聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その十八

――――”白い家”中枢(ちゅうすう)方面

 

シャンテの身のこなしは、自分の基礎体力を上手(うま)くコントロールし、また、その上限を完全に把握(はあく)していた。

酒場で彼女を撃った時も、今のこの隠密(おんみつ)行動にも素人(しろうと)らしいミスは見当たらない。かといって玄人(プロ)の戦闘員かと問われれば、そもそも彼女の体質がそれに向いていない。

だからこそ、今の彼女の姿は自分の能力、役割をよく心得た結果生まれたものとも言える。

よほど頭が切れるのか。今までの経験が彼女を今のように育ててしまったのか。

もしくは、その両方かもしれない。

(そう)じて、彼女はできることなら「敵」に回すべきではない人物だった。

……できることなら。

 

また、彼女は「退屈(たいくつ)」が気に入らない性分(しょうぶん)でもあるようだった。

「アレと二人きりにして良かったのかい?」

特に敵の気配のない現状、彼女は俺の単調な指示に従いながら適当な話題を振ってきた。

「問題ない。エルクなら上手くやる。」

正直なところ、俺は彼女を「敵」か「味方」か判断(はんだん)しかねていた。

間接的ではあるが、彼女にはエルクを護る上で大事なことを教わっている。だが、そのエルクが―――これもまた関節的ではあるが―――彼女の(かたき)だというなら、俺はエルクを護らねばなるまい。

……そして個人的にも、俺は彼女に興味があった。

「そうかねぇ。アタシにはどうにもまた、トバッチリを受けそうな気がしてならないよ。」

彼女の示す敵意もまた一貫性(いっかんせい)があるように見えて、どことなく不安定な部分があるように思えてならない。

 

そして今、彼女がなぜこの話題を持ち出してきたのか。

「アンタも気付いてるんだろ?」

彼女のその言葉だけで通じる大きな「障害(しょうがい)」を、エルクは(かか)えているのだ。

「ああ。」

結論(けつろん)から言えば、(すで)にミリルに『人間』の部分はほとんど残っていない。十中八九(じゅっちゅうはっく)、どこかしらのタイミングでエルクを(おそ)うだろう。

それでも()えて二人きりにしたのは、エルクにとってそれが最後の『悪夢(かべ)』だからだ。

「だが、全て乗り越えてもらう。エルクならできる。」

そこに、俺という存在がいてはならない。(たと)え、エルクがそれに()まれることになったとしても。

 

ミリルを解放(かいほう)した時、エルクが研究員を相手に(あば)れている間に、俺はできる限りのことを調べた。

体温、瞳孔(どうこう)(みゃく)唾液(だえき)……。その多くが()()()から(はず)れていた。本来なら、アレはもう自律(じりつ)した活動を行える体ではない。

つまり、外部からの操作(そうさ)、調整を受けてアレは()()()()()のだろう。

そういった技術の存在は聞いたことがないが、ここがロマリアの介入(かいにゅう)する施設(しせつ)であるなら(あなが)ち無いとも言いきれない。

……エルクは既に護るべきものを(うしな)っている。

俺が掛けてやれる言葉は所詮(しょせん)、「延命措置(えんめいそち)」に()ぎない。

この『現実』に呑まれ、『悪夢』に()ちるか。()()びるか。それはもう、アイツにしか決められない。

 

「できないさ。アタシには分かる。」

「……」

「死ぬよ?」

そもそも『ミリル』はエルクにとって不発弾(ふはつだん)でしかない。何をしてもエルクの精神に致命傷(ちめいしょう)(あた)えることができるだろう。

それでも……、それでも、必要なことなんだ。

アイツが『人間』であるためには。

「できないはずがない。アレは俺が育てた男だ。」

俺は、信じて待つ他ない。

 

不意(ふい)に、立ち止まって俺の注意を引くと、彼女は俺の目を(のぞ)き込んできた。

「……なんだ。」

「いいや、あの晩もこれくらい饒舌(じょうぜつ)(しゃべ)ってくれてたらもっと美味(うま)い酒が飲めただろうなと思っただけさ。」

そっと()(あが)る彼女の唇もまた、俺には理解しがたい魅力(みりょく)を見せつけていた。

 

「……俺からも一つ確認しておく。」

彼女に()かれているのは気付いていた。だがそれは俺という人間にとって居心地(いごこち)が悪い状況(じょうきょう)でもあった。

そのためか。進んで話を険悪(けんあく)な方向へと運んでしまう自分を(おさ)えられない。

「アタシの目的かい?」

「……」

「弟の回収さ。」

「……どういう意味だ。」

 

シャンテは末端(まったん)とは思えないこの施設の詳細(しょうさい)な情報を(にぎ)っていた。

「アイツらにとっちゃあ所詮()()でしかないんだろうね。人間らしい血の色なんか見た(ためし)がない。」

彼女いわく、ここで(あつか)われる素体(そたい)は皆、収容時(しゅうようじ)に体の一部を採取(さいしゅ)されるらしい。それは()()のためのデータサンプルとして保管されているという。

どれもこれも、今の時代にはありえない誇大妄想(こだいもうそう)のような技術に思えた。

そういう未知数の敵であると知っていながら、彼女は愛する者への(とむら)いとして(とら)われの遺体(データ)抹消(まっしょう)しに来たのだ。

 

「……ハハッ、言ってみるとバカらしいね。連中に人間の価値観(かちかん)を押し付けるなんてさ。」

勝てない敵を相手にしているからこそ、彼女はそこに「慈悲(じひ)」のようなものを求めているのかもしれない。

だが彼女の言うように、それこそ無駄な(いの)りでしかない。

「だからこそアタシが、この手でヤるのさ。誰にも頼れないからね。」

「一人で、やるつもりだったのか。」

「できることならガルアーノだって殺してやろうと思ってたさ。」

「……無謀(むぼう)だな。」

その冗談(じょうだん)面白(おもしろ)く感じたのは彼女だからだろうか。こんな状況で俺は軽率(けいそつ)にも笑っていた。

 

「ハハッ、そう言われて(あきら)めがついちまうんだから。そもそもそこに”覚悟(かくご)”なんてなかったんだろうね。それでも…、」

不敵(ふてき)()みを浮かべながら、彼女は俺に銃を突き付けて言う。

「最後まで付き合ってもらうよ。もしも、万が一、()()()()()()()()()()()、指の件と合わせてアンタたちのこと、チャラにしてやってもいいよ。」

「……」

あの屋敷(やしき)で聞いた彼女の呪いの言葉は(まぎ)れもなく本物だった。彼女は何処(どこ)までも俺たちを追い詰め、必ずや制裁(せいさい)(くだ)す。

その対象(たいしょう)から外れることはないものだとばかり思っていた。

だが、心の奥底で彼女はそれを否定しようと(つと)めているらしかった。エルクに()はないと。

彼女は見極(みきわ)めようとしている。

誰を()めるべきか。誰を殺すべきか。

彼女を救ったはずの”愛”がそれを()(みだ)している。彼女を護るべき”愛”が彼女をオカシクしている。

 

俺は、彼女の浮かべる笑みに砂漠(さばく)で拾ったあの子どもと同じものを感じていた。

 

 

 

――――”白い家”出口方面

 

ミリルを背負(せお)い、俺は来た道を全力で戻っていた。

「どうやって逃げるの?」

攻略してきた道だからだろうか。敵からの妨害(ぼうがい)はなく、俺たちは順調な脱出を(はか)れていた。

「外に仲間がいるんだ。無線機(コイツ)の届く範囲まで出られれば飛行船で迎えに来てくれる。」

小型飛行船(ヒエン)と交信するための無線機は”森”を抜けないと使えない。シュウの援護(えんご)もしに戻らなきゃならない。

つまり、今一番のネックは、シュウ抜きでいかに素早く”森”を抜けられるかだ。

「その人たちは私のこと、知ってるの?」

「あ?ああ、もちろん。」

「……」

背負っている彼女の表情は確認できない。けれど、彼女が何を心配しているのか、何とはなしに(さっ)しがついた。俺が、彼女の立場だったら。

「その人も、この施設の犠牲者(ぎせいしゃ)なんだ。ミリルをどうこうしようなんて思わねえよ。」

「……女の人?」

「あ?」

彼女は俺の背中に鼻を(うず)めながら言った。

「エルクから、その人の匂いがする。……とてもイイ匂い。」

その返しは予想してなかった。そして――――、

「何が言いてえんだよ。」

そして、俺は今さらながらに、砂漠の()(なか)()()()()()()()()()()()()()()()()()()を思い出していた。

「……その人は私からエルクを()っちゃうのかな?」

再会できた喜びからか。それとも、危険な状況に置かれ続けて感覚がマヒしているのか。彼女の言葉は今の状況とあまりにも()()っていない。

「変なこと言ってんなよ。今はここを出るのが先決(せんけつ)だろ?」

今は、それ以上、()()げないで欲しかった。

「私、エルクが迎えに来てくれて本当に嬉しかった。」

……怖いんだ。

「もう、離れ離れはイヤだ。」

また、彼女を『あそこ』に置き去りにしてしまうのが。

「……エルクは、違うの?もう、私がいなくでも平気?」

「平気じゃねえよ。だけど……、」

「……だけど?」

 

俺の「理性」が言う通り、今、この場で言い合うことじゃないのかもしれない。でも、彼女は今、動けないんだ。

『森』の枝に足を取られて、転んだままなんだ。

手を()()べなきゃ、また、(つか)まっちまう。

 

「俺は、ミリルの(そば)にいるよ。だけど、ミリルにもちゃんと生きて欲しいんだ。」

「……ちゃんとって?」

「色んな人がいるんだ。気のイイ奴、悪いヤツ。色んな場所があるんだ。見晴らしの良いところ、ゴミだらけのところ。俺はたくさん、見てきたんだ。…俺、犬飼ってるんだぜ?ミリルにもたくさん見て欲しいんだよ。色んなもの。色んな人。」

5年前、砂漠に投げ出された俺にとって、シュウに見せてもらった外の世界は何もかもが新鮮(しんせん)だった。

出会ったものの数だけ何かを感じさせてくれた。

目を(そむ)けたくなるような恐ろしいことも、頭に血が(のぼ)っちまうことも沢山(たくさん)あったけれど、そんなものが干涸(ひか)らびた俺の心を()めてくれたんだ。

 

大事なんだ。俺たちみたいな“(せま)い家”で育っちまった『子ども』にとって、何かを見るってのは。

 

「エルクは、傍にいてくれる?」

(わず)かに、俺の首に回された彼女の腕に力が入る。

彼女の心音が、背中を通して俺の心臓を叩く。俺も、上手く返さなきゃいけない。

「当たり前だろ。」

すると、彼女はごく自然に俺の(ほお)にキスをした。

「エルク、私とずっと一緒(いっしょ)にいて……。」

毎晩、『悪魔』の中で俺を「弱い」と(ののし)ってきた彼女が。

「エルクが傍にいてくれるなら私はどこにでも行くよ。」

だからこそ、俺をオカシクさせるには十分だった。

そのことに感じるべき罪悪感(ざいあくかん)()かなかった。

 

「あ、待って、エルク。」

のぼせた頭で出口を目指(めざ)す俺の手綱(たづな)を引くように、彼女はまた俺の首を()めた。

「な、なんだよ。」

「ジーンを連れて行かなきゃ。」

「……」

……聞かなきゃ、良かった。

 

唇が、糸で()いつけられたかのように動かない。1ミリも。

「どうしたの、エルク?早く行ってあげなきゃ。ジーンだって、エルクが来てくれるのをずっと待ってたのよ?」

彼女は()()くす俺を催促(さいそく)するように()()めた。

…………俺が、言わなきゃダメなのか?

 

「ジーンはもう……」

彼女に聞こえないように言うのが精一杯だった。

それを知ってか知らずか。彼女はこの「運命の日」への喜びをますます、ますます大きく(ふく)らませていく。

「きっと喜ぶわ!エルクだってそうでしょ?」

彼女の心臓が俺の背中を打つたびに、鋭利(えいり)な何かが俺を()しているような気がした。

何度も、何度も。

()(かえ)し、繰り返し。

「ジーンはもう…、いねえ。」

虫の息だった。

「え?なに?聞こえないわ。…エルク、さっきから変よ。どうしちゃったの?」

俺が言わなきゃ、彼女はこれからもずっとアイツの名前を口にし続ける。……寝ても()めても。

そんなの、今までの『悪夢(ゆめ)』と何も変わらねえ。

 

「もしかして、忘れちゃったの?ジーンよ。私たちいっつも一緒にいたじゃない。」

「違うんだ!!」

これ以上、()えられない。

もう、『悪夢(ゆめ)』を見るのは沢山だ!

「ど、どうしたの?エルク、私、何かいけないこと言った?」

どこかで誰かが言わなきゃならないなら……。

「ジーンはもう、いねえんだ。」

やっと、俺の言葉は彼女の耳に届いたらしい。彼女の心の声がピタリと聞こえなくなった。

「……何、言ってるの?分からないわ。」

だんだん、彼女の身体が冷たくなっていく。

どんどん、遠くなっていく。

「……ミリル、違うんだ。」

違わねえ。なに言ってんだ。ビビッてんじゃねえ。彼女に、嘘を…、()くんじゃねえ……。

 

「ミリル、ジーンはいねえんだ。もう、どこにも……。」

そして、彼女はとうとう全てを察してしまう。

「……エルクが、殺したの?」

その声色は低く、「もう後戻りはできない」と俺に()げていた。

「……」

「そう。エルクがここに来たのは、私たちを殺すためだったのね。」

「違う!俺はミリルを助けに来たんだ!」

「私、だけ?他のみんなは殺すの?」

「違う!」

……本当に?

……俺は何のためにここに来たんだ?

「俺は、みんなを助けにきたんだ。」

「……エルク、それは嘘だわ。」

そうだ。これは嘘だ。こんなの、嘘に決まってる。

ミリルに言われるまで、()()()()()、一度だって口にしなかったじゃねえか。

 

「俺は……」

ミリルを――――、

「ここに来るまでに何人殺したの?」

ミリルを――――、

「……嘘つき…、嘘つき、嘘つき……」

首が、どんどんどんどん、強く強く絞まっていく。

 

「また会えるって信じてたから。たくさん我慢(がまん)してきたのに……」

5年間、彼女は何回あの手術台に乗せられてきたんだろうか。

「……知らないでしょ?……すごく怖かったのよ?」

5年間、彼女はどれだけあの『悪夢(ゆめ)』にうなされてきたんだろうか。

「……知らないでしょ?……すごく、……すごく…、すごく……、」

そして……、彼女はその(たび)に俺の名前を口にしてくれていたんだ。

「痛かったのよっ!」

 

大きな大きな(くい)が、俺の胸を(つらぬ)いたような気がした。

(ひざ)(ふる)え、息もできない。

それでも事足(ことた)りない彼女は裏返るほどに声を(あら)げ、絞首台(こうしゅだい)の床を()(はな)つ。

「この、裏切り者っ!!」

 

その瞬間、背中の皮が焼け落ちたかのような激痛が走った。

不意の痛みに()えられず、俺はがむしゃらに()()()()()()()()()()()

「ミリルっ!?」

麻酔(ますい)を打たれている彼女は()(すべ)もなく壁に打ち付けられ、倒れていた。

「よくも、みんなを――――」

彼女はまた、その宝石のような瞳を輝かせていた。ギラギラと。

(するど)く、冷たく……

 

その瞬間、俺は確信した。

あの女の言っていたことは現実になる。

俺はどう足掻(あが)いたって『化け物』になる運命なんだ。

 

俺はこの『悪夢』から(のが)れられないんだ。




※場面(シーン)の切り替え
どう表記するのが見栄えがいいのか。なかなか良いものが思いつきません。ちょっとダサい文面になっているとは思いますがご勘弁くださいm(__)m

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