聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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化け物たちは飛び立つ

悲しいかな、時間が経てば心は少し風化する。浴びせられた罵倒(ばとう)侮蔑(ぶべつ)の言葉はそうやって消してきた。

そうすることにスッカリ慣れてしまっていた。

 

気がつけば俺はボンヤリと消え行く星空を眺めていた。そしてまた少し時間が経過する。

 

太陽もスッカリ顔を出しきった頃、俺は危険が迫れば自然と頭を働かせる元の自分に戻っていることに気づいた。そのまま、仰向けのまま、俺は彼女をどうやって守るか考えていた。

 

どうする。太陽の具合から見て、あれから6時間は経っている。インディゴスを出てから半日。そろそろ本格的な部隊がここを()ぎ付けてきてもオカシクない。いや、むしろ何もなかった今までの方がオカシイくらいだ。……もしかすると、もう、仕掛けてこないのか?

いいや、まだ運河を渡っていない。マフィア(奴ら)でなくても、金のために動く同業者たち(奴ら)が必ずやって来る。そうなるとやはり、国内にいるのは居心地が悪い。ただし、高飛びをするにしても、彼女をどこに隠すかが問題になる。

すると、リーザが声を()らした。

「……私、どこにも行かない。」

 

それは、どうしようもなく、仕方がない。

耳を塞いでみても、頭で命令してみても、聞こえてしまうものは聞こえてしまう。

彼女に『それ』を止めるよう命令するのならまず、俺自身が息を止めても生きていられるところを見せつけなきゃならない。もしくは彼女の周りに生きている奴らを皆殺しにしなきゃならない。

それくらい、()()()()()()どしようもないことだった。

そういうカタチで生まれてきてしまったことを、誰も責めることなんてでない。

 

「そういう訳にもいかねえ。俺はリーザを――、」

『お願い、もう人間みたいに扱わないでないで。』

目に映った、たった一人残った家族の体に顔を(うず)める姿が、そう言っている気がした。

「――リーザを、安全な場所まで逃がす。決めたことだ。」

施設から逃げ出した時、俺は砂漠の中を彷徨(さまよ)っていた。あの頃の俺は人間じゃない。実験体。だから、あの施設以外に自分の居場所なんてあるのかどうか疑問だった。

それでも、あの人は俺を見つけてくれたし、俺を安全な場所まで連れて行ってくれた。

今のリーザは、あの頃の俺と(おんな)じだ。

 

「『化け物』にとって安全な場所ってどこ?」

「……知らねえよ。それでも助けてえから、助けるんだ。悪いか?」

「だって、怖いんでしょう?」

疲れきっているからか、どうやら彼女はもう俺の心を読めていない。

「私だって、貴方(あなた)が怖い。」

彼女は、俺もあの黒服たちと変わらないと思ってる。砂漠で出会った時の俺もあの人にそう思っていた。

「少し前までは怖かった。でも、今は分からねえ。怖いのか、そうじゃないのか。」

性根(しょうね)の暗いあの人のことだ。もしかしたらあの時、今の俺と同じことを感じていたのかもしれない。

 

……リーザは喋らなくなった。

俺にだって自信はない。だって俺は今まで誰かを信用するばかりで、誰かに信頼されるほど人を想ったことがない。

でも、今は違う。

 

問題ない。この周辺の国、アミーグにも、スメリアにも、グレイシーヌやミルマーナにだって仕事で世話になった場所がある。そこでまた仕事をすれば、まだまだ先にだって行けるはずだ。

問題ない。俺は一日に100万稼いだことだってあるプロだ。1人と1匹くらい、いつまでだって(やしな)える。

そうやって故郷に帰して、狙ってきたマフィアを潰せばもう『安全』だ。

俺はムキになってリーザの逃げ道を考えた。

……シュウと茶太郎には悪いが、当分帰ってこれなくなるかもしれない。でも、アンタが俺にしてくれたことを俺がしているだけだ。だから怒らないよな?

 

逃げ道は考えた。無理をすればなんとかなる。そう決心がついた時、(はか)ったかのようなタイミングで人の気配が近づいてきた。パンディットも耳を(そばだ)て、同じ方向を見ている。

俺はすぐにリーザへと駆け寄り、手を取った。リーザは反射的に()()った。目はまだ俺を拒んでいる。だが、関係ない。

たった一度、俺はパンディットと視線を()わす。するとパンディットは、それはもはや当然というような素早い動きで気配のする方向へと駆けていった。

「嫌だ。パンディット、行かないで。」

力なく叫ぶリーザを俺は押さえた。「頼んだぜ。」俺はその背中を見送ると、辺りの地形を懸命(けんめい)に思い出した。

大丈夫だ。この先の尾根を真っ直ぐ下っていけば1時間も掛からずに目的の運河が見えてくるはずだ。

もちろん周囲は舗装(ほそう)されていて見晴らしが良い。橋も300mはある。その分狙われ(やす)いが、その頃にはパンディットだって戻ってくる。そこでもう一度、陽動(ようどう)が成功しさえすれば問題なく渡れる。

背後から聞こえる怒号と悲鳴は佳境(かきょう)に差し掛かっている様子だった。

 

俺は力一杯リーザの手を握った。パンディットが行くとリーザは(ひど)く暴れた。だから、俺はもっと強く握った。爪が食い込むくらいに、強く。

そして力一杯走った。追いつけずにリーザが蹴躓(けつまづ)くと、俺は槍を()てて抱きかかえた。また暴れるから、壊れるくらい、強く抱き留めた。

「どうして?」

声が震えていた。『放っておいて欲しい。』そう聞こえた。その捨て犬のような声が俺を苛立(いらだ)たせた。リーザにじゃない。リーザをこんなにした()()にだ。

「リーザは悪くねえ。決めたんだ!」

だったら走ればいい。どこまでも走ればいい。壊れるくらいに走れば、誰も俺に追い付けやしない。

目障(めざわ)りな草木が俺の手足を()ろうとする。目を()す太陽が俺たちの居場所を()げ口する。

そんなことは、どうだっていい。

俺は前しか見ない。彼女が化け物なら、俺だって化け物でいい。誰にも渡さない。誰にも壊させない。焼いて、焼き払って、焼き尽くして、俺がリーザの居場所をつくる。

焼け野原だって(かま)やしない。誰かに奪われるよりはマシだ。誰かに壊されるよりはマシだ。

そのためなら俺が、彼女の化け物になる。

 

「エルク……」

彼女は俺を見つめていた。俺は走るのに夢中でそれに気づかない。彼女は俺の胸ぐらを強く引き寄せていた。俺は走るのに夢中でそれに気づかない。

俺は走るのに夢中でそれに気づかない。けれども彼女は俺にも聞こえる声で、俺の腕の中で、子どものように泣いた。

大丈夫。俺が、リーザの化け物になる。


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