聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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浮彫りの影 その四

俺たちが首尾(しゅび)良く動けているからか?

これまでに多くの犠牲者を生んできたはずの「竜退治(たいじ)」は、俺たちに対しその(きば)一向(いっこう)に見せようとしない。

黒点は今も太陽の中を静かに、悠々(ゆうゆう)と泳いでる。

俺たちに気付いている様子もない。

「何だか、()かされてる気がするじゃないか。」

「……」

シャンテの言っていた『(まほう)』が仕掛(しか)けられているような形跡(けいせき)も、気配もない。

……問題ないはずだ。

 

先へ進むほどに犠牲者(ぎせいしゃ)の石像と遺骨(いこつ)が目立ち始めた。その全てが天を見上げ、恐怖(きょうふ)(おび)えている。

そして、その周囲には(あらそ)ったであろう痕跡(こんせき)が生々しく(きざ)まれている。

(ギア)(つめ)一掻(ひとか)きで人間の半身(はんしん)ほども()る。その一歩は戦車のごとき(わだち)を残し、()ばたきは嵐を巻き起こす。

そして、その吐息(といき)は石にするものを選ばない。

草も木も、小バエでさえも命と()()えに冷たい灰色の(かたまり)へと身を(やつ)している。

「はてさてアタシたちは今、お伽噺(とぎばなし)の真実とやらに近づけてるのかね?」

「……」

馬を借りる(さい)、俺たちはどこにでもあるような他愛(たわい)のない物語を耳にした。

 

 

 

―――精霊様の(ふところ)から飛び出した子どもは竜に()われてしまう

 

それは、町の外に出て森や山を探検(たんけん)しようとする子どもたちを(いまし)めるため、数千年も昔に作られたものらしい。

「まあ、余所者(よそもの)のアンタらがどうなろうと俺たちの知ったことじゃないけどな。」

年の若い馬屋(うまや)の主人は()()てるように言った。

 

話しを聞いている内に、()(つた)えの「森」や「山」が厳密(げんみつ)には「ラウス地方」を指していることが分かった。

物語は、主人公の勇敢(ゆうかん)な少年が呪われた竜に食べられて(まく)を下ろす。

だが、それは子どもたちを(しつ)けるために用意された(まく)

子どもたちが大人として(みと)められると、幕の裏ある物語の続き、もう一つの悲劇が()かされる。

 

――――食べられた少年は竜の心となって生きていた

 

しかし、少年は竜である孤独(こどく)()えられず、人を(おそ)い、竜の中の住人を増やそうと考える。

だが、彼の孤独が()えることはない。なぜなら、竜は襲った人間の()()()()()()()()()()

呪いが、人の心を竜の中に(しば)りつけることなどない。初めから。

つまり、「人間」だと思っていた()()()()は、もともと「竜」だったということだ。

少年はそのことに気付いた。気付いてしまった。

すると、少年はなおさら真実を受け入れられなくなり、真実を否定するためだけに今も人に(がい)()す化け物として生き続けている。

いつしか少年は人々から「夜を(まと)うもの」と呼ばれるようになり、襲われた人間は「夜」に()められてしまうと(おそ)れられるようになった。

 

そう、言い伝えられているという。

 

スメリアの成人であれば誰もが知る寓話(ぐうわ)であり、開国以前はスメリア人と密入国者を判別(はんべつ)するために(もち)いられていたらしい。

だが、その「開国」の()(がね)をひいたアンデル大臣が土地の開拓(かいたく)()し進めるようになってから、その話はスメリア人の間でも禁句(タブー)になりつつあるという。

「そもそもアイツ自身が余所者なのさ。」

それはあくまで(うわさ)に過ぎない。誰もヤツの正体を(あば)証拠(しょうこ)を持っていないからだ。

だが確かに、アレはスメリアの外の人間。もっと言えば、ロマリアの人間。そういう臭いを感じずにはいられない。

スメリアに住む誰もが彼を「スメリア人」だと認めていない。

しかし、それを口にする者もいない。

アレが非道で残忍(ざんにん)な人間であることは国民の誰もが身を持って知っているからだ。

「あの男は国を護るためなんて言っちゃあいるが、誰がどう見たってアレは国を殺しにかかってる。分かり切ったことさ。」

国民へ罰則(ばっそく)過多(かた)な法を()いる一方で、大臣は町の外へも熱心に手を伸ばしていた。

ヤツが大臣に就任(しゅうにん)するまでは禁じられていた森や山を切り開き、禁じられていたはずの高層(こうそう)建築物(けんちくぶつ)(つく)りだした。

そして、これを非難(ひなん)するような習慣(しゅうかん)伝承(でんしょう)(たぐい)は反逆罪として()()まられるようになってしまった。

 

スメリアに確立(かくりつ)した宗教(しゅうきょう)こそ存在しないが、「精霊の存在」は実在すると判明(はんめい)した近代よりも以前から信じられてきた。

これを無下(むげ)にするヤツの過激(かげき)行為(こうい)は国民の心も体も支配するという図式を作り上げつつあった。

今回の「邪竜ギア討伐(とうばつ)」はその一例(いちれい)に過ぎない。

 

()()がれてきた「物語」を「精霊の加護」と信じる彼らは今、守り続けてきた戒律(かいりつ)(やぶ)り、その(むく)いとして(ふく)()がる犠牲者の数を()()たりにしている。

だが(たと)え彼らが、この話が「真実」であることを知ったとしても、大臣と精霊が()()すスメリアの終焉(しゅうえん)(おそ)れ、(ふる)え、()(ちぢ)こまらせて待つ他ない。

大臣の力があまりにも強大であるが(ゆえ)に。精霊という存在が彼らの世界の基盤(きばん)であるが故に。

年寄(としよ)りほどこの話を強く信じてるよ。」

あの顔馴染(かおなじ)みのギルド職員でさえ、(かた)く口を()ざす始末(しまつ)だ。

「俺たちは奴に刃向(はむ)えない。」

若い主人はまるで俺たちが(くだん)の男であるかのように(にら)んだ。

「国王さえ生きていれば話は違ったのかもしれないけどな。」

若い男はギルドの老人と違い、よく(しゃべ)った。だからこそ、俺はこの国の(かぎ)になるもう一人の男の名前を話題に()げる気にもなれた。

「アークっ!!アイツもあの男の手先なのさ!皆言ってる。スメリア人の面汚(つらよご)しめ!もしも、アンタらがアイツを殺してくれたなら少しは見直(みなお)してやってもいいぜ!」

若い主人の姿は、忠実(ちゅうじつ)にスメリアの現状(げんじょう)(うつ)し出していた。

 

「どうやらアタシらはまんまとあのクソガキに良いように使われているみたいだね。」

馬の背に乗りながら、彼女はここにいない「()()()()」への悪態(あくたい)()いていた。

あの時、彼女は「国に恩を売る」というペペのやり方を「凡庸(ぼんよう)」と(なじ)ったが、馬屋の主人が(かた)った昔話が万が一にも真実なのだとしたら、今回の「龍退治(たいじ)」はスメリア()における「大事件」になるかもしれない。

その中心に立っているとなれば、良くも悪くも、スメリア全土(ぜんど)がペペという男の存在を放っておくはずがない。

それだけじゃあない。

「龍退治」のもう一つの依頼主であるレジスタンスからの「信用」や竜が護っているであろう「宝」の処遇(しょぐう)

あの男は酒場から動くこともなく、酒瓶(さかびん)(かたむ)けているだけでこれらの(はか)()れない報酬(ほうしゅう)()ようとしている。

そして、スメリア史…、いいや。今度は世界史を()るがすであろう「大事件」に一枚()もうとしているのだ。

レジスタンスという得体(えたい)の知れない革命家(かくめいか)集団を利用することで。

 

俺たちは見誤(みあやま)っていた。

ペペという男は、うらぶれた酒場の一角(いっかく)から歴史に一石(いっせき)(とう)じることができるような男だった。

俺たちは奴の偉大(いだい)業績(ぎょうせき)(きず)くためのいち構成員(こうせいいん)として働かされているにすぎないのだ。

 

今さらそうだと気付いたとしても、俺たちもまた、ススキに身を隠しながら前へ前へと進んでいく他ない。俺たちにとって(ゆず)れない願いを奴が(かな)えられると言うからには。

それに、俺にはどうもこの一件がただの「竜退治」ではないように思えてきていた。

「それってのは、さっきのお伽噺のことを気に掛けてるのかい?」

「……ああ。」

物語の中にあった「()()()()()」と「()()()()()」、この文言(もんごん)に俺は引っ掛かっていた。

いいや、()()めれば気になるものは他にもあったが、この二つは特別大事なことのように思えた。

冒険(ぼうけん)物語においてありがちな文句(もんく)だということは分かっている。だがどうにも、俺にはこの言葉が別の意味を示唆(しさ)しているように思えてならなかった。

 

――――あの竜は、この世に残った数少ない()()なのではないかと

 

ヤゴス島に眠っていたという「ヂークベック」のように。ロマリアに(うごめ)く悪魔を討つための貴重(きちょう)な『戦力』のように思い始めていた。

ただ、それを確認する(すべ)を俺は持っていない。今向かっている平野(へいや)の先にその答えがあるかもしれない。

「仮に、アンタの言ってることが正しかったとしてだよ、あのクソガキとの約束はどうするつもりなんだい?」

……ペペの要求は「竜の討伐」。それを証明するには竜の首が必要になるだろう。

もしもこれを(たが)えたなら、ロマリアへの密入国という取引が白紙になりかねない。

だが、俺の憶測(おくそく)が正しければ、俺たちはまた一つ奴らを()つ切り札を手にすることができる。

これをみすみす(のが)して良いものだろうか。

「…なあ、アンタはいつからアークのお仲間になっちまったんだい?」

「……」

「アンタはどうか知らないけどね。アタシゃガルアーノさえ(つぶ)せればそれでイイんだよ。世界がどうなろうと知ったことじゃない。」

 

彼女に指摘(してき)されるまで、俺は気付くことができなかった。

俺たちの標的(ひょうてき)はあくまで「ガルアーノ」一匹であって、「ロマリアに巣食(すく)う悪魔たち」じゃない。

確かに「竜」は魅力的(みりょくてき)な戦力かもしれないが、必須(ひっす)ではない。

それなのに俺は、いつの間にか不必要な使命感(しめいかん)()られていた。

アンデルを倒し、ロマリアの悪魔を殲滅(せんめつ)し、()()()()()という勇者(まが)いの目標を(かか)げていた。

 

砂漠の少年のために遠ざけてきたはずの存在を、()らず()らず(ふところ)に置いてしまっていた。

誰かのため、という訳ではなく、()()()()()()()()()()()()()()

「……すまない。」

「何に(あやま)ってんだか。所詮(しょせん)、アタシとアンタらは他人なんだ。好きにすればいいだろ?」

「……」

……彼女は、本当にそう思っているのだろうか。

彼女の警告(けいこく)は、自分への不利益(ふりえき)()けるため。そんなことは重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)している。だが、それを(さと)させようとする彼女の口調に(くちょう)、俺はどことなくミーナと似たものを感じていた。

 

 

 

そうして()れた目的を修正(しゅうせい)した俺たちは竜の寝床(ねどこ)辿(たど)()いた。

依然(いぜん)として太陽の中を泳ぐ竜を背に、俺たちは慎重(しんちょう)に慎重を(かさ)ねて平野の奥へと進んだ。「お伽噺」という未確定の情報に(なや)ましさを覚えながら。

それでも俺たちは順調(じゅんちょう)に進み続けていた。

 

だがその十数分後、事態(じたい)急変(きゅうへん)する。

 

「……!?あの木の下まで走るぞ!!」

「!?」

俺が(さけ)ぶと、頭の回転の速い彼女は振り返りもせず目標に向かって矢のように()けだした。

距離にして約100m。彼女よりも先に到達(とうたつ)した俺は援護(えんご)のためにライフルを抜き、急速に(ひろ)がっていく黒いシミの急所(きゅうしょ)(ねら)いを付け、左右に振りながら(けい)三発を撃ち込んだ。

だが、黒点は驚くべき反応速度で三発全ての急所への被弾(ひだん)回避(かいひ)した。弾は黒点の隆起(りゅうき)した肉体を()くこともなく、(うろこ)(わず)かに傷付けただけに終わった。

狙い撃ちは時間の無駄(むだ)だ。

機関銃(きかんじゅう)()()え、有無(うむ)を言わせない弾丸の(あみ)()る。しかしこれもまた、黒点に有効(ゆうこう)痛手(いたで)(あた)えることができなかった

黒点は強靭(きょうじん)(つばさ)で急所を隠し、機関銃の弾を(ことごと)くはじき返した。そのまま、落下の勢いに任せてこちらに突っ込んでくる。

せめてもの壁として選んだ枯木(こぼく)などまるで気に()めていない。

装備一式を捨て、黒点の落下点から逃げるように地面を()り、駆け寄ってくるシャンテを突き飛ばした。

 

――――直後、

 

轟音(ごうおん)()()もろとも地面を(えぐ)るように着弾(ちゃくだん)した。

衝撃波(しょうげきは)一帯(いったい)砂塵(さじん)を舞い上げるとともに俺たちの背中を蹴り飛ばす。俺は体を丸めることでなんとか受け身をとることができたが、その心得(こころえ)のない彼女は地面にしがみ付き、紙切れのように飛ばされていた。

 

まるで、爆撃だ。

 

一般的な生物ならあのレベルの落下衝撃から生還(せいかん)することなどまず考えられない。

……だが、土煙(つちけむり)に浮かび上がる影は、それがさも当然のようにユラリと起き上がった。長い鎌首(かまくび)をもたげ、ゴウゴウという(あら)い鼻息を立てながら周囲の様子を(うかが)っている。

俺は索敵(さくてき)する竜を無視し、彼女の飛ばされた方へと音を殺して駆けた。

 

「う…うぅ……」

すぐに発見できたものの、容体(ようだい)はあまり(かんば)しくない。頭部に大きな裂傷(れっしょう)があり、左右の手足が一本ずつ折れている。呼吸の様子からして、肺もやられているのだろう。

『死にはしない』だろうが、完全に再生するまでに間違いなく落ちてきた化け物に見つかってしまう。

そうこうしている間にも土煙を背負った大きな影はジリジリとこちらににじり寄って来ていた。

 

読み(あやま)った。経験が(あだ)になった。

 

装備は全てさっきの爆撃に飲まれた。手元に残ったのはたった一本のナイフ。

 

最悪の場合、情報収集(しゅうしゅう)さえできれば問題ないと思っていたが、これはそれすら許さない事態だ。

反応速度、強度、破壊力、どれをとってもあの竜は今までに()ってきた竜と比較(ひかく)にならない怪物だ。今の装備では到底(とうてい)太刀打(たちうち)ちできない。

かといってあの速度で(おそ)われるとなれば彼女を連れての逃走(とうそう)も難しい。

……一瞬、「死なない彼女」を見捨て、体勢(たいせい)を立て直そうと考えている自分がいることに気付いた。

 

五感を()()ませ、彼女を背負い、頭の中を(おか)そうとする「悪魔」を振り払うように「逃げ道」を探した。

一秒たりとも無駄にはできない。最短かつ可能性の高い道を選ばなければ俺たちはここで死ぬ。

土煙の上がっている今ならヤツの五感も(にぶ)っているはずだ。

「…すまない。」

「っぐう!!」

ナイフを彼女の腕に()し、血糊(ちのり)の付いたソレを、影を横切るように投げた。

すると狙い通り。巨影(きょえい)は風を切り、血を()()らすナイフに気を取られ、俺たちから遠ざかっていく。

 

今しかない。

 

だが、全力でこの場を離脱(りだつ)しようとする俺の首を、弱々しく()める彼女が(ささや)いた。

「…動くな……」

分からなかった。その言葉が現状(げんじょう)俺が取るべき行動を言っているのか。俺たちに対する「復讐心(ふくしゅうしん)」が彼女を(くる)わせ、ただただ(うめ)いているのか。

 

彼女の目を見るまでは。

 

流れる血に(ふさ)がれながらも僅かに開いた鈍色(にびいろ)の瞳は、俺に(うった)えかけていた。

(するど)く、(まぶ)しいまでの眼光(がんこう)は逃げ道を選ばず、ここで決着をつける意志に(いろど)られていた。

俺はまた、彼女に魅了(みりょう)されてしまったんだ。

みすみす逃げられるチャンスを放棄(ほうき)し、俺は彼女をその場に下ろしてしまった。

彼女を隠すように(おお)(かぶ)さり、言われるままに息を殺し、その場を動かなかった。

 

無謀(むぼう)だ。

 

死ぬぞ。

 

経験と理解が行動を否定し続けているにも(かか)わらず、体はピクリとも反応しない。

「彼女とここで終わってしまっても構わない」

そういう不可解(ふかかい)な感情が俺の全身を麻痺(まひ)させていた。

狂った感情が、俺という人間を完全に侵してしまっていた。

 

「!?」

そういう、理解の追い付かない状況を利用されてしまった。まんまと意表を突かれてしまった。

彼女は覆い被さる俺の頭を引き寄せ、何の脈絡(みゃくらく)もなく唇を重ねてきたのだ。

「何を!?」

反射的に、彼女から離れる際、彼女の舌を()み切ってしまった。

そして、彼女の『真意』は息継(いきつ)()もなく(おとず)れた。

「……!?」

突如(とつじょ)、全身に違和感が走ったかと思うと急激(きゅうげき)な眠気に襲われる。

(あらが)うために指の一本を折り、歯を()(しば)る。

全身が別の何かに縛られ、身動きが取れない。()(すべ)もなくその場に(くず)れ落ちる。……完全に無防備だ。今襲われたなら、何一つ対処(たいしょ)することなく()られてしまう。

 

それでも襲い来る「眠気」は止まらない。

しがみ付く「意識」を(から)()り、混濁(こんだく)していく。

視界を()()くす色という色が()け合い、音という音が重なり合う。(ほお)()でる風が爆風のようにも深海を揺蕩(たゆた)(おだ)やかな潮流(ちょうりゅう)のようにも感じられた。

……起きているのか、眠っているのか分からない。

 

俺は生れて初めて「本物」を(はだ)で感じていた。

 

これが……、”死”…、か――――


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