聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

161 / 236
魂の帰郷 その十五

だけど、

「…これから、どうするんだい?」

どんなに変わってしまっても、おじいちゃんはおじいちゃんで。

だけど…、

ううん、だからこそ……、

「…私、」

「私に気を(つか)うことはない。お前の思うようにしなさい。そのお(かげ)で私はまだこうして生きているんだよ。」

「……」

おじいちゃんの腕の中で私、今さら(なや)んでる。

ゴーゲンさんと一緒(いっしょ)にアークの手助けを、この「戦争」に参加するかどうかを。

今さら、「平穏(へいおん)」が()しくなってる。

ハッキリと()わした約束じゃないけれど、それでも、こんなに手を()くしてくれたゴーゲンさんに恩返しをしなきゃいけないのに。

この人と()ごしてた日々を取り戻したくて…。

 

「よく聞きなさい、リーザ。どうやら私は間違えていたようだ。私たち一族(いちぞく)のこと。私たちを追いやってきた人間たちのことを。そんな私に(まど)わされず、良き魔女になってくれたお前には感謝(かんしゃ)しかないんだよ。」

「そんなことない!おじいちゃんは良いおじいちゃんだもの!」

おじいちゃんは私の顔を見ただけで、私の考えていることを見透(みす)かしてしまったみたい。

「…ありがとう。お前が(まご)でこれほどまでに嬉しいことはない。そんなお前を一目見ることができたことに、感謝しなければいけないな。」

それはもう、「(わか)れの挨拶(あいさつ)」にしか聞こえない。

「であれば(なお)のこと。これからは自分のために生きなさい。」

…いいの?

「お前はまだ若い。私のように余計(よけい)な世話焼きに心(わずら)わせるにはまだ早いんだよ。」

私、戻ってこれなくなるかもしれないんだよ?

私、「戦争」に行っちゃうんだよ?

「安心しなさい。私はここでお前の帰りを待っているよ。いつまでも。」

「…うん。」

それは「私の」というよりも、「おじいちゃんの決意」の(あらわ)れのように思えた。

「そうだ。せめてもの餞別(せんべつ)にこれを持っていきなさい。」

「え?」

おじいちゃんは私の考えてることに気付いていながら、私の悩みを無視(むし)して歩いていく…。

 

深緑(エメラルドグリーン)水晶(すいしょう)のあしらわれた魔除け(アミュレット)

おじいちゃんがその首飾(くびかざ)りを(はず)してるところなんて見たことがない。

それだけ大事な物なのに。

「これがどういう物か、(おぼ)えているかい?」

「…うん。」

その昔”ノル”という(えら)い人が細工(さいく)した、村に代々(だいだい)(つた)わる首飾り。

()るされた深緑(エメラルドグリーン)の水晶は、魔女の始祖(しそ)「マザー・クレア」と心を交わすことができるなんて言われてる。

「彼女は(つい)ぞ、私には何も語ってはくれなかった。」

おじいちゃんは、村が危機(きき)(おちい)った時、彼女が助言(じょげん)してくれると信じてた。

村の(おさ)として、村の宝として、肌身(はだみ)(はな)さず守ってきた。

それを……、

 

「だが、人の(おろ)かさを笑わず、(にく)まず、それでもこんな世のために戦おうとする賢明(けんめい)なお前にならあるいは彼女も心を開くかもしれん。」

「……」

おじいちゃんは責任(せきにん)を感じてる。

何度も村が(おそ)われて、一度も皆を護ることができなかったことに。

そんな自分と私を(くら)べてる。

だけどね、おじいちゃん、

「リーザ、私たちもまた、(あやま)ちを(おか)してしまったんだよ。」

おじいちゃんは私のことを買いかぶってるよ。

少年(かれ)が教えてくれなかったら、私たちは今頃(いまごろ)…。きっと立派(りっぱ)になったお前を見ることもなかっただろうね。」

私はそんなに()められた人間じゃない。

町の人が憎かったし、リッツを(わずら)わしいとも思ったよ。

「お前の友人らしいじゃないか。」

「…うん。」

リッツに比べたら私なんて、『力任(ちからまか)せ』に、ただ自分の我がままを(わめ)()らしてただけ。

私はまだ、『良い魔女』になりたいと思ってるだけ。

そうでしょ?だって…、

「彼は立派な人だ。大切にしなさい。」

「……うん。」

皆を助けたのは私じゃないよ?

 

 

「ゴーゲンさん、ここまでして(いただ)いてなんとお礼をしたら良いのかわかりません。」

「はて、何のことやら。(わし)はただ、一人ぼっちで途方(とほう)()れる女の子に手を()()べただけにすぎんよ。」

ゴーゲンさんは言うけれど、それでもおじいちゃんはまるで神様でも(あが)めるように、深々(ふかぶか)(こうべ)()れている。

「この上で(あつ)かましい(うかが)()てすることをどうかお(ゆる)しください。」

すると、ゴーゲンさんは眉間(みけん)にたくさんの(しわ)を寄せておじいちゃんを(たしな)め始めた。

「そうやって無暗矢鱈(むやみやたら)(へりくだ)るのはお前たちの悪い(くせ)だぞ。」

それは被害者意識というか、「(まじょ)」として生まれてきた者にしか分からない自己嫌悪(じこけんお)のようなもので、外の人の目に()れてしまったらどうしても自分たちを「あってはならない生き物」だと思ってしまうの。

そういう風に今まで()(なが)らえてきたから…。

「…ですが、貴方(あなた)には孫を護って頂いたばかりか。私たちの命まで(すく)って頂きました。今の私たちには、この感謝を態度(たいど)(しめ)すほかにどうすれば良いものやら…。」

ゴーゲンさんはおじいちゃんの声を(さえぎ)るように大きな()(いき)()いた。

 

「儂が彼女を護った?儂がお前たちを救った?勘違(かんちが)いも(はなは)だしいわ。」

その声色には悪魔たちにぶつけた時と同じ怒りを(ふく)んでいた。

「目の前の大きな『力』に目を(うば)われ、彼らの()したことを()()げるな。今回のこと全ては、彼ら自身の力で()()結果(けっか)だ。」

ゴーゲンさんは多分、私の気持ちに気付いたんだと思う。

「ホルンの(たみ)よ、お前たちは同郷(どうきょう)の娘が生き抜いた(あかし)(うたが)うのか?」

話してる内容(ないよう)は関係ないけれど、なんとなくそんな気がする。

「ホルンの民よ、お前たちは勇敢(ゆうかん)な少年の(おこな)いを見て、物事(ものごと)真偽(しんぎ)を見分けようと(あらた)めたのではないのか?」

「それは……」

「悪魔どもはそういう弱い心に付け入る。お前たちに不幸を()()けようとする。」

おじいちゃんの脳裏(のうり)にこびり付いてる『被害者意識(あくむ)』を()(のぞ)こうとしている気がする。

「目を()ませ。そしてその目でよく見届(みとど)けろ。彼らの成長を(あま)すことなく見届けることこそ、儂ら大人が彼らに返すことのできる”最高の感謝”ではないのか?」

それがおじいちゃんや私、(あわ)れな魔女の一族にとって、とても大切なことだから。

「リーザ……」

「おじいちゃん……」

私も、おじいちゃんもゴーゲンさんの説教(せっきょう)に口を(はさ)むことができず、ただただお(たが)いの未熟(みじゅく)さを()()めながら見詰(みつ)()った。

「ただ、想い合えばいい。そこに幸せがあるのだと信じるだけでも、お前たちは十分に強くなれる。」

 

(わず)かな沈黙(ちんもく)が流れ、反省(はんせい)の色を見届けたゴーゲンさんは改めておじいちゃんに聞き返した。

「それで、そもそも何が聞きたかったんじゃ?」

おじいちゃんはバツが悪そうに顔をしかめながら、長としての責務(せきむ)()たそうと聞き直した。

「私たちは、この施設(ばしょ)をどうしたら良いでしょうか。」

「そうじゃな。中枢(ちゅうすう)(つぶ)しておるから、これ以上の悪さはできまい。じゃが、水槽(すいそう)の中のモノたちはまだ生きておる。それをどうするかはお前さんらで決めなさい。」

「…はい。」

水槽の中のソレらは、完全ではないけれど、すでに自分たちの「役目」を()()まれてる。

真っ白な心にただ一つだけ植え付けられてる。

もともと自分が何者だったのかさえも憶えていない。

そんな無垢(むく)な化け物の幼生(ようせい)を、ゴーゲンさんは殺さなかった。私たちの立ち直る切っ掛けにするために。

 

「あと、町の教会にはまだ気を許さんようにしておいた方が良いだろうな。」

「…また、彼らが何かしでかすと?」

すると、ゴーゲンさんはここぞとばかりにリッツを(うなが)した。

ゴーゲンさんの意図(いと)に気付いたリッツは皆を前に怖気(おじけ)づきながらも、当初(とうしょ)の目的をしっかりとやり()げてみせようと口を開いた。

「悪魔と…、教皇(きょうこう)さまが悪魔と話してるところを見たんだ。」

「だそうじゃ。」

皆、薄々(うすうす)は気付いていた。けれど、「真実」として逃げ場を()くされたおじいちゃんは覚悟(かくご)()(いき)()らしていた。

「…わかりました。ここに()ない者たちにも言い聞かせておきます。」

知ったからといって、何をどうすればいいのか。

おじいちゃんは途方に暮れている。

 

「大丈夫だよ。僕、町の皆にホルンには悪い魔女なんかいないって言ってあげるよ。」

(かた)()()りたからか。リッツは本来の子ども子どもした様子で不安げなおじいちゃんに提案(ていあん)してみせた。

そんな「子どもの思いつき」に恩を受けたばかりのおじいちゃんが言葉を返せないでいると、「仕方(しかた)なし」とゴーゲンさんが間に入ってくれた。

「それは止めておいた方が良いと思うぞい?」

「え、なんで?」

「リッツよ、お前さんはウソが得意か?」

「…得意じゃないけど、ウソじゃないもん!」

「そうじゃな。ウソではない。ならば、もしもお前さんの兄弟がお前さんに向かって”結婚しよう”などと言ってきたらお前さんは彼をどう思う。」

そんな突拍子(とっぴょうし)もない話にリッツは言葉を()まらせてしまう。

「ゴーゲンさんが何を言ってるのか分かんないよ。だって、お兄ちゃんは男だよ?男の人同士が結婚なんてできる訳ないじゃない。」

「町の人間にとって、お前さんが言おうとしていることはそういうことじゃよ。」

ゴーゲンさんにしては(めず)しく「どうしたものか」と(うな)りながらアゴ(ひげ)()いていた。

「”魔女”は”悪”それは彼らが生まれるよりも前から決まっている世界のルールのようなものじゃ。太陽が朝を(まね)き、月が夜を()ろすようにな。それを突然(とつぜん)お前さんが”悪魔は善人(ぜんにん)だ”などと言うてみい。(まわ)りの人間はそれを受け入れないばかりか、お前さんを奇異(きい)な目で見、さらには”悪魔の(つか)いだ”などと言い出すかもしれんぞ?」

できればこれ以上、リッツに身内への不信感(ふしんかん)(ふく)らませたくないというような様子だった。

 

「じゃあ、どうすればいいのさ。僕はもう、町でお姉ちゃんみたいに傷つけられる人なんか見たくないよ。」

老夫は眉根(まゆね)を持ち上げ、

「…リッツ、お前さんに一つ(たず)ねたい。」

(あら)わになった(かがや)きのない不思議な瞳で少年の真意を(さぐ)った。

「お前さんには”愛する人”がおるか?」

「え?」

「友人でも家族でもいい。誰かを自分の一部のように大切に想える人はおるか?」

「僕は…、お兄ちゃんが好きだよ。お父さんとお母さんも…。」

「そうか。ならばこれからリッツの時間が許す限り、その気持ちと向き合いなさい。どうして愛しているのか。他の者を想う時と何が違うのか。」

要領(ようりょう)()ないことばかりを言う老夫の目を真っ直ぐに見詰め、少年は必死に理解しようとしていた。

「…そうすれば、お姉ちゃんたちはもうイジメられないの?」

「ああ、この大魔道士”ゴーゲン”の名に(ちか)おう。お前さんがその気持ちを本当に理解した時、お前さんの理想とする世界がそこにあることを。」

ことさら低く、(しん)のある声で老夫は(こた)えた。

()るがない未来を()げる神のように。

 

「もう一つ、今回のことでお前さんはリーザと(つな)がっておると連中に知られたかもしれん。」

「あ…」

思わず私は声を漏らした。

そんなこと気にも留めてなかった。闘うことに必死で、リッツたちが生きてたことにホッとしてしまってて…。

「じゃからもし、教会がお前さんらに(みょう)な話を持ち掛けてきたなら、それとバレぬよう町から離れなさい。」

「……うん、わかったよ。」

その了解はリッツの中でもう一つの答えを示唆(しさ)していた。

「…教会の人たちをやっつけるの?」

「必要とあらばな。」

「……」

「分かるか?これが、戦場の恐ろしさというものじゃよ。」

「…僕は、負けないよ。」

全てを理解するにはまだ(おさな)い。

それでも精一杯(せいいっぱい)、背伸びをするリッツはバカにされないよう、キリッっと顔を()()め、ゴーゲンさんと握手(あくしゅ)()わした。

 

「では、儂らは一足先に行かせてもらうが、下山(げざん)は問題ないか?」

ゴーゲンさん(いわ)く、私たちが雪山で敵の施設(しせつ)を壊している間にガルアーノとの決戦に向けた用意が(ととの)いつつあるらしい。

だから私たちもなるべく早く現場に()けつけなきゃいけない。

「大丈夫です。この山のことはよく把握(はあく)していますので。」

「ふむ。それでは早速(さっそく)『飛ぶ』が、心の準備は?」

ゴーゲンさんは私たちに問いかけた。

『……』

私たちは最後の抱擁(ほうよう)を交わした。

「体には気を付けるんだよ。」

「…うん。私、きっと戻ってくるから。」

これが、本当のお別れになる。()いの残らない抱擁を。

「バイバイ、お姉ちゃん。」

「またね、リッツ。」

 

ゴーゲンさんの杖が床を突き、フワリと風の中に溶け込んだかのように体が舞い上がる。

すると―――、

 

景色が、()()わる。

急激(きゅうげき)な変化に頭が追い付かなくて、前の景色(けしき)と目の前の景色が衝突(しょうとつ)して、いろんな物の色でグチャグチャに()(つぶ)さる。

「気分は?」

「…前ほどは。少し眩暈(めまい)がするだけです。」

やがて残像(ざんぞう)が風に流され、今の景色だけが私の瞳に名前を告げる。

 

―――そこは、私の家だった。

 

「…どうして、私の家なんですか?」

「……実はお前さんに一つ、隠し事をしておってな。」

気付いてた。少し前からゴーゲンさんの中でボソボソと何か『(つぶや)いている』のを。

「もしかして、コレ、のことですか?」

私は首から()げた水晶を手に取ってみせた。

「さすがにお見通しじゃったか。」

ゴーゲンさんは「先を急ぐ」と言っておいて寄り道をしようとしていることに対して、アゴ髭を()みながら申し訳なさそうに続けた。

「そう、お前さんのじいさんが言っておった“クレア”という人物にちょっとばかし用があるんじゃよ。」

『魔女の始祖』、それは私たちにとって(うやま)うべき先祖(せんぞ)であり、呪われた伝説の元凶(げんきょう)でもある。

「知り合いなんですか?」

「直接の面識(めんしき)はない。まぁ、因縁(いんねん)(なか)とでも言うべきか。」

「…ゴーゲンさんの、好きな人なんですか?」

「ホ?…ホッホッホッ!(ふみ)すら交わしたことがないのに想い人か。まさか、そうくるとは思わなんだわい。」

「だって、彼女のことを口にしてる時のゴーゲンさんがあまりにも落ち着かない顔をしてたから。」

そう指摘(してき)すると、ゴーゲンさんは私から顔を隠すように手の平で(おお)い、(うつむ)いた。

「…そうか、そうかもしれんのう。」

 

私たちは分かり合えてると思った。

ゴーゲンさんはおじいちゃんとの再会を少しでも良いものにしてくれたし、私はこの人の『過去(こえ)』が聞えてきてもみだりにそれに触れない。

だからゴーゲンさんも私の前では「弱い部分」を見せてくれているし、私もゴーゲンさんの背中を押せるようにできるだけゴーゲンさんの目を(そむ)けているような言葉を選んだ。

それは、分かり合えてるからできること。そう思った。

 

 

「まあ、それはさて置き、彼女に会いに行くのは何も儂の都合(つごう)ばかりじゃないぞい。」

「…そう、ですね。」

ゴーゲンさんの言いたいことはなんとなく分かった。

私も、彼女に会えるとなれば、相談(そうだん)しなきゃならないことがある。

「それで、どうやって彼女に会うんですか?」

「首飾りを()りても?」

おじいさんは首飾りを器用(きよう)に杖の先端(せんたん)に乗せると杖の上で水晶をコロコロと転がし始めた。

「…ふぅむ。これまた随分(ずいぶん)と遠いのう。」

私の目には遊んでいるだけのように見える。

「また、飛ぶんですか?」

「うむ、そう日をかける訳にもいかんからのう。お前さんには悪いが、付き合ってくれるか?」

反対する理由はないけれど、ゴーゲンさんの魔法は強力だから…。

 

泥水(どろみず)が口の中に押し込まれるような不快(ふかい)な感覚に襲われながら、目に見える景色がゴムのように()びていく。

それは(まぶた)では隠せない「体感」が見ているものだから。

私は、その一瞬、一秒の変化を逃すことなく見詰め続けなきゃならない。

 

「感謝する。」

(ふたた)び、粗末(そまつ)な杖が床を軽く(たた)く。

それだけで、名残(なごり)()しむ()もなく、私たちはその場から()()えた。




※「また、飛ぶんですか?」
「飛ぶ」とはゴーゲンの魔法「テレポート」のことです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。