聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その四

「…ハァ、ッハァ……ハァ…ハァ……」

 

リーザは町はずれの森の中を()けずり回っていた。

人の目には彼女が奉公先(ほうこうさき)から逃げ出した村娘に(うつ)るだろう。

だが、もしも彼女がその『血』で()れたなら、誰もがその醜悪(しゅうあく)な『力』を前に恐慌(きょうこう)状態(じょうたい)(おちい)り、人間(あつか)いしたことを後悔(こうかい)するだろう。

「魔女」

それは人間さえも「家畜(かちく)」に変える人間の姿を(かたど)った人間以外のなにか。

そして、今、その『何か』を形作っていた『力』を(うば)われ、彼女は『彼女』ではなくなり、理解の追い付かないままパニックに陥っていていた。

 

『力』を奪われた直後はその場から動くことさえ恐ろしくてできなかった。

今まで強大な『力』で隠れていた「少女(じゃくてん)」が突如(とつじょ)として世界(おもて)(さら)され、あらゆる「死」が彼女の前に忽然(こつぜん)と姿を(あらわ)した。

「死」は彼女の脳を通して(またた)()にその身体(からだ)を満たし、(おか)した。

 

「一歩()()せば、死ぬかもしれない」

「もう一度岩に触れたら、死ぬかもしれない」

「声を出せば、死ぬかもしれない」

(あらが)えば、死ぬかもしれない」

 

何をしても…、死ぬ…かも……

 

動けなかった。

「死」が彼女の血を名乗り、生き抜こうとする彼女の全身の活動を奪い去ってしまった。

 

だが、立ち(すく)む彼女の(もと)(おとず)れた一陣(いちじん)の風が、森に(ひそ)む獣の臭いを彼女に吹きかけたことが、物語をここで終わらせなかった。

「……ダメだ、このままじゃ、死んじゃう!!」

それは彼女に、通りの真ん中に()()くす今の自分がいかに無防備(むぼうび)なのかを気付かせた。

一つの、確実な「死」が彼女の手足を突き動かした。

 

やがて、夜がやって来る。

追いやられていた影が街道(かいどう)を、森を満たし、追いやられていた獣たちの凶暴性(きょうぼうせい)が目を()ます。

今の少女ならば一噛(ひとか)みで殺すことのできる闇が、容赦(ようしゃ)なく少女の全身を(つつ)む。

 

獣だけじゃない。

今や、町に広まっているかもしれない「魔女」の(うわさ)が人間たちに剣や(くい)を持たせているかもしれない。

彼らは松明(たいまつ)を持って闇を()らす。

魔女の姿を隠すと言われる闇を()(はら)うための「炎」で、少女を(あぶ)()そうと人の道を()(ある)く。

 

 

どこに行けばいいの?

身を隠せる場所は?

あの子たちはどこ?

誰か……、

……私は、どうすればいいの?

 

 

現実が、彼女の問い一つひとつに丁寧(ていねい)な答えを返す。

しかし彼女の耳は、そうして(なら)べられた中からたった一つの言葉しか(ひろ)わない。

 

「いやだ…、いやだ…、こんなところで、死にたくないっ!!」

 

少女の目は(かわ)いていた。

周囲(しゅうい)警戒(けいかい)する余裕(よゆう)もなく、ただただがむしゃらに町明かりを探して()(しず)む森の中を走っていた。

木の根に足を取られ、何度手足を()()いたか。

突き出た枝に()()かれ、服はあちこちが(ほつ)れてしまう。

「助けて…、エルクっ!!」

乾いた(のど)(あえ)ぐように悲鳴(ひめい)を上げ、(どろ)だらけになるのも(かま)わず、傷だらけになるのも構わず、少女は気を(うしな)うまで走り続けた。

 

 

―――数分後

 

「……ここは?」

目覚めたリーザは(いま)だ森の中にいた。

(こけ)で足を(すべ)らせ、岩に頭を打ちつけて気絶していたらしかった。

「…痛い。」

(ひたい)に触れれば、シットリと赤い血がその手を()らした。

「……どうしよう。」

これが彼女にとって不幸中の(さいわ)いと言えるのかわからない。

だが、気を(うしな)ったことでリーザは幾分(いくぶん)かの冷静(れいせい)さを取り戻していた。

「道は…、どこだろ。」

けれども、現状(げんじょう)が彼女にとって(きわ)めて良くないことに変わりはない。

むしろ、デタラメに走り回ったことで道を見失い、現在地もろくに把握(はあく)できない森の奥深くに入り込んでしまっていた。

ビリビリ…(服の(すそ)()く音)

これから一時間も()たない内に辺りは前後不確かになるほどの闇に包まれる。

加えて血を流してしまったことで獣や化け物たちの鼻を刺激(しげき)させてしまうかもしれない。

リーザは裂いた服で患部(かんぶ)(おお)い、次に自分にできることを探した。

 

この状況で唯一(ゆいいつ)(すく)いは、彼女が山育ちだったことくらいだろう。

平静(へいせい)(たも)てるくらいに回復したリーザは()()れた臭いを(たよ)りに食べられる野草、木の実を探し当て、いくらか口に(ふく)んだ。

川の音を聞き分け、より安全な場所で水を飲んだ。

「あとはこの川に沿()って進めば…。」

川はどこかしらの人里に続いているはず。

フォーレスの森はどこもそんなに深くはない。

もしも道が間違っていなければ、一時間もしない内に町明かりを見つけられるだろう。

 

少女は立ち止まらなかった。

初めて、「少女」に(そな)わった五感だけで、先の見えない道を進み続けた。

 

 

不安は今もある。

だけど、不思議と私の理性を丸呑(まるの)みにしたあの「恐怖」はない。

今だって、一歩間違えれば死ぬかもしれないのは変わらないのに。

どうしてだか死ぬ気がしない。

()(した)しんだ土地だから?

頭を打って感覚がマヒしてるのかもしれない。

この「少女(からだ)」でも私は少しだけ、戦える気がしていた。

 

だけど……、

この孤独感(こどくかん)だけはどうしようもなく私の足を(にぶ)らせた。

あの子たちがそこにいないだけで、私が私じゃないような気分にさせられた。

いつも感じてるはずの私の一部のような「気配(けはい)」がないだけで、私をどうしようもなく居心地(いごこち)悪くさせた。

目に見えないだけで、本当はそこにパンディットがいる気がした。

……でも、あの子はいない。

その()(かえ)しが余計(よけい)に私を出口のない部屋に押し込もうとする。

でも、ここで()を上げられない。

まだ彼がこの世界に生きているんだから。

 

 

「…ラムールだ。」

居心地の悪さと戦っている内に私はどうにか町に戻ることができた。

私はやり遂げた。

今まで頼り続けてきた化け物の『力』なしで、(ひと)りで夜の森を抜けられた。

そこに喜びなんか()いてこない。湧いてこないけれど、(みょう)達成感(たっせいかん)はあった。

「……」

町の入り口には数人の憲兵(けんぺい)が立っているだけで、魔女を警戒するようなお触れが出ているようには見えない。

だからってこんな時間に女がたった一人で町に入ろうとすれば、(あや)しまれるのは目に見えてる。

 

でも、これ以上外にいるわけにはいかない。

すぐにでも体を温めないと体調を(くず)してしまう。

それに、人目を引かないように野営(やえい)をするなんて今の私には到底(とうてい)できない。

…どこかからコッソリ入らないと。

 

私は黒服の人たちに連れ去られるまで村の外に出たことなんかないし、村の外のルールなんか全然分からない。

一人で宿に()まるのだってやっとだった。

そんな田舎者(いなかもの)だけど、こんなに大きな町がこんな見通しの悪い夜の町全体を見張れてるなんて思えない。

 

町はぐるりと(かべ)(かこ)まれていたけれど、入り口以外にそれらしい見張りは立っていなかった。

壁は高く、()(かえ)っている。

苦戦するかもしれないけど、登ってしまえば比較的(ひかくてき)簡単に町に入れそうな気がした。

 

彼女の予想通り、壁を()えて侵入(しんにゅう)する彼女を(とが)める者はいなかった。

ここまで警備(けいび)体制(たいせい)(ゆる)い町も近年(まれ)なことだった。

「時代」に対するフォーレスの意識の低さが、(はか)らずも彼女の(つたな)い「戦い」の追い風になっていた。

 

 

――――宿屋「喜劇(きげき)の表側」

 

「…風呂は使うかい?」

これもまた運が良いことに、町の宿はまだ戸を閉めてはいなかった。

いくら山育ちで体力に自信のあるリーザでも、ろくな休憩(きゅうけい)も取らず一日中森の中を駆けずり回り、あまつさえ崖登(がけのぼ)りのような真似(まね)をさせられてはさすがに疲労(ひろう)頂点(ちょうてん)(たっ)していた。

(あま)りものしかないけど、後で部屋に温かいものを持っていくよ。」

彼女のボロボロの身形(みなり)を見た主人は勘違(かんちが)いしたらしく、いやに親切(しんせつ)だった。

色々(いろいろ)あるかもしれないけどまだ若いんだ。頑張るんだよ。」

温かい食事と温かい寝床(ねどこ)。今の彼女にとって、これ以上にない最上のサービスだった。

「…ありがとうございます。」

どうにかこうにかリーザは(かす)れた声で礼を言葉にし、主人の好意を全て受け入れることにした。

 

混乱(こんらん)と不安はまだ彼女の心を好き勝手に()(きざ)んでいた。

涙は()れているだけで、嗚咽(おえつ)(つね)に胸から(こぼ)れ続けていた。

それでも前に進むことを考えていられるのは、想い人が今も生きているという事実が彼女を(ささ)えているからだった。

それだけが今の「少女」を支えていた。

「……」

全身の汚れを落とし、傷口を洗い、温かいものを口にしてベッドに入る。

少女はそれ以上何も考えることなく深い眠りに落ちていった。

 

 

「もしも怒られるようなことがないのなら、これを着ていきなさい。」

翌朝、宿屋の主人は宿を()とうとするリーザに、一着の洋服を用意していた。

「そんな。ここまでしてもらっていいんですか?」

「なに、ワシも若い頃は親方によく怒られてたからな。同情(どうじょう)と言えば君は怒るかもしれないが…。そうだな、これはただの年寄りの気紛(きまぐ)れと思ってくれないか。」

 

フォーレスのような小さな国では、親の収入だけでは生活が()()たず、子どもが出稼(かせ)ぎに駆り出されることは日常的なことだった。

その中には(きび)しい親もあり、ノルマを達成できない子に手を上げることも(めずら)しくはなかった。

宿代こそ値引きはされなかったが、逆に上乗せさせられてもおかしくない(ほど)に、宿屋の主人は彼女を手厚(てあつ)く持て成してくれた。

 

温かすぎる親切心にのぼせ、リーザは橋を(ふさ)いでいた巨石(きょせき)のことが頭を(よぎ)ったが、図々(ずうずう)しすぎる自分に気付き、丁寧(ていねい)に礼をして彼女は宿を後にした。

 

…でも、結局(けっきょく)、私一人じゃ解決できない。

チョピンさんたちと連絡を取る方法だってない。

この町で、誰か協力してくれる人を探さないと…。

「そこの女、止まれ!」

 

……それは、完全な不意打ちだった。

 

親切にされて、少し浮かれてた私がしでかしたミス。

そして、結果的に見出(みいだ)された()()()()()()()()だった。

「……」

自分のことを言われてることは(ひゃく)承知(しょうち)だった。

もしもここで私が逃げだしたら、憲兵たちは次にあの宿屋の主人を()めるに違いない。

…そんなこと、今の私にできるはずもない。

 

野次馬(やじうま)が集まり始める中、金髪の少女は憲兵らによって「魔女」と宣言(せんげん)され、連行(れんこう)されていく。

「あんな普通の娘が魔女なのかい?」

「全く油断(ゆだん)(すき)もない」

「どうして私たちと同じ姿で生まれてくるんだろうね」

「ああ、見ているだけで気分が悪くなっちまうよ」

「どうしてこの平和な時代にあんな悪魔が生まれてくるのかわからないな」

「俺の親友はアイツの化け物に殺されたんだ」

「ああ、ギーア様は早くあんな奴らを根絶(ねだ)やしにすべきなんだよ」

「今、ここで首を()ねてしまえばいいのに」

「あの時、ホルンの村ごと焼き払うべきだったんだよ」

「害虫が!」

 

……魔女……悪魔……化け物……虫……

 

取り巻く野次馬たちは思い思いの誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を、少女の耳に(とど)くか届かないかの声で(ささや)き合っている。

無数の聞き取れない悪意は、不意に少女の胸を温めてくれたヒトの親切を(またた)()(むさぼ)()くす。

それでも囁きは少女の耳を(ねぶ)り続ける。

喰い足りない闇が、彼女の中にある闇に()けていく。

「私、昨日、あの子と話したんだけど、私、大丈夫なのかしら?」

憲兵の声で(むら)がる彼らが道を開ける中、(うつむ)く少女はそんな声を聞きとった。

声のする方を見るとなるほど確かに見覚えのある顔だった。

「フォーリア、ありがとう…。」

「ヒッ!」

「……」

そうして返された花売りの小さな悲鳴(ひめい)は、傷だらけの魔女の胸に太いふとい杭を突き立てた。

 

フォーリア、「(いの)りを(ささ)げます」。

…誰に、この祈りを届ければいいんだろう。

もしもここで私が祈りを口にしたら誰が聞き届けてくれるんだろう。

もう、「魔女」でもない私の『声』なんかが誰の心に(ひび)くんだろう。

(だま)って付いてこい!」

「アッ!」

皮手袋(かわてぶくろ)を着けた男の人の(こぶし)は私の弱々しい(ひざ)を簡単に()った。

両手を(しば)られ、受け身もとれない私は芋虫(いもむし)のように地面に転がった。

「……」

石畳(いしだたみ)が、(いただ)いたばかりの服をボロボロにした。

(ほお)から流れる(けが)れた血が頂いた親切を(あか)(よご)した。

 

…魔女であってもなくても私の目が(うつ)すものは変わらない。

見上げる私の瞳が、取り巻く彼らを映した。(みにく)い、無数のヒトの目を。

特別な耳がなくたって、みんなが何を言ってるのか嫌と言うほどわかる。

聞こえてくる。

みんなが私の名前を呼んでる。

 

―――お前…、私を(だま)していたのか……

 

……違う。私、勘違いしてる。

みんなが醜いんじゃない。()()()()()()()()()()、そんな目をしてるんだ。

あの日、(へい)の向こうから麻袋(あさぶくろ)(かぶ)ったみんなを見る私も、きっと、こんな目をしてたんだ。

 

 

それが、私

 

それが、魔女(わたし)

 

……

……

……

 

だんだんと誰の声も聞こえてこなくなって、そこにある顔の区別(くべつ)もつかなくなっていく。

「立てっ!」

…今の私は誰も呪えない。

もう、呪いたいとも思わない。

 

だって、終わりなんだもの。

 

気付かなかった私が悪いの。

 

これが、みんなを助ける唯一(ゆいいつ)の方法だったのに。

 

気付かなかった私が悪いの。

 

あの人の言葉に甘えて、目を(そむ)けてた私が悪いの。

 

でも……、もういい。

 

私が悪いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――私は、醜い化け物だから




※あとがき
少し短いですが、区切りがいいので、今回はここまでにさせていただきますm(__)m

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