ホール内は一瞬にして焦土と化した。
手入れの行き届いたテーブルやウォータークーラーなどの備品は、あるものは弾け飛び、あるものは溶解し、もはやゴミの山のように変わり果てている。
その光景が、俺に確信させた。最終的に下した俺の決断は正しかったということを。
それは俺を責め立ててきたた拳銃どもの主人の狼狽ぶりを見ても明らかだった。
「お、落ち着くんだ。こちらも最善の努力をしているところだ。」
「お前も知っているだろう。これはロマリアとの繊細な政治的やり取りなんだ。だからもう少しだけ時間をくれないか。」
時間稼ぎのつもりなのだろうが、迂闊にもロマリアの賓客が同乗しているという機密事項を口走っている。相当に必死なようだ。
それもそのはず。俺が放った雷は、すでに半分以上の警察を再起不能にしている。全滅させるのに残り1分も掛からない状況に奴らも、もはや手段を選んではいられないだろう。
そうなると、窓を背にしていたことも正解だった。死角を作らず、狙撃の心配もない。
皮肉なことに、窓だけは対テロ用の強固な防弾ガラスになっている。そして俺はそれに守られている。
目に見える範囲でなら拳銃だろうが、ロケットランチャーだろうが俺の能力で十分に対応できる。
警官隊が苦し紛れの時間稼ぎをする一方で、奥からは各現場責任者たちの焦燥の声が聞こえてくる。
「これ以上は被害を広げるだけだ。すぐにでも射殺してしまえ!」
「バカを言わないで欲しい。貴方も見たでしょう。万が一、犯人を一撃で仕留められなければ次の瞬間には、我々が灰になっているかもしれないんですよ!」
「そのために賞金稼ぎを要請していますから。」
「だったら、その役立たずどもはいつ来るんだ?!」
「やはりロマリア側の要求を無視してでも対能力者配備をしておくべきだったんだ。」
「それも無駄ですな。そもそも、あれだけの力に対応できる人員は私の所轄にはいない。」
そうだ。この混乱は全て俺が起こしたもの。ここにいる人間がどれだけ頭を捻ろうとも、俺の力には太刀打ちできない。その『賞金稼ぎ』とやらが来たところで、もはや俺の優位は揺るがない。
雷に撃たれ、負傷した警官隊の呻き声が、覆しがたい現状を代弁しているようでもあった。
「気分が良い」という言葉では言い表せない爽快感があった。支えていたものが外れ、晴れ晴れする思いだった。最初からこうしていれば、もう少し事は上手く運んだだろうに。まったく、チンタラしていたのは俺の方だったようだ。
能力にもだいぶ慣れてきたらしい。重傷者は出したが、死者はまだ一人もいない。そうと分かれば、やれるところまでやるべきか。
俺を捕らえることしか考えていない警察らは全員必要ない。それよりも、こんな警察を盾にしてまで隠れなきゃならない偉いさんたちを相手にした方が何倍も効率的だ。
腕の中の女は気絶していたが、それは俺にとっては好都だった。このまま無事、幕が降りるまで物言わぬ賓客であって欲しいと願う。
すると、この場に俺を脅かす者は一人もいなくなったということ。もはや俺に恐いものはないように思えた。
「うわああぁぁぁぁ!!」
2度、3度放った雷は、『沈黙』を追い払い、30人の男たちから悲鳴を搾取し、空港内を阿鼻叫喚の讃美歌で満たす。
吹き飛ばされる者、焼かれる者、目を必死に押さえてその場に崩れる者。人質を無視して発砲を試みるが、その凶弾は一発たりとも俺には届かない。
男たちが晒す醜態の数々を目にして、俺はまた得も言われぬ快感を覚える。
それは以前、高尚な人間にしか理解できないとバカにされた舞台芸術か何かを見ているような気分にさせた。
そうだ。たとえ奴らが俺の要求を拒み続けようと、このまま時間まで暴れ続けていれば良いだけの話じゃないか。
俺は用意された台本を書き直すことに何の躊躇いもなくなっていた。
思い上がったその瞬間、視界の端に映った人影に男は戦慄させられる。蝋人形のように硬直し、毛という毛が総毛立つ。視線が合ってもいないというのに男は目を射抜かれていた。
「今だ、撃て!!」
男は、その言葉さえも聞き逃していた。
バンッ、バンッ、バンッ
「グゥッ」
間一髪、銃声に体が反応し、直撃は避けられたが、腕を少し抉られていた。男は人質を捨てて床に身を投げ、攻撃してくる警察を残らず吹き飛ばした。
すぐさま視線を戻すが、そこにはすでに『影』の姿はない。
いいや、俺は確かに見た。だが、来るのが早過ぎる。初めからここにいた?もしかして俺は嵌められたのか?俺が指示通りに動かなかったからか?いいや、違う。ダメだ。もう逃げられない。すぐにでも殺される。いや、逃げなきゃダメだ。姉さんに知らせなきゃ。逃がさなきゃ。
男はその非常事態に狂い始めていた。
目に見える敵は全て叩き伏せたというのに、男の体から恐怖の名残りがなかなか抜けず、直ぐに立ち上がれずにいた。
男は改めて自分の『愚かさ』を思い知る。男にとってこれは笑えない冗談だった。
皮肉にも、この場にいる誰よりも賤しい生活を強いられていた男が、つい先日この場の誰よりも秀でた『力』を手に入れた。だというのに、男は『力』に魅入られるばかりで、男自身は少しも変わっていなかったのだ。
男は力を手に入れてなお、組織の底辺にいる理由を思い知らされ、動けずにいた。
一時的にホールに『沈黙』が返ってくる。
男にも余裕はなくなっていた。誰が何をしようと、男にはもうどうでもよくなっていた。自分のことで手一杯になっていた。セントディアナ号が着陸しようと周囲が動いていたとしても、それももう構わない。
動かない自分をどうにか動かすことだけに集中しなければならなかった。壊れた鳩時計のようにピーチクパーチクと泣き喚く自分をどうにかしなければならなかった。
バラバラになった自分をまとめて殺すために、ナイフで掌を刺そうと構えたその時だった。
ふと、能力とは別の違和感が漂っていることに気づいた。雷鳴がいつまで経っても収まらない。残りの警官隊と争ってから数分が経過している。だのにいつまでも唸り声は響いている。
「おい、今この領空での飛行は止めているんじゃないのか?!」
空港の上層部らしい人間の怒鳴り声が耳に入ったかと思った途端、背後から眩い光が差し込まれた。そうして唸り声は男の虚を突き、動きを封じた間隙に急接近するのだった。
まさか、もう仕掛けてきたのか?これだけの一般人が見ている前でも『奴ら』は動けるのか?
逃げる暇なんてない。クソ、こうなったらヤッてやる。この強化ガラスを前にして、どんな攻撃を仕掛けてくるのか知らないが、何がきてもこの力で焼き払ってやる。
向かってくる音と光に向かって片手を伸ばした時、逆光の中からこちらに飛び込んでくる影があった。
「死ねっ!」
影に向けて限界まで力を込めた雷を放った。
ピシャァンッ、バリンッ、ガシャガシャ、ゴロゴロ
折り重なる轟音と騒音。一瞬にして熱を持つ空気。大きな穴を穿たれた窓ガラス。
誰の目にも、強大過ぎた男の力が、強化ガラスを貫通したかのように映った。
「……ちょっと、派手にやり過ぎちまったか?」
しかし実際は、本物の雷――10億ボルトに匹敵する電撃――は、人ひとりを焼き払うこともなく、指揮者も知らされていない、飛び切りの独奏者を迎え入れてしまうのだった。