にぶち込もうとしたその時、
「エルク?エルクなの!?」
……その情けない声を聞いてようやく、俺は息の詰まるような苛立ちから解放された。
安らぎとは言わないまでも、いつもの調子が取り戻せたような気がした。
「おい、敵のど真ん中なんだぞ?あんまデカい声出すなよ。」
「ご、ごめん。でも、エルクが無事で安心したんだ。」
「っつーか、よく俺だって分かったな。」
「だって、エルクの声がしたんだもん。」
「…まったく……、」
コイツも俺も、つい先日知り合ったばっかりだってのに何をそんなに気にしてんだか。
「鍵は看守が持ってるはずだよ。」
「いらねえよ。」
俺は牢屋の鍵を握りしめ、『炎』で焼き切った。
「凄いね、エルク。泥棒に向いてるかもしれないね。」
「あ?」
「あ、いや、なんでもないよ!」
「…ってかソイツ、もしかして寝てんのか?」
狭い独房の中には、まるで囚われのお姫様みたいに俺を見詰めるポコと、酔っぱらった中年のように大の字で寝転がる産業廃棄物がいた。
「うん。なんか、注意できなくて。」
ロボットのくせにご立派なイビキまでかいてやがる。どこまで芸が細かいんだ。
いつもなら思いっきり蹴り飛ばして起こすところだけど、ポコの苦労性な苦笑いを見るとそんな気分でもなくなった。