聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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悪夢たちは彼の後ろ髪を引く その十二

結局、俺たちはリーザに関しての問題をうやむやにさせたまま歩き出した。

俺も彼にハッキリと言えなかったし、彼もそれを聞こうとはしなかった。

けれども……、予感はあった。

先延ばしにしてしまったこの問題が、後々(のちのち)(あだ)になってしまうかもしれないという予感が。

 

悪夢(かのじょ)』だってこの5年間、ブリキの人形のように何もかもが止まっていた訳じゃない。

この5年間で何かしらの()()があって、何かしらの()()が起こっているはずなんだ。

その成長と変化が、彼に何をさせるか分からない。

何かの拍子(ひょうし)に、『悪夢(かのじょ)』を殺してしまうかもしれない。

……いいや、そうならないことの方が難しいと思う。

 

俺の不安を余所(よそ)刻一刻(こくいっこく)と、その姿を鮮明(せんめい)にさせていく(くだん)の森。

その一枚、一枚に肉食の牙を連想させる不気味な青さがある。砂に追われ、逃げ込む獲物(えもの)を待ち()せる陰湿(いんしつ)な悪意を感じる。

……間違いない。

そこは『悪夢(あくむ)』というもう一つの俺の世界。

この世界をブッ壊すために、俺はわざわざこの稼業(かぎょう)に心身を(ささ)げてきたってのに、いざそれを前にすると俺はビビッていた。

引き返すことのできない『(ゆめ)』と『砂漠(げんじつ)』の境目(さかいめ)に逃げ腰になっていた。

あの時と同じように。

森の中では、目も当てられない『悪夢(かのじょ)』が今も俺を(ののし)り続けているようで恐ろしくてしかたがない。

……だって、悪いのは俺なんだから。

気付けば、奥歯が俺に内緒(ないしょ)でデタラメな噂話(うわさばなし)を始めていた。

 

身体(からだ)にメスを入れられる(たび)(のど)()けるまで君の名前を叫んでいるそうだ」

「血が出るまで()(しば)り、()れるほどに涙を流しているらしいじゃないか」

「それでも決して『人』を殺したりはしない」

「いつだって森の向こうを見ては届かない想いを送っているという」

「なぜだか分かるか?」

 

――――知るかよ

 

「なぜなら、」

「彼女もまた、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

俺は、臆病(おくびょう)だ。

鳴り続ける奥歯たちを否定することもできず、ただただ食い縛り、張りぼての「勇気」で森を(にら)むことしかできないでいる。

 

もしも今、魔女(かのじょ)が傍にいてくれたなら、魔女(かのじょ)はこの張りぼてを本物に仕立ててくれたに違いない。

 

砂漠で死にかけた俺を拾い、散々(さんざん)面倒(めんどう)をみてくれたシュウを前にして、俺は自分本位で身勝手な妄想(もうそう)(えが)き、彼を(ないがし)ろにしていた。

それだけ()()()()は理性を狂わせるほどに不条理(ふじょうり)で、夢も現実も燃やし尽くしてしまうほどに熱い存在だった。

 

答えを探すフリをして無駄な時間を(つい)やしている内に森は間近(まぢか)迫り(せま)、前を歩く彼が背を低くし、ハンドサインを出していた。

ウサギの形にし、耳を2、3回振る。

警戒(けいかい)」と「斥候(せっこう)」のサインだ。

森の手前に何かを見つけたらしい。

……ダメだ。集中しなきゃ。

(こぶし)を立てて「了解」の合図をする。

彼を幻滅(げんめつ)させるような真似(まね)はできない。……今は特に。

 

 

境目には見張りの休憩小屋らしきものがポツンと建っていた。そこから小さな道が()()ぐ森へと続いている。

息を(ひそ)め、二手に分かれ、小屋の周囲をグルリと見回った。

「どうやら人の気配はないみたいだな。」

そうして脅威(きょうい)がないことを確認すると、(わな)かもしれない小屋は無視し、本丸(ほんまる)があるであろう森だけを真っ直ぐに見据(みす)える。

「どうする、迂回(うかい)するか?」

小屋があって、()(かた)められた道があるってことは、少なくともここは()()()()()()()()()()()()ってことだ。

それに、もしもこれが見張りのための小屋なんだとしたら、「無人」と「小道」はあの悪魔のサインだとしか考えられない。

「お待ちしておりました」「どうぞこちらからお入りください」なんて具合の歓迎(かんげい)のつもりなんだ。

あのマリュ族と出くわした時点である程度(ていど)分かっていたことだが、どうやら俺たちの動きはキッチリ敵側に把握(はあく)されているらしい。

つまり、すでに「潜入(せんにゅう)」の第一要項(ようこう)は失敗してしまってるってことだ。

 

それでもシュウはそんなことお(かま)いなしといった(てい)で森の(きわ)にまで近付くと、砂漠地帯の中にあるとは思えないほど肥沃(ひよく)な土を()まみ、そのまま口に(ふく)んだ。

「いいや、おそらくこの森は例の施設(しせつ)を囲んでいる。どこから入ろうと変わらんだろう。」

「なんか分かったのかよ?」

微量(びりょう)だが土に麻薬の(たぐい)が混じっている。確証はないが”帰らずの実”の花粉に近い。」

土を吐き出し、水筒(すいとう)で口をすすぐと彼は森の素顔を暴こうと望遠鏡を取り出した。

 

”帰らずの実”、見た目は「ロフォフォラ」のように団子状(だんごじょう)のサボテンの形をした(トラップ)型の化け物だ。

そのサイズは拳大(こぶしだい)の小さなものから成人男性レベルの巨大なものまである。

ロフォフォラと違って厄介(やっかい)なのは、それと(じか)(せっ)しなくても空気中に飛散(ひさん)した花粉を吸うだけで毒が回ってしまうことだ。

棲息(せいそく)する土地、個体ごとに持っている毒の種類は違うが、そのほとんどは方向感覚と視覚を(おか)すタイプだってことは分かってる。

そうやって獲物の感覚を麻痺(まひ)させ、気付かれないように忍び寄り、捕食(ほしょく)してしまう。

それが奴らのお決まりの手口だ。

 

だが、たとえそれが分かっていたとしても実際に退治(たいじ)するとなると中々に難しい。

時には賞金稼ぎが十数人いても擬態(ぎたい)するそれに誰一人気付かず、全滅(ぜんめつ)してしまうことがあるという。

戦闘力こそ所詮(しょせん)植物といったレベルだが、対処(たいしょ)困難(こんなん)な毒を持つためにこれを専門に狩る賞金稼ぎ(プロ)がいるくらいだ。

そのプロ連中の間でも、この化け物の「群れ」を相手にするとなると皮肉(ひにく)を込めて”緑の実(グリーンベレー)”や”帰らずの森”と呼び、駆除(くじょ)躊躇(ためら)うらしい。

 

「……行けそうか?」

「そうだな。入り口を見る分には火薬系統の罠はないようだ。ただ……、」

元々細い彼の目がさらに細くなり、()()まされる。その目は奇怪(きかい)なものを見ていた。

「ただ?」

「奥が見えん。」

「奥?」

望遠鏡をしまう彼の顔は(くも)っていた。

「ああ。今、視界に映っている景色が延々(えんえん)と続いているように見える。」

それは俺も感じていた。一個の景色を描いたパネルを何枚も(つら)ねた舞台装置みたいに、森の姿に現実味が感じられなかった。

”帰らずの実”によくある症状(しょうじょう)だった。

「通常、この量であればまだ症状は出ない。」

俺たちはまだ森の中にさえ入ってない。その上、今は()(すさ)ぶ砂漠の砂を()けるため、口許(くちもと)勿論(もちろん)、顔全体を目の(こま)かいスカーフで(おお)っている。

つまり、それすらも無効化させてしまうくらい“帰らずの実”以外の『何か』が俺たちを侵しているんだ。

もしくは――――

「これがマリュ族の言っていた、”悪魔の(つく)った緑”なのかもしれん。」

俺たちの知っている化け物たちが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

“白い家”がそういう施設で、奴らが本物の悪魔なら、それ位の強化がされていても不思議じゃない。

俺たちは知らない内に、”帰らずの森”に足を踏み入れていたんだ。

その手の罠を専門にする彼すら(あざむ)いてしまう(したた)かさで。

 

「……焼くか?」

どこまで通用するか分からないが、これだけの森が燃えればそれなりに注意を引き付けられるかもしれない。

「相手はお前が来ると分かってるんだ。お前の『炎』にも何らかの対処がしてあるはずだ。」

「だよな。」

とりあえず(ため)してみても、森に放った『火』は燃え広がらなかった。

まったく使えないって訳じゃない。ただ、俺の呼びかけに返ってくる『声』が、()が鳴いているくらいにしか聞こえない。

そうなってくると、こと化け物戦において俺はほとんど戦力外と言ってもいい。

そもそもの『火力』に加え、俺自身の筋力も『炎』に左右されるところが大きい。

(ちから)』があれば常人の4、5倍の身体能力を発揮(はっき)できる。五感だってなにがしかの補正がかかる。

けれど、それがない今は「アマチュアの傭兵(ようへい)よりも役に立つ」。その程度だ。

一国を牛耳(ぎゅうじ)るマフィアを相手にしようってレベルには程遠(ほどとお)い。

 

さらに、『制限』は何も『力』に限ったことじゃないらしい。

「ヂーク、俺たちの現在位置が分かるか?」

『……』

彼が無線機でポンコツに位置情報を聞こうと(こころ)みるも、妨害(ぼうがい)電波が出ているのか砂嵐しか聞こえてこない。

こうなると作戦の大半(たいはん)は機能しないことになってしまうが、これらの妨害はさすがに予想の範囲(はんい)ではあった。

こうなった場合、「コントロールルームの破壊」を優先事項(じこう)に入れることも(あらかじ)め決めていた。

 

「仕方ない。()()えずはこのまま進むしかあるまい。」

「このままって…、このままかよ?」

「そうだ。」

彼はひどく無感動に答えた。

「どのみち、俺たちは今、毒に侵されている。さすがにこの状態の俺たちを無事に帰すほど連中も優しくはないだろう。だからと言って立ち往生(おうじょう)は最悪だ。……分かるな?」

そうして、圧倒的不利な立場も無視して彼は躊躇いなく「用意された小道」を歩き始めた。

 

彼にとって、地雷(じらい)伏兵(ふくへい)もない「迷わせるだけの森」なんてのはこれまで経験してきた本物の戦場に比べれば「ただの雑木林(ぞうきばやし)」でしかないのかもしれない。

彼の顔を見てもそんな「自信」や「確信」は読み取れない。

それでも彼の足には迷いがない。俺はそんな彼を信じて続くしかない。

 

森に入って一分と()たずに小道は落ち葉に()もれてしまった。払ってみても、道そのものがなくなっている。

完全に「招待状(しょうたいじょう)」だったってことだ。

踏む入るほどに日の光を(さえぎ)林冠(りんかん)()くなり、森の中には夕闇(ゆうやみ)が舞い降りてくる。風は(ほとん)どないはずなのに、枝葉がザワザワとやけにうるさい。

まるで俺たちの侵入を喜んでいるかのようだ。

「森」という獣の胃袋の中にいる感じさえする。

落ち葉という胃液が、「不安」を押し隠す心の壁をジワリ、ジワリと()かすようにカサカサと音を立てて足に(から)み付いてくる。

言わずもがな、この感覚にはおぼえがあった。

迷い込んだ人間を(この)んで食べる、心も身体も()(つぶ)してしまうハエトリグサのような森。

「『悪夢(ゆめ)』と何一つ変わらねえってのはそれだけで不気味だな。」

口を突いて出た言葉は誰に聞かせる訳でもなく、ただただ(ほしょくしゃ)の目から(のが)れるためだけのボヤキだった。

 

そんな小心(しょうしん)の俺を嘲笑(あざわら)うかのように、森の何処(どこ)からか(そそ)がれる視線がずっと俺たちを付け回していた。

その数は少しずつ増えている。

こんなあからさまな視線に彼が気付いていないはずがない。

それなのに、彼はやはり何もかもを無視してただ真っ直ぐ歩き続けていた。まるでこの目に映る彼が(すで)に幻覚であるかのように。

「……アレ、放っとくのかよ。」

不安になり、つい彼に声を掛けてみる。

ところが彼は、その表情の通り一貫(いっかん)して無関心の姿勢(しせい)(くず)さない。

「さっきも言っただろう。通常、あの量の花粉でこの幻覚症状は(あらわ)れない。ならばこの症状が悪化する前に森を抜けるか、その原因を突き止めるかだ。」

彼の行動を見るに、今は前者を優先しているらしかった。

「だからって、ただ真っ直ぐ進んでるだけで抜けられるもんかよ。」

彼は逐一(ちくいち)俺の問い掛けに答えてくれる。でも、今の彼のそれは、「投げられたから投げ返す」だけの条件反射のような口調に聞こえた。

「ここではあまり俺を頼るな。()()()()()にだけ気を(くば)れ。そうすれば無い道も見えてくる。」

 

……もしかして、彼はこの「視線」を頼りに進んでいるのかもしれない。

そう思って歩いてみると、真っ直ぐ進んでいると感じていたのは狂った俺の五感で、実際は微妙(びみょう)に左へ右へと向きを変えて進んでいた。

 

彼の真似(まね)をして歩いてみるけれど、俺はすぐに「視線」を見失(みうしな)ってしまう。

唐突(とうとつ)高揚感(ハイ)(おそ)われ、彼と(はぐ)れそうになる。

すると彼は皮の()けた俺の手を強く(にぎ)()めた。

「無理に息は止めるな。視線もできるだけ動かすな。基本はリラックスだ。だが無心は逆効果だ。真っ直ぐ前を見て、できるだけ自然体でいることを心がけろ。そうすれば症状が顕著(けんちょ)に現れることはない。」

俺が分かりやすいように要点(ようてん)だけを言ってくれているのかもしれない。それでも彼の言ってることは直ぐには理解できない。

それなのに彼と同じ動きをするなんて一朝一夕(いっちょういっせき)にできるはずもなく、その後も何度か俺は正気を失いかけた。

 

結局、俺は彼に付いて行くことだけで精一杯だった。

けれど、そうやって森を歩いている内に徐々(じょじょ)に、徐々に『幻覚』では隠しきれない「人工的な臭い」「薬品の臭い」が青臭さの中に混じり始めた。

「……マジかよ。」

五感を狂わせる相手に五感で押し切ってしまう彼の「超感覚」が―――今さらながらに―――一種の化け物であるように思えた。

 

 

その驚異的能力を、()()()()()()()()()()見ているだろう。

そして、考え(あぐ)ねているに違いない。

俺への対処ではなく、彼を殺す方法を。




※”帰らずの実”=原作の”妖樹”のことです。”帰らずの森”では”廃棄物(植物)”という表記になっていました。

※”帰らずの実”に対する皮肉
体色の「緑色(グリーン)」とロフォフォラのような柔らかな「()()()()()(ベリー)」(←ロフォフォラは食べられません。ここにも皮肉が掛かってます)。
「グリーン」と「ベリー」をもじって「グリーンベレー」ですf(^_^;)
ここまで読んでお気づきかもしれませんが、完全に「英語」と「アメリカ」を土台にした皮肉なんです。「英語」はアークの世界でいう「ロマリア語」、「”アルディア”は”アメリカ”なんだ」ということで手を打ってください。m(__)m

※グリーンベレー(Green Berets)
アメリカ陸軍における特別部隊の通称。その主な目的は友軍への特殊作戦、対ゲリラ戦のための()()です。
「Special Force」を省略してSFと呼ぶこともあるそうです。

今回は友軍を賞金稼ぎ、グリーンベレー(教官)を”帰らずの実”に置き換えています。
賞金稼ぎたちは”帰らずの実”を駆除しているのではなく、”帰らずの実”から「賞金稼ぎ」という「特殊な仕事の教育を受けている」という皮肉なのです。

ちなみに、グリーンベレーのベレー帽に付いている記章(きしょう)にはラテン語で「DE OPPRESSO LIBER」(抑圧からの解放)という言葉が表記されています。
「毒に侵された状態」→「現実からの隔離」→「現実という抑圧からの解放」これも一つの皮肉のつもりです。

※雑木林(ぞうきばやし)
色んな木が生えている林。
ちなみに「森」と「林」の違いは人の手が加えられているかいないかです。「森」が自然にできたもの、「林」が人の手が入れられたものです。

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