聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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前話、「血の謝肉祭その一」を「潮騒の家その五」に変えましたm(__)m


潮騒の家 その六

――――クレニア闘技場(とうぎじょう)観客席(かんきゃくせき)

 

「まずまずの結果といったところか。」

黒づくめの男たちはブラキアの英雄の勝利に満足していた。

「だが()たして、アレはガルバーンに勝てると思いますか?」

内の一人が言うと、リーダー(かく)の男が笑って答えた。

「勝敗など関係ないよ。あの男の言葉を聞いただろう?娘さえ(にぎ)っていれば彼は我々に(かか)わらざる()えん。実に簡単な話だ。」

言いながら、男の眉間(みけん)にはじわじわと深く(するど)(しわ)が寄っていく。

「ただし、同じ(てつ)()まんよう細心(さいしん)の注意を払っておかねばな。」

三年前、彼らは同じ作戦を実行したが、正体不明の浪人(ろうにん)に邪魔をされ、失敗した。

Sir(サー).ドラロシュ。」

男が苦々(にがにが)しい過去を思い返していると、別の一人が彼に声をかけた。

「どうした。」

「……アレを。」

そうして部下が指()した先には見知った女の顔があった。

「…あの女、確かグルナデのパートナーだった女だな。名前は……」

「シャンテ。」

「そうだ、そんな名前だったな。…どうしてこんな所に?」

「我々を裏切ったことだけは耳にしています。」

「裏切った?我々を…?」

そうして何かを思い付いたクレニアのリーダーはゆっくりと(くちびる)()()げる。

 

「なるほど、何か事情(じじょう)があったのだろう。」

「どうしますか。」

ドラロシュと呼ばれた男は自分の(のど)を強く握りしめ、さっきまで同席していた同僚(どうりょう)の顔を思い浮かべながら答えた。

「アルディアから遥々(はるばる)こんな所まで来たんだ。どうせなら奴の所まで案内(あんない)してやろうじゃないか。」

「何を考えている。」

彼と付き合いの長い一人が身内の暴走を忠告(ちゅうこく)した。

「なに、ちょっとしたイタズラさ。」

「……覚悟(かくご)はできているんだろうな?」

「何をバカな。(まか)された仕事は(こな)している。その上で自分の趣味(しゅみ)に時間を()くことを、我々のボスが(きん)じたことがあったか?」

「……」

「お前も、さっきの()()りに思う所があっただろう?」

「……」

「決まりだな。」

リーダーが部下に指示(しじ)を出し、臨時(りんじ)の作戦が動き始める。

 

 

 

――――クレニア闘技場前、広場

 

……彼が、遠巻(とおま)きに声援(せいえん)を送る一般人に(こた)えながら出てきた。

遠目から見ても、彼の体にはまだまだ『力』が()(あふ)れているのがわかった。

「まずはおめでとうと言わせてもらうよ。」

「……ありがとう。」

アタシはエレナに愛着(あいちゃく)を持ってしまったし、この男のことだって嫌いじゃない。

だからこそ……。

私は、今度こそ、あの子に()わって彼に言わなきゃならないことがあった。

できないことをしていかなきゃ皆みんなが死んでいく。

だから……。

 

「あれ、パフォーマンスなんだろ?」

あの「感動」の中、何人がそのことに気付いたのかは分からない。

だけど、私は気付いた。

一番初めにアイツが剣を振り下ろした後、本当ならあそこで戦いは終わってたんだ。

それだけの実力差があった。

それなのに、わざわざアイツに魔法を仕掛けるチャンスを与え、一撃で仕留(しと)めなかったのは彼にそういう意図(いと)があったからだ。

アイツが彼の国をバカにしたからかもしれない。だけど、それだけじゃない。

私にはそれが分かった。

 

彼は答えなかった。

「アンタとは知り合って日が浅いけど、あんな戦い方をする奴じゃないだろ?」

だけど、古巣(ふるす)の臭いを感じた時からアタシは薄々(うすうす)勘付(かんづ)いていた。

彼が(ひと)りで(かか)()んでいるこの詰問(きつもん)の答えが。

「……」

彼は優しい男だ。誰も巻き込むまいと我慢(がまん)している。

だから誰かが代わりに答えてやるしかない。

(おど)されてるんだろ?黒づくめの男たちに。」

「…君は、奴らの仲間なのか?」

「だとしたら、どうする?」

すると彼は私の問いには答えず、私を置き去りにして歩き始めた。

 

私には分かる。

このままじゃ二人はダメになる。

誰かの()(まい)になっちまう。

それだけは、見たくない。

 

私は()(ちが)う彼の太い腕を(つか)み、自分の想うままの言葉を口にした。

「アタシなら、アンタたちの手助けができるかもしれないんだよ?」

振り返った彼の顔には(きび)しい表情があった。

「これは俺とエレナの問題だ。君には関係ない。」

彼ならそう言うと分かってた。

「関係ない?確かにそうかもしれないよ。でもね、」

彼は私の手を振りほどかない。だけど私は彼を逃がさないよう、もっと力を込めて握った。

「アンタ、さっき言ったよね?家族のためにこの(こぶし)はあるんだって。…アタシだって、そうだったんだ。」

私は、この島に流れ着かなきゃならなかった原因を穿(ほじく)(かえ)す。

もう、「後戻り」なんて言葉が跡形(あとかた)もなくなるくらい、私の血に()け込んでいる「アタシの生きている理由」を。

「他人に(あご)で使われて、歌を歌って、体を売ってまで護りたかった家族がいたんだ。」

歌を歌っている時が一番嫌いだった。

アタシが歌う歌詞は嘘ばかりだったから。

あの子のために、大嫌いな両親のように嘘を()()らして他人から人生の一部を(むし)()ってきた。

 

あの子への想いは嘘じゃない。

 

だけど、「愛」なんてフレーズを口にすると吐き気でトイレに(こも)ってばかりいた。

それでもあの子を護りたかったんだ。

「だけど――――、」

 

護りたい人はもう何処(どこ)にもいない。

 

「……」

「分かるだろ?どんなに藻掻(もが)いたって、一人じゃ護り切れない時があるんだ。(たと)えそれがクソみたいな女だったって、利用しなきゃいけない時だってあるんだよ。」

彼は眉間に皺を寄せたまま固まってる。

その表情が、必死に自分に言い聞かせているんだって、私には分かった。

「アタシの予想が正しければ、例えアンタが大会で優勝したってあの子に幸せはやってこないよ。」

「…どういう意味だ。」

「連中も仕上げにかかり始めたってことさ。簡単に言うなら”世界征服(せいふく)”ってやつのね。」

「……」

彼はあまり納得(なっとく)した(ふう)じゃなかった。「世界征服」なんてイカレた言葉がいまいち説得力に()けてるのは私だって分かってる。

でも、本当のことなんだ。

嘘で信じさせたって意味なんかないんだ。

「アンタは知らないだろうけどね。今、世の中じゃ”人類キメラ化計画”なんてものが流行(はや)ってんだよ。」

私は()(つま)んでその内容を説明した。

特殊(とくしゅ)潜在(せんざい)能力(のうりょく)を持った人間が生体実験に使われていること。

そして、もっぱらその標的(ターゲット)が「子ども」であること。

「エレナが、その標的(ひょうてき)の一つだと言いたいのか?」

「どうだろうね。可能性がないなんて言えないよ。だけどね、今、標的にされてるのは間違いなくアンタだ。」

彼は増々(ますます)難しい表情で私を(にら)みつける。

今朝、彼自身が言ってたことだ。

あんな連中と関わって、何の犠牲(ぎせい)も払わないですむなんて思ってる方がどうかしてる。

でも、彼は心の何処かで「自分ならなんとかなる。護ってみせる」なんて甘い考えでいたんだ。

 

でもね、

「アタシはもう連中の仲間じゃないけど、アイツらの考えてることならだいたい分かってるつもりだよ。」

無理なんだよ。そんなの。

「だからさ、黙ってないで言ってごらんよ。アタシにしかできない何かがあるかもしれないだろ?」

「……何を言えばいい。」

「全部さ。アイツらと出会った時から今までのこと。アンタの記憶に引っ掛かってること全部。アイツらは根っから(くさ)ってるから、何処に毒を(ひそ)ませてるかわかったもんじゃない。でも、アタシなら見つけられる。」

 

私の何を見て信用してくれたのか。そこまでは分からない。

「……三年前だ。奴らが俺の前に(あらわ)れたのは。」

だけど、私の()()()()()()()()根負(こんま)けした彼は、ポツリポツリとこれまでの経緯(けいい)を話し始めた。

 

 

 

――――三年前、ブラキア某所

 

 

貴方(あなた)にチャンスを与えよう。」

 

ソイツらは血の臭いと(とも)に現れた。

 

背丈(せたけ)から身に付けている物まで、何から何まで統一(とういつ)された10数人の黒づくめたち。

私は同じ(かた)のマネキンがズラリと(なら)び、口を()いているかのような違和感と寒気を覚えた。

 

ブラキアの独立戦争に終止符(しゅうしふ)が打たれ、戦線(せんせん)から解放された私はエレナを連れて人目(ひとめ)()けた生活を送っていた。

だが、ソイツらは何処からか私たちの居場所(いばしょ)を聞き出し、現れた。

「貴方も耳にしたことくらいならあるだろう。クレニアという島で行われている武闘(ぶとう)大会のことを。」

その時からすでに奴らは私の(まま)ならない事情を把握(はあく)していた。

「そこで、取り引きを提案(ていあん)しに来たのだよ。」

「取り引き?」

「なに、単純(たんじゅん)なことだ。我々は貴方が大会に出るための全てを用意しよう。その代わり、我々に貴方の体の一部を提供(ていきょう)してほしい。」

奴らは自分たちの素性(すじょう)を隠さなかった。

ロマリアの研究員であること。生物兵器を(つく)っていること。そのために私の一部を研究材料として(ほっ)していること。

「なぜお前たちを経由(けいゆ)しなければならない。クレニアまでなら民間(みんかん)の船で行けばすむことだ。」

すると、先頭の男が笑って答えた。

「その大会の運営(うんえい)を我々の組織(そしき)が握っていると言ったら貴方は理解してくれるだろうか。」

「……」

「お(じょう)さんの目は現代医学でなら問題なく回復するだろう。だが、彼女には医師にかかるための戸籍(こせき)がない。かといって知人の医師では力不足。闇医者は法外(ほうがい)術費(じゅつひ)が必要になる。」

私は自分の耳を(うたが)った。

養子(ようし)にするという案も無理だった。敵国の娘だ。いくら国の英雄が(のぞ)んでいることとはいえ、多くの命が失われた戦争直後、彼らがそれを許してはくれないだろう。貴方の代わりに里親(さとおや)になるなどもっての(ほか)だ。」

まるで私の心を読むかのように、ソイツは私の苦悩(くのう)を一つひとつ、丁寧(ていねい)にあげてみせた。

 

「貴方は、望む生き方を進もうにも少しばかり有名になり()ぎてしまった。」

賞金稼ぎという大金の動く仕事があることも知っていたが、それも同じ理由で断念(だんねん)せざる負えなかった。

(ほこ)り高き「ブラキアの英雄」が、人殺しも引き受ける仕事に()いている。

それは「ブラキア」という国の今後に大きく関わる。だからやめて欲しい。戦友からそう言われた。

「英雄」という(しょく)以外で、私に生活費以上のものを望むことができなくなっていたんだ。

「ブラキアにしか(えん)のない貴方にはもはやどうすることもできなくなってしまった。そうだろう?」

「……」

「だが安心したまえ。クレニア国際武闘大会は世界が(みと)めた”競技(きょうぎ)”だ。まかり間違って人を(あや)めても、勝ち残ることができたなら貴方を称賛(しょうさん)こそすれ非難(ひなん)する人間は一人も現れないだろう。」

「……」

男は私の口を完全に(ふさ)ぐと、(ふところ)から細身(ほそみ)のガラス(かん)を取り出して話を続けた。

「血だ。この試験管二本分の血を大会の参加証(さんかしょう)としようじゃないか。」

 

自分の『力』が異質であることは小さな(ころ)から聞かされていた。

それを使って連中が人を殺す兵器を造ろうとしていることも十分に理解していた。

それでも――――、

「賞金は……、優勝賞金の何割が私のものになる。」

「ハハハ、我々をそこいらの小悪党(こあくとう)一緒(いいっしょ)にされては(こま)る。言っただろう。我々は貴方の血にしか興味(きょうみ)がないと。大会で優勝しようが審査(しんさ)で落ちようが、我々の知ったことではない。勝てば総取(そうど)り。負けても若干(じゃっかん)貧血(ひんけつ)になるだけ。どうだ、こんな夢のような解決法が他にあると思うか?」

それだけのことが、世界に、ブラキアの地に、どれだけの血を流すことになるのだろうか。

それでも、この手でエレナの光を取り戻すことができるなら。

 

俺は連中の条件を飲んだ。

 

だのに……、そこまでの覚悟を決めたにも(かか)わらず、予期(よき)せぬ不調が私を(おそ)い、あと一歩というところで優勝することができなかった。

クレニアの武闘大会は優勝者以外に一切(いっさい)の賞金を(あた)えない。優勝者以外に価値などないとでも言うかのように。

私は新たな「罪」だけを背負(せお)って引き下がらねばならなかった。

「残念だったな。」

奴はそう言って笑っていた。

 

そうしてやって来た()()()()()()()()

……そう。私はすでに奴らの誘惑(ゆうわく)に負け、それに(たよ)り始めていたのだ。

 

私は無言で奴らを(むか)()れ、同じ話をした。

「前回は実に()しかった。だが()やむことはない。今回、結果を出せばいいだけのことなのだから。そうだろう?」

「……」

「そうそう、今回は貴方に良いニュースもあるのだった。」

「……」

「聞きたくないのかね?」

「……なんだ。」

男は声だけで笑い、短くなったタバコの火を指先で消しながら言った。

「ボーナスだよ。…罪滅(つみほろ)ぼしとはいえ、たった一人の少女に直向(ひたむ)きな愛を(ささ)げ続ける貴方の姿に胸打たれた。そう()()えればいいかね?」

男の表情は(にぶ)く、何を考えているのか読み取ることができない。

だが、何かもっと大きな代償を求めてくるだろうということだけは予測できた。

だからこそ私は身構(みがま)え、今度こそ男の誘惑に打ち勝つ覚悟だった。

だが……、

(こん)大会で貴方が何らかのパフォーマンスを行い、観客を()かせることができたなら。一試合につき、優勝賞金と同額の報酬(ほうしゅう)を用意しよう。」

私はまたも自分の耳を疑った。思わず目を()いて驚いてしまった。

 

すると奴は出会って初めて、大口を開けて笑った。

「ハッハッハ。戦場の血と肉を愛する英雄とはいえ、意表を突かれるとそのようなオモシロい表情も見せるのだな。」

さらに男は次の反応を期待(きたい)するように私の顔を見詰(みつ)める。

「そうだ。見事、全ての試合で達成(たっせい)したなら、おおよそ40億もの大金が貴方のものになる。前回の敗退(はいたい)帳消(ちょうけ)しにしても()(あま)(がく)だ。」

新しいタバコを取り出し、その先端(せんたん)でコツコツとテーブルを鳴らす姿は勝ち誇っていて、まるで無茶な条約を笑顔で押し付ける外交官(がいこうかん)のようにも見えた。

「貴方の娘、エレナと言ったか。医者になるのが夢なのだろう?」

奴らは何でも知っていた。

まるで私自身が奴らに語ったかのように。何でも。

「”ヒトの命を救う仕事”、いいじゃないか。彼女の未来は貴方にとって40億に見劣(みおと)りしない贖罪(しょくざい)になることだろう。だが…、分かるだろう?そのためには山のような投資(とうし)が必要だ。そう、まさに何十億もの投資がな。」

私は返事をしなかった。

「まあ、これはあくまでボーナスだ。受ける如何(いかん)は貴方に任せよう。」

…返事が、できなかった。

「イエス」とも、「ノー」とも。

 

罪を(おか)しすぎた私は、何をすることが正しいのか分からなくなってしまっていたのかもしれない。

「戦士グルガの生涯(しょうがい)栄光(えいこう)のあらんことを。」

それでも、男は俺の心の奥底を見透(みす)かすかのように、クレニアまでの乗船券(じょうせんけん)滞在費(たいざいひ)をテーブルに置き、去っていった。

 

 

――――現在、海岸線(かいがんせん)の見える町の(はず)

 

「……」

彼の語った話の内容はおおむね予想通りだった。

「さあ、私は話した。今度は君の意見を聞かせてくれないか。」

彼の表情は変わらない。まるで私自身がロマリアのクズ連中のように睨みつける。

「単純なことさ。クレニア(ここ)を出ていきゃいいんだよ。今すぐにね。」

「何?」

「少し遠回りはしなきゃだけど、インディゴスの知り合いに戸籍を偽装(ぎそう)するプロがいる。…エレナの夢までは(かな)えられるか分かんないけど、少なくとも目は(なお)してやれるよ。アンタが()()けられた治療費(ちりょうひ)よりもずっと安い金でね。」

もちろん、大会期間中、一切の渡航(とこう)が禁じられている以上、まずはそういう業者を探さなきゃいけなくなるけれど。それでも、明日のリングに立つよりはマシな結果が()られると思う。

 

彼は私の提案を(しぶ)っている。それは目の治療をし終えたエレナと一緒にいるという前提(ぜんてい)があるから。

現実を見詰めるエレナと一緒にいる度胸(どきょう)がないから。

そういう流れになると思っていた。

その反論(はんろん)も用意できていた。

 

だけど、さすが仮にも国の代表になった経験があるだけあって彼は私が思った以上に先を見る目を持っていた。

「ガーレッジやミレントはどうなる。」

「……」

「アレが私と関わった人間を(ほう)っておくような連中じゃないことは君も分かっているはずだ。…君は、私を試しているのか?」

彼の言う通り、獲物を()()()()のはヤツらの得意分野であり、専門分野でもある。

今だって、奴らはアタシたちを監視(かんし)してる。

もしも、このタイミングで彼が消息(しょうそく)()てば、当然彼の居場所を探ろうとする。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

でも…、仕方ないんだ。

「一度、敵をつくっちまったら何かの犠牲なしに抜け出せない。アタシだってこんなこと言いたくて言ってんじゃないんだ。アンタだって戦場で学んだんじゃないのかい?今の状況はエレナを危険に(さら)してるんだよ?」

「……君と話すことはもうない。」

話を打ち切り、彼は去っていく。

「今はそれがベストなんだよ!でも、じきに状況は変わってくる。バカな連中が(つぶ)()ってくれるんだ!」

…それ以上、彼は私の呼び掛けに応えてはくれなかった。

 

 

気付けばアタシは一人残され、前を見る視線は行く(あて)のない潮風(しおかぜ)を見ていた。

 

……クソッたれ。

彼は太陽で満たされたブラキアの生まれで、アタシはコンクリートに抱かれたアルディアで生まれた。

この差は思った以上に大きかった。

 

彼は人間の(みにく)さを直視(ちょくし)しない。信じていないのかもしれない。まるで幽霊(おばけ)みたいな(あつか)いをする。

認めなくても生きていける「力」と土地に(めぐ)まれたから。

だから、アタシの言葉が分かんないんだ。

 

……クソッたれ。

それとも、アタシって人間が誰かを護ろうなんて考えることがそもそも、何か、間違えてるって言うのかい?

だったら…、だとしたらアタシは何のために……

 

別に落ち込んでなんかない。

だけど、アタシの足は()らず()らずカジキ亭とは逆の方向に歩き始めていた。

 

 

 

――――数分後

 

……なんだか(みょう)だ。

 

彼にくっ付いてたはずの気配(けはい)がいつの間にかアタシに付いてる。それに、数も増えてる。

…五つ。

後ろに三つ。前に一つ。上に一つ。

 

アタシの素性(すじょう)に気付いた?それとも密航(みっこう)した船からの追手(おって)

可能性が高いのは前者だけど…。でも、だから何なの?

今さらアタシみたいな「小物」を(つか)まえて何の(とく)があるの?

確かに、アタシはアークと接触(せっしょく)したし、施設(しせつ)や組織内部の情報を持ってるけど。

だけど、今、このタイミングは何か不自然な気がする。

 

それとも、「シャンテ」とはまったく関係ないところで(ねら)われてる?

彼と関わったから。

脱走するように(そそのか)したから。

もしくは、彼を(あやつ)(えさ)の一つとして。

…だとしたら、むしろ好都合(こうつごう)なんじゃないか?

もしもまた、あの黒いドラゴンを殺した時の『力』が出せたなら、二人の被害(ひがい)を最小限に(おさ)えられるかもしれない。

ダメだったとしてもどの道、この状況で連中の「目」から逃げる(すべ)なんてアタシにはない。

 

――――十数分後

 

ダメもとで人目のある所でいくらか(ねば)ってみたけれど、当然、連中は接触してこない。

3手に分かれてるから陽動(ようどう)()かない。

アタシは大人しく表通りから外れ、人気(ひとけ)のない所を目指した。

すると、アタシの呼び掛けに応えるように連中はあっさりと私の前に現れた。

 

「……それで、アンタらはアタシに何の用なんだい?」

アタシの意図を(さっ)したらしい監視は、いつの間にか仲間を呼び寄せていた。

「我々の存在に、いつから気付いていた。」

現れたのは16人。少し離れたところに4~5人。どうあってもアタシを逃がしたくないらしい。

「闘技場を出てからさ。」

「フッ、さすがだな。(うわさ)(どお)目敏(めざと)い女だ。」

多分、彼を脅してるヤツらで間違いない。

「アンタらの息が臭すぎるんだよ。歯はちゃんと(みが)いてんのかい?」

アタシの啖呵(たんか)を男たちは鼻で笑い、先頭の男は気にする素振(そぶ)りも見せずに胸に手を当てて(うやうや)しい挨拶(あいさつ)をしてきた。

 

(あらた)めて、初めましてだ。シャンテ・ドゥ・ウ・オム。アルディアからこんな辺鄙(へんぴ)な島まで、遠路(えんろ)遥々(はるばる)ようこそ。」

……アタシの名前を知ってる。だけど、アルディアにいた奴らじゃない。

「来たくて来たんじゃないさ。」

少なくとも、アタシはコイツらを知らない。

「ほう、ならばなぜここにいる?」

「バカだね。アンタらに話す義理(ぎり)があると思ってんのかい?」

今さらどう取り入ったって見逃してくれるわけがない。

……それに、連中の様子を見る限り、彼を操るために利用するという風でもない。

そうなると、アタシに接触してくる理由がやっぱり分からなかった。次に出てくる男の名前を聞くまでは。

 

「なるほど、グルナデと組んでいただけある。なかなかに手厳(てきび)しい。」

男は満足そうに笑っていた。

「……アイツは、この島に来てんのかい?」

「おや、さすがにパートナーだっただけはある。彼に関心(かんしん)があるのか?それとも、彼に特別な(うら)みでも?」

「アタシが聞いてんだ。答えな。」

「おっと、すまない。我々の間に”話す義理”というものはないのだったな。」

「だったら()せな。目障(めざわ)りなんだよ。」

タイムリミットを()げているのか。

後ろから付けていた3人が姿を現し、完全に退路(たいろ)を断ってきた。

「確かに、義理はない。だが少々、興味(きょうみ)があってね。」

「アタシにはない。話しは終わりだ。分かったらサッサとそこを退()きな!」

「おやおや、もっと頭の切れる女だと聞いているんだがな。それとも我々を()めるために演じているのかね?だとしたらなるほど、大したものだ。」

だけど、それ以上奴らから近付いてくる気配はない。

何がしたいんだ。…アタシを試してんのか?ここで『力』は使うべきじゃないのか?

 

奴らの気配に(おび)えて逃げたのか。(まわ)りには猫の一匹もいない。

あるのは半壊(はんかい)した荷車(にぐるま)とパラソル、植木鉢(うえきばち)……、やっぱり自立(じりつ)して動いてくれる何かがないと連中の目を引きつけるのは難しそうだ。

…ここは逃げる素振りだけ見せておいて大人しく捕まっておくべきだろうか。

「そうそう。君に声を掛けた理由はもう一つあってね。」

アタシに逃げる意思がないと分かったのか。男はゆったりとアタシに歩み寄ってきた。

 

「!?」

気付かない間に魔法で体の自由が(うば)われていた。

術自体は大したことない。その気になれば()けないことはない。…だけど、今じゃない。

男はアタシの(ひたい)に人差し指を突き付けると、呪文を完成させるかのように(わか)れの挨拶を告げた。

「……腹いせさ。」

アタシの視界は(まばた)きする()もなく深い闇色に()まっていく。

 

深い深い闇の底へ、落ちていく。




※サー(sir)
英語で自分よりも社会的階級が上の「男性」に使います。(おおざっぱな説明ですが)

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