聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その二十四

「……まったく、アンタらまだ生きてんだね。」

施設(しせつ)の外へと脱出すると、シャンテは目を覚ました。

「……下ろしてよ。もう、自分で走れるから。」

「……」

嘘のように簡単に脱出することができた。(くず)れゆく、広く()()んだ施設を。

たった一人の身内を救助(きゅうじょ)するために避難通路(ひなんつうろ)も使わず、危険の多い地下水路を通ったというのに。落石(らくせき)も敵の妨害(ぼうがい)も彼の足を止めるには(いた)らない。(おだ)やかな横風のようでしかなかった。

森の『花粉』ですら、今の俺たちには届いていない。

 

俺も脱出経路は(いく)つか目星をつけていた。だが、どこからかオカシクなっていた。何かが(くる)い、気付けば全てが手遅れになっていた。

しかし、それすらも見越(みこ)したかのように青年はやって来たのだ。まるで何事もなかったかのように、俺たちは()()びている。

仕組(しく)まれていたかのように全てが(とどこお)りなく、全てがスムーズに。

 

もしかすると、脱出に成功したと思っているのは俺だけで、本当はまだあの悪魔の手の中にいるんじゃないのか?

俺はまだ、狂わされたままなんじゃないのか?

あの”白い家”は、エルクを(つか)まえるための『悪夢』ではなく、全ての(えさ)を一か所に集めるための(わな)の一つに過ぎなかったんじゃないのか?

考えろ。

考えろ。

考えろ。

「なあ、聞こえてるんだろ?()ろしとくれよ。」

「……」

「……そうかい。」

 

 

 

アタシを()ぶう男の背中はいやに冷たかった。

「……エルクは、生きてるのかい?」

「……」

(ほお)を押し当てても人の(ぬく)もりなんて毛ほどにしか感じない。こんなに走ってるってのに。生きてるのか、死にかけてるのか分からない。

「……」

まったく可哀(かわい)そうなヤツだ。

 

「どこに向かってるんだい?ガルアーノは?」

「ガルアーノは逃がした。そして、俺たちはアークの船に拾われる。」

ようやく口を開いたかと思えば、可も不可もない答えが返ってくる。それに、

「……そうかい。」

なんとなく、なんとなく、こうなるような気はしていた。

「……(おどろ)かないのか?」

「何に?」

「……なんでもない。」

……世界を乗っ取ろうって奴ら相手に、アタシらのような半端者(はんぱもの)がたった二人でどうこうできるなんて思っちゃいなかった。

それでも、神様に()っかを()られた天使は神様に楯突(たてつ)くしかないんだよ。

それしか、考えられなくなるんだよ。

 

……アタシは「天使」に戻りたかったんだ。

今さらながらに気付いたよ。

あの子のいない世界だからこそ、自分が「天使」でなくなることが怖くて仕方なかったんだ。

 

シュウの肩越(かたご)しに、戦士風の()()ちをしたガキが見える。

あれが、アーク。

アタシなんかよりもずっと若いくせに世界中の悪党(あくとう)()()ってきた化け物。

アタシなんかよりも、よっぽど役に立つ化け物。

よっぽど強い化け物。

「……不公平だよね。」

「……」

月のない夜のように、真っ黒な背中に(つぶ)いたアタシの言葉は、思った以上にすんなりと()()んでいった。

 

 

 

「……ああ、どうやらアンタたちのお姫様が(むか)えに来てくれたみたいだよ。」

森の中ほどまで進むと、彼女は何かを見つけ、そう言った。

(うなが)され、遠く、遠くを見遣(みや)るとそこには一人の金髪の女が立っていた。

「さて、お姫様は何て言ってアンタを(なぐさ)めてくれるのかね。」

大体の想像はつく。この距離でも、あの女の顔が()()っているのが分かるからだ。

「あれはお前たちの仲間か?」

走りながら俺に確認を求めてくる青年に対し、俺は「ああ」とだけ答える。今は、それ以上に彼女について説明する気力がない。

「連れて行かなかったアンタたちが悪いんだよ。」

バカな。連れていけば話はさらにややこしくなっていた。

エルクは()()()()()()()ミリルに向き合えなかったはずだ。どんな結果であれ、『悪夢』はより一層(いっそう)、エルクに重く()()かっていたはずだ。

アレは、エルクとミリルにとって邪魔でしかなかった。

 

「エルクッ!!」

(ひび)く女の『声』は、森の枝葉(えだは)さえも(おび)えさせた。

「エルクッ!!」

女は、森を()()ろうとする青年の前に()(はだ)かり、(おそ)()かるようにして青年からエルクを(うば)い取った。

「どうしてっ、どうしてっ!?」

青年は、気付いているらしかった。

おそらく、彼女から何かしらの『命令』をされたのだろう。()()()()エルクを()られ、「脱出」を第一に動かし続けた彼の足が()()()()()()()()()()()()()()

黙って見下ろすその目には、シャンテの『再生』の時には見せなかった表情が浮かんでいる。

奇跡(きせき)』ではなく、『神の手』のごとき(あらが)いようのない『力』に()()()()、驚きを隠せないでいた。

「この子は――――、」

「どうしてなの!?」

だが、その視線(ほこさき)が最終的には俺に向けられることは分かっていた。

分かり切っていた。

「……お前のせいよ。お前が付いていながら…。お前に(まか)せたばっかりに……。」

「グッ……」

心臓が、『見えない手』に(にぎ)(つぶ)される。

「裏切り者…、裏切り者……」

……そうだ。

俺はエルクに「護る」と言っておきながら、肝心(かんじん)なところでは一人きりにさせてしまった。

俺が、そう仕向(しむ)けたんだ。

俺はまた、エルクを裏切ったんだ。

 

「言っただろう?キサマはナイフだ。誰も助けなくていい。当然(とうぜん)、キサマ自身もな。」

 

……そうだ。

俺は『影』だ。(はな)から生きてなんかいない。その資格もない。

誰かを殺すためにだけに。俺自身を殺すために、俺はいる。

 

そうだ、俺は――――――――、

 

バシンッ

 

 

空気を()るような音が鼓膜(こまく)の奥にまで響いてきた。

「イイご身分だね。人に押し付けて、ふんぞり返って。命令する人間ってのはさ。さぞかし(えら)いんだろうよ。エルクをこんなにしたあの悪魔と何が違うんだろうね。アタシにも分かるように説明しておくれよ。」

いつの間にか俺の背中から()りていた彼女が、リーザの頬を打ち、小さな(あご)乱暴(らんぼう)(つか)んでいた。

「分かるかい?違わないんだよ。お前がエルクをこんなにしたのと何も変わんないんだよ。」

「……」

リーザは自分が何を言われているのか理解できていないようだった。放心(ほうしん)したかのように目を見開いている。

「だから言ったのさ。護りたいものは自分の手で護れってね。」

それでも彼女は最後まで言い切った。「これで(えん)を切る」という風に後腐(あとくさ)れなく、冷淡(れいたん)に。

 

そうしてアークへと向き直ると、彼女はさっそく自分の目的へと歩き始めていた。

「アンタがアークなんだよね?いきなりで悪いんだけど、アタシをロマリアまで送ってくれないかい?」

「……それはできない。」

「足を()してくれるだけでもいいんだ。アンタ(ほど)の男なら簡単なことだろ?」

青年は、この場にいる人間で一番の部外者であり、一番状況(じょうきょう)を理解していないにも(かか)わらず、すでに理性的な自分を取り戻し、彼女の突き付ける難題(なんだい)的確(てきかく)応答(おうとう)していた。

「勘違いするな。俺たちは決して奴らに対して優勢に動けている訳じゃない。俺たちは常に俺たちにできるギリギリのことしているだけだ。」

 

数年前から始まったアーク一味による犯行(はんこう)

ミルマーナ軍との大規模(だいきぼ)交戦(こうせん)。グレイシーヌ、ラマダ寺の大僧正(だいそうじょう)殺害。ニーデル、闘技(とうぎ)大会での景品の強奪(ごうだつ)。アリバーシャの難民(なんみん)虐殺(ぎゃくさつ)。スメリア国王の暗殺(あんさつ)並びに、パレンシア城の破壊による王族の根絶(こんぜつ)。公式発表はされていないが、バルバラードでも小さなテロ行為(こうい)をしている。そして、つい先日のアルディアの女神像式典襲撃(しゅうげき)

この内の幾つが真実なのかは定かではない。だが、少なくともこれだけの「(うわさ)」を流されるだけの人物であることに間違いはない。

だというのに、今さら「密入国(みつにゅうこく)」程度の犯行が不可能というのは素人(しろうと)ならずも信じがたい話に聞こえた。

 

しかし、値踏(ねぶ)みするように青年の顔を見詰(みつ)めると、彼女はアッサリとそれを認めた。

「悪かったね。周りの連中があんまりにもアンタたちを持ち上げるからさ。つい無茶を言っちまったみたいだね。」

「何にせよ、一時間もしない内にガルアーノの手下が後始末(あとしまつ)をしに来るか。安全な場所には送ってやる。」

「……だってさ。アンタらはどうするんだい?」

振り返る彼女の目は、(うずくま)ったままのリーザを見下(みくだ)していた。

 

 

 

端的(たんてき)な話し合いの結果、リーザとヂークはエルクを治療(ちりょう)してくれるというアークの船に乗り、スメリア某所(ぼうしょ)へ。

俺はシャンテを連れ、小型飛行船(ヒエン)でスメリアの首都、パレンシアまで飛ぶことになった。

 

「現在、ロマリアはガイデル王の命令で必要以上の厳戒(げんかい)態勢(たいせい)()かれています。どんな用向(ようむ)きであろうと、ロマリアの関係者以外は入国を認めてもらえないでしょう。」

アークを迎えに来たシルバーノアの操舵士(そうだし)が、操舵士ならではの貴重(きちょう)な情報を提供(ていきょう)してくれた。

「スメリアのパレンシアにいる”ペペ”という男に会ってください。私の古い友人ですが裏稼業(うらかぎょう)(くわ)しい男です。報酬(ほうしゅう)もそれなりに要求されるかもしれませんが、少なくとも無駄足になることはないでしょう。必要であれば、そちらの船は(わたくし)回収(かいしゅう)しておきます。」

「チョピン」と名乗ったその男は、出で立ちと物腰(ものごし)から、「犯罪者」をやる前はかなり(くらい)の高い人間に(つか)えていたらしいことが(うかが)えた。

そういう人間は主人を(ささ)えるために()てして情報通であるように(つと)め、主人さえも把握(はあく)していない裏の人脈(じんみゃく)も広げていることが多い。

彼の話の信憑性(しんぴょうせい)は高い。

「彼がどうしても無理難題を押し付けてくるようなら私の名前を出してください。アレには大きな貸しがあります。少しは融通(ゆうずう)()かせてくれるでしょう。」

「すまない、助かる。」

 

すると、少し肉付きのいい操舵士は「犯罪者」とは思えない(ほが)らかな笑顔で(こた)えた。

「その礼はまだ受け取りかねますね。何分(なにぶん)、ペペは腕利(うでき)きですが気分屋なところがあります。失敗する可能性もないわけではありません。それに、貴方(あなた)がたがロマリアに致命傷(ちめいしょう)(あた)えてくださったなら礼を言うのはこちらになります。言うなれば、私たちはまだまだ”対等(イーブン)”ですよ。」

上手(うま)い言い回しだ。

ここ数分の会話だけで俺たちのベストな人間関係を見出(みいだ)している。よほど交渉(こうしょう)の場に()れているようだ。

「そして、できることなら貴方がたには成功してもらいたい。その方が、我々は楽ができますしね。だからこそ、我々は協力を()しむつもりはありませんよ。」

航空機(こうくうき)そのものが(まれ)な存在である今の時代。領空(りょうくう)は各国においてシビアな問題であり、離着陸(りちゃくりく)許可(きょか)一つ得るのに多くの過程(かてい)()まねばならない。

そんな中で、彼のような交渉に()けた人間は航空機と同等ともいえる価値(かち)を持った存在といえる。

その上でシルバーノアのような大型飛行船の「操舵士」も(にな)っている。

名のある貴族、富豪(ふごう)に仕える人間であったとしても、彼の能力は高すぎる。

「ああ、それともう一つ。」

……もしかすると彼は、一味に入る前はスメリア王家に仕える身だったのかもしれない。

()くなった王の、()()()()()()をしているのかもしれない。

「先程も申しましたように、ペペは気分屋な人間です。少しでも成功率を上げたいとお思いならバーボンを飲ませることを(すす)めます。アレの好物ですから。」

彼はそれをわざと臭わせているようにも思えた。

 

 

 

――――スメリア近海上空

 

「……エルクは大丈夫かねえ。」

小窓(こまど)から見えるシルバーノアを(なが)めながら、俺に聞かせるでもなく彼女は(つぶ)いた。

「全身の7割火傷すると死んじまうって言うだろ?アークの仲間がどれだけ強い『力』を持ってるか知らないけどさ。少なくとも”元通(もとどお)り”って訳にはいかないだろうね。」

確かにその通りかもしれない。

だが、一命(いちめい)()()める。あの森で改めてエルクを見た時にそれは確信した。

 

リーザの腕に抱かれたエルクは、火傷の(あと)がほとんど消えていた。ところどころ赤い()れが残ってはいたが、一目で危険だと判断できた黒い変色はどこにもなかった。それどころか、(ただ)れていた顔の右半分が8割方再生していることに驚かされた。

リーザの『力』ではない。いくらなんでも処置(しょち)する時間に対してケガの(なお)りが早過ぎる。『力』を使った気配もなかった。

ということは、あれも青年の『力』の一つということになる。

彼いわく、彼らが向かおうとしているスメリア某所には治療(ちりょう)を専門とする仲間がいるらしい。

あれを上回るとなると、『蘇生(そせい)』さえも可能にするような人物なのかもしれない。

火傷のレベルと置かれていた環境から、後遺症(こういしょう)感染症(かんせんしょう)の心配もしていたが、それももはや無用だろう。

あれを見せられた後だからかろうか。彼が「治せる」と言ったからにはその言葉に間違いはない。そういう、(みょう)な確信があった。

 

それよりも――――、

「ロマリアへは一人で行くつもりか。」

「あん?……そのつもりだったけど。アンタも行きたいのかい?」

「そう思っていたところだ。」

「……それってのはエルクに会わせる顔がないからってことだろ?」

「……」

彼女の言う通りだ。

ガルアーノに(かか)わって以来、『(かこ)』が再び俺を(むしば)み始めているのは間違いない。

今のところ、俺はエルクを「護っている」と言えるほどの()()をしていない。

 

……そう考えてしまうのは、リーザに『(なじ)られた』影響なのかもしれない。

だが、エルクを護るべき肝心な局面(きょくめん)で俺は確かに『影』に()()られていた。それが原因でミスを(かさ)ねている。そんな自分を腹立たしいと()()()()()()()がいるのは事実なのだ。

 

手土産(てみあげ)の一つでもなければ、目を()ましたアイツの前に立つ勇気が持てそうにない。

それが本音(ほんね)だ。

「まあ、理由がなんだって構わないけどね。」

彼女は俺の(とぼ)しい表情からそれらを読み取ったらしい。

公園で魔人に全身を焼かれた彼女は、今や傷痕(きずあと)一つないキレイな姿に戻っている彼女は気怠(けだる)げに窓の外を見遣(みや)りながら言う。

「やるなら中途半端(ちゅうとはんぱ)にはしないでおくれよ。」

「足手まとい」と言わんばかりに。




※バーボン
ウィスキーの一種です。アメリカ合衆国、ケンタッキー州で特定の条件の下に生産されるウィスキーをバーボン・ウィスキー。略してバーボンと呼びます。
ちなみに、名前の由来はケンタッキー州にある群の一つ「バーボン群」からきています。

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