聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

144 / 235
潮騒の家 その十

真っ赤な血溜(ちだま)まりの真ん中で、真っ黒な巨躯(きょく)の男が体を丸めてオンオンと泣き叫んでいた。

 

一言、(エレナ)は無事だと言ってやれば()むことなのに。

()(くず)れる彼の姿に私はひどく幻滅(げんめつ)してしまい、声をかける気にもなれなかった。

私の中の「強い父親」(ぞう)(こわ)されたことに小さな苛立(いらだ)ちさえ覚えていた。

……だけど、同情(どうじょう)はできる。

家族を(うしな)う痛みに「強い」も「弱い」もない。

アタシがガルアーノの屋敷(やしき)でエルクたちに(わめ)()らしたように。

彼も自分(だれか)を呪わずにはいられないんだ。

「…グルガ……あのさ…」

何故(なぜ)だ?」

「え?」

「何故こんな勝手なことをするんだ!!」

彼の熊のような剛腕(ごうわん)が私の肩をガシリと(つか)んだ。

「キャア!」

彼の迫力(はくりょく)気圧(けお)され、反射的(はんしゃ)悲鳴(ひめい)を上げてしまう。

 

すると、絶妙(ぜつみょう)なタイミングで()()けた叫び声がアタシたちの(あいだ)土足(どそく)で上がり込んできた。

「おねーさんをイジメたらダメなのーーー!!」

「…?」

心の整理のついていない彼は唐突(とうとつ)(あらわ)れた奇々怪々(ききかいかい)な登場人物に呆然(ぼうぜん)と目をやることしかできないでいる。

油断(ゆだん)しちゃダメだ!」

もしかしたら殺されるかもしれない!

私は咄嗟(とっさ)に彼に警告(けいこく)した。

「……!?」

4、5m先で赤毛が(こぶし)を突き出したかと思えば、雷鳴(らいめい)さながら空気の()れる音がした。

素早(すばや)く反応した彼は私を自分の背後に突き飛ばし、両腕を上げて防御(ぼうぎょ)(かま)えを取った。

直後、見えない衝撃(しょうげき)が彼を吹き飛ばした。

100キロ以上はあろうかという巨漢(かれ)を。

 

受け身こそとったものの、大会の疲労(ひろう)が残っているのか。

彼はそのままガクリと(ひざ)を着き、うめき声を上げて沈黙(ちんもく)してしまった。

「ちょこ、やめな!ソイツは悪人じゃないんだ!」

「え?そーなの?」

赤毛の小人(こびと)(まゆ)をハの字にして、途端(とたん)弱々(よわよわ)しい声を出した。

「…ちょこ、悪いことしちゃったの?」

「アタシを助けに来たんだろ?悪いことはないさ。」

アタシの意図(いと)にはそぐわなかったものの、ここで(しか)りつけて、いざって時に(あば)れてくれなかったらコイツを(そば)に置いている意味がなくなる。

「ちょこ」はあくまで道具。

それだけは忘れちゃダメだ。

 

(しお)らしくなったちょこを(ほう)って、アタシはゆっくりと彼に近寄った。

「グルガ、よく聞いておくれよ。」

「……」

ちょこに(なぐ)られたことで少し理性(りせい)を取り戻したのか。死んだと思い込んでいる娘の事で絶望(ぜつぼう)()(ひし)がれているのか。(たん)に体力が()きたのか。

とにかくこれ以上、突発的(とっぱつてき)に暴れる気力はないように見えた。

だから、息を(ととの)えて言うことができた。

「…エレナは生きてるよ。」

「……本当、か?」

これ以上、無駄(むだ)期待(きたい)することが恐いのか。

アタシの言葉にピクリと反応するけれど、アタシの目は見ず、焦点(しょうてん)の合わない目で正面を見詰(みつ)めながら聞き返してきた。

「ああ。上の階に閉じ込められてるだけさ。」

ガルアーノに作戦の失敗を報告(ほうこく)するためか。あの子を監視(かんし)していた4人の黒服の気配(けはい)も今はない。

それに気付いたらしいエレナは恐る恐る脱出を(こころ)みよう部屋の中をウロウロとしているようだった。

 

「…(むか)えに、行かないのかい?」

「……」

ゆっくりと立ち上がると、彼はようやくアタシの目を見てくれた。

治療費(ちりょうひ)は手に入った。」

「そうかい。おめでとう。」

「あとはあの子を医者のところまで連れて行く。それで、終わりだ。」

「…本当に、それでいいのかい?」

「……当然だ。私は、本当の父親じゃない。私はあの子の……(かたき)だ。家族でいられる道理(どうり)もない。今までが、どうかしていたんだ。」

大会に(いど)む時の彼とは別人に見えた。

その姿は私にいらない記憶を()()こさせる。

 

「…こっちさ。ついて来な。」

すると、すでに自分の失敗を忘れ、一面に散乱(さんらん)している死体に興味(きょうみ)(しめ)していたちょこが振り返る。

「ちょこは?」

「アンタは少しそこで待ってな。すぐに戻るから。」

「はーい。」

返事をするとちょこはまた、死体に向き直り、意味の分からない言葉で()()()()話しかけていた。

 

 

 

……私は(こわ)がっていた。

私に、あの子のためにできることはもうない。

これ以上エレナに会う必要が本当にあるのか?

むしろ、あの子の未来に暗い影を呼び込むだけなんじゃないのか?

 

屋敷は無駄に広く、誰もいない廊下(ろうか)は永遠に続いているようにも感じられた。

それに、足が重い。

私の前を歩く青髪の彼女の足がやけに速く思えるほどに。

 

――――ガタンッ

 

「……この上か?」

「ああ。」

この上にあの子がいる。

……生きている。

そのことだけは心から神に感謝できた。

……生きている。

それだけで私の足は不思議と軽くなった。

…だが……、

 

「……お父…さん?」

私が、どれだけその言葉を待ち望んでいたか。

体の内側から満たされていく感覚がエレナへの想いの強さを物語(ものがた)っていた。

「!?来るんじゃない!」

(つえ)()て、よろめきながら私に()()ろうとするエレナの姿を見た私は反射的に叫んでいた。

「………お、父…さん……?」

あの子はビタリと足を止め、見えない目で私を見詰めている。

その表情に私は()()かれそうな想いがした。

満たされる想いと同じくらい。

(まぎ)れもなく私はこの子に依存(いぞん)してしまっている。

これ以上続けれは…私は……、

 

手を()()べたい。この腕でこの子を抱きしめたい。

……だがもう、終わりなんだ。

何もかも終わらせる準備が、やっと整ったというのに。

これ以上、この血塗(ちまみ)れの体でどうしてあの子に()れることが許されるというんだ?

それはもう、私の()(まま)でしかない。

「エレナ、よく聞きなさい。」

「……」

「お前はもう気付いていたかもしれないが…。私は、()()()なのだ。」

…それでも、愛する人に長く()いていた(うそ)()()けることが、私にはできなかった。

「人を沢山(たくさん)殺した。…たくさん、たくさん。」

遠回しにしか(つた)えることができなかった。

やはり私は悪い人間だ。

悪い…、父親だ。

「お父さん、エレナはそれでも――、」

「エレナ!…きちんと、聞きなさい。」

違うんだ。違うんだ、エレナ。

私はお前の…父親では……

「私は、悪い男たちの誘惑(ゆうわく)に負けてとてもいけないことをした。私のせいで、世界中のたくさんの人が(ひど)い目にあっているだろう。これは戦争をするよりも――――」

「いやだ!!」

 

唐突(とうとつ)(あら)げた少女の叫びは、広い屋敷の中で幾重(いくえ)にも反響(はんきょう)し、黒い巨漢(きょかん)の耳を何度も()()した。

 

「……やめてよ。聞きたくないよ。」

「……」

「エレナの知ってるお父さんは、悪くないもの。」

エレナが、杖に(たよ)らず()()()()()()()よろよろと(あゆ)()ってくる。

「すごく優しい人だもん。エレナだけじゃない。みんな、知ってるもん。お父さんは、お父さんは…、おと…、おとう…さん……」

声を(うわ)ずらせながら。()()ぐに。

こんな娘を誰が無下(むげ)にできるというんだ。…どんな人間ならそれが許されるというんだ!?

「…エレナ……!!」

私の迷いが、想いがこの子を受け入れてしまった。

 

小さな腕は私の体の半分も()()められていない。

だが、その腕は今まで会ってきた誰よりも熱い力で私の胸を()めつけた。

私もまた、この子と一つになる気持ちで抱きしめた。

抱きしめることしか許されていないような気がした。

(はな)れたくない。」

「…エレナ。」

娘の涙は、どこまでも、どこまでも(けが)れた私の体をまるで聖人(せいじん)のように洗い流してしまう。

「ずっと、ずっと……。」

 

 

 

――――カジキ(てい)

 

道中(どうちゅう)、彼は一言(ひとこと)も口を()なかった。

ちょこの空気を読まない甲高(かんだか)い声も耳に入れず、自分の腕の中で眠る娘と空を交互(こうご)見遣(みや)るばかりだった。

()がとっぷりと(しず)んで、彼の(した)しい闇夜(やみよ)()りてきた時は、もしかすると二人してそのままその闇の中に帰っていくような気さえした。

 

 

「悪いが、エレナちゃんはここに置けねえよ。」

「…なぜだ。お前たちに負担(ふたん)をかけないだけの金は用意しているはずだ。」

あんな騒動(そうどう)があったというのに、連中は私と()わした約束を守った。

大会の賞金(しょうきん)(くわ)え、賞金を(はる)かに上回る「ボーナス」が小切手として私の手元に(とど)けられた。

「わざとらしい言い訳はやめろ。」

ガーレッジは頭痛を振り払うように(かぶり)を振り、重い()(いき)を吐いた。

「連中がまた、エレナちゃんに手を出さない保証(ほしょう)がどこにある?つい数時間前、お前はその目で何を見たんだ?俺にあの子が護れると思うか?いいや、できねえ。エレナちゃんどころか、俺は、自分の愛する女さえ護ってやれなかったんだ。」

ガーレッジの言い分に対し、私が言い返せることはなかった。

私は今、手に()えなくなった責任(せきにん)を、全ての贖罪(しょくざい)を彼に(なす)りつけようとしている。

「お前は、そんな(みじ)めな想いをまた味あわせてくれるのか?冗談(じょうだん)じゃない!…シャンテが家内(かない)(すく)ってくれなかったら、俺は一緒(いっしょ)に死んでただろうよ。」

結局(けっきょく)、私が悪者(あつか)いをした彼女が私のしでかしたミスを(おぎな)ってくれた。

対して私は、自分のことしか考えていなかった。

あの子への贖罪という我が儘しか頭になく、彼女の真摯(しんし)な呼びかけに(こた)えられなかった私の方がよっぽど(おろか)だということを思い知らされた。

それでも私は――――、

 

「いい加減(かげん)(みと)めるんだ。あの子を護れるのはお前しかいない。血が(つな)がっていようといまいと、あの子はこれからもお前を”父”と呼び続けるぞ。」

そうに違いない。

あの館で私は確信した。

だが、それはあの子の目が見えていないことが絶対の条件なのだということも確信した。

「それともお前は、あの子の心に傷を増やすつもりなのか?」

「それは違う。ガーレッジ、俺はあの子がこれ以上化け物どもに(ねら)われないよう、奴らの巣を(つぶ)しに行くんだ。」

「物は言いようだな。あの子の治療費(ちりょうひ)を手に入れるために奮闘(ふんとう)した心優しい戦士はいったい何処(どこ)にいってしまったんだ。」

「違う。私はあの子の幸せのために戦うんだ。」

「…もう一度よく考えろ。エレナの父親でいることがそんなに悪い嘘か?」

お前たちは知らないんだ。

お前たちの言う”優しい戦士(わたし)”そのものが、あの子の”悪夢”だということを…。

あの子の目に光が戻った時、私が(そば)にいればまたあの子の光を(うば)ってしまうだろう。

それだけは……

「私の意思は変わらない。あの子はここに置いていく。襲撃(しゅうげき)の心配は無用だ。すぐにこの狂った(おこな)いを(あらた)めさせる。だから…、」

それだけは、許されないことなんだ。

「……エレナを、よろしく(たの)む。」

ガーレッジは(かたき)を見るような目つきで一瞥(いちべつ)すると、私に背を向けた。

「お前も所詮(しょせん)、連中と一緒だ。あの子を傷つけるために生きてる。最低だな。」

「…すまない。」

「もう話すことはない。早いところ()せてくれ。あの子に悪い夢を見せる人間は誰であろうと俺の敵だ。」

「…ああ。」

 

 

表に出てきた彼の表情は重く、一方で、館で見せた獰猛(どうもう)な獣が静かな(うな)(ごえ)をあげていた。

「それで、アンタはこれからどうするのさ。」

「…聞こえていたのだろう?」

そういう受け答えを放棄(ほうき)するような言い方が、逃げ場や改心(かいしん)するチャンスを(のが)しているんだってこの男は知らないんだ。

一つひとつの感情が強過(つよす)ぎて、まだ「自分」って人間を冷静(れいせい)に見詰められないんだ。

「男ってのはどうしてそういう(すじ)の通らない屁理屈(へりくつ)とか(ほこ)りだとかで家族を不幸にしたがるんだろうね。」

「……」

彼は黙ったまま、暗い闘志(とうし)だけを沸々(ふつふつ)()(たぎ)らせている。

「だったらアタシに付いてきな。最短でアンタを地獄に送ってやるよ。」

彼は返事をしなかった。

返事をしない彼の目は、アタシでないものを見ていた。

「一つ確認しておきたいことがある。」

「…なにさ。」

その視線の先にはウトウトとしている場違いな小人がいる。

「その子は?」

「…別に。ただの迷子よ。」

「……そうか。」

別に隠したいわけじゃない。

ただ、この子のことを他人にベラベラ話すのはなんか違うと思っただけ。それだけ。

 

死体で()()くされた屋敷で、自分の足元が血塗れになってたってコイツは気にも()めなかった。

アタシが注意しなきゃ、そのまま町に入ろうとするくらい、この子の感覚は「人間」とズレてる。

誰かがコイツの傍にいなきゃ、すぐにでも(あや)しまれてしまう。

すぐにでも迫害(はくがい)の声があの子の記憶を(おか)しちまう。

そう思ったから……。

 

…いいや、そうじゃないだろ。アタシはなんだか(みょう)なことを言ってる。

アタシはコイツを気遣(きづか)ってなんかない。

正体がバレて、コイツを傍に置けなくなったらアタシが(こま)るからなんだ。

()()きで(ひろ)っただけで、コイツはアタシにとっての「エレナ」じゃない。

化け物(どうぐ)」だ。

それなのに、

「ほら、行くよ。」

あの村での悲劇も忘れて、この化け物は野良犬(のらいぬ)みたく目についたものの片端(かたはし)から臭いを()いでやがる。

その姿がどこか憎らしい。

「はーい。」

アタシが呼ぶとアタシの手に飛びついて、仔犬みたいに無邪気(むじゃき)に笑うその顔も気に入らない。

どいつもこいつも「力」のあるヤツの生き方ってのはどうしてこんなに虫唾(むしず)が走るんだろう。

本当に、心の底から愛してるくせに、心の底に置いたままにして逃げ回ってやがる。

それが、その人たちをどれだけ傷つけてるのかも知らないで。

 

……憎らしい。

アタシにない「力」を持ってるくせに一番大切なことに使おうとしないコイツらが。

…だからってコイツらが殺したいほど憎いかと言えば、そうでもない。

それが余計にアタシの(かん)(さわ)るんだ。

「…どうでもいい。」

「なにが?」

「いいや、こっちの話さ。」

そうさ。だったらアタシも忘れてしまえばいいんだ。

アタシはアタシのすべきことだけを考えればいいんだ。

他の誰がどうなろうと、アタシの知ったことじゃない。

「おねーさん、今度はどこ行くの?」

「でっかい町さ。アンタが見たこともないような。」

「へえー。」

「そこで約束のアイスクリームも食わせてやるよ。アンタが食べたこともないようなとびっきり甘いやつをね。」

……そうだろ、アル?

「やったのー!!おじさんも一緒にアイスクリーム食べるの?」

「…いいや、私はいい。」

「ダーメ、ちょこが決めたの。みんなで一緒においしいアイスクリーム食べるの!」

…そうだって言っておくれよ……。

 

ようやく動き始めた空港に向かいながら、アタシたちは戦場で食べるアイスクリームの味を想像した。




※萎らしい(しおらしい)
控えめでいじらしいさま。大人しいさま。

本来、「しおらしく」に漢字表記はありません。
「萎れる(しおれる)」の形容詞であるという説があるみたいなので、この漢字を使いました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。