聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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少年の回顧
赤い膿


()が沈み、解き放たれた赤黒い炎たちが世界の全てに血糊(ちのり)満遍(まんべん)なく()りたくっている。

ある炎は虫よりもか細い息と息の間を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、吹き出る血の酒を飲み渡り、酔いどれている。ある炎は(きず)かれた(しかばね)の山の(かたわ)らに立ち、添い寝をするように()らめいている。

真っ赤だ。森も、空も、像も、人も。真っ赤で、熱い。

 

俺はその中心に立っていて、真紅(しんく)の空には浮き立つような1体の白銀(はくぎん)(くじら)が、4、5匹の(さめ)を連れて、この醜悪(しゅうあく)な夢の中をゆったりと泳いでいる。

世界のあちこちから木々を()ってやってくる断末魔(だんまつま)は聞き飽きた。アンコールも必要ない。

それよりも、誰でもいい。この炎を俺から遠ざけてくれないか。俺の大切なものを寝かし付けようとするんだ。だから、遠く、遠く目の届かないところまで―――。

 

目を(つむ)り、祈った。しかし、目を開けると炎に寝かし付けられたはずの無数の死体が俺を取り囲んでいた。

「炎の御子(みこ)がなんとも情けない。」

「ああ、情けない。」

「この苦しみがお前に分かるか。」

「なぜ立ち尽くす。なぜ(かたき)()たん。」

「裏切るつもりか。」

「血が、熱い。」

「一族いち、(みにく)(つら)をしよって。」

「ああ、なんと情けない。」

一度に十や二十の言葉がぶつけられているのに、呪いの言葉たちが俺の全身に耳の穴を穿(うが)つかのようにハッキリと聞き取れる。不気味なほど鮮明に。

 

すると、死体の背後に(にぶ)(きら)めく黒い銃口(つつ)が突き付けられる。死体は銃口に押されて、一歩、俺に近づく。一歩、また一歩。

そうして、身を(すく)ませた俺の目の前にまで()(せま)った死体たちからは、身の毛がよだつほどに(なつ)かしい臭いが漏れてくる。それは死臭を織り込み、俺の鼻孔(びこう)の奥にまで()(あが)ってくる。

(たま)らず目を(そむ)けるけれど、俺の両(まぶた)は炎に()()められたかのように、執拗(しつよう)に赤ばかりを映そうとする。人の姿も、村の様子も、皆が赤の中にいて輪郭(りんかく)がハッキリとしない。そこにいるのは誰なんだ。

 

「背けるな。俺の目を見ろ。」

白銀の鯨が、眼下(がんか)に広がる光景を見て嘲笑(あざわら)っているかのように、この赤ばかりの世界の中で浮き立っている。

「この恩知らずめ。」

死体たちは()けたままの水道水のように、呪いの言葉を()(なが)す。

目を瞑っても、耳を(ふさ)いでも、それらは次から次へと新しい入り口をつくり、(ひる)か何かのように俺の中に潜り込んでくる。

(こら)えきれず、俺は(うめ)(ごえ)を上げる。

 

――――消えて欲しい

 

心の底からそう思った。そう願うとそこにいる全ての死体が最後の呪いを次々に爆発させる。

『どこまでも、()()びなさい。』

『生き残るんだ。我らの(ともしび)よ。』

『いつの日かこの常闇(とこやみ)の世界を燃やしてくれ。』

『その(ため)なら、我らがお前の炎とならん。』

『エルク、我らの(いと)しい炎の子よ』

()(ただ)れた亡骸(なきがら)言霊(のろい)は、炎の指揮棒(タクト)によって悲鳴の合唱(コーラス)へと変えられ、世界(ホール)を満たす。

 

 

(かばね)怨嗟(えんさ)を吐かせる銃口たちが一斉に火を吹いた。彼らの呪詛(じゅそ)を押し潰すようにけたたましく笑った。

俺の世界はより一層、赤で満たされていく。

やがて死体も、銃口も口を()かなくなり、残された炎たちだけがメラメラと(あて)もなく辺りを彷徨(さまよ)っている。

 

俺は夢の中で、炎と死体と銃、赤と白銀の視線の中でいつまでも見苦しいほどに(うずくま)り、震えている。

 

――――放っておいて欲しかった




※亡骸(なきがら)、尸(かばね)=死体のことです。
※怨嗟(えんさ)=恨み、嘆くこと。

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