聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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浮彫りの影 その九

「生きてるか?」

「…それをアタシに聞くのかい?」

生魚は(とどこお)りなく目的の船に積み込まれた。

現場にペペは(あらわ)れなかったが、(やと)った運び屋は検閲官(けんえつかん)()三言(さんこと)、言葉を()わすと特に(うたが)われることもなく船の中へと通された。

「世界最強の国って言ったって末端(まったん)はどこの国とも大差(たいさ)ないね。」

「国を最強()らしめるのはシステムだ。人間じゃない。」

離陸後、エンジン音が安定し始めた頃を見計(みはか)らい、生魚2()は箱の底板(そこいた)(はず)して冷蔵の(おり)から抜け出す。

「その検閲(システム)だって結局(けっきょく)、役に立ってないじゃないか。」

「……」

それは俺も薄々感じていた。

取引相手がいかに信用できるとはいえ、あの対応(たいおう)はいくらなんでも()()()()()()()()。何か、あの場で(さら)すべきではない隠し事でもあるかのように思えた。

「まあ、巣穴(すあな)を叩いていればいずれネズミは出るさな。その時のアタシらがチーズでなければいい。それだけの話だろ?」

「……ああ。」

 

彼女と行動を(とも)にし始めてから、彼女の(さと)されることが多くなった。

冷静さを()いているのだ。

俺がまた少し、()(とう)な「人間」に近付いているから……なのかもしれない。

それは「砂漠の少年」を育てる身としては喜ばしいことなのかもしれない。

だが、今、この状況に限って言うならその変化は邪魔なものようにも思えた。

 

(ぬく)もり」は『(おれ)』を弱くする。

今、俺が必要としているのは「温もり」を護るための『影』。

かつて、あの男の下で生きていた頃の俺…だ。

 

……俺は無様(ぶざま)な人間だ。

 

あの子の幸せを願って俺はあの町で「家族ごっこ」を始めた。

だが、あの子の手を握る「親」である俺にあの子を護る力はない。

「ごっこ」から()られるものに喜びを感じながら、一方では捨てなければならない『(かこ)』にいつまでもしがみ付いている。

手放(てばな)して生きることができない。

これを無様と言わずしてなんと言えばいい?

 

……彼女は、現実に「家族(おとうと)」を(うしな)ったにも(かか)わらず、自分を見失ってはいない。

常に「シャンテ」であり、「シャンテ」のまま復讐(ふくしゅう)()げようとしている。

 

俺は、彼女以下なのだろうか。

それとも、俺もまた、復讐でしか生きる意味を見いだせない人間になるのだろうか。

 

ふと気付けば彼女が俺の表情を読んでいた。

その目はやはり、あくまでも「シャンテ」であり続けた。それでも、いいや、だからこそ彼女の生来(せいらい)の気質が未来を見ることに慣れていない俺の心根(こころね)を叩くのだ。

「しっかりしな。アタシみたいにゃなりたくないだろ?」

「……」

もしも俺に()(とう)な感情があるのなら、俺は彼女を真剣に愛すべきなのだ。

それは、俺の中の(いま)だ整理のつかない不安定な「俺」が感じた何かだった。

あの酒場で聞いた彼女の歌の正体なのだ。

 

 

「……」

ぺぺの情報は正しかった。

軍費(ぐんび)削減(さくげん)のためか。積み込まれた貨物室(かもつしつ)には諸々(もろもろ)設備(せつび)(ととの)えられていなかった。気圧が低く、箱の外に出ても耳鳴りと肌寒(はだざむ)さ、若干(じゃっかん)眩暈(めまい)(おさ)まらない。

長時間作業するには劣悪(れつあく)な環境で、作業員はもとより、警備員(けいびいん)も一人として配置(はいち)されていない。部屋の要所々々(ようしょようしょ)にカメラが数台設置されているだけだ。

「ホント、(ざる)だね。これじゃあ、無賃(むちん)乗車(じょうしゃ)御礼(おんれい)じゃないか。」

「俺たち」という例外を(のぞ)いたとしても、確かに密航(みっこう)に対する警戒心(けいかいしん)がなさ()ぎるように思えた。

…いいや。むしろ、奴らはそれを歓迎(かんげい)しているのかもしれない。

「女神像」のような洗脳(せんのう)装置(そうち)さえ完成すれば、どんな人間であれ労働者もしくは実験体に変わる。

奴らにとって多すぎて(こま)るということはない。

 

 

戦艦(せんかん)って乗り物にゃ初めて乗ったけどさ、大層(たいそう)な名前の(わり)案外(あんがい)(もろ)そうじゃないか。」

旅客機(りょかっき)とは違い、戦艦は火薬を積む。敵よりも高い機動性が求められる。

必然的(ひつぜんてき)に「戦闘」という宿命(しゅくめい)背負(せお)った船は内部構造(こうぞう)複雑(ふくざつ)になり、内側からのダメージに脆くなってしまう欠点があった。

つまり、一定(いってい)レベルの工作員が忍び込めたなら世界最強の国の船と言えど簡単に落とすことができてしまう。

……だが、それもロマリアに限って言えば例外と言うべきなのかもしれない。

このあからさまに虚弱(きょじゃく)な警備体制で戦々恐々(せんせんきょうきょう)とした今の時代に(さら)されていながらそういったニュースを今までに耳にしたことのない矛盾(むじゅん)

それがこの船の不穏(ふおん)な力強さを物語(ものがた)っているように思えた。

目に見えない機械的、人為的(じんいてき)(わな)がどこかにある。

 

侵入者の目にはバネも針も(うつ)らない。ただただチーズの濃厚(のうこう)(かお)りに引き寄せられ、奥へ奥へと(もぐ)()み、(とら)えられて初めて自分がネズミだったことに気付く。

そう思わせる(ほど)に、エンジン音を取り除いた船内は静けさに満たされていた。

 

 

「それで、何処(どこ)から調べるんだい?」

箱から出た彼女は肌を(さす)りながら不機嫌(ふきげん)そうに言う。

士官室(しかんしつ)だ。」

密航を第一に考えるならヘタに動き回るのは間抜(まぬ)けのすることだ。だが、今の俺たちは言うなれば敵の(ふところ)にいる。

ここで得られる情報はどんな情報屋のそれよりも正確で詳細(しょうさい)なはずだ。「今」という状況を危険に晒す価値は十分にある。

それは情報屋として活動していた彼女も(みと)めている。

ロマリア到着(とうちゃく)までおおよそ10時間。無論(むろん)、丸々その時間を(つい)やして調べるつもりはない。

最低限必要なものを手に入れたらどこか身を隠せる場所で着陸直前まで待機(たいき)する。

いくら断熱性の高い素材に包まれていると言っても、冷蔵の箱に長時間潜伏(せんぷく)する荒技(あらわざ)は彼女の『力』があって初めて可能なやり方なのだ。

 

「遅くても着陸の1時間前には戻る。」

彼女は同行(どうこう)しない。ペペの用意した艦内(かんない)の図面は俺も彼女も記憶していたが、彼女には艦内を歩いた経験がない。

ここが教習所でない事実を考えればこれは当然の方針だった。

「遅かろうが早かろうが、デタラメなもん持って帰ってきたら承知(しょうち)しないよ。」

「…ああ、分かっている。」

防寒用のマントに(くる)まりながら箱の中に戻ろうとする彼女は、さながらサナギに戻ろうとする(ちょう)のようにも見えた。

彼女は(こお)った皮の中へと(もぐ)り、俺は得体(えたい)の知れない臭いに(みちび)かれて船の奥へと()けだした。

 

 

――――艦内は不自然なほどに静まり返っていた。

スメリア空港での離陸時間は22時。ならばなるほど、操舵士(そうだし)とオペレーター以外は消灯(しょうとう)時間に入っているのかもしれない。

だが、それにしても人の気配(けはい)が少なすぎるのだ。

シャンテの『制限』がないからこそ聞き取れる船員たちの寝息は、箱を飛び出した(ネズミ)を笑っているかのようにも聞こえた。

それを誇張(こちょう)するように、静けさというキナ臭さが所構(ところかま)わず(ただよ)っている。

世界最強であるが(ゆえ)の、化け物の船であるが故の余裕(よゆう)がこの船からは(にじ)み出ていた。

 

(いく)つもの化け物たちの寝床(ねどこ)を横切り、俺はまっすぐに士官室を目指した。

そうして辿(たど)り着いた士官室にもまた、人の気配はない。

(かぎ)こそ()かってはいるものの、それほど複雑な仕掛けでもない。俺は10秒とかからずに開錠(かいじょう)する。

中を(のぞ)き見るが……、やはり無人。トラップの(たぐい)も見当たらない。……俺の勘繰(かんぐ)り過ぎか?

いいや、そうは思えない。

船内を満たす()(もの)(しゅう)がコソコソと動き回る獲物(えもの)居所(いどころ)()(まわ)っていた。

 

カメラを警戒しながら書類棚(キャビネット)の鍵を開け、物色(ぶっしょく)する。

中にあったものはこの船、戦艦”ボロディノ”に(かか)わる諸々(もろもろ)の情報。”殉教者(じゅんきょうしゃ)計画”、”人類キメラ化計画”と名付けられた作戦概要(がいよう)。その障害(しょうがい)因子(いんし)である”アーク一味”に関する情報。そして、世界各地にあるロマリア(りょう)近況(きんきょう)

ロマリア本国、ガルアーノが(ひそ)んでいるであろうロマリア城内部見取り図こそなかったものの、まさに今の俺たちに必要な物がそこにあった。

俺はすぐにそれらの内容を暗記しにかかる。すると――――

 

……ようやく動き始めたか。

おおよそ50m先からナメクジのようにゆっくりと近付いてくる敵意ある「気配」が数個現れた。

 

だが、どのタイミングで見つかった?

赤外線(とう)の配置系は全て()(くぐ)ってきた。不得手(ふえて)ではあるが、魔法系のトラップも見逃(みのが)してはいないはずだ。

船の空気を嗅いだ時から見つかることはある程度(ていど)予測していた。そう錯覚(さっかく)させるだけの手の込んだ仕掛けがしてあるのだと。

だが、罠に掛かっていることを自覚できないほど俺もバカではない。

…ならば、初めからバレていたのか?

 

疑念(ぎねん)()きなかったが、それに(とら)われている場合でもない。

書類の要点を記憶した俺はすぐに士官室を後にし、作戦の方向性を見直しにかかった。

……戻るべきか?

「視線」は今も俺を見てはいるが、(おそ)ってくる様子はない。

もう少し他を見て回るか?

だが、俺が見つかっている以上、彼女が見つかっている可能性も高い。

 

……チッ

 

俺はなぜ迷っている?

迷っている自分に腹立たしさを覚えた。

俺は(きびす)を返し、貨物室を目指した。

 

今の俺たちに逃げ場のない空の上で100人近い化け物を相手にする余裕(よゆう)も、敵を欺くだけの変装(へんそう)をする用意もない。

そんな状態で見つかったなら、やはり脱出を優先的に考えるべきだ。

戦艦の知識に(うと)く、戦闘員でもない彼女であれば尚更(なおさら)だ。

 

 

この船、戦艦”ボロディノ”は機内に計8機の小型戦闘機を(かか)えている。”ボロディノ”自身も世界最高クラスの重火器(じゅうかき)(そろ)えているが、万能(ばんのう)という訳じゃない。

機動性においてもトップクラスを誇るこの戦艦は、俊敏(しゅんびん)であるが(ゆえ)に前方に火力を集中せざる()えないという弱点を持っている。

つまり、戦闘機を(うば)った直後、”ボロディノ”が攻撃態勢(たいせい)に入る前に後方に回り、視界の外に逃げられれば最悪の事態(じたい)だけは(まぬが)れられるはずだ。

当然、俺たちが奪う以外の戦闘機は極力(きょくりょく)破壊しておかなければならない。

 

 

また、貨物室に戻る(さい)、頭に入れている図面を使って「視線」を振り切ろうとするが、どうにもそんな小細工(こざいく)の通じるレベルの敵ではないらしい。

付かず離れず追い続けてくる。

こちらから仕掛ければ応戦(おうせん)してくるか?……いいや、おそらくヤツらはただの「監視役(かんしやく)」。一定の距離を(たも)ち続けるだろう。

俺はしかたなく「視線」を無視して先を急いだ。

 

すると「視線」とは別の何かが、俺がそこを通ると知っていたかのように通路の中央に座り込み、待ち(かま)えていた。

仏像のように鎮座(ちんざ)する二つの影は俺の姿を見るや(おごそ)かに立ち上がり、底冷(そこび)えのするような低い声色で吐き捨てる。

「来たな、ドブネズミめ。」

「……」

一見、牧師(ぼくし)(くず)れの浮浪者(ふろうしゃ)のような―――東洋(とうよう)でいう”法師(ほうし)”の(なり)をした―――男が吐いたセリフは俺にヒントを与えた。

()()()」それはやはり、初めから俺たちの密航を知っている人間のセリフだ。

「監視役」が付いている今はそのセリフも不自然ではなかもしれないが、男の口振りはそれ以前から知っているという風だ。

そして、この瞬間を皮切(かわき)りに「監視役」の(うち)数匹が拮抗(きっこう)状態を(やぶ)って急激(きゅうげき)に近付いてくる。

それが何を意味しているかすぐに理解できた。

だからこそ全てを迅速(じんそく)に済ませなければならない。

 

挟撃(きょうげき)回避(かいひ)するためにすぐさま前方の二人に飛び掛かる。

だが当然、前方の二人も俺の行動を読んでいた。

「させるものか!」

一人が東洋のロザリオ―――確か、数珠(じゅず)という名の法具(ほうぐ)の一種だったか―――を俺目掛けて振りかざすと、ソレは突如(とつじょ)巨大化し、通路の半分以上を()めながら大蛇(だいじゃ)のごとく(おそ)い掛かってくる。

「……」

もう一人は?

装置(そうち)隙間(すきま)を利用して(へび)突進(とっしん)(かわ)すが、もう一人が蛇の巨体に隠れてしまい、行動が(うかが)えない。

「甘いわっ!」

法師が(さけ)ぶと巨大化した蛇の一部が元の姿に戻り、執拗(しつよう)に追いかけてくる。

俺は速度を上げ、さらに複雑に逃げ回る。それでも蛇は俺を逃さない。

 

……そろそろいい頃合(ころあ)いか。

逃げ回るのを()め、蛇を(あやつ)る男へと突進する。

このまま男に向かって()(すす)めば、複雑に走る蛇の体は自身の体で(から)まることになる。古典的(こてんてき)な戦法だが、これで蛇の動きを(ふう)じることができたはずだ。

「……クックック。」

「!」

一瞬、蛇の合間(あいま)から(のぞ)いた男の(ゆが)む口元を見落としていたら俺はまんまとその罠に引っ掛かっていただろう。

 

男まで数メートルというところで、一本の糸で(つら)なっていると思い込んでいた数十の(たま)が男の合図とともに分解し、大小様々なそれらが一斉(いっせい)に俺目掛けて飛びかかってきた。

さながら求心型(きゅうしんがた)散弾銃(さんだんじゅう)といったところか。

だが、そのスピードは銃弾(じゅうだん)よりも(おと)る。そしてその動きは蛇の時とは違い、直線的だ。

だからこそ、躱し切れた。

 

「バカな!!」

普通の人間なら不可能だったろう。

だが、あの男から与えられた『影』の称号(しょうごう)は俺が人間であることを捨てたからこそ得られたものだ。

だからこそ向かってくる弾の数は瞬時に把握(はあく)できたし、その軌道(きどう)も読むことができた。

そうして(えが)かれた射線(しゃせん)の数ヵ所に死角があった。俺はただ、そこに一歩進み出たに過ぎない。

 

ワンステップで弾を躱した俺はツーステップで再度、男に飛び掛かる。

俺の異常な動きを()()たりにした男は愕然(がくぜん)とし、(すき)だらけの首筋を俺の(ナイフ)()()()()いた。

「!?」

だがさすがに、敵も昨日今日入隊した「新兵(しんぺい)」とは訳が違う。

一人目を()()せると同時に二人目を撃つつもりだったが、俺の動きに合わせたかのように敵もまたツーステップを()()していた。

斬り捨てた男の背後から現れたのは「異臭(いしゅう)」を(はな)つ紫色の(きり)。おそらく二人目の法師が操っているのだろうそれが、俺を()み込もうと四方(しほう)拡散(かくさん)した。

俺は一人目の体を足場に全力で「異臭」から逃れるが……。

 

(わず)かに吸ってしまった「異臭」が(はげ)しい吐き気と頭痛を引き起こし、俺の体勢(たいせい)(くず)した。

「……(うわさ)以上だな。プロディアスの暗殺者よ。」

紫色のソレは蛇に(なら)い、なおも俺を追い詰める。例の「視線」もすぐそこまで(せま)ってきている。そしてまだ動きを見せない「視線」もいる。

…どうやら持久戦(じきゅうせん)視野(しや)に入れているらしい。

 

()ぐに薬を打ち、どうにか吐き気と激痛をごまかした。そして二人目を狙い撃つ。

それでも俺の弾が男を(とら)えることはできなかった。

紫色の『毒霧』が俺の放った弾を(つつ)んだかと思えば、二人目を(とら)えるはずだった射線が()()げられた。

『毒霧』は男にとっての変幻自在(へんげんじざい)(たて)であり、変幻自在の(ほこ)であるらしい。

 

高熱を()びた弾に触れても平気な様子を見るに、『霧』に引火性はないようだ。

直接触れた感覚から、実体というものもないだろう。

ならば爆風か何かで一時的にでも法師までの道をつくりたいところだが。

ペペに手配(てはい)させた爆薬があるにはある。だが、本当にそれでいいのか?手持ちの爆薬は3回分しかない。

シャンテと合流し、脱出路(だっしゅつろ)確保(かくほ)し、実行するまでの経緯(けいい)を考えると一発も無駄にはできない。

かといって他に強い風を巻き起こすことができるようなものは……。

…ダメだ。(たと)え、拳銃(けんじゅう)で周囲の装置(そうち)を破壊したとしても「爆風」とまではいかないだろう。

それに、ここは船の外壁(がいへき)からも遠い。壁に穴を開けて外気との気圧差を利用するのも難しい。

そうこうしている内に『毒霧』は俺と法師の間に完璧(かんぺき)な「(かべ)」を(きず)く。

…突き抜けるか?いいや、あの『毒霧』には弾道(だんどう)を捻じ曲げる力がある。生身の体で突破(とっぱ)できる可能性は限りなく低い。

………

「ククク、逃げられると思うのか?」

踵を返し、俺はその場から急ぎ離脱(りだつ)した。

「罠」を仕掛けるために。

 

ここは下手に(あらが)わず逃げた方がいいのかもしれない。だが、可能性を見出した以上、試してみるしかあるまい。

彼女を逃がす道の上にある障害(しょうがい)はなるべく()(のぞ)いておかなければならない。

「大陸で名を(とどろ)かせる賞金稼ぎもこうなると、ただただ(みじ)めなものだな。」

法師たちは追ってくる。

だが、一先(ひとま)ず視界からは逃げられた。

 

ズルリ

 

絶好(ぜっこう)のタイミングで天井(てんじょう)()配線(はいせん)ダクトから「視線」と思われる何かが(こぼ)れ落ちてきた。

「クソッ!!」

俺はこれを(なん)なく躱し、取り乱した(てい)(よそお)って銃を乱射する。

(あか)泥状(どろじょう)のそれは、それでも静寂(せいじゃく)(たも)っている。

そうして俺の注意を引き、待機(たいき)する二匹、三匹目の奇襲(きしゅう)のタイミングをつくっているのだ。

 

弾が配線を切断し、火花が散る。

狙った箇所(かしょ)の照明が落ち、「紅い泥」のための(かく)(みの)をつくる。

これを「好機(こうき)」と勘違(かんちが)いした泥はまんまと化けの皮を()がし飛び掛かってくる。

目の前の一匹は両腕から一本の角を()やした泥人形に変形し、両腕を目一杯振りかざす。その(すき)に二匹目は俺の背後を、三匹目は俺の頭上をとって挟撃(きょうげき)を完成させる。

これも予想の範疇(はんちゅう)だった。

 

俺は目の前の泥人形の首をナイフで()き、頭上から伸びてくるもう一匹の頭を後ろ足で粉砕(ふんさい)する。

どちらにも確かな手応(てごた)えがあった。

変形できるというだけで、物理的な攻撃を無効化する性質は持っていないらしい。

それは俺にとって、現状における(ささ)やかな幸運だった。

 

飛び散る泥をできるだけ回避し、背後の一匹の(ひたい)に3発の銃弾を叩き込む。

頭を(うしな)った「視線(それら)」は痙攣(けいれん)しながら(くず)れ落ちるとやがて動かなくなった。すると、それを察知(さっち)したさらに後方の「視線」が動き始める。

前方からは優勢(ゆうせい)と踏んだ法師たちが迫ってくる。

…まずまずだ。

 

「ほほぅ、この短時間で赤眼(あかめ)どもを(ほふ)ったか。やはり(あなど)れんな。」

泥人形の頭を潰した足には奴らの「肉」のようなものが(わず)かに付着(ふちゃく)している。

その僅かな肉が俺のブーツを()がしたが、肌にまで(とど)くことはなく()()きた。首を裂いたナイフは()びている。

「コイツらは何だ。お前らのつくった生物兵器か?」

錆びたナイフを捨て、新しいソレを腰から引き抜く。

「……そんなことを気にしている場合でもあるまいに。」

絶体絶命の状況にそぐわない俺の問いに法師は(いぶか)しげに(こた)える。

言われるまでもない。

今さら少し性質の違う化け物が現れたところで(たい)した関心は()かない。

「それとも、何か狙いがあっての時間(かせ)ぎか?」

「狙い」というほど(だい)それたものじゃない。

『毒霧』対策(たいさく)として有効かもしれないと思ったことを(ため)すだけだ。

 

毒霧(たて)』は今も法師を完全に包み込んでいる。この状態をどうにかしないことには俺の攻撃は通らない。

だが、奴がそのまま真っ直ぐ俺の方へと進み出たなら状況は変わるかもしれない。ところが――――、

「……そういうことか。…プロディアスの名を背負う(わり)には随分(ずいぶん)幼稚(ようち)な手を使うじゃないか。」

「……」

法師は気付いたらしい。

法師と俺との間に仕掛けてあるものに。

 

法師の視線の先には()()がる一本の配線があった。

行き場を()くした電流は(くだ)からパチパチと火花を散らせ、「(えもの)」を探している。

万が一、『霧』の電流に対する抵抗(ていこう)が低いのなら、『霧』そのものに影響(えいきょう)を与えられなくても、『霧』の中にいる法師にダメージが与えられるかもしれないと考えた。

 

だが気付かれてしまったなら(あきら)めるしかない。

それに、この調子だと外壁近くまで誘導(ゆうどう)させる方法も上手(うま)くいくかどうか五分五分といったところだろう。

ブービートラップも「視線」に見られている以上、時間の無駄と思った方がいいだろう。

「どうした。得意の暗殺術は使わないのか?」

「……」

何を言っている。直接触れられない以上、暗殺も(くそ)もあるまい。

「……」

それとも、奴は奴で何か目論(もくろ)みがあるのか?この無意味な()()りで、俺の熟考(じゅっこう)邪魔(じゃま)することで奴は俺をどう(おとし)めようとしている?

……ここは()えて乗ってみるべきなのか?……どうする。

「まあどうでも良い。暗殺者が無能ならその尻拭(しりぬぐ)いは炎使いにとってもらうしかあるまい。」

 

……

 

……

 

……

 

 

発煙筒(はつえんとう)を放り、()(めぐ)らせた煙幕(えんまく)(すべ)()む。奴の目に俺は映っていない。だが、俺にはハッキリと聞こえている。

法師の心臓(ターゲット)の音が。

「そうだ。それでなければ面白(おもしろ)くない。」

俺をロストしたことで法師に動揺(どうよう)は現れない。歴戦(れきせん)(しょう)のごとき力強い(たたず)まいでただただ俺の一手を待ち受けている。

 

後悔(こうかい)させてやろう

キサマが()()()()()()()()()()()()

苦痛を噛みしめて死ぬがいい。

 

……そうでなければ面白くない。




※毒霧→原作の「ポイズンスモッグ」のことです。
今回は「闇法師」とセットで出ているので、彼の特殊能力「ポイズンウィンド」も兼ねています。

ちなみに、シュウの撃った弾の方向を変えたのはこの子の特殊能力「トランスエネミー(敵を別のマスに飛ばす能力)」だと思ってください。

※泥人形、赤眼→原作の「イービルアイ」のことです。
イービルアイは「ゴースト系」なので実体のないモンスターにすべきかと迷いましたが、それだとポイズンスモッグと特徴が被って戦い方や演出にバリエーションが持たせられないかなと思ったので、今回は実体ありにしました。
簡単に言えばスライム系ゴースト?実体のある怨霊みたいな?(笑)

彼らの血肉は強酸性で、触れれば鉄も溶かします。(特殊能力:アシッドブレス)
彼らの爪に引っ搔かれれば石化の作用が働きます。(特殊能力:ペトロウィンド)←これに悩まされたプレイヤーは多いはず(笑)

※ボロディノ(ボロジノ)
日露戦争前にロシア海軍が建造した前弩級戦艦のボロジノ級戦艦の1番艦。バルチック艦隊に配備され第1戦艦隊に配属されていました。

※求心(きゅうしん)
中心に集まろうとすること。「求心力」とかいいますよね。「遠心力」の対義語と言った方が分かりやすいですかね。


※ブービートラップ
本来は自陣に設置する罠の意味。
一見、無害に思えるものに仕掛けることで敵の油断を誘い、殺傷または負傷させる。また、罠の存在を意識させることで疑心暗鬼による精神的負担を与える罠。
落とし穴やワイヤートラップなど。
(ブービー(booby)=マヌケ)

※今回、ロマリアの戦艦に密航したシュウたちですが、基本的に戦艦に「貨物室」はないみたいですね。戦艦は荷物を運ぶのが目的ではないですからね。
敢えてそういう部屋を指すなら「格納庫」なのかもしれません。
貨物室をもつのは「貨物船」もしくは「旅客船」なのでしょうね。

ただ、今回に限って「貨物室」を使いたいと思います。
格納庫は格納庫で登場するので。
(今さら描き直すのも面倒ですし(笑))

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