聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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浮彫りの影 その十

――――自分の能力は把握(はあく)している。

自分には何ができて何ができないか。それが「殺す」側に立つ人間の鉄則(てっそく)だからだ。

そして、俺は他人(ひと)よりも多くのことができる。

周囲(しゅうい)の変化に敏感(びんかん)な五感と、あらゆる状況で体勢(たいせい)を変えることのできる瞬発的(しゅんぱつてき)筋力と柔軟性(じゅうなんせい)は自分でも異常だと思える。

自分の頭ですら追い付かず、理解できないできないこともある。

だが、できるのだ。

 

……それでも俺は正真正銘(しょうしんしょうめい)の人間だ。

赤い血を流し、人間(ひと)と同じものを食べて生きている。

魔法を(かい)さずに炎を(あやつ)ることもなければ、他人の心を()()えることもできない。

…だが、この力はどこから来るのだろうか。頭を(なや)ませる日もある。

――――影

答えの出せない俺は化け物染みた「力」をそう呼ぶことにした。

 

今もまた、自分自身の手で「影」を(えが)こうとしている。

 

俺がその力を発揮(はっき)する時は常に一瞬だ。

「人を殺すこと」だけを考えて、体は動き出す。

 

足が地を()ったかと思えば要塞(ようさい)のように感じていた(あか)(きり)を苦もなく()()け、その(いきお)いのまま法師を押し倒し、首を鷲掴(わしづか)みにする。

首を掴んだ腕に少し力を(くわ)えれば男は失神(しっしん)し、今まさに俺を殺すために(おそ)()かってきた霧は()っていく。

 

描き終わるのに一秒と掛からない。

気絶した法師が意識を取り戻すのに待った時間の100分の1以下の時間。

俺は、この男が目を覚ますまで男の胸にナイフを突き付けながら、あの男の下で動いていた自分と、エルクを護ろうとしている自分の違いを存分(ぞんぶん)に思い(ふけ)ることができた。

 

目を覚ました法師は口から血を()きながら()らすことのできない俺の視線に(さら)され、(のが)れられない敗北(はいぼく)を受け入れていた。

「……暗殺、というほど…上品な殺し方…をしない、のだな。」

おそらく法師の目では俺の動きを(とら)えることすらできなかっただろう。(あらが)えない力に蹂躙(じゅうりん)される感覚を人間の感情で忠実(ちゅうじつ)に再現することはできない。

コイツは今、平静(へいせい)(よそお)いながら混乱(こんらん)しているのだ。

知識にない「化け物」が目の前にいるという事実を受け入れられずに。

 

「……キサマ、本当に人間か…?」

そんな奴らが時間をかけて現実と向き合った時に出る文句(もんく)はいつだって決まっていた。

もはや聞き()きたセリフだ。

俺はあの頃から今まで、同じ人間を殺し続けているんじゃないかと(うたが)ってしまうくらいに。

今さらそれに対して言い返すつもりもなかった。だが、それは今の俺の機嫌(きげん)をひどく(そこ)ねた。

「この状況でキサマがそれを知ってどうなる。」

数センチ、刃先(はさき)(ねじ)じりながら男の胸にナイフを(しず)める。

「……ク、ククッ、ククク…、なるほど確かにその通りかもしれん。だが、私に次の機会(きかい)がないという保証(ほしょう)もないではないか。その時…、キサマのことを肌で感じたことのある私は、今よりも上手(うま)くキサマを()()めることができるだろう。」

男は食い込む牙に顔を(ゆが)ませたかと思えば、不敵(ふてき)な笑みを浮かべ、さらに理性を()いたセリフを並べ始めた。

正気(しょうき)(うしな)いかけているのかもしれない。

俺は残った牙を全て男の胸の中に沈めた。即死させるつもりで。一気に。

「グゥッ!!」

成果(せいか)はあった。痛みで我に返った男の目は()()ぐに俺の目へと向けられ、その顔からは不快(ふかい)な笑みが消えた。

 

「…どこで俺の情報を手に入れた。」

急所は(はず)している。男の苦悶(くもん)の表情は演技(えんぎ)ではないが、1、2分なら会話を()わすことができるだろう。

俺は苛立(いらだ)ちを(おさ)え、聞くべきことを聞いた。

「…ハァ、ハァ……、何の話だ。」

「……お前に残された命はもって2分。お前がこの戦場に立っていられるのも2分。……このままくたばるか?選べ。」

ナイフに込めた力を少し(ゆる)めれば、そこから男の血が(あふ)()す。

それこそが男に植え付けられた悪魔の正体であるかのように。男が浮かべた笑みのように、不快な色を浮かべて俺を見遣(みや)る。

「………フ…、フ、フハハハ。…なるほど、『力』と()()えに”ヒトの身体(からだ)”を捨ててはみたものの、同じ状況に追い込まれれば心だけは(いや)しくもヒトに戻ってしまうものなのだな。…それが(ぬぐ)いきれぬ”ヒトの(さが)”ということか。…(いな)、これこそがヒトの本性(ほんしょう)なのかもしれんな。」

……この男、志願者(しがんしゃ)だったのか。

 

(のぞ)んで改造を受け、望んで人間の社会から足を()み外した元人間。

キメラ化計画に希望を(いだ)いた元、人間。

悪魔たちを根絶(こんぜつ)するために今も世界を立ち回るアークとは対極(たいきょく)の存在。

 

「不正解だ。」

「グウゥッ!」

おそらくそれは「殉教者(じゅんきょうしゃ)計画」とやらに(つな)がっているのだろう。

だが、今、聞きたいのはそんなことじゃない。俺はまた少し、()したナイフを捻じる。

 

その時、男に答えを求める一方で、俺はこの男に妙な親近感(しんきんかん)(おぼ)えていた。

ヒトを捨て、悪魔に使われてまで『力』を求める人間(ひと)の姿。

それは、あの頃の自分の姿とひどく似ているように思えた。

これが、「戦場に流れる血」に潜む共通の悪魔の姿なのかもしれない。

もしかすると自覚(じかく)がないだけで、俺もまた、この男と同じような顔をしているんじゃないのか?

この胸を刺せば、紫色の血がナイフを()らすんじゃないのか?

 

「だが…、残念だったな。(たと)え卑しいヒトの心に()()られようと、私は望んでこの道を選んだ。そこには選んだものにしかわかり()ない喜びがある。得も言われぬ快感がある。私はそれに(したが)って死んでいく。それが私の戦争(じんせい)。…ククク、キサマはこれ以上に素晴(すば)らしいものを私に教えてくれるのか?だとすればキサマは彼ら以上のあく―――、ガハッ!?」

 

……殺すつもりはなかった。

生かして(にせ)の情報を流させ、敵内部を混乱させるつもりだった。「()()()()第二の”天敵(アーク)”として動いている」とでも(うそぶ)けば敵の中枢(ちゅうすう)に少しでも付け入る(すき)をつくることができるかもしれないと考えた。

だが、俺は不運にも人選(じんせん)(あやま)ってしまったらしい。

 

どうやら混乱してしまったのは俺の方なのだ。

 

俺はあの男とは違う。

俺は『影』であることに喜びを感じたことはない。

 

……だが、安息(あんそく)ならあったかもしれない。

自分に敵対する人間を一人、また一人消していくことで「自分の世界」を護るという使命(しめい)()たしていたのかもしれない。

 

どうあれ、この男は「昔の俺」をチラつかせた。

すると、あの子と向き合うことで目を(そむ)けてきた「(せかい)」がまた、俺の視界をほんの少し黒く()める。

そこでは俺以外の全ての人間がヒトの形をした化け物で、殺されるべき(がいちゅう)なのだ。

目に(うつ)る表情も、耳に(とど)く声も俺には目障(めざわ)りで、耳障(みみざわ)りな――――。

俺はまたしばらくの間、ここで『影』との(にら)()いをするはめになる。

俺は(にく)しみを込めて男を見下ろすが、男は間違いなく絶命(ぜつめい)していた。笑いながら。

……俺は、この男に望み通りの死を与えてしまったのだ。

あの子に手を出そうとした後悔(こうかい)を与えることもできずに。

 

俺は脱力(だつりょく)した体を持ち上げ、また、走り始める。

 

 

法師から情報は引き出せなかったものの、俺は心のどこかでスメリアの「何でも屋」を疑っていた。

最後にアイツと()わした会話(さけ)はいかにも人間味に溢れ、俺たちの距離は(ちぢ)まったかのように感じられたが―――法師の意を()むつもりではないが―――、人間であるからこそ、それこそが奴の喜びだったのかもしれない。

それら全てを楽しんでいたのかもしれない。

俺たちを死地へと送る手はずを(ととの)え、一方では俺たちとの(わず)かな親睦(しんぼく)を深める()()りをする。

矛盾(むじゅん)するような行為(こうい)の中に身を置くことで、奴は快感を得ていたのかもしれない。

何も「法師」が例外な訳ではない。所詮(しょせん)、人間も他の生き物から見れば十分な化け物なのだ。

どんなことに人生を(つい)やしていたとしても不思議じゃない。

 

……だが、そもそもペペを紹介(しょうかい)したのはチョピンだ。

もしもこの作戦で俺たちがロマリア側に(つか)まるようなことになれば、まず間違いなく俺たちはキメラの実験材料になだろう。

ロマリアと敵対関係にあるアーク一味の一人がわざわざ敵に塩を(おく)るような真似(まね)をするのか?

……それともこれは老夫(ろうふ)の手で一攫千金(いっかくせんきん)をふいにされたぺぺの(ささ)やかな意趣(いしゅ)(がえ)しなのか?

もしくは、あのチョピンという男。アーク一味の中に潜伏(せんぷく)するスパイという可能性は?

そこまで疑い始めると「国際的犯罪者」、「ロマリアの敵対勢力」を(うた)う「アーク一味」という看板(かんばん)すら世間(せけん)の目を(あざむ)くための()りぼてのようにも思えてくる。

 

……やめよう。

今、手元(てもと)にある少ない情報だけで考えても無駄に混乱するだけだ。

ペペ、アーク、チョピン、ゴーゲン……、奴らのことは警戒(けいかい)しておくべきだろうが、今は()()えず信用するしかない。

 

敵陣の中、閑散(かんさん)とした通路を直走(ひたはし)る俺に()りかかる「妄想(もうそう)」と「不安」は、(はら)っても払いきれない大きな()()は、平静を装うとする俺の胸をジリジリと()がし続けた。

 

 

 

……静かだ。(あらそ)った形跡(けいせき)はない。

引き返してきた貨物室(かもつしつ)の様子は、俺がチーズを求めて箱から飛び出した時のままだ。

 

彼女はまだ見つかってないのか?

それにどういう訳か。法師が倒されてもついぞ姿を見せず俺を監視(かんし)し続けていた「視線」が忽然(こつぜん)と姿を消した。

…そこにどんな意図(いと)がある。

俺に新たな疑惑(ぎわく)を植え付けるつもりか?それとも(たん)に監視する必要がなくなったのか?

振り返り、敵の気配(けはい)(わな)有無(うむ)入念(にゅうねん)(さぐ)る。

……だが、そんなものはない。法師らを倒して以降(いこう)、「視線」以外の敵意はなかった。脅威(きょうい)になるほどの罠もない。

俺たちは今、ほぼ敵から放棄(ほうき)されていると言ってもいい。

…なぜだ?

 

 

「……いやに早いね。…もしかして、ヤッちまったんじゃないだろうね?」

合図(あいず)を送ると、別れた時と同じ姿の彼女が箱から顔を(のぞ)かせた。

「ああ。ここまで2人殺した。それに、ついさっきまで“監視”が付いていた。」

「……まったく、何のためにアタシが外れてやったと思ってんだ。しょうもないミスしやがって。」

だが、その「視線」は今、消えている。こんなにも無防備(むぼうび)な彼女を残して……。

「必要な情報はおおかた手に入れた。予定外だが、ここからは自力でロマリアに向かうしかない。」

俺は彼女に、格納庫(かくのうこ)から戦闘機を(うば)(むね)を伝えるとグルリと巻いていたマントを()()て、スクリと立ち上がる。

「いけそうか?」

固まった手足を(ほぐ)し、全身をグルリと見回すと彼女は笑いながら答えた。

「ああ、問題ないよ。いい加減(かげん)、ここの臭いと寒さにはウンザリしてたんだ。」

その()みはまるで、何も知らない彼女の方が奴らの手の内をよくよく理解しているようにも見えた。

 

……今さら彼女が俺を裏切るなどということは万が一にもありえない。

彼女は今でも心の奥底では俺たちを憎んでいる。不幸になれば良いとさえ思っているかもしれない。

だが、それでも彼女が今…、たった今、俺を裏切る可能性はゼロに等しい。

理由も根拠(こんきょ)もないが、俺はそう信じていた。

 

 

二人で貨物室を抜け出した後も、「視線」は姿を見せず俺たちを野放(のばな)しにし続けた。

だが、そのお(かげ)で俺たちは敵や罠に捕まることもなく、すんなりと目的地にたどり着けた。

 

中からは複数の気配が感じて取れた。

「先に中の連中を始末(しまつ)する。」

シャンテを通路の隙間(すきま)に隠し、俺は一人、通風孔(つうふうこう)から中に侵入(しんにゅう)する。

気配から(さっ)するに人間だ。……今はまだ。

「!?」

ダクトから中に侵入し、油断(ゆだん)している警備員を背後から一人ひとり始末していく。

計8人。全員が純粋(じゅんすい)な人間だった。

そして、彼らの様子からは「侵入者」の存在すら知らされていないような印象(いんしょう)を受けた。

 

庫内(こない)殲滅(せんめつ)を確認し、内側から扉を開けると、すでに彼女は扉の前で待っていた。

「さすがに人間相手だと仕事の手際(てぎわ)段違(だんちが)いだね。」

俺はその皮肉(ひにく)からほんの少し、「殺してやる」と(わめ)()らしていた頃の彼女の臭いを感じ取る。

様々(さまざま)な手段で殺した数人の遺体(いたい)が目の前に横たわっているが、それについて()れることはなく、彼女は奥へ奥へと進んでいく。

 

「それで?どいつを拝借(はいしゃく)するんだい?」

どれとは言うが、格納庫に置かれた機体は一種類しかない。

射出機(カタパルト)に一番近いものをもらう。」

俺はロマリア兵から銃を()りつつ指差し、簡潔(かんけつ)に答えた。

「……皆殺しにしちまったみたいだけど、アンタ動かせるんだろうね?」

「問題ない。」

ロマリア製の機械の取り扱いは一通り把握している。

「俺はいつでも飛べるようにしておく。シャンテは他の機体にこれを仕掛けておいてくれ。」

そう言って手持ちの爆薬を全て彼女に渡した。

「…これっぽっちで残り全部を(こわ)そうってのかい?」

「完全に破壊する必要はない。使い物にならなくなればそれで十分だ。」

それだけ言うと彼女はザッと庫内を見渡(みわた)し、設置(せっち)箇所(かしょ)見繕(みつくろ)うと、早速(さっそく)作業に取り掛かり始めた。

俺は(うば)う機体をカタパルトまで動かし、シャトルに前輪を固定する。

 

「そこまでだっ!!」

作業を始めて数分後、化け物ではなく銃を装備(そうび)した人間の兵士たちが部屋になだれ込んできた。

「!?」

だが、あらかじめ気配を感じ取っていた俺は庫内に煙幕(えんまく)()(めぐ)らせ、敵の突入と同時に入り口に向かって威嚇(いかく)射撃(しゃげき)をする。

それらを無視し、自分の仕事を()ませたらしいシャンテは物陰(ものかげ)(つた)って俺の所まで戻ってきた。

「この次はどうすんだい、専門家さん?」

「機体の準備は終わっている。あとはハッチを開けるだけだ。」

仕掛けてもらった爆薬のスイッチを入れ、敵の混乱を継続(けいぞく)させる。彼女には先に搭乗(とうじょう)してもらい、俺は一気にハッチの開閉(かいへい)レバーまで()()す。

 

「お、おのれ!」

ようやくリーダーらしき男が理性を取り戻した時にはすでに、俺はレバーを動かし、機体に飛び乗っていた。

 

……おかしい。

法師の言動(げんどう)から、敵は俺たちの素性(すじょう)を特定しているはずだ。

ならば、人間の兵士じゃ役不足だということくらい初めから分かっているだろうに。なぜ同じ数の化け物を用意しない。なぜ兵士に俺たちの情報を伝えない。

……俺たちをわざと逃がそうとしているのか?

なぜだ?

 

俺はまだ敵内部の事情を把握していない。

勝手に、悪魔たちは一致(いっち)団結(だんけつ)して世界を牛耳(ぎゅうじ)ろうとしているものだと思っていた。

だがもしかすると、そうではないのかもしれない。

 

ここにいる兵がどの悪魔のものなのかまでは分からないが、コイツらのボスは「俺たち」という火種(ひだね)をロマリアに(まね)()れようとしているんじゃないか?

おそらくは、「ガルアーノ」という主力の一角(いっかく)(くず)させるために。

悪魔たちの中で静かに()(ひろ)げられる勢力争いを(せい)するために。

 

俺が把握している中で、ロマリアを(あやつ)主犯格(あくま)はガルアーノを(ふく)めて4人しかいない。

スメリアの最高権力を(にぎ)るアンデル・ヴィト・スキア。

(おおやけ)に姿を見せないガイデル王に()わるロマリアの顔、ザルバド・グルニカ・トンガスタ。

そして、彼らを()べるロマリア王、ガイデル・キリア・ク・ロマーリア8世。

その内のどれかが……。

いいや、ガルアーノやアンデルがロマリアの外で動いている以上、世界中の権力者を疑うべきだ。

 

……ならば、ミルマーナ国の元帥(げんすい)がその筆頭(ひっとう)に立つだろう。

もともとは温厚(おんこう)農耕民(のうこうみん)で知られていた彼らが今では近隣(きんりん)諸国(しょこく)への侵攻(しんこう)虐殺(ぎゃくさつ)を繰り返し、軍事面への強化に余念(よねん)がない。

その中心にいるのがヤグン・デル・カ・トルという男。

国家元首(げんしゅ)退(しりぞ)け、ミルマーナの実権を握る男がロマリア出身であるというのなら、それはもはや悪魔連中の一匹として断定(だんてい)してしまってもいいだろう。

()しくも、ロマリアに在籍(ざいせき)していると言われる将軍も4人だ。

ガルアーノ、アンデル、ザルバド、ヤグン……。

もちろん他にもいる可能性はおおいにある。そう思えるほどに、世界は悪魔たちの臭いで蔓延(まんえん)している。

だが、おおよそこの4人がこの境界(きょうかい)のない戦争の首謀者(しゅぼうしゃ)に違いない。

 

「!?」

操縦桿(そうじゅうかん)を握り敵の背景を推察(すいさつ)していた刹那(せつな)、予想だにしない事が起こった。

離陸までもう10秒と掛からない。外との気圧差で艦内(かんない)は風が()(くる)い、敵の足元を(すく)っている。

脱出はもはや確実と踏み、俺は油断してしまったんだ。

ソイツは的確(てきかく)にそこを突いてきた。

「シャンテ!!」

「あ、ああ……」

あの時、俺を襲わず姿を消した「視線」たちが突如(とつじょ)、格納庫の天井裏から姿を現し、コックピットに張り付くと、(するど)(つめ)を突き立ててきた。

爪はコックピットの窓を()(やぶ)り、シャンテの左半身を(えぐ)る。

 

武装(ぶそう)した人間はヤツらの気配を消すための(おとり)だったんだ。

俺の警戒心を(にぶ)らせ、彼女の耳を誤魔化(ごまか)すための。

 

「チィッ!」

即座(そくざ)応戦(おうせん)しようとする俺の体を、シートベルトが邪魔をする。

致死(ちし)レベルの一撃を受けた彼女はすでに失神(しっしん)していた。さらに、彼女のベルトまでも切断されてしまう。

自分のベルトを()千切(ちぎ)り、一匹を撃退(げきたい)するが、今度は風が「視線」の味方をし、俺たちをコックピットから()()がしにかかる。

(くわ)えて、次の瞬間にはシャトルが時速200km以上の速度で機体を押し出してしまう。もう止まらない。

……無理だ。

両足で操縦桿を握り、片手で自分を、片手で彼女を押さえる。

無理だ。

もう止まらない。

 

 

……こんなところで死んでしまっていいのか?

 

 

一瞬(いっしゅん)の迷いを、風が笑った。

小指の欠けた左手から、彼女が奪われていく。

「シャンテーーーーっ!!」

失神した彼女は一瞬にして遠ざかり、人形のように真っ青な虚空(こくう)の中へと吸い込まれていった。

俺はただただ(さけ)び、左手を()ばすことしかできなかった。




※嘯く(うそぶく)
感情に動かされず、平然として言うこと。
平気で嘘をつくこと。

※射出機(カタパルト)
航空機を、停止した状態から一気に離陸させるための装置。

機体の前輪を「シャトル」と呼ばれる部品に固定し、蒸気圧でもってこれを離陸スピードで押し出します。
シャトルは機体の前輪を放し、機体は自分の翼でもって飛び立ちます。

※離陸スピード
機体が地面を離れ、自力で飛ぶのに必要な速度のこと。
機体の大きさや形によって違いはありますが、おおよそ時速250㎞以上は必要みたいです。

※元帥(げんすい)
軍人における階級の最上位。一番偉い人。
(とは言いますが、その上には大元帥という地位があるのです(笑))

※筆頭(ひっとう)
ある範囲の中において最も有力と思われるもの。その中の一番。

※国家元首(こっかげんしゅ)
一般的には国のリーダー、王様的な存在。君主、または大元帥とも言い換えられます。
でも、最近では外交をする機関を指して使われることもあるそうです。

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