聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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始まりの魔女 その一

――――カルミオの丘

 

「オエッ……」

不快感(ふかいかん)が止まらない。

何かに()()たりしたい衝動(しょうどう)胃酸(いさん)一緒(いっしょ)()()げてくる。

脳味噌(のうみそ)(しび)れて熱を持ってる気がするし、目の前がチカチカと明滅(めいめつ)して何を見てるのかも分からない。

無意識に(くちびる)が次の嘔吐(おうと)(さそ)うようにだらしなく開いて(よだれ)()らしてる。

 

私は木陰(こかげ)に隠れ、一人、無理やり(むす)()けられた景色(けしき)を受け入れることにエネルギーを(ついや)やしていた。

「…ありがとう。」

大きな体を使って背中を(さす)ってくれる優しい弟と、ゴーゲンさんに渡された薬のお(かげ)でなんとか普段(ふだん)通りの感覚を取り戻せるまでには落ち着ついた。

 

「すまん。(わし)()(まま)で…。」

「我が儘はお(たが)(さま)ですよ。それに、ゴーゲンさんにとってその人は、会っておかなきゃいけない人なんでしょう?」

「…まあ、のう。」

「だったらむしろ、私はその我が儘に(こた)えたいです。ゴーゲンさんに教えてもらった、人への”優しさ”を忘れないためにも。」

ここで”愛”って言葉がすんなり口にできない(あた)りが、私はまだまだ子どもなんだと思う。

でも、それを”気持ち”として受け入れられるようにはなった。

この人と、あの小さな友人のお陰で。

 

「…ありがとう。」

何が切っ掛けかわからないけれど、ゴーゲンさんは私を()める時、頭を()でてくれるようになっていた。

(かわ)いてて、ゴツゴツした手でされるとそれは私をとても良い気分にさせた。

 

 

「ゴーゲンさん、一つ聞いてもいいですか?」

水晶(すいしょう)(しめ)精確(せいかく)な場所まで『飛ぶ』ことのできなかった私たちは目的地まで歩いて向かっていた。

「なんじゃ?」

左手にはフォーレスを象徴(しょうちょう)する天を()く雪山、アルネル山脈(さんみゃく)がある。

「どうしてあんなことを言ったんですか?」

「あんなこと、とは?」

「…大きくなって、ゴーゲンさんの言いつけを守って自分の(まわ)りが見えるようになったリッツは気付いちゃうんじゃないですか?どうしたって人を傷つけようとする人はいるんだってこと。」

「……」

一瞬(いっしゅん)、ゴーゲンさんは(あゆ)みを止めて振り返った。

そして、私の目を確かめるとまた前を向き、歩き始めた。

「リーザ、所詮(しょせん)、未来は誰にも分からんのさ。神も人も平等(びょうどう)にな。」

ヨタヨタと。けれど弱々(よわよわ)しさを微塵(みじん)も感じさせない、神を()つ巨人のようなシッカリとした足取(あしど)りで。

「じゃが、かつてこんなことを本に(つづ)った男がおった。”夢想家は未来より(つか)わされた使者(ししゃ)”じゃとな。」

 

多分、それはあの研究所(けんきゅうじょ)でゴーゲンさんと黒い竜が口論(こうろん)(さい)に持ち出した話のことだ。

あの時のゴーゲンさんは”夢想家は悪だ”って言ってた。

だけど…、その続きがあったんだ。

 

見方(みかた)を変えればただ儂が彼を良いように(あざ)いておるだけに(うつ)るかもしれん。じゃがのう、”新しい()”、”夢を見るもの”のおらん世界に”未来”は育たんのじゃよ。大人たちの(かか)える”過去(ふあん)”で(よど)一方(いっぽう)さ。」

大人たちの抱える不安、それは、こんな風に話を()(かえ)している”私”も(ふく)まれているのかな。

「良く言えば”優しい(うそ)”。さらに良く言えば”希望(きぼう)”。儂らはいつか死ぬ。必ずな。だからこそ、儂らはそこに”希望”を残していかねばならん。」

それが、この人の言う「世界は”愛”で動いてる」っていうこと?

「それを”悪”と言うのなら、儂は(あらが)うのみよ。奴らのようにな。」

「……」

理解できることと、理解できないことがある。

受け入れられることと、受け入れたくないものがある。

それは頭じゃなくて心の問題。

”子ども”には(むずか)しい話。

……”大人”?”子ども”?

”私”はいったいどっちなんだろう。

 

(うつむ)き、考え込んでいると、ゴーゲンさんは(すそ)に手を()()んでゴソゴソと何かを(さが)し始めた。

 

「ホレ、コレをやろう。」

そう言って差し出された手には可愛(かわい)らしい紙包(かみづつ)みの小さなキャンディがあった。

「……」

「ホッホッホ、そう(むく)れるでない。頭を使い過ぎると糖分(とうぶん)を使い切って(つか)れやすくなるからのう。必要な栄養(えいよう)補給(ほきゅう)なんじゃぞ?」

「…ありがとうございます。」

渋々(しぶしぶ)納得(なっとく)し、私はゴーゲンさんからキャンディを受け取った。

……とても、おいしかった。

 

 

 

――――霊峰(れいほう)カルミオの(ふもと)

 

そこには無防備(むぼうび)に口を()けたままの洞窟(どうくつ)があった。

「……ここ、なんですか?」

私はこの国に生まれて一度だって「伝説の魔女が生きている」なんて話を聞いたことがない。

ましてや、こんなに簡単にその隠れ家が見つかるなんて、すぐには信じられなかった。

ううん、ゴーゲンさんと一緒(いっしょ)じゃなかったら、この中に本人がいたって信じられなかったと思う。

「おそらく、この水晶がなければここまで辿(たど)()けん仕組(しく)みにでもなっておるんじゃろう。(げん)に儂の魔法ですらここに直接(ちょくせつ)来ることができんかったしのう。」

それもまた疑問(ぎもん)だった。

確かに、洞窟は霊峰カルミオでできた谷の奥深くにあった。

地面には地形的な凹凸(おうとつ)が多く、障害物(しょうがいぶつ)も少なくなかった。乗り物で来るのはまず難しいと思う。

近くに村はないし、川もない。化け物たちだって少なくなかった。

だけど、だからといって、こんなにも山の向かいは視界が開けているのに誰も気付かないものなの?

「『結界(けっかい)』というやつじゃな。よほど高度(こうど)術士(じゅつし)でなければできん芸当(げいとう)よ。」

だったら、この世に魔法使いがいる(かぎ)り、本当に精確な地図なんてできやしないんだな、って何とはなしに思った。

そこにどんな危ないものが(ひそ)んでたって、気付くことができないんだ。あの施設(しせつ)みたいに。

そういう『力』があるから、悪はなくならない。

 

遠目から見ると、洞窟は真っ黒な唾液(だえき)()たされているかのように、粘着質(ねんちゃくしつ)な暗闇が()(かま)えていた。

…これも、『結界』の一つなのかな。

 

「…え?ここまでなの?」

それが『結界(くらやみ)』の力なのか。ゴーゲンさんの『明かり』を(たよ)りに中へ入ると、一分と()たずに行き止まりに突き当たってしまった。

 

こんなにも厳重(げんじゅう)な『結界(はこ)』の中に何もないはずがない。

そう思って私なりに(あた)りを(さぐ)ってみるけれど、私には何も見つけられなかった。

けれど、

「ここまで()()んでおればそりゃあ誰も気付かんじゃろうな。」

「え?」

ゴーゲンさんは何の変哲(へんてつ)もない岩壁にソッと()れながら感心していた。

「この先に道があるんですか?」

「まあ、そうなんじゃろうが。まずは()(りん)でも鳴らしておいた方がいいじゃろうな。」

そう言うと、おじいちゃんから受け取った首飾(くびかざ)りを岩壁の適当(てきとう)()()かりに()げ、指先で水晶を(はじ)いてみせた。

すると、何処(どこ)から()いたのか。一羽のコウモリが私たちの頭上に止まり、私たちの動向(どうこう)(うかが)った。

 

「クレアよ。存命(ぞんめい)か?」

当然のように、ゴーゲンさんはそれに話しかけ、コウモリもまた、当然のように人の口を()いた。

『ウルトゥス導師(どうし)、わざわざこんな所まで足を運ぶなんて。何か御用(ごよう)ですか?』

それが、コウモリの言葉じゃなく、コウモリを『(あやつ)っている人』の言葉だっていうのはすぐに感じて取れた。

コウモリの口を()りているからか。よくよく耳を()ましていないと聞き取れないような雑音(ざつおん)だらけの声だ。

だけど、その向こうにいるのが「伝説の魔女」なのだとしたらそれは、想像していたよりもずっと(おだ)やかな口調(くちょう)だなとも思った。

それに…、「ウルトゥス」?ゴーゲンさんの苗字(みょうじ)なのかしら。

すると、私の予想が正しかったのか、ゴーゲンさんがそれに応えた。

「なに、お前さんも気付いとるじゃろう。ここに迷える子羊がおるのでな。この子に(みちび)きの言葉を(さず)けてやって欲しい。」

『…わかりました、どうぞ中へ。ですがどうか、中へはその子とその()()のみでお願いします。』

言い終わるや、ゴーゲンさんが目星を付けていた(あた)りの岩壁がその先に続く――唾液よりも()い、胃液(いえき)のような――暗闇に()()まれていった。

(あらわ)れた道の先からは無数の化け物たちの臭いが私たちを歓迎(かんげい)するように(あふ)れてきた。

 

彼女の『力』を思えば、人との接触(せっしょく)()けるのは利用されないためにしていることなのかもしれない。

だけど、どこか、(おび)えているように感じるのは気のせいなのかしら。

 

「あいわかった。たっぷりと説教(せっきょう)してやってくれ。」

『ウルトゥス導師ほど鞭撻(べんたつ)(すぐ)れてはいませんが、できるだけ、ご期待(きたい)()えられるよう努力しましょう。』

「でも、ゴーゲンさん…、」

私は、彼の目的を確かめるように見遣(みや)り、その口が意見するのを待った。

「なに、大丈夫じゃよ。会話ぐらいならコウモリ(あれ)を通してでもできるでな。」

それ以上、口を(はさ)むこともできず、私はパンディットを連れて洞窟の中へと進むことになった。

 

結局(けっきょく)、私が彼女に会うことが(おも)な目的になってしまったように感じるけれど、ゴーゲンさんに反発(はんぱつ)する理由もないので言われるままにすることにした。

此奴(こやつ)らは連れていかんのか?」

ゴーゲンさんはヘモジーたちを()して言った。

「別に(あらそ)(わけ)じゃないんでしょう?だったら、なんとなく、私とこの子だけで行きたいんです。本当に、なんとなくなんですけど。」

「フム、そうか。わかった。粗相(そそう)のないような。」

 

そして、この人も……。

 

 

――――霊峰カルミオの洞窟内

 

「…何にも見えないわね。」

ゴーゲンさんから()りた『明かり』の(とも)った(つえ)をかざしながら、(おそ)(おそ)る進んだ。

そこに、凶暴(きょうぼう)な化け物がいるのは分かってる。

だけどそれよりも今は、ゴロゴロと(ころ)がる岩や、所々(ところどころ)に走る地割(じわれ)れの方が私の行く手の大きな障害(しょうがい)になっていた。

ううん、それだけじゃない。

「これ、トロッコ?それに…やっぱり……。」

杖で足元を()らせば、(なか)()もれかけているレールが洞窟のあちこちを走っていた。

そこに、労働者(ろうどうしゃ)()()った痕跡(こんせき)があった。

多分、以前ここは立派(りっぱ)坑道(こうどう)だったんだと思う。

フォーレス国では災害(さいがい)になるような地震はあまり耳にしないけれど、それでもそういった自然的な何か。もしくは、今、私たちを遠巻(とおま)きに監視(かんし)している化け物たちのせいでここは放棄(ほうき)されたんだと思う。

 

足元に気を(くば)りながら進み続けて10数分。

おそらく魔女クレアに命令されて監視していたんだろうと思う化け物たちが、段々(だんだん)と落ち着きをなくしていった。

 

『…神母(マザー)が……』

神母(マザー)の部屋に……』

『……外の…人間…』

侵入者(しんにゅうしゃ)が……』

『……(あぶ)ない…人間……』

神母(マザー)のために…神母(マザー)のために……』

 

『声』のする方へ杖をかざしても、そこに生き物の姿はない。

ただ、かざした『明かり』から怯えるように()(まど)う「影」があった。

ネズミや虫のように岩陰(いわかげ)に隠れては、()に近づく天敵(てんてき)威嚇(いかく)するようにこちらを(にら)みつけている。

天井(てんじょう)には無数のコウモリたちが()()き、「影」の気配(けはい)に当てられてバサバサと(さわ)いでいた。

 

次第(しだい)に高まる彼らの殺気に、パンディットも苛立(いらだ)ち始めてる。

「大丈夫、落ち着いて。私が話してみるから。」

鼻筋(はなすじ)に深い(しわ)(きざ)む弟を(なだ)めながら、私は一歩前に出て『声』を掛けた。

「敵じゃないわ。アナタたちの”マザー”と少しお話がしたいだけ。私、アナタたちと戦いたくない。」

そんな夢物語のような言葉、これまでにだって何度も投げかけてきた。

だけど、それに応えてくれた化け物たちは今までに一人もいなかった。

皆、それぞれの主人から刻まれた「命令」に盲目(もうもく)(したが)って私たちに(おそ)()かってきた。

だからこれは、すでに「”マザー”との対話(たいわ)」をしているようなものなのかもしれない。

ここでこの子たちの取る行動が、”マザー”の私たちへの本心。

 

…お願い……

 

『……』

やがて、怯え、波打っていた「影」は(しず)まり、天井を()()くすコウモリたちは声を潜めたかと思えばイソイソと、動かした羽の毛繕(けづくろ)いを始めた。

「……ありがとう。」

私は、初めてその『言葉』がもたらした光景にどこか、感動を覚えていた。

 

 

 

――――一方、迷える子羊が洞窟の奥へと進んだ後、残された老魔導師は

 

コウモリは(とど)まり、老夫を見下ろしていた。

「…あの子は、どうでしょうか?」

これまで多くの人間に「詐欺師(さぎし)」とまで呼ばれてきた狡猾(こうかつ)()いぼれが、身内(みうち)にさえ見せない声色(こわいろ)と口調でコウモリの視線を避けていた。

『そんなに気を張らなくても結構(けっこう)ですよ。貴方(あなた)が思っているよりも私は貴方を()めるつもりはありませんから。』

「…それでも、私を(ゆる)してはくれないのでしょう?」

それが、本来(ほんらい)の彼の姿だった。

『貴方は、存外(ぞんがい)臆病(おくびょう)な人なのですね。あの(かた)(おっしゃ)っていた通りだわ。』

彼女の口から出た「共通の知人」を指す言葉に、老夫(ろうふ)眉根(まゆね)をしかめ、息を()まらせた。

「罪を背負(せお)う者は、誰しも臆病になるものです。誰に何を言われようと。私がそれを”罪”と呼ぶ限り。」

『…ですが、私は貴方が頑固者(がんこもの)だということも()()()()()()。これがどういう意味か。今の貴方なら分かるのではないですか?』

「……」

 

彼女の言葉が耳に痛かった。

 

私は、多くの人間を巻き込み、戦争を長引かせた。

私が巻き込んだせいで死んでいった者は少なくない。

本来なら奈落(ならく)(ろう)から顔を(のぞ)かせることすら許されない戦犯者(せんぱんしゃ)なんぞに、彼女は優しく手を()()べてくれている。

まるで、あの人のように。

 

『それとも貴方は、恩人の想いさえ無下(むげ)にするほど非道(ひどう)な人なのですか?』

もしかすると、この水晶を目にした時から、この人に会えると分かった時から、彼女ならこう言ってくれると読んで私はここを(たず)ねたのではないか?

私は、そんな(あさ)ましい人間なのではなかろうか。

 

『もしくは、謝罪(しゃざい)することで貴方の(かた)()が少しでも()りるというのなら。私はいくらでも貴方の言葉を()(とど)けますよ。』

…あの人も、そういう人だった。

(かしこ)く、強く、そして慈悲深(じひぶか)い。

私だけじゃない。この人も、あの人のお陰で『力』に飲まれず、今を生きていられる。

あの人は、そういう人なんだ。

だから私は、(にく)かったんだ。

 

「私は、あの人の生きた(あかし)であるべきなのかもしれない。今も、そう思っている。けれど、”どうして私なのだ?”そう思わずにはいられない。」

自分の正体を隠し、精霊に見初(みそ)められた青年(アーク)(あやつ)り、兵隊(ぶき)集めに奔走(ほんそう)している。

あの人がするはずだった「敵を()つ」という目的のための孤軍奮闘(こぐんふんとう)不満(ふまん)はない。

「私たちのような人種にとって、生きることは苦痛(くつう)(ともな)う戦いの連続なのだということは重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)している。」

そうではなく、もっと「命」として根本的(こんぽんてき)な、

「それでも、この空気を()い、あの()の光を()びるべきはあの人ではないのか?この胸が語る”喜び”を感じるべきは……。」

私はその「(かち)」に見合わない。

そう思えて仕方(しかた)がないのだ。

 

『その答えも、貴方はとっくに出しているのでしょう?ただ、(こわ)かっただけ。ただ、苦しかっただけ。仲間に打ち明けられないから。”罪”を(ひと)りで背負うフリをして。』

「……」

『ウルトゥス、忘れないでください。貴方はあの人が愛した、たった一人の人。(たと)えそこにいなくとも、あの人は貴方を(ささ)えている。だからこそ、貴方はまだ戦えているのでしょう?』

コウモリの声帯(せいたい)(かい)しての彼女の声では想像(そうぞう)は難しい。

それでも彼女は、今の彼女は、私が(うらや)むほどの、とても美しい笑顔を持っているに違いない。

「そう、ですね。本当に……。」

 

少しの()()け、私は――非情(ひじょう)にも――(たし)かな思惑(おもわく)をもって彼女に問いかけた。

「一つ貴女(あなた)に確かめておきたいことがあります。」

『なんでしょう?』

「どうして私をここへ(まね)いたのですか?わざわざ奴らに接触してまで。」

彼女は私の(なや)みを解消(かいしょう)しようと()()ってくれた。

だというのに私は彼女を()()て、追い込もうとしている。

彼女も(みと)める、たった一つの私の「目的」のために。

『私はただ、(えん)のある身として貴方を心配しただけです。いけませんか?』

それでも彼女に「不快(ふかい)」という様子はなく、ただただ私が隠している「思惑」を警戒(けいかい)しているようだった。

「私は貴女の本音(ほんね)が聞きたいのです。私がそうしたように。」

彼女は痛いほど身に()みている。

「貴方は私を憎んでいた。あの人への愛が本物であったように。」

魔女(じぶん)』が利用(りよう)されることの(おそ)ろしさを。

『……そうなのかもしれませんね。心の奥底ではあの人を(うば)った貴方を憎んでいたのかもしれません。ですが、それは所詮(しょせん)”心の奥底にいる私”の話です。(おもて)に出す勇気もない”私”に(とら)われ、貴方を傷つけるなんて。それこそ不毛(ふもう)(あらそ)いだとは思いませんか?』

「不毛、とまでは言いませんよ。私は、貴女の気持ちを知りたいのですから。」

『それが、貴方の人生に良い影響(えいきょう)(あた)えるのですか?』

「同じ男を想う者同士、私には持ちえないあの人への感情を知ることで、私はよりあの人を想うことができる。それは、この戦場で生き残るための”命綱(いのちづな)”になってくれるかもしれない。」

『そうですか。やはり、貴方も賢者(けんじゃ)なのですね。とても興味(きょうみ)のある生き方をしているわ。』

それでも彼女は私の会話の意図(いと)誤解(ごかい)してくれた。

 

「それは貴女もあまり変わらないようですよ。」

私はその(すき)(のが)さない。

『というと?』

「話は戻りますが、貴女はどうして奴らと接触したのですか?」

『…それは……』

私は、この(ため)にここに来たのだから。

「知りたかったんじゃないですか?自分の子どもの住む世界がどんなものなのか。」

『…ズルい人だわ。(はな)から私をこの穴倉(あなぐら)から引きずり出すつもりだったのですね。』

彼女は私の意図に気付いた。だが、まだまだ付け入る隙はある。

「すみません。それが、今の私の生きる目的なのです。」

『そうですね。理解できます。ですが、ごめんなさい。いくら貴方の(たの)みでも、私はここを(はな)れるつもりはありません。』

私は3000年前の彼女がどんな人物だったのか知らない。

けれども今、目の前にいるコウモリは(あき)らかに純情(じゅんじょう)な女性だった。「正義」や「悪」に(とら)われず、こちらの押し方さえ間違えなければ(かたむ)いてくれる乙女(おとめ)だった。

 

そう、思った。

 

『確かにあの子を産んだのは私です。責任(せきにん)一端(いったん)もあるでしょう。ですがあの子も十分に大きくなりました。自分のすることへの覚悟(かくご)だって持てるようになっているでしょう。』

「それがどんなに悲惨(ひさん)な戦争を招こうとも?」

『戦争に大きいも小さいもありません。命に大小がないように。あの子が直接(ちょくせつ)、私に求めてこない限り、私は手を出すつもりはありません。』

「私たちはアレを殺すつもりです。」

そこまで口にしたところで、私は(すで)に自分がミスをしていることに気付いた。

どうしてこんな初歩的(しょほてき)なミスを(おか)してしまったのか、私にも分からない。けれども、

『あの子を放任(ほうにん)してしまった時点で私に何か言えた義理(ぎり)はありません。あの子が貴方がたと対峙(たいじ)するというのなら、それもあの子の決めた道です。』

私は、彼女が「母親」であることを失念(しつねん)していたのだ。

「そうですか。分かりました。」

 

「男」と「女」の違いをまざまざと見せつけられた気分だった。

 

『悪夢』に悩む魔女(かのじょ)であった方がまだ期待(きたい)できただろう。

けれども彼女は『悪夢(アレ)』を認知(にんち)してしまった。

そして、『悪夢(アレ)』との向き合い方も見つけてしまっていた。

純情であることに違いはないのかもしれない。

しかし、彼女はもう他人の言葉に心動かすような「乙女」ではない。その(ぎゃく)の立場の女性(ひと)なのだ。

 

 

『今になって思えば、あの人も貴方のように私に戦線(せんせん)に立つことを期待していたのかもしれませんね。その(ため)にこんな手の込んだ穴倉を用意してくれたのかもしれません。』

それでも彼女からあの人は消えない。

(ことごと)く、彼女を(いや)したのはあの人に他ならないからだ。

神母(マザー)・クレア…、」

私は、それを()()()()()

「あの人は私とは違います。それに、貴女の言葉を借りるのなら、貴女は恩人の想いを無下にするような人なのですか?」

『……』

言葉はない。

それでも彼女の(ほお)(ゆる)んでいく様子がありありと目に浮かんだ。

『本当に、貴方たち賢者は口が達者(たっしゃ)(こま)ってしまうわ。』

時折(ときおり)、自分でもそれとは気付かずに口説(くど)()としてしまわないか()()やしてしまいます。」

私たちは笑い合った。

これが私の生き方で、これが彼女の生き方なのだ。

3000年の時を()て、それを理解できたお(たが)いが、なんだか無性(むしょう)可笑(おか)しく思えた。

 

 

『さて、彼女がそろそろ私の所へやって来るようなので。思い出話はこの辺りにしておきましょうか。』

「そうですね。」

…そんなに時間が経っていたのか。

胸を(えぐ)るような叱責(しっせき)を受けるだろうと身構(みがま)えていたが、存外、私は彼女との対話を楽しんでいたのかもしれない。

 

「時間」……。

彼女は気を(うしな)っていた私と違って、3000年の一分一秒をその胸に刻んできた。

おおよそ100万日の一分一秒……。

彼女はその時間を使って、(かのじょ)(こわ)した『悪夢』を(ぬぐ)うことができた。

もしも私がその立場に立たされたとして、彼女と同じことができただろうか。

人は時を経て心を変化させる。胎児(たいじ)から赤子、赤子から少年、青年、大人、老人……。

そこで終わりではないんだ。ただ、人間がそれよりも(なが)く生きた(ためし)がないというだけで……。

だからこそ私は彼女に興味を持ったのかもしれない。

人間が3000年を生きて、悪魔にならずにいられる「奇跡(きせき)」を前にして、知的好奇心が口を動かしていたのかもしれない。

 

『また、こうしてお話ができるといいですね。』

「え?」

それは本当に意外な申し出だった。

確かに、今回は友好的な会話ができたかもしれない。

だが、彼女にとって私は想い人を(うば)った人間に変わりはない。

この「姿」を目に映しながら「(かたき)」と会話することに、()()()嫌悪感(けんおかん)()かないのだろうか?

 

『あら、迷惑(めいわく)ですか?貴方のような”友人”とのお(しゃべ)りは、今の私に残された数少ない楽しみなのですが。』

……感動と、感激(かんげき)、そして感謝(かんしゃ)が胸を()めつけた。

 

私は、大変な思い違いをしていた!

彼女は3000年を経ても色褪(いろあ)せない、想い人の「仇」への憎しみを心の底から許している。

そんな私との再会を期待し、さらには「友」としてまた「お喋り」をしようと……。

 

知識では彼女を(はる)か上回るかもしれない。だが、(こと)「人間の(うつわ)」において、私が彼女に(かな)うことはない。

私は(いま)だ、母親に甘えたい(さか)りの「子ども」なのだ。

そう、思い知らされた。

 

『もちろん無理にとは言いませんし、私もここを動くことができません。ですが、できることならまた、訪ねてきて(いただ)けると嬉しいです。』

「…いいえ。是非(ぜひ)にとも、(うかが)わせていただきます。」

『そうですか。良かった。』

……私は迂闊(うかつ)にも(たたか)う理由を、闘いに勝利しなければならない理由を一つ、増やしてしまった。

だがそれは同時に、この闘いに勝つための()()えのない『力』を、()()()()()手に入れた瞬間でもあった。

「…リーザを、よろしくお願いします。」




※コウモリ→原作の「メイジバット」のことです。
※怯えるように逃げ惑う「影」→原作の「ブラックレイス」のことです。

※カルミオの丘
原作のマップにも登場する地名です。
キメラ研究所から徒歩で向かうとなると、フォーレスの国際空港を越えなきゃならなくなるので、テレポートでないと検問などの警備に引っ掛かってしまうかもしれませんね。

※霊峰カルミオ
原作にはない設定です。
原作で位置説明をするのなら、「マザークレアの洞窟」に設定された場所の山のことです。

※精確な場所まで『飛ぶ』ことのできなかった私たちは目的地まで歩いて向かっていた。
『飛ぶ』とはゴーゲンの魔法「テレポート」のことです。

※アルネル山脈
ハルシオン大陸(フォーレス国、グレイシーヌ国、ミルマーナ国などのある大陸)を南北に横断する大山脈。
フォーレス南部、首都ラムールやフォーレス国際空港を取り囲んでいる。

「アルネル」という名前は創作です。

※夢想家
原作に登場する装備アイテム「クラヴィスの本」の作者のことです。
詳しくは160話の注釈を参考にしていただけると助かります。

※キャンディ(飴)
「飴」と「キャンディ」の違いが気になって何となく調べて、何となく載せています(笑)
結果的に大きな違いはなかったんですけど(笑)


もち米などのでんぷん(糖類)を麦芽や酸によって甘みのある状態に変化させて作ったお菓子。
砂糖やその他糖類を加熱して溶かしたあと、水分を飛ばすなりして冷まし、固形状にしたもの(キャンディも含まれます)。
固形状のものを固飴、粘り気の強い液状のものを水飴と呼びます。

ちなみに、キャンディにも2種類あり、
高温で煮詰め、色素や香料などの調味料を加えて固めたものをハードキャンディ(塩飴、黒糖飴)。
低温で煮詰め、練乳やバターなどを練り込んだものをソフトキャンディ(キャラメル、マシュマロ)と呼ぶそうです。

※膨れる(むくれる)
単純に当て字です。漢字を当てないと読みにくそうだったので無理やり当てました。

※認知(にんち)
法律の上で、婚姻関係の有無にかかわらず、生まれた子を自分の子だと認めること。

※神母(マザー)
キリスト教(カトリック)において、”神父”のことを「ファーザー」といいますが、「マザー」は”女性の修道院長”のようにそれ自体を指す日本語がないみたいです。
なので、仮に「神母」と表現しました。


※「マザークレアの洞窟」の設定
原作では「マザークレアの洞窟」攻略の際、主要メンバー(ヘモジーなどの召喚獣を含め)が使用禁止。リーザの魔法(ラヴィッシュ)で捕まえたモンスターのみでの戦闘になります。
ですが、奥のマザークレアの部屋手前まで来るとキャラクターがモンスターからリーザに切り替わります。
ってことは主要キャラクターも洞窟を通過してるんですよね?
なので、ヘモジーたちも連れて行こうかなとも思ったんですが、今回はリーザとパンディットのみで進んでもらいました。

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