聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その七

復権後(ふっけんご)、王が世界を見渡(みわた)し、何を感じるか。キサマは考えたことがあるか?」

「何?」

「我々が役目を完遂(かんすい)し、王が()りられた後のことよ。」

「……それと、貴様の言うオモチャと何の関係がある。」

悪魔は遭難者(そうなんしゃ)の言葉を無視し、彼に見えないものを見せたい欲求で(ふる)えていた。

それが見えた時、彼がどんな風に(おど)ってくれるのか。想像するだけで悪魔の心中(しんちゅう)の笑みは()えなかった。

しかし今は、それが表に出るのを必死に(こら)え、丁寧(ていねい)に、丁寧にパン(くず)を落とし続ける。

 

「それとなくザルバドに聞いたこともあったが、奴の口から返ってきたのは人間への侮蔑(ぶべつ)と王への忠誠心ばかり。話にもならん。」

ザルバド・グルニカ・トンガスタ。唯一(ゆいいつ)、「ロマリア四将軍の一人」としてメディアに露出(ろしゅつ)している男。彼は゛愛国主義者゛を絵に描いたような人物だった。堅苦(かたくる)しく、一度決めた優先順位を曲げられない男だった。

(ゆえ)に、自分の役割の外を見る力に()けていた。

「”王の復活”ばかりに気を取られ、その後のことは何も考えておらん。まるで未来がそこで途切(とぎ)れているかのように。……実にマヌケだ。」

言い返すことができない。

そういう暗示(あんじ)でも掛けられていたかのように、萌葱色(もえぎいろ)の男もまた悪魔の言う「未来」が見えていなかった。

 

「王は退屈(たいくつ)されるだろう。我々の支配した世界に降りたとて、することなど何もない。()()()()()()()()()()、それはあまりに(むご)い仕打ちと思わんか?」

含みのある悪魔の言葉は幾通(いくとお)りにも解釈(かいしゃく)できた。

「……貴様(きさま)、よもや王を裏切るつもりではないだろうな。」

「バカな。主人の手を()むほどワシは駄犬(だけん)ではないよ。ワシはあくまであの方に理想のオモチャを提供(ていきょう)するだけよ。」

「それが、貴様の道楽の正体か。」

葉巻の首を落とし、丁寧に火を()けながら悪魔は(あか)く染まった唇を()()げる。

「てっきりキサマも同じことを考えておるものだとばかり思っておったんだがな。先日の()()りでワシの勘違(かんちが)いと知った時、正直キサマには失望したものよ。」

悪魔の言葉で、萌葱色の男は自分が優位な立場を(うしな)っていることに気付かされる。

「貴様は、王の意向(いこう)(うかが)ったとでも言うのか?」

これまで、王の腹心(ふくしん)である四将軍の中でも誰よりも近く、多く、王の言葉を聞いてきた。多くの計画を遂行(すいこう)し、多くの人間を殺してきた。最終段階ともいえるこの計画でさえも、彼がその中核(ちゅうかく)(にな)っている。

彼には、自分が最も王の(そば)にあるべき人物であるという(ほこ)りがあった。

 

しかし今、王の(しもべ)としてあるべき思慮(しりょ)を持ち合わせている人物は間違いなく…、自分ではない。

この、犬畜生(いぬちくしょう)が……。そう思わざる()えなかった。

 

萌葱色の男の考えを見透(みす)かすように、濃紅(こきくれない)の男は嘲笑(あざわら)い、ことさら大仰(おおぎょう)に声を張り上げた。

「何を言っている。”伺わずとも動く”、当然だろう。王の指示がなければ動けんようなデクノボウはワシの(つく)った化け物にも(おと)るわ。」

ここぞとばかりに現れた悪魔の憎たらしい笑みに、奥歯の(きし)む音が彼の耳にもハッキリと聞いて取れた。

それでも遭難者は落ちたパン屑を拾い続ける。この遣り取りもまた、悪魔の好む「駆け引き」の一つなのだと気付いたからだ。

「オモチャ」、そのワードがゲームの(かぎ)(にぎ)っている。

 

悪魔の口から「オモチャ」という言葉を聞いた時、萌葱色の男の頭にまず思い浮かんだのは白鯨(はくげい)()る犯罪者たち。

まがりなりにも精霊たちの加護を受け、四将軍の執拗(しつよう)なリンチを()(くぐ)り、契約(けいやく)(はこ)を探し当てた奴らであれば、王の(なぐさ)みものにも()りえたかもしれない。

だというのに――――、

「ならば、貴様の言う゛オモチャ゛は何故(なぜ)その二匹なのだ。アークではなく。」

濃紅の悪魔が育てているのは、彼らとは(えん)もゆかりもないドブネズミが二匹。

 

遭難者の問いを(えさ)に、悪魔の口元は(さら)にさらに(ゆが)んでいく。

「いつ現れるかも知れん”勇者”をただただ待つのも芸がない。ならば、ワシだけの”勇者”を造ってみようと思ったのよ。」

より高性能な勇者(オモチャ)を。より複雑な勇者(オモチャ)を。

「だが、現れたなら話は別よな。」

「……両方を相手にするつもりか?」

「言っただろう?運命はワシらに味方をしてくれているのよ。その恩恵(おんけい)無下(むげ)にするのは余程(よほど)罰当(ばちあ)たりがすることだとは思わんか?」

悪魔の()みはもはや、天啓(てんけい)(さず)かった狂信者(きょうしんしゃ)のような猟奇的(りょうきてき)な形へと変貌(へんぼう)していた。

「そうして自分を痛めつけるのも貴様の趣味(しゅみ)の一つか?」

アーク一味は人間でありながらその『力』は(まぎ)れもなく彼らに匹敵(ひってき)していた。工夫(くふう)次第(しだい)では彼らさえも(しの)ぐかもしれない。

その上、勇者らに()ぐ『力』に目覚め始めているネズミまでも相手にするとなると。一歩間違えれば手の付けられない事態(じたい)になるのは目に見えている。

たちまち、「運命」は「神罰(しんばつ)」と名を変え、彼らの胸を打ち抜くだろう。

しかし、遭難者の目にはそれをこそ好んでやっているようにしか見えない。

『命』を(もてあそ)ぶことに()けた悪魔であるが(ゆえ)に。

 

血溜(ちだ)まりをつくった仕事場を放棄(ほうき)し、悪魔は特有の笑みを浮かべたまま(かわ)椅子(いす)に深く座り直す。

「王へ(ささ)げるオモチャが多くて何の問題がある。それに、王の(しもべ)たるものが負傷(ふしょう)を怖れて戦場に立てぬなど。笑い話にもならん。」

それがどんなに危険なオモチャかなどはどうでも良かった。

勝ち目のない運命(ゲーム)ほど彼を(よろこ)ばせるものは他にないからだ。

「それで貴様は今なお大忙(おおいそが)しというわけか?」

計画の(かなめ)でもある女神像も、有能な部下も餌にし、ただただ『オモチャ』を太らせる。

そのためだけに。

人間は怪物よりも優れた『化け物』になる。()()()()()()()()()()()()()

何千年と『命』で遊び続けた悪魔だからこそ、それを知っていた。

餌を、次の餌を、次の餌を、次の餌を……

貪欲(どんよく)に。それこそ悪魔のように犠牲(ぎせい)損失(そんしつ)など眼中(がんちゅう)になく、貪欲に。欲望との(さかい)()くした忠誠心をもって、濃紅の悪魔は「(みつ)ぎ物」という名目をかざし、働きながら遊んでいた。

全ては王のために。

 

そんな悪魔の有意義な様子を見れば見る(ほど)、パン屑を拾い続ける遭難者の殺意は(ふく)らんでいく。

「ならば貴様は、この先も王のためと(しょう)して儂の邪魔をし続けるつもりなのだな?」

非力を(よそお)い続けた遭難者は本来の姿を見せつけ、小賢(こざか)しい悪魔の首に(かま)を突き付ける。

悪魔が首を縦に振った瞬間、それは(どう)から離れ、そこから(あふ)れ出る『命』を(ことごと)く切り(きざ)む。

しかし、追い込まれた『命』もまた、鎌を(くだ)き、『死』を喰らい()くすかもしれない。萌葱色の死に神は返り討ちも覚悟していた。

男が悪魔として()()()()()()()()

(すぐ)れ過ぎた部下がどういう行動にでるか。それを知らない二人ではない。

 

いつか必ず手に負えなくなる。気付いた時には残りの将軍を喰らい、悪魔自身が「王」を名乗っているかもしれない。

王は不滅(ふめつ)の存在。その圧倒的存在は死に神すらも超える。「時」さえも彼を消し去ることはできない。

なれど、此奴(こやつ)ならあるいは……。

そうなる前に――――、

 

しかし、()(ふと)った『(あくま)』は鎌を突き付けられたぐらいでは動じない。

なぜなら、それは()()()()()()()()()()()と知っているから。

玄人(くろうと)であればある程、(かま)えた拳銃の引き金は固い。悪魔は、多くの人間、多くの感情を身をもって感じてきたから。

「これも言ったはずだ。ワシはどこぞの猿や豚とは違う。キサマらの反感を買わん程度の分別(ふんべつ)くらい(わきま)えている。」

「ほう。ならば今、この場で、(わし)が貴様を消さんとするこの(いきどお)りをどう説明するつもりだ?」

悪魔は何も間違えていない。

「憤り」を感じていながら、死に神はそれを振り下ろすことができないでいた。

死に神自身、矛盾(むじゅん)する自分が理解できなくなっていた。

「それは”憤り”ではない。”恐怖”と”不安”を喰って太る”快楽”と言うのよ。」

だが、悪魔はそれをしっかり理解していた。

「キサマは(おび)えておるのよ。このワシに。」

弄ぶ程に。

 

死に神の目尻がピクリと(すぼ)むと、濃紅の胴は(またた)()(くさ)り落ち、上半身が卓上の書類を()退()けるように崩れ落ちた。

机に()()す悪魔を冷ややかに見下す『(ひとみ)』が、『命』を()(つぶ)した。

「そうしてキサマという存在を満たし、(ふる)えておるのよ。」

『死』に(けが)されてなお、紅い悪魔は北叟笑(ほくそえ)んでいる。

思い描いた通りに回る運命(せかい)が、思い通りに踊る死に神が「滑稽(こっけい)で仕方がない」というように。

 

「どうだ?()()()()()()にナイフを突き立て、(たか)ぶる気持ちは――――」

口を開く度に、悪魔は粘土(ねんど)かなにかのように千切(ちぎ)れ、崩れ、紅い沼が彼の私室(ししつ)を満たしていく。

彼の世界が、広がっていく。

「ククク……。そうだ…、もっとだ。もっと怯えろ!その叫び声を聞かせろ!」

そのあまりに無防備な姿がまた、萌葱の中に懸念(けねん)焦燥(しょうそう)()()なく呼び寄せる。

 

不埒(ふらち)な唇を()()とし、忌々(いまいま)しい目玉を(えぐ)り、(ごう)の深い脳みそは()()()したところで。

溢れ出す『命』が『沼』に姿を変え、どこまでも拡がっていく。

どこまでも、どこまでも。

そうして遂には死に神の足さえも紅く()らし始める。

 

 

――――(あらが)いようがない。

 

 

萌葱色の死に神が屈辱的(くつじょくてき)敗北(はいぼく)を受け入れた時、濃紅の命は百の肉片(にくへん)()()かれていた。

 

どれだけ(てっ)しても、どれだけ拒絶(きょぜつ)しても、悪魔の言う”快楽”を押し返すことができない。

結局、死に神はその象徴(しょうちょう)でもある『鎌』を振り下ろすことができなかった。

「実に不愉快(ふゆかい)だ。」

その矛盾を理解できないまま、死に神は悪魔に白旗(しろはた)を振った。

()ろうと思えばいつだって()れたというのに。

しかし、何かが彼の腕を(つか)んで放さなかったのだ。

「゛キサマもまた、遊び足りていないのさ゛」

(かろ)うじて残った悪魔の右手が、血糊(ちのり)を使い、床に散乱(さんらん)した書類の上に書き(つづ)っていた。

 

「……ならば儂は何をすればいい。」

それは悪魔の言う通り、゛快楽゛なのかもしれない。

それでも萌葱色の男は一刻(いっこく)も早く『死』を掻き乱すそれらを何とかしたい気持ちに駆られていた。

『死』という彼の存在(いのち)さえも(おか)してしまう前に。

そんな、もどかしさに苛立(いらだ)つ萌葱色の死に神に対して、濃紅の返事はとてもシンプルだった。

 

”黙って見ていろ”

 

「……クフフフ…、クハハハッ!!」

()()り、大声で笑う姿は、少なくとも彼自身の記憶の中で一度もなかった。

それだけ、彼もまた狂っていた。

「儂をこんなにも(たぎ)らせておいて、そのままに捨て置くつもりか?それを許す程、儂が甘い人間に見えるか?」

「”ここはワシの盤上(ばんじょう)だ。例えそれがキングであろうとクイーンであろうと口()く権利はない”」

「……貴様に死に場所を用意してやるはずが、まさか貴様の遊びに付き合わされる羽目(はめ)になるとはな。」

萌葱色の男は椅子から立ち上がると、(なお)も書き綴ろうとする右手を踏みつけた。

そこには「”迷子を装う子羊(ストレイシープ)には気を付けろ”」と書いてある。

「……儂はただ待つだけよ。儂の欲する()()()()が現れるまでな。」

(きびす)を返し、部屋を後にしようとする男の視界の(はし)で、性懲(しょうこ)りもなく、千切れた左の人差し指が動いていた。

 

――――”我々の王に(さち)多からんことを”

 

「……()たして貴様が王の僕であったことが、王にとっての幸か不幸か。」

パン屑の行き着く先は果たして王の治世(ちせい)か。悪魔の楽園か。

遭難者は最後の不安を(こぼ)す。

戸を(くぐ)る彼の背後には暗く、重苦しい死臭が尾を引いていた。




※腹心(ふくしん)
心の奥底。転じて、深く信頼すること。または、信頼できる相手。この場合は「腹心」=「右腕」みたいな感じです。四本もありますが、右腕です。

※犬畜生(いぬちくしょう)
犬などの獣全般。道徳の欠けている人を罵っていう言葉。

※リンチ=私刑(しけい)
公的権限、法律に基づかない個人または特定の集団による私的な制裁。
アメリカ独立戦争期、愛国心の強いウィリアム・リンチ(判事)やチャールズ・リンチ(大佐)らの行き過ぎた私的制裁にちなんで生まれた言葉。

また、関連用語として、正義感に駆られた民衆が「罪人を罰する」という大義名分のもとに集団で私刑をする行為を「Mob Justice(モブジャスティス)」、「暴徒による正義」というそうです。
……恐い((( ;゚Д゚)))ブルブル

※契約の箱
キリスト教、ユダヤ教において「聖櫃(せいひつ)」を「契約の箱」と訳すことがあります。

ちなみに匣(はこ)は、一般的な「はこ」に当たる漢字が「箱」であるのに対して、「匣」は「蓋がぴったりと閉まるはこ」という意味をもっています。

※ストレイシープ(迷える子羊)
キリスト教、聖書においては「99匹の手元の羊より、迷った一匹の羊をこそ求めなさい」「99匹の手元の羊より、見つけた一匹のために喜びなさい」「99の罪のない者より、悔い改める一人の罪人を祝福しなさい」というような、「価値ある一匹」を意味しているみたいですが、
本編では、「非力な存在」「無垢な存在」みたいな意味で取ってもらえればと思いますm(__)m

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