だけど、
「…これから、どうするんだい?」
どんなに変わってしまっても、おじいちゃんはおじいちゃんで。
だけど…、
ううん、だからこそ……、
「…私、」
「私に気を遣うことはない。お前の思うようにしなさい。そのお陰で私はまだこうして生きているんだよ。」
「……」
おじいちゃんの腕の中で私、今さら悩んでる。
ゴーゲンさんと一緒にアークの手助けを、この「戦争」に参加するかどうかを。
今さら、「平穏」が惜しくなってる。
ハッキリと交わした約束じゃないけれど、それでも、こんなに手を尽くしてくれたゴーゲンさんに恩返しをしなきゃいけないのに。
この人と過ごしてた日々を取り戻したくて…。
「よく聞きなさい、リーザ。どうやら私は間違えていたようだ。私たち一族のこと。私たちを追いやってきた人間たちのことを。そんな私に惑わされず、良き魔女になってくれたお前には感謝しかないんだよ。」
「そんなことない!おじいちゃんは良いおじいちゃんだもの!」
おじいちゃんは私の顔を見ただけで、私の考えていることを見透かしてしまったみたい。
「…ありがとう。お前が孫でこれほどまでに嬉しいことはない。そんなお前を一目見ることができたことに、感謝しなければいけないな。」
それはもう、「別れの挨拶」にしか聞こえない。
「であれば尚のこと。これからは自分のために生きなさい。」
…いいの?
「お前はまだ若い。私のように余計な世話焼きに心煩わせるにはまだ早いんだよ。」
私、戻ってこれなくなるかもしれないんだよ?
私、「戦争」に行っちゃうんだよ?
「安心しなさい。私はここでお前の帰りを待っているよ。いつまでも。」
「…うん。」
それは「私の」というよりも、「おじいちゃんの決意」の表れのように思えた。
「そうだ。せめてもの餞別にこれを持っていきなさい。」
「え?」
おじいちゃんは私の考えてることに気付いていながら、私の悩みを無視して歩いていく…。
深緑の水晶のあしらわれた魔除け。
おじいちゃんがその首飾りを外してるところなんて見たことがない。
それだけ大事な物なのに。
「これがどういう物か、憶えているかい?」
「…うん。」
その昔”ノル”という偉い人が細工した、村に代々伝わる首飾り。
吊るされた深緑の水晶は、魔女の始祖「マザー・クレア」と心を交わすことができるなんて言われてる。
「彼女は終ぞ、私には何も語ってはくれなかった。」
おじいちゃんは、村が危機に陥った時、彼女が助言してくれると信じてた。
村の長として、村の宝として、肌身離さず守ってきた。
それを……、
「だが、人の愚かさを笑わず、憎まず、それでもこんな世のために戦おうとする賢明なお前にならあるいは彼女も心を開くかもしれん。」
「……」
おじいちゃんは責任を感じてる。
何度も村が襲われて、一度も皆を護ることができなかったことに。
そんな自分と私を比べてる。
だけどね、おじいちゃん、
「リーザ、私たちもまた、過ちを犯してしまったんだよ。」
おじいちゃんは私のことを買いかぶってるよ。
「少年が教えてくれなかったら、私たちは今頃…。きっと立派になったお前を見ることもなかっただろうね。」
私はそんなに褒められた人間じゃない。
町の人が憎かったし、リッツを煩わしいとも思ったよ。
「お前の友人らしいじゃないか。」
「…うん。」
リッツに比べたら私なんて、『力任せ』に、ただ自分の我がままを喚き散らしてただけ。
私はまだ、『良い魔女』になりたいと思ってるだけ。
そうでしょ?だって…、
「彼は立派な人だ。大切にしなさい。」
「……うん。」
皆を助けたのは私じゃないよ?
「ゴーゲンさん、ここまでして頂いてなんとお礼をしたら良いのかわかりません。」
「はて、何のことやら。儂はただ、一人ぼっちで途方に暮れる女の子に手を差し伸べただけにすぎんよ。」
ゴーゲンさんは言うけれど、それでもおじいちゃんはまるで神様でも崇めるように、深々と頭を垂れている。
「この上で厚かましい伺い立てすることをどうかお許しください。」
すると、ゴーゲンさんは眉間にたくさんの皺を寄せておじいちゃんを窘め始めた。
「そうやって無暗矢鱈に謙るのはお前たちの悪い癖だぞ。」
それは被害者意識というか、「悪」として生まれてきた者にしか分からない自己嫌悪のようなもので、外の人の目に触れてしまったらどうしても自分たちを「あってはならない生き物」だと思ってしまうの。
そういう風に今まで生き永らえてきたから…。
「…ですが、貴方には孫を護って頂いたばかりか。私たちの命まで救って頂きました。今の私たちには、この感謝を態度で示すほかにどうすれば良いものやら…。」
ゴーゲンさんはおじいちゃんの声を遮るように大きな溜め息を吐いた。
「儂が彼女を護った?儂がお前たちを救った?勘違いも甚だしいわ。」
その声色には悪魔たちにぶつけた時と同じ怒りを含んでいた。
「目の前の大きな『力』に目を奪われ、彼らの成したことを捻じ曲げるな。今回のこと全ては、彼ら自身の力で勝ち得た結果だ。」
ゴーゲンさんは多分、私の気持ちに気付いたんだと思う。
「ホルンの民よ、お前たちは同郷の娘が生き抜いた証を疑うのか?」
話してる内容は関係ないけれど、なんとなくそんな気がする。
「ホルンの民よ、お前たちは勇敢な少年の行いを見て、物事の真偽を見分けようと改めたのではないのか?」
「それは……」
「悪魔どもはそういう弱い心に付け入る。お前たちに不幸を植え付けようとする。」
おじいちゃんの脳裏にこびり付いてる『被害者意識』を取り除こうとしている気がする。
「目を覚ませ。そしてその目でよく見届けろ。彼らの成長を余すことなく見届けることこそ、儂ら大人が彼らに返すことのできる”最高の感謝”ではないのか?」
それがおじいちゃんや私、憐れな魔女の一族にとって、とても大切なことだから。
「リーザ……」
「おじいちゃん……」
私も、おじいちゃんもゴーゲンさんの説教に口を挟むことができず、ただただお互いの未熟さを噛み締めながら見詰め合った。
「ただ、想い合えばいい。そこに幸せがあるのだと信じるだけでも、お前たちは十分に強くなれる。」
僅かな沈黙が流れ、反省の色を見届けたゴーゲンさんは改めておじいちゃんに聞き返した。
「それで、そもそも何が聞きたかったんじゃ?」
おじいちゃんはバツが悪そうに顔をしかめながら、長としての責務を果たそうと聞き直した。
「私たちは、この施設をどうしたら良いでしょうか。」
「そうじゃな。中枢は潰しておるから、これ以上の悪さはできまい。じゃが、水槽の中のモノたちはまだ生きておる。それをどうするかはお前さんらで決めなさい。」
「…はい。」
水槽の中のソレらは、完全ではないけれど、すでに自分たちの「役目」を刷り込まれてる。
真っ白な心にただ一つだけ植え付けられてる。
もともと自分が何者だったのかさえも憶えていない。
そんな無垢な化け物の幼生を、ゴーゲンさんは殺さなかった。私たちの立ち直る切っ掛けにするために。
「あと、町の教会にはまだ気を許さんようにしておいた方が良いだろうな。」
「…また、彼らが何かしでかすと?」
すると、ゴーゲンさんはここぞとばかりにリッツを促した。
ゴーゲンさんの意図に気付いたリッツは皆を前に怖気づきながらも、当初の目的をしっかりとやり遂げてみせようと口を開いた。
「悪魔と…、教皇さまが悪魔と話してるところを見たんだ。」
「だそうじゃ。」
皆、薄々は気付いていた。けれど、「真実」として逃げ場を失くされたおじいちゃんは覚悟の溜め息を漏らしていた。
「…わかりました。ここに居ない者たちにも言い聞かせておきます。」
知ったからといって、何をどうすればいいのか。
おじいちゃんは途方に暮れている。
「大丈夫だよ。僕、町の皆にホルンには悪い魔女なんかいないって言ってあげるよ。」
肩の荷が下りたからか。リッツは本来の子ども子どもした様子で不安げなおじいちゃんに提案してみせた。
そんな「子どもの思いつき」に恩を受けたばかりのおじいちゃんが言葉を返せないでいると、「仕方なし」とゴーゲンさんが間に入ってくれた。
「それは止めておいた方が良いと思うぞい?」
「え、なんで?」
「リッツよ、お前さんはウソが得意か?」
「…得意じゃないけど、ウソじゃないもん!」
「そうじゃな。ウソではない。ならば、もしもお前さんの兄弟がお前さんに向かって”結婚しよう”などと言ってきたらお前さんは彼をどう思う。」
そんな突拍子もない話にリッツは言葉を詰まらせてしまう。
「ゴーゲンさんが何を言ってるのか分かんないよ。だって、お兄ちゃんは男だよ?男の人同士が結婚なんてできる訳ないじゃない。」
「町の人間にとって、お前さんが言おうとしていることはそういうことじゃよ。」
ゴーゲンさんにしては珍しく「どうしたものか」と唸りながらアゴ髭を梳いていた。
「”魔女”は”悪”それは彼らが生まれるよりも前から決まっている世界のルールのようなものじゃ。太陽が朝を招き、月が夜を下ろすようにな。それを突然お前さんが”悪魔は善人だ”などと言うてみい。周りの人間はそれを受け入れないばかりか、お前さんを奇異な目で見、さらには”悪魔の遣いだ”などと言い出すかもしれんぞ?」
できればこれ以上、リッツに身内への不信感を膨らませたくないというような様子だった。
「じゃあ、どうすればいいのさ。僕はもう、町でお姉ちゃんみたいに傷つけられる人なんか見たくないよ。」
老夫は眉根を持ち上げ、
「…リッツ、お前さんに一つ尋ねたい。」
顕わになった輝きのない不思議な瞳で少年の真意を探った。
「お前さんには”愛する人”がおるか?」
「え?」
「友人でも家族でもいい。誰かを自分の一部のように大切に想える人はおるか?」
「僕は…、お兄ちゃんが好きだよ。お父さんとお母さんも…。」
「そうか。ならばこれからリッツの時間が許す限り、その気持ちと向き合いなさい。どうして愛しているのか。他の者を想う時と何が違うのか。」
要領を得ないことばかりを言う老夫の目を真っ直ぐに見詰め、少年は必死に理解しようとしていた。
「…そうすれば、お姉ちゃんたちはもうイジメられないの?」
「ああ、この大魔道士”ゴーゲン”の名に誓おう。お前さんがその気持ちを本当に理解した時、お前さんの理想とする世界がそこにあることを。」
ことさら低く、芯のある声で老夫は応えた。
揺るがない未来を告げる神のように。
「もう一つ、今回のことでお前さんはリーザと繋がっておると連中に知られたかもしれん。」
「あ…」
思わず私は声を漏らした。
そんなこと気にも留めてなかった。闘うことに必死で、リッツたちが生きてたことにホッとしてしまってて…。
「じゃからもし、教会がお前さんらに妙な話を持ち掛けてきたなら、それとバレぬよう町から離れなさい。」
「……うん、わかったよ。」
その了解はリッツの中でもう一つの答えを示唆していた。
「…教会の人たちをやっつけるの?」
「必要とあらばな。」
「……」
「分かるか?これが、戦場の恐ろしさというものじゃよ。」
「…僕は、負けないよ。」
全てを理解するにはまだ幼い。
それでも精一杯、背伸びをするリッツはバカにされないよう、キリッっと顔を引き締め、ゴーゲンさんと握手を交わした。
「では、儂らは一足先に行かせてもらうが、下山は問題ないか?」
ゴーゲンさん曰く、私たちが雪山で敵の施設を壊している間にガルアーノとの決戦に向けた用意が整いつつあるらしい。
だから私たちもなるべく早く現場に駆けつけなきゃいけない。
「大丈夫です。この山のことはよく把握していますので。」
「ふむ。それでは早速『飛ぶ』が、心の準備は?」
ゴーゲンさんは私たちに問いかけた。
『……』
私たちは最後の抱擁を交わした。
「体には気を付けるんだよ。」
「…うん。私、きっと戻ってくるから。」
これが、本当のお別れになる。悔いの残らない抱擁を。
「バイバイ、お姉ちゃん。」
「またね、リッツ。」
ゴーゲンさんの杖が床を突き、フワリと風の中に溶け込んだかのように体が舞い上がる。
すると―――、
景色が、切り替わる。
急激な変化に頭が追い付かなくて、前の景色と目の前の景色が衝突して、いろんな物の色でグチャグチャに塗り潰さる。
「気分は?」
「…前ほどは。少し眩暈がするだけです。」
やがて残像が風に流され、今の景色だけが私の瞳に名前を告げる。
―――そこは、私の家だった。
「…どうして、私の家なんですか?」
「……実はお前さんに一つ、隠し事をしておってな。」
気付いてた。少し前からゴーゲンさんの中でボソボソと何か『呟いている』のを。
「もしかして、コレ、のことですか?」
私は首から下げた水晶を手に取ってみせた。
「さすがにお見通しじゃったか。」
ゴーゲンさんは「先を急ぐ」と言っておいて寄り道をしようとしていることに対して、アゴ髭を揉みながら申し訳なさそうに続けた。
「そう、お前さんのじいさんが言っておった“クレア”という人物にちょっとばかし用があるんじゃよ。」
『魔女の始祖』、それは私たちにとって敬うべき先祖であり、呪われた伝説の元凶でもある。
「知り合いなんですか?」
「直接の面識はない。まぁ、因縁の仲とでも言うべきか。」
「…ゴーゲンさんの、好きな人なんですか?」
「ホ?…ホッホッホッ!文すら交わしたことがないのに想い人か。まさか、そうくるとは思わなんだわい。」
「だって、彼女のことを口にしてる時のゴーゲンさんがあまりにも落ち着かない顔をしてたから。」
そう指摘すると、ゴーゲンさんは私から顔を隠すように手の平で覆い、俯いた。
「…そうか、そうかもしれんのう。」
私たちは分かり合えてると思った。
ゴーゲンさんはおじいちゃんとの再会を少しでも良いものにしてくれたし、私はこの人の『過去』が聞えてきてもみだりにそれに触れない。
だからゴーゲンさんも私の前では「弱い部分」を見せてくれているし、私もゴーゲンさんの背中を押せるようにできるだけゴーゲンさんの目を背けているような言葉を選んだ。
それは、分かり合えてるからできること。そう思った。
「まあ、それはさて置き、彼女に会いに行くのは何も儂の都合ばかりじゃないぞい。」
「…そう、ですね。」
ゴーゲンさんの言いたいことはなんとなく分かった。
私も、彼女に会えるとなれば、相談しなきゃならないことがある。
「それで、どうやって彼女に会うんですか?」
「首飾りを借りても?」
おじいさんは首飾りを器用に杖の先端に乗せると杖の上で水晶をコロコロと転がし始めた。
「…ふぅむ。これまた随分と遠いのう。」
私の目には遊んでいるだけのように見える。
「また、飛ぶんですか?」
「うむ、そう日をかける訳にもいかんからのう。お前さんには悪いが、付き合ってくれるか?」
反対する理由はないけれど、ゴーゲンさんの魔法は強力だから…。
泥水が口の中に押し込まれるような不快な感覚に襲われながら、目に見える景色がゴムのように伸びていく。
それは瞼では隠せない「体感」が見ているものだから。
私は、その一瞬、一秒の変化を逃すことなく見詰め続けなきゃならない。
「感謝する。」
再び、粗末な杖が床を軽く叩く。
それだけで、名残惜しむ間もなく、私たちはその場から掻き消えた。