「腕利き連中が”ギア”と呼んで恐れる黒い竜だ。そこそこの大型で石化や神経系のガスを吐く。ラウスやクイナの辺りでの目撃情報が多く、その近くに巣があると睨んでる連中もいる。近くまで行けば犠牲者の石像が転がってるからすぐに分かるだろう。」
ペペとの交渉が成立し、酒場を後にした俺たちは賞金稼ぎギルドで件の竜に関する情報を集めていた。
――――「歯車」。
スメリア人は総じて真面目で正確さを追及する人種で有名だ。そんな彼らが最も気を払い、過敏になるものが「時間」。生産性、効率化、彼らは何よりも「時」を重要視する。
そんな彼らの「命」を回す「歯車」。それを容易く奪ってしまう化け物。
討つべき天敵でありながら敗北し続ける彼らなりの、精一杯の皮肉が込められているのだろう。
ギアは古くからラウスで確認され続けていたが、敢えて近付こうとする者もいなかったため、今まで目立った犠牲も出なかった。
だが、1年前にスメリア国、アンデル大臣よりギルドへの直々の依頼があってから、報酬に目の眩んだ賞金稼ぎの犠牲が後を絶たないという。
ただの凶暴な「黒い竜」。初めは誰もがそう思っていた。
だが、度重なる討伐隊の犠牲を経て、ギルド関係者は「黒い竜」の不審な点を見出していく。
しかし、それらに明確な回答を得られぬままギルドは今、手をこまねいている。
「誰かに飼われているという可能性はないのか?」
「……さすがは”アルディアの暗殺者”だ。他の連中とは目の付け所が違うようだ。」
顔馴染みのギルド職員は手元の書類をペン先で叩きながら不敵に笑った。
「余計な世辞を言う暇があるのならまずはキサマの職務を全うしろ。」
「……フン、愛想の無い。これだから余所者は好かん。」
スメリア人は異人に対し排他的な思想が根付いている。だからなのか、最低限の情報以外はこちらから聞かない限り口にしないことが多々見受けられる。
賞金稼ぎにはでき得る限りの情報を提示するのが義務であるはずのギルドにおいてもそれは変わらない。
老齢のギルド職員は忠実にその伝統を引き継いでいた。
「それで、裏には誰がいる。」
「さあね。そこまでは誰も突き止めちゃあいないよ。」
……口にはしないが、「スメリア政府」がその容疑の一例に挙げられているに違いない。
国からの依頼が異例である上に、軍は一切関与していない。疑わずにはいられない状況だ。
そもそも、その疑念を生じさせることが政府の企みなのかもしれない。シャンテが言ったように、これもまた「内乱を煽る」ための一つの要素なのだとすれば……。
「ただ、今も言ったようになぜか一定の狭い区域でしか目撃されていない。巣があろうとなかろうと、あの図体で食料を確保するのならもう少し広範囲での目撃例があってもいいはずなんだがな。」
魔法や特殊な器官をもつ竜ならなおさら十分な餌の有無は生死に関わる。
大型なのに行動範囲が狭い。野生である可能性は低い。……何者かに造られたか操られているかで行動を制限された竜。
思い浮かんだのは”白い家”とそれに連なる研究機関。
だが、それと断定するにはどこか違和感があった。
野生種にはない行動。都市を攻撃しない都合の良いテリトリー。賞金稼ぎを誘惑する報酬。傍観する政府。
……実験動物のデータ収集。おそらくはそうであるはずなのに、何かが俺の中で引っ掛かっていた。
「トラップは?」
「荒らし対策のってことか?」
もしも何者かの仕業で何かを「護っている」のであれば、その「護り」が「竜」だけでない可能性はおおいにある。
「いいや、聞いたことないね。縄張りを犯せば有無を言わさずヤツが襲い掛かってくる。目の前に大型の竜がいて戦闘以外に目を向けられるほどの熟練は、今のこのギルドにゃいな……、いや、」
ギルド職員はふと何かを思い出したような素振りを見せ、言葉を詰まらせた。
「なんだ。」
「……いや、トラップって類のものじゃあないと思うが…、怪しい光を見たって奴ならいたな。」
「怪しい光?」
その賞金稼ぎの情報によれば、上空に黒竜を確認した時、その後方に複数の白い光が目撃されたという。
「その光のあった場所まで行こうとした奴は途中でギアに殺られちまったらしいから、その正体は分からず終いなんだが。ソイツの仲間は平野の中腹辺りに4つの光が出たって言ってたな。」
光……、犯人の隠れ家か。それともギアを操るための儀式か何かで用いた松明か。何にしても、討伐の手掛かりになるかは五分五分だな。
「もう犠牲者は三桁を超えてる。そろそろ誰かなんとかして欲しいもんだよ。」
「ハッ、それをなんとかするのがアンタらロクデナシどもだろうに。」
シャンテが消極的なギルドに毒づき、職員が彼女を睨んで遣り取りは終わった。
「それで、結局どうするつもりなんだい?アンタの考えを聞かせておくれよ。」
馬屋に向かいながら、ぺぺとギルドに一泡吹かせようと若干の意気込みを見せる彼女が言った。
「ガルムヘッドを殺ったアンタだから不可能なんて言わないけどさ。それでも”考えなし”だなんて言わないだろ?」
”竜”は、間違いなく現存する化け物たちの中でもその危険度は最上位に食い込む。
強靭な鱗に、底無しの怪力と魔力。空中での機動力は飛行船の比ではない。キメラ研究所のような人為的改造がされているのなら、これらの能力が数倍に跳ね上がっていると考えてもいい。
さらに、独自の魔法や能力を付与されたなら、殆どの人間には手の出せない兵器に仕上がるだろう。
そして、今回の件がこの例に漏れることもないだろう。
だが、俺には10数匹を落としてきた経験がある。不可能ということはない。
「生きて、動いているのなら、弾の通る柔らかい部分があるということだ。」
「……それだけかい?」
勝利する可能性は決して高くない。だが、可能性は真実に比例しない。俺が選択を誤らなければ必ずその首を持って帰ることができる。
そうだ。「可能性」という化け物との命の駆け引きはもう、始まっている。
「竜は複数匹いる。」
「あ?なんだい突然。……何か根拠でもあんのかい?」
明確に「4つ」と断言したからには「光」を見たという証言は夜間か、少なくとも陽の沈む時間帯のことだろう。
竜は夜目が利かない。おそらくはその弱点を突こうとしたのだろう。
夜であれば、いくら上空から見下ろしたとしても―――彼らが松明でも焚いてない限り―――、「怪しい光」を目指して進む賞金稼ぎを見つけるのは困難なはずだ。
対して、ロマリアと密接な繋がりのあるスメリア軍を経由すれば彼らが暗視ゴーグルを調達ことは然程難しい話ではない。
それでも尚、竜が的確に標的を仕留めたとなれば、かなり低空を飛んでいたことになる。だが、ソイツが殺られる直前まで竜は上空で確認されていた。
「探知の魔法が敷かれてたってこともあるだろ?」
賞金稼ぎもバカな連中ばかりじゃない。小さな町ほどもある平野全体に仕掛けていればさすがに彼らも気付いたはずだ。
「だから数匹いるって言いたいのかい?」
昼間に姿を見せている一匹はこれを誤認させるための布石だ。
そもそも、貴重な食料であるはずの人間を石化させたまま放置している点が不可解だ。その上、狭い範囲でしか行動しないとなると、そもそも食料を必要としていないのかもしれない。
であれば数匹いたところで不思議はない。
それだけの数の竜を制御できている術者が野心もなく、人知れず暮らしていること以外はな。
それに、「竜は一匹だ」という先入観を持たせておけば、こちらの裏を掻きやすい。
「まあ、確かにアンタの理屈から言えば無い話ではないと思うよ。でも、だったとしたら尚更どうするつもりなんだい?1匹と2、3匹じゃあ話がまるで違うよ?あのペペには”一匹”なんて指定はなかったし。それとも全部倒すつもりなのかい?」
「その逆だ。」
一瞬、怪訝な表情を浮かべた彼女だが、さすがに頭の回転が早く、すぐに俺の言っている意味を理解した。
「それだけの竜を操る仕掛けか何かがある。それさえ叩けば、一匹とも戦わずにすむかもしれない。そういうことかい?」
「そうだ。」
そもそも、化け物一匹操るにも多くの条件や犠牲が必要になる。俺自身は「術者」ではないし、その方面に関する知識が深い訳でもない。
だが、その対象が「竜」ともなればその仕掛けは複雑で精密なものになるはずだ。
「怪しい光がその鍵ってことかい?」
「そこまでは断定できない。だが、その可能性はおおいにある。」
「なんだい、ここまできて弱気な物言いじゃないか。」
ここで固め過ぎて現場で対応できなくなれば化け物どものいい的だ。
俺は、ここで死ぬ訳にはいかないんだ。
「……それで、いつ攻めるんだい?昼か夜か。」
「まずは昼だ。今から行けば十分間に合う時間でもある。」
そこに絶対的な理由はない。
最悪の場合、夜に複数匹を相手にするかもしれない。倒すとまではいかなくとも対処するための情報が欲しい。そのためにも少しでも見通しのいい環境が理想なだけだ。
他の賞金稼ぎも同じことをしただろう。だからこそ夜に現れた「怪しい光」に可能性を感じたんだ。
だが、肝心なところでミスをした。俺は違う。
「まあ、化け物討伐はアタシの専門外だからね。アンタに任せるさ。」
分かっている。
ろくに戦えない彼女はあてにできない。
「だが万が一、お前のその『力』を当てにする瞬間が来るかもしれん。その覚悟だけはしておいてくれ。」
俺は無慈悲なことを言っている。その自覚は十分にあった。
だが――――、
「協力はするよ。でもアタシはアンタの仲間でもなんでもないんだ。無理だと思ったらアタシはアンタを置いてでも逃げるからそのつもりでいてくれよ。」
「……ああ、分かっている。」
一方的ではない。それだけが救いだった。
そこは平野というよりも荒野に近い場所だった。土は荒れ果て、草食動物たちの姿もない。時期が冬に差し掛かっているということもあり、背の高い草木のほとんどが枯れていた。
キツネ色の穂をなびかせるススキばかりが目立ち、緑はどこにもない。
そして、そこら中に「人骨」と思われる骨が散乱していた。
竜が喰い荒らしたような形跡はない。
「こりゃあ、人間様がこの星の頂点に立つのはまだまだ先の話になりそうだね。」
半壊した頭蓋骨を見下ろしながら、彼女は皮肉な笑みを浮かべていた。
ラウス平野は、お世辞にも隠密行動のとり易い環境とは言えなかった。
木々が枯れている上に、「平野」の名の通り、土地は平らかで身を隠せそうな岩場もない。むしろ、上空から敵を見つけるために設けられたような場所だった。
だが幸い、所々に群生するスメリア種のススキは背が高く、少し身を屈めれば俺やシャンテでも頭までスッポリと隠すことができた。
それが自然に発生した環境なのかどうかは分からない。選ぶ余地のないこの状況は、どこか敵の罠を彷彿とさせる。
なぜなら、もしも俺たちが風上に走ったなら、一部の穂が不自然な動きをしていることなど竜の目からすれば一目瞭然であることに変わりはないからだ。
平野全体を見渡せる上空に敵がいるのなら、陽動作戦もあまり意味を成さない。
結局のところ、この圧倒的不利な環境でのHide and Seekに勝利しなければ、「侵入者」に命はないということだ。
それでも行かない訳にはいかない。
俺自身のためではなく、今も砂漠と森に追い回されているあの少年を無事に家に帰すために。
「いたぞ。」
馬から降り、ススキに身を隠しながら進むこと数十分。まだまだ高い位置にある太陽の中に、黒いシミが一つユックリと動いていた。
「あれは、こっちが見えてるのかい?」
「おそらくはな。だが、ヘタに動かなければ気付かれることもないだろう。」
夜には不向きであるものの、一般的に竜の視力は高い。上空800m程度であれば、地上にいる人間を問題なく見分けることができる。だが、空腹状態でない竜は注意力散漫で、それらを見逃すことも多い。
あれが野生であれば、現状の俺たちを見つけることはまずないと考えていい。
たとえ改造種であったとしても、動かずにいれば好機が訪れるという保証もない。
つまり、動かなければ何も起こらないというだけのことだ。
相変わらずそこに選択の余地はなく、たとえあったとしても選ぶつもりもない。
ライフルの照準器に遮光板を取り付け、竜の姿を確認する。
窓の中に映る竜の姿に不審な点は見当たらず、特殊な魔法を使っている様子も見られない。
手筈通り竜は無視し、「光」の正体を見極めるためにラウス平野の奥へと進むことにした。
「アタシはアンタみたいに猫みたく動けやしないよ。」
身を隠しての調査に同行することを拒否していた彼女だが、
「さっきも言ったはずだ。お前の『力』が必要になるかもしれんと。」
「……仕掛けの妨害に使うつもりかい?さっきも言ったけどアタシの『力』は不安定なんだ。上手いこと働く保証なんかないんだよ?」
「ないよりはマシだ。」
「……言ってくれるじゃないか。」
普段、相手を挑発することを得意とする彼女だが、彼女自身、挑発されれば乗りやすい性格のようだ。
……いいや、違う。
敢えてそうすることで、「死ぬかもしれない恐怖」に納得のいく理由を押し付けているだけなのかもしれない。感情を昂ぶらせることで「恐怖」を誤魔化しているのかもしれない。
そうでもしないと動かないんだ。
彼女にだけ見える「彼女の死を拒む化け物」が、どんなに強く手綱を引っ張ったって「生」にしがみ付いて放そうとしないんだ。
今まで、そうし続けてきたんだ。
彼女にだけ必要な行動。彼女にだけ存在する病のように。