聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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6月28日投稿にルビ振りと最終的な推敲をしました。
なので、若干書き直しているところもありますm(__)m


潮騒の家 その九

―――シャンテが無人の(やかた)到着(とうちゃく)する約2時間前、武闘大会闘技場

 

正装(せいそう)したオールバックの男がリング(はし)から現れると、会場に充満(じゅうまん)していた熱気が(にわ)かに火を()び始めた。

リングの中央に立つと男は自慢(じまん)のマイクを口元に運び、1000人の観客(かんきゃく)魅了(みりょう)する声を会場に(ひび)(わた)らせた。

皆々様(みなみなさま)、大変長らくお待たせしました!(つい)に、遂に、この時がやって(まい)りました!世界最強の男の決まる世紀の瞬間の幕開(まくあ)けであります!」

切り出しこそ凡庸(ぼんよう)なれど、この男が「司会」というただの黒子(くろこ)に甘んじることなどない。

「一億という人類の頂点(ちょうてん)。皆様はそれを想像したことがありますでしょうか?想像できたことがおありでしょうか?」

彼は、誰よりも近くでこの祭典(さいてん)の恐怖と感動を体感する。

それら全ての興奮を、見守る観衆(ものたち)と共有すること。それこそ彼の(つと)めであり、彼の喜びなのだ。

(たと)え、この会場の全てが彼の敵になろうとも、彼が(あわ)れに地を()うことなどないでしょう。…そう、彼は権力ではなくその(こぶし)で、その(つるぎ)一つで人類を()べる力を手に入れた、この世にたった一人の“王”なのです!」

ゆえに彼の声は1000人を()きつけ、1000人を代弁(だいべん)する(すべ)を手に入れることができた。

「彼が(のぞ)めばその拳は人類を蹂躙(じゅうりん)し、(ほろ)ぼす可能性を()めた悪魔の槍になることでしょう。ですがそれは一方で、私たち人類の敵となる全てを駆逐(くちく)する聖なる剣にもなりうるのです。」

 

彼の話はしばしば現実を誇張(こちょう)しがちだ。

だが、それでも会場に集まった群衆(ぐんしゅう)が彼の話に(つば)()きかけることはない。

それどころか、まるで紙芝居(かみしばい)を聞く子どものように彼の(つむ)ぐ物語の一言一句(いちごんいっく)に唾を飲み、耳を(かたむ)けている。

「しかし、どうでしょう。かたや祖国(そこく)を愛し、独立へと(みちび)いた英雄。かたや世界の秩序(ちつじょ)のために(おのれ)を捨てた暗殺者。」

彼は1000人のための言葉を語るのに1000の心を必要としない。

「この(かたく)なな正義に(じゅん)じる二人が私たちを混沌(こんとん)に突き落とす悪の王になりえるでしょうか?」

彼は”人間”という生き物の欲望の形を知ってしまったから。

「いいえ、(だん)じてありえません!!彼らはこの大会においてでさえそれぞれの正義のために、何かを護るために戦っているのです!」

自分の命を誰よりも重んじる彼らにとって、「恐怖」や「暴力」が彼らの理性を(うば)う最強の麻薬(まやく)であることを。

それに「正義」というラベルを()ってしまえば彼らは進んでそれらを服用(ふくよう)してくれることを。

(たた)えましょう!(かた)()ぎましょう!この(いただ)きを!最強の戦士に出会えたこの幸運を!」

1000人は非日常的な興奮(ものがたり)()いしれ、彼の声に(むら)がり、会場を満たす。

1000人の音色は「死」さえも(まつ)()げる。

ここにいる1000人は「正当(せいとう)だ」と。

 

そうして見事(みごと)1000人を狂わせた男は、二人の戦士(いけにえ)をリングに召喚(しょうかん)する。

 

 

これが…、最後だ。

これで、最後にしなければ。

…あと、ほんの少しの間でいい。

私に太陽(ブラキア)加護(かご)を――――

 

 

ヒマワリのように色鮮(いろあざ)やかな黄色のジャケットに身を(つつ)んだ男が観衆(かんしゅう)に薬物を()()らす中、黒い肌の男は彼の信じる神に(ちか)いを立てていた。

 

彼の最後の敵が、ヒマワリの向こうに立っている。

白無垢(しろむく)に身を包んだ暗殺者は日陰(ひかげ)日向(ひなた)()わず陽炎(かげろう)のように(おぼろ)げで、その輪郭(りんかく)を正確に(とら)えることができない。

 

名も無き暗殺集団の精鋭(せいえい)、「白き幻」のガルバーン。

彼の人を殺す身体能力、精神力は、集団の中でも(ぐん)()いていた。

彼の標的(ひょうてき)は社会の表も裏も問わない。

そして、彼の仕事が完了すると標的の組織は例外なく崩壊(ほうかい)し、組織に苦しめられていた人々を解放した。

実際(じっさい)に現場で彼の姿を見たという報告(ほうこく)は一度もない。

あるのは彼の所属(しょぞく)する組織から依頼者に向けた事後(じご)報告だけ。

であるにも(かか)わらず、「救済(きゅうさい)」を受けた人々は口裏を合わせたかのように彼の名を()げる。

それだけ、(すく)われた人々、救いを待つ人々の彼への期待(きたい)感謝(かんしゃ)は大きい。

 

対して黒い(はだ)の男、「ブラキアの英雄」グルガは祖国からの信望(しんぼう)こそ(あつ)いものの、ブラキアという科学技術水準(すいじゅん)の低い途上国(とじょうこく)に生きる「原始的(げんしてき)民族」、悪魔の色である「黒い肌をもつ民族」という偏見(レッテル)が彼の功績(こうせき)不当(ふとう)に下げている。

さらに、彼が救ったのは血を分けた同胞(どうほう)だけ。そういう点でも彼を評価(ひょうか)しない者は多い。

 

彼は救いに応じて大地を敵の血で満たしてきた。

いいや。

彼を目の前にして「悪魔(ディアーボロ)」と悲鳴(ひめい)を上げ、絶命(ぜつめい)した人間の方が多いのかもしれない。

そういう事実を誇張し、偏見(へんけん)の目で見る者はこの闘技場でも大半(たいはん)()めていた。

利害(りがい)(もと)めた「期待(きたい)」こそあれ、彼の勝利を心の底から願う者は数えるほどしかいなかった。

 

――――これまでは

 

先の準決勝で、彼は白人たちに根付(ねづ)いていた「ブラキアの英雄」への悪印象を一変(いっぺん)させた。

「武器を持たず、野蛮(やばん)な戦い方をする黒いアレはやはり悪魔の(たぐい)なのかもしれない」

けれども、ジェスターの(はな)った魔法(ひかり)に焼かれても、ものともしない彼を見て彼らの胸に衝撃(しょうげき)が走った。

勝利した彼の神々(こうごう)しいまでの(たたず)まいに彼らは認識を(あらた)めずにはいられなかった。

「人が悪魔に魂を売るようにアレもまた、その(けが)れた存在を懺悔(ざんげ)し、神より洗礼(せんれい)を受けた聖なる悪魔なのかもしれない」

そう思わせてしまうほど、彼の見せた簡潔(かんけつ)かつ劇的(げきてき)な勝利は人々を魅了した。

彼が(みずか)()った血の化粧(けしょう)を白人たちが「聖痕(せいこん)」ではないかと(うたが)わせるほどに。

 

「それではクレニア国際大会、運命の最終決戦、開始でございます!」

 

たかがヒマワリの口から、有無(うむ)を言わせない二人の決闘(けっとう)()げられる。

寡黙(かもく)な二人の戦士は、耳の(つぶ)れるような歓声(かんせい)の中でも(しず)かにお(たが)いを(にら)()った。

一人は獣の血をユックリと全身に()(わた)らせながら。

一人はこの世に存在しない白い影に全身を(ひた)しながら。

やがて、質の異なる二つの静寂(せいじゃく)は互いの間合(まあ)いを(はか)りながら動き出す。

1000本の、ヒマワリ畑の上で。

 

 

 

……彼の攻撃の(かた)がつかめない。

 

黒い獣は初めて対面する新しい生き物の動きを警戒(けいかい)していた。

一回戦、二回戦で彼の動きを見ていなかったわけではない。

しかし、そこでもやはり彼の姿は朧げで、肝心(かんじん)の一歩。注意すべき一手の瞬間を捉えることができなかった。

時に深海の潮流(ちょうりゅう)のようにゆったりと()らめき、時に森に()く風のように木々の間を素早(すばや)()()ける彼の動きは()ているようでいて全く異なっていた。

()()す一撃は(つね)に一瞬で、その一瞬がいつ繰り出されるのか。その予備動作が異なる動きによって絶妙(ぜつみょう)に隠されていた。

ともすれば、彼が分身しているように周囲に錯覚(さっかく)させることもあった。

一撃々々が大ぶりな獣にとって、動きの読めない獲物(えもの)仕留(しと)めることはひどく難しいように思えた。

さらに彼の武器は神出鬼没(しんしゅつきぼつ)で、相手に認識(にんしき)されるよりも早くその手足から出現(しゅつげん)させた。

 

(げん)に、必殺の力を込めて(はな)った拳や()りは一撃たりとも白い幻影を捉えられていない。

(かわ)される瞬間に合わせて()()まされた得物(えもの)が獣の黒い肌を()く。

()(すべ)もなく、獣の足元にヌルヌルと赤い影が広がっていく。

それでも獣の闘志(とうし)(にぶ)らない。

赤い影が確実に体力を(うば)っているはずなのに、その一撃々々には確信した勝利しか宿(やど)っていなかった。

 

「……なぜだ…」

今まで、白い影は目標を一撃ないしは一瞬で(しず)めてきた。

確かに例外も何度かあった。

だが、目の前の獣ほど彼に向かい続ける者がいた(ためし)は一度たりとない。

影は、見たことのない拳の姿に生まれて初めての困惑(こんわく)を覚え始めていた。

「キサマを殺すことは私の依頼(いらい)にはない。」

困惑は混乱に変わり、知らぬ間に獣に呼び掛けていた。

ターゲットを説得(せっとく)したことなど今までに一度もなかった。その必要さえも感じなかった彼が初めて沈黙(おきて)(やぶ)った。

「ただ敗北(はいぼく)を受け入れればいい。それで…っ!?」

「……」

彼の二回(ふたまわ)りも大きい獣の、()まない猛攻(もうこう)に彼は言葉を()まらせる。

獣の拳にはより一層(いっそう)強い覇気(はき)が宿り、捕食者の気配(けはい)はますます強くなる。

「なぜだ。なぜ、お前はそうまでしてあの子を救おうとする。」

「……」

 

 

分かっていた。

この男が黒づくめと(つな)がっていることは。

私が連中の貴重(きちょう)な実験材料である以上、大会に参加する意欲を()くすことは都合(つごう)が悪い。

今後の取り引きのためにも、私が優勝することもできれば()けたい。

法外な「ボーナス」と、表舞台に(あらわ)れた暗殺者はそのための仕掛けなんだと。

だが、私はここで勝利する。

…この戦いで全てを終わらせるのだ。

全てを―――

 

あの子の(まぶた)の裏ではまだあの戦争が続いている。

銃声が鳴り響き、炎と血が()()っている。

そして、あの子が最後に目にしたものも―――

……その全てを、全てを終わらせなければならない。

あの子のためにも…………そう、あの子のためにも。

 

 

気付けば、幻影は獣の首を落とす勢いで反撃していた。

そうしなければいけない気がした。

彼は初めて、任務(にんむ)ではなく本能(ほんのう)(したが)って戦っていた。

彼の一撃々々は黒い獣を逃さない。

しかし、その全ては急所(きゅうしょ)()()()()()()

彼の必殺の一撃は重厚(じゅうこう)(よろい)をも(つらぬ)く。

しかし今、その一撃は獣の薄皮(うすかわ)一枚を裂くことしかできていない。

彼にはその理由が分かっていた。けれども、どうしてそんなことが可能なのか理解できなかった。

 

困惑の続く中、(こわ)れた機械(にんぎょう)のように続く彼の拳を見ている内に、暗殺者は黒い獣への認識に(あやま)りがあることに気付く。

多くの人間がそうであるように暗殺者もまた、彼の精神は祖国に命を(ささ)げる「救世主(きゅうせいしゅ)」、「守護神」の(たぐい)主軸(しゅじく)なのだと思っていた。

いや、実際に彼の取った行動はその通りだった。

だからこそ、その誤認(ごにん)に違和感を覚える者もいなかったのだ。

 

だが、違う。

本当の彼は戦いを(おそ)れている。

いいや、戦いで生まれる犠牲者(ぎせいしゃ)から目を(そむ)ける臆病者(おくびょうもの)と言った方が正確なのかもしれない。

しかし、族長の息子として生まれてしまったがために、その特別な力を宿してしまったがために、彼は戦場を支配する獣でい続けなければならなかった。

太陽(ブラキア)という神の(はぐく)む大地に生きる命を護るために―――。

彼の周囲の人間も、彼が(ほこ)(たて)をものともしない獣であることを心から望んだがために―――。

 

彼の立つ戦場はいつだって死体で(あふ)れている。

彼はいつも、その頂点(ちょうてん)に立っている。

振り返ればそこには彼が(ほふ)った敵の死体で満たされている。

(みな)が、彼を見詰(みつ)め、天を(あお)いでいる。

その光景が、(たま)らなく「嫌」なのだ。

 

戦場に立つ人間で、こう考える人間は少なくない。

そこで彼のようにそこに立つのを(こば)む者もいれば、護るもののためにと最期まで戦士であろうと割り切る者もいる。

彼は、言い渡された役目を終えたとみるや、早々(そうそう)に逃げた。

殺した者たちへの懺悔(ざんげ)のつもりなのか。敵国の少女を連れて。

彼は人を殺して人を護る戦争よりも、誰も殺さない家族ごっこを(えら)んだ。

「獣」の彼にはそれが限界だった。

だからこそ、彼はこんなにも一人の少女に執着(しゅうちゃく)しているのだ。

その家族(あい)がいつか自分を傷つけるかもしれないと気付いていても。

誰かを傷つけるより、自分を傷つけた方が何倍も気が楽だから。

 

これら全てはガルバーンという男の妄想(もうそう)にすぎない。

しかし、形は違えど彼もまた何かを護るために人を殺し続ける人生を(あゆ)む者の一人。

だからこそ行き着くことのできた同情だった。

だからこそ彼は獣に現実を突き付けずにはいられなかった。

たとえ、掛ける言葉が間違っていたとしても。

彼に本当の安息(あんそく)(あた)えずにはいられなかった。

「……その娘はもう、この世にはいない。」

彼の美しいまでに強い意志が、見ていられないほどに(あわ)れに思えてしまったから。

 

そして男の(ねら)い通り、その一言は岩よりも固い拳を持つ黒い獣に寒気と怒り、あらゆる天変地異(てんぺんちい)を与えた。

「せめて、天でも同じ大地が()めるよう、この場でお前を殺してやろう。」

白い影は黒い獣の動きが鈍った瞬間に、持ちうる限りの力で反撃にかかった。

空気中の結晶化させた水分で獣の全身を(おお)い、放電(ほうでん)する吐息(といき)を放って五感を奪った。

神経麻痺(しんけいまひ)を引き起こす薬液を吹きかけて全身の自由を奪い、鉄をも切り裂く鎌鼬(かまいたち)で包み込んだ。

…これで、彼は痛みを覚えるよりも早く()くだろう。

男は胸の内で彼への(いの)りを捧げた。

 

しかし、それは影の想いとは裏腹に、黒い獣を望まぬ方向へと成長させることしかできなかった。

 

渦巻(うずま)くギロチンの中で、黒い獣は(ふる)えた。

彼の中で渦巻いた天変地異が太陽さえも(おそ)れる(ひかり)となって()えた。

空気が(ふる)え、闘技場に居合(いあ)わせた生き物全てに強烈(きょうれつ)眩暈(めまい)を覚えさせた。

人も獣も虫もそして、影も。

 

次の瞬間、白い影を(まと)った男の視界に(うつ)ったのは隕石(いんせき)だった。

視界を()()くす黒い、黒い拳。それがマグマのような熱を放ちながら彼の顔面に深く、深く沈んだ。

何度も、何度も何度も。

何度も何度も何度も何度も……。

戦闘の天才(スペシャリスト)であるがゆえに、男は咄嗟(とっさ)に隕石の衝撃(しょうげき)を逃がす魔法を自分に掛けた。

しかし、この局面(きょくめん)でそれは完全な悪手(あくしゅ)でしかなかった。

彼の拳をまともに受けて生き長らえる苦痛に(くら)べたなら……。

 

 

やがて、天変地異は()()り、前日と同じ彼のための静寂(しじま)が会場に()()つ。

彼の前には、(かろ)うじて息のある白装束(しろしょうぞく)の人間が倒れている。

顔は(ゆが)み、手足は吹き飛んでいた。

それでも「魔法」は彼を生かしていた。

たとえ意識を取り戻したところで、ソレが「人間」として回復する保証(ほしょう)は限りなく低い。

それでも、「魔法」は彼を生かしていた。

 

 

正義が正義を殺戮(さつりく)する光景。

その「大会」の(いき)を超えたシチュエーションに、さしものヒマワリも言葉を取り戻すのに多くの時間を(よう)してしまった。

黒い獣は、自分の内で起こった混乱から回復することができずに立ち尽くしている。

会場の誰一人として、”人類の頂点”を祝福(しゅくふく)することができないでいた。

「……申し訳ありません。大会運営者としてあるまじき(てい)たらくですが。(わたくし)はこの状況をどう説明したら良いものか。(いま)だに全てを把握(はあく)できていません。ですが…、」

ヒマワリは(かぶり)を振り、自分の()いた物語を取り戻そうと必死に藻掻(もが)いた。

「ですが、今、我々の目に映っているものこそ確かな答えです!その雄々(おお)しい両足で立ち、敗者を見下(みくだ)す彼こそが、グルガ・ヴェイド・ブラキールこそが今大会の、我々一億人の頂点に立つ男であります!!」

それでも、彼の現実離れした物語(スリル)を求めてやってきたはずの観衆たちは、ヒマワリの歌にいまいち反応することができないでいた。

パラパラとしか鳴らない拍手(はくしゅ)に、キャッチ―・マママンは職人(プロ)としての最後の意地を見せる。

「私たちは今、間違いなく今世紀最大の奇跡(きせき)に立ち会っていることでしょう。私自身、これほどまでに苛烈(かれつ)な戦いは初めて目にしました。ですが…、皆さまも感じたはずです。グルガ選手に美しい黒き光が宿った瞬間を!…彼にはまたいつの日か戦場に立つ日が(おとず)れることでしょう。私たちの世界を(おびや)かす悪を退(しりぞ)けるために。世界を護る聖戦(せいせん)のために!」

マママンの改宗(かいしゅう)を求めるような演説に会場の空気は少しずつ変化していく。

「だからこそ、今の我々にできることをすべきではないでしょうか。この奇跡に、我々の”王”の誕生に祝福を捧げるべきではないでしょうか!?」

「……グルガ、」

「グルガ…グルガ……」

すると、パラパラ、パラパラと実感のない拍手の中に、かの獣を呼ぶ風が舞い始める。

死を冒涜するもの(マママン)はそのチャンスを(のが)さなかった。

「我々の未来を光り(かがや)かせるグルガ・ヴェイド・ブラキールの拳に聖なる声を!!」

「オオォォ…、オォオオオォ……、」

「黒き王の未来に栄光を!!」

「…オオォォォオオオォオォォォ!!」

たちまち、人々の中にあった彼への畏怖(いふ)は溢れ出る興奮(こうふん)に埋もれ、会場は鳴り止まないスコールで()()れた。

 

この(くる)おしい喝采(かっさい)の中でも、それでも獣は沈黙(ちんもく)のまま、(たたず)んでいた。

「……」

 

愛する者の名も忘れ、ただ一匹で立ち尽くしていた。

 

 

 

―――シャンテが無人の館に到着する約30分前、闘技場前

 

立ち尽くすグルガの姿を(みと)めたマママンは、今の彼に真面(まとも)授与式(じゅよしき)は難しいと踏み、「激しい戦闘の疲れ」を言い訳に大会の進行を大幅(おおはば)(けず)った。

グルガは簡単な手続きを済ませた後、早々に解放された。

 

すると、

「グルガさん!!」

闘技場を出ると、息を切らせた一人の若者が彼に駆け寄ってきた。

「グルガさん、大変なんです!!」

若者は彼の泊まっている宿の下働(したばたら)きだった。

 

彼の置かれた状況、若者の現れたタイミング。

それだけで彼にはその意味が十分に伝わった。若者の言葉を聞く必要もなく。

そして彼は、そこに(わず)かな希望を見出してしまった。

彼は若者を()退()け、あの子の待つ宿へと駆け出す。なりふり構わず。

()の待つ場所へ。

 

――――シャンテが無人の館に到着する約20分前、カジキ亭

 

「……エレナは…、エレナはどこに!?」

宿に入るなり、彼は荒らされた現状の説明を求めるよりも先に少女の名前を(さけ)んだ。

「……グルガ、すまない。」

(いきどお)りと焦燥(しょうそう)()()ぜになった彼の耳に、ようやく入ってきたのはカジキ亭の主人の声だった。

「…教えてくれ。エレナは、娘はどこにいる!?」

グルガは負傷(ふしょう)している主人の肩を思い切り揺さぶり、問い詰めた。

その剣幕(けんまく)に同情したガーレッジは、彼を()めることができなくなってしまった。

息を詰まらせながら、求められるままに答えることしか。

「…無人の館だ。黒づくめの男たちが――おいっ!?」

 

 

何も聞きたくない。

聞いたところで後悔(こうかい)しか浮かばない。

 

どうして私はあの子を一人残してしまったんだ。

ここは連中の庭だぞ?

どうしてだ?どうしてだ?

あの子の幸せを心の底から願うはずが、どうして私はいつもあの子を不幸にすることしかしないんだ。

どうして私にはその力がないんだ。

 

 

彼は駆け抜けた。

彼の目に森や岩場に(ひそ)む化け物たちの姿は映らなかった。

自分を(ののし)り、少女の名を叫び、生温(なまあたたか)い血を()びながらただただ走り続けた。

 

そして――――、

 

―――シャンテが無人の館に到着したおおよそ10分後、無人の館前

 

そこに、夜の闇よりも黒い一匹の悪魔が立っていた。

周囲(しゅうい)の空気は彼の熱で揺らぎ、吐き出す息は煙のように()(のぼ)っているようにさえ見える。

ともすれば地面が揺れていると錯覚(さっかく)させるほどに、彼から溢れ出る殺気は全てを震え上がらせた。

「エレナは…、どこだ……」

「残念だが、グルガ殿。我々の出した条件(じょうけん)を破り、この女はここまで来てしまった。それがどういう意味か、貴方(あなた)なら分かるだろう?」

リーダーが指示(しじ)を出すまでもなく、黒服たちは彼の出現(しゅつげん)と同時にその象徴的(しょうちょうてき)なスーツを()()て、(みにく)裸体(らたい)(さら)していく。

「エレナは…、どこだ……」

「……あの戦争で生活が困難(こんなん)になった子どもが何人いるか…。グルガ殿、私の言いたいことが分かるか?この世にあの子の()わりなど吐いて捨てるほど―――っ!?」

次の瞬間、誰の目にも彼の姿は映らなかった。

彼の動きが素早かった訳じゃない。太陽のように強い熱が見る者の目を(つぶ)したのだ。

そして彼の姿を認めた時、彼らのリーダーの顔は吹き飛んでいた。

「オオォォォォォォォオオッ!!!」

悪魔は嵐のように(せま)り、たった一振りの拳で彼の頭を削り落としてしまっていた。

「オオォオオォォォオオッ!!!」

悪魔は(ほとばし)慟哭(どうこく)で空気を震わせ、敵の血を夕立(ゆうだち)のごとく全身に浴びていた。

 

黒服たちは不意を突かれながらも一斉(いっせい)本性(ほんしょう)(あらわ)し、(おく)することなく悪魔に飛びかかった。

それはまるで炎に()べられる(まき)のように。

悪魔の拳を(あか)く、さらに紅く染め上げていく。

 

その体は間違いなく、人の肉でできているはずなのに。

悪魔の体は敵の刃物(はもの)を通さなかった。

小枝で岩を(なぐ)るかのように敵の剣を(はじ)き、化け物たちを肉達磨(にくだるま)に変えた。

悪魔は敵の魔法受け付けなかった。

迸る覇気がその(ことごと)くを打ち消し、その余波(よは)が魔法使いの精神を(またた)()(おか)した。

その体は、一切(いっさい)防御(ぼうぎょ)を必要としない。

ただただ一方的に拳を振るうだけで、次々に敵を沈黙させることができた。

ただただ()き叫ぶだけで、全ての敵を地獄へと落とすことができた。

 

 

 

それは、誰の目から見ても「虐殺」の図に映るに違いない。

ライオンが馬を()るものとも違う。

ゾウがアリを踏みつぶすものとも違う。

それは、武器(じゅう)を手にした人間にだけ現れる絶対的「力」での蹂躙(じゅうりん)に他ならなかった。

アタシの目でさえ、ついぞ彼を完全な「正義」と認めることができないほどに、それは凄惨(せいさん)な光景だった。

その悪夢のような絵面(えづら)は1分と続かなかった。

それでもアタシの心には(ぬぐ)えない恐怖を()()けた。

 

30人近くいた化け物たちは全員、血の海に顔を(うず)め、(おぼ)れ死んでいた。

「オオォォォオオォォオオォォォ……」

殺し尽くした悪魔は(ひざ)から(くず)()ち、顔を(おお)って(うめ)いていた。

その非現実的な光景にアタシは彼に声を掛けることも忘れ、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしてしまっていた。




※一億という人類の頂点
私の書く「アーク」の世界人口は約1億5千万人に設定しています。

※悪魔の槍
悪魔を描写する上で、よく用いられるフォーク状の槍(トリアイナ、三叉槍(さんさそう))のことを言っています。

※白無垢(しろむく)
上下、小物全てが白で仕立てられた和服。婚礼の衣装のこと。

※洗礼(せんれい)
キリスト教において、人がキリスト教の信徒、信者になること。

※聖痕(せいこん)
イエス・キリストが十字架にかけられた時についた傷。
信徒の体の各所に、科学では説明できない傷が現れること。
キリスト教における奇跡の一つ。

※奮える(ふるえる)
本来は、「勇気を奮う」というような内面的なものを表に出す表現に使うみたいですが、
今回は「怒りに打ち震える」「理性がなくなる」というような精神的限界を表現するのに使いました。
本当は「震える」の方が適切なのかもしれませんが、直後に「彼が震わせた空気は」という部分で使ってしまっているので、違和感が出るかと思い、「奮える」を使うことにしました。

※彼の中で渦巻いた天変地異が太陽も怖れさせる(ひかり)となって吼えた。
原作のグルガに設定された特殊能力「エクストラスト」のつもりです。
溜めた気合いを放出して攻撃するという、グルガを中心にした範囲攻撃です。
原作では「無属性」だったみたいですが、話の流れ上こっちの方がカッコいいかなと思って「光属性」っぽく書いてしまいましたm(__)m

※スコール
熱帯地方特有の、にわか雨をともなった強風のこと。

※「悪魔の体は敵の刃物を通さなかった」「悪魔は敵の魔法受け付けなかった」
グルガの追加可能な特殊能力「インビシブル」の効果です。

※哭く(なく)
「シクシク」ではなく、雄叫びをあげるように泣きわめく様子。

「慟哭」も同じような意味ですね。

※夕立(ゆうだち)
夏の午後にやってくるにわか雨をさす。
発達した積乱雲が特徴的で、雷を伴うこともしばしば。

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