楽士の漲る表情を見届けた青年は、指示を待つもう一人の仲間に向き直った。
「もちろん、攻略した者から別地の応援に向かってもらう。特にロマリアは敵の戦力が集中している。一番の難所になるのは間違いない。そういう意味で、イーガは予備戦力として状況に応じて各地の手助けをしてもらいたい。」
「心得た。」
並べられた椅子の一つに座るでもなく、石像のように立ち続ける僧兵は言葉少なに応えた。
「皆は、イーガが直ぐに動けるよう、連絡はできるだけ密に取って欲しい。」
するとロマリアを任されたと意気込む猿は威勢のいい言葉で応えた。
「ッハ。じゃあ初めに言っといてやるよ。俺んトコは間に合ってる。だから好きにヤらせてもらうぜ。」
豪気な言葉を吐く猿の口は濃密な酒の臭いを僧兵に吹きかけた。
「慢心は要らぬ厄を呼ぶぞ。」
「俺がこの程度の作戦でしくじるってのか?笑える冗談だぜ。」
臆病な楽士とは対照的に、常に刃物を振り回しているような性格の赤毛にとって「施設を壊す」という粗暴で単調な仕事はまさに彼の十八番。
だからこそ、その楽しみを十二分に味わいたいと考えてしまうのは彼の悪い癖でもり、彼の強さの秘訣でもあった。
「故事は人を選ばぬ。例えお前が神や仏であろうとな。」
「おいおい、俺は所詮、神や仏ごときと同列ってことかい?悲しいねえ。」
闘士である前に”僧”である彼は、闘いを軽んじる猿をつい諭そうとしてしまうが、その度に、木に登ってしまった猿は見下ろすことしかしない生き物なのだと思い知らされている。
そもそも赤毛自身が言っているように、ソレはただの”猿”などではない。闘いの中に立つ赤毛はすでに―――神や仏とまでは言わなくとも―――それに近しい存在であることは”僧兵”である彼も十分に気付いていた。
ただ、そうでない時の赤毛が僧の目にはただの無頼者にしか映らないだけなのだ。
「まったく、お主の過剰な傲慢は頼もしい一方で恐ろしくもある。その点では確かに神も仏も超えているかも知れんな。」
「ッカカ。だからってテメエに拝まれるのは真っ平ゴメンだがな。」
その後は各自の詳細な作戦内容の確認になった。
各地の拠点として安全だと思われるポイント。現在把握できている侵入経路。通常時、非常時の連絡手段など。全員の行動が把握できるよう、できるだけ細かく。
「別件だが、レジスタンスに任せていた『古代兵器』、あれはどうなった?」
青年の問い掛けに赤毛の侍は五月蝿げに手を振った。
「失敗だな。見つけはしたらしいが、こっちが目を放してる隙に兵器も博士も一緒にヤラれちまったらしい。」
「……ヤラれた?奪われたとかではなくてか?」
「そういうこった。……なんか不満か?」
「……いいや、俺が思っていた動きと少し違っていただけだ。気にしないでくれ。」
青年は逸らかすが、赤毛は不安げな青年の予感をキチンと見透かしていた。赤毛ならそうしてくれるという青年の期待も。
「分かった、分かった。今度、もう少し詳しく調べといてやるよ。」
「悪いな。」
赤毛は青年の見え透いた演技を鼻で笑い、それでも満足げな顔で盃を傾ける赤毛に青年も笑い返した。
「俺からは以上だ。ゴーゲン、何か付け加えることはあるか?」
青年が呼び掛けると、彼の相談役でもある老父は手にした杖を振って応えた。
「ないない。進めてもらって構わんよ。」
いつもなら青年の揚げ足の一つや二つ取っては厭らしく笑うのが趣味のような老父が。何も言わないとなると、それはそれで青年に絶妙な居心地の悪さを覚えさせた。
「……以上が当面の作戦内容になるが、何か言っておきたいことはあるか?」
そこへ、赤毛からは身を引いた僧兵が青年を相手に口を開く。
「ロマリアを攻めるならば、なぜ大元まで攻め込まない。」
ロマリアは敵の本拠地、この場にいるほとんどがそう認識していた。ところが、「各地キメラ研究所を潰したら無駄な戦闘を避け、引き揚げろ」青年は彼らにそう伝えていた。
「状況次第ではそうするかもしれない。だが今はまだロマリアが奴らの本拠地だという確証がないんだ。」
「というと?」
「ロマリアはあくまで奴らの隠れ蓑かもしれない。」
青年たちが相手にしている敵の、主犯と思しき人物は全て「ロマリア四将軍」にあたる。しかし、彼らの目的はあくまで「彼らの王の復活」、さらには「人類の滅亡」。
必ずしもロマリアの王、ガイデル・キリア・ク・ロマーリア8世に覇権を握らせる必要はないのだ。
「これもおそらくとしか言えないが、ガイデル王は人間だ。奴らの本当の目的も知らない。そんな状態で俺たちが乗り込めば、マローヌ王の二の舞は避けられない。」
前スメリア王、マローヌ・デ・スメリアは殺害された。アーク・エダ・リコルヌという反逆者によって。
「無駄に国を荒らし、混乱を招けば増々連中の思う壺だろう。俺たちは最小限の動きで奴らを討ち取らなきゃならないんだ。」
多少の犠牲は出るだろう。犯罪者となった時から、青年はその覚悟を決めていた。
しかし、「できれば最小限に止めたい」という煮え切らない16の幼さ、純粋さも彼の中には残っていた。
「だからこそ無茶はするな。俺たちは戦争をしている訳じゃないんだ。くれぐれも戦う相手を見誤らないでくれ。」
欲張りな幼さは目に見えない命さえも背負わずにはいられない。
「重ねて言うが、死ぬような真似だけは避けてくれ。……俺は、誰一人欠けることも許さない。俺たちはここにいる全員でこの戦いに勝つんだ。」
言いながら、引き締まっていく全員の顔を見渡し、青年は徐に剣を抜き、掲げる。
そして、彼らの意志を剣に結ぶ。
「この船に集いし命が剣と共にあらんことを!!」
『オウッ!!』
作戦会議が終わり、艦長に航路の指示を済ませると、青年は自分の部屋へと戻ろうとする老父の隣を歩いた。
「まったく、毎度毎度、アンタには調子を狂わされるよ。」
老父はヨタヨタと歩きながら、陽気に笑った。
「ホッホッホ、何を言う。十分に良い指示だったと思うぞい。若々しく、活力があり、何より仲間想いな姿勢を忘れておらん。昨今、中々類を見ん頼もしい指導者じゃったよ。」
「……初めからそんな奴だったら、今も俺は騙されていただろうな。」
「ホッホッホ、お前さんも随分と疑い深くなったのう。」
「お陰様でな。」
「じゃが、人を信じるということも大切じゃぞ?」
「……俺にはお前が一番の黒幕に思えるよ。」
老父は馬の尻尾のように長い白眉をピクリと持ち上げ、青年の顔を覗き込んだ。
「お前さん、前にも同じようなことを言っとったな。」
「そうか?憶えてないな。」
「前」と言わず、この博学多識な老父を卑下するような言葉はこれまでにも散々使ってきた。
青年の目にはそうされたがっているように見えて仕方ないからだ。
「お前さん、とうとうボケ始めたんじゃないか?」
「そうかもな。なにせ気苦労の絶えない仲間たちばかりだからな。」
「恵まれとるじゃないか。」
「……まったくだよ。」
青年は知らず識らず笑っていた。
「それはそうと、お前の言っていた『古代兵器』。あれは本当だと思うか?」
青年は、心地良い余談に流され、うっかり本題を忘れていた自分を戒める。
「連中に破壊されたことか?」
赤毛の報告を疑っている訳でも、彼の揃えたレジスタンスを信じていない訳でもない。
ただ、何かが食い違っているような違和感が青年の脳裏にこびり付いていた。
兵器も博士も間違いなく強力な戦力のはず。それを取り込まずに切り捨てた。
駐屯するレジスタンスをすり替え、スパイを潜ませている様子もない。
いいや、もしかすると事細かに仕込まれたスパイは既に俺たちの中にいるのかもしれない。
明白な利点を放棄した敵の目的が理解できないんだ。
そう老父に伝えると、彼は持ち前の豊富な知識と経験で青年の疑問に答えた。
「どうじゃろうな。機神は一体ではないし、当時の技術を持つ人間も今はおらんだろうからのう。損傷が酷ければ破棄したという可能性もない訳ではないわな。」
「アンタでも直すのは無理なのか?」
「分野外じゃよ。」
老父は『古代兵器』の素性を知っていた。共に戦ったことも、言葉を交わしたことさえあった。しかし、彼の専門は魔導であり、機械技師ではない。
いかに3000年生きていようと、収まらない知識は山のようにあった。
「大した”大賢者様”だな。」
「ホッホッホ、お前さんの言葉はいつ聞いても新鮮で心地好いわい。」
この態度だ。嫌味や皮肉の一つでも言いたくなる。
「確かに危うい”可能性”は消しておくべきかもしれない。でも、連中の性格を思えば……、どうも腑に落ちないんだ。」
「分からんでもないがな。じゃが、お前さんの言う”スパイ”も含め、言い出したら切りがない。それこそ連中の思う壺かもしれんぞい。」
「……そうだな。」
その言葉に尽きる。
青年は、敵の拙い罠に真っ先に掛かってしまった自分を笑い、解決してくれた老父に感謝する。
「それに、その件は猿がなんとかしてくれると言っとったじゃないか。今はその報告を待てばいいんじゃよ。」
そのために二人で打った芝居だった。そのことを思い出し、青年はさらに自嘲する。
「さすがにあのヤンチャ猿を入れ替えるなんぞ、いくら連中でもそんな割に合わんことはせんじゃろうよ。」
「……まったく、まったくその通りだよ。」
老父を見送ると、ゴウゴウと唸る白銀の鯨はユックリと泳ぎ始めた。
緑の海を割り、青い海へと厳かに昇っていく鯨は、世界を覆う黒い泥沼を掻き分け、小魚たちを最後の地へと運んでいく。
「チョンガラ、シルバーノアの調子はどうだ?」
「おお、アークか。見ての通りよ。やっぱり女と船はマメにご機嫌を取ってやらんとな。」
「”酒”が抜けてるんじゃないのか?」
酒樽のような男の腹を指して言うと、節操を知らない酒樽はその発酵した酒の臭いというものを産毛の残る無防備な青年の耳に押し付けてきた。
「ガッハッハ、アークもまだまだ青いのう。ワシからしてみれば女も酒も同じ言葉よ。味から臭いから何から何までな!」
元主人、精霊の国の王を亡くしてもその輝きを失わない天駆ける戦艦。
神秘と勇猛に溢れる船の艦長は、その下品な腹を叩きながら言ってのけた。
「ククルに同じことが言えたら認めてやるよ。」
「おお、おお、自分の女が水と同じと言われてご立腹か?いいのう、いいのう。青春を謳歌しとる若い者は。」
「……次の作戦で根を上げても、引きずり回してやるから覚悟しとけよ。」
ちょっとした戯れ合いに心地良さを覚えながら、青年は操舵室を後にする。
「……」
雲の流れる外の景色を見遣り、青年は遥か彼方の人を想う。
今も一人孤独な闘いを続けているお転婆な聖女を。
――――ククル……
聖女を想えば、青年は勇者の顔付になる。彼女を護るため。彼女を救うため。
青年は腰の剣を握り締め、二人の未来を想った。