ヤグン・デル・カ・トル、貴様にチャンスをやろう―――
「……またか。」
近頃は前にも増してあの時のことを夢に見る。
何かの予兆か。はたまた私自身にフラストレーションが溜まっているのか。
…だが、今しばらくの辛抱だ。
この作戦が完了した暁には好きなだけ暴れられる。
我々の悲願さえ叶えば…
革張りの椅子に深く腰掛ける男は赤く塗り潰されていく世界地図を眺め、解放の時を焦がれた。
――――ハルシオン大陸南東、ミルマーナ国
かつて、そこは緑豊かな農業国だった。
ところが、無秩序化する世界情勢と一部組織の陰謀によって、国の象徴でもある緑は人類の開拓と化け物たちの根城に舐られ、日々別の色へと塗り替えられていった。
そうして多くの資源を手に入れたミルマーナ国はロマリア国に並ぶ軍事列強国へと変貌する。
奇妙なことに、ミルマーナ軍本部は森に囲まれるような形で設置されている。
まるで化け物と人間が結託していると公言しているかのように。
だが、今のミルマーナを統治する者の為人を知る国民がそれを言及することはない。
彼らは、ただただ枯れていく森を見詰めることしか許されなかった。
――――ミルマーナ軍本部の一室
部屋側面を埋め尽くすほどに大きな自身の肖像画に始まり、虎の皮や鹿の剥製、数々の機銃、これまでに彼が得てきた称号が飾られ、近隣の森に棲息する気性の荒い猿と肉食魚が飼われていた。
これ以上ないほど威圧的な空間の中にヤグンという男はいた。
「なに、ゴーゲンを捕えただと?」
その男は、「豚」という形容を自ら欲しているかのような醜い体型をしていた。
彼の軍服には国家元帥の階級章がある。
なにより、彼のその醜い体格と脂ぎった眼光、鈍い声色はこの時代において十分な権力者であることを証明していた。
「ハッ。本日、10:20にて、ラムール刑務所、署長ホイデルより報告がありました。一般人の介入があったためか。捕縛に成功。被害ゼロ。現在は『沈黙の房』にて監禁とのことです。」
「…監禁?」
醜い元帥は般若のよう皺を眉間につくり、捕食者の呻り声を上げた。
「なぜ殺さない。」
魔術師ゴーゲン。
それは彼らと敵対する「アーク一味」の中で最も危険視すべき人物だった。
「ハッ、ガルアーノ将軍が前回当刑務所を視察された際にアーク一味を生け捕りにせよと命を受けたとのことです。」
「生け捕り?ガルアーノが?なぜ私にその報告がない。」
「ハッ、ガルアーノ将軍自ら元帥閣下に報告する旨を受けたため、報告義務を怠ったとのことです。」
僅かな沈黙、凍てつく熱帯の空気。
「…今すぐにゴーゲンを殺せ。同時にホイデルを殺し、新たな署長を配属しておけ。」
怒りを噛み殺し、指示を出す元帥の傍らで、小柄な猿が書類の一枚を引き裂いていた。
「次の報告です。同日、魔女を一匹捕獲せり。市民からの通報によるものであり、公開処刑を求める声も上がっているとのこと。魔女の処遇を求められています。」
「魔女?」
元帥は眉をひそめ、それが何者であるか。報告に足る重要性があるのか思い起こしていた。
やがて、それがフォーレス攻略のために利用した「伝説」であることを思い出すと、肩で溜め息を吐き、面倒であると言わんばかりに返答する。
「今さら、人間なんぞの伝説に興味などない。好きなように処分しておけ。…いや、待て。」
魚の視線に気付いた元帥は思い直し、退室しようとする伝令兵を呼び止めた。
「確か、ガルアーノが何度か連中の巣を突いていたな。」
「ハッ、”魔女狩り”と記録した襲撃を3度、行っております。」
「…そうか。ならば奴に先の軍備強化への感謝として贈ってやろうじゃないか。」
我々の組織全体の戦力の底上げとして進めてきたキメラ開発の必要値はとうに満たしている。
「王」からの新たな命もなく、生産者としての能しかなくなった奴に一つの機会を与えてやるのも悪くはあるまい。
「その憐れな化け物を奴の研究所に送ってやれ。」
「ハッ、報告は以上であります。」
「ついでにガルアーノに一報を入れておけ。」
「ハッ、内容を伺います。」
「先の軍備強化への感謝の印として、キサマの欲しがっていたオモチャをくれてやる。だがもしも、これ以上私の足下にキサマの所のゴミを散らかし、私を煩わせるつもりなら、ミルマーナ産の葉巻とワインに大量の蛆虫が湧くと思え。…以上だ。」
伝令兵が退室すると、猿が水槽の中の魚を手掴みで捕え、喰らい始めていた。