聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その八

――――フォーレス国の奥地、山岳(さんがく)地帯(ちたい)の村、ホルン

 

見晴らしのいい丘の上。

風車の羽がゆったりとした時の流れを()げている。

煉瓦(れんが)の壁に(わら)や木材を用いた屋根。質素(しっそ)(つく)りの家屋(かおく)点々(てんてん)()っている。

ミルクと羊毛をつくる家畜(かちく)が各家庭ごとに数匹飼育(しいく)されている。

大きな田畑こそないものの、そこは自立した立派(りっぱ)な村だった。

 

ところが今、その村に人の気配(けはい)は一つもない。

扉は()(はな)たれ、土埃(つちぼこり)だけが出入りする家々(いえいえ)

()()らされ、SOSを発信するように花弁(かべん)をはためかせる花壇(かだん)

手入れの忘れられた村の様々(さまざま)なものが、ただただ雪山から()()ろされる風に(さら)されていた。

(さく)の中に置き去りにされた家畜たちが(から)になった餌箱(えさばこ)から目を(そむ)け、足元に()える雑草(ざっそう)を静かに()んでいた。

 

天上(てんじょう)から()りてくる太陽が白冠(ゆきぼうし)霊峰(れいほう)に足をかけている。

徐々(じょじょ)(ぬく)もりの()がれていく風が草原を()()ける只中(ただなか)に、彼は寝そべっていた。

 

……ドォーン

 

「!?」

彼の耳は遠く遠くから風に運ばれやってきた(かす)かな音を誰よりも早く聞き取り、立ち上がった。

峰々(みねみね)の向こう(がわ)()(ひび)く、火の神(ウルカヌス)(つち)が振り下ろされる轟音(ごうおん)を。

 

音の方角から一つの可能性を(さと)った彼は、他の(すべ)てを置き去りにして一目散(いちもくさん)に駆け出した。

一秒と()たず、彼の足はトップスピードに乗り、風を()退()ける。

景色を()でるように走る青白い影が、一直線に()びていく。

彼の世界にたった一つ残された彼の居場所(いばしょ)へと。

 

 

――――数分後、ホルンへと続く()り橋前

 

たった今、舞台へと(おど)()たかと思えば、一息(ひといき)()()もなく、彼は凶悪(きょうあく)な怪物を相手に牙を()いていた。

踏みつける足で悪魔の大鎌(おおがま)を根元まで押し込むと、()(つた)って悪魔へと(おそ)()かった。

それに反応しようとするも、悪魔の動作はその全てにおいて彼に遠く(およ)ばない。

彼は殺意の象徴(しょうちょう)を悪魔の喉元(のどもと)()()てると、(くま)が猫を()(ころ)すかのように軽々(かるがる)()き、(またた)

()に息の根を止めてみせた。

 

その様子(ようす)を絶対的領空(りょうくう)から見下ろしていた一羽の竜が、肺で炎を生成(せいせい)し、胸を(ふく)らませていた。

ところが、炎が(あご)にまで到達(とうたつ)したかと思えば、大きな両翼(りょうよく)()めていた揚力(ようりょく)が前触れもなく消失(しょうしつ)してしまう。

どれだけ藻掻(もが)こうとも竜は空を()えず、領空から()()され、急速に高度を落としていく。

視点も(さだ)まらず墜落(ついらく)していく次の瞬間(しゅんかん)には彼に背中を取られ、振り落すよりも早く、首を深く引き裂かれてしまう。

中空(ちゅうくう)で命を落とした一羽を踏み台に、残る一羽へと(ねら)いを定めると、彼は無防備(むぼうび)にも足場のない舞台に飛び出した。

対する竜は一歩早く、彼に向かって高濃度(こうのうど)神経(しんけい)ガスを吹きかけていた。

しかし、ガスが本来(ほんらい)効力(こうりょく)発揮(はっき)することはなく、急襲(きゅうしゅう)をまんまと(ゆる)してしまう。

彼は竜の喉元に()らい()くと飛び掛かる(いきお)いそのままに、直径(ちょっけい)50㎝はあろうかとい野太(のぶと)い首を()()ばしてしまった。

 

二羽の空を()べる巨大な爬虫類(はちゅうるい)は、彼らと(くら)べれば小柄(こがら)とも言えるたった一匹の獣の手で、落葉(らくよう)のごとく落ちていく。

力なく、(がけ)(そこ)へと。

彼は墜落する大トカゲから(なん)なく地面へと降り立つと、大地にめり込まんばかりの勢いで四肢(しし)を突き立て―――それこそ悪魔や竜のような―――、聞く者の心臓を()(つぶ)すような咆哮(ほうこう)(とどろ)かせた。

 

『魔女』はなにも(めい)じていない。

それは全て、彼自身の意思が(えが)いた現実。

それが彼の、彼の存在を許す世界への全身全霊を込めた「命」の証明だった。

 

 

その一部始終(いちぶしじゅう)(うかが)う男たちが森の中にいた。

彼らは自分たちのプライドに(どろ)()った『魔女』と化け物たちへの報復(ほうふく)(ちか)っていた。

悪魔と契約(けいやく)()わし、肉体を改造(かいぞう)した彼らはもはや、報復する相手と変わらない、「化け物」と呼んで()(つか)えない『力』を(そな)えていた。

しかし、そんな彼らが10人、20人集まっても目の前に()(はだ)かる敵を相手に傷ついたプライドを満たすだけの報復が()たされることはない。

たった一度の咆哮が、それを(さと)らせた。

「……」

踏みしめる落ち葉の(ささや)きと(とも)に、彼らはその場から()()せた。

 

 

たった一匹の狼が、悪魔や竜、改造人間の軍勢(ぐんぜい)さえも退場させてしまった。

数多の命を刈り取る悪魔や竜の「力」ですらも、彼の目に映る、天秤(てんびん)の一方に掛けられた彼女の「命」の前には舞台の間隙(かんげき)に立つ端役(はやく)でしかない。

「パンディット……」

ヨロヨロと立ち上がる少女に体を強く押し付け、少女もまた、彼を強く抱きしめた。

「ごめんね。(ひと)りにして、ごめんね。」

()(わか)れた兄弟のように、二人はお互いの命を確かめ合った。

 

「ホッホッホ、間一髪じゃったのう。」

老夫はいつもの調子(ちょうし)で、何事もなかったかのように少女たちに(あゆ)()る。

彼と対峙(たいじ)していたはずの悪魔の姿はどこにもない。それどころか、(あらそ)った形跡(けいせき)すら残っていなかった。

「感動の再会に水を差して悪いが、あれはお前さんの連れかのう?」

白い毛皮の甲虫(こうちゅう)と3匹の小人。

老夫は橋の向こうから懸命(けんめい)に駆けてくる4匹の化け物を()さして言った。

 

「…はい。」

私の身内である前に、おじいさんの身内でもあるずなのに。

どうしてわざわざそんなことを聞くの?

私がアークと会ったことを確かめたいの?

おじいさんの真意は分からないけれど、今はこの人の言うことを深く考えないことにした。

……何より、とても疲れる一日だった。

 

「皆もごめんね。私がバカなばっかりに…。」

チョンガラさんから(あず)かった子たちはとても優しく、私の(あやま)ちを(しか)るよりも離れ離れの間に私に()りかかった苦労をねぎらってくれた。

「皆…、ありがとう。」

パンディットもそうだけれど、私は優しさに(めぐ)まれ過ぎている。

喜ぶべきことのはずなのに…、実際(じっさい)にとても嬉しいのだけれど。

これじゃあいけない。そう思わずにはいられなかった。

ふと胸に手を当ててみれば、「反省」が大きな欠伸(あくび)をしながら私を見下ろしてるのがわかる。

「また同じことの()(かえ)しか」と(あき)れてる。

私だって、わかってる。

だけど、どうすれば良いか、わからない。

その答えを見つけるために彼の(そば)を離れてここまで来たのに。

全然(ぜんぜん)、わからないの。

 

「ヘモォ~」

ケラックたちから随分(ずいぶん)と遅れて、どうにかこうにかヘモジーが私たちと合流した。

「お前さんは(あい)()わらずトロ(くさ)いのう。」

「……ヘモォ?」

「まあ、ワシにも色々とやることがあるんじゃよ。」

(おどろ)いたことに、二人は会話していた。

「…おじいさん、その子の言葉がわかるんですか?」

私は遅れてやって来たその子を心配するよりも先に、その思いがけない光景の真相(しんそう)を問いただしていた。

けれども私だって今さら、おじいさんが私なんかに種明(たねあ)かしをしてくれるなんて少しも期待(きたい)もしていなかった。

「ん?まあ、ワシくらいの年寄(としよ)りなら|畜生の言葉の一つや二つ知っておるもんじゃろ。」

「…そうなんですか。」

「なんじゃい、ワシが『魔女』か何かと(うたが)っておったのか?」

「い、いえ。ただ、なんとなく気になっただけです。」

聞いておきながら私は、それは知ってはいけない「真相」なんじゃないかと急に(こわ)くなってしまった。

『力』を取り戻してもなお、私に「隠し事」ができるおじいさんの、見えそうで見えない「実態(じったい)」が私にそう感じさせた。

 

少なくとも、おじいさんは『魔女』と何らかの関わりがある。

これまでの()()りで私はそう思った。

それは、目に見える遣り取りばかりじゃない。

今、おじいさんから(かろ)うじて聞き取れるものの中に、とても馴染(なじ)みのある『声』があったから。

悪魔たちの雄叫(おたけ)びにも()た、呪いや(にく)しみを花咲かせる濃厚(のうこう)慟哭(どうこく)

『魔女』さえも主食にしてしまうようなドロドロと耳に(から)()(さけ)(ごえ)が、私の『血』を震え上がらせていたから。

 

『声』は、私たちとは次元の違う戦いの(さま)を語る。

延々(えんえん)と……。

おじいさんは、私たちには理解できないような憎しみに振り回され、それでもまだ()()()()()()

延々、延々と……。

国と国の紛争(ふんそう)というより、勇者と悪魔の戦いというより、もっと個人的で、『悪夢』ですら幼稚(ようち)に感じさせる地獄絵図の中を、おじいさんは歩いてきたらしい。

裸足(はだし)のおじいさんは、その烈火(れっか)の大地に、たくさんの人を()()めようとしている。

それすら許されてしまうような道徳(どうとく)()められて、おじいさんは今も必死に(あえ)ぎ続けてる。

 

おじいさんの歩む(だいち)の一つに『魔女』の名が(きざ)まれているような気がした。

だから私は、おじいさんを完全に理解することが怖かった。

 

()も言われぬ恐怖から目を(そむ)け、お互いの理解もそこそこに、私たちはホルンへ向かった。

 

 

――――ホルンの村

 

入り口にはあれだけ大袈裟(おおげさ)な門番を立たせていたのに、あれ以降、私たちを邪魔するものは一つとして現れなかった。

…あれは、なんだったんだろう。

黒づくめ(ガルアーノ)の仲間にしては―――初めは私が誰かも分からなかったみたいだし、分かった後も問答無用で殺しにかかってきたし―――、なんだか様子が違っていたようにも感じた。

けれども『魔女(わたし)たち』と深い関係であることは間違いないと思う。

今のこの(みょう)静寂(せいじゃく)もそうだ。

魔女(わたし)たちは、私の知らない誰かにずっと見られている気がする。

…昔からずっと。

 

その誰かが今の私にわかるはずもなく、居心地(いごこち)の悪さだけが足に()(まと)う。

村に着いた私はその有様(ありさま)に、さらにうな()れるはめになる。

「…ああ。」

わかりきってたことだけれど、こうもハッキリと突き付けられると、(こら)()れない(つら)さに飲まれてしまう。

「無人の村とはなんとも(わび)しいものじゃな。」

風車が、意味もなく回っていた。

(さく)の中の家畜(かちく)たちが私を見つけ、一斉(いっせい)にひもじさを(うった)えてきた。

放置(ほうち)され、()れた田畑が(あるじ)たちの不在(ふざい)(なげ)いていた。

そこに血の(あと)がないことだけが、唯一(ゆいいつ)(すく)いだった。

 

少女はそれぞれの納屋(なや)に入り、残っている飼料(しりょう)をかき集め、家畜たちの餌箱に入れた。

「さて、ワシは()()きでお嬢ちゃんに付いて来たが、お嬢ちゃんには何か明確(めいかく)な目的があるのかのう?」

振り返る少女の顔にまた、(あきら)めの色が(ただよ)っていた。

「わかりません。」

それだけ返すと少女は老夫に(かま)わず、何処(どこ)かを目指して無言のまま歩き出した。

「…ふむ。」

得意の詰問(きつもん)(ひか)え、老夫は少女の行動を見守っている。

 

「……ここ、私の家なんです。」

「…ふむ。」

少女は他と変わらない(つく)りの家を物思いに(ふけ)る目で見遣(みや)ると、脳裏(のうり)(よぎ)る記憶に吸い込まれるかのように中へと入っていった。

「あの時のままだわ。」

そこに、少女にだけ分かる(のこ)()があった。

たった一人の肉親。

食卓(しょくたく)に、箪笥(たんす)に、暖炉(だんろ)に、煉瓦の一つひとつにさえ染み込んでいた。

「おじいちゃん…。」

記憶の中の彼が出迎え、口酸(くちす)っぱく繰り返してきた(しつけ)を少女に聞かせた。

 

――――いいかい、リーザ。村の外の人間を信じてはいけないよ。

 

とても、仲間想いな男だった。

伝統(でんとう)を重んじ、愛することを忘れない男だった。

しかし、伝統を重んじるが(ゆえ)に、愛の(とうと)さを知るが故に彼は「伝統」の中で武器を(かか)げてきた人間たちを軽蔑(けいべつ)せざる()えなかった。

自分たちに掛けられた呪いを彼らは理解しようとしない。

無理解は救いのない憎悪(ぞうお)(はぐく)み、()えた憎悪は彼らの呪われた血を憎悪の()(そそ)(そだ)てることを止めない。

 

少年だった頃、彼が目にしたものは今も彼の心に()()いている。

見上げる(あお)い空からやって来た黒い魚たち。

それは(おさな)かった彼の『愛』を(にご)らせた。

そうして彼は大人になり、増えていく(いわ)の数だけ()いていった。

(さず)かった孫娘に、()()()()()()()孫娘の幸せのために、彼は言い聞かせることを止めなかった。

 

――――人は人を殺す生き物なのだよ。自分を愛しすぎるが(あま)りに。

 

残された村人はただ、閉ざされた平穏(へいおん)を望み、血の流れない日々を雪山に(いの)り続けてきた。

それでも運命(とき)芽吹(めぶ)く憎しみを(はぐく)むことを止めず、彼女のたった一人の肉親さえも連れ去ってしまった。

運命(せかい)は、彼女たちを愛さなかった。

「…おじいちゃん、私、どうしたらいいの?」

口にしたところで祖父が返事をする訳もなく、(うつむ)いたところで涙が彼女を(なぐさ)める訳もない。

色褪(いろあ)せていく記憶を止められず、少女は奥歯を強く、噛み締めた。

 

 

 

『何をそんなに悲しむことがある。』

 

 

 

「!?」

突如(とつじょ)として、不気味な声が少女の家を満たす。

扉、窓、屋根の小さな隙間(すきま)から山吹色(やまぶきいろ)(あわ)(もや)侵入(しんにゅう)する。

『お前たちは我々の肉に変わり、いずれ世界を染め上げる歴史の一節(いっせつ)になる。これ以上に(ほまれ)ある死が他にあるか?…ククク。』

「…誰?」

大量(たいりょう)の靄は次第(しだい)にいくつかの(かたまり)を形作る。

靄の中核(ちゅうかく)一際(ひときわ)明るい光の塊が現れ、太陽の(のぼ)(こく)(あや)しい朧月(おぼろづき)をつくる。

月は脈打(みゃくう)ち、太陽を()がれる目で少女を見詰める。

少女はそこにハッキリとした、「身を焦がす視線」を感じていた。

『名乗る必要が?お前もすぐに()()()()()というのに。それともお前は、臓物(ぞうもつ)の一つひとつに名前でも付けているというのか?』

その一方的な会話を、老夫が(さえぎ)った。

「コレコレ、紳士(しんし)とあろうものがそんな(ひん)のない言葉で、その上、顔も見せずに淑女(しゅくじょ)をエスコートするつもりか?」

コツコツと(つえ)で床を(たた)くと、四つの朧月がつくる影が不意に起き上がった。

そして、包み隠していた(かわ)()がれ落ちると、中から現れたのは不潔(ふけつ)(いや)しい老婆(ろうば)だった。

「……チッ」

「これはこれは、無礼(ぶれい)はワシの方だったか。まさか、お前さんもエスコートされる側だとは思わなんだよ。」

彼女の醜態(しゅうたい)白日(はくじつ)(もと)(さら)した老夫は何一つ悪びれるところのない笑みを浮かべていた。

 

「…皆を、どこに連れていったの。」

現れた老婆を目にした少女は、血の気が引く想いをしていた。

…現れたのは()()だった。

近付かれても『声』に気付かなかった理由。靄が少女を見詰める視線から異様な気配を感じた理由がそこに立っている気がしていた。

少女の顔色に気付いた老婆は老夫とそっくりな笑みを浮かべ、(やわ)らかな少女の心臓にユックリとナイフを突き付けた。

「どうした、顔色が悪いな?」

「答えて。皆はどこ?」

「私の言った意味が理解できなかったか?お前に知る必要はない。お前はただ、黙って私に付いてくればいい。」

「…連れていってくれるのね?」

「ああ。だが、もちろんその前にお前にもあの『麻袋(あさぶくろ)』を(かぶ)ってもらうことになるがね。」

多くの『血』で濡れ、()びついた刃が少女の胸を裂き、『甘い血』を求めた。

滾々(こんこん)()()る『血』が味蕾(みらい)(ゆた)かな舌に広がり、鈍色(にびいろ)の『悪夢(きおく)』で少女を満たす。

「…イヤ。」

()(まま)を言う年頃(としごろ)でもないだろうに。この村の人間はそうやって立派な魔女なる運命(さだめ)なのさ。お前もよく知っているだろう?」

「嫌っ!!」

悲鳴(ひめい)が銃声のように響き渡り、彼女の獣たちを一斉(いっせい)(けしか)けた。

 

撃ち放たれた狼に2つの山吹色の靄が狼を(つつ)もうと霧散(むさん)した。

すると前触れもなく狼の駆ける先の床が抜けた。

狼は動じず、弾丸の勢いのまま床下を駆け抜けていく。

そしてまた、老婆の目の前の床が狼を(みちび)くように口を()けた。

「なっ!?」

少女の悲鳴に放たれた(たま)が、真っ直ぐに老婆の首元を狙って飛び掛かった。

ところが―――、

空飛ぶ竜すら(のが)さなかった狼が、足腰の(おと)えた老婆の首を(とら)(そこ)ねた。

 

「…まさか……」

狼は確かに老婆の首に狙いを(さだ)めていた。

そして老婆は、それを(かわ)してなどいない。一歩も、その場を動いてなどいない。

「ククク、ようやく受け入れられたか?これがお前の望む答えさ。」

()()()()()()()()()

『悪夢』が、少女を見て微笑(ほほえ)んでいた。

 

狼の奇襲(きしゅう)を難なく躱した老婆は山吹色の靄を自分の周囲に()(めぐ)らせ、狼の素早(すばや)追撃(ついげき)への防衛線(ぼうえいせん)()いてみせた。

そして、靄の能力を熟知(じゅくち)した老婆は同時にもう一つの命令を(くだ)していた。

だが―――、

「お前の力は強大かもしれん。だが、結局(けっきょく)はろくに戦闘も知らん小娘よ。見ろ、キサマがこちらに気を取られている間にお前は自分の手駒(てごま)を一つ失く…、」

『運命』は、老婆にも微笑んでいた。

「…なぜだ?」

 

皆が各々(おのおの)の戦意を持って敵に集中している最中(さなか)、ピンクの大男だけはボンヤリと()()きを見守っていた。

そんな極楽(ごくらく)とんぼを老婆は見逃さなかった。

靄で大男を包み込み、靄の魔法でバラバラに()(きざ)む……はずだった。

 

ところが実際には靄に包まれてはいるものの、大男は血の一滴(いってき)すら流していない。

それどころか、そのみっともない大口を目一杯(めいっぱい)開けると、掃除機(バキューム)のごとく霧状(きりじょう)の化け物を無慈悲(むじひ)()()んでしまった。

「そのヘモジーは、いったいなんなんだ?…グゥ、なんだこれは!?」

奇襲を躱し、有能(ゆうのう)(たて)に守られていながら、老婆は原因不明の激痛(げきつう)に襲われていた。

 

「毒針だと?いったい何処(どこ)から?」

現状を理解できず目を白黒させながらも必死に回復を(はか)ろうとするその様子を、のんびりと観戦(かんせん)を決め込む老夫が笑っていた。

兵法(ひょうほう)だなんだと語る前に『魔女』の本質を忘れたキサマにこの子を(あざけ)る資格などあるものか。」

「…なんだと?」

「忘れてしまったのだろう?ならばもはや知る必要もあるまい。土台(どだい)、知ったところでお前ごときにワシらの相手は役不足が過ぎるがな。」

「……」

「もしも、お前に助言に耳を(かたむ)けるだけの(かしこ)さが残っているのなら一つ忠告(ちゅうこく)してやろう。」

老夫は自慢(じまん)の、馬の尾のような長い(まゆ)を持ち上げ、光を忘れた瞳で老婆を(にら)んだ。

()く去れ。」

「……」

瞳は老婆の戦意を完全に()()してしまった。

 

老夫によって晒された手順を(なぞ)るように、老婆は影を羽織(はお)輪郭(りんかく)を消していく。

「ちょっと待って!その前に私の質問に答えて、皆はどこ!?」

「…追ってこい。そこに全てがある。」

そうして、残った朧月が霧散するに合わせて影は完全に立ち消えた。




※悪魔、巨躯の使い手=原作の「ナイトストーカー」のことです。
※竜=原作の「ワイバーン」のことです。
炎は「ファイヤーブレス」、神経ガスは「パラライズウィンドウ(麻痺魔法)」です。
※森の中の男たち、改造人間=原作の「バーバリアン」のことです。
※山吹色の靄=原作の「パラライズスモッグ」のことです。
バラバラに切り刻む魔法は「ウィンドスラッシャー(風系魔法)」です。
※老婆=原作の「ビーストマスター」のことです。
本来、オス?キャラクターなのですが(多分)、モンスターの系統的に何かを「操る」というタイプみたいだったので、今回は『魔女』と絡めてみました。

※羊毛
原作での「ホルンの村」に家畜の描写があったのですが、なんと表現すればいいかわからず、一応「羊()()()()()()」(笑)という設定でいかせてもらってます。

※白冠(ゆきぼうし)
完全な遊びです。造語です。
ちなみに「はくかん」という読みでは、広島で醸造される日本酒の銘柄がありました。

※端役(はやく)
主役でない人。物語の展開に影響のない人。
簡単に言えば「モブ(通行人A)」です。

※ウルカヌス
ローマ神話で語られる火の神。ギリシャ神話の鍛冶神ヘーパイストスと同一とされることもある。

※パンディットの力
今回の戦闘で使った特殊能力は「ストライクパワー」と「ディストラクション」です。
「ストライクパワー」…自分の物理攻撃力を上げる魔法
は悪魔や竜の首を噛み切る時に。
「ディストラクション」…相手の集中力を乱し、魔力を下げる魔法
は竜の揚力を奪う時、竜のガスの効果を不発にさせる時に使いました。
ちなみに、森の中に潜む男たちを追い払った咆哮は「チャージ(威嚇)」のつもりだったりします。

※慟哭(どうこく)
感情に耐え切れず大声を上げて泣き叫ぶこと。号泣すること。

※味蕾(みらい)
舌にある感覚器官。
味覚に作用する器官で、花の蕾(つぼみ)のような形状をしています。

※ゴーゲンの力
……なんだか、何をしても許される気がしてきました(笑)
大魔法使いだし。
身を隠した敵を(あば)くことくらい……ね。

※モフリーの力
ちょいちょい使っていますが、「地形変動」の類はたいてい「床造り」、「すごい床造り」その他の魔法を応用したものだと思ってください。

※ケラックの力
前回、リッツを襲った盗賊(バーバリアン)にも使った毒針(吹き矢)です。
完全な創作で、原作にはそんな設定はありません。

※ヘモジーの力
ヘモジーの特殊能力に「マジックシールド」という「一度だけ敵の魔法を弾き返す、無効化する」技があり、靄の特殊能力「拡散攻撃」や「ウィンドウスラッシャー」もこれで回避したことにしました。
ただし、ヘモジー本人にそんな臨機応変な対応をみせるだけの賢さはなく、本能的に発動させている感じです。
靄を呑み込んだ技は、「ロブマインド(MP吸収する魔法)」だと思ってください。
靄は「魔法生物」的な感じなのでアリかなと(笑)

※極楽とんぼ
楽天家、お気楽者をバカにした言葉。

※土台
もとい。そもそも。元来。もともと。根本的に。という意味。

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