聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

146 / 235
魂の帰郷 その一

少女は(うつむ)いていた。

『悪夢』にうなされる少年の顔に目を()ることもできず、味気のない石床を見下ろして(ひと)悶々(もんもん)としていた。

大人たちに()(みだ)され、「リーザ」という存在の正しい生き方が分からず、苛立(いらだ)ちを抱きしめながら迷路(めいろ)の中をただただ歩き回っていた。

ただ一人、(たよ)りにしていた人は今、彼女のために手を()()べてはくれない。

 

―――リリー……

 

「…うん。そうだね。私だってエルクを助けなきゃいけないんだもの。何か、しないといけないよね。」

口では簡単に言えた。

けれど、少女の足は呪いで石にでも変えられたかのように動かない。

矛盾(むじゅん)する『声』が少女の肺の中で()(みだ)れている。

少女の妄想(もうそう)するもう一人の『魔女(しょうじょ)』がイタズラに彼女の息を乱した。

 

―――誰も助けてはくれない。

行き場のない涙は(おさ)える()もなく()()げ、甘えた嗚咽(おえつ)(こぼ)そうとする(くちびる)(かたき)のように噛み殺すだけで精一杯(せいいっぱい)だった。

「……どうすればいいの?」

その場に()()くしたまま、少女は自分の生まれた世界を拒絶(きょぜつ)するように顔を(おお)い、自分の未熟(みじゅく)さを静かに呪った。

 

 

巫女(みこ)がその部屋を離れて数分後、犯罪者の一味がもう一人、俯く少女を(たず)ねてやってきた。

「おはようさん。邪魔(じゃま)してもいいかの?」

「…はい、なんですか?」

(あらわ)れた男の腹は酒樽(さかだる)のようによく()えていた。歯並びが悪く、(くす)んだ金歯が数本、口の中で光っている。そして、良く言えばライオンの(たてがみ)さながらの立派(りっぱ)顎髭(あごひげ)

その風貌(ふうぼう)はまさしく絵本の中から飛び出してきた山賊(さんぞく)その人だった。

 

戦艦(せんかん)シルバーノアの艦長(かんちょう)、チョンガラ。

もともと小心者であるこの大男もまた、例に()れず魔女(しょうじょ)の『力』を恐れていた。

「化け物たちを何の道具にも頼らずに、しかも無意識の内に(あやつ)り人形にしてしまうじゃと?!」

絹糸(きぬいと)よりもデリケートなワシがそんなヤツの近くに近寄ろうもんなら、ひとたまりもないじゃろう!」

人伝(ひとづ)てに聞いた彼はそう考えていた。

しかし、彼はヒトの()()しを見抜く(すぐ)れた目を持っていた。

「なんじゃ、なんのことはない」

「ただの思春期の小娘じゃないか」

(じか)に目を合わせた彼は今、心の中で安堵(あんど)()(いき)()いていた。

確かに、意識してみれば、体の内側を(さぐ)られているような(みょう)違和感(いわかん)はあった。

それでもそこに悪意は感じられず、少女の目に、彼のよく知る化け物たちの輝きも見られなかった。

彼は自分の(かん)(うたが)ったことはないし、その鑑識眼(かんしきがん)にも絶対の自信を持っていた。

 

そして彼のそんな『声』は、この特別な神殿の中においても少女の耳に『よく(とど)いていた』。

品のない見た目に(なら)った粗暴(そぼう)な『声』ではあるものの、その実直(じっちょく)素直(すなお)な『声』は彼女の警戒心(けいかいしん)と、所在(しょざい)ない不安を少し(やわ)らげたのかもしれない。

少女が巫女に向けたような敵意を彼に向けることはなかった。

「いやな、唐突(とうとつ)な話で悪いんじゃが。もし、お嬢ちゃんさえ良ければコイツらを使っちゃくれんかと思ってな。」

そう言ってチョンガラの背後から現れたのは白い茅葺(かやぶ)き屋根のような毛皮を(かぶ)った巨大な甲虫(こうちゅう)。ポケットから頭を(のぞ)かせたのは3匹の小人だった。

「……ヘモジーわい。まだ来とらんのか?」

一人、声が聞こえてこないことに気付いたチョンガラは振り返り、(あき)れ顔を浮かべた。

「まったく相変(あいか)わらずのウスノロじゃのう。おーい、早く来んかい!」

彼が怒鳴(どな)ると、2秒ほど遅れて「ヘモォ~~」というくぐもった声が部屋の外から返ってきた。

「…まあ、いいわい。そのうち来るじゃろ。」

 

 

「さて、お嬢ちゃんの返事を聞かせてくれんか?…まあ、いきなりのことじゃからすぐには答えなんぞ出らんじゃろうが、上手(うま)く使えばそれなりに役に立つ連中だというのは保証(ほしょう)するぞい。」

それがお決まりの遣り取りなんだろう。

チョンガラの小馬鹿にしたような言葉を聞くや(いな)や、4匹の化け物たちは息を合わせたかのように主人へと反論(はんろん)し始めた。

そして、彼らの主人もやはりそれを()れた様子であしらっていた。

「口(やかま)しいのはその代償(だいしょう)としてガマンしてもらうしかないがの。」

そんな中、(くだん)のナマケモノがのっそりと部屋に入ってきた。

ピンク色の(はだ)で、ドワーフをそのまま人間サイズまで大きくしたような体型をしている。目には覇気(はき)がなく、顔が全身の3分の1もある。

「親切にしてくださって嬉しいんですが、私にその子たちを人前から隠す力なんてないし…。」

チョンガラは特殊(とくしゅ)な魔法のかかった「(つぼ)」で彼らを『支配』していた。

同時に、その不思議な『力』で彼らを男の子程度(ていど)の大きさの壺にしまうことができた。

当時(とうじ)、商人の()()ちをしていた彼が骨董品(つぼ)を持ち歩く姿なんて誰も(めずら)しいと思わない。

だから人通りの多い往来(おうらい)でも宿屋でも堂々(どうどう)と化け物たちを連れ込むことができた。

 

一方のリーザは、その『支配』に道具を必要としないものの、彼らを「携帯(けいたい)」する(すべ)を持っていなかった。

狼を「盲導犬(もうどうけん)」などと(いつわ)るのが精一杯だった。

そう伝えると、彼らの主人は下品(げひん)な笑い声でもって彼女の不安を否定した。

「その点は心配せんでもいいぞい。モフリーもケラックも変装(へんそう)や隠れん坊がお家芸みたいなもんじゃからな。」

チョンガラが指を鳴らすと、3匹の小人たちはポケットに(もぐ)()み、茅葺きの虫は体を(ちぢ)こまらせ、12本ある足の内の一本を伸ばし、自立するモップに化けた。

「どうじゃ。大都市の街中(まちなか)でモップを持って歩く姿は少し異様(いよう)かもしれんが、どこからどう見てもただの”モップ”じゃからな。必要以上に警戒されることもないじゃろうて。」

「…この子は、大丈夫なんですか?」

そんな中、ナマケモノはゆっくりとではあるけれども、人…のようなものに変態(へんたい)してみせた。

変態したといっても肌はピンクのまま。全体的な体のバランスも悪く、()()()()()()()()()に見える。

 

「そいつはのう、変身にムラがあるんじゃ。運が良けりゃあ、いい感じに化けるんじゃがのう。」

「それだと…」

街中(まちなか)には一般の人の他に私を(ねら)う敵だっている。

あんまり目立ちたくはないんだけどな。

「ヘモォ~」

「…そうなんだ。」

「お、ソイツの言葉が分かったんか?」

「はい。」

ナマケモノ…、ヘモジーは変装(へんそう)することに(かん)しては不得手(ふえて)でも、それを(おぎな)う魔法は熟知(じゅくち)しているんだってこの子は言ってる。

「ヘモジーの種族は(そろ)って”混乱(こんらん)”や”精気(せいき)(うば)う”魔法に()けとる。近付くだけでもその効果(こうか)は十分に発揮(はっき)されるが、()れられれでもすれば目の前に100mのタコがおったって(さわ)がれはせんだろうよ。」

確かに。今、私にその魔法を使ってみせているらしく、だんだんとその姿が正常に()()()()()

というよりも、そんな()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「すごい力なんだね。」

「ヘモォォ」

実際(じっさい)、見た目や挙動(きょどう)(はん)して、その『力』は使う人が使えばとても危険なもののように思えた。

「ヘモォー」

「…そうだね。私は信じるわ。」

 

自己紹介も()ねて、一番の問題は解決したけれど、私はまだ()()()()()()()聞いていないことがあった。

「…その、チョンガラさんはどうして私にその子たちを?」

私が聞くと、チョンガラさんは苦虫(にがむし)()(つぶ)したかのような表情を浮かべて愚痴(ぐち)をこぼした。

「コイツら言うに事欠(ことか)いて、ワシといるよりもお嬢ちゃんといる方が居心地(いごこち)が良さそうなどと()かしおるんじゃ。」

チョンガラさんは私を(なご)ませるために嘘を()いていた。

「ワシは迷惑(めいわく)になるからヤメロと言うたんじゃぞ?」

ずっと、『聞こえてた』。

私がエルクを()てる時、時折(ときおり)、その子たちが私の様子をこっそり見にきてたこと。

落ち込む私のことを心配してくれてたこと。

多分、私の『力』が()らず()らずこの子たちを()()せたんだと思う。

「チョンガラさんは、それでいいんですか?」

ガシガシと、クマの毛皮のような顎髭を()きながら考え事をするのはこの人の(くせ)の一つなのかもしれない。

途端(とたん)に色んな『声』が彼の頭の中で()()い始めた。

 

「確かに、ただでさえ少ない船員を手放すのは痛いが、」

どうすれば私が(こころよ)くこの子たちを引き取るか。

「こんな穀潰(ごぐつぶ)(ども)でも、お嬢ちゃんみたいな可愛(かわ)い子ちゃんの弾除(たまよ)けになるのなら手放(てばな)さんわけにはいかんじゃろう。」

この人も周囲に理解されない独りきりの時期があった。

その(わび)しさは本物の仲間でしか(いや)せない。

アークと触れ合って、この人はそれを知った。

「だから」と言っていいのかまではわからない。

だけど、この子たちがチョンガラさんの大事な「家族」だってことは間違いない。

この子たちがチョンガラさんの(そば)に居続けたから、この人は()()()()()を持てるようになったんだ。

「本当はワシが付いていくのが一番お嬢ちゃんの助けになるのは分かっとる。分かっとるが、」

…「だから」と言ってもいいよね?だって――――、

「さすがにこんな色男が傍におったら、それこそ人の目を引いて、別の意味でお嬢ちゃんの迷惑になるだろうからの。仕方なく身を引いたというわけよ。」

そうして見せたこの人の笑みは、テディベアのように可愛(かわい)らしいんだもの。

 

―――この人たちはいい人たちだ

 

この人は魔女(わたし)にそう思わせた。

「すみません。じゃあ、お言葉に甘えてこの子たちをお借りします。」

そもそも、「チョンガラ」という人は内向的(ないこうてき)で、損得(そんとく)勘定(かんじょう)で人生を設計(せっけい)するような意地汚(いじきたな)さを絵にかいたような人のはずだった。

…だけど、変わったんだ。

あの人と同じ、勇者の横顔を見て。

「そうか、そうか。無事(ぶじ)引き取ってくれてなによりじゃわい。」

その大きく突き出た太鼓(たいこ)(ぱら)自慢(じまん)げに(たた)くと、彼は「仲良くやるんじゃぞ」と子どもたちに言い聞かせた。

 

「おお、そうじゃった。」

立ち去る間際(まぎわ)、彼はもう一つの用件を思い出し、振り返った。

「ワシらは今夜中にここを()つつもりじゃ。もしもお前さんがここを出ていくと言うのなら、それまでに村の南の(がけ)に来なさい。そこに船を()けとるからの。」

彼らは、外で得てきた物資(ぶっし)をこの村に送り届ける役目を(にな)っていた。

それでようやく、村は生活を送ることができている。

()()えるなら、彼らの支援(しえん)がなかったらこの村は潰れてしまうんだ。

そんなギリギリの人生を強要(きょうよう)されているのに、この村の人たちは時折帰ってくるアークたちの手を借りては倒壊(とうかい)した家屋(かおく)修復(しゅうふく)をしたり田畑の手入れをしたりと、精力的に村の復興(ふっこう)をしているみたい。

みんな、この村を捨てず、生き抜こうとしてる。

…アークがいるから……

 

「あとな―――、」

私が一人の勇者(ぞう)考察(こうさつ)していると、その友人が自慢の金歯を(のぞ)かせてニヤリと笑った。

「ワシのことは”艦長”と呼びなさい。」

「……フフ。はい、チョンガラ艦長。考えておきます。」

そうして、チョンガラさんは満足そうに出ていった。

その背中はとても強そうで、何より()()()に見えた。

 

「…勇気ある行動は……。」

勇気なら今までにも出してきたつもりだった。

東アルディアの空港で、エルクに助けを求めた時も。

それから…、それから……。

…あれ?

……それだけ?

 

……それだけだった。

私、あの時以外、全部誰かの背中にくっついてるだけだったんだ。

誰かの言われるままに付いていって、力(まか)せに(あば)れてただけ。

 

もしこれからも…、もしこのままずっと、彼の(となり)(かわ)いたタオルを()らし続けてたら、いつか私は「うなされる彼」を愛してしまうかもしれない。

彼が目覚めることを(こば)みはじめるかもしれない。

…それは、絶対にイヤだ。

彼は彼だ。

彼が私をどう思おうと。

私は彼に生きて欲しい。

私は彼の『悪夢』にならない。

……彼女にはなりたくない。

 

勇気ある行動は―――

 

「…いってきます。」

今はそれ以上掛けられる言葉はなく、私は化け物たちを引き連れ、彼の前から去るしかなかった。

でも、いつかは――――

 

 

「ワしが傍にオるンジャ。万ガ一のことなンかなイワい。」

神殿(しんでん)の中央広間でくつろぐドラム缶が放った一言は、心なしか、旅立つ少女の不安を()(のぞ)いてくれたようだった。

「よろしくね、ヂーク。」

「マカせロ。」

やけに強気なドラム缶は置物のように地べたに座ったまま微動(びどう)だにせず、少女の背中を見送った。

土産(みやげ)ヲ忘れルんじゃナいぞ。」

この状況で、こんなにも緊張感(きんちょうかん)ない言葉を掛けられながらも、少女はドラム缶のことを信じていた。

作り笑顔で返事をし、神殿を後にした。

 

 

「…これが勇者の村……」

ここへ連れてこられて以来(いらい)、初めて目にした神殿の外の景色は少女の目に(うたが)いの色を()く浮き上がらせた。

 

トウヴィル、精霊の加護がこの村を護ってるって聞いたけれど、村の様子を見るとその(うわさ)も、チョンガラさんの『声』も嘘のように聞こえてくる。

少なくとも、私の育った村の方が人の住む場所として()()()()()()

倒壊している家屋、野放図に伸び散らかした草木、通っている気配のない電柱、(むな)しくはためく(はた)

ここは、なんというか。

()()てた…、殺風景(さっぷうけい)な…、

…そう、天井(てんじょう)のない防空壕(ぼうくうごう)のように見えた。

ここまで―――少なくとも神殿が機能(きのう)している内は―――敵が()めてくることはないのに、みんな何者かに見つからないように息を(ひそ)めてる。

…それでもやっぱり皆、必死に生き残ろうとしてるらしいのは分かる。

(たが)いを(はげ)ます『声』が()えず聞こえてくるもの。

 

来るべき時が来るまで。

自分たちの前をひた走る人の姿を信じて、自分たちに護れるものを護っている。

どうしてそんなことができるの?

「精霊の国」に生まれたから?

アークが、ククルが、強い人だから?選ばれた勇者だから?

…多分、その両方なんだと思う。

精霊への敬虔(けいけん)(ぶか)さと勇者たちからの叱咤激励(しったげきれい)が、『恐怖』を口から(こぼ)しつつも、『信じる心』が村の人たちの心を温めているんだと思う。

 

…それが、勇気?

私や、エルクに足りないもの?

 

 

―――トウヴィル村、南の崖

 

アルディアからここにやって来た時、私は本当に周りの何もかもが見えてなかったみたい。

崖に停泊(ていはく)してる白銀(はくぎん)の船、戦艦(せんかん)「シルバーノア」は(あらた)めて見ると、とても大きくて、とてもキレイな獣のような船だって気付かされた。

船首(せんしゅ)にペイントされたスメリアの国旗(こっき)以外、無駄(むだ)塗装(とそう)のない銀色の船体。

それは大海(たいかい)を泳ぐクジラにも見えるし、(おだ)やかに大地を()み鳴らすゾウのようにも見える。

敵を一噛(ひとか)みで殺してしまうライオンにも見えるし、湖面(こめん)でのダンスを(ひか)えた白鳥のようにも見える……。

何の獣か改めて(たず)ねられても分からない。

でも、生きてる。

(ひび)(わた)るエンジン音が心臓の音に聞こえてくるくらい、それは堂々(どうどう)とした(たたず)まいで、厳かに私たちを見下ろしてる。

次第(しだい)に、甲冑(かっちゅう)を着込んだ一騎当千(いっきとうせん)の騎士のようにも、数えられないほどの(たみ)(したが)える王女のようにも見えてくる。

結局(けっきょく)、何がなんだか分からない。

だけどこの船こそが、この国を護る一つの”精霊”なのかもしれないとさえ思わされた。

 

近付く(ほど)にプロペラが切る風の音が辺りを満たし、私やパンディットたちの気配を飲み込んでいく。

それなのに、私たちの訪問(ほうもん)敏感(びんかん)(さっ)した船員が一人、わざわざ船から降りて出迎(でむか)えてくれた。

「おはようございます。」

操舵士(そうだし)、チョピンさんは簡単な自己紹介と私の用向きをチョンガラさんから聞いている(むね)を私に言った。

物腰(ものごし)(やわ)らかく、それでいて品の感じられる紳士的(しんしてき)印象(いんしょう)を覚える人だった。

「フォーレスまでお願いしてもいいですか?」

承知(しょうち)しました。」

私が行先を()げると操舵士は二つ返事をし、巨大な戦艦の進路は(さだ)められた。

どうでもいいことなのだけれど、この時私は、船の責任を()艦長(ひと)の発言の重さを感じた気がした。

 

「おう、来たか。」

通路ですれ違った艦長が少女の来訪(らいほう)歓迎(かんげい)した。

「フォーレスまで行くらしいのう。」

「はい。」

「…実はのう、送るなどと大見栄(おおみえ)()ったんじゃが、この船はどの国の空港にも着岸(ちゃくがん)できんでな。なにせ、国際指名手配中の船じゃからな。」

「はい、分かってます。」

説明されるまでもなく、図々(ずうずう)しくも正面玄関から入国できないことくらいわかってた。

「山を()えられるだけでも十分助かってますから。」

フォーレスの山越えは気候的にも、化け物たちへの対処(たいしょ)の面でもとても大変だから。

それに、歩くのには慣れてるから。

チョンガラさんは私の覚悟(かくご)をそれなりに察していたらしく、それ以上卑屈(ひくつ)態度(たいど)をとることはなかった。

そのさり気無い気遣いは分かり(やす)く、心地好(ここちよ)かった。

「気を付けるんじゃぞ。」

「はい、ありがとうございます。」

 

 

チョンガラさんは私たちを客室まで案内(あんない)するとケラックたちを船の整備(せいび)()()し、私とパンディットだけが残された。

「……世界って、広いね。」

 

狼の耳をいじりながら、少女は溜め息を吐いた。

眼下(がんか)には横断(おうだん)するだけでひと月は(つい)やしてしまいそうな山脈(さんみゃく)が横たわっている。

それを、この白鯨(はくげい)はひと泳ぎで越えてしまう。

それだけの足があるのに、一昼夜(いっちゅうや)かけてもこの世界は泳ぎきれない。

そしてそこには小さな(あらそ)いがはち切れんばかりに()まっている。

それは、(さえぎ)るもののない大空を歩く少女の耳に、打ち合う銃声(じゅうせい)残響(ざんきょう)のような『声』が蜘蛛(くも)の糸を(つか)むように忍び寄ってくる。

見下ろす少女の顔に表情らしい表情は見られない。

もっと恐ろしい声で鳴く化け物たちを知っているから。

狼の耳をいじりながら、少女は溜め息を吐いていた。

 

 

()が落ち、暗幕(あんまく)が下り始める(ころ)、艦内の仕事を終えた5匹の化け物が少女の下に帰ってきた。

「お疲れ様。」

達成感(たっせいかん)を顔に張りつけたような5匹に少女は思わず顔を(ほころ)ばせ、催促(さいそく)されるがままに(ねぎら)った。

「少し離れ離れになるけど、チョンガラさんには挨拶(あいさつ)をすませてきたの?」

『キキィィ』

「……」

「ヘモォォ~」

5匹はそれぞれの言葉で主人を(なじ)ったつもりでいた。

けれども、それらの嫌味も少女の耳に届く頃にはスッカリ意味が反転し、自分たちの本心を少女に知られることになってしまうのだ。

「フフッ、よっぽど好きなのね。チョンガラさんのこと。」

『キキィィ!』

愛らしい失笑(しっしょう)とズバリ言い当てられた少女の言葉に、真っ先に3匹が反論(はんろん)する。

「フフ…、(あきら)めなさい。どんなに(きたな)い言葉を使ったって、他の全部がアナタたちの本音(ほんね)を口にしてるんだから。」

「……」

白いモップが辛辣(しんらつ)な言葉で前の主人を評価(ひょうか)しても、少女の表情は変わらない。

「私も、アナタたちを無事にチョンガラさんのところに返せるよう頑張るから。アナタたちも少しの間、よろしくね。」

「ヘモオォォ」

「あら、私に?嬉しい。」

反論に関心を持ってなかったピンクのナマケモノは手土産にと、故郷(こきょう)の果実を少女に差し出した。

 

抜け駆けをされた残りの4匹はナマケモノを一斉(いっせい)非難(ひなん)した。

小人たちは彼のゴワゴワの髪を引っ張り、モップは頭頂部(とうちょうぶ)から伸びる触手で彼の首のない首を()()げた。

「?」

ところが、限りなく鈍感(どんかん)なナマケモノがそれらの手痛い抗議(こうぎ)を「抗議」と(とら)えられることはなく、突然大声を上げる身内の様子にポカンと指を(くわ)えるだけだった。

「こらこら。みんな仲良くしてよ。じゃないと私、アナタたちを安心して(あず)かれないわ。」

『……』

「ありがとう。それじゃあ改めて、よろしくね。」

 

主人と新しい家族の顔合わせを一通り見届けると、狼は彼らに(した)しみを込めた挨拶をした。

なかなか知人友人をつくる機会(きかい)(めぐ)まれない彼らは狼の友好を快く受け入れ、すぐに()()けあった。

小人たちは狼の鼻を優しく()で、モップは物静かな言葉で親愛(しんあい)の言葉を返し、ナマケモノは指を咥えて仲間たちの遣り取りを見守っていた。

 

その光景を微笑(ほほえ)ましく思う一方で、(かす)かな(ねた)みのようなものがささくれ立っていることを、少女は確かに感じていた。

 

 

世界を()らすたった一つの()はとっくに沈み、(あた)一帯(いったい)は暗幕の海で満たされている。

善行(ぜんこう)悪行(あくぎょう)見逃(みのが)される無法の時間。

白鯨は町明かりを遠くに見詰め、しんしんと海の底へと降りていく。




※訊ねてやってきた
初めは「訪ねてやってきた」と書いていましたが、「訪ねる」と「やってくる」で意味が重複していることに気付き、修正しようと思いました。
……でも、なんだかどの言葉も語呂が悪いように感じ、どうしても「たずねてやってきた」が収まりがいいように思えました。
なので、「訊ねる(探し求める、質問するの意)」と「やってくる」で無理やり落ち着かせたつもりでしたが、これもなんだか意味的に間違えている気がします。

……語呂重視ということで見逃してくださいm(__)m

※茅葺き屋根(かやぶきやね)
世界遺産「白川郷」で有名な葦(あし)という植物を利用して造られた屋根の事。

※甲虫(こうちゅう)
「かぶとむし」とも読むそうです(ビックリ)。
大ざっぱに言うと、固い外骨格と羽根をもった虫のことです。
……モフリーに羽はありませんが(笑)

※モフリー
ネット上で検索した結果、モップらしい(笑)

※侘しい(わびしい)
なんとなく程度の低い「悲しさ」を表す言葉かと思ってましたが(一人で留守番を言いつけられる程度の)、「堪えがたいほどの苦痛を感じること」という意味も含まれているみたいですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。