聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その七

――――数時間後

 

目を()ますと、()はまだ十分に高かった。

おじいさんは何処(どこ)からか集めてきた木の実を咀嚼(そしゃく)しながらウツラウツラと船を()いでる。

まだ時間は十分にあるとはいえ、夜になれば化け物たちが動き始めて見つかるかもしれないっていうのに。

…でも、この人にとって、野生の化け物たちなんて大した脅威(きょうい)にもならないんだと思う。

憶測(おくそく)だけど…、憶測でしかないけど、プロディアスの女神像を(こわ)したは、あの意思を持ってるかのような雷を落としたのはこの人なんじゃないかと思う。

 

…私、どうしてそんなことを考えてるの?

もう、(あきら)めたんじゃないの?

神殿(しんでん)()()りにした彼だって、きっと私じゃない誰かが手を()してるわ。

彼は強いから、私の手助けなんかなくても自分の力で生きたいように生きていける。

 

目的(もくてき)()げられる。

 

私なんかいなくても……

 

 

「……おや、思ったよりも早かったのう。」

小さな焚火(たきび)()()うようにうたた寝をする老夫は、リーザが近付くと自動人形(オートマタ)のごとくパチリと目を覚ました。

「心は決まったのかのう?」

「…別に私の命なんて、どうでもいいんです。でも、自分の命を()てるよりも先に助けないといけない人がいますから。」

 

…嘘。

本当は、(くや)しかった。悔しくて(たま)らなかった。

彼は強いから。

私がいなくても彼は『悪夢』に打ち勝って幸せを(つか)むかもしれない。

私のことなんか忘れて…。

私は、思い返せば彼のことばかりなのに。彼は私でない誰かと一緒に明日を笑って(むか)えるかもしれない。

そう思うと、理解できない悔しさが込み上げてきて()ても()ってもいられなくなったの。

 

「ホッホッホ…。」

おじいさんが私の心を見抜(みぬ)いたのかどうか分からない。

だけど、その飄々(ひょうひょう)とした笑いは、()()たりしたくてしかたがない私の怒りの矛先(ほこさき)(なん)なく(かわ)してみせた。

結構(けっこう)々々(けっこう)。若者のすべきは、(おのれ)の好きなように生きてみることからじゃて。」

おじいさんの言葉の(えら)(かた)はどこか、私を苛立(いらだ)たせながらも、何処かへと(みちび)こうとしているように聞こえる。

それは多分、私の(のぞ)むものというよりも、おじいさんの願望(がんぼう)の方が強いんじゃないかと思っている。

つまり、私はそれに素直(すなお)に受け入れるべきなの?それとも、(こば)むべきなの?

いまいちこのおじいさんと―――そういえばまだ名前も聞いてない―――どう(せっ)したら良いのかわからない。

 

少女の小さな戸惑(とまど)いを余所(よそ)に、老夫は懐をゴソゴソとまさぐるとガーゼと包帯を取り出した。

「まずはホレ、そのボロボロの身形(みなり)をなんとかせんとな。」

「……」

「そこに座りなさい。手当てしてやろう。」

老夫は枯れ枝のように()(ほそ)っているのに、触れる指先は両棲類(りょうせいるい)のように妙にしっとりとしていた。

その上、高齢にも(かか)わらず、手足に(ふる)えは一切(いっさい)見られない。

それどころか、その辺りの若者よりも器用(きよう)に動かし、(またた)()に手当てを()ませてしまった。

 

「…おじいさん。」

「どうした?」

多分、この人は私が魔女だって知ってるんだと思う。

だけど今、私がその『力』を()くしてるっていうことは知ってるのかしら?

知った上でこんな挑発的(ちょうはつてき)態度(たいど)を取ってるの?

…これは言った方が良いの?それとも(だま)っておくべきだった?

少なくとも、敵じゃないと思う。

…ううん。敵だとか、そうじゃないとか。今は関係ないじゃない。

「一つ(たず)ねたいことがあるんです。」

これを解決しないと私は何にもできない。

こんな「小娘」の力だけじゃ(たお)したい敵の一人だって倒せやしない。

今の私にはあの『力』しか頼るものがないの。

私には、「フォーリア」を持つ資格(しかく)なんてないんだから…。

「なんじゃ、遠慮(えんりょ)することはない。なんでも聞きなさい。」

「…私、『魔女の力』を失くしてしまったんです。これって、おじいさんの魔法でなんとかなりますか?」

 

老夫は、その言葉を待っていた。

少女の口からその言葉を言わせる必要があった。そして見事(みごと)目論見(もくろみ)()した老夫は満足げな笑みを浮かべていた。

「どれ。手を出してみなさい。」

老夫は()(えだ)のような腕を持ち上げ、今にも折れてしまいそうな人差し指で少女の手の(しわ)の一つを(なぞ)った。

「…ふむ。まあ、お前さんを一目見た時から大体のことはわかっておったんじゃが。これはまた見事に(ふう)じられとるのう。」

「今まで、こんなことなかったのに。」

リーザは自分の『力』を過信(かしん)していた。自分の『力』は誰にも止められない。凶悪(きょうあく)かつ凶暴(きょうぼう)なものだと思い込んでいた。

「まあ、上には上がおるということじゃな。」

「……」

老夫は自慢(じまん)(ひげ)()きながらひと(とき)考え、少女に尋ねた。

「どこの誰にやられたものかわかるかのう?」

「…誰かまではわかりません。だけど、ホルンの村に行くために(わた)らなきゃいけない橋があって。その橋の入り口を(ふさ)いでた岩に()れたら、こんなことになっちゃったんです。」

「…ふむ。」

「どうにかなりそうですか?」

目許(めもと)眉毛(まゆげ)に、口許(くちもと)は髭に(おお)われ、さらには顔全体に広がる皺だらけの老夫から表情らしい表情を読み取るのは(むず)しく、少女はただただ彼の(くちびる)から出てくる答え信じるしかなかった。

 

「この場でなんとかできんこともないが…、まずはその岩まで行った方が話は早いじゃろうな。」

()()らない答えは、立ち上がったばかりの少女にもどかしさを覚えさせた。

「何か、ここで治しちゃいけない理由があるんですか?」

「いやいや、(たん)にその方がワシが楽というだけのことじゃ。」

「……」

「これこれ、そんな顔をするでない。簡単に言うとるが、その『呪い』を()くのは中々に骨が折れるんじゃぞ?」

老夫は持ち前の剽軽(ひょうきん)さで答えた。

だが、彼の只者(ただもの)でない姿を見てきたリーザは、彼の言う「中々」が(じつ)は自分なんかでは想像もつかないレベルのことだということも理解できた。

「ごめんなさい。私、そっちのことは何も分からないから、つい。」

そして、それが自分のミスが(まね)いた結果なだけに、それ以上執拗(しつよう)(せま)ることもできなかった。

「ホッホッホ、気にせんでいい。それよりホレ、なおさら急いだ方が良いんじゃないか?」

そう言って老夫が地面に杖を突き立て引き抜くと、そこには不可思議(ふかしぎ)(あな)が生まれていた。

土が(へこ)んでできた穴ではなく、何でできているかもわからない。底も見えない。

そして、老夫がそこに足を乗せると、ストローに吸われるヨーグルトか何かのように体が変形し、穴の中へと消えていった。

「…はい。」

近付くと海底にでも立っているかのような圧迫感(あっぱくかん)を覚えた。

リーザには、彼の『力』もまた、「呪い」に()ちているように感じられてならなかった。

「……」

 

「……」

「ホレ、もう()いたぞい?」

「……え?」

そこは確かに、先日、彼女が逃げ帰った橋と岩のある場所だった。

「……」

(わけ)が分からず、リーザは自分の全身を見渡し、自分の手足が、体がキチンとそこにあるかどうかを確認した。

「ホッホッホ、『転移(てんい)』は初めてじゃったか。稀有(けう)な体験じゃろう?」

「…私、何ともなってないんですか?」

「心配せんでもお前さんは完璧(かんぺき)な”お前さん”のままじゃよ。」

 

「……」

穴に爪先(つまさき)を乗せたところまでは(おぼ)えてる。

ううん、「憶えている」というほどの時も()ってない。爪先を穴に乗せた瞬間、「家の扉を開ける」よりも早く、景色(けしき)様変(さまが)わりしてた。

それまで見てた景色が今も残像(ざんぞう)のようにボンヤリと目に(うつ)ってしまうくらいに。

()かされている感さえあった。

正気(しょうき)の目で見れば私はまだ森の中にいるような気がしていた。

…でも、実際(じっさい)に今の私の身の回りにあるものは何かが(あらそ)った形跡(けいせき)と、所々(ところどころ)に広がる「()()」。死体はなく、ハエや虫が「赤土」に(むら)がってる。

あとは町や村に続く(みち)とその両側に広がる森だけ。

まるで、あそこからここまでの「道」がスッポリと切り落とされてしまったかのような―――

「……ウップ…!?」

「おやおや、()うてしもうたか?」

私は木陰(こかげ)()()み、その「違和感(いわかん)」を()()した。

 

「どうやらお前さんは五感が一般人(ひと)よりも少しばっかり(するど)いんじゃろうな。」

(ひど)不快感(ふかいかん)

「前」と「今」で感じ取った感覚が頭の中でグチャグチャになってる感じ。

今、自分がどういう場所にいるのか(まった)く分からない。

考えれば考えるほど不快感が強くなる気がする。

「すまなんだのう。大抵(たいてい)の人間はそれほど影響(えいきょう)しないもんなんじゃが…。」

おじいさんは、何処から出したとも知れない水を木の(うつわ)に入れて差し出してきた。

「……」

「安心せい。毒なんぞ入っとらんよ。まあ、()()ましの薬は入れとるがな。」

「…ありがとうございます。」

口を付けると、私はまたしても不可思議な体験をしてしまう。

 

見た目はただの木のお(わん)なのに、口を付けた途端、お椀から香草(こうそう)の匂いが()(のぼ)り、(ふく)んだ水は口にしたことがないくらい()んだ味がした。

たった一度ゆすぐだけで口の中の不快なものが全部洗い流されたし、一口飲めば次の瞬間には全身に力が(みなぎ)るような感覚さえあった。

そして、器をおじいさんに返す頃には飲み残していたはずの水は()くなり、まるで天日(てんぴ)()したかのように綺麗(きれい)(かわ)いてしまっていた。

「どうじゃ、少しは良うなったかの?」

「…はい、ありがとうございます。」

私はいよいよ化かされているんじゃないかと(いぶか)しんだけれど、()()えず今はお椀を返し、自分の粗相(そそう)(あやま)った。

「いやいや、謝るのはワシの方じゃよ。町から飛んだ時はなんともないもんじゃから、つい平気だろうと思い込んでしまっておった。」

…わからない。

やっぱり、このおじいさんとどう接したらいいのか。

 

「ところで、」

私の具合(ぐあい)が良くなったことを確認すると、おじいさんはフイと私からソレへと視線(しせん)(うつ)した。

「これが、お前さんの言う”岩”で間違いないかのう?」

おじいさんが見遣(みや)る視線の先に、つい先日、私を(おとしい)れた大きな岩が今も変わらず、なに素知(そし)らぬ顔でそこにいた。

「…はい、そうです。」

「……」

私は答えたのに、おじいさんは電池の切れた機械人形みたいに岩を見詰(みつ)めたまま(かた)まっていた。

「おじいさん?」

「あ、いや。すまんすまん、なんでもないわい。」

見惚(みと)れていることに気付いたおじいさんは()れくさそうに(ほお)()いて誤魔化(ごまか)していた。

 

「それじゃあ、ワシもちいとばっかし本気を出すことにするかのう。」

ことさら高い笑い声を上げながら、おじいさんは足を肩幅(かたはば)に開き―――この時になって初めて、おじいさんが裸足(はだし)だってことに気付いた―――大岩と向かい合った。

「ホレホレ、危ないからの。退()がった退がった。」

おじいさんは一度だけ肩で息をすると、借り物の杖をかざしたまま聞いたことのない言葉で何事かを(とな)えた。

瞬間―――、

 

ピシャァァンッ!!

 

(あた)りに変化らしい変化はないのに、岩と同じくらい大きな(まど)ガラスを()ったかのような騒音(そうおん)だけが大岩を中心に一帯(いったい)()(ひび)いた。

音に驚いた獣たちが悲鳴(ひめい)を上げながら逃げていく。

「…もうひと押しというところかのう。」

もう一度、聞き取れない言葉を唱えると…。

 

ピシャァァンッ!!

 

騒音は倍以上の轟音(ごうおん)となって、木端微塵(こっぱみじん)(くだ)()る大岩から飛び出した。

「キャッ!」

同時に、地面が(めく)()がるほどの爆風(ばくふう)熱風(ねっぷう)閃光(せんこう)が二人を(おそ)った。

ところが、老夫と少女は透明(とうめい)(かべ)か何かに守られているかのように一切(いっさい)被害(ひがい)を寄せ付けなかった。

目を焼くような閃光も、耳を(つんざ)くような轟音も、彼女たちに(とど)く頃には海に(しず)む夕日とカモメの鳴く声に変わっていた。

 

 

…パラパラ……

 

舞い上がった土煙(つちけむり)はなかなか落ち着かず、前が見えない。

すると、おじいさんはいつの間にか私のすぐ(そば)まで近寄っていて、催促(さいそく)するように私に話しかけてきた。

「今の内じゃ、とっとと橋を渡るぞい。」

「え、どうして?」と問いかけた瞬間、私の人生を狂わせ続けた『力』が、私の中に舞い戻ってきていることに気付いた。

「気付いたか?じゃあ、ワシの言葉の意味も分かるのう?」

「…はい。」

煙の向こう側から、ここにいるモノとは別の、大きな『声』の(かたまり)が近付いてきていた。

 

…それだけじゃない。

今、私の隣にいる人物が、どんなに恐ろしいものなのか。

私は知ってしまった。

 

魔法で直接(ちょくせつ)ホルンの村に飛ぼうにも、岩を(こわ)した反動(はんどう)で「おじいさんの力」やら「岩に込められていた力」やらが()(みだ)れていて、おじいさんの『転移』の魔法を邪魔(じゃま)しているらしかった。

岩に掛けられた魔法には強い意思のようなものが込められていたみたいで、おじいさんと同じく、私の耳も(まわ)りの『声』を事細(ことこま)かに拾うことができなくなっていた。

それなのに、まるで大岩の(かたき)をとるかのように、新しい『声』が次々と私たちの前に(あらわ)れた。

「何か(すご)い速さで(がけ)の底から近付いてきます!」

「こりゃあ、ますます急いだ方がいいかもしれんな。」

『声』にぶつからないように気を付けて、私たちは橋の向こうへと駆け出した。

 

けれども、目の前にあるのはただの「()(ばし)」、力強く()みしめれば踏みしめるほどにバランスが悪くなって、私たちの次の一歩の邪魔をする。

それでも橋の(なか)ばまで来た。

その次の瞬間。

土煙は私たちの予想よりも早く、そして一瞬にして吹き飛ばされた。

 

大岩を砕いた爆風に近い暴風(ぼうふう)が橋を壊さんばかりに()らし、私たちの脱走(だっそう)機会(きかい)を完全に(つぶ)した。

「……」

晴れ渡り、空を見上げると、そこには二羽の立派(りっぱ)蒼翼(そうよく)の竜が私たちを見下ろしていた。

「何者だ。」

そして、前方には2体の黄褐色(おうかっしょく)の大きな悪魔が()(ふさ)がっていた。

 

2m以上はある悪魔の全身は、岩肌(いわはだ)のような硬質(こうしつ)な筋肉に覆われ、死体から()ぎ取ったかのようなボロボロの腰巻を着けている。

目や鼻が顔の大きさに()して極端(きょくたん)に小さいのに、口だけはワニのように(はし)から端まで()けていて不衛生(ふえいせい)で鋭い(きば)(のぞ)いている。

頭頂部(とうちょうぶ)からは象牙(ぞうげ)そのままの角を()やし、肩に届く青い髪はハリネズミのように逆立っている。

そして、彼らはリーザにヤゴス島の死神を想起(そうき)させるような禍々(まがまが)しい(かま)背負(せお)っていた。

 

「岩の封印(ふういん)を解いたのはお前たちか?」

声色こそ悪魔々々(あくまあくま)しい重厚感(じゅうこうかん)に満ちていたが、発音はいやに人間臭く、リーザに余計(よけい)勘繰(かんぐ)りを(さそ)った。

「なに、足元に邪魔な石ころが転がっておったのでな。ちょいと退()かせてもらっただけよ。」

「…何用だ。」

悪魔たちは私を見ると顔を(こわ)ばらせ、あからさまに殺気(さっき)()った空気を(ただよ)わせた。

それに、そういう魔法が掛けられているのか。『声』はさらに聞き取りづらくなっていた。

「お前たちこそ何を―――、」

「村の皆に何をしたの。」

おじいさんの言葉を(さえぎ)り、私は悪魔の威圧感(いあつかん)()(かえ)す意気込みで言ってみた。

この『口』で言えば何かが変わるかもしれないと期待(きたい)を込めて。

 

だけど、悪魔たちに私の『声』に反応した様子は見られなかった。

せっかく取り戻した『力』なのに。こんな時のために我慢(がまん)してきた『力』なのに、まるで役に立たなかった。

「もはやお前には関係のないことだ。」

「答えて…、村の皆に何をしたの?!」

私の(さけ)びも聞き流し、悪魔たちは背中の大鎌(おおがま)をゆっくりと(かま)えた。

 

「お嬢ちゃん、何か武器は持っておるか?」

「…いいえ。」

敵を見据(みす)えながら答えると、おじいさんは(おもむろ)(ふところ)から短剣を取り出してみせた。

牢屋(ろうや)から抜け出したばっかりの私たちにそんな物を手に入れる余裕(よゆう)はなかったはずなのに。

そう尋ねると、おじいさんはもはや聞き慣れてしまった恒例(こうれい)の高笑いを(まじ)えて愉快(ゆかい)そうに答えた。

「いやなに。牢の(すみ)に捨ててあったものを拾っただけじゃよ。」

「……」

私は呆気(あっけ)にとられてながらも、剣を受け取り、(さや)を腰に差した。

周到(しゅうとう)というか抜け目がないというか…。

 

そしてふと気付いた。

私はもう、剣を持って戦うことに抵抗(ていこう)がなくなっていた。

それが(じゅう)だったら今頃、10回は引き金をひいているかもしれない。

(あき)らかに、前よりも積極的(せっきょくてき)に敵を(にら)みつけるようになっていた。

「ここは足場が悪い。一旦(いったん)、引き下がろうじゃないか。」

おじいさんに(うなが)され、にじり寄ってくる敵を前に(きびす)を返すと、

「逃がしはせん。」

土煙を利用したのか。もう1人の悪魔が私たちの背後に回り込んでいた。

 

振り返った拍子(ひょうし)に私はあることに気付いた。

「…おじいさん、」

「なんじゃ?」

こんな絶体絶命の中でもおじいさんの態度には終始(しゅうし)余裕があった。

…それは多分、()()()()()()なんだと思う。

本当は私に武器を持たせる必要もないんだ。

ただ、おじいさんは私を(ため)すために小芝居(こしばい)を打ってるだけなんだ。

 

だけど、(ねん)のためにおじいさんにも(つた)えておいた方がいいと思った。本当に、念のために。

「森の中に人がいます。」

悪魔よりもずっと後方(こうほう)の森の中に、9人の人間が息を(ひそ)め、こちらの様子を(うかが)っていた。

「…ほう。知り合いかの?」

彼らは(たく)みに隠れてて、目で(とら)えることができない。

ただ、『声』を聞く分には私の「関係者」ではあることは間違いなかった。

「多分、昨日、リッツを襲った盗賊(とうぞく)なんだと思います。」

「それは、お前さんが撃退(げきたい)したんか?」

「…はい。」

さすがに悪魔と竜は相手にしたくないようで、今はただただ息を殺してこっちを見守っている。

「そうかい、そうかい。まったく、悪党(あくとう)っちゅうのはそこら辺の一般人よりも義理堅(ぎりがた)いようで。ワシらも見習わねばのう。ホッホッホ。」

「……」

隠れて見えない目や唇の()わりにヒクヒクと動く眉や髭を見ていると、それはまるで、(かな)わないと知らずに向かってくる虫けらを(あざけ)っているようにも見えた。

 

私が森の中の人間に気を取られている内に、橋の上の悪魔たちはズンズンとこちらに(せま)ってきていた。

一人100㎏はある巨漢(きょかん)がノシリ、ノシリと歩くたびに橋は大きく揺れ、ギシギシと悲鳴(ひめい)を上げる。

壊れるようで壊れない。橋はギリギリの均衡(きんこう)(たも)ち続けていた。

「…何かいい方法はありますか?」

体重の軽い私は、崖から吹き上げる風と揺れる橋のせいで、橋のロープに(つか)まって立っているだけで手一杯(ていっぱい)になっていた。

「さて、どうしたもんかのう。」

「……」

『魔女の力』は取り戻したのだから、自分の面倒(めんどう)は自分で見ろ。

おじいさんはそう『言っていた』。

そして私は気付いてる。

「私はどうにか橋を引き返そうと思います。おじいさんはどうしますか?」

「ホッホッホ、ワシのことは気にせんで良いよ。適当(てきとう)にやるさ。」

「そうですか。」

怪我(けが)だけはせんようにな。」

おじいさんはもう、本調子(ほんちょうし)だってこと。

「…気を付けます。」

私たちは合図(あいず)もなしにそれぞれで動き出した。

 

私は背後の悪魔に向かって真っ直ぐに駆け出した。

「……」

悪魔は大鎌を振りかぶり、直進する私に(ねら)いを(さだ)める。

「…え!?」

確かに踏みしめてたはずの橋の板が急に消えて失くなり、私は体勢(たいせい)(くず)して倒れ込んだ。

その拍子に、渡された短剣も谷底に落としてしまう。

仕掛けた悪魔はタイミング良く、狙い(たが)わず鎌を振り下ろす。

私は無我夢中で、()くはずもない命令を悪魔に向けて飛ばしていた。

『止まれっ!』

 

 

――――リリー!

 

 

「……え?」

本当に、(わず)か数ミリ。少女の頭を捉え(そこ)ねた鎌が橋に深くめり込んでいた。

そして、少女が空を見上げるとそこには

 

―――一匹の獣がいた。

 

(あお)(たてがみ)を力強くたなびかせ、鼻に鋭い皺を(きざ)み、赤い瞳は今にも悪魔を血達磨(ちだるま)に変えんばかりにドクドクと(みゃく)打たせていた。

触れれば焼けてしまうような真っ赤な歯茎(はぐき)()()しにし、聞けば鼓動(こどう)(にぎ)(つぶ)されてしまうような底冷(そこび)えのする(うな)(ごえ)を響いかせていた。

倍以上の体格差(たいかくさ)をものともせず悪魔の大鎌を踏みつけるソレは、悪魔よりも獰猛(どうもう)で悪魔よりも凶悪な狂気(きょうき)(あふ)れかえらせていた。

本来あるはずの捕食(ほしょく)関係(かんけい)を完全に(くつがえ)し、これから()(ひろ)げられる全ての虐殺(ぎゃくさつ)を、「狂気」が肯定(こうてい)していた。

 

…今やこの場で最も「魔物」の称号(しょうごう)に近い存在(そんざい)であるにも(かかわ)らず、少女はその獣を目にして込み上げてくる「(ぬく)もり」に(おぼ)れ、頬を()らした。

また、その名を口にできる喜びを心から感謝していた。

「パンディット……。」

 

―――主人を危険に(さら)され怒りに(くる)った化け物(おおかみ)が、そこにいた。




※巨漢(黄褐色)の悪魔
原作の「ナイトストーカー」というデーモン系のモンスターのことです。

※蒼翼の竜(青い翼の竜)
原作の「ワイバーン」というドラゴン系のモンスターのことです。

※想起(そうき)
過去に経験、体験した内容の全て(精神面、肉体面で感じたこと)を頭の中で思い浮かべること。思い出すこと。

※橋の板が急に消えて失くなる
ナイトストーカーの魔法の一つ、「トランスエネミー」という対象を瞬間的に他の場所に飛ばす能力を使いました。
原作では飛ばせる対象は「敵キャラクター」に限定されていましたが、今回はその制限を外させていただきました。

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