聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その十九

――――”白い家”コントロールルーム

 

悪魔はモニターに(うつ)る二匹の子どもの(じゃ)れ合う姿に微笑(ほほえ)み、恍惚(こうこつ)としていた。

「どうよ、この光景。子どもは親の目の届かんところで大きくなっているとは言うが、この光景こそまさにそれを体現(たいげん)しているとは思わんか?」

悪魔の言葉に異議申し立てるかのように、キーボードをパチパチと叩く音が画面の向こうにいる子どもたちの目に見えない吹き出しを(えが)いている。

「子どもながらに愛し合い、愛し合いながらも殺し合わねばならん。これだけはどんな(すぐ)れたアーティストであっても表現できるものじゃあない。まさに、絶対領域というやつよ。」

悪魔の趣向(しゅこう)を理解しつつある萌葱色(もえぎいろ)の死に神は、彼の自作自演を傍観(ぼうかん)していた。

「こんな胸の(おど)活劇(せいちょう)を人はなんと呼ぶか知っているか?」

悪魔は死に神に問い掛けた。しかし、悪魔は彼が言い当てることを期待(きたい)していない。自分の口で(うた)ってこそ彼の”快楽”は満たされていくのだから。

それを理解している死に神はただ、自分の出番だけを根気強く待ち続けていた。

「ああ、これぞ”人生”よ。」

これ見よがしに悪魔は詠う。自己陶酔(じことうすい)するナルシストのように。

「”人生”か。くだらん。命短し人間の考えそうなことよ。」

「ククク、キサマならそう言うと思っておったわ。」

死に神にとって、命あるモノの一生はどれもこれも風前(ふうぜん)灯火(ともしび)でしかない。彼が「ふう」と息を吹きかければすぐに消えてしまう、価値のないものでしかない。……今までは。

そんな、(いま)だ自分の変化を認め切れていない彼のボヤキを捕まえ、悪魔は得意気(とくいげ)見遣(みや)る。

「最後まで見ていくといい。人間というオモチャの本当の味がどんなものか。キサマにも理解できるだろうよ。」

悪魔の催促(さいそく)に突き動かされ、研究員らは手元の機器を(せわ)しなく動かし始める。

 

そこには”M”と呼ばれる『化け物』の全てがあった。

彼らの打ち出す数字が、”M”の心も身体も(いろど)っていく。”M(かのじょ)”が望もうと望むまいと。

 

 

 

――――”白い家”地下水路

 

二匹の子どもたちはすれ違う感情を(いだ)きながら見つめ合っていた。

「ミリル……」

一匹は、ありもしない救いを求めて。

「……」

一匹は、自分を(だま)し続けた裏切り者に憎しみを込めて。

 

悪魔が二匹に()(まと)い、二匹の愛は『夢』の中でも外でもついに結ばれることはなかった。

だがしかし、それは生まれながらに決まっていたこと。二匹が(いびつ)な『命』を持って産まれてしまったがために。

それは()えの()かない『運命』という名の歯車に変わり、一度()み合った二つの歯車は二度と(のが)れること(かな)わない。

何人(なんぴと)()(いれ)ることのできない世界へと。直走(ひたはし)るしかない。

悪魔はそこに少し手を加えたに過ぎない。生肉に一摘(ひとつま)みの香辛料(こうしんりょう)をまぶすように。

二匹がもがけばもがくほど歯車はただただ(ゆが)み、『悪夢』はより(こう)ばしい『悪夢』へと育つ。

 

 

「ミリル…俺はどうすればいい?」

上半身を起こし、壁に背中を(あず)ける彼女の瞳は(こお)りついていた。俺の言葉なんか寄せ付けないくらいに。

「何も考えることないじゃない。アナタはアナタの目的を()たせばいいのよ。それがアナタの望みなんでしょ?」

(あきら)めていた。

俺のことも。自分のことも。

「違うんだ。誤解(ごかい)だ。俺は、ミリルを助けにきたんだ。これは本当だよ。嘘じゃない。」

「……嘘、じゃない?…エルク、私も初めはアナタの言葉ならなんだって信じるつもりでいたわ。でも、私は今までに嘘吐(うそつ)きをたくさん見てきたの。…そう。たくさん、たくさん、数え切れないくらい。」

彼女の視線は俺を(とら)えたまま動かない。その瞳孔(どうこう)も、ここにある現実(ひかり)拒絶(きょぜつ)するかのように固まっている。死人のように。

「エルクは私を選ばない。」

その()()ない視線は俺の心まで()てつかせていく。足掻(あが)く俺に他の答えを探させない。

「アナタは私が邪魔になったのよ。分かってたことだわ。そんなこと。……ずっと前から。」

ゆっくり、ゆっくりと彼女は立ち上がる。

「私はただ夢を見ていただけなんだわ。永い永い、悪い悪い夢を――――。」

流れるような彼女の金髪が、空へ羽ばたくかのようにゆっくり、ゆっくりと広がっていく。

 

「……やめろよ………」

「エルク。私はね、寒いの。寝ても()めても、いつだって皆が私をイジメるから。…()えられなかった。」

「やめろよ……」

「だからね、来てくれるのをずっと待ってた。それを……、裏切ってくれてありがとう。」

彼女の青い青い瞳が(あわ)い光りを()びていく。

「お(かげ)で何もかも吹っ切れたわ。」

「頼むよ……」

「私には分かるよ。エルクももう、『悪夢(ゆめ)』は見たくないでしょ?だから――――、」

すると、周囲の空気が前触れもなく「パキパキ」と鳴り始める。

「だから、殺し合いましょう?」

凍った瞳の内側から込み上げる憎しみの光に合わせて、空気が白く、白く(にご)っていく。

 

「ッ!?」

油断(ゆだん)をした訳じゃない。俺の意思に反して体はすでに臨戦態勢(りんせんたいせい)に入っていた。

だからこれは単純(たんじゅん)に押し負けたんだ。

「私ね、(すご)く強くなったんだよ?」

腕が焼けるように冷たい。

「その(たび)に先生たちは笑うの。”スゴイ”、”イイ子だ”って。」

先生、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を俺たちはそう呼んでいた。

 

………そうだ

 

それがオカシイと一番初めに気付いたのはジーンだった。毎日(あた)えられる薬を隠れて捨てていたアイツが、俺たちに逃げるチャンスをくれたんだ。

「ジーンだって、私には勝てなかったのよ?」

……やっと…、やっと思い出したってのに。やっとみんなが俺の大切な人だって分かったのに。

「…ジーンはこんなになった私を殺してはくれなかった。私はそのつもりで、彼をたくさん傷付けたのに。」

それってのは、ジーンのあの腕も目も、ミリルがやったってことか?

落ち(くぼ)んだ眼孔(がんこう)()()まれただけの魚のような目。何人(なんにん)もの人間を切り殺して脂塗(あぶらまみ)れになった巨大な刃物(みぎうで)

それ以外にも、再会したアイツは全身傷だらけだった。

 

あんなに笑い合った俺たちなのに…。ミリルはアイツの目と右腕を奪い、俺はアイツの命を奪ったんだ……。

「エルク、分かる?分かるよね?私はね、もう()えられないの。………もう、堪えられないのよ!!」

悲鳴(ひめい)と共に襲いくる『冷気』が俺の『炎』を切り()く。目一杯(めいいっぱい)の『炎』も彼女の『冷気』を()()くすことができず、剃刀(かみそり)のような風が容赦(ようしゃ)なく俺の全身を()でていく。

「お願いだ。もう一回だけ、信じてくれよ!今度こそ、ミリルを助けてみせる。だから――――!」

「ウルサイッ!」

また、『白い風』が俺を撫で斬りにしたかと思うと背後の水路を(またた)()に凍らせ、氷の散弾となって返ってくる。

「痛いのも、嘘吐きも、もうたくさんっ!」

怒りで制御(せいぎょ)が甘くなったのか。『冷気』に(あつ)みがなくなり、そこに俺の『炎』が雪崩(なだれ)込み、彼女を飲み込む。

「キャァァ!」

「ミリルっ!」

咄嗟(とっさ)に『炎』を追い払って、彼女に駆け寄る。だけど――――

「近寄らないで!」

「グッ!」

()()ぐ俺へと突き出した彼女の腕から、彼女の(はだ)よりも白い氷の(つるぎ)が恐ろしい速さで伸びてくる。

体勢(たいせい)が悪い。『炎』も回避(かいひ)も間に合わない。……ダメだ。

………ヤラレル。

それは俺の(のど)(つらぬ)く……はずだった――――――

 

 

 

 

……エルク…………どうして、帰ってきたの?

 

 

 

 

――――時間が止まっていた。

俺のかいた脂汗が、白い剣の上を走っていた。

「……ミリル?」

彼女の生み出した氷の剣は(すん)での(ところ)で止まっている。

そこからピクリとも動かない。

何で?

白い剣は大男の腕のように太く、鉄よりも固く見えた。それは「殺意」の(かたまり)にしか見えなかった。

彼女はそれに抗ったんだ。

何で?

悪夢(ゆめ)』の中では「弱い」と(ののし)り、ついさっきまで「裏切り者」と言っていた彼女が。

何でなんだ?

 

混乱して動くことができなかった。

――――彼女の瞳が()()()()()()()()

 

 

「……エルク、許して……」

彼女は泣いていた。涙は、凍らせていた彼女の「憎しみ」そのものであるかのように、そこに現実(いま)を映し始めている。

「私のことは…、も…う、忘れて……」

彼女の(くちびる)凍死(とうし)寸前(すんぜん)遭難者(そうなんしゃ)のように震えていた。

「…どういう、ことなんだ?」

「もう、戻れないの…。あの頃…には…。」

一言ひとことを割れ物を(あつか)うかのようにゆっくり、ゆっくりと置いていく。

「ミリル…。もしかして、お前を(あやつ)ってるヤツがいるんじゃねえのか?ソイツをブッ(たお)せば…、それでイイんだろ?」

錆付(さびつ)いたブリキ人形のようにぎこちなく首を振り、彼女はまた、たどたどしく話し始める。

「もう……ミリルは…、い、ない、の。」

言いながら、白い剣がボロボロと彼女の細い腕から()がれ落ちる。

そこには、飼い犬を()に放すような、「憎しみ」という首輪から解放されていくような実感があった。

解放と同時に、()けがたい「別れ」を感じた。

「”白い…家”は…、一匹の怪…物、」

さらに、彼女は(かろ)うじてつくることのできた笑顔で繰り返し、俺を突き放す。

「ミ…リルは、いな……いの。」

あの森で、「助けを呼んできて」と言って俺の背中を押したあの女の子のように。

「なんでそんなこと言うんだよ。ここまで来たんだぜ?ミリルはここにいるじゃねえかよ!」

 

言い終わるよりも早く、彼女は気を(うしな)っていた。

 

「……」

その場に(くず)れ落ちた彼女を(かか)え、俺はまたノロノロと出口へと向かって歩き出した。

「そのまま連れて帰って何になる。」

「……ガルアーノッ」

「憎しみ」とも違う。「恐怖」でもない。今までに覚えたことのない感情が体中の息を押し出した。

苦しくて、それ以上の言葉が続かなかった。

「フハハハハ、そうだ。ワシはお前のそういう顔が見たいのだ。」

「……」

「どうした。怒りで言葉も忘れたか?」

スピーカーから響く男の声は今までになく()()()()()()()()()()()()

「返事を聞くことができんのは残念だが、ここでワシからキサマに感謝の言葉を(おく)らせてもらおう。」

男が笑いを(こら)えているのが分かった。

「キサマのお(かげ)でミリルは最高の笑顔をワシに見せてくれたよ。お前が帰ってくると聞いた瞬間。お前を殺さずにすんだ瞬間。あれこそ、人間が(あらわ)すことのできる最高の”愛”。お前もそう思だろう?」

男が俺たちを心から()でているのが分かった。だからこそ――――、

「ミリルを…、放せ……。」

男の考えていること、感じていることが手に取るように分かった。

「…悪いな。聞こえなんだ。もう一度、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

まるで、俺が「悪魔」そのものにでもなってしまったかのように。

だからこそ――――、

これからミリルに何をさせようとしているのかも――――

だからこそ――――、

「ミリルを、放せ!!」

それが俺にできる精一杯の()()()()()

 

この時すでに、俺は認めてたんだ。

この後に悪魔が言う真実を。

「一度(つな)がった『血』は何人(なんぴと)にも()ち切ることはできん。親と子の関係とは、そういうものだろう?()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

 

 

俺の中で何かが爆発した。

視界に映る、ミリルを(のぞ)く全てが真っ赤に()ぜた。

水も石畳(いしだたみ)も鉄も空気も、何もかも。

……息が、苦しい。

けれどそれ以上に胸が、チリチリ、チリチリと痛い。

心臓が、今にもはち切れてしまいそうな体を必死に(こら)える爆弾のように、(はげ)しく(みゃく)打ってるのが分かる。

 

 

 

「……ククク、フハハハッ!そうよ、エルク。もっと怒れ!憎め!キサマの一喜一憂(いっきいちゆう)もまた、ワシにとっては()()えのない”喜び”よ!」

その声は、ずっと向こうにある生き残ったスピーカーから聞こえてきた。

辛うじて聞こえているはずなのに、耳障(みみざわ)りなくらい大きな声に聞こえる。

「だが、それもそろそろ潮時(しおどき)よな。」

そして、我を忘れている俺の中にも悪魔の吐き出す不穏(ふおん)な空気は簡単に流れ込んでくる。

「受け取れ。これはワシからキサマらに贈る最高の、そして()()()()()()()()()。」

不穏な言葉は俺の『心臓(ほのお)』を無抵抗に鎮火(ちんか)させる。

 

「!?アアアァァァァアアアァッ!!」

「ミリル?!」

突然、腕の中の彼女が激しく(あば)れ出した。(まぶた)を引き千切(ちぎ)らんばかりに目を剥き出し、喉が破裂(はれつ)してしまうんじゃないかと思う程に大きな声で叫びだした。

デタラメに『力』を()()きながら。……いいや、違う。

これは、(おさ)えきれてないんだ。

直前まで自分がそうであっただけに、今の彼女がどれだけ危険な状態なのかハッキリと理解できた。

「おい、ミリル!落ち着け、落ち着けよ!!」

このままじゃ…、ミリルが(こわ)れちまう!

「頼むから、落ち着いてくれよ!!」

強く抱き()め、(おさ)まるのを願った。生まれて初めて、神に祈った。

『冷気』に全身を()かれながら、生れて初めて、心から神様を信じた。

 

助けてくれ!!

 

すると――――、

次第(しだい)に彼女の痙攣(けいれん)は治まり、(おだ)やかな表情を取り戻し始めた。

俺の願いは聞き届けられたんだと思った。

素行(そこう)の悪い俺だったけど、神様は平等で万能(ばんのう)なんだと心から感謝した。

 

そうしてその薄い瞼が持ち上がると、彼女はボソリと俺の名前を(つぶや)いた。

「エルク……」

……その瞬間、その一言で俺は理解した。

神様を信じた俺は、なんてバカなんだって。

 

 

本当に……、本当に、ミリルはいなくなっちまったんだ

 

――――私を殺して

 

俺にはそう言っているようにしか聞こえなかった。




※寄る辺ない(よるべない)
自分の身を預けられる人や場所のこと。頼みにできる場所やもののこと。もしくは、配偶者。

※白い風、白い剣
氷は、中に空気を含むほどに光を乱反射させて白く濁ります(そう見えます)。
だから敢えて「白」という表現をしています。

※「!?」と「?!」
最近、某バラエティー番組でも取り扱った話題ですが、「!」と「?」、それぞれを
「!」→アマダレ(感嘆符)
「?」→ミミダレ(疑問符)
と言います。そして、二つを合わせた記号を
「!?」「?!」→ダレダレ(もしくはダブルダレ)ダレノ○レノ○美さんではありません。

ちなみに、「!?」を「感嘆符疑問符」、「?!」を「疑問符感嘆符」とも呼ぶそうです。
そこで今回の本題、この二つの使い分けですが、非常に感覚的な問題のようです。
対象の「驚き」を優先させるなら「!?」を。「疑問」を優先させるなら「?!」を使うそうです。

単純ですが、これを知っているだけで読む方も書く方も内容が伝わりやすいかと思って今回、紹介しましたm(__)m

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