聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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赤い靴 その四

――――少女の名はアクラ。

地上を追われ、醜悪(しゅうあく)罪悪(ざいあく)根源(こんげん)と名付けられた化け物たちの王、セゼグ・エルヴァスの一人娘。

 

――――少女の名はちょこ。

家族への愛を言い訳に、()(あま)(にく)しみを(したが)え、化け物を殺し続けた男、ラルゴ・カル・トレアの一人娘。

 

少女にとってどちらも愛すべき父であり、どちらか一方の娘でいることはできなかった。

それが、少女にとって最大の不幸だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

そこは少女にとって馴染(なじ)みのある教会。

嵐が直撃したかのような()()てた光景を(のぞ)けば。

「……」

「思い出したかしら?全部、お前が(こわ)したのよ。この教会も、村も人も。何もかも。」

少女は、思い出した。

奥底から()()げる胸の痛みを。

それでも、

「……ウソよ。」

「…何?」

「こんなの、全部ウソよ。全部、アナタが見せた幻ね!ちょこ、(だま)されないんだから!」

数百年、忘れ続けた真実を、今さら受け入れることなんてできなかった。

「だったら、この光景は?これも幻だって言うの?」

妖精は両手を広げ、村の()(さま)()した。

「だって、ちょこ、()い子だもん!ちょこ、みんなを傷つけたりしないもん!」

「…そう。そうなのね。キサマはこの()(およ)んでまだ、私に罪を(なす)りつけるのね。」

「父さまだって!シルバだって!ちょこのこと良い子だって――」

「うるさいっ!!」

「キャアッ!」

(あか)い妖精は(せま)い教会の中で突風(とっぷう)を巻き起こした。

(はじ)かれる教会の残骸(ざんがい)(みずか)らを傷つきながらも、(おさ)えられない怒りに()(ふる)えた。

「…いいこと?お前が一度でも()()()であった(ためし)なんかないわ。」

 

妖精が右手をかざすと風は止み、彼女の(となり)に少女の愛する人が(あらわ)れた。

「父上のことを忘れ、こんな男を”父”と呼び(した)うお前のどこが”良い子”だって言うの?」

「父さま…。」

「ちょこ…。」

見間違(みまちが)えるはずもない。

聞き違えるはずもない。

そこにいる男は(まご)うことなき、少女の父。

 

その苦悩(くのう)する表情も少女は知っていた。

何度も、何度も見てきた。

「父さま…、ウソよね?」

けれども、その表情が意味するものをしりたくなくて、少女は忘れ続けた。

父を少しでも元気づけたくて、明るく振る舞い続けてきた。

「すまない、ちょこ。私は、悪い父親だったよ。」

「ウソよ!父さまは()い父さまよ!ちょこ、知ってるもん!」

「お前を護っているつもりだったんだ。…だが、私は()らず()らずお前を利用していた。」

「父さまはちょこのためにたくさんハンバーグを作ってくれたもの!」

「何のことはない。ただ私が、幸せになりたかっただけなんだ。」

「父さま、お願い。そんな顔しないで!ちょこ、良い子でいるから!」

少女の呼び掛けに、男は(こた)えなかった。

応える資格がないと感じていた。

それすらも、少女を傷つけるのだと。自分の()(まま)だと知りながら。

 

「どう、もう思い出したでしょ?」

寸劇(すんげき)を十分に堪能(たんのう)した妖精は、それを打ち壊すために割って入る。

「そんなお前の大事な大事な”父さま”も死んだわ。あの夜、お前の手でね!」

妖精は喜びと憎しみに顔を(ゆが)ませ、力任(ちからまか)せに男を(かべ)(たた)きつけた。

「父さま!?」

ところが、壁に叩きつけられた男の体から流れ出たのは赤い血ではなく、大量の砂だった。

「分かる?これもお前が(つく)った人形よ。」

「ウソよ!」

「ウソなものか。だったら村中を探してみなさい。お前の慕う”お父様”はもうどこにもいないわ。」

「ウソよ、ウソよ、ウソよ!!」

「フフフ、アハハ。そうやって()(わめ)くお前の姿を見るのは想像以上に痛快(つうかい)だわ。」

紅い妖精は砂の(こぼ)れる人形を()みつけながら小気味(こきみ)よく笑い、その笑いに()(つぶ)されるように赤い少女は頭を(かか)え、(ふる)えた。

 

 

「そこまでにしときな。」

ところが、この一方的な()()りで回る少女たちの世界に、(まね)かれざる大人は現れた。

「じゃなきゃ、痛い目を見るのはアンタの方になるよ。」

「…おねーさん。」

教会の扉をこじ開け、少女たちの世界に土足で上がり込んだのは青い髪の女。

妖精は彼女が教会に向かっていることに気付いていた。けれども彼女は女を危険視しなかった。

たかが人間。(するど)(つめ)もなければ、大岩を粉砕(ふんさい)する力もない。ただのネズミと()にも(かい)さなかった。

だが、どういうことか。

妖精はネズミごときの言葉をただのハッタリと聞き流すことができなかった。

「どういうこと?」

「…フン。アンタも結局(けっきょく)は何にも知らないねんねちゃんってことさ。」

「……」

 

そうして、紅い妖精が(にら)む中、青髪の女は手に入れた情報を存分(ぞんぶん)に活用し、少女たちの世界を()(みだ)す。

女は少女に向き直り、問いかける。

「ちょこ、アンタはシルバやラルゴがどうして死んだのか。きちんと考えたことがあるかい?」

「え?」

「アンタは二人が死んだって事実に(とら)われすぎなんだよ。アンタはアンタの生き方を(つら)けばいいのさ。」

「……よくわかんない。」

女は少女への補足(ほそく)もせず、今度は妖精に問いかける。

「そしてアンタは本当に自分が一方的な被害者だとでも思ってんのかい?」

「……」

「本当は気付いてるはずさ。自分も()められる立場にあるんだってね。それとも、石の中で何百年も眠ってる間に頭に(うじ)でも()いちまったかい?」

「……」

妖精は、女の言葉に身に覚えがなかった。

それでも気掛(きが)かりでしかたない。だから()え、耳を(かたむ)け続けた。

…女に(すべ)てを()げられる、その時まで。

 

「あの時、ラルゴがアンタの父親を(おそ)った時、本当ならアンタが手を()せば父親を逃がすことができたんだ。それなのにアンタは、ラルゴの強さに(おび)えて、何もせず父親が殺されるのを黙って見てたんだ。」

「……ウルサイ。」

「しかも、アンタはラルゴに記憶を(うば)われたんじゃない。進んで受け入れたんだ。現実が受け入れられなくて、忘れて楽になろうとしたんだ。」

「…ウルサイ。」

「少しは思い出したかい?だったらその小さなお(つむ)でよくよく考えてみな。アンタはちょこを責められるのかい?いいや。むしろ、父親を見殺しにした上に、その(かたき)の言いなりになったアンタの方がよっぽどクズじゃないか。」

「黙れっ!」

「!?」

妖精は羽も()げんばかりに腕を振り上げ、巻き起こった暴風で女を()(きざ)んだ。

 

「おねーさん!」

全身から噴水(ふんすい)のように血が()()し、女は悲鳴(ひめい)を上げる間もなく事切(ことき)れた。

「石の封印を()く役に立ったから見逃(みのが)してやっていたものを……。」

妖精は肩で息をしていた。生まれたての小鹿(こじか)のように(ひざ)を震わせ、聖書台に寄り掛かっていた。

だがその聖書台も、次の瞬間には粉々(こなごな)(くだ)けていた。

「キサマ…」

少女が拳を振りおろし、一撃の(もと)に粉砕していた。

「ちょこ、難しいことはよくわからないの。だけど、アナタは許さないの!」

少女の(こふし)には常識(じょうしき)では考えられない『力』が宿(やど)っていた。

指一本一本に、竜に(まさ)るとも(おと)らない『力』が。

「許さない?…よくもそんな口が利けたものね。」

二人は初めて対等(たいとう)に向かい合う。

各々(おのおの)明確(めいかく)な「戦う理由」を(いだ)き。

 

そしてまた、(あらた)めて回り始めた二人の世界に、その女は水を()す。

「…まったく、アタシの何十倍も生きてるくせになんて手の掛かるお子様なんだ。」

「おねーさん!?」

「キサマ、なぜ生きてるの?!」

女の体を()めていた真っ赤な血が、みるみる間に(うす)れていく。

深く()()かれていた(あと)など、もはや影も形もない。

妖精は愕然(がくぜん)とし、少女は嬉々(きき)として女を見詰(みつ)めていた。

その様子を滑稽(こっけい)と女は鼻で笑い、妖精をさらに挑発(ちょうはつ)した。

「ハン、残念だったね。虫けらごときの力で死ねるほど、この体はヤワじゃないんだよ。」

「この……!?」

(ふたた)び女を殺そうと振りかざす妖精の手を、少女が(つか)んでいた。

「これ以上、おねーさんをイジメないで。じゃないとちょこ、本当に怒っちゃうんだから!」

少女の手は万力(まんりき)のごとく、妖精はピクリとも動かせない。

「…なんで、…なんでなの!?なんで私の思い通りにならないの!?」

妖精は、自分の『力』では少女を殺せないと知っていた。

ところが、少女どころかたった一人の人間さえ殺すことができない。

自分は王の娘なのに…。

妖精はそんな不条理(ふじょうり)に怒り、失望(しつぼう)していた。

 

「…お前はいつまで自分の罪を忘れ続けるつもり?それで世界がお前を見逃すと、本気で思っているの?」

怒りと失望が妖精の胸の内で渦巻(うずま)き、妖精の(くちびる)から晴れない疑念(ぎねん)淡々(たんたん)()き出させた。

少女は、弱った虫のように力なく語る妖精を解放し、彼女の助けになればと誠実(せいじつ)に答えた。

「ちょこ、難しいことはわかんないの。でも、アナタがいけなことをしようとしてることはわかるの。」

「私が?…違う。間違ってるのはお前よ。でなければ私は生まれてこなかった。こんなに苦しまずにすんだはずよ!」

妖精は羽を広げ、飛び立とうとしていた。

「どこに行くの?ちょこ、まだアナタのこと許してないんだから!」

「お前は、私を許すつもりなの?」

「ちゃんとごめんなさいって言うの。そしたら許してあげるの。」

「…バカげてるわ。お前はずっと子どものまま。子どもでいればどんな我が儘も、誰にも責められないと勘違(かんちが)いしてる。だけど、私は違うわ。」

悪あがきとばかりに少女に突風を叩きつけ、妖精はその風でフワリと天高く(のぼ)った。

「…アララトスの地下迷宮に来なさい。その最奥部(さいおうぶ)で待っているわ。私とお前、どっちが本当の悪か。そこでお前にもはっきりと分からせてあげる。」

()ける日の出に溶けるかのように、妖精の姿は(うつ)ろい、消えていった。

「……行っちゃったの。」

 

小さく幼気(いたいけ)な少女は、『悪夢』を見せる敵の退散(たいさん)を見送り、ボンヤリと敵の安否(あんぴ)(おも)った。

 

 

 

―――十数分前、ラルゴ宅

 

「今、あの子を(おそ)っているのはあの子の、”ちょこ”になる前の『記憶』です。」

「襲っている?」

窓の外に目を向ければ、知らぬ間に日が(しず)んでいた。

これも、昨夜(さくや)の殺気の群れも、その悪魔の仕業(しわざ)なのだと思った。

「どうもアタシにはアイツが誰かに襲われているようには見えなかったんだけどね。」

「確かに、昨日(さくじつ)まで『アクラの記憶』は『石の力』で身動きが取れませんでした。」

「……待ちなよ。まさか、アタシのせいだって言うんじゃないだろうね?」

何かした覚えは一切(いっさい)ない。この森に迷い込んだってだけで。

だけどラルゴは静かに、けれどもハッキリと(うなず)いた。

「アクラの記憶はこの森の墓地(ぼち)(しば)っていました。」

 

アタシが墓地に迷い込んだから。

アタシの『抑制(よくせい)する力』が墓石の効力(こうりょく)を弱め、『記憶の塊』が自由に行動し始めたのだとラルゴは言った。

「だからって、アタシは責任(せきにん)なんか取らないよ。」

「分かっています。全ては私の()いた種。私が解決すべき問題です。今の私に罪を(つぐな)うための自由がないというのもただの言い訳でしかありません。」

男は(いの)るように手を合わせた。

(おごそ)かな声色でアタシに(おが)んだ。

「ですが、どうか。どうかあの子を(すく)っては(いただ)けないでしょうか。」

「……どこに行ってもアンタみたいなクズがいる。」

 

できる限りの誠実さを(あらわ)しているのかもしれない。

自分に()があることを認め、不甲斐(ふがい)ない身であることを心の底から謝罪(しゃざい)しているのかもしれない。

だけど、アタシはその姿が心底(しんそこ)憎くてしかたがない。

 

「自分の家族なのに、自分の子なのに自分の手で護ろうとしねえクソみたいなヤツが。無責任なくせに自分ばっかり幸せになろうってゴミみたいなヤツが。」

沈黙が部屋を()たした。

男は一言も言い返さず(ひたい)をテーブルにつけ、肩を震わせる。

「……本当に、生きる価値もないヤツらなんだ。」

子どもが、ひとりで大人になったりするもんか。

親に護ってもらえない子どもが誰かを愛するもんか。

死ぬまで(ひと)りきりで、死ぬまで自分が正しいかどうかも分からずに戦い続けなきゃいけないんだ。

全部…、全部、お前らのせいなんだ。

 

(おが)み続ける男に声もかけず、アタシはちょこの後を追った。

…アタシの目的は変わらない。

アタシは、アタシのためにあの化け物を使う。

あの子を殺したヤツを()()きにして、あの子を愛さなかったヤツらを皆殺しにする。

絶対に。

 

 

 

――――現在、トココ村の教会(あと)

 

台風は()った。

被災(ひさい)して残ったのは余所者(よそもの)のアタシと、心ここに()らずの台風の片割れ。

片割れはもう一方の飛び去った方をボンヤリと見遣(みや)っていた。

「…ほら、しっかりしな。」

この子はどこまで真実を理解してるんだろう。

…どこまで受け入れているんだろう。

「これからは自分の足で歩いていくしかないんだよ。」

自分の中で被害者と加害者の部分を正しく線引きするのは難しい。

この子はきちんと()()()()()()()()ことができるんだろうか。

「どんなに(つら)いことがあったってね。」

「…ちょこ、歩くの好きだよ?」

…それが、とても大切なことなんだ。

「あとね、アンタがアタシに言った(ことわざ)。”獅子(しし)は可愛い我が子を千尋(せんじん)の旅に落とす”だっけ?あれ、正しくは”獅子は我が子を千尋の谷に落とす”、”可愛い我が子には旅をさせよ”だから。」

「ちょこ、それ知ってるよ。ライオンの赤ちゃんはちょこのことなの。じゃあ、おねーさんは何の赤ちゃん?アメンボさん?オオサンショウウオさん?」

「……まあ、どうでもいいんだけどさ。」

会話の調子は戻ってるけど、まだどこか片割れに心を奪われているように見えた。

「…手、(つな)ぐかい?」

ちょこは差し出したアタシの手をまじまじと見つめると、ようやく出会った時と同じ調子で答えた。

「うん!」

そう、それがとても大切なことなんだ。

 

赤いエナメルの(くつ)()いた小さな足は(おさな)く、(たよ)りない。

まだ、(ひと)りじゃ歩けない。

誰か手を引いてあげる人がいなきゃ。

「ちょこもあの子みたいに羽が()えたらいいのになぁ。」

「……」

 

本気かどうかも分からない冗談(じょうだん)を―――、

 

「羽が生えちまったら雨の日に背中が重くてしかたないんじゃない?それでもいいのかい?」

「う~ん…。」

「お風呂で洗うのも大変だろうし、普通の椅子(いす)じゃ(せま)くて座れないだろうね。」

「う~ん、う~ん…。」

「それに、海で泳げなくなる。」

するとちょこは謎々(なぞなぞ)()けた子どものように顔を明るくして、ハッキリと答えた。

「やっぱりやめたの。ちょこ、イルカさんと遊べなくなるのはつまんないの。」

「だろ?アンタは今のままが一番いいんだよ。」

「うん!おねーさんも、今のままが一番いいの!」

「それ、どういう意味?」

「神父様が言ってたの。女の人はクネクネプリンが一番だって」

「……アンタ、それ意味分かって言ってんのかい?」

「わかんない。でも、おねーさんはクネクネだし、プリンみたいな顔してるの。」

「ハハ、そりゃどうも。」

 

―――隣で笑ってあげる人が。

 

…今だけなら手伝ってやる。

アタシがアタシの目的を果たす時までは(そば)にいてあげるよ。




※ねんねちゃん
「ねんね」は眠ることを指す幼児語。
転じて、赤ん坊そのものや、年齢の割に幼い性格の人、世間知らずを指して使うこともあります。

※万力(まんりき)
対象を挟んで締めつけることで固定する、工作の効率を目的とした工具。
他にも、釣りをする際にも船のヘリに取り付け、竿を固定するという目的にも使われているみたいです。

※不条理
道理に合っていない物事。筋道が通っていないこと。

※虚ろい(うつろい)
空しいさま。中身のないことを意味する「虚ろ」の形容動詞?ですが、
移動する。心変わりする。色あせる。花が散る。物事が次第に衰えていく。の「移ろい」の意味も含んでいると思っていただければ幸いです。


※ほんとの後書き
随分とまあ、今回も原作と違う話の展開を書いてしまったものです(笑)
「好き」も行き過ぎるとよくありませんね。
でも、もう書き直すのがもったいなくて止まれません。
すみませんm(__)m

「天真爛漫」、「問答無用」みたいな言葉が形になったのが「ちょこ」というキャラクターだと思っていますが(笑)、今回の「赤い靴」ではそんなちょこの隠れたナイーブな面を強調しました。
原作でもこの場面はある程度ナイーブですが、私の場合はやり過ぎた感が否めませんね。
なので、フォローとばかりにお話しの後半にシャンテと和むシーンを入れてみました。
一人ぼっちでは悲しいことに堪えられないちょこですが、誰かが傍にいることで元気を取り戻すという大事なシーンでした。

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