聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その五

――――フォーレス、ラムール刑務所(けいむしょ)

 

地下へ続く階段を下りた。

一段、一段を()みしめる(たび)()(ひび)木材(もくざい)(きし)む音は、絞首台(こうしゅだい)()(かこ)む町の人たちの(ののし)る声に聞こえた。

一段、一段を踏みしめる度、肺を満たす空気が氷水のように冷えていく。

一段、一段……、一段、一段……、

これは14年間、私が(おか)してきた罪の音だ。

(つぐな)素振(そぶ)りも見せず我が物顔で犯し続けてきた、14年前に続く私の足跡(あしあと)

 

足跡の数だけ、人々は有罪(ゆうざい)(さけ)ぶ。

足跡の始まりに立つ彼女は、望んで『運命(いのち)』を手にした訳ではないというのに。

それは、()(あま)した神が、小さな命に(なす)()けた一方的な『運命(のろい)』だった。

全ての人が目を(そむ)ければそれは『呪い』でなくなるのに、ヒトの血を引く生き物たちは(みにく)い彼女の『呪い』を(はや)()てずにはいられないのだ。

 

軋む音は一段、一段、(くだ)っていくほどに強く、強く、耳を(そむ)ける少女の鼓膜(こまく)にも届くように(いや)らしく、愉快(ゆかい)に鳴り響いた。

両手を(しば)られていなかったなら、少女はその耳を()千切(ちぎ)っていたかもしれない。

()わりに少女は、(ほお)から流れる赤い涙を(くちびる)で受け、たっぷりと()(わた)った(にく)しみで奥歯を鳴らした。

彼らの耳に消せない罵声(ばせい)(きざ)むように。

彼らの血に消えない呪いを()()ませるように。

 

「少女」に(あらが)(すべ)などない。

それが世界の仕組(しく)みだと軋む声が(あざけ)る。

けれども少女はそれに反論(はんろん)する。

 

(さか)らえないんじゃない。

逆らっちゃいけないんだ。

 

どうして?

 

私がホルンの子だから。

私が、醜い…、醜い化け物だからっ!!

 

唇から(あふ)れる涙が、少女の声にならない悲鳴(ひめい)(ふく)んで牢獄(ろうごく)の床を濡らしていく。

 

 

「おい、お前たち。」

署長(しょちょう)が事務作業に(いそ)しむ看守(かんしゅ)らに声を()けると、彼らはすでに()(およ)んでいるという(てい)ですぐに、作業を中断(ちゅうだん)し、上階へと消えていった。

「入れ。」

「……」

そこはただの箱だった。

寝具(しんぐ)もなければ、便器(べんき)もない。虫を閉じ込めるためだけの虫籠(むしかご)

(ただよ)異臭(いしゅう)毒素(どくそ)のように少女の鼻を()し、その足を躊躇(ちゅうちょ)させる。

「早くしろ!」

後頭部を(なぐ)られ、少女は倒れ込むように籠の中へと押し込まれた。

両手は縛られたまま受け身もとれず、石畳(いしだたみ)(やぶ)(さら)()した少女の(はだ)を余すことなく痛めつけた。

少女は土の中で冬眠(とうみん)していた幼虫のように体を丸め、(わず)かに痙攣(けいれん)した(のち)、死んだように動かなくなった。

 

白い肌は石畳の愛撫(あいぶ)で、溢れ出す血溜(ちだ)まりで濡れていく。

少女はその様子をただただ黙って見詰(みつ)めた。

 

……熱い。

でも、何も、感じない。

 

少女の耳は今までになく()()まされていた。

今の心境(しんきょう)とは裏腹に、命の危機から(のが)れるために獣のように(そばだ)てていた。

その耳が、上階で(ささや)憲兵(けんぺい)たちの一言一句(いちごんいっく)を余さず拾った。

しかし―――、

 

何を言ってるのかわからない。

……わからない。

 

今の少女に、ヒトの言葉を()()めるだけの気力は残っていなかった。

血と(つば)(かた)まり、唇は()()けられていた。

石畳に()()したまま、明かり一つない部屋の床を見詰めていた。

今はもう、頬から流れる血だけが少女の(せい)(かろ)うじて(ささや)いているに()ぎない。

 

「…まさか本当にここへ戻ってくるとはな。」

看守用の椅子(いす)に腰かけると、署長は返事も求めず一方的に話し始めた。

「キサマはもっと残忍(ざんにん)狡猾(こうかつ)な化け物だと思っていたよ。…まさかこんなにも人間に毒されているとはな。あの(かた)(まか)された仕事だけに期待(きたい)をし過ぎたようだ。」

ピクリとも動かない少女を、男はしばらくの間、ただ黙って(なが)めていた。

「…(おろ)かだな。」

それでも少女は死体のように床を()め続けている。

「すぐにアルディアから(むか)えがくる。」

やがて、少女の未来を()()いたとでもいうようにスクリと立ち上がると、男は少女にも見える形で、その一部を(しめ)してみせた。

(かぎ)はここに置いておく。あとは好きにするといい。」

それは彼の任務(にんむ)に背く行動だった。

しかし、それもまた必要な行為(こうい)だと知っていた。

彼にとっても、彼の主人にとっても。

 

「……」

少女は動かない。

だが、私は誤魔化(ごまか)されない。いずれまた、その「凶悪(きょうあく)な力」でもって私たちを(おびや)かす日が来る、必ず。

そのために私は私がすべきことをしたまでだ。

…いいや、世界が求めるエンターテイメントに一役(ひとやく)買ったと言うべきか。

自己満足、達成感(たっせいかん)優越感(ゆうえつかん)

今、私はその全てを手に入れた。

この少女のように、『力』に振り回されることもなく。

自分を見失(みうしな)うこともなく……。

 

 

男は父親のような優しさで少女に道を()(しめ)すと、(きびす)を返し階段に足を掛けた。

「……」

男はチラリと階段横の排水溝(はいすいこう)に目を()った後、上の階にいくと、看守らを持ち場に戻すこともせず、作業に追われる部下に小さな仕事を言い渡した。

「地下の排水溝からネズミが入っていた。あとで穴を完全に塞いでおけ。」

その奇妙(きみょう)な命令に、部下たちは(いぶか)しげに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

「……」

男の人が、何か言っていた。

私を(なじ)ってた?私に期待してた?

なんだっていい。

もう、私には関係ないんだもの。

 

床に溜まった血が固まる様を見詰めながら、少女は(いま)だに自分のために流れる時間を(うと)ましく思った。

 

「白い家」から逃げる時、勇者の目は私を「人間」だとは言わなかった。

もしも私がオカシな素振りを見せてたら、彼はその(つるぎ)で私を斬っていたかもしれない。

…そうすれば、良かったんだ。

 

もしも「白い家」に乗り込むのを(ことわ)らなかったら――――、

もしもあの夜、空港で黒服たちから逃げ出さなかったら――――、

 

少女の時は(よど)み、(かさ)ねた罪を一つひとつ()()める時間が、無慈悲(むじひ)に、ゆっくり、ゆっくりと流れていく。

 

…どうすればいいの?

化け物は、どうしたら死ねるの?

舌を()()ればいいの?

それとも、自分で自分に『命令』すればいいの?

…ダメだ。

私にはもうその『力』もないんだ。

 

……お願い、誰か早く私を終わらせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――反省(はんせい)も過ぎれば大事なものすら()くしてしまうぞい?

 

 

幻聴(げんちょう)だと思った。

お迎えが来たと喜びさえもした。

それなのに…、

(かえり)みるは猿でもできる不幸じゃが、先を()るは人のみに許された幸福の(しるし)じゃ。それを無駄(むだ)にすればするほど、お前さんは猿として死んでいく。…それはあんまりだと思わんか?」

……誰?

見詰める(かべ)()こう(がわ)から、(あや)しいお(じい)さんの声がする。

若人(わこうど)よ、若人。お前の未来に(わし)(くわ)が届くことはない。しかし、(たがや)せばそれはそれは儂の見たこともないような見事(みごと)な麦を(みの)らせるだろう。儂は、それが(うらや)ましくて(たま)らない。儂は、それを心から望んで()まない。」

まるで私の顔が見えているかのような(かた)口調(くちょう)が気になった。

壁に穴でも開いているのかしら?

体を起こそうかと思ったけれど、床を濡らす血が頬に張り付いて私を(はな)さない。

 

「……と、まあ()いぼれの役に立つかも分からん薀蓄(うんちく)はこの(へん)にしておくとして。お前さん、ワシの声は聞こえとるかのう?ああ、声は声でも()()()()()()()()()がな。」

「!?」

…お爺さん、どうして?

どうして「魔女(わたし)」のことを知ってるの?

「まあ、聞こえんどもかまわん。ワシはそろそろここをお(いとま)しようと思っておるんじゃが。」

途端(とたん)に、お爺さんの声から私の望まないものの臭いが漂ってきた。

愚かな(わたし)が手を()ばすのを()(かま)えている気がした。

「お前さんはどうするかね?」

「……放って…おいてください。」

(のど)に溜まった血も吐き出さず、私は壁の向こう側の人に願った。

それなのに、壁は私を無視(むし)して話しかけ続ける。

「ふむ、勿体(もったい)ない。お前さんの麦は良い(かお)りがするし、誰もがそれを(この)むだろうに。」

「……」

「…畑は(おのれ)の力で耕してこそ、か。いやいや、()らぬお節介(せっかい)じゃったかな。すまんすまん。」

よっこらしょ、という老人らしい掛け声がやけに嘘くさく聞こえた。

 

そうして、行動を起こそうと老夫が腰を上げると同時に、「ゴソリ」という石の(こす)()う音が牢屋(ろうや)に響き渡った。

「…ふむ。」

老夫は音のする方を見遣(みや)り、そこに(あらわ)れたものを見つけるとすぐに変化する()()きを(さと)った。

「……」

排水溝の(ふた)が押し上げられ、そこからネズミの頭がヒョッコリと姿を見せる。

ネズミはグルリと周囲(しゅうい)の様子を(うかが)うと、排水溝から()()て目当ての牢へと()()ぐに()()った。

そこに少女の姿を見つけると、ネズミはその小さな体に見合った小さな声で呼び掛ける。

「お姉ちゃん…。」

「……」

「ごめんね。お姉ちゃんのこと、お兄ちゃんに言ったらお兄ちゃんが血相(けっそう)変えて憲兵の人に言っちゃったんだ。」

「……」

「僕のせいだよね…。」

ネズミは動かない少女を見詰め、()()がる後悔(こうかい)()()めた。

「…待ってて。ここから出してあげるから。」

ネズミは少女の牢から離れ、部屋の中を()(まわ)り始めた。

「坊や、鍵はホレ、机の上じゃぞい。」

格子(こうし)隙間(すきま)から()(えだ)が伸びる様を見てビクリと肩を(すく)めたネズミは、よくよく(おり)の中を見てさらに(おど)いてみせた。

その小汚(こきたな)風体(ふうてい)の老人に見覚(みおぼ)えがあったのだ。

「おじいちゃんも(つか)まってたの!?」

「まあ、これだけ無駄に生きておれば予期(よき)せぬ事態(じたい)の一つや二つに(めぐ)()うもんじゃ。」

「…もしかして、おじいちゃんも僕のせいで捕まったの?」

「ホッホッホ、安心せい。ワシは昔っからアヤツらとは馬が合わんでのう。やってやられてを()(かえ)しておるだけじゃ。お前さんのせいという(わけ)ではないよ。」

「……」

ネズミは言われた鍵を素早(すばや)く取ると、二人を閉じ込める(とびら)()(はな)った。

 

牢屋の中と外は格子で(へだ)てられていて光を(さえぎ)るものは何もないのに、鍵の開く音は私の(まぶた)をこじ開けようとする光と一緒(いっしょ)にやって来た。

「…リッツ、なの?」

見知った気配が私の(となり)に駆け寄り、私の体を無理やり床から()()がした。

そこで初めて自分が傷だらけだと気付く。

すると、傷はジワジワと私の体に(つめ)を立て始めた。

 

「うん、そうだよ。早く行こう、お姉ちゃん!」

リッツに(ささ)えられてさえ、体は自分のものじゃないみたいに重くて、引き剥がされた血の跡は愛おしそうに私を見詰めている気がした。

私もまた、そこが私の求めている唯一(ゆいいつ)の場所のように思えた。

……放っておいてくれれば良かったのに。

「…どうして、来たの?」

こんなに意味のないことを。大切な、自分の命を危険に(さら)してまで。

「だって、僕のせいで捕まっちゃったんでしょ?」

「だからって…、」

声を出す度に喉に残っていた最後の水分がなくなって、弱々(よわよわ)しく、(かす)れていく。

 

「勇気ある行動は、人を変えるもんじゃ。」

「…!」

それは、彼の隣で(なさ)けなく()()らしていた私を(たた)いた人の言葉。

 

―――それを、信じても良いんですか?

―――言ったでしょ?(なや)みなさい。アタシの言葉も、アナタの心も。

 

「人は人に()かれ、姿形(すがたかたち)を変えられる。恐ろしくも二つとない、美しい生き物じゃ。お前さんだってよく知っておるじゃろ?」

一足先に牢を出たおじいさんは部屋の中から手ごろな(つえ)物色(ぶっしょく)していた。

「…おじいさん、もしかして……。」

それが有名な格言(かくげん)なら二人が同じ言葉を口にしていたって何の不思議もない。

だけど、二人の言葉が同じたった一人の人物(ひと)を指しているように聞こえるのは気のせい?

「そんなことよりも、ホラ!早くしないと憲兵の人たちが来ちゃうよ!」

リッツは私の体を支えたまま上階(じょうかい)の気配を感じ、気が気でない様子で催促(さいそく)してくる。

「どうする?彼を裏切るか。それとも、彼を助けるか。選ぶのはお前さんじゃよ。」

それを余所(よそ)に、おじいさんは私にゆっくりと決断を(せま)ってくる。

 

「……」

リッツの肩を借りて、私は最後の力を()(しぼ)るようにノロノロと立ち上がった。

…自分の命が()しいから立ち上がるんじゃない。

これ以上、リッツを巻き込んじゃいけないから。

この子を、魔女(わたし)から引き離すまで。一緒に、私ができることをするだけ。

……それだけ。

 

「こっちだよ。ちょっと汚いけど我慢(がまん)してね。」

人ひとりは(ゆう)に入れる(はば)の排水溝を指すと、ネズミはスルスルと中に身を(すべ)らせた。

「坊やは(たの)もしいのう。」

小動物よろしく、老夫の言葉にクルリと首を(ひね)る少年は(いさ)ましい眼差(まなざ)しで老夫を(にら)んだ。

「それとね、おじいちゃん。僕は坊やじゃないよ、リッツだよ!」

「…ホッホッホ、これはこれはすまなんだ。それではリッツ。外までの案内(あんない)、よろしく頼んだぞい。」

老夫の、のらりくらりとした返事に不満を覚えながらも、小さな勇者は薄暗い下水道に(もぐ)り、ロウソク片手に二人を無事に外まで(みちび)いた。




※徴(しるし)
特定の物事が起こる前触れ。
その物の存在を証明するもの。

※リッツのお兄ちゃん
私はプレイして気付かなかったんですが、某サイトの情報によると、作中にリッツのお兄ちゃんらしき人物が登場するみたいなんです。
どうやらラムールの川の近くで「あのイカサマじじめ」と言っている男性がそうらしいです。
(セリフは、ホルンの大岩をどかす協力者を探す時のものです)
せっかくなのでこの設定をお借りしようと思い、登場させました。

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