聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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捕食者たちの私室 紅 その六

部屋の扉を開けるなり、濃紅(こきくれない)のスーツに身を包んだ男は眉間(みけん)(しわ)を寄せ、そこにいる来訪者にあからさまな嫌悪感(けんおかん)を表した。

「何度も、何度も……。気安くワシの前に姿を見せるな。」

そこはプロディアス市長、ガルアーノ・ボリス・クライチェックの私室。この国、アルディコ連邦の政治的中枢(ちゅうすう)であり、世界の転覆(てんぷく)目論(もくろ)む悪魔の巣の一つでもある。

 

「例の影が死んだそうじゃないか。」

客人の直球な物言いにも関心を寄せず、山のように書類の積まれたデスクを目指す濃紅の男を、萌葱色(もえぎいろ)強装束(こわしょうぞく)(まと)った客人は冷ややかに見送った。

「……フン、それだけを言いにわざわざここまで来たのか?暇人(ひまじん)め。」

「何を言う。(わし)の仕事は(すで)に儂の手から離れとる。あとは団亀(どんがめ)どもが条件を満たすのを待つだけよ。」

萌葱色の男の名は、アンデル・ヴィト・スキア。極東(きょくとう)の島国スメリアの大臣(だいじん)であり、当国の実質的最高権力者。

「それを急がせるのもキサマの仕事なんじゃないのか?」

冗談(じょうだん)を言うな。これだけの玩具(おもちゃ)を与えてやったのだ。これ以上手を()しているようでは奴らを使っている意味がないではないか。」

「だから害虫も野放しで自分は隠居(いんきょ)生活ということか?だったらさっさとキサマの田舎臭(いなかくさ)い国に戻って、チェスの相手でも探したらどうだ。それとも何か?ワシの邪魔をするのもご隠居の(たしな)みだとでも言うつもりか?」

濃紅の男は大きな革の椅子(いす)に腰を下ろすと萌葱色の男には目もくれず、書類を(めく)り、万年筆を走らせ始めた。

 

「……勝負を(はぐ)らかすのは貴様のルールに反するのじゃないのか?」

有能な濃紅の右手がピタリと止まり、アナコンダのような瞳が萌葱色の男をじっとりと見詰める。

「賭けは、条件を破綻させた貴様の負け。今日はその賭け金を取りに来たのよ。貴様の言う通り、暇でしょうがないのでな。」

捕食者(ほしょくしゃ)の視線に(さら)されながらも、来客用の椅子に太々(ふてぶて)しく腰かける萌葱色の男の声色は変わらない。その視線を笑う余裕(よゆう)さえあった。

「まさかこんなにも早く決着がつくとは思ってもみなかったがな。」

 

ほんの数日前、ガルアーノ市長の優秀な部下を(めぐ)って一つの気の狂った()けが行われた。

勝負の内容は、「プロディアス市長とスメリアの大臣、彼の手で先に消されるのはどちらか」というもの。

市長の下で勤勉(きんべん)に働く彼には秘めた野心があった。萌葱色の男がそれを見抜き、持ち掛けた。

ところが先日、市長の()()()()が彼を殺したという訃報(ふほう)が入る。

 

どこから聞き付けたのか。萌葱色の男もその事実を知り、「兵隊の追加」を注文するついでに彼の無能さを笑いに来たのだ。

「……いいだろう。好きなものを持っていけばいい。……だが、慎重(しんちょう)に選べよ。なにせこの多忙(たぼう)(きわ)まる国。その辺のゴミの一つを取ってもキサマの国に思わぬ貢献(こうけん)をしてしまうかもしれんからな。」

濃紅の男は山積みになった書類を大袈裟(おおげさ)に見せびらかし、度々(たびたび)訪れる他国の()()()()()を鼻で笑った。

唯一(ゆいいつ)(ほこ)れるものが人間どもと切磋琢磨(せっさたくま)して(きず)いた箱庭とはな。さすがに奴らの血が混ざっているだけはある。実にくだらん。」

バキリッ

「……言いたいことはそれだけか?」

ヘビの右手が、ドッシリと重厚感(じゅうこうかん)のある万年筆を()(ぷた)つにへし折った。

「詰まらん事であまりワシを(わずら)わせるなよ。」

「……」

「用を済ませてさっさと出ていけ。でなければ、スメリアごとキサマを(ほうむ)るぞ。」

「……」

 

 

……またか。この言い知れない獣臭さは何だと言うのだ。

物陰(ものかげ)に隠れ、獲物(えもの)が通るのをただひたすら待つ(いや)らしい畜生(ちくしょう)の臭いは。

 

始まりは、この男が「キメラの確立と量産」という計画に着手(ちゃくしゅ)した時だ。当初は、男の素性(すじょう)のこともあり、儂も適任(てきにん)だと認めた。

だが、よくよく観察している内に奇妙(きみょう)なことに気付く。それはこの男の性癖(せいへき)と言ってもいいのかもしれない。

男は素体(そたい)を集める(さい)、必ずと言っていいほど”村”を(おそ)い、”壊滅(かいめつ)”させる。怨恨(えんこん)による復讐(ふくしゅう)抑制(よくせい)しているのかと思いきや、実際はその逆だった。

薬と催眠(さいみん)巧妙(こうみょう)に隠しているが、男は収容(しゅうよう)した村の子ども全員に『悪夢』を仕込(しこ)んでいた。

……そうだ。此奴(こやつ)は好んで『子ども』を収集していた。

 

濃い『悪夢』を見る子どもほど、強靭(きょうじん)な『化け物』になった。

(のち)に正気を取り戻し、『悪夢』に刃向(はむか)い始めた化け物は『失敗作』と名付けられ、わざわざ()に放しては淡々(たんたん)()()ってきた。

まるで儀式(ぎしき)か何かのように。

……そして今、その儀式が実を(むす)ぼうとしている。

 

女神像、魔女、さらには古代兵器や魔王の娘も、……いいや。おそらくはこの賭け事すらも(ふく)めた全てがこの儀式を隠匿(いんとく)するための(みの)なのだ。

 

これを(あば)いた時、何が起きるか予測がつかん内は迂闊(うかつ)(つつ)く訳にもいかん。

そう思い、奴の趣向(しゅこう)に合わせれば少しはボロを見せるかと期待(きたい)もしたが、こんなにも早く決着がついたとなると……、おそらくは見抜かれていたのだろう。

それにしても……、

 

――――この(あか)い沼の底には何があるのか。

 

萌葱色の大臣は、久しく感じることのなかった好奇心に突き動かされていた。

(たと)えそこに(わな)があろうとも、今すぐに(まさぐ)りたい衝動(しょうどう)()られていた。

「……いいだろう。ならば()(がた)頂戴(ちょうだい)しようじゃないか。」

何より、獣に()まれる痛みがどんなものか。興味がない訳ではなかった。

「いったい何を(たくら)んでおる。」

 

一瞬見せた男のそれはまるで「意表を突いた言葉」とでもいうように。あからさまに彼をバカにした表情だった。

「フハハハ……。キサマ、この()に及んでワシが良からぬ遊びに(きょう)じているとでも思っているのか?」

しかし、濃紅の顔に嘘を隠す努力は見られない。

悪魔が遭難者(そうなんしゃ)(さそ)()むために()いたパン(くず)のように、それと分かるように、その表情の一つひとつに「わざとらしさ」が(にじ)み出ていた。

 

「ならば聞き方を変えよう。あの実験体二匹を使って何をするつもりだ?」

「二匹……、リーザとエルクのことか?」

悪魔は折れた万年筆を屑かごに放ると、引き出しを開け、次の一本を物色(ぶっしょく)し始める。

「貴様の(みにく)()え太った権力はこの大陸そのものと言ってもいい。それを、あたかも梃子摺(てこず)っている(てい)(よそお)い、野放しにしている。それはつまり……、そういう事なのだろう?」

選んだ一本が(えが)いた彼のサインは、以前のものよりも(なめ)らかで、光沢(こうたく)さえ感じさせる不気味な黒色(こくしょく)を放っていた。

「知りたくば、キサマにも協力してもらおうか。……と強要せずとも、その通りにせずにはいられんだろうがな。」

普段なら、煩わしい悪魔の能書(のうが)きを一蹴(いっしゅう)したかもしれない。

だが、今の萌葱色の男は好奇心に(てっ)していた。どこまでも続くかに見える沼の底に降り立つまで、息の続く限り(もぐ)り続けた。

「……何が言いたい。」

「”運命”よ。この時代に存在するワシらはもはや、そうしないことの方が狂っていると言ってもいい。」

ところが、そこはまさに光を(さえぎ)る沼の中。

一度、泥水が取り(かこ)んだなら、(またた)()潜水者(せんすいしゃ)の方向感覚を奪ってしまう。

潜っているのか。浮上(あが)っているのか。

(くだ)らん。何かと思えばどこぞの異端児(いたんじ)どもが叫んでいた”予定説”を(なぞ)っているだけではないか。『命』を取り込み過ぎてとうとう理性さえ(うしな)ったか。」

次の書類、次の書類へと断続的に現れる黒いサインはまるで活動写真のごとく、今にも泳ぎ出しそうな”活力”を見せつける。萌葱色の遭難者に問い掛ける。

「仮に、そうだとしたら。キサマの『死』は何も(ささや)かんのか?」

 

 

 

……この男に問われるまで徹底(てってい)して忘れてしまっていた。

 

いいや、虫唾(むしず)の走る「現実」から逃避(とうひ)していたのかもしれない。

儂ともあろう者が、あの時から「()()()()()」に気付かされてしまった。

迂闊にも、スメリア王の前にあの小僧が現れた時、小物と蔑視(べっし)する一方で、言い知れぬ”引力”のようなものがそれを()げているのを耳にしてしまったのだ。

だが、所詮(しょせん)は人間。幾度(いくたび)「勇者」を名乗り、我々を葬ろうとも王を消すことは(かな)わぬ。時が流れる限り、王は何度も産声(うぶごえ)を上げる。

゛王の治世(ちせい)゛から(のが)れることは叶わない。

 

…………そうでは、ないのか?

 

「聞こえたのだろう?」

唐突(とうとつ)に現れた悪魔の(ゆが)んだ()みが、萌葱の(かん)(さわ)った。

その黒い瞳がジワリと(ひろ)がったかと思うと、悪魔は()()み、机の上に大量の血を吐いた。

()に乗るな。」

萌葱色の男は歩み寄り、閉じた白檀扇(びゃくだんせん)を悪魔の(ひたい)()し付けた。

「貴様が生きていられるのは(ひとえ)に儂の気紛(きまぐ)れだということを忘れるなよ。」

「だが、ワシとてキサマを殺せる。……ククク、どうだ。キサマにとってこれ以上対等な相手もそうおるまい。」

濃紅の悪魔は突き付けられた扇子(せんす)を払いのけ、血で汚れた口元を(ぬぐ)いながら不敵に答える。

 

 

それを(いまし)める大臣の黒がさらに(ふく)らみ、悪魔はさらに紅い()を吐き出す。

「もう一度だけ、貴様にチャンスをやろう。」

圧倒的優位にいるにも(かか)わらず、萌葱色の男はまるで「遭難者」のままでいるような不快感が拭えないでいた。

それを振り払うように、男は(こと)さら威圧的に問いただす。

「何を、隠している。」

支配的なまでの糾弾(きゅうだん)を受けながら、それでも悪魔は小気味良い笑みを()らし、沼の底から、(さら)に、更に、()かった獲物へと濃紅の手を伸ばす。

「……オモチャよ。」

紅い(さけ)()わせていく。




※強装束(こわしょうぞく)、または剛装束とも書きます
平安時代末期から着用されてきた公家(男性)の装束で、糊付(のりづ)けにより直線的な折り目を目立たせたもの。
これに対して、柔らかな生地で作られ、しなやかな線を出す装束を柔装束(なえしょうぞく)(または萎装束とも書く)と言います。

※団亀(どんがめ)
「すっぽん」の別名。「どん」を「鈍」にかけて人をけなす「愚か者」「のろま」の意味。

※蓑(みの)
茅(かや)や藁(わら)などを編んで作った雨具。肩からかけて身に着けるもの。
ですが、ここでは「隠れ蓑」を略した形で使っています。

※白檀扇子(びゃくだんせんす)(白檀扇《びゃくだんせん》、壇香扇《たんしゃんせん》とも言います)
白檀という香木の木片を重ねて作られた板扇(いたおうぎ)(薄い板を重ねて糸でつづった扇)です。一枚一枚に()かし()りや描き絵で装飾を施したものが一般的で、(りょう)をとる目的よりも上品な香りを楽しむことを目的とした扇子です。

※糾弾(きゅうだん)
ひとの罪や責任を明らかにし(問いただし)、非難すること。

※予定説
キリスト教の思想の一つです。
フランス出身の神学者、ジャン・カルヴァンによれば、神様に救われる人、見放される人は産まれながらに決まっているという話です。

もちろんアークの世界に「キリスト教」はないので、ロマリアが布教しているあの宗教とは別の、「異端の宗教」が唱えたということにします。

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