「…え?誰か襲われてるの?」
フォーレスの首都ラムールで体を休めたリーザは、翌日、人目を避け、彼女の故郷ホルン村へと向かっていた。
その最中に起こったことだった。
目端の利く小人が前方の異常を彼女に告げた。
「子ども?!」
被害者の背格好を聞くなり、この土地での自分の立ち位置も忘れ、リーザは茂みを掻き分け現場へと駆け出した。
――――ホルン村へと続く街道
荷馬車が通れるほどの通りの真ん中で、一人の少年を4人の野盗が取り囲んでいた。
「マジでツイてねえな、ボウズ。そんな若い身空で、しかも一緒に逝ってくれる仲間もいねえ。可哀想で涙が出てくらぁな。」
野盗の一人が手にした得物に力を込めると、彼の仲間が面白半分に遮った。
「まあ待てよ。コイツ独りで逝くんだぜ?せめて天国で友達をつくるためのネタくらいは持たせてやってもいいだろ?」
「ダハハ、テメエの頭でどんだけ上等なネタを仕込めるってんだよ?」
「なあに、ただどうして自分が殺されたのかを教えてやるだけさ。」
「あ?」
「人間ってのは不幸自慢に群がる虫みたいなもんだろ?自分がどんだけ不運に恵まれて死んだのかを話せばダチなんか100人でも1000人でもできらあな。」
「分からねえぞ。あの世だって一つとは限らねえんだ。逝った先でも一人ぼっちかもしれねえぜ?」
「ハハッ、違ぇねえや!!」
楽しげに少年の最期を弄ぶ二人。そして、その遣り取りを黙って見守る二人。
4人は一見、寄せ集めの三流のような性格の違いを見せるが、その実、ピッタリ息の合った熟練の悪党の仕事をしていた。
少年を脅す2人は脅しながら少年の様子を窺い、この場で殺すか奴隷商に売り飛ばすかを品定めをしていた。
それを見守る2人はネズミ一匹逃さない警戒心で商売の邪魔が入らないよう周囲の気配を探り続けていた。
「なあボウズ、魔女の伝説くらいボウズも聞いたことあるだろ?」
男は当然というような馴れ馴れしさで、ここ宗教国家において極めて繊細な物語を口にし始めた。
”魔女伝説”、それは宗教国家フォーレスが敷く戒律に触れる禁忌の一つであり、フォーレス国民の胸中を侵し続ける最大の悪夢だとも言われている。
「この先にデカい橋が架かってるんだけどよ、その橋を渡った人間は二度と戻ってくることはねえんだとよ。なんでか分かるか?」
野盗は俯く少年の顎を掴み、その憐れな表情を陽の光の下に晒した。
野盗たちは手入れの行き届いた得物を同じく陽の光に晒し、ギラギラと反射するそれで少年の恐怖を煽っている。
「渡った野郎は皆、魔女に人間の魂を喰われて化け物の魂にすり替えられちまうからさ。」
「つまりここはボウズもよく知ってる教会の天敵の縄張り。地獄の入り口なのよ。」
「だったら俺たちはそんな魔女様を狩ろうなんて言いやがる教会の能無しどもをカモにする番人ってことか?」
「そういうことだ。よく分かったな。ガハハハッ!」
男たちの得意な下卑た笑いは、通りの両脇に広がる森によく染み込んだ。
「つまりだ、ボウズ。お前はそもそも俺たちの標的じゃねえんだよ。」
まるで彼らの悪事に加担するかのように。
「分かるか?テメエを殺すのはただの暇つぶしってことだ。この通りにさえ来なけりゃ、俺たちが暇さえしてなけりゃテメエは死ななかったってことだ。」
「それがテメェの人生最大の不幸な物語だ。どうだ、傑作だろ?」
「魔女」は、伝説と呼ばれていながら現代への変わらない影響力を備えている。
それはつまり、フォーレス国民がそれを単なる「伝説」と捉えていない何よりの証拠だった。
毎年挙げられる化け物による些細な被害報告。
それだけでも信心深い彼らにとって「魔女が化け物を操って人を襲わせている」と錯覚させるのに十分すぎる事実だった。
彼らの中に「魔女」を棲まわせるのに十分な仕掛けだった。
教会は、「国民の不安を払拭すること」を名目に3度にわたる「魔女狩り」を決行している。
その上で教会は「魔女を完全に駆除した」と明言しているにも拘わらず、「伝説」は彼らの中で今も息づいている。
もはや「伝説」は神の手でさえ拭い去ることのできない、フォーレスの田畑を支配する汚れた水と化していた。
すると、「汚れた水」を飲んで育った者の中からは魔女を崇拝する者、魔女を金に換えようとする者が現れ始めた。
教会から派遣される「魔女狩り」を襲う賊はその一部に過ぎない。
「魔女からもらった『力』を有効活用しているだけさ」
嘘か真か。命からがら賊の牙から逃げ延びた者が、彼らの口から確かにその言葉を聞いたと教会に告白する者さえ現れている。
これを受け、教会は「賞金稼ぎに討伐依頼を出す」という形で体裁を保っているが、当然、その成果は出ていない。
それでも教会の僕である国民は彼らを疑わず、より一層「魔女」を意識し、関わりを避けるようになった。
宗教国家フォーレス。そこは、崇めるべき「神」ではなく、戒めるべき「魔女」でもって民の心を支配していた。
………
そうして、彼らの卑しい笑い声が森に溶け込むと、物語は演者への合図もなしに第二幕に入ろうとしていた。
「…僕は、信じない。」
「あ?」
少年が太陽の眩しさに顔を歪めながら何事かを呟いたその時だった。
「アアアァッ!!」
唐突に響き渡る悲鳴が、野盗たちの凶悪かつ老練な心臓の高鳴りを呼び覚ます。
「どうした!?」
脅していた一人は少年を突き飛ばし、怒鳴った。
「吹き矢だっ!毒を塗ってやがる!ウグゥゥッ、茂みの方だ!…グゥウ、痛ぇじゃねえかクソが!」
軍人のように統制のとれた野盗たちは直ちに陣形を組み、手にした得物に血を通わせた。
「どこだ!出てきやがれ!!」
………
ソレは顔に精気のない影を張り付けながら、ユックリと茂みの中から現れた。
「女っ!?」
「殺るか?」
2人が持て余す殺気を金髪の、幽霊のような気配の女にぶつける中、彼らをまとめているらしい男が冷静に指示を出した。
「…引くぞ。ヴァイン、お前はしんがりで女を警戒しろ。」
「何でだ!?」
「たった一人だぜ!?しかも女だ!」
「…死にたいなら勝手にしろ。」
まとめ役の男が踵を返したその瞬間―――、
「なんだこりゃあ!?」
突然、彼らの退路に巨大な壁が迫り上がった。
「…テメエら、油断するなよ。死ぬ気で殺れ。」
「……」
異常事態を前にした男たちは確かな「敵」の存在を認め、揃って口を噤み、凶暴な殺意で自分たちを奮い立たせた。
しんがりを務めるはずだった男が弓を放つのを合図に、野盗たちの牙は一斉に金髪の女に飛び掛かった。
―――だが、4人の牙が女の体に届くことはなかった。決して。
放たれた矢はまたしても突如現れる壁に遮られた。
壁が注意を引き、何処からともなく放たれた件の毒矢が二人の首を捉え、女の前方の草陰から飛び出した狼が怯んだ一人の頭を噛み砕いた。
狼は一人を確実に絶命させると急旋回し、もう一人の足を噛み千切る。
化け物たちの周到な待ち伏せを掻い潜り、目標まで辿り着いた残りの一人は渾身の一撃を女の脳天に振り下ろす――――はずだった。
「なんだ!?」
入念に研がれた邪悪な牙は、突如認識された桃色の腕によって阻まれていた。
「モドキかっ!?」
しかし、男がその全貌を見た時にはすでにもう一方の腕によって頭を掴まれ、鈍い音と共に握り潰されていた。
「ヘモォ~」
そして、街道では次の矢をつがえていた男が白い毛皮を持つ巨大な虫に頭から貪られていた。
………
魔女の住む村、ホルン。
町の人々の多くは―――教会の言葉を鵜呑みにし―――、そこに魔女がいようといまいと「争い」を呼び込む呪いの地なのだと異口同音に唱えた。
今、リーザはその教会の戯言が真実なのだと証明してみせた。
そして、フォーレスの少年はそれを目の当たりにしていた。
「……」
争いの絶えない時勢とはいえ、町の子どもが人間の血を見る機会はそうそうない。
不幸にもこの場に居合わせた少年もまた、これが生まれて初めて見る「人の死」だった。
あまつさえ、その異常な絵面の中には、見たこともない化け物たちが我が物顔で闊歩していた。
それは幼心に『悪夢』を植え付けのに十分すぎる刺激的光景だった。
「…ホルンの、魔女……」
「……」
吐き気さえもよおす中、少年の口は無意識にその女の本性を口にしていた。
「…ここは危ないから早くお家に帰りなさい。」
金髪の魔女は説明も弁明も省き、少年の退場を催促した。
同時に、「手遅れ」という言葉が彼女の頭を埋め尽くしていた。
そこから広がる「罪と罰」を求める景色に辟易していた。
もう町には引き返せない。
噂が広まって、兵隊が町の入り口で待ち構えているかもしれない。
ううん。町に戻らなくたって、私を捕まえたいあの人たちはここまで探しに来るかもしれない。
金髪の魔女は早くも自分の失態を呪い、帰路の目算をつけ始めていた。
すると、
「僕、見たんだ。」
少年は魔女の催促を無視し、恐怖を顔に出さず、何かを訴え始めた。
「……」
魔女には少年の『声』が聞こえていた。
教会が裏で行っているであろう悪事の様子が。
それが、自分たちの「敵」であることもすぐに理解した。
「教会の人が悪魔と喋ってたんだ。」
そして、この少年が「魔女」を本気で頼ろうとしていることも。
「お姉ちゃん、僕、お願いがあるんだ。」
「…それは、ダメよ。」
それを口にするだけで、少年は「教会」から罰せられる。場合によっては首を飛ばされるかもしれない。
こんなに幼い子なのに。そんなこと許される?
「僕、まだ何にも言ってないよ?」
「それでもダメなの。」
「…お姉ちゃん、ホルンの人なんでしょ?」
どうしてこの子は私を怖がらないんだろう。
勢いでしたこととはいえ、あんなにも残酷な殺し方をしたのに。
「……そうよ。」
「だったら―――、」
「ダメだったら。」
「どうして?お姉ちゃんは、悪い人じゃないんでしょ?」
…え?
「どうして、そう思うの?」
「だって、僕を助けてくれたじゃない。」
「見てなかったの?人を、殺したのよ?化け物を遣って。」
子どもに理屈を求めたって仕方がないことくらいわかってた。
それでも私はこの男の子の言葉の根っこが『見たい』。
もしもそこに魔女が胸を張って悪くないと言える根拠があるのなら。
「おじいちゃんが教えてくれたんだよ。悪いことをする人が悪くて、本当はホルンの人は悪くないんだって。」
…わからない。
君の気持ちは嫌でも『聞こえてくる』。
けれど、そんなんじゃ誰にも、何も伝わらないわ。
「…だから、私は今、人を殺したのよ?悪い事でしょ?」
進展のない会話に苛立ってるのか。
『声』を聞きたい気持ちとは裏腹に、この子の「非常識」を言い負かしたい気持ちが膨れ上がってきた。
少年は魔女の目を見詰めながら、頭の中で彼女の納得する答えを必死に探していた。
けれども、問題に対して圧倒的に年齢の足りていない少年は、正直に自分の力の無さを懺悔した。
「難しいことはわからないよ。」
しかし、その言葉の裏側には…、いいや。初めから、彼女の求めている「答え」はそこにあった。
けれども、それを理解するには彼女もまた若すぎたのだ。
彼女の耳にはまだ、その言葉は偽善者たちの戯言にしか聞こえない。
「でも、僕にはお姉ちゃんが悪い人には見えないんだ。」
「ヤメテッ!!」
魔女の『叫び』に、少年は肩をビクリと震わせた。
意味のない、情に訴える言葉はただただ魔女を苛立たせた。
「……お願いだから、家に帰りなさい。それと、今日あったことは全部忘れなさい。そうすればアナタが酷い目に遭うこともないわ。」
「……」
「お願いリッツ、こっちに来てはダメ。」
魔女は放心している少年をそのままに、その場を立ち去った。
少年と別れて十数分。
少女は周囲への警戒を化け物に任せ、足を進めながら自己嫌悪に陥っていた。
そして、その弱った心に追い打ちをかけるように、彼女たちの行く手を遮る障害がまた一つ現れた。
道なりに進むとリーザたちは高低差50mはある谷に突き当たった。
「…そんな。ここまでする必要あるの?」
谷を渡る唯一の吊り橋。その入り口に、見上げる程に大きい巨石が門番のごとくリーザたちの前に立ち開かった。
そして、魔女はその岩に違和感を覚え身構えた。
…どうしよう。
なんだか私の手に負えないような気がする。
誰かに……、
…誰に?今の私が、誰かに助けてもらえると思ってるの?
昨日までは「勇者の剣になる」なんて聞こえのいいことを自分の胸に誓っていたのに、今は「魔女」を悪魔呼ばわりするあの人たちへの憎しみで殺伐としてる。
結果的に、私は人の「命」を奪った。
まるであの人たちの言うままの「魔女」みたいに。
フォーレスの『悪夢』そのもののように。
そんな「魔女」が、フォーレスで、誰に頼ろうって言うの?
……でも、本当にそう?
もしも本当に私がみんなの『悪夢』なんだとしたら、あの男の子が私にあんなことを言うかしら?
いいや、言わない。
きっと、怯えて一言も口を利けないはず。
…本当?
ううん。弱気になっちゃダメ。ここで決意を鈍らせたらいつ立ち上がるつもりなの?
リーザ、ここでアナタがしっかりできないのなら、エルクの傍に立つ勇気さえ永遠に手放してしまうかもしれないのよ?
だから、お願い。
幼い魔女は呼吸を整え、胸に手を当て、考えた。
「勇者の剣」に相応しい自分の姿を、あるかどうかも分からないものを必死に探した。
……私は『悪夢』じゃない。
同じ「人殺し」でも、私と本物の悪魔たちとでは何かが違ったんだわ。
…何か?何かって何?
答えをアヤフヤにしないで。
子どもに聞かせる童話にだって、読み解けば必ずそこには未来の大人たちへ向けたメッセージがあるものでしょ?
忌み嫌われた「伝説」にだって……。
…違う。これじゃあ、「魔女」が『悪夢』じゃない理由にはならないじゃない。
何か、別の読み方があるはずよ。
みんなを救う未来に繋がる何かが。
何か…何か……何か……
少女は魅力的な金髪を掻き毟り、愛らしい顔をくしゃくしゃにして自分を追い詰めた。
「ちがう…、ちがう……」
たった一人で、この世にたった一粒の砂金を探し続けていた。
―――リリー
「…わかんない。絶対にあるはずなのに。どうして…?」
遂には蹲り、渇いた地面をハタハタと涙で濡らし始めた。
諦めの涙。自嘲する涙。後悔、憎悪、失望――――。
滴る涙の数だけ、少女の嫌悪する『魔女』が笑みを浮かべているように感じられた。
「わかんないよ…、エルク。」
そして、どうして口を開けば彼の名が出てしてしまうのか。そこにいる化け物たちの名ではなく。
今の少女には何も分からなかった。
彼女自身が生み出す止め処ない『悪』が、彼女の首をどこまでも強く締め上げる。
すると―――、
「ヘモォォ~」
「…え?」
ピンクの大男が、話の流れも気に掛けず少女に囁いた。
「ヘモォ」
「…だから、それじゃあ私、何も変わらないの。今までみたいに、悪い『魔女』のままなんだよ?みんなの『悪夢』になるかもしれないんだよ?」
「ヘモォ~」
「……」
ピンクの大男に大した考えはない。
けれども、普段から物事に集中しない、ぼんやりとした目で世界を見る彼だからこそ、「小さな悩み」や「狭い世界」に頓着しない、達観した大人のような意見を口にすることができた。
「でも…、そうだね。そうかもしれない。私一人で世界が変えられる訳じゃないもの。」
そんな彼だからこそ、自分の殻に閉じこもりがちな、意固地な子どもを宥めるのに長けていた。
「…ありがとう、みんな。」
大男以外、何をしたわけでもない。
けれど、何かをしなければ人が救えないわけじゃない。
「家族」でいるだけで、憐れな魔女の涙を拭うことだってできる。
それが、幼い彼女に伝われば。
生き急ごうとする少女の良い経験になれば、彼女もまた同じことを誰かにすることができるだろう。
リーザはスカートに付いた土を払い、改めて奇妙な大岩に対峙した。
「……」
やっぱり無理かもしれない。
ハッキリと何が危険なのかは分からないけど、何か『呪い』のようなものが仕掛けられてる気がする。
この子たちも心なしか落ち着かない様子だし。
…どうしよう。一回引き返そうかな。
「……」
引き返してどうするの?
さっきも言ったけど、まずラムールには帰れない。
さっき助けた男の子…、リッツだったかな。
私のことを悪く言わないまでも、間違いなく誰かに話すと思う。
こんな国だから、例え子どもの言うことでも「魔女」をそのまま捨て置いたりはしないと思う。
「……」
やっぱり無理にでも先に進んだ方が……。
『土の精霊』と同じ『力』を操れるモフリーなら、岩そのものをなんとかできなくても、即席の足場くらいなら架けられるかもしれない。
それは幼いがゆえの、軽率すぎる行動だった。
もしくは、そういう行動を誘うような魔法がかかっていたのかもしれない。
彼女に付き従う化け物たちでさえ、その仕組みを見抜けなかった。
巧妙な罠なのだ。
「……え?」
金髪の魔女が大岩に触れた瞬間、彼女は五感を奪われたかのような眩暈を覚えた。
気力を振り絞り、振り返ると、そこに彼女の大切な家族の姿はなかった。
忽然と、まさに煙のように消え失せた。
この悲劇が始まってから、一度たりとも少女の傍を離れなかった狼でさえ、毛の一本も残さず。
「…みんな、どこ?!」
異変がそれだけでないことはすぐに気付いた。
「誰か、返事をして!!」
「家族」だけじゃない。
森の中を飛び交う鳥も、虫も、草木も。誰も彼もが、一様に『口』を噤んでいた。
「…うそ……」
ヒトの『声』なんて聞こえなくていい。
ヒトを狂わせるこんな『力』なんか消えてしまえばいいのに。
前の私はいつかそんな時が来ることを望んでた。
エルクと知り合ってからは特に。
けれど…、今じゃない!
金髪の少女は辺りを何度も何度も見渡した。
今まで『声』が教えてくれていた「危険」も「打開策」も、何も聞こえてこない。
「……」
途端に、少女の立つ世界が無限大に広がっていくように感じられた。
彼女のよく知る『言葉』ではなく、難解で厭らしい記号の羅列のような光景が、延々と。
それこそ、眩暈を誘うほどに。
記号は魔女に何一つ『語らない』。
ただし、そこに侵入したなら、容赦なく彼らの言葉で魔女を責め立てるだろう。
それは憶測でしかない。
けれども、必ずしも「ない」と言い切れるものでもない。
そこに、完全に平等な「生」と「死」の世界が彼女を待っていた。
魔女は初めて、「少女」の弱さを肌で感じていた。
何者にも打ち勝つことのできない「非力」であることの恐ろしさが、彼女の理性を容易に丸呑みにしてしまった。
小さな草むらの中にでさえ、彼女を殺す何かが潜んでいるかもしれない。
そういう幻想に憑りつかれ、魔女は一歩も足を動かすことができなくなっていた。
「岩」は、禁忌の村を閉ざすためにそこにあるのではない。
正義感に目覚めようとする「魔女」を喰らうためにそこにいた。