「例えばだ。カードをしていてたまたまバカツキの手札が揃いやがった。釣り上げればまだまだ搾り取れる。そんな時にフラッと横切ったジジイが俺の手元を見て妙な顔でもしてみろ。連中は一気に下りるだろうぜ。」
その日の内にダウンタウンへと戻った俺たちを、不機嫌な何でも屋が出迎えた。
「あの老夫は何と言っていた。」
「ノーギャラでご奉仕してさしあげろだとよ。こんなバカな話があるか?俺はアンタらの召使いじゃねえんだ。相応の見返りを求めて何が悪い?」
おおよそ、こうなることは予想していた。予め用意しておいた酒がなかったなら、もっと荒れていたことだろう。
「……まぁ、いいさ。アンタならまた俺を使ってくれるだろ?」
ペペは酒瓶をテーブルに置くやいなやグラスに注ぎ、目にも留まらない速さで空にしてみせた。そして、息継ぐ間もなく次の仕事にツバを付けるのだ。
「そうだな。」
「その時にでも今回のツケを払ってもらうさ。」
「…考えておく。」
賞金稼ぎとして、世界の主要国の一つであるスメリアを訪れる機会は少なくない。この仕事をしていて10年も経つ頃には、この国にも行きつけの店と顔馴染みの仕事仲間もできた。
それらのお陰で多少は融通の利く行動もとれるようになったが、当然、全てが自由という訳にはいかない。それなりにリスクを伴う仕事には必ずその時々に適した誰かの助けが必要になる。
どんなに腕っぷしが強かろうが、こういう「裏方」のいない奴に高額の仕事は回ってこない。
そういう意味でペペは決して悪くない仕事仲間と言えた。
「まぁ、このツケを払うってなると馬車馬みてえに働いてもらわにゃならんがな。」
――――黒い竜の討伐
今回のような史実にさえ残りかねないヤマは本来、賞金稼ぎや何でも屋なんかに回ってくるものじゃない。
この男の言う通り、一生に一度あるかないかの話だったのだ。
それを、たった一人の老人の気紛れで―――もともとその老人が持ち掛けた話でもあるのだが―――潰されてしまったのだから気が立ってしまうのはしようのないことだった。
むしろ、さっそく次のビジネスへと繋げようと俺にツバをつける切り替えの早さに感心すべきなのだろう。
「さあ、一銭にもならねえ仕事だ。ちゃっちゃとやってサッサと忘れちまおうじゃねえか。」
雑な切り出しで語り始めた何でも屋の作戦だが、それはとても一日の内に整えたとは思えない出来栄えだった。
「スメリアとロマリアそれぞれに買収した運び屋がいる。荷物の送り主は俺が偽装した貴族名義だ。余程のことがない限り中身を改められることはない。」
要は定期的にスメリアに訪れるロマリア軍艦に貨物として密航するという、至ってシンプルなもの。だが、その根回しは単純かつ効率的なものだった。
偽装したというスメリアの貴族は実在し、しかもかなり位が高い。その上、ロマリアへも度々物資を送って貢献しているため信用もある。
しかもペペが買収したのは運び屋だけじゃない。スメリア空港の運輸情報を統括する現場で下働きをしている男にも手を着けていた。
その男から過去の貴族の証書を一枚拝借し、複製しているため余程の検閲官でも見抜けない。
そして、保管されるはずの今回の証書はその男が破棄する手筈になっているため記録にも残らず、送り手の貴族に連絡がいくこともない。
ロマリア到着後も仕込んだ運び屋が安全な場所まで送ってくれる。
あくで穏便に、密航者の疑いを残さないように。
「アンタらはただ時間まで息を潜めてりゃあいい。楽な仕事だろ?」
「ロマリアでの呼び名が”魚女”になる屈辱を除けばね。」
……ペペがその貴族を採用した理由の一つに、頻繁に生魚を送るという傾向があった。
保存食に用いられる臭いのキツイ青魚のため、検閲官らは基本的に開封を嫌がる。その上、荷の送り主が信頼のある人物であるなら、まずまず開けられることはない。
「ハハハッ、あのジジイどもと手を組むんだろ?そんくらいのインパクトがねえと何したって教科書にアンタらの名前なんか載らねえぜ?」
「アタシらはヒーローになりたくてバカやってるんじゃないんだよ。」
搬送時、箱の中には当然、冷蔵用の氷が敷き詰められる。断熱材で保護されることになってはいるが、それでも半日耐えられるかどうか怪しい。
ただでさえ空の上での貨物室は気圧が下がる。
目下、箱の中にいる間の俺たちに優先される仕事は体温を保つことだった。
「そうなのか?俺ぁてっきりロマリアの奴らをぶっ潰した見返りで老後を悠々自適に過ごすんだとばかり思ってたがな。」
ペペがナンセンスなジョークを披露し、酒を存分に楽しもうとしする一方、彼女は彼のジョークが気に入らないのか。彼の誘いを鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、もしもこの作戦が失敗しちまったらアンタだってタダじゃ済まないんだ。そうならないようにせいぜい神様にでも祈っておくんだね。」
「ワハハッ、バカ言うなよ。何の心配してんのか知らねえけどよ、俺の作戦が失敗するわけねえだろ。それに、”神様”なんてもの自体が”ミス”を呼ぶ合言葉なんだよ。そんなもんに祈ってる暇があったら一歩でも目的に近付くよう頭を働かせた方が100倍マシってもんだぜ。」
彼は少しも俺たちのミスを懸念していなかった。
ただただ悪臭に悩まされる俺たちの不幸を肴に、グラスを気持ちよく傾ける。空にしてテーブルに置くと、浮力を失くした氷がグラスを叩き、小気味良い音を立てた。
「だけど安心しな。貨物室は比較的監視の目が緩いらしいからよ。中から開け閉めできるように細工もしてあるし、荷揚げ荷下ろしの時さえ気を付ければ、あとは犬みてえに気の済むまで機内を走り回ってもらってもかまわねえよ。」
言い終わるが早いか。ペペはもう次の一杯を注ぎ終え、口元まで運んでいた。
もとより箱の中でジッとしているつもりはない。
おそらくだが、標的の”紅い悪魔”はロマリアの深部で俺たちを待ち構えている。ならば今のロマリアの事情を少しでも把握しておくことに越したことはない。
マラソンとまではいかなくとも全力で挑む体力検査程度には運動しなきゃならなくなるだろう。
無事、見つからなければの話だが……。
「どうだ?景気づけ、もしくは生涯最後の一杯を俺と交わすだけの余裕はあるかい?」
「……それはキサマの奢りなんだろうな?」
男は初めて気付いたとでも言わんばかりの目付きでテーブルの上にあるものを見た。
今の時点ですでにボトルが2本、空になっている。仕事の話こそまともにできていたが、初対面の時よりも明らかに情緒が安定していない。
だからこそ、酔い覚ましのつもりで嫌味を言ったつもりだったが……、
「あ?…ワッハハハ、いいぜ!俺が他人に奢るなんざそれこそ一生に一度あるかないこのことだ。心して飲むんだな!」
どうやら手遅れだったらしい。
飲みながら、ぺぺは過去の仕事における笑い話を大声で語った。
初めは自分を売り込む戦略かとも疑ったが、どうやらこれが彼なりの酒を呑む時の楽しみ方らしい。
「笑いたいときに笑って、ムカついた時に怒る。それが人間としての最低条件。そんでもって、美味い酒を知らねえ奴は長生きも成功もしねえで死んでいくのよ。」
持論を並べ立てるとペペは俺の飲み掛けのグラスに酒を注ぎ足し、俺の素性を尋ね始めた。
「俺の過去にお前の酒に合う肴は一つもないぞ。」
「別に、無理に聞き出そうなんて思っちゃいねえよ。ただ気になっただけさ。アンタみたいな完璧な殺し屋がどうしてこんな無謀な戦争に参加しようとしてるのかよ。」
つい先日知り合ったばかりで、大して分かり合ってもいないコイツに打ち明ける程、俺の過去は軽くない。
だが、あの老夫の口添えがあったからとはいえ、これだけの働きが「無償」という事実に同情できないこともない。
俺はあくまで「肴」であることを意識しつつ、言葉を選びながらあの男のことを語った。
「そんで?その少佐ってやつはどうなったんだ?殺せたのか?」
「いいや。ヤツはアジャール侵攻中に行きずりの浮浪者に刺されて死んだ。」
思いがけず、俺の口から出た何の抑揚もない「死んだ」という言葉がペペの機嫌を良くさせたらしい。
込み上げてきた笑いを堪えられず、持っていた酒を溢していた。
「シュウ、まさかそんな与太話を信じちゃいないだろうな?」
ぺぺはあの男のことを何も知らない。そんなヤツでもこれが何かの「冗談」なのだと思わずにはいられないようだった。
「だがそれ以来、俺の前にヤツが現れることはなくなった。これは事実だ。そして、あの時の俺にはそれだけで十分だった。」
奢られる酒を口にし、ほとんど素性を知らない男に自分の過去を打ち明けた時、俺は初めて「もしも」を頭に過らせた。
――――もしもあの男が、あの死臭を漂わせるパイプを咥え、再び俺の前に現れたなら……
「だけどよ、待ち望んでた”自由”…って訳でもねえんだろ?」
奴は俺の”自由”をどうするだろうか。
その時、俺はヤツを殺すだろうか。
その時こそ、俺はヤツを殺せるだろうか。
「そうだな。しばらくは何も考えない日が続いた。ヤツがいた頃は”自分の生き方”なんてものを考える必要がなかった。ただ殺すことだけを頭に入れていればよかった。俺にできることはそれしかなかった。」
遠い記憶の中にいるあの男は、今も俺の上を歩いているような気がしてならない。常に俺の一歩先に立ち、俺を見下し、俺に新しい任務と新しい殺しを言い渡す。
――――シュウ、またしくじったな。
するとペペはまた俺のグラスに並々と酒を注ぎ足した。
「それが良かったかどうかなんて俺の知ったことじゃねえ。だけど、そのお陰でアンタは殺すこと以外の目的を見つけられた。一歩、”人間”に近付けたんだ。だから一応『おめでとう』と言わせてもらうぜ。」
「どうだかな。そのせいで面倒事を増やしている気もする。例えば、勝ちを逃した何でも屋のご機嫌取りとかな。」
「カカッ、そう言うなよ。今回は俺なりに手を尽くしたんだ。それをたかが10万程度の酒とアンタの思い出だけで勘弁してやろうってんだから少しくらい労わねえとバチが当たるってもんだぜ?」
言いつつも、一気にグラスを空け、カラッと笑うその表情にはまだまだ諦めきれていない若い野心が見え隠れしていた。
「アンタみたいな元気だけでその場その場を乗り切ろうとするヤツはどっかで足を踏み外すのがオチさ。」
ロックをチビチビと味わって飲む彼女はペペの性格を鼻で笑いながら、その実、遠回しに彼の将来を気遣っていた。
ペペもそれに気付き、彼女の忠告に笑って答えた。
「”俺だけは大丈夫”なんて三流めいたセリフは吐かねえよ。だけどよ、今の時代、勝負を仕掛けてナンボの人生さ。何もできずに影でビクビクしてる奴よりよっぽど命を大事にしてると思うぜ?」
ガタンッ
彼女は勢いよく椅子を蹴り飛ばし立ち上がったが、酒の臭いの染み着いた椅子は倒れ慣れているとでも言うかのように静かに床を鳴らした。
常連の客も、一瞥するだけで大した関心も寄せてもこない。
「酒」というこの場で最も権力を持つツールが、広い部屋の中に俺たちだけの世界をつくっていた。
「……今、アタシの手で殺してやろうか?そうすればその軽口も二度と叩けなくなる。…そうして欲しいんだろ?」
眉間に皺を寄せる彼女はペペを怯ませようと凄んでいる。
だが目の前の若い男はやはり彼女のありもしない殺意を笑って受け止めた。
「アンタにゃ殺せねえよ。」
「…ナメてんのかい?アタシが今までどんだけ殺してきたか――――」
「キレイな顔しやがって。説得力の欠片もねえよ。」
その通りなのだ。
エルクを「殺す」と言っていた時と比べたなら、今の彼女の顔を「笑っている」と言ったとしても間違いじゃない。
「この女ははシュウよりよっぽどヤバい目をしてやがる。最初はそう思ったさ。けど、違ったね。やっぱりアンタも相当にキレイな目をしてるよ。」
彼女は今、大切なものと向き合っていた。
それは、彼女が失くしてしまったもの。二度と彼女の下に帰ってこないもの。
彼女は生意気ともとれるペペの発言に対し歯を食い縛り、しかしそれ以上言い返すことができないでいた。
それでも、その年下の男を睨みつけずにはいられない。
「その目は大事にした方がいいと思うぜ?」
やはり、ペペは彼女の事情を知らない。
それでも今、彼女が自分に対し必死に何かを伝えようとしているのだということには気付いているらしかった。
「まあ、俺みたいな何の事情も知らねえ若造に言われても気分良くねえだけだろうけどよ。」
返す彼の笑顔はとても穏やかで、彼女をソッと突き放していた。
ペペの奢りだという酒瓶は一時間と持たなかった。
「なんだかんだで湿っぽくなっちまったな。だけどよ、不思議と悪くねえ酒だったよ。」
そう言うと、ペペはサッサと帰り支度をし始めた。そして、
「お互い景気の良い太陽を拝めるといいな。」
捨てゼリフと酒代を残して俺たちの前から姿を消した。
「……」
俺は黙ってマスターにグラスを二つ注文し、その一つを彼女の前に置いた。
「……なあ、アンタは昨日、死ぬのが怖いって言ってたよね。」
彼女はグラスに映る青い髪の女の顔を見詰めながらボソリと溢した。
「…ああ。」
「殺したヤツらが自分に復讐しにくるのが怖いって言ってたよね。」
「…ああ。」
「それってのは…、エルクを拾った後も何も変わらないのかい?」
彼女の顔は眉間に皺を寄せたまま固まっていた。彼女の本音が、その皺の一つ一つに隠れていた。
「……何も変わらない訳じゃない。…いいや、変わり過ぎて分からなくなってしまったと言った方がいいのかもしれない。そして、それを言葉に置き換えられるほど俺は自分と自分を取り巻くものの全てを理解していない。」
何となくだが、俺には彼女の気持ちが分かった。
「だが、一つだけ確かなことはある。」
その一つ一つをあの若者に伝えるのが恐ろしくて仕方がなかったんだ。
狙撃を躊躇い、アイツを『化け物』と恐れてしまったあの時の俺のように。
「今は、殺すことよりも、殺されることの方が恐ろしい。」
かつての俺は、罪に襲われ訪れる「死」が残された唯一の償いのように思っていた。
だが今は、護れずに縊られる「死」が何よりも受け入れがたい唯一の罰のように思えた。
彼女はグラスを手に取り、そこに映る臆病者を追い払うかのように一度に飲み干した。
「…そうでなきゃいけなかったんだ。初めっから。そうすれば……。」
「……」
今の彼女に俺がかけられる言葉は一つとしてない。失った彼女に、俺がかけてやれる言葉など。
「妙な同情はいらないよ。」
彼女は俺の手からグラスをひったくり、やはり乱暴に飲み干すとペペに向けたそれてとは違う目で俺を睨み、俺を置いて一人酒場を後にした。
次の日、俺たちは万事順調に生臭さを全身に巻き付けてスメリアを飛び立った。
――――ロマリアの人間に協力は求めん方がいい。あれらの多くは戦う意欲をとうに無くしておる。
生臭い箱の中、ロマリアへと向かう陰気なエンジン音が老夫の言葉を思い出させる。
「それにロマリアでは今、密告が奨励されておる。じゃからそういう顔をして近付いてくる輩も少なくない。」
最後に、老夫は一つのキーワードを残す。
「無事、ロマリアに辿り着くことができたなら、”赤い髪の男”を探すといい。」
「……名前は?」
「今はそれ以上聞く必要がない。教えるわけにもいかん。それだけを頼りに動けば必ず会える。…と言うてもお前さんらなら察しは付いておろうがのう。」
薄い膜のように竜を包んで燃えていた炎は勢いを増すこともなく、それでも尚、みるみる間に竜を灰に変え、今まさに消えようとしているところだった。
「くれぐれも此奴のようになってくれるなよ。」
そう言い残し、老夫は灰と共に姿を消した。