「…ここがタワーの中か?」
そうこうしている内に俺たちは無傷でパレンシアタワーに潜入することができた。通路で感じた違和感がウソのようにスンナリと。
「牢屋は地下って言ってたよな?」
「うん、情報が間違ってなかったらね。」
地下通路から潜入してるから俺たちは今、必然的にタワーの地下にいるはずだ。この優位性はデカい。
だけど――――、
「…エルク、向こうから誰か来るよ。」
ポコは前方の扉を指してヒソヒソと言った。
…ようやくおいでなすった。
「いったん退くぞ。」
「え?」
「…勘違いすんな。通路の暗闇を利用して身を隠そうってだけだ。」
「ああ、なるほど。エルクって賢いね。」
「……」
「ああダメだよ、エルク。反対側からも来るよ!」
ポコは通路の方を指してわかりやすく慌てふためいた。
「ビビんな。予め言っておいただろ。言った通りにやれよ。」
「う、うん。」
やっぱり行き止まりのどれかに細工がしてあったんだ。
挟まれるタイミングといい、おそらく俺たちの動きも粗方読まれてるんだろうと思う。
それでもまだ、完全にアウトって訳じゃないはずだ。今からでも、連中の目を誤魔化せばなんとかなる。
「前と後ろ、何人ずつ来てるか分かるか?」
「え?えーっと、前からは四人、後ろからは二人、だと思うよ。」
「よし、なら後ろを殺る。お前はここで静かにしてろ。」
「え?ヤルって、エルク…、」
ポコは腰の剣に手を当て、不安げに俺を見詰めた。
「心配すんな。二人くらいなら俺一人でなんとかなる。」
俺はアルディコ連邦一の「暗殺者」に育てられたガキだぜ?暴れるだけが能のバカじゃねえってことを思い知らせてやるよ。
―――死は、そこに居る―――
「!?」
行動を起こそうと身を乗り出したその時だった。
「エルク、ダメだ!アイツがいる!」
―――死は、隣人に非ず―――
唐突に襲われる悪寒。肺が急速に冷えて縮んでいく。足に送られる血が滞って痺れる。
吸っちゃいけない毒が漂っているのかもしれないと反射的に口を押えた。
俺の、しょうもない傲りが、ポコの言う「アイツ」への警戒を緩めてしまっていた。
まさか、こんなしょうもない場所にまで出張ってくるなんて…。
「フン、どんな卑しいネズミが潜り込んできたかと思えば、キサマは我がスメリア軍が誇る精鋭部隊のポコ・ア・メルヴィル殿ではないか。」
「アンデル!」
萌葱色の冠を被り、高価な扇子を厭味ったらしくあおぐ中年の男。
過剰に糊付けされた装束は鎧のように余計な皺がない。
そんな装束と一体化したかのようにピンと伸びた背筋。血管が神経質に手の甲を走っている。
顎を引き、見下す黒い瞳には油が浮かんでいるかのようにギラギラと嫌な光を漂わせている。
それがアンデル・ヴィト・スキア。
それがポコたちの仇敵だった。
「喚くな、不快だ。それと、ドブネズミよ。その汚らしい口で私の名を呼んでくれるな。」
「村の人を、トウヴィルの人たちを返せ!」
「…この状況でよくもそんなセリフが吐けたものだな。」
まったくだ。胆が据わってるっていうか。単に何も考えてないのか。
何にしても、コイツは想像以上にヤバい。何をしても勝てる気がしねえし、逃げられる気もしねえ。
だってのに、ポコはそんな絶体絶命の局面も理解せずに一方的に火に油を注ぎ続ける。
「コイツらを牢に入れておけ。」
『炎』が出ない。ビビってるってのもあるけど、間違いなくあの男に『妨害』されてる。
「喜ぶといい。数日後にはキサマらにも新世界で生きるための資格を与えてやる。」
「待って、アンデル!逃げるつもりなの!?」
「おい、ポコ!」
「……」
男は口を閉ざしたまま、振り返った。
閉じた口の両端から、閉まり切らないガス管のように黒い吐息が零れ出ていた。
―――死は、其の二つ名――――
「グッ!」
途端に、男の瞳が色褪せていく。次の瞬間にはそこに「男がいる」ことすら分からなくなった。
「音」も「光」も、何もかもが黒い吐息に包まれ抗いようもなく死に絶えていく。
…いいや、違う。あの黒い吐息は「音」や「光」の内側から湧いてるんだ。
そして、俺の内側からも……、
――――止まぬ吐息、病める吐息――――
「アァッ!!」
首が絞まり、内蔵が、心臓が石みたく硬く、重くなっていく。
爪の鋭く伸びた手が、一つ一つを握り潰しにかかる。目が霞んで、今にも落ちてしまいそうだ。
「エルク、大丈夫!?」
ポコ…?何でテメエは平気なんだよ。
「…鈍感な奴め。」
「避けろっ!」
アンデルがユラリとこちらへ手を突き出すと、手の平から暴れ馬のような閃光が襲い掛かってきた。
「ひぇ…、」
壁を焼き、抉り取るヤツの『雷』を見て、ポコは言葉も出せず蒼褪めている。
「エルクか。ガルアーノが目をかけているだけのことはあるな。」
「…ク、ソッ……!」
ダメだ、もうほとんど空気の味がしねえ。喉の奥から、溢れ返る血の味が脳みその隅々まで埋め尽くしていく。頭が…、何も…見えなく、なっていく…。
大臣が指示をすると、前後で待機していた兵士が身動きの取れないエルクに近付いてくる。
「…ダメだ。エルクは、やらせない!」
吠えると同時に、楽士はコートのポケットに隠し持っていた「リーフの珠」を取り出した。
それは「どうしようもなくなった時」のために二人で打ち合わせしておいた段取りだった。
「フン。」
けれども、萌葱色の男は昊を割る魔王のごとき尋常でない『力』で二人を抑えつける。
…ところが、
「…ホウ。」
リーフの珠の、若緑の光に包まれ、エルクの姿が景色に溶けていく。
「ドブネズミとはいえ聖櫃の選んだ使徒に変わりはないということか。忌々しい限りだな。」
大臣は眉間に皺を彫り、厳めしい面で楽士を睨む。
「エルク、ごめんね。僕、やるだけやってみるから。」
「待…っ、ポ――、」
ポコはアンデルの『力』を押し退け、「珠」の力を開放して炎の青年だけを飛ばした。
――――また、俺だけが、逃げた。
「それで、どうするつもりだ?まさか、キサマ一人で私を討ち取るとでも?」
萌葱色の男は、その「愛らしい仔豚」の非力さを知っていた。知っているからこそ、その意味のない行動を蔑み、嘲笑った。
「そうだね。それができればいいんだけどね。」
小太りの楽士は恐る恐る懐に手を差し込み、狙いの物を手にすると彼なりに不敵に笑ってみせる。
反応したのは彼を挟む5人の兵士たちで、いつでも取り押さえられるよう身構えた。
「その笑みがもたらす代価は高いぞ。キサマの首一つではまるで話にならん程にな。」
蔑み、嘲笑った。
「まあ、良い。やってみるがいい。それをキサマらの救世主への手土産にしてやろう。」
「あんまり僕をバカにしない方がいいよ―――」
言いながら、草臥れたシャコー帽を被った仔豚が素早く懐から取り出したものは…、銃でもなければ使い込まれた金管でもなかった。
それは、小さな小さな笛だった。
「あ…、」
けれども次の瞬間、小笛を咥え反撃の狼煙を上げようと意気込んだ仔豚は、壁を抉り落とした『雷』が残留していることにも気付かず、無防備に射抜かれ、成す術もなくその場に崩れ落ちた。
「人もネズミも、使徒も救世主も、私の目には同じ肉の塊だ。生意気にも口を利く、王の供物でしかない。」
5人の兵士は手際よく仔豚を拘束した。
「餌は手に入れた。穴は塞いでおけ。もし次に私の手を煩わせるようなことがあれば、キサマらの命がその代償になると思え―――。」
そう部下に命令したかしないかの内に、萌葱色の男は想定外の「餌」の気配を捉えた。
ソレは男たちの遣り取りをバカにするかのように、地下通路から彼ら目掛けて猪のように駆けてくる。
気配が、タワーの照明で暴かれる手前で鳴り止むと、僅かな間を置いて地下通路の暗闇からゲリラ豪雨さながらの銃弾が彼らに降り注いだ。
「最強のワシが、遅レて登場ダゾ!」
5人の兵士を翻弄する銃弾を従え暗闇より躍り出たのは、手足の生えた家庭用ボイラーだった。
「…ヂークベック、」
無数に降り注ぐ凶弾は5人の動きを抑えることに成功したものの、ただの一発も萌葱色の男の体を捉えることはなかった。
萌葱色の男の体は、口から漏れ出る黒い霧のように霞み、凶弾はただただ空しく男の体をすり抜けていく。
そして黒い霧は、
「オ?」
凶弾がもたらす死の、本当の主が誰であるのかを最強のボイラーに見せつける。
黒い霧は濁流のように畝り、襲いくる弾を呑み込みながらボイラーの目の前にまで迫り詰めた。
そうして霧から姿を現した死の主は手をかざし、最強の人形は浴びた『雷』でガシャガシャと安っぽい音を立て、沈黙した。
「これが…、ヂークベック?」
転がるボロ人形を見下しながら、萌葱色の男はかつて自分たちの「死に神」であったモノを憐んだ。
「老いたな。キサマも、私も。」
――――トウヴィル村、ククルの神殿
そこに、ククルの姿があった。松明の白々しい光で満たされる世界があった。
「お、俺は!?」
治療する彼女の手を押しのけ、飛び起きる。……そこに、敵は一人もいない。内臓から「死」を呼び起こす悪魔はどこにもいなかった。
「落ち着いて。まずは状況を説明してくれない?」
「そんなこと言ってる場合じゃねえ!」
…どうしてなんだっ……!
「ポコがアンデルに捕まった!」
どうして俺はいつも…、
「アイツら、すぐにでもポコを化け物に造り変える気だぞ!?」
どうして俺はいつも護られてばかりなんだ!?チクショウ!チクショウ!チクショウッ!!
パンッ!
その音は、彼女の平手を目で追うよりも早く聞こえた。
「起きたことは変えられない。だからアナタはそれに報いる努力をするべき。そうでしょう?」
「……」
理解するよりも早く、右頬がじんわりと熱くなっていく。
「私は今、ここから動くことができない。仲間一人のために世界を犠牲にできない。私たちはそういう残酷な闘いをしているの。だから今、頼れるのはアナタしか…、いないの。」
顔色は少しも褪せず、声も震えてない。目尻だって乾いてる。
「だからお願い。」
だけど――――、
「私の仲間を助けて。」
肩を掴むその手の平から、彼女の言葉できない不安が俺の中に押し寄せてきた。俺のちっぽけな怒りや焦りなんか一瞬で掻き消してしまうくらいに。
俺はここに飛ばされてから2時間ほど気絶していたらしい。
その間、彼女はずっと俺の中の「死」を浄化し、ただただ俺が目覚めるのを待っていた。
彼女は冷静さを取り戻した俺から順序立てて状況を聞きだすと、少し待つように言って部屋から出ていった。
「仲間に連絡を取りました。もう一度、パレンシアに向かって。アナタを訪ねてくる人が現れるから、その人を頼って。」
戻ってきた彼女は事もなげに言った。
さすが世界を股にかける犯罪者と呼ばれるだけのことはある。こんな不利な問題にも恐ろしい速さで対処してくる。
「そいつの名前は?」
「…ごめんなさい。私もその人のことは知らないの。」
「は?仲間じゃねえのかよ。」
「正確にいうなら、仲間が雇った運び屋よ。彼は今、私たちのせいでとても危険な立場にいるらしいの。だから、頼んでいる身なのに申し訳ないのだけれど、アナタにも身元は明かせない。」
…ようやく「アーク一味」以外の人間のご登場か。
「後ろ盾」って感じじゃねえみたいだけど、それでも「アーク」の敵が危険視するくらいだから、その筋に関してはかなりの腕があるんだと思う。
「わかった。だけどせめて”合言葉”くらいはねえのかよ?いくら緊急事態っつっても俺の名前を知ってるってだけで信用なんかできねえぜ?」
「…ごめんなさい。」
…まあ、そんな気はしてたけど。
「ハア、わかった。その辺は俺なりに対処してみるよ。だけど、あと一つ。今からだとパレンシアまでどんなに頑張ったって丸二日はかかると思うんだ。それはどうすればいい?」
「…こっちに来て。」
そこには彼らが犯罪をおかしながら世界各地で集めてきただろう、見たことのないアイテムが無造作に保管されていた。
「エルクは生身で空を飛んだ経験はある?」
…そこにある妙な羽根飾りが目に留まって、なんだか大体の予想がついた気がする。俺は覚悟を決めて頷いた。
「実際に空を飛べるようになるような道具じゃないけれど、体にはそれに近い負荷がかかるわ。かなり身体能力が強化されるはず。もちろん、移動にだけじゃなく戦闘にも有効よ。」
…鷲の羽根か?赤に紫、緑の石が数珠つなぎになった首飾りにボロボロの、だけどやけに色艶のいい羽根が一枚だけ付いてる。
言われるがままそれを首に掛けてみると、妙な感じがした。
左手の指輪の時と同じように、昔から持ってたかのような懐かしさがそこにある気がした。
それに―――、
「どう?気分が悪くなったりはしてない?」
「…問題ねえよ。これならいける。」
脈は正常だけど、まるでドーピングしたかのような昂揚感がある。体が軽くなっていく気がする。
ククルの言うように、これなら普段の倍以上は無理が利くはずだ。
出発直前、門前で彼女は俺を抱き寄せると、耳元で声にならない嗚咽を漏らした。
「今から向かっても間に合わないかもしれない。ただただアナタを危険に晒すだけになるかもしれない。巻き込んだのは私たちなのに、ごめんなさい…。でも、お願い。それでも、最善を尽くすと約束して。」
―――彼女たちに付いていこう。
彼女のその言葉が、俺の中でずっと燻っていた疑問が殻を破っていく音に聞こえた。
「…ああ、あとは任せろよ。」
世界が、澄んで見えた。今まで俺を苦しめてきた『悪夢』が軽く感じられるくらい。
鮮やかな空が、そこにあった。
「必ず皆を連れて帰る。今度こそな。」
俺は彼女の下から巣立つ小鳥のように、仲間の下へと羽ばたいた。