聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その六

下水道(げすいどう)(ラムール)裏路地(うらろじ)に続いていた。

「お姉ちゃん、ケガ、大丈夫?どこかで手当てしないと…。」

リッツは自分の上着を傷だらけの魔女の肩に掛けながら、脱獄(だつごく)してから一言も口を開かない彼女を心配に思った。

するとリーザはおもむろにリッツの肩を(つか)むと、精一杯(せいいっぱい)言葉に「力」を込めて(かた)りかけた。

「お願いリッツ、約束して。こんな危ない真似(まね)、二度としないで。」

「どうして?だって、お姉ちゃんは本当は悪い人じゃないんでしょ?僕、お姉ちゃんの役に立つよ。」

(とど)かない声をもどかしく思いながら、彼女は根気(こんき)(づよ)()()せる。

「リッツ、よく考えて。私はどうして牢屋(ろうや)に入れられていたの?」

「それは僕が…、」

「違うわ。アナタが悪いんじゃない。私が、”魔女”だからよ。」

「でも、お姉ちゃんは―――」

「いい、リッツ?」

少女は少年の言葉尻(ことばじり)(うば)い、さらに語気(ごき)を強め、(おど)すように続けた。

「魔女は、悪い生き物なの。まだアナタが知らないだけ。魔女は人の心を(まど)わせるし、化け物を(あやつ)って人を(おそ)う化け物なの。アナタも見たでしょ?私がヒトを…殺すところを。」

理解してもらうため。余計(よけい)な気持ちにさせないため。

少女はできる限り言葉を()まらせないように(くちびる)を動かし続けた。

力任(ちからまか)せに、少年の心を折ろうとしていた。

少年は、恩人の思わぬ逆襲(ぎゃくしゅう)戸惑(とまど)っていた。

「ち、違うよ…お姉ちゃんは…」

それでも彼女に(すく)われた事実が、魔女の戦う横顔が、少年の必死の抵抗(ていこう)(ささ)えていた。

「違わないわ。」

 

これだけ言っても自分の中で息づく「悪」を(つた)えられない。

少女は、『魔女』でない自分の価値(かち)のなさを心の底から(にく)んだ。

彼女の憎しみに手を()()べるように、彼女に『魔女』を自覚(じかく)させた人々の顔と声を思い出させる。

「リッツ、アナタはラムールの子でしょ?アナタのお父さんやお母さんに魔女のことを教わらなかったの?」

「そ、そんなの関係ないよ。みんなが嘘吐(うそつ)きなんだ!」

「お友だちは?学校の先生は?」

「みんな何にも知らないんだ!お姉ちゃんのこと、何にもしらないくせに教皇(きょうこう)様のことばっかり信じてるんだ!」

少年は少女の手を()りほどき、少女の手の(とど)かないところまで後退(あとずさ)りした。

「リッツはこれからずっと、死ぬまで皆を嘘吐きだって言い続けるつもり?」

 

少年の中の彼女を想う気持ちが(なぶ)られ、(あえ)ぎ、涙を流している。

少年は黙って見ていられなかった。

こんなにも想っているのに、届かない自分の声が嫌で嫌で(たま)らなかった。

「皆はアナタの友だちじゃないの?先生じゃないの?…大切な家族でしょ?」

「…じゃあ、僕、お姉ちゃんの家の子になるよ!」

「え?」

「だって、お姉ちゃんがあんなに(こま)ってたのに誰も助けてくれなかったじゃないか!僕や他のみんなにはいるのに…。そんなの、オカシイよ!」

その(なつ)かしい優しさが、今の少女には(つら)く、(うと)ましかった。

 

「私の家族も友だちも皆、(つか)まったわ。私だけが逃げ回ってる。この『力』で、沢山(たくさん)の人に迷惑(めいわく)をかけながら。」

何も、間違ってない。

私は自分が生き延びるために沢山の人を巻き込んでる。

その人たちに余計な恐怖を背負(せお)わせながら。

私は、根っからの『魔女』だから。

「それに、もしも私と一緒(いっしょ)にいたら、皆と殺し合うことになるかもしれないのよ?リッツに、お父さんやお母さんが殺せる?」

魔女がそう言うと少年は一層(いっそう)顔を(こわ)ばらせ、何かに頭を押さえつけられているかのように息苦しい嗚咽(おえつ)()らし、(うつむ)いた。

 

「…父さんも母さんも、もういないよ。」

「え?」

少女は勘違(かんちが)いする勇者を正そうとするあまり、少年の口から聞きたくもない物語を聞かされる。

「殺されたんだ。他の村に働きに行ってる途中(とちゅう)で化け物に(おそ)われて。みんなは魔女が殺したんだって言ってた。だから僕もそう思ってた。」

少女を(にら)む少年の肩は(ふる)えていた。

家族(ひと)がこの世から消えてしまう恐怖と、味方のいない戦いに身を置こうとする恐怖に(おび)え…。

その恐怖をよく知っている少女が、少年の言葉を聞かないわけにはいかなかった。

それが、どんなに自分の(のぞ)まないことであっても。

(ひと)りきりにされる不安は簡単に私たちを殺してしまうから。

 

牢の中の自分がそうであったように。

目を覚まさない彼の(となり)(なげ)いていた自分がそうであったように。

 

「だけど、そこのおじいちゃんが教えてくれたんだ。魔女は自分から人を傷つけたりなんかしないんだって。みんなが魔女を(いじ)めるから仕方(しかた)なくしてるだけなんだって。」

少年の口から打ち明けられる予想だにしないカラクリに少女は言葉を(うしな)い、ゆっくり老夫へと振り返った。

しかし、二人を見守る老夫の表情は(いや)しい(ひげ)(まゆ)(おお)われ、手の内をひた隠しにする。

 

「お兄ちゃんに言ったらお兄ちゃんはすごく怒ってた。学校で何を勉強したんだって。」

少年は助けを(もと)めていた。

「僕だって最初は信じられなかったよ。」

(ささ)()える誰かを欲しがっていた。

「でも、本当だった。あの時、お姉ちゃんは僕を護ってくれたでしょ?だから僕は気付けたんだ、お姉ちゃんたちは本当は悪くないんだって。」

施設(しせつ)(とら)われていた少女が、彼女を可憐(かれん)な花の名で呼ぶ狼を求めていたように。

「お姉ちゃんが…、人を殺すところは怖かったよ。でも、お姉ちゃんだって、したくてしてるわけじゃないんでしょ?僕にはわかるもん。」

 

どうしてそう言い切れるのかわからない。

アナタは私の何を見たの?

私には何が見えてないの?

 

私は…、悪くないの?

 

「…私は、アナタのお父さん、お母さんを殺したかもしれないわ。」

「え?」

それでも、少女は自分が少年の求める人間でないと決めつけた。

それがどれだけ少年を傷つけるか、よく分かりもせずに。

「ここに来る途中(とちゅう)、私を見つけた夫婦(ふうふ)が私を()して『魔女だ』って(さわ)いだの。邪魔(じゃま)だったから、殺したわ。思えば、あの時、アナタの名前を叫んでたかもしれない。」

「ウソ、つかないでよ。」

「嘘じゃないわ。初めて会った時、私はアナタの名前を知ってたでしょ?あれは、その夫婦が持ってた写真にアナタの顔が(うつ)ってたからよ。」

彼女の『力』を知らない少年は彼女の嘘を見破(みやぶ)れない。

(あらが)えない。

「これで分かったでしょ?」

「ウソだ。お姉ちゃんも僕にウソを吐くんだ…。」

同じ未来を見ているはずなのに。

少年が「子ども」だというだけで、子ども部屋に押し込められてしまう。

それを経験してきたはずの少女が、少年の自由を(ことごと)(うば)っていく。

それが、ヒトの本能であるかのように。

 

「そうよ、私は嘘を吐く。でも、人も殺すの。そういう悪い生き物なの。」

彼女の吐く嘘はあまりにも幼稚(ようち)だった。

しかし、「子ども」を(しつ)けるには十分な寝物語(ねものがたり)だった。

「だから、私がアナタを殺す前に…、行きなさい。」

物語の中の魔女はできる限り恐怖を()()けようと声を落とし、少年の手に着いた自分の血を服の(すそ)(ぬぐ)うと、(あや)しい手つきで少年を振り返らせた。

「……!」

物語の魔女の手から、小さな勇者は走り去っていく。

(つづ)られるかもしれないハッピーエンドを見届けもせずに。

 

 

 

「戦場で差し伸べる手は、伊達(だて)酔狂(すいきょう)でできることではないぞい?」

「……」

振り返るリーザはリッツとの()()りで()(うら)みの全てを乗せて老夫を睨んだ。

「確かに、あの年では間違いも多かろう。それでも自分なりに考え、信じた答えじゃというのに。少しくらい受け止めてやっても良かったんじゃないかのう?」

少女の肩に掛けられた小さな上着は温かく、握りしめれば彼の本心がヒシヒシと伝わってくるように感じられた。

 

「アナタが余計なことをしなかったら、こんなことをしなくてもすんだんです。」

「おや、ワシのせいか?そうか、そうか。…ふむ。確かにそうかもしれんな。」

白々(しらじら)しく聞こえた。

この人は、何もかも知った上で私に近寄ってきたんだ。

わざと(つか)まって、ここで()(かま)えていたんだ。

「じゃがな、世界はお前さんのためにできておらん。もちろん、あの坊やのためにもな。」

そんな、分かりきったことを言ってるんじゃないの。

分かってるからこそ、私はあの子の分までアナタを睨んでいるの。

それなのに、おじいさんは私たちの何もわかってくれない。

まるで、私たちの方がわかっていないかのように話し続ける。

「世界は(つね)に”真実”のためだけに生きようともがいておる。」

「…”真実”?」

もうあの子は逃がしたし、(わな)とわかっている人の言うことなんか無視すればいいのに。

色々(いろいろ)見聞(みき)きして私たちよりも(かしこ)いくせに、私たちみたいな子どもを(だま)してまで自分たちの戦いを()()げようとするこの人の、わざとらしい言葉(づか)いが(みょう)に腹立たしくてしかたなかった。

 

「ふむ、(むずか)しい言い方をしてしまったかもしれんな。そうじゃな…、お前さんに合わせるなら”愛”と、そう呼んでもいいかもしれんな。」

「”愛”!?」

その言葉に少女は震え上がり、(おさ)えられない、怒りに(くる)った(さけ)び声を上げた。

「そうじゃとも。”愛”、わかりやすく、良い言葉ではないか。何か問題が?」

「人を殺すのも、私の村を(おそ)うのも”愛”なんですか?!リッツを(だま)すのも、エルクを苦しめるのも”愛”なんですか!?」

今にも『魔女』として襲わんばかりの鬼の形相(ぎょうそう)を前にしても、老夫は動じない。

まるで駄々(だだ)をこねる子どもに辛抱(しんぼう)(づよ)く言い聞かせる親のような目で、繰り返し、口にする。

「”愛”、じゃな。」

「ふざけないでっ!!」

叫びながら、少女は目尻を()らした。

(まぶた)()()かんばかりに(あふ)()る涙は、今も想い止まない「彼」に(ちか)った、たった一つの約束さえ守れない不甲斐(ふがい)ない自分を心から(ののし)っていた。

「ふざけないでっ!!」

失恋(しつれん)死別(しべつ)でさえ、こんなにも色濃(いろこ)い涙は流れない。

仲間を見殺しにしてきた彼女だからこそ。無関係の人間を狂わせてきた彼女だからこそ。

他人を想うことへの恐怖を知る、他の何色も寄せ付けない水晶(すいしょう)のような涙だった。

 

「これ以降(いこう)、涙できる機会(きかい)はそう多くない。だから、泣きなさい。涙がお前さんを強くするのなら。」

「…アナタに何が……」

少女はそこで言い(とど)まった。

少女もまた、老夫のドブネズミのように(やつ)れた身形(みなり)が物語る「苦痛」の10分の1も理解していないと気付いたから。

そんな姿になってもなお戦争をしようという老夫の呪われた生き方に気付いてしまったから。

「とはいえ、ワシも少し意地悪が過ぎたかもしれん。少しでも早くお前さんに立ち直って欲しいあまり言葉を選ぶ余裕がなかったんじゃ。」

「……」

「許してくれとは言わん。じゃが、こんなところで(くじ)けてはいかん。」

(ほの)めかす老夫の言葉は、『魔女の力』がなくとも少女の耳に多くの「真実(こえ)」を聞かせた。

「とりあえず、ここを離れるとしよう。誰ぞワシらを見つけて、またあの肥溜(こえだ)めのような牢屋(ろうや)(ほう)()まれてもかなわんからのう。」

老夫は彼女の肩に()れると、風が、落ち葉の山を()くように二人の姿を()()した。

 

 

「…ここは?」

「町から少し離れた森の中じゃ。」

少女はまた、先日、()物狂(ものぐる)いで()(まわ)ったばかりの(みどり)(その)の中に戻ってきた。

「まだ()は高い。少し気を落ち着けるくらいならここに()ったところで問題はないじゃろう。」

「…私を、どうするつもりなんですか?」

「どうする、か。」

老夫は尾長鶏(おながどり)のように長い顎髭(あごひげ)を指先で()かしながら考える素振(そぶ)りをする。

(さっ)しの良いお前さんのことじゃ。ワシの正体にはおおよそ見当(けんとう)がついておるんじゃろ?」

「……」

「そして残念ながらそれは的中(てきちゅう)しておるよ。」

よっこらせ、と老夫は地べたに腰を下ろし、(つえ)先端(せんたん)で地面をコツコツと(たた)くと、(まき)火種(ひだね)もないところに(またた)()に火を起こしてみせた。

まるで、知人の家の扉を叩くような気軽さで。

それだけでも彼が異常な人間であることは(あき)らかだった。

「まあ、あれこれ言ってお前さんに嫌われるのも面白(おもしろ)くないからのう。まずは本題を言わせてもらおうかのう。」

しかし、老夫はあくまでも「老夫」の姿勢(しせい)(つらぬ)き、彼の実力を曖昧(あいまい)にさせた。

杖に顎を乗せ、モゴモゴと咀嚼(そしゃく)するように動かしたかと思えば、()()を中心に半透明(はんとうめい)朱色(しゅいろ)(まく)が森の四方(しほう)へと広がっていく。

 

旅慣(たびな)れた冒険者(ぼうけんしゃ)のように手早く安全を確保(かくほ)しながらも、老夫は目の前の少女に向けた大切な話を続けた。

「お前さんにも手を()してほしい。一時(いっとき)は犯罪者として、時には友人からさえ(うら)みを買うかもしれん。じゃが、その危険を(おか)してでも貫くべき”正義”がそこにあるんじゃ。」

「…それは、さっきおじいさんが言っていた”愛”のこと?」

もちろん「お前さん()()」という意味深(いみしん)な言葉に気付かなかった(わけ)じゃない。

けれども、そんな分かりきったことよりも今は、この老夫に一つでも多くの嫌味(いやみ)を言うことのためにその小さな唇は動いていた。

 

「そんなに気に入らんかったか?…そうじゃな、(たし)かに皮肉(ひにく)が過ぎとるかもしれん。年を取るとどうしても口が悪くなってのう。」

ホッホッホ…。

あくまでも「老夫」を名乗るその笑い声は、気力の()れた少女に苛立(いらだ)ちを覚えさせる反面(はんめん)、時と場所を選ばないその太々(ふてぶて)しさが調子を狂わせ、四面楚歌(しめんそか)(とら)われた少女の緊張(きんちょう)(ほぐ)していた。

「じゃが、気に入らんからといって、ワシの言いたいことがまるで(つた)わらんわけでもあるまい?」

「……私が、『魔女』だからですか?」

「…そうじゃな。」

自分でもわかりきっていた。

ただの少女である「リーザ」に戦争の手伝いを頼むほど彼らは人材に困窮(こんきゅう)していない。

彼らが欲しているのは化け物を殺せる『化け物』なのだ。

 

この遣り取りに固執(こしつ)すべき老夫なりの考えがあるのか。

老夫はその差別的な発言を()えて(あらた)めるようなことはしなかった。

 

少女も、それ以上言い返さなかった。

言い返す気力がなかった。

憔悴(しょうすい)した少女の顔を見た老夫は、ここまで自分の足で歩いてこれた少女を(ねぎら)い、まだまだ伝え()りていない文言(もんごん)をひび()れた唇の中にしまっておくことにした。

「…まあ、すぐにその気になれというのも無理な話じゃからな。今はお前さんに手を貸そうと思っておる。お前さんが許せばの話じゃがな。」

「……」

「その間にワシらを見極(みきわ)めればいい。」

「……」

「安心せい。その時が来て、お前さんがまだその気でないようなら、スッパリお前さんからは手を引こうと思っておるよ。」

どこからくる疲労(ひろう)なのかわからない。

けれども、少女はもう(まぶた)を支えることもできなくなっていた。

「……」

「長々と話してすまんかったな。ワシはここで番をしておる。お前さんは少し休みなさい。気持ちが落ち着いたらまたワシに話しかければいい。」

古木(こぼく)に背を(あず)ける老夫は、寝ているとも起きているとも分からない様子で少女の安全を約束した。

その様子からはネズミ一匹にさえ骨を折るような()いぼれにしか見えない。

けれども、少女も森の獣たちもその枯れた体から(かす)かに()れる禍々(まがまが)しい『力』を見逃(みのが)さなかった。

化け物よりも化け物しい。

手を出して助かるはずもない、一つの「世界の(かたまり)」のようなものがそこにいるのだと。

 

そんな彼が、自分に助けを求めている。

『魔女の血』を()やすのではなく。

他人に理解されない”愛”を語ってまで。

少女は胸の内で彼の言葉を繰り返し(つぶや)きながら、横たわった。




※長尾鶏(おながどり)
「ちょうびけい」とも読む。
高知県で品種改良されたニワトリのことです。
メスは普通のニワトリですが、オスは尾羽が抜けないまま伸びていく。時に8mを超すこともあるこの品種は、止まり木にとまった時、水墨画の中の一本の滝のように美しい姿をみせるのです。

羽の色は白、黒、褐色、白と黒のまじりなどがあるそうです。

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