――――”白い家”コントロールルーム
その部屋には複雑な装置が無数に設置されていた。
十数人の研究員がそれを動かし、連動する50を超えるモニターは「子どもの姿」、「化け物の姿」、「廃棄物」、「それらの状態」など、施設内のあらゆるものを映し出している。
そして、その内の幾つかは、深い森を映していた。
「……とうとう姿を見せおったか。」
”森の目”を借り、紅い悪魔はモニターに映る三匹の獲物を見ていた。
その内の一匹に対し北叟笑み、奥歯を軋ませている。
「アレが、お前の”虎の子”か?」
「黒装束と女は別だがな。」
彼の背後では、萌葱色の死に神が退屈そうにモニターを見上げている。
「何故だ。オモチャは多いに越したことはないのだろう?」
「大した理由じゃない。単にワシとの相性が悪いのよ。」
「?!……クハハハ、言うに事欠いて“相性”とはな。貴様にもそんなものがあったとは驚きだ。」
死に神の嘲笑を聞き流しつつ、ポケットの中にある悪魔の拳は岩も砕かんばかりの力で握りしめられていた。
「……黒装束、アレは“猟犬”よ。ワシの撒いた餌には目もくれず、目標へと真っ直ぐに導く、ただの殺人鬼よ。猟犬が傍におる限り、”虎の子”はワシと踊ってはくれんだろうな。」
悪魔の弱気な発言には気味悪いものがあった。
そのせいか。死に神はウッカリ隙のある発言をしてしまう。
「ならば貴様に振り回されている儂との相性は良いとでも言うつもりか?」
「ククク、気味の悪い言い方をするじゃないか。だが、間違ってはおるまい?多忙なキサマをここまで引き摺り出せておるのだからな。」
「……フン。」
死に神に、今さらそれを否定するだけの気力は湧いてこなかった。
悪魔の魅せた“快楽”に屈してしまった事実は、彼の無限に湧き出る『死』を鎮めてしまうほどに難解な恥辱、屈辱だったのだ。
しかし、そこに“快感”を覚えたからこそ、死に神は大人しく悪魔に付いて回っていた。
それが余りに魅惑的な好奇心を漂わせているがために。
「それで、このままむざむざ侵入を許すつもりか?」
「まさか。ここまでご足労頂いたんだ。十二分に知ってもらおうじゃないか。」
設備を動かす研究員に指示を出す悪魔は脂ぎった笑い声を上げていた。
「『命』が如何に不気味な存在かを。」
キーボードの入力を済ませた研究員が、次々にエンターキーを押していく。
「種族を問わず、『命』は全て神に造られたものだということを。」
プッシュ音が、悪魔を恍惚とさせるメロディになる。
「フン。ゴミ虫どもを使って天地創造でも気取っているつもりか?貴様の言う“神”も底が知れるな。」
死に神が「神」という言葉を口にすると、悪魔の顔から笑みが消える。
水の底から浮かび上がる油のように、憎悪が張り付く。
そして、言い間違えを認めるでもなく、何事もなかったかのように悪魔は手の平を返す。
「バカな。この世に”神”などおるはずもない。あるのは支配者と奴隷。それだけよ。」
死に神はこの拙い言い逃れを問い詰めなかった。
そうしたところで、この悪魔を理解することはできないと知っていたからだ。
そう。死に神は今、理解しようとしていた。
何者にも侵されない存在であるはずの『死に神』をここまで侵してしまう脆弱な『命』。その懸命に生きようとする「衝動」を。
「この世に”全能”も”完全”もない。そう勘違いするのは決まって冷酷無比に酔う独裁者か、忠君愛国に酔う能無しよ。」
死に神は、それが身内を卑下する言葉だと気付いた。だが、特にそれを否定する気も起らなかった。
そんなものに興味はなかった。
今は、目の前に現れた「衝動」が彼の優先順位を占めていたのだ。
自らの胸座を掴みながら溢した悪魔の一言は、彼の「本性」を語っていた。
「……もしくは、こんな身体を産み出すことのできる魔女くらいのものよな。」
そこから零れ出る失笑は憎悪と絡み合い、一つの「物語」を語り始める。
それが「悲劇」なのか、「喜劇」なのか。定かではない。それでも「物語」は立ち止まらない。理解されようと、されまいと。
悪魔は”敬愛すべき魔女”にジリジリ、ジリジリとににじり寄っていた。
ここにきて死に神はようやくこの悪魔の致命的「弱点」を知る。
……いいや、悪魔が自ら曝け出したと言った方がいいのかもしれない。
なぜなら、この時点で死に神にはこの小癪な悪魔を「屈服させてやろう」などという気持ちは残っていなかったのだ。
むしろ――――、
「下らん。それが儂ら”僕”に何の関係がある。儂らには”王”という絶対的存在さえあれば良い。それ以外は”王”の遊具。そう言ったのは貴様ではないか。」
好む好まざるに拘わらず、悪魔の「良き理解者」になりつつあった。
そう仕込んだのは紛れもなく紅い悪魔であり、今もまた打ってみせた「小芝居」も、その度合いを確かめるためのものだった。
「……ククク、キサマもようやく分かってきたようだな。」
彼は今まで自分が”策士”であることを疑わなかった。自分以外を”愚者”と決めて掛かり、操ってきたつもりだった。
しかし、悪魔と対峙する時、常に言い表せない苛立ちが付き纏っていることに気付く。
気付いた時、自分もまた一匹の愚者なのだと覚り、絶望する。
『死に神』であるはずの自分が「絶望」という『命臭さ』を漂わせていることに気付き、更に絶望する。
絶望が絶望を喰らい、彼の『死』は腐っていく。
「時には操られるのも悪くない」
腐った『死』が巡り巡って『命』に弄ばれることに悦びを見出してしまうほどに。
「ならばキサマにもワシのとっておきの”遊具”を見せてやろう。」
心を開いた死に神に対し、悪魔は惜しげもなく自分の手札を見せつける。
「……おい、”M”を温めておけ。」
悪魔が言うと、数人の研究員が部屋を後にした。
「名前すらないのか。とても“切り札”とは思えん扱いだな。」
死に神の嘲笑に悪魔からの反論はなく、悪魔はただただ黙って背を向けていた。
必死に、堪えていた。
その様子を訝しむ死に神は不用意にもその背中を小突いてしまう。
「貴様に似てさぞ醜いのだろう?」
……死に神さえも手玉に取ってしまう悪魔にも、抑えられないモノがあった。
『命』が、この世ならざる”愉悦”に苦しみ悶えていた
もしもそれを一度でも目にしたのなら、それまでの彼の”表情”は全て「嘘」なのだと気付くだろう。
「嘘」だと言い切れるほどに表面的だったと理解できるだろう。
騙されていたのだ。
誰も、彼も、何もかも。
幾千、幾万が一つになった『命』の「本物の感情」は、不浄と混沌を愛する本物の悪魔でさえ吐き気を催さずにはいられない醜悪さを極めていた。
“微笑み”は欲情を誘い、喧しく、汚らしく、切れ味の悪いチェーンソーのような”高笑い”となって部屋中を容赦なく劈いていく。
研究員の何人かが気を失っても『命』が気に留めることはなく、ひたすらに笑い続けた。
自分の産まれた意味を見つけたがごとく、悦びに苦しんでいた。
「いやさ、傑作よっ!!一点の穢れも知らん初心な”愛”を祈り続ける聖処女さぁ!!」
――――今も伝説として語り継がれる魔女が創った『命』。
彼は自らも何かを創ることで彼女を知り、彼女に近付こうとしていた。
そして、彼の『創作』にただ一人抗い続ける”M”の、護り続ける『愛』をこの上なく評価していた。
愛おしいとさえ感じていた。
もしも、「愛」が血や種族を越えて「家族」をつくるのだとしたら、この二人は今、間違いなく父と娘であると言い切れた。
この世の、血で繋がれただけのどんな「家族」よりも深い「愛」で繋がれていた。
そんな父だからこそ娘を想い、娘のために、たった一人の少年をこの館へと招く準備をし続けてきたのだ。
――――“帰らずの森”
「……仕掛けてきたぞ。」
「あぁ。」
俺たちを見守っていた「視線」が、降り積もる落ち葉の下から、木々の枝々から十数個のサボテンとなって姿を現す。
それだけじゃない。
「これまた厄介なヤツを用意しやがって。」
この森で朽ち果てたのか。それとも、施設の使い捨てか。
落ち葉に隠れ散乱していた無数の骨が独りでに動き出し、落ち葉を掻き分け、生前の形を取り戻す。
組み上がったそれらの体表は―――生前の名残りなのか―――鮮やかな血の色をしていた。
まるで、俺のためにそこに眠り続けていたかのように、とても鮮やかな『赤』だ。
まるで、ミリルが――――、
「……じゃねえよな。」
けれども、一度不安が頭を過ぎると、鮮やかな血は瞬く間に俺の『想い人』を呼び寄せる。
毒々しい赤の上に柔らかな乳白色の肌を羽織り、絹織物の木目細かさを感じさせるような端正に撫で付けられたプラチナブロンドの髪をなびかせる。
どうやらまだ、花粉の効果を引き摺っているらしいことは自覚できた。それだけが救いだった。
挙動から俺の『見ているモノ』を察したらしい彼は、背中の機関銃を素早く構え、ポツリと言う。
「アレがお前の言うミリルなら、俺は次に現れたミリルに容赦はしない。」
寒気が走る。
彼の手でハチの巣になった彼女を想像する。
俺のせいで。
俺の「覚悟」の弱さが、彼女の人生を地獄に変えている。節操なく。無慈悲に。
5年前となんら変わらない。
「……違う。違うんだ。」
俺は自分に言い聞かせた。
言い聞かせてるのに、俺の「迷い」はどんどん膨らんでいく。
『悪夢』で俺を罵る彼女は俺を殺したいと思っているかもしれないじゃないか。
けれども、彼女は「助けて」とも言っていた気がする。
だから俺は今、ここにいるのか?
どっちの理由で?
いいや、心のどこかで俺は『彼女』を本気で助けたいと思っているはずなんだ。
――――それが、リーザとの約束なんだ。
未だにこの目に映る3、4人の彼女たちが、その手に長い刃物を携え、俺に歩み寄ってくる。
「……違う。」
俺は震えを抑え、言い切った。それを待っていた彼が後押しをする。
「なら、容赦はするな。」
言い終わると同時に彼は引き金をひく。
数十発の鉛玉が彼女たちを襲う。ところが、そのほとんどが彼女たちを傷付けることなくすり抜けていく。
直後、俺は信じられないものを目にする。
「チッ」
彼は眉間に皺を寄せ舌打ちをすると、
「伏せてろ!」
次の瞬間、彼はバックパックから引っ張り出した弾帯を機関銃に繋ぐと、四方八方デタラメに火を吹いた。
草木も骸も関係なく、目に映るもの映らないもの関係なく、何もかもを穴だらけにした。
シネシネシネシネシネシネシネッ――――――――!!
連続する発砲音が、彼の内に秘めた罵声に聞こえた。
出来事は、一瞬だった。
「……立つんだ、エルク。」
弾帯の半分を使った彼が俺を見て言った。俺はその場にうつ伏せになったまま、茫然と辺りを見ていた。
百発以上の鉛玉が、硝煙を上げ、全てを沈黙させていた。
真っ赤な骸がバラバラに、辺りに飛び散っていた。
ところが、我に返ると途端に真っ赤な骨に映っていたはずのソレがまた元の姿に戻り、俺を見詰める。
吹き飛んだ『彼女』の唇が口々に、ハッキリと、囁いた。
――――お前が弱いから、私は……
「!?オ、オエエエェ。」
俺は立ち上がれず、その場に胃液を撒き散らした。
「……5分だけだ。休んだら先に進もう。」
俺が水筒を受け取ると、彼は蹲る俺から少し離れ、辺りを警戒するでもなく何かを睨み付けていた。
俺は彼の目を真っ直ぐに見ることができなかった。その先に転がっている、幻しの死体たちも。
声も出せない状態がしばらく続いた。
見たくないもの。信じられないものが同時に押し寄せ、感情が腹の中のモノと一緒に逆流してきたんだ。
また、溢れ返ってきたそれを地面に吐き出すと、今度は頭の中が空っぽになってしまったかのように何も考えられなくなった。
「立てるか?」
「あ、ああ。」
冷静沈着、正確無比が人の形になったのが彼だと思っていた。その彼が感情を顕わにし、デタラメな行動に出るなんてことが、信じられなかった。
何が彼をそこまで追い詰めたのかも分からない。
「シュ、シュウは……、大丈夫なのかよ。」
誰に向かって言ってるのか。俺も俺自身を疑ったけれど、明らかにあの彼は普通じゃない。
だけど、彼は俺の心配を一言で片づけた。
「……あの方法が一番手っ取り早かった。それだけだ。」
”帰らずの実”の幻覚で正確な標的の位置が掴めなかった。それは俺にだって理解できた。
……いいや、違う。そもそも、それこそ不自然なんだ。
いとも容易く”森”の抜け道を見つけてしまう彼が、目の前にいる的を探し当てられないはずがない。
いつもの彼なら…、できたはずなんだ。
口許を拭い、何事もなかったかのように先を歩く彼の背中を見詰めながら、俺は彼に掛ける言葉を必死に探した。