少女は俯いていた。
『悪夢』にうなされる少年の顔に目を遣ることもできず、味気のない石床を見下ろして独り悶々としていた。
大人たちに掻き乱され、「リーザ」という存在の正しい生き方が分からず、苛立ちを抱きしめながら迷路の中をただただ歩き回っていた。
ただ一人、頼りにしていた人は今、彼女のために手を差し伸べてはくれない。
―――リリー……
「…うん。そうだね。私だってエルクを助けなきゃいけないんだもの。何か、しないといけないよね。」
口では簡単に言えた。
けれど、少女の足は呪いで石にでも変えられたかのように動かない。
矛盾する『声』が少女の肺の中で入り乱れている。
少女の妄想するもう一人の『魔女』がイタズラに彼女の息を乱した。
―――誰も助けてはくれない。
行き場のない涙は抑える間もなく込み上げ、甘えた嗚咽を溢そうとする唇を仇のように噛み殺すだけで精一杯だった。
「……どうすればいいの?」
その場に立ち尽くしたまま、少女は自分の生まれた世界を拒絶するように顔を覆い、自分の未熟さを静かに呪った。
巫女がその部屋を離れて数分後、犯罪者の一味がもう一人、俯く少女を訊ねてやってきた。
「おはようさん。邪魔してもいいかの?」
「…はい、なんですか?」
現れた男の腹は酒樽のようによく肥えていた。歯並びが悪く、燻んだ金歯が数本、口の中で光っている。そして、良く言えばライオンの鬣さながらの立派な顎髭。
その風貌はまさしく絵本の中から飛び出してきた山賊その人だった。
戦艦シルバーノアの艦長、チョンガラ。
もともと小心者であるこの大男もまた、例に漏れず魔女の『力』を恐れていた。
「化け物たちを何の道具にも頼らずに、しかも無意識の内に操り人形にしてしまうじゃと?!」
「絹糸よりもデリケートなワシがそんなヤツの近くに近寄ろうもんなら、ひとたまりもないじゃろう!」
人伝てに聞いた彼はそう考えていた。
しかし、彼はヒトの良し悪しを見抜く優れた目を持っていた。
「なんじゃ、なんのことはない」
「ただの思春期の小娘じゃないか」
直に目を合わせた彼は今、心の中で安堵の溜め息を吐いていた。
確かに、意識してみれば、体の内側を探られているような妙な違和感はあった。
それでもそこに悪意は感じられず、少女の目に、彼のよく知る化け物たちの輝きも見られなかった。
彼は自分の勘を疑ったことはないし、その鑑識眼にも絶対の自信を持っていた。
そして彼のそんな『声』は、この特別な神殿の中においても少女の耳に『よく届いていた』。
品のない見た目に倣った粗暴な『声』ではあるものの、その実直で素直な『声』は彼女の警戒心と、所在ない不安を少し和らげたのかもしれない。
少女が巫女に向けたような敵意を彼に向けることはなかった。
「いやな、唐突な話で悪いんじゃが。もし、お嬢ちゃんさえ良ければコイツらを使っちゃくれんかと思ってな。」
そう言ってチョンガラの背後から現れたのは白い茅葺き屋根のような毛皮を被った巨大な甲虫。ポケットから頭を覗かせたのは3匹の小人だった。
「……ヘモジーわい。まだ来とらんのか?」
一人、声が聞こえてこないことに気付いたチョンガラは振り返り、呆れ顔を浮かべた。
「まったく相変わらずのウスノロじゃのう。おーい、早く来んかい!」
彼が怒鳴ると、2秒ほど遅れて「ヘモォ~~」というくぐもった声が部屋の外から返ってきた。
「…まあ、いいわい。そのうち来るじゃろ。」
「さて、お嬢ちゃんの返事を聞かせてくれんか?…まあ、いきなりのことじゃからすぐには答えなんぞ出らんじゃろうが、上手く使えばそれなりに役に立つ連中だというのは保証するぞい。」
それがお決まりの遣り取りなんだろう。
チョンガラの小馬鹿にしたような言葉を聞くや否や、4匹の化け物たちは息を合わせたかのように主人へと反論し始めた。
そして、彼らの主人もやはりそれを慣れた様子であしらっていた。
「口喧しいのはその代償としてガマンしてもらうしかないがの。」
そんな中、件のナマケモノがのっそりと部屋に入ってきた。
ピンク色の肌で、ドワーフをそのまま人間サイズまで大きくしたような体型をしている。目には覇気がなく、顔が全身の3分の1もある。
「親切にしてくださって嬉しいんですが、私にその子たちを人前から隠す力なんてないし…。」
チョンガラは特殊な魔法のかかった「壺」で彼らを『支配』していた。
同時に、その不思議な『力』で彼らを男の子程度の大きさの壺にしまうことができた。
当時、商人の出で立ちをしていた彼が骨董品を持ち歩く姿なんて誰も珍しいと思わない。
だから人通りの多い往来でも宿屋でも堂々と化け物たちを連れ込むことができた。
一方のリーザは、その『支配』に道具を必要としないものの、彼らを「携帯」する術を持っていなかった。
狼を「盲導犬」などと偽るのが精一杯だった。
そう伝えると、彼らの主人は下品な笑い声でもって彼女の不安を否定した。
「その点は心配せんでもいいぞい。モフリーもケラックも変装や隠れん坊がお家芸みたいなもんじゃからな。」
チョンガラが指を鳴らすと、3匹の小人たちはポケットに潜り込み、茅葺きの虫は体を縮こまらせ、12本ある足の内の一本を伸ばし、自立するモップに化けた。
「どうじゃ。大都市の街中でモップを持って歩く姿は少し異様かもしれんが、どこからどう見てもただの”モップ”じゃからな。必要以上に警戒されることもないじゃろうて。」
「…この子は、大丈夫なんですか?」
そんな中、ナマケモノはゆっくりとではあるけれども、人…のようなものに変態してみせた。
変態したといっても肌はピンクのまま。全体的な体のバランスも悪く、ちょっとした化け物に見える。
「そいつはのう、変身にムラがあるんじゃ。運が良けりゃあ、いい感じに化けるんじゃがのう。」
「それだと…」
街中には一般の人の他に私を狙う敵だっている。
あんまり目立ちたくはないんだけどな。
「ヘモォ~」
「…そうなんだ。」
「お、ソイツの言葉が分かったんか?」
「はい。」
ナマケモノ…、ヘモジーは変装することに関しては不得手でも、それを補う魔法は熟知しているんだってこの子は言ってる。
「ヘモジーの種族は揃って”混乱”や”精気を奪う”魔法に長けとる。近付くだけでもその効果は十分に発揮されるが、触れられれでもすれば目の前に100mのタコがおったって騒がれはせんだろうよ。」
確かに。今、私にその魔法を使ってみせているらしく、だんだんとその姿が正常に思えてきた。
というよりも、そんな小さな問題なんかどうでもよく思えてきた。
「すごい力なんだね。」
「ヘモォォ」
実際、見た目や挙動に反して、その『力』は使う人が使えばとても危険なもののように思えた。
「ヘモォー」
「…そうだね。私は信じるわ。」
自己紹介も兼ねて、一番の問題は解決したけれど、私はまだこの人の口から聞いていないことがあった。
「…その、チョンガラさんはどうして私にその子たちを?」
私が聞くと、チョンガラさんは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべて愚痴をこぼした。
「コイツら言うに事欠いて、ワシといるよりもお嬢ちゃんといる方が居心地が良さそうなどと吐かしおるんじゃ。」
チョンガラさんは私を和ませるために嘘を吐いていた。
「ワシは迷惑になるからヤメロと言うたんじゃぞ?」
ずっと、『聞こえてた』。
私がエルクを看てる時、時折、その子たちが私の様子をこっそり見にきてたこと。
落ち込む私のことを心配してくれてたこと。
多分、私の『力』が知らず識らずこの子たちを惹き寄せたんだと思う。
「チョンガラさんは、それでいいんですか?」
ガシガシと、クマの毛皮のような顎髭を掻きながら考え事をするのはこの人の癖の一つなのかもしれない。
途端に色んな『声』が彼の頭の中で飛び交い始めた。
「確かに、ただでさえ少ない船員を手放すのは痛いが、」
どうすれば私が快くこの子たちを引き取るか。
「こんな穀潰し共でも、お嬢ちゃんみたいな可愛い子ちゃんの弾除けになるのなら手放さんわけにはいかんじゃろう。」
この人も周囲に理解されない独りきりの時期があった。
その侘しさは本物の仲間でしか癒せない。
アークと触れ合って、この人はそれを知った。
「だから」と言っていいのかまではわからない。
だけど、この子たちがチョンガラさんの大事な「家族」だってことは間違いない。
この子たちがチョンガラさんの傍に居続けたから、この人は本物の自信を持てるようになったんだ。
「本当はワシが付いていくのが一番お嬢ちゃんの助けになるのは分かっとる。分かっとるが、」
…「だから」と言ってもいいよね?だって――――、
「さすがにこんな色男が傍におったら、それこそ人の目を引いて、別の意味でお嬢ちゃんの迷惑になるだろうからの。仕方なく身を引いたというわけよ。」
そうして見せたこの人の笑みは、テディベアのように可愛らしいんだもの。
―――この人たちはいい人たちだ
この人は魔女にそう思わせた。
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えてこの子たちをお借りします。」
そもそも、「チョンガラ」という人は内向的で、損得勘定で人生を設計するような意地汚さを絵にかいたような人のはずだった。
…だけど、変わったんだ。
あの人と同じ、勇者の横顔を見て。
「そうか、そうか。無事引き取ってくれてなによりじゃわい。」
その大きく突き出た太鼓っ腹を自慢げに叩くと、彼は「仲良くやるんじゃぞ」と子どもたちに言い聞かせた。
「おお、そうじゃった。」
立ち去る間際、彼はもう一つの用件を思い出し、振り返った。
「ワシらは今夜中にここを発つつもりじゃ。もしもお前さんがここを出ていくと言うのなら、それまでに村の南の崖に来なさい。そこに船を着けとるからの。」
彼らは、外で得てきた物資をこの村に送り届ける役目を担っていた。
それでようやく、村は生活を送ることができている。
言い換えるなら、彼らの支援がなかったらこの村は潰れてしまうんだ。
そんなギリギリの人生を強要されているのに、この村の人たちは時折帰ってくるアークたちの手を借りては倒壊した家屋の修復をしたり田畑の手入れをしたりと、精力的に村の復興をしているみたい。
みんな、この村を捨てず、生き抜こうとしてる。
…アークがいるから……
「あとな―――、」
私が一人の勇者像を考察していると、その友人が自慢の金歯を覗かせてニヤリと笑った。
「ワシのことは”艦長”と呼びなさい。」
「……フフ。はい、チョンガラ艦長。考えておきます。」
そうして、チョンガラさんは満足そうに出ていった。
その背中はとても強そうで、何より楽しげに見えた。
「…勇気ある行動は……。」
勇気なら今までにも出してきたつもりだった。
東アルディアの空港で、エルクに助けを求めた時も。
それから…、それから……。
…あれ?
……それだけ?
……それだけだった。
私、あの時以外、全部誰かの背中にくっついてるだけだったんだ。
誰かの言われるままに付いていって、力任せに暴れてただけ。
もしこれからも…、もしこのままずっと、彼の隣で乾いたタオルを濡らし続けてたら、いつか私は「うなされる彼」を愛してしまうかもしれない。
彼が目覚めることを拒みはじめるかもしれない。
…それは、絶対にイヤだ。
彼は彼だ。
彼が私をどう思おうと。
私は彼に生きて欲しい。
私は彼の『悪夢』にならない。
……彼女にはなりたくない。
勇気ある行動は―――
「…いってきます。」
今はそれ以上掛けられる言葉はなく、私は化け物たちを引き連れ、彼の前から去るしかなかった。
でも、いつかは――――
「ワしが傍にオるンジャ。万ガ一のことなンかなイワい。」
神殿の中央広間でくつろぐドラム缶が放った一言は、心なしか、旅立つ少女の不安を取り除いてくれたようだった。
「よろしくね、ヂーク。」
「マカせロ。」
やけに強気なドラム缶は置物のように地べたに座ったまま微動だにせず、少女の背中を見送った。
「土産ヲ忘れルんじゃナいぞ。」
この状況で、こんなにも緊張感ない言葉を掛けられながらも、少女はドラム缶のことを信じていた。
作り笑顔で返事をし、神殿を後にした。
「…これが勇者の村……」
ここへ連れてこられて以来、初めて目にした神殿の外の景色は少女の目に疑いの色を濃く浮き上がらせた。
トウヴィル、精霊の加護がこの村を護ってるって聞いたけれど、村の様子を見るとその噂も、チョンガラさんの『声』も嘘のように聞こえてくる。
少なくとも、私の育った村の方が人の住む場所としてキレイだった。
倒壊している家屋、野放図に伸び散らかした草木、通っている気配のない電柱、空しくはためく旗。
ここは、なんというか。
荒れ果てた…、殺風景な…、
…そう、天井のない防空壕のように見えた。
ここまで―――少なくとも神殿が機能している内は―――敵が攻めてくることはないのに、みんな何者かに見つからないように息を潜めてる。
…それでもやっぱり皆、必死に生き残ろうとしてるらしいのは分かる。
互いを励ます『声』が絶えず聞こえてくるもの。
来るべき時が来るまで。
自分たちの前をひた走る人の姿を信じて、自分たちに護れるものを護っている。
どうしてそんなことができるの?
「精霊の国」に生まれたから?
アークが、ククルが、強い人だから?選ばれた勇者だから?
…多分、その両方なんだと思う。
精霊への敬虔深さと勇者たちからの叱咤激励が、『恐怖』を口から溢しつつも、『信じる心』が村の人たちの心を温めているんだと思う。
…それが、勇気?
私や、エルクに足りないもの?
―――トウヴィル村、南の崖
アルディアからここにやって来た時、私は本当に周りの何もかもが見えてなかったみたい。
崖に停泊してる白銀の船、戦艦「シルバーノア」は改めて見ると、とても大きくて、とてもキレイな獣のような船だって気付かされた。
船首にペイントされたスメリアの国旗以外、無駄な塗装のない銀色の船体。
それは大海を泳ぐクジラにも見えるし、穏やかに大地を踏み鳴らすゾウのようにも見える。
敵を一噛みで殺してしまうライオンにも見えるし、湖面でのダンスを控えた白鳥のようにも見える……。
何の獣か改めて尋ねられても分からない。
でも、生きてる。
響き渡るエンジン音が心臓の音に聞こえてくるくらい、それは堂々とした佇まいで、厳かに私たちを見下ろしてる。
次第に、甲冑を着込んだ一騎当千の騎士のようにも、数えられないほどの民を従える王女のようにも見えてくる。
結局、何がなんだか分からない。
だけどこの船こそが、この国を護る一つの”精霊”なのかもしれないとさえ思わされた。
近付く程にプロペラが切る風の音が辺りを満たし、私やパンディットたちの気配を飲み込んでいく。
それなのに、私たちの訪問を敏感に察した船員が一人、わざわざ船から降りて出迎えてくれた。
「おはようございます。」
操舵士、チョピンさんは簡単な自己紹介と私の用向きをチョンガラさんから聞いている旨を私に言った。
物腰が柔らかく、それでいて品の感じられる紳士的な印象を覚える人だった。
「フォーレスまでお願いしてもいいですか?」
「承知しました。」
私が行先を告げると操舵士は二つ返事をし、巨大な戦艦の進路は定められた。
どうでもいいことなのだけれど、この時私は、船の責任を負う艦長の発言の重さを感じた気がした。
「おう、来たか。」
通路ですれ違った艦長が少女の来訪を歓迎した。
「フォーレスまで行くらしいのう。」
「はい。」
「…実はのう、送るなどと大見栄を張ったんじゃが、この船はどの国の空港にも着岸できんでな。なにせ、国際指名手配中の船じゃからな。」
「はい、分かってます。」
説明されるまでもなく、図々しくも正面玄関から入国できないことくらいわかってた。
「山を越えられるだけでも十分助かってますから。」
フォーレスの山越えは気候的にも、化け物たちへの対処の面でもとても大変だから。
それに、歩くのには慣れてるから。
チョンガラさんは私の覚悟をそれなりに察していたらしく、それ以上卑屈な態度をとることはなかった。
そのさり気無い気遣いは分かり易く、心地好かった。
「気を付けるんじゃぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
チョンガラさんは私たちを客室まで案内するとケラックたちを船の整備に駆り出し、私とパンディットだけが残された。
「……世界って、広いね。」
狼の耳をいじりながら、少女は溜め息を吐いた。
眼下には横断するだけでひと月は費やしてしまいそうな山脈が横たわっている。
それを、この白鯨はひと泳ぎで越えてしまう。
それだけの足があるのに、一昼夜かけてもこの世界は泳ぎきれない。
そしてそこには小さな争いがはち切れんばかりに詰まっている。
それは、遮るもののない大空を歩く少女の耳に、打ち合う銃声の残響のような『声』が蜘蛛の糸を掴むように忍び寄ってくる。
見下ろす少女の顔に表情らしい表情は見られない。
もっと恐ろしい声で鳴く化け物たちを知っているから。
狼の耳をいじりながら、少女は溜め息を吐いていた。
陽が落ち、暗幕が下り始める頃、艦内の仕事を終えた5匹の化け物が少女の下に帰ってきた。
「お疲れ様。」
達成感を顔に張りつけたような5匹に少女は思わず顔を綻ばせ、催促されるがままに労った。
「少し離れ離れになるけど、チョンガラさんには挨拶をすませてきたの?」
『キキィィ』
「……」
「ヘモォォ~」
5匹はそれぞれの言葉で主人を詰ったつもりでいた。
けれども、それらの嫌味も少女の耳に届く頃にはスッカリ意味が反転し、自分たちの本心を少女に知られることになってしまうのだ。
「フフッ、よっぽど好きなのね。チョンガラさんのこと。」
『キキィィ!』
愛らしい失笑とズバリ言い当てられた少女の言葉に、真っ先に3匹が反論する。
「フフ…、諦めなさい。どんなに汚い言葉を使ったって、他の全部がアナタたちの本音を口にしてるんだから。」
「……」
白いモップが辛辣な言葉で前の主人を評価しても、少女の表情は変わらない。
「私も、アナタたちを無事にチョンガラさんのところに返せるよう頑張るから。アナタたちも少しの間、よろしくね。」
「ヘモオォォ」
「あら、私に?嬉しい。」
反論に関心を持ってなかったピンクのナマケモノは手土産にと、故郷の果実を少女に差し出した。
抜け駆けをされた残りの4匹はナマケモノを一斉に非難した。
小人たちは彼のゴワゴワの髪を引っ張り、モップは頭頂部から伸びる触手で彼の首のない首を絞め上げた。
「?」
ところが、限りなく鈍感なナマケモノがそれらの手痛い抗議を「抗議」と捉えられることはなく、突然大声を上げる身内の様子にポカンと指を咥えるだけだった。
「こらこら。みんな仲良くしてよ。じゃないと私、アナタたちを安心して預かれないわ。」
『……』
「ありがとう。それじゃあ改めて、よろしくね。」
主人と新しい家族の顔合わせを一通り見届けると、狼は彼らに親しみを込めた挨拶をした。
なかなか知人友人をつくる機会に恵まれない彼らは狼の友好を快く受け入れ、すぐに打ち解けあった。
小人たちは狼の鼻を優しく撫で、モップは物静かな言葉で親愛の言葉を返し、ナマケモノは指を咥えて仲間たちの遣り取りを見守っていた。
その光景を微笑ましく思う一方で、微かな妬みのようなものがささくれ立っていることを、少女は確かに感じていた。
世界を照らすたった一つの陽はとっくに沈み、辺り一帯は暗幕の海で満たされている。
善行も悪行も見逃される無法の時間。
白鯨は町明かりを遠くに見詰め、しんしんと海の底へと降りていく。