聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その二十

……口の中が、血の味で一杯(いっぱい)

でも、これは私の”血”じゃない

……エルク、これは私じゃないの

分かって、エルク…………

 

「エルク……」

 

彼女の目が、また青白い光を放っていた。周囲に無数の白い結晶(けっしょう)を舞わせ、右腕からは白い(つるぎ)を生み出していた。

「ミリル……」

「……」

声を掛けても返事はない。ミリルは、そこにいない。

「!?」

さっきよりも(するど)く、さっきよりも分厚(ぶあつ)い『冷気』が()()れる。

『白い風』、『氷の(つぶて)』、『氷柱(ひょうちゅう)』が四方八方から襲い来る中、俺はなぜか必死にそれを()け続けていた。

攻撃することもなく、無抵抗に殺されることもなく。

……俺は心のどこかで、まだ彼女を助けられるような気がしていたんだ。

まだ、心のどこかで神様が何とかしてくれるんじゃないかって期待(きたい)してたんだ。

 

神様なんかいない。

分かってる。

俺に、彼女を助けられるような”力”なんてないんだ。

分かってる。

それでも――――、

 

「ッツ!」

集中力を()いた(すき)を突き、2、3発の氷弾(ひょうだん)が左足を(つらぬ)く。我慢(がまん)できなくはない。だけど、そう長くはもたない。

打開策(だかいさく)の一つもない。

……ゴメンよ、ミリル。お前の手で終われるのが唯一の救い、かもな。

俺は『風』の動きから目を(はな)し、彼女の青く光る双眸(そうぼう)だけを見詰(みつ)めた。俺を殺そうとしている中でも、彼女は、ほんの少し笑ってくれているような気がした。

死ぬ前に見るのが彼女で、本当に良かった……。

「?!アアァァアアアァアァァァッ!!」

 

するとまた、何かを切っ掛けに彼女は()()けるような悲鳴を上げながら仰向(あおむ)けに倒れてしまった。

痙攣(けいれん)しながらも、小さな頭を(かか)えて壁に打ち付け始めた。

「ミリル!!」

俺には発狂(はっきょう)する彼女をどうにか押さえつけてやることしかできない。

「……クソッ、どうすりゃあいいんだよ。」

「エル、ク…、逃……げて……」

「…ミリル……」

どうして……、どうしてそこまでして俺を護ろうとするんだ。

俺はお前を護ることだってできない「弱い化け物」なのに――――。

 

 

 

――――”白い家”コントロールルーム

 

”白い家”の設備(せつび)は人間の理解を凌駕(りょうが)していた。命を造り、(あやつ)り、強化する能力は”精霊”さえも出し抜いていると自負(じふ)できる。

(あらが)えるはずもない。たかが――――、

ブタやトリの肉を食い、貧困(ひんこん)を悪とすることしかできない人間ごときには。

 

「エ、”M”が命令を受け付けません。」

ところがどうだ!!

この矮小(わいしょう)な『命』はワシの『力』さえも(おさ)えつけよる。一年にも満たない間に芽生(めば)えた”愛”ごときのために。この女は世界の理屈(りくつ)(ゆが)める(すべ)を身につけたのだ。

……まったく見事じゃないか。

美しいぞ、ミリル。お前こそ、ワシの理想だ。

だが…、まだだ。

お前ならば、分かるだろう?

理想は()さねば『悪夢(ゆめ)』でしかない。

ワシは完璧なお前が見たいのだ。

「……その手助けをしてやろう。」

 

 

悪魔は、「理想」という画家を探し求めていた。

帰る家さえも見失った彼は自らの手で「家」を生み出し、多くの子どもを産み続けた。

全ては彼の思い描く「理想」のために。

彼が追い求める”愛”のために。

 

 

「”M”を()()。」

「は?」

「聞こえんのか?”M”を壊せと言ったんだ。」

 

この極限の状態に追い込まれたお前はワシに何を()せてくれる?

さあ、(おろ)かなワシに教えてくれ!

 

「…よ、よろしいのですか?あの水準にまで(たっ)した成功例は非常に(まれ)です。次また同じものを造れるかどう…がっ?!」

恍惚(こうこつ)に水を差された(あか)い悪魔は、研究員の(あご)(つか)躊躇(ためら)いなく(つぶ)した。

余計(よけい)なセリフを()くように仕込んだ覚えはなかったのだがな…。これが生き物である限界か。俗悪(ぞくあく)な欲には抗えんらしい。」

掴んだままの男の手は、痙攣する肉を(むさぼ)っていた。ヂクヂクという品の無い音を立て、決して満たされない胃袋へと()としていた。

そこは決して救いの手の差し伸べられることのない、暗い暗い奈落(ならく)の底。

魂たちの(よど)む『生』と『死』の狭間(はざま)

 

「人形が人形らしく振る舞えないのであれば…、それはいったい何なのだろうな?」

一匹を喰い捨て、悪魔は隣の男に(ささや)きかける。

彼の殺意(ことば)は人形たちの身体へと流れ込む。一枚の壁もない裸の心へ。

「は、はい!」

そこには大人も子どももない。

彼の殺意(ことば)は完璧に(みが)かれたコンバットナイフ。()()しのペニスを()でれば、抗いようのない痛みと恐怖が否応(いやおう)なく『(にんぎょう)』を『人形』たらしめていく。

 

悪魔が着々(ちゃくちゃく)と自分のための舞台を(ととの)えている後ろで、萌葱色(もえぎいろ)の死に神は眉間(みけん)(しわ)を寄せていた。

「いいのか、傑作(けっさく)なのだろう?」

彼は悪魔の(みちび)きによって”快楽”を理解するまでに(いた)った。しかし――――、

なぜそこまで”複雑な快楽(もの)”を求めるのか。

彼を”突き動かしている快楽(もの)”が何なのか。

”快楽”と”愛”の間には深い、深い(へだ)たりがある。今の死に神にはその「隔たり」を認識(にんしき)することができない。

「川」と「海」の区別がつかない子どものように。

 

「壊してこそ、(つく)った甲斐(かい)があるというものよ。終わりを見て初めて満足できる活劇(かつげき)のようにな。」

無知な彼を捨て置き、悪魔は(うた)う。まるで吟遊詩人(ぎんゆうしじん)のように優しく、丁寧(ていねい)に、(ねぶ)る。

「それに、サンプルならある。レプリカを造るだけならオリジナルを壊したとて何の支障(ししょう)もないわ。」

余談(よだん)のように軽く付け足す悪魔の瞳は、大舞台(モニター)に釘付けになっていた。

 

すると、研究員の一人が、恐るおそる悪魔に緊急事態を()げる。

「……なんだ。」

「四時方向より所属不明の戦艦が接近しています。」

聞くなり悪魔は()(いき)()らし、夢中になっていたはずのモニターから視線を(はず)す。その顔にはいくらか人間らしい表情が戻っていた。

「……来たか。意外に早かったな。」

悪魔は彼の来訪(らいほう)を予知していた。

「来ない訳がない」と確信していた。

「ソレが来る」と予告されていた死に神もまた、自分の目の前にまでやって来るであろう青年の利発(りはつ)勝気(かちき)な顔を思い浮かべる。

あの手この手で彼らのリンチを()(くぐ)ってしまう、決して道を(ゆず)らない路傍(ろぼう)の石を。

 

「大した時間(かせ)ぎにもならんだろうが、丁重(ていちょう)に出迎えてやれ。」

「ここで迎え撃つつもりか?」

そのために自分をこの場に呼びつけたのかもしれない。悪魔の「儀式(ぎしき)」に(たか)ろうとするハエを追い払わせるために。

死に神は悪魔の狡猾(こうかつ)なやり方に舌打ちをしながら問いただす。

しかし、悪魔はそれを否定するように両手を上げ、軽く笑い飛ばした。

「まさか。この”家”の人間には予めアークの襲撃(しゅうげき)は伝えてある。今頃は各自退避(たいひ)し始めている頃だろうよ。」

「ここを放棄(ほうき)するつもりか。」

死に神は悪魔の思想が詰まった場所に()まわしさを覚えつつも()らず()らず、”白い家(ここ)”に名残惜(なごりお)しさを覚えていた。

二匹のドブネズミの(みにく)()()りを見て、実に楽しそうに笑う悪魔の造った”オモチャ箱”に。

悪魔(かれ)宣言(せんげん)通り、魅入(みい)られていたのだ。

 

ところが、(とう)の悪魔は死に神のような執着心(しゅうちゃくしん)を見せることはなく、淡々(たんたん)と用意した段取りを説明していく。

「必要なことをしているまでよ。勇者には最後まで()()()()()()()()()()()()意味がないだろう?」

「……貴様、まさかあの方の所まであのゴミどもを引き込むつもりか。」

彼らには「ロマリア四将軍」という裏の職務(しょくむ)があり、ロマリアには彼らを()べる「王」がいた。

しかし、その「王」も今は訳あって城の中に身を隠している。そんな大事の時、()()に無用の争いを持ち込んでいいはずがなかった。

だのに悪魔はそんな暗黙の了解を軽んじ、平然(へいぜん)と破ろうとしていた。

「確かめねばなるまい?あの方の眼鏡(めがね)(かな)うか(いな)か。万一(まんいち)、お()()さないのであればその場でキサマが(ほうむ)ればいいだけの話よ。違うか?」

(たわ)けたことを。それがどれだけ忠君(ちゅうくん)(あらわ)れであろうと、主人の寝床(ねどこ)にドブネズミを仕込んでいい道理になるものか。」

口にしつつ、死に神にはこの口論(こうろん)もまた悪魔の仕組んだ(いや)らしい奸計(かんけい)の一つのように思えてならなかった。さらに、自分にはそれ以上の選択肢(せんたくし)はないようにも思えていた。

悪魔が匂い立つ声で囁くまでは――――。

 

「ワシの”影”が、そこに何か仕掛けていたとしてもか?」

「……」

ガルアーノ・ボリス・クライチェック、彼には万が一のために身代わりとなる「影」がいた。

彼に(およ)ばずも聡明(そうめい)で狡猾な「影」は、()()()()()()()()多くの(たくら)み事を張り巡らせていた。彼がそれを許していたのだ。

彼の数少ない楽しみの一つとして。

「同じことだ。いいや、むしろ確固(かっこ)たる決意に変わったわ。」

「フハハハッ、意地を張るな。キサマももう気付いておるのだろう?自分がどうしようもなく”命ある存在”であると。」

「……」

「影」はこの世から消えた。つい先日、彼の舞台に上がり込んだもう一つの『影』の手によって。

「想像してみろ。万が一、万が一、我らが()()られ、ロマリアが火の海になる様を。」

しかし、死してなお「影」は自身と共に息づいている。この足元から伸びる黒いモノが、自分の首に手を伸ばすのではないかと悪魔は興奮(こうふん)していた。

そんな様に死に神は嫉妬(しっと)していた。

愉快(ゆかい)ではないか?いいや、愉快だろう!!どうしてだか分からない顔をしているな。ならば教えてやろう。それはな――――」

悪魔の浮かべた得意の笑みは、死に神との(かく)の違いを見せつけていた。

「ワシのオモチャが良いオモチャだからよ。」

 

やはり、ここで始末(しまつ)すべきなのだろうか。

 

理解の(なな)め上をいく悪魔の数々の行為(こうい)に、純粋(じゅんすい)な『死に神』であろうとする彼は自分の行動を決めかねていた。

 

 

――――”白い家”地下水路

 

 

「エルク…、ア、ア……」

嘔吐(えづ)く悲鳴に合わせて、彼女の容姿(ようし)変貌(へんぼう)していく。

パーツそのものは変わらないのに、それがつくる表情が異様(いよう)というだけで人はこんなにも化け物()みた顔になるんだ。こんなにも『悪夢(かのじょ)』に近付くんだ。

彼女の身体は(またた)()に冷たくなり、細氷(さいひょう)が周りを()()い始める。

「どうした。すぐにでもミリアはお前を襲うぞ?殺すなら今の内だ。…もちろん、逃げるという選択肢もあるがな。まあ、お前の好きなようにするといい。」

悪魔の声が耳元で囁いている。

「ア…、アア……エル…アァ……」

「ミリルから聞いただろう?ソイツは手術中に何度も暴れたのだ。その(たび)にジーンを投入(とうにゅう)した。唯一(ゆいいつ)コイツが傷付けるのを躊躇う相手がジーンだったからだ。それもつい最近では()かなくなってな。とうとうアレをあんな姿にしてしまいおった。」

傷だらけの()()の姿がチラつく。

「それでも奴は必死にミリルを(なだ)めよる。分かるか?ジーンは自分が不自由の身になろうとミリルを護り続けたのよ。お前はそんな健気(けなげ)な男を炭に変えてしまった。そして今、キサマの命を()(てい)して護った女に対し、お前にはやはり”殺す”という選択肢が(せま)っている。」

「……」

違う。逆だ。

俺はここでミリルに殺されなきゃいけないんだ。何かが(つぐな)われる訳じゃない。彼女の苦しみが(いや)される訳じゃない。それでも俺は、ここで死ぬべきなんだ。彼女の手で。

 

「オカシイとは思わんか?狂っているとは思わんか?」

俺が、どんな状態であっても悪魔の声は(つね)に耳元で聞こえてくる。

そこに、いる。

(わら)で隠した穴に落としたくてウズウズしているんだ。

「この世にはお前よりも(めぐ)まれない人間は巨万(ごまん)といる。だが、その身に『化け物』を住まわせ、友人愛人に(ねら)われ、殺すことでしか終われない運命を背負(せお)った人間はそう多くない。」

そうだ。

俺より不幸な人間は少なくない。

だけど、こんなにも他人を不幸にさせた人間はそう多くないはずだ。

だからこそ、俺はここで終わるんだ。

 

「もしもこの狂った運命を変えて欲しくばワシのモノになれ。ジーンはどうしてやることもできんが、今ならまだその女とキサマをこの地獄から救ってやらんでもない。」

「……あ?」

どうすればミリル助けられるってんだ。

どうすれば俺のやってきたことを帳消(ちょうけ)しにできるってんだ。

勘違(かんちが)いはするなよ。これは取引じゃあない。慈悲(じひ)深いワシからの(ささ)やかな提案(ていあん)だ。飲むも飲まぬもやはりキサマの好きにするといい。」

……全部、お前のせいだろうがよ。

「ワシは(じき)にこの施設(しせつ)を捨てねばならん。本国(ほんごく)に、ロマリアに帰投(きとう)する。もしもキサマにその気があるのなら、その時までにワシの所まで来い。無論(むろん)、その女を連れてな。」

 

……ここを捨てる?ここにいる彼女はどうするつもりなんだ。見捨てるのか?

 

 

――――”白い家”コントロールルーム

 

「仕上げだ。やれ。」

「ハッ。」

悪魔の小間使(こまづか)いたちが手元のダイヤルを右へ右へと回せば、計器の針がグングン、グングンと右へ右へと振り切れていく。

抗う彼女を奈落へと突き落すかのように、グングン、グングンと。

 

 

……時間が来てしまったのだ。

ワシはここから離れねばならん。

実に残念だ。白銀(はくぎん)勇者(あくま)の憎たらしいことよ。

だから、ワシの愛する娘よ。これはワシからキサマに(おく)る最後のプレゼントだ。

だが…、もしも、お前がまだワシに抗えるというのなら……、

………いいや、何でもない。

 

……受け取れ。

 

悪魔の紅い手が爪を立て、小さな小さな白無垢(しろむく)の心臓を掴む……そして、(にぎ)り潰す………

 

 

 

エルク、私、自由に、なりたかった……

 

「………イヤだ…、イヤだ、イヤだイヤだイヤだイヤだっ!!!」

閃光(せんこう)が、二人を(つつ)み、『夢』に火を()べる。

包み込む「赤」は二人を、二度と出会わないように、二度と出会えない場所へ連れて行く。

 

遠く、遠く――――

 

遠く、遠くへと――――




※俗悪(ぞくあく)
低級で下品なこと。

※奸計(かんけい)
悪だくみ。

※細氷(さいひょう)
ダイヤモンドダストの和名です。

※小間使い(こまづかい)
召使いのようなものです。

※白無垢(しろむく)
本来なら「花嫁衣裳」もしくは「死に装束」といった礼服にあたる言葉ですが、今回は「純粋無垢」みたいな意味で使わせてもらっています。「死出の衣装」という意味では少し掛かっているかもしれませんが。

※お詫び
今回、一部、卑猥な表現を用いたこと。深く、お詫びさせていただきます。
納得のいく作品づくりのため、どうかご容赦ください。

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